第243話 悪魔は怒り吠える

「神に呪われている? いったい、何を言っているんだ、お前は?」


 バフォメットが叫んだ言葉に、光は首をかしげながら問いかける。

 一般的に、神という存在は人々を祝福こそすれ、呪いをかけることなどしない。

 むしろ、目の前にいる悪魔こそ、人間に呪いをかける存在である。

 だが、護と月美は、その言葉を理解できてしまった。


「神は人間を呪っているか。言い得て妙だな」

「そうだね。確かに、人間は呪われてるのかもしれない」

「なっ?!」

「って、お前たちも何を言ってるんだ?!」


 二人の言葉に、光と満は驚愕の声をあげる。

 一方、自分と同じ考えを持つ人間が目の前にいるとは思いもしなかったバフォメットは、その目を細めながら問いかけてきた。


「では、何を根拠にそう思われるのですかな?」


 どうやら、少しばかり冷静さを取り戻したようだ。

 先ほどまでの乱暴な口調ではなく、初めてであった時のようなに丁寧な口調に戻っている。

 そのことに気づいていないのか、それとも気づいていて無視しているのか。

 護は淡々とした様子でバフォメットの問いかけに、答えを返していた。


「人間は言葉を使って名前を付けずにはいられないからな」

「ちょっと待て! 名付けずにいられないことが、なぜ呪われていることにつながる?」

「わからねぇか?」

「あぁ、わからん」


 突然、口をはさんできた光に聞き返した。

 だが即座に、考える素振りすら見せずに返された答えに、護はため息をつく。


「花や木が出している空気。俺たちをそれを『香り』とか『匂い』とか名前を付けてるだろ?」

「あ、あぁ」

「ですが、あなた方人間以外の獣はどうでしょうな? その空気を『匂い』や『香り』として認識しているのでしょうか?」

「そ、それは……」


 バフォメットの問いかけに、光は言葉を詰まらせる。

 あくまで自分は人間だ。

 動物たちが匂いや音を感じ取り、何を思うかなどわかるわけがない。

 その様子を見かねてか、月美がその疑問に答える。


「せいぜい、『あの花から甘い空気が出ている』とか『鼻から感じられる気配』というくらいにしか認識していないかもしれないわね」

「もっと言うならば、物質にしても現象にしても、『名前』を与えられなければ、人間は目の前で起きていること、存在するものを認識することができないでしょう?」


 人間が誕生し、『言語』を獲得してからというもの、様々な物体や現象に名前を付けてきた。

 だが、仮に今まで名付けられてきた物体や現象に名が付けられていなかったとしたら。


「名前があるから、言葉があるから、私たち人間はこの世界というものを初めて認識できている。そういうことか?」

「そういうことだ。でもって、人間に言葉を与えた存在が、キリスト教的には『神』ということになるんだろうな」


 聖書の一節には、『言葉は神であった』というものがある。

 古代の人間にとって、言葉とは神であり、それを操るがゆえに人間は『神の子』であると考えたのだろう。


「えぇ。その通りです」


 護の言葉に、バフォメットは目を三日月のように細めながら返す。

 まるで笑っているようなその表情は、すぐに怒りと呆れに染まる。


「だというのに、人間は自分たちが呪われていることも気づかず、まるで自分たちが神であるかのよう振る舞っている。それだけならまだしも、勝手に我々に名を付け、この世界に拘束したというのに、存在を否定する始末!」


 ざわり、と護たちの肌が泡立つ。

 それだけの魔力を、バフォメットは怒りに任せてばらまいているのだ。


「名付けるだけならばまだいい! 忘れていくことは致し方ないだろう! だが、否定するとはどういうことだ!! 我々を我々たらしめさせていたのは貴様ら人間の方だろう!!」


 『名付け』は霊力や魔力を持たない、普通の人間であっても行うことができる呪術とされる。

 ある一つの現象、物質といった存在を、『名前』という記号を付けることで空間的にも時間的にも広く多くの人間に認識させること。

 そこに敬いや軽蔑といった感情が込められれば、その存在に対する印象を操作することも可能なのだから、一種の呪詛ともいえよう。

 そんな呪詛を、人間は長きにわたり、無自覚にばらまいてきた。

 その中には、『非科学的』として存在を否定されている悪魔や精霊、妖も存在している。


――まぁ、そら怒りたくもなるわな


 勝手に名前を付けて、存在をこの世界に縛り付けたというのに、自分たちの持つ技術では再現不可能というたった一つの理由で、存在を否定し続けた。

 勝手に名前を付けて世界に縛り付けられたというのに、勝手に忘れられてしまう。

 そんな理不尽を受け入れることが果たしてできるだろうか。


「淘汰されるだけならばまだいい! だが、『存在を消し去る』ということは訳が違う!!」

「存在は忘却されることで完全なる死を迎える、か」

「仏教やキリスト教でよく言われることだな」

「あぁ」

「ちょっと待って。ということは、人間は無自覚に妖怪や精霊こ死に追いやっているってこと?」


 月美の問いかけに答えを返すものは、誰一人としていなかった。

 命を奪うこと、それは死という『穢れ』を生み出す行為だ。

 神道において、『穢れ』は『気枯れ』であり、気力生命力が枯れるということ。

 信仰の自由を謳い、宗教には無頓着である日本であっても、生きとし生けるものを死に追いやることは忌避する傾向にある理由は、精神の根底に神道の考えが根付いているためだろう。

 だが、無自覚とはいえ、神道において最も忌避するべき穢れを呼ぶ行動を、多くの人間が行ってきていた。

 そのことに、月美はショックを隠せなかったようだ。

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