第31話 術比べ~突然の開幕~

 賀茂光と名乗った捜査員は、右手で刀印を結び、護にその切っ先を向けて素早く呪文を唱えた。


「まかれや、まかれ! この矢にまかれ!!」


 瞬間、光の周囲に燐光を放つ数本の矢が出現し、護に向かって飛んでいく。

 だが、護はそれを避けようともせず、落ち付いた様子で両手を合わせ、呪文を口にした。


「この身は我が身にあらず、神の御影をかざすものなり」


 穏やかな口調で紡がれた呪文は、護の周囲を風で包み、矢をそらした。

 だが、護の行動はそこで終わらない。

 合わせていた両手を組み、不動明王印を結び、今度は別の呪文を口にする。


「絡め取れたまわずは不動明王の御不覚、これにすぎず! アビラウンケン!!」


 さきほどよりも強い語調で唱えられた呪文は、再び光の動きを縛る。

 だが、さきほどよりも明らかに拘束する力が強いことは、術を受けた光がよく理解していた。


――さっきは言霊だけの金縛りだったからまだどうにかできたけど、不動金縛りとなると簡単には……いえ! まだ手はある!!


 拘束されながらも、光はこの術から抜け出す方法を一つ、思い出した。

 なにしろ、不動金縛りは調査局の捜査員が高い頻度で用いる術だ。

 当然、この術と対となる解除方法も頭の中に叩きこまれている。


「解くる不動の縛り縄、緩まりきたる、アビラウンケン!!」


 解除のための呪文を唱えた瞬間、光の拘束は解除され、再び彼女は自由の身となる。

 その姿を見た護は驚くことはなくむしろ、ここまでは想定の範囲内だったらしい。


――特殊状況調査局、『賀茂』。これだけであいつがうちの師匠筋だってことはわかる……分家かどうかはしらんが、これくらい・・・・・はできて当たり前だ


 どうやら護は、彼女が名乗った時点でこうなるかもしれないことは予測できていたようだ。

 明治政府により日本の霊的守護を担っていた陰陽寮が解体されたのち、新たに作られた霊的守護機関として『特殊状況調査局』という極秘の部署が内閣府にある。

 その局長はかつて安倍晴明に陰陽術を叩きこんだ宮廷陰陽師、賀茂忠行かものただゆきの子孫が代々務めているという。

 先ほどの名乗りから、光が賀茂忠行の子孫であることは、すぐに推察できる。


――いつかは対面すると思ってたけど、まさか人外呼ばわりされた上に喧嘩まで売られるとは思わなかったけどな!!


 いつかは出会うと思っていたが、まさかこんな状況になるとは思わなかったため、護は心中で悪態をついていた。

 だが、頭の奥底はどうすればこの状況を抜け出せるか、その方法を冷静に思案している。


――下手な金縛りじゃ、あっちはすぐに解くことができる。かといって、相手を傷つけるような術は使えない……というか、どうなるかわからんから使いたくない


 安倍晴明の母親である葛の葉神狐、その神通力を宿した血だ。

 晴明が没してより千年が経った今も、その神通力は先祖返りとして顕現し、護に力を与えていた。

 素の霊力こそまだ発展途上だが、今までの修行で多くの術を会得してきたし、そのすべてを扱うだけの力を持っている。

 惜しむらくは、人間相手にそれらを使った経験が少ないということだ。

 ゆえに、妖を退けるための術や悪霊を滅するための術、特に退魔術を人間に使ったとき、その術を受けた人間がどうなるのか。

 そして、どの程度力を込めれば大惨事にならないのか、それはまったくわからない。


――退魔術は縛魔術と違って、術を向けたものを傷つける術。人間の体に影響はなくても、精神に何かしら影響を与えるかもしれない……


 退魔術にしても縛魔術にしても、魔術と呼ばれる技術であり、物理的に影響を与えることはまずない。

 だが、精神や魂魄に影響を与える可能性はあるため、護たちのような術者は滅多に人間に対して術を向けない。

 もっとも、別に見ず知らずの人間がどうなろうと、護の心はまったく痛まない。

 基本的に月美と家族以外の人間はどうでもいいと思っているため、いざとなった時に人間へ向かって術を放つことにためらいはないようだ。

 だが。


――自分が使った術で心だけじゃなくて魂まで砕いちまうってのは、後味が悪いよな


 そう思っているからこそ、人間に術を向けることはしない。

 おまけに、ただ金縛りにさせるだけの縛魔術と違い、手加減が難しい退魔術はできることなら使いたくないと思っているようだ。

 伊邪那美との遭遇と対決、そして一度死にかけたことで、その身に宿る神狐の血がより強く力を発現するようになってしまっていた。

 もともと、高い霊力を保持していいた上に、神狐の神通力まで加わってしまったのだ。

 今まで以上に術の加減が難しくなっていることは、護自身が一番よくわかっていた。

 そんな状態で、ただでさえ人間に対しての手加減が難しい退魔術を使うことがどれだけ危険なことなのか。

 それがわからないほど、護も愚かではない。


――さぁて、どうしたもんかな、ほんとに……


 どうすれば無事にこの状況を切り抜けることができるのか。

 なかなか導き出せない答えを導きだそうと、護は必死に脳みそを回転させていた。

 だが、答えが出るまで待ってくれるほど、光はお人よしではないようで。


「そっちが来ないのなら、こっちからいくわよ!!」


 その怒号とともに、光は一枚の呪符を引き抜き、護に向けて投げつけてくる。

 符に込められた霊力が徐々に形をとっていき、一羽の烏となって護のもとへまっすぐに飛んでいった。

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