第11話 告げられたるは残酷なる宣言
蓮田鳴海に占ってもらった桃花は、占いが終わるとすぐに帰宅したが、すぐに自室にこもっていた。
――どうしたらいいってのよ……
枕に顔をうずめ、思い悩んでいた。
桃花の手元には鳴海から受け取った白の呪符と黒の呪符が一枚ずつある。
鳴海の話では、白い呪符を護に、黒い呪符を月美に渡せば、月美はいつまでも自分の友達としてそばにいてくれるという。
三人一緒にいられる時間がいつまでも続くわけではなく、いつか必ず終わるということはわかっているが、せめて再来年まではその時間が続いてほしいと願っている桃花としては、願ってもないことだ。
しかし。
――このお札を渡すってことは、月美を洗脳して自分の思い通りに操るってことでもあるよね? そんなの、親友として許せるの?
月美の心を自分や麻衣に向けさせるということは、ある意味で洗脳していることと変わらないが、月美が幸せであればそれでいいと思えるほど、桃花は人間ができていない。
かといって、他人を洗脳し、自分の思い通りに操ることが果たして許されることなのだろうか。
自分の欲望と理性がせめぎ合い、桃花はどうすればいいのかわからなくなってしまっていた。
その頃、自室で眠っていた月美は、ふと目を開いた。
その瞬間、桜の花びらが目の前でひらひらと舞っている光景が視界を支配している。
桜の花が咲くにはまだ少しばかり時期が早いし、何より眠る前に窓を閉めたので自分の部屋に桜の花が入り込んでくることはない。
それらのことを思い出し、月美は自分がいる場所が自室ではないことを理解する。
――この桜、どこから……
花びらがどこから来たのか確かめるため、周囲を見回すと、花びらはすべて上から落ちてきていることに気づく。
同時に、自分は今、桜の木の根元に座っていることに気が付いた。
「あ、ここ夢だ」
そこまで状況を確認してようやく、自分が夢殿にいることを自覚できた。
夢殿は夢の世界、護の場合は満天の夜空が広がる世界、月美の場合は桜並木の世界という具合に、夢を見る人間によって姿を変える場所だ。
月美も、何度か訪れることがあったため、すぐにここが自分の夢殿であることに気づいたのだが。
――あれ? なんで、桜の木が一本しかないの?
自分が普段足を踏み入れる場所とはまったく違っている光景に、違和感を覚えた。
いったいどういうことか考え始めたが、何かが近づいてくる気配を感じ、身構える。
――誰? 護を招いてはいないはずだし、妖気や邪気のようなものは感じない……もっと綺麗で澄んでる、神仏のような
そう感じ、顔を上げると月美の視界に白い水干をまとった銀色の髪をした美しい男性が近付いてくる。
その男の姿を見た月美は立ち上がり、深々と頭を下げた。
その男は、風森家が守護する葛葉神社の祭神、葛葉姫命の御使いである白狐が人間に変化した姿だった。
「ご無沙汰しております、白狐様」
頭を下げたまま、月美は白狐が変化した男にあいさつをする。
月美のその姿に、白狐は笑みを浮かべ。
「久しいな、風森の巫女の娘。堅苦しい場ではない、以前のように『シロ様』と呼んでも構わんぞ」
と、親し気な様子で返した。
彼は土御門家の来訪の時期を告げに来る、風森家にとって縁の深い存在なのだが、高い霊力を持っていなければ、姿を見ることはおろか、会話することもできない。
風森家の人間でも、彼の姿を見て、言葉を交わすことができる人間は亜紀と友護、そして月美の三人だけだ。
特に月美は、幼少期から霊力が高いために何度もその姿を見ており、何度か様子を見に来た時にあやしていたこともある。
そのことから、『シロ様』と、まるで近所のお兄さんのように親し気に呼ぶことを許していた。
もっとも、そんな月美も成長し、敬うべき存在に対する言葉遣いや態度というものを身に着け、よほどの場ではない限り、そう呼ぶことは少なくなっていた。
そのことを寂しく思っていたのかどうかはわからないが、こうして許可が下りたので。
「……では、以前のようにシロ様、と」
「それでいい」
月美は遠慮なく、昔の呼び名で白狐を呼び、呼ばれた
だが、その顔はすぐに真剣なものへと変わり。
「巫女よ。我が主の守護する一族の若者、今この地に来ているな?」
「……はい」
問いただしてきた白狐のただならぬ雰囲気に、月美も真剣な面持ちになる。
白狐の主とは葛葉姫命。そして、かの女神が守護する一族の若者とは、護のこと。
自分の夢に入り込んでまで、わざわざ護のことを話題に上げたことに、月美は護に直接頼みにくい用事があるのではないかと考えた。
だが、白狐の口から告げられた言葉は、護への言付けではなかった。
「あのものに、件の呪いがかけられた」
「件の呪いですか……」
その一言は、月美にとって有罪判決を言い渡されたような衝撃を与えた。
件の呪いとは、件が予言を告げることを指す。
決して避けることのできない災いが、予言を与えられたものに降り注ぐということだ。
件の予言は決して外れることのない災いの予言。
呪いにも似たそれが、自分が最も大切に思っている人間にかけられたというのだ。
衝撃を受けるなというほうが無理な話である。
それをわかっていながら、白狐は月美にそのことを伝えに来た。
それは、月美が絶望的な言葉をつきつけられても取り乱し、泣き崩れることはしないことを信じていたからに他ならない。
現に、月美は取り乱す様子はなく、打開策を求めてきた。
「……どうすれば、その災いを回避できるのですか?」
「並大抵のことでは、回避できないぞ」
白狐の目に厳しい光が宿った。
その眼を見た月美は。
――もしかしたら、わたしに重い代償が課せられるかもしれない。けれど
だからといって逃げることはしたくない。
最愛の人を失うかもしれないというのに、何もせずに手をこまねいているだけというほうが、もっと嫌だった。
月美は覚悟を瞳に映して、再び白狐に問いかける。
「教えてください、その方法を」
「後悔は、しないのか?」
白狐の試すようなその一言を聞いても、月美の決意は揺らがなかった。
どのような予言が護に告げられたのかはわからない。
だがそれでも、大切な人がいなくなってしまうこと、何としても避けたかった。
――不安がないわけじゃない。けれど、護を失うことの方がもっと怖い
月美が心中でつぶやくその言葉が、そして彼女の覚悟の強さが白狐にもわかったのだろう。
身をかがめ、月美の耳元まで自身の顔を近づけ、護が件が定めた運命から逃がすため、月美が取れる手段を耳打ちする。
「……そんな……」
その内容は、とても残酷なものだった。
月美は目を伏せ、手を強く握りしめる。
その苦しげな様子を見て、無理もないと思いながらも白狐は口を開いた。
「選ぶのはそなただ……その時が来たら、決めればいい」
白狐がそう言い、月美に手を差し出した。
その手は何かを包んでおり、月美はそれを受け取る。
すると、後ろにあった桜の木から、大量の花びらが風に舞い、二人の間に割って入り、月美の視界は一瞬にして、大量の桜の花びらで埋め尽くされた。
その瞬間、誰に呼ばれたわけでもなく、ただ一方的に夢殿から現世に戻された月美は、目を見開いた。
月美は悲鳴を呑みこみ、布団から勢いよく起き上がり、何度も、大きく深呼吸した。
息は落ち着いてきたが、心の動揺までは抑えきれていない。
全身は汗で湿って、気持ちが悪い。
護に、最愛の人に災厄が訪れるということが、わかってしまったのだから、動揺するなというのが無理な話だ。
――なんとか……なんとか、しないと
月美は右手を胸の前で握りしめ、心のうちでつぶやいた。
翌日。
麻衣と合流した護と月美は、一冊のメモを手渡された。
それはどうやら、昨日のうちに月美が頼んでいた情報をまとめたものらしい。
さっと内容を見てみた限りだと、そこにはこの事件に関与している可能性のある女占い師、蓮田鳴海についての情報がびっしりと詰まっていた。
それが本名かどうかは定かではないのだが、この人間が今回の一件に関与していることは間違いない。
警戒するに越したことは無いと判断するには、十分すぎるものだった。
そのメモを受け取り、内容をだいたい把握したときになって、麻衣はにやにやと笑みを浮かべながら。
「さぁ、情報を渡したんだから、対価として、私たちのわがままに付き合ってもらうわよ!」
と、二人に宣言。
そして、その言葉通り、少し遅れて桃花がやってきた。
どうやら、彼女の言う『私たち』というのは、この三人娘のことをさしているようだ。
何をさせられるのやら、と護がため息をつくと、桃花は。
「あれ?」
視線を護の右手の方に向け、少しばかり間の抜けた声を出していた。
「どうしたの?」
「あ、うん。じつは、そのメモに書いてある人の名前、ね」
その様子に麻衣が声をかけると、桃花は護が手にしているメモに書かれた鳴海の名前を見て、気になったらしい。
「え? 桃花、もしかして」
「うん。昨日、ちょっと声かけられて占ってもらったの。その時に、こんなのももらって」
と言いながら、一枚の呪符を目の前に差し出した。
それを見た瞬間、護は険しい表情を浮かべる。
使われている紙の色こそ違うが、呪符から放たれている力は、護が風間友尋の部屋へ夢殿で侵入した際に見つけた、黒い呪符から放たれていたものと同じ。
そして、それは月美も同じだったらしく。
「……あんまりいい感じがしないよ?その呪符」
月美が心配した様子で声をかける。
親友というだけでなく、神社の娘である月美の言葉は無視できないらしく、桃花はその呪符をどうしたらいいか、迷い始めた。
すると。
「なら、月美の神社で処分してもらえばいい。月美に預けるのが嫌だったら、俺に預けとけ。どうせ、帰りは同じ方向なんだし」
護が自分に呪符を預けるよう提案してきた。
人間嫌いの護にしては珍しく、他人に気を使っている。
月美は目を丸くしていたが、護は気にすることなく、話を続けた。
「風森神社の娘が『よくないもの』って判断したんだ。素人がありがたがって持っているより、ずっと安全だと思うが?」
「なら、そうする」
護の説得を聞き入れたのか、桃花は護に取り出した呪符を手渡した。
呪符を受け取った護は、ショルダーバッグから封筒を取り出し、その中に呪符を入れて、封をする。
「月美、これは神社に着くまで俺が預かってていいよな?」
「うん。お願いしていい?」
呪符をいれた封筒をかざしながら護が問いかけると、月美は少し申し訳なさそうな表情で問いを返す。
護はその問いかけにうなずいて返し、封筒をショルダーバッグにしまった。
その後、何事もなかったかのように護は月美と一緒に、麻衣と桃花の買い物に同行するよう、麻衣から頼まれた。
――これが対価って……いや、たぶんこれはまだましな部類なんだろうな
複数の買い物をする女子の中に男子が一人。
そうなった場合の男子の役割は、当然、荷物持ちである。
月美から麻衣の良くないほうの噂を聞いているからこそ、荷物持ち程度で済むのならば安いものと考えるべきなのかもしれない。
護は思考の方向を出来る限り前向きな方へ変え、麻衣のわがままに付き合うことにした。
そう考えると、荷物持ちになることに肚を括ることができる。
それはいいのだが、護はこの後、きっちり元を取られたのかもしれないとも感じていた。
「……前が見えない……」
ショッピングモールの中、愛らしい笑顔で会話をする三人娘の少し後ろを、護が大量の荷物を抱えて歩く。
その量はとてもではないが三人分と思えない。
――大量の箱や袋を持って女子の後ろを歩くのって、漫画や小説だけかと思っていたんだがな……まさか現実で俺がこんな目に遭うとは思わなんだ……
と、心中では文句を言っていたが、それだけ貴重な情報を彼女が提供してくれた、ということでもある。
そこには感謝しているし、その代償であるのなら、荷物持ちくらいは軽いものだ。
実際。
――女子の買い物は長いとは知っていたが、いつまで買い物をするんだ?というか、こいつらの資金源は一体どこから来ているんだよ
前が見えなくなるほどの大量の荷物を持ち、額から浮き出た汗をほほに伝わせながらもそんなことに思考する余裕があるようだ。
しかし、思考する余裕はあっても、周囲の状況に注意を払うほどの余裕はなかったらしい。
月美がほんの一瞬、自分の荷物から注意をそらしたことを確認すると、桃花は持っていたもう一枚の符をそっと、月美の荷物に紛れ込ませていた。
――ごめんね、月美
桃花は傷つけたくなかった親友をこれから傷つけてしまうことを謝った。
幸い、護はもちろんのこと、目ざとい麻衣にも気づかれることなく、数時間し、時刻は夕方近く。
さすがに門限があるため解散することになったのだが、護は麻衣と桃花の家の近くまで荷物を運ぶことを強制させられてしまい、月美と別行動をすることになった。
なお、月美はさすがに申し訳ないといって、自分の買い物だけ持って、先に風森邸に向かっていた。
「あ、ここまでで大丈夫」
「なら、ここで荷物を渡していいな?」
「うん」
麻衣の家へ先に向かい、荷物を渡した護は桃花の家まで同行していた。
玄関先に着くと、桃花が荷物を渡してほしいと頼んできたため、護は桃花に荷物を渡し始める。
最後の荷物を手渡し、護が帰ろうとしたその時、桃花は護に声をかけた。
「あ……あのさ、土御門くん」
「ん? なんだ?」
声をかけられ、護はぶっきらぼうに返しながら、桃花の顔を見る。
その態度に怖気づいてしまったわけではないが、桃花は何も話せずにただうつむいていた。
「特に用がないなら、俺は帰るぞ?」
「ま、待って!」
立ち去ろうとする護に、桃花は声をかけて、その場にとどまらせる。
桃花は深呼吸をして、護をまっすぐに見つめ、口を開く。
「あ、あの、土御門、くん……あたし、あたし……」
だが、思うように言葉が出てこない。
自分の望みがかなうように仕掛けはしたが、それでもやはり良心の呵責に耐えきれなかった。
親友であるとはいえ、他者の心を自分の思うように操っていいはずがない。
軽い気持ちで犯してしまった自身の罪を、目の前にいる親友の思い人に告発しようと、桃花は言葉をつなごうとする。
だが、喉の奥に言葉がひっかかり、出てくる気配がない。
どうにか、自分のしてしまったことを言葉に使用と努力する桃花の様子を見て、何かを察したのか。護はショルダーバッグから呪符をしまい込んだ封筒を取り出し、桃花を見ながら言葉を返した。
「……何を言おうとしていたのかはわからんが、伝えようとする勇気があるなら、こんなものに頼るな」
そう言いながら、護は持っていたライターで、封筒に火をつけた。
封筒が燃える間、護の口はかすかに動いている。
桃花はその言葉を聞き取ることはできなかったし、仮に聞こえたとしても理解はできなかった。
護の紡いだ言葉に呼応してか、甲高い悲鳴のような音をあげながら、封筒ごと呪符は灰となる。
だが、それで終わりではない。
「相手の心を縛る
護は鋭く桃花をにらみつけながら問いかける。
その瞳に、敵意のようなものを感じた桃花は言葉を詰まらせていたが、護は構うことなく話を続けた。
「知ってると思うが、俺は人間があまり好きじゃない。実現する力があるとわかれば、今まで信じてこなかった力を簡単に使おうとする浅はかな奴らは特にな」
二十一世紀という、科学万能といっても過言ではない時代だが、いくら科学が発達しても、叶えられない願いや想いがある。
科学が台頭する半面、それらをかなえることのできる可能性を秘めた『魔法』という存在は、人々から拒絶され、否定され、表の世界からは消えた。
だが、いざ自分の力ではどうしようもない場面に直面した時、人は否定してきた存在に頼る。
自分たちで否定し、消し去ったくせに都合のいい時だけ頼りにする、その傲慢さに嫌気がさし、幼少期に受けたいじめも手伝って、護は大半の人間を嫌いになっていった。
そんな自他ともに認める人間嫌いの護にしては、珍しく、桃花と麻衣は一緒にいても嫌悪感を抱くことはなく、接することができたのだが、それとこれとは別の話だ。
たとえ、好感を持つことができた人間が相手でも、自分が嫌悪する行為に手を染めることを、護は良しとはしない。
「俺に話して、罪の意識を少しでも軽くしようとしたか? 甘ったれんな! そんなんでお前の罪が消えるわけがない!! 許されないことをしたなら、とことんまで償え!! それがお前にできる、たった一つのことだと思うぞ、俺は」
自分の想いを告げた護は、桃花の前から立ち去る。
その背中を見送りながら、桃花は泣くまいと必死になってこらえた。
だが、男勝りの彼女でも突き付けられた言葉と改めて思い知らされた罪の意識の重さには耐えられなかったようで、涙を流し、その場に座り込んでしまう。
「ごめん……ごめんね、月美ぃ……」
泣きながら、桃花はこの場にいない月美に謝罪する。
渡された片方の呪符が燃やされたことで、彼女の身に何が起こるかわからない。
そもそも、二つの呪符をそれぞれ指示された通りに渡した場合、何が起きたのかも桃花は知らなかった。
だが、護のあの態度と月美が指摘した言葉から、きっと良くないことが起こるに違いないということだけは理解した。
どんなことが起こるのかはわからないが、親友を危険にさらしてしまったことに変わりはない。
謝罪して許されることではないが、それでも桃花は泣きじゃくりながら謝罪の言葉を口にし続けていた。
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