第241話 元凶の本領

 詠唱を続けている最中、バフォメットは先ほどまで響いていた戦闘音が聞こえなくなったことに気づき、視線を背後へ向けた。


「……ほぉ? あの数を相手にこれだけの時間で全滅させるとは」

「余裕ぶっていられるのも今のうちではないか?」

「術者のお前を守る壁はもうない。観念して、自身の住処へ帰れ」


 詠唱こそしてはいないが、魔法陣を維持し続けているバフォメットに向けて、光がそう言い放つ。


「確かに、魔法陣の魔力に引き寄せられたものたちは全員滅したようですね」

「階下の妖たちも、ほかの術者や使鬼が相手している。こっそり救援を呼ぼうとか思っても無駄だと思うぞ?」

「ふむ……となると、確かに手詰まりのようですね」


 ですが、と護の言葉に返しながら、バフォメットは振り向くことなく続ける。


「私とて、かのお方の復活という目的をあきらめるつもりはないのですよ!」


 口調こそ穏やかなもののままだが、これまでの会話の中でひときわ強い語気を込め、バフォメットが叫ぶ。

 同時に、バフォメットの体から黒い靄のようなものが立ち上る。


「多少時間はかかろうとも、あとは魔力を注げばいいだけ!! ならば、ここから先は私がお相手しましょう!!」


 言葉とともに、黒い靄がバフォメットの全身を包み込む。

 数分とすることなく、靄の内側から弾けるようにして霧散し、靄の中に隠れたバフォメットが姿を現した。


「ここから先は、私自らがお相手しましょう!」


 スーツに身を包んだ人間の姿ではなく、本性である黒い体毛に包まれた姿へと変化したバフォメットが叫ぶ。

 それと同時に、バフォメットは自分の魔力で突風を起こし、護たちに叩きつけた。

 だが。


「上等だ!」

「あなたに負けるわけにはいかないんだから!」

「あぁ! 特殊状況調査局の。いや」

「千年続く術者の家に生まれた人間の意地を見せてやろう!」


 むしろ、護たちの闘争心に火をつけたらしい。

 自分たちが手に持っている武器を構え、この事件の元凶であるバフォメットへと向かっていく。

 自分の魔力をぶつけたにも関わらず、ひるむことなく向かってくる人間たちに、バフォメットはその瞳を三日月形に細める。


「その意気やよし! ですが、私とて負けるわけにはいかないのですよ!!」

「知らんっ!」

「知ったことかっ!!」

「えぇ、そうでしょうとも! ですので、全力でお相手させていただきますよ!!」


 護と光にそう返しながら、バフォメットは右腕で空を薙ぐ。

 その瞬間、空気が歪む。


「いかん! 伏せろ!!」

「月美、伏せろ!!」


 その歪みに、嫌なものを感じた護と光が同時に警告を発する。

 二人の声に従い、満と月美は身をかがめ、護と満はバフォメットの脇へと飛びのく。

 四人の行動に一拍遅れ、屋内に入るためのドアが壁ごと大きく削られた。


「おいおい……ありかよ、そんなの」


 相手が人間ではないことは重々承知しているが、腕一本で人間技とは到底思えない現象を引き起こしたことに、護は顔を青くした。

 護と光の警告でギリギリ回避できた月美と満に至っては、一瞬でも反応が遅れれば首と胴体が永久に離れ離れになっていたかもしれないことを理解し、恐怖で震え始める。

 だが。


「怖気づくな! のまれれば奴の思うつぼだ!!」


 予備の弾も撃ち切ったのか、拳銃をホルスターに収め、特殊警棒と呪符を引き抜きながら叫ぶ光の姿に、己を奮い立たせ、恐怖心に捕らわれることはなかった。


「ほぉ?」


 その様子に、バフォメットは首をかしげる。

 圧倒的な戦力差や不可解な現象を前にした人間に植え付けられた恐怖心は、たった一言だけで払しょくできるほど甘いものではない。

 なおも顔を青くして尻餅をつきながらガタガタ震えているか、恐慌状態に陥り、この場から逃げ出そうとする。


――今回も同じだと思ったんですが……あの女術者、なかなか言霊を扱う技術が達者なようですな


 そうならなかった要因の一端を、光が担っていることに気づき、バフォメットは敵ながらあっぱれと心のうちで賞賛を贈っていた。

 だが。


「これを避けた程度でいい気になってはもらっては困りますよ?」


 恐怖心を克服したからといって、倒すことができる相手であると思われることは不愉快極まりない。

 威圧をさらに高め、立ち直った心を再びへし折ろうとするが。


「まかれやまかれ、この矢にまかれ!!」

「臨める兵闘う者、皆陣列れて前に在り!」

「ナウマク、サンマンダ、インドラヤ、ソワカ!」

「オン、アビラウンキャン、シャラク、タン!」


 真言と神咒かじり、九字の詠唱が同時に響き、バフォメットに襲いかかった。

 紙一重で回避できたため、致命傷を避けることはできたが、ぶるぶるとかすかにふるえている。


――よもや、私に傷をつける術者がこの極東の地にいようとはっ!


 自分の体に傷をつけることができることができる術者など、バフォメットは遭遇したことはなかった。

 少なくとも本拠地であるヨーロッパでは遭遇していない。

 だからこそ、困惑している。


――この国は、様々な神の教えが混在している影響で悪魔祓いを行うことができるほど実力のある僧侶がいないはずではないのか?!


 日本という国は、良くも悪くも宗教に無頓着だ。

 悪魔崇拝が簡単に入り込むことができる一方、キリスト教は悪魔祓いを育成するほど熱心というわけでもない。

 だが、数多くの宗教が入り込んできているということは、悪魔に対抗する手段が悪魔祓い以外に存在するということでもある。


――これは、いよいよ私も本領を発揮しなければならないようですね!!


 理由はどうあれ、自分の体が悪魔祓いでもない極東の術者に傷つけられたことは事実。

 その事実は事実として受け入れ、バフォメットは自身の望みのため、全力で相手をすることを決意する。

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