第199話 夜天に響く除夜の鐘

 神域の中であっても瘴気のような気配を感じ取れたことに違和感を覚えながらも、護はせっせと年明けまで時間がない中、仕事をこなしていった。

 そうこうしているうちに、護の耳に参拝客たちのざわめく声が届いてきた。

 そのざわめきに混ざり、重厚な音がかすかに響いてくる。


――除夜の鐘、か。気づかなかったけど、そろそろ年が明けるのか


 昨今は、真夜中の騒音公害として自重を求められるため、聞くことがなくなった地域もあるが、大晦日に百八十度、鐘を突くことで、その年の煩悩を払うといわれている、除夜の鐘。

 その音は、間もなく年明けを迎えることを告げるものでもあり、音が聞こえてきた参拝客たちは年明けが近づいてきていることを感じ、ざわめきだしたようだ。


――となると、俺もそろそろ本殿のほうに戻って、歳旦祭と祈祷の準備をしないとだな


 あまり知られてはいないのだが、神社には例大祭の他にも、月ごとに行われる行事が存在し、当然、一月にも執り行わなければならない行事がある。

 天皇が新年の早朝、四方を拝し、その年の厄災を祓い、五穀豊穣、国家安泰、天下泰平を祈る『四方拝』と呼ばれる儀式に続いて行われるもので、皇統の繁栄と五穀豊穣、国民の加護を祈る『歳旦祭』と呼ばれる儀式だ。


 それに加えて、新年早々、祈禱をしたいと願う人々が、事前に連絡を入れてきたのだ。

 さすがに無下にするわけにもいかないため、歳旦祭が終了したあとに順番に祈祷を行うことにしたらしい。

 いつもならば、翼と雪美そして弟子や手伝いで来てくれた神官が執り行い、護は社務所でお守りやおみくじの販売を手伝っているのだが、今年から護もその儀式に参加することとなったのだ。

 普段の調査局から寄せられてくる妖退治荒事とは違い、自分が受け継いでいくことになる仕事を初めて手伝うことになる。

 

――初めての神社本来の仕事だ。気を引き締めて取り掛からないとな


 神域の中にあっても、わずかに感じ取れる瘴気に対する不安を振り払うように、護は気を引き締め、本殿へと向かっていった。


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 護が除夜の鐘の音に気づき、本殿へ向かった頃。

 土御門神社から少し離れた都心部にあるバルや居酒屋では。


『五、四、三、二、一!!……明けましておめでとう!!』


 新年の幕開けを、親しい友人たちと飲み明かしながら迎える人々でごった返していた。

 そのうちの一つである深夜営業を行っているレストランの中に、満と光の姿があった。

 このレストランも、普段ならば考えられないようなどんちゃん騒ぎをしているのだが、二人はそんな周囲とは違い。


「あけましておめでとうございます」

「本年もよろしくお願いいたします」


 椅子に座りながらも背筋を伸ばし、深々とお辞儀しあっていた。

 賑やかな空間の中にあって、その厳かさすら感じるその光景は、まさに異質と言えるものだろう。

 だが、周囲はそんなことに気づく余裕がないほどのどんちゃん騒ぎを繰り広げている。

 そのため、当人たちもあまり気にする様子はなかった。


「どうにか、年を越すことができたわね」

「えぇ。昨年はほんとにいろんなことがあったから、その報告書の整理だけでも大変だったわ」

「まったくだ……今年こそ、慌ただしいことのない、穏やかでのんびりした一年になってほしいものだ」


 満の一言に、光は今年初のため息をつき、テーブルに置かれている烏龍茶を口に運んだ。

 すでに働いているとはいえ、光は護や月美と同い年。

 中学卒業と同時に、調査局の職員として働いてはいるが、その選択肢を取らなければ、護たちと同じように高校生活を謳歌しているはずの、十代後半の乙女だ。

 公には存在しない、術者の組織に勤務しているからこそ、こうして深夜帯にも関わらず、外出をしているが、本来ならば補導されてもおかしくない。

 まして飲酒など言語道断だ。


 ちなみに、少し離れた席に、光の保護者であり上司でもある賀茂保通が、自分の直属の部下たちと食事をしている。

 そのテーブルには、ジョッキの半分ほどまで飲み干されたビールが置いてある。

 ちなみに、光の目の前にいる満の手元にも、保通たちが口にしているものと同じものが置かれていたりする。


「それはそれとして、気づいているか?」

「え?……あぁ、そういうことか」


 不意に、満が光に問いかけると、光は怪訝な顔を浮かべ、少し周囲の気配を探り、その問いかけの真意に気づいた。

 煩悩や邪気を払うという除夜の鐘が鳴っているというのに、周囲に瘴気が漂っている。

 普通の人間はまず気づくことのない程度のものではあるが、そういった気配に敏感な術者である光たちは、やはり少し気になるようだ。


「まぁ、除夜の鐘の音に追いやられた邪気が残っているのだろう。あまり気にする必要はないと思うが」

「けど、あまり縁起がいいとは言えないわね。年の瀬、というよりも、年明け早々、気の枯れを感じるなんて」


 光はあまり気にする様子がないが、満はため息をつきながら、返していた。

 護が気にしていたように、気の枯れとは、『気枯れ』であり『穢れ』となる。

 めでたいはずの年明け早々、穢れを感じ取ることがどれほど縁起のよくないことか。

 はた迷惑な悪霊へと堕ちた先祖、芦屋道満の末裔であるためか、満は余計にそのことを気にしているようだ。


「だが、現在進行形で何かが起きているわけでもないし、その予兆も観測できなかった。確かに、あまり縁起のいいこととは言えないが、気にしすぎるのもよくないのではないか?」


 光の言う通り、実際に何かが起きているわけでもないし、何かが起こる予兆があるわけでもない。

 気に留めておく必要はあるだろうが、気にしすぎるというのも、かえってよくないものを引き込むきっかけとなってしまう。

 光の言うことも、一理あるため、満は。


「それもそうだな」


 と言って、ひとまず、これ以上は気にすることをやめることにした。

 だが、この時の彼女たちは知る由もなかった。

 周囲に薄く漂うこの瘴気。

 これは、あくまでもこれから始まる大事件の、ほんの序章に過ぎないということを。

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