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「でも、正直ちょっと安心してるわ」
「え?」
休憩中に飛び出した真維の言葉に、思わず悠里は聞き返した。真維は、自分でも変だなと思うけど、と前置きして続ける。
「智己がいなくなったって聞いたとき、ピンと来なかったけど最初に思い浮かんだのは、やっぱりその、誘拐とか、そういう事件なのかって、そう思ったし。それで実際探してみたらここでしょ? かえってさ」
幽霊より人間の方が怖い、そんな使い古されたフレーズを真維は思い浮かべていた。人間が関わる事件がもたらす陰惨な可能性よりは、よっぽどこの幻想的な空間の方が智己の行方に優しく思えた。
一方悠里はよくわからない、という表情でそれを聞いている。真維は言葉を変えて。
「だって、さっきから出口が全然見つからないじゃない? 智己も案外ここに来るだけ来て、あたしたちみたいに出られないままここで迷ってるだけかもしれないし。危ない人に連れ去られたとかそういうのよりよっぽど安心でしょ?」
「そうですか……?」
理屈はわかるけれど納得がいかない。そんな様子の悠里は周囲をキョロキョロと見回す。休憩中でも微妙に座りが浅くなっていて、あたりを警戒しているようにも思えた。
「でも、やっぱり怖いですよここだって。なんかいきなり夜になるし、花は光ってるし、全然何にも見つからないですし。なんていうかまるで……」
遠くを見つめようとしながらも、桜の樹にその視線を阻まれて。
「ここがもう、永遠に続いてるみたいな。私たち、ここから出られるんですか?」
「大丈夫よ」
安心させるように答えながら、真維は自分のふくらはぎをもみほぐす。ここから出られるかどうか。はっきり言って、現在の真維には『ここから出られない』という可能性がいまいち具体的に認識できていなかったし、ひょっとすると悠里は自分よりずっと想像力のある子なのかもしれない、とそう考えた。
会話が止まって、真維はちらりとこちらに背を向けて寝転がっている幸太郎に目を向けた。そろそろ体力回復しただろうか。肩に手をかけて少し力を入れると、ごろん、となすがままに幸太郎は寝返りを打った。
「どう? ちょっとは元気出た?」
「出口の場所が分かった」
「えっ!?」
どうしてこいつはこう雑な会話をするんだろう。そう思いながらも、驚きの声を上げた悠里に代わって真維は尋ねる。
「何? どっちにあるの?」
「ここ」
「……?」
言われて真維はあたりを見回したが、それらしいものは見当たらない。幸太郎は重そうに身体を持ち上げる。そしてすっ、と悠里を指さした。
「ちょっと、行儀悪いわよ」
「上沢」
「は、はい?」
「お前の後ろだ」
何を馬鹿な。真維は悠里の背中の、何の変哲もない空間を見て、どういう意味かと幸太郎に尋ねようとして、けれどその前に悠里は幸太郎の指し示す先へ振り返り――、
「わ! ほんとだ!」
「――!」
何もない場所に、突然出口が割り込んできた。そういう風にしか、真維には認識できなかった。
視認できるギリギリの距離、注意深く見ていなければ見落としても何ら不思議ではないくらいの遠くに、真っ赤な鳥居が鎮座している。悠里はほっと安堵の息をつく。
「よかったー。もう出られないかと思ったけど、なんだ、近くまで来てたんですね」
「ちょっと、幸太郎、今のどういう――」
「じゃあ、後は泉谷の捜索だけだな」
真維の言葉を遮った幸太郎は、指の向く先を変えて――、真維の後ろを指さして。
「ほら、後ろにいるぞ」
問いも忘れて思わず振り返って。
そして、真維が見たのは。
「智己……」
遠くの桜の樹の下に佇む、制服を着た少女。
間違いなく、泉谷智己の姿だった。
*
「智己先輩!」
大きく声を上げたのは悠里だった。即座に腰を上げて智己の方へ駆け寄っていく。少し遅れて真維も立ち上がり、かなり遅れて幸太郎も続いた。
あちらも悠里の声に気付き、驚いた顔をしながら近寄ってきて、合流した悠里は智己に思いきり抱き付いた。
「し、心配しましたー! 大丈夫ですか怪我ないですか平気でしたか!?」
「大丈夫。何ともないから」
今度は感動で涙を流しそうになっている悠里とは対照的に智己は落ち着いた様子で、左手で悠里の背中を撫でた。
真維が智己の下までやってきた。ふたりはしっかりと目を合わせる。
「智己……」
「来てくれたんだ」
「当たり前でしょ!」
「……うん、ありがと。嬉しいよ」
智己は優しく微笑んで。真維もその顔を見て、全身から力が抜けていくような感じがした。
「悠里もありがとね。こんなとこまで来てくれて」
「うう……」
泣かない泣かない、と智己は悠里を宥める。
よかった。どういうわけでこんなことになったのかはわからないけれど、どうにか丸く収まったみたいで。真維は安堵の息をついて。
後ろから幸太郎が追いついた。
「……佐立くん?」
その姿を見た智己は怪訝な顔で尋ねる。幸太郎を連れてきた張本人の真維が説明する。
「智己が何か大変なことに巻き込まれてるんじゃないかと思って。幸太郎って、こういうとき頼りになるからあたしが連れてきたの」
「ふうん……」
「……」
智己と幸太郎はお互いを観察するような目つきで立つ。
ふたりには直接の面識はない。智己はそこまで人懐こい方でもないし、ましてや幸太郎に至っては言うまでもない。
気まずくなる前に、と真維はさらに口を挟む。
「とにかく帰って、話はそれからにしましょ。向こうの方に出口も見つけたし」
「出口を?」
智己が驚いたように呟く。そうですね、と悠里は智己から身体を離す。
「やっぱり智己先輩もずっと迷ってたんですか? もーここ全然わかんなくて私たちも迷ってたんですけど、佐立先輩がさっき出口見つけてくれたんですよ」
「佐立くんが?」
「そうです! 智己先輩を見つけたのも佐立先輩ですし。先輩って視力良いんですか?」
「さあな」
上機嫌になってきた悠里が幸太郎に話を振るが、返しはそっけない。む、と悠里が片頬を膨らまし、真維に、ひどくないですかこの反応?と視線で訴える。真維は苦笑しながら軽く幸太郎を小突いて、智己の方を見る。
「そういうわけだから。一緒に帰りましょ」
と、智己の方に右手を差し伸べて。しかし。
「ねえ、真維」
「ん?」
「折角来てもらってなんだけど、本当は別にそっちから来てもらわなくてもよかったんだ」
「……えっと、ひとりで帰れたって?」
真維は困惑する。そんなことを言ったって。智己がどういう目的で、あるいはどういう偶然でここに来たのかは知らないけれど、外では警察を巻き込む大騒ぎになっている。そんなもの心配するなって方が無理って話だろう、と。
しかし、智己はううん、と首を振る。
「そうじゃなくて」
差し伸べられた真維の右手を取ろうと同じく右の腕を伸ばしながら。
「私が迎えに行くつもりだったから」
一瞬の出来事だった。
智己の右手が真維の右手に触れたのも。
離れろ、と叫びながら幸太郎が咄嗟に智己を突き飛ばしたのも。
そうして智己の手が真維から離れたのも。
智己の手が真維の手に触れる寸前に、智己の右の手のひらに、桜の樹についていたあの赤い花弁のようなマークがあるのが幸太郎の目に映ったのも。
そして。
智己の右手に触れられた場所から、真維の右腕を覆うように肩口まで次々と真っ白に輝く花が咲き誇って、それが一斉に硝子の割れるように散ったのも。
「逃げるぞ!」
一瞬の次の瞬間には、幸太郎は真維を抱えるように、空いたもう片方の手で悠里を引っ張って走り出していた。
真維の意識は空白だった。目の前で、自分の身体に起こった現象が理解できずに。
一方で悠里は、腕を強く引っ張られたときの関節の軋みで、瞬時に脳が思考を取り戻す。
「あ、あっあっあっの」
「いいから走れ! 手離すぞ!」
言った次の瞬間には腕を離されて、一瞬足がもつれながらも、すぐに悠里は自分だけで走り出す。真維はいまだに放心状態らしく抱え込まれたままだ。幸太郎は歯を食いしばりながら、いかにも力任せな大きいストライドで走る。
目指す先は先ほど見つけた出口だ。
夜の闇を、花の光を、春の空気を引き裂くように走る。真維を抱えた幸太郎の速度に合わせて走っているため少しの余裕がある悠里は、後ろを振り返った。
桜の樹の下に佇む智己のその姿を見た。
どんな顔をしているのか、もうその距離からでは悠里には見えなかった。
*
最後の一歩を踏んで鳥居をくぐった悠里は、春と冬との一瞬の切り替わりに強い寒気と安堵を感じたが、しかしそれも束の間再び幸太郎にその手を引かれた。
「せめて、えきま、え、まで」
ほとんど死人のような蒼白の顔色と、一目見て異常とわかる発汗量の幸太郎の言葉に、悠里は考える間もなく頷いて、今度はその幸太郎の手を引くように走る。
踏切の音が聞こえてきたころに、幸太郎の足が止まった。ここまででいいということだろう、と判断した悠里は、周囲を見回す。
もうすっかり夜になっていた。
厚着をした通行人は、明らかに体調不良を起こしている幸太郎と、その腕に抱え込まれている放心状態の真維のただならぬ様子を、心配そうに見ていて――、
「上沢!」
悠里は跳ねるようにその声の聞こえた方を向いた。よく知っている声だった。
「先生!」
悠里は泣きそうな声で呼ぶ。悠里に声をかけたのは陸上部顧問の
津嘉山は警官とともに駆け寄ってくる。
「お前、こんなとこで何を……、おい! どうした大丈夫か三橋、佐立!」
様子のおかしいふたりに呼びかけるが、真維は何も答えず、幸太郎は何事かを言おうと乾いた唇を開いたが、ほとんど声にならない。そこに悠里が。
「佐立先輩はたぶん貧血か脱水だと思うんですけど、真維先輩は……」
「そうかただの貧血か! すみません、そこのコンビニでスポーツドリンクを買ってきてもらえますか!」
頼まれた警官はコンビニに駆けていく。津嘉山は楽にしてろよ、と幸太郎に声をかけた後、しかしこっちは全く状態のわからない真維に呼びかける。
「で、三橋はどうしたんだ」
「わ、わかんないんです。さっき、さっきなんか、その……」
「おい三橋。大丈夫か、意識はあるか?」
悠里の要領を得ない言葉を聞きながら、津嘉山は真維の目の前で手を振って意識の有無を確認する。眼球の動きがないことに気付いて、一体何があったんだ、と、さらに詳しく悠里に事情を聞こうとしたとき。
「…………うで、が」
と。小さく真維の唇が動いて、ひとりごとのような声が漏れ出てきた。
「腕? 腕がどうした!?」
「真維先輩、大丈夫なんですか!?」
悠里と津嘉山はその声に食いついて、聞き逃さないようにと近くまで耳を寄せる。
次に真維が声を出すまでにはしばらくの時間がかかって。コンビニに行った警官がスポーツドリンクを三本持って帰ってくるころで。
紡がれた言葉は。
「うでが、うごかないんです。ゆび、いっぽんも」
カンカンカン、と。
踏切の音が響いていた。
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