3

「自転車と携帯な。じゃ、俺は帰るから」

「待って待って、一緒に来てって」


 真維と悠里が職員室を出て十分後。近くの公衆電話から真維の連絡を受けた幸太郎が、真維の自転車と携帯を持って学校周りのコンビニまでやって来た。

 それを渡して、目元を赤く腫らした悠里を見るなりすぐに帰宅しようとしたものの引き留められた幸太郎は、ものすごく嫌そうな顔で真維を見た。


「何。俺知らない人といるの好きじゃないんだけど」

「知らないってことはないでしょ。後輩の悠里」

「……ああ」


 名前だけは、と幸太郎は悠里を見た。直接の面識はない。真維の話の中に何度も出てくるからなんとなく知っていると、ただそれだけだった。明らかに泣いた痕跡のある悠里の顔を見て気まずそうな表情になった幸太郎は、真維の耳元に口を寄せて小声で尋ねる。


「なんで泣いてんの」

「昨日言ったでしょ。友達が夜になっても帰ってないって。それが朝になってもどこにいるのかわかんないらしくて」

「行方不明?」

「声大きいって!」


 『行方不明』という言葉を聞いた悠里がびくり、と肩を震わせる。事態が見えてこないこの状況で、ニュースで流れてくるようなフレーズは彼女には強すぎた。また深く落ち込み始める。


「で、まあその。ちょっと悠里が心当たりあるみたいだから、これから探そうって」

「はあ?」


 真維の言葉に幸太郎は、馬鹿か、と言いたげに驚く。


「そんなの学校でも警察でも連絡すればいいだろ」

「もうしたわよ」

「だったらもうお前らが何かをする段階じゃないだろ」


 いいか、と幸太郎は咎めるように。


「その友達が何でいなくなったのかは知らないけどな。大した理由がなくていなくなったんだったらわざわざ心配する必要もない。大した理由があるんだったら、もう学生の出る幕じゃない。学生が首突っ込んでできることなんてたかが知れてるし、うろちょろされたらむしろ大人の邪魔になる」


 う、と真維は口をつぐんだ。頭では確かに幸太郎の言う通りだとはわかっているのだ。自分たちができることは少ないし、友達だからと智己がいなくなった理由がわかるわけでもない。先ほど職員室に報告に行ったときは、もう警察にも連絡が行ったと聞いたし、大人たちに任せておいた方が十中八九事態は速やかに収まるだろうと。頭では理解しているのだが。


 ちらり、と真維は悠里に視線を送った。小さな肩を震わせて、些細な発言から重い罪悪感を抱え込んでしまっている彼女の姿。それから、自分自身の気持ち。友達のために何かしたいという、素朴なそれが。


 その視線に気が付いた幸太郎は、苦々しい顔で溜息をついた。


「……って、俺がそう言ったら、お前、大人しく家に帰るか?」

「……帰らない」


 だろうな、と零す幸太郎。


「家に連絡入れとけよ。帰り遅くなるかもしれないって。心配されるぞ」

「うん」


 携帯を取ってダイヤルを始める真維。幸太郎は再び溜息をついて、眉間を指で押さえて首を振った。


「あ、あの……」

「ん?」


 か細い声が幸太郎に投げかけられる。悠里が不安そうな顔で幸太郎を見上げていた。


「ありがとうございます、すみません……」

「ああ、いや……」


 気にするな、と。幸太郎はぶっきらぼうに返した。



*



 それは『永遠』を求める者の前に姿を現すと言う。


 与えられるものは、過ぎ行く時への反逆の手段と、変わりゆく万物の保存の手段。


 求めれば与えられると。


 けれど、その『永遠』を『与える者』の正体は、未だ誰にも知られていない。



*



「……ポエムか?」


 道中で悠里から『永遠のある神社』の話を聞いた幸太郎はそう零し、真維も口には出さなかったものの、内心では似たような感想を抱いていた。


「わ、私が考えたんじゃないですもん……」

「いや、別に、えーっと、上沢を責めてるわけじゃないけど」


 さらに落ち込む悠里に、バツの悪そうな顔で幸太郎が下手なフォローを入れる。こら、と真維が自転車を押すのとは別の方の手で、幸太郎の背中を叩いた。


「後輩をいじめない」

「だから、そういうんじゃなくて。なんていうか、それ抽象的すぎるだろ? 小学生だって信じないぞ」

「しょ、小学生じゃないです……」

「こら!」

「わ、悪い……」


 慌てる幸太郎。やりづらい、と言いたげに悠里に一瞬視線を送ったが、彼女自身はその視線に気が付かなかった。


「まあ、本当に危なそうな場所に行くんじゃなくてよかった。ただの都市伝説だろ、それ?」


 今どき珍しいけど、と付け加えた幸太郎は安心した様子だった。


「まあ、確かにそう聞こえるけどさ……」

「それで、いなくなったのが、えーっと」

「智己」

「あー、泉谷、だっけそれ。そういうの信じるようなタイプでもないんだろ?」

「私がその話したときは、確かに全然って感じでしたけど、でも……」

「なんか、ちょっと引っかかってる風ではあったのよね」


 ふたりの言葉を聞いた幸太郎は怪訝そうな顔をする。


「ふうん……?」

「はい……」


 そこで、会話は途切れた。真維は前籠に鞄がふたつ入った自転車を手押ししていて、悠里と幸太郎は何も持たずに歩く。歩く道は駅へと続く通学路で、帰宅時間をやや外していたので人通りが少なくなってきていたが、それでも学生服が多く目につく。私服姿の幸太郎は少しばかり浮いているようにも見えた。


 真維はその中で、奇妙な違和感を覚えていた。教室の中では気付かなかった奇妙な感覚。それは、『智己がいなくなっても、変わらず他の生徒たちの日常は続いている』ということだった。自分にとっては一大事だし、教室にいるときも、悠里と共にいるときも重大な事件として扱われていたのに、少し外に出ただけで、ほとんど学校の延長のようなこの場所ですら、ごく普通の生活の空気が続いている。


 隣に歩く幸太郎の顔を見上げた。智己と直接の面識はない彼の顔は、どこまでもいつも通りに見えた。


「……どうかしたか?」

「あ、や、何でもない」


 見すぎた。視線に気が付いた幸太郎に反応されて、咄嗟に視線を外した。幸太郎も気にした風でもなく歩き続ける。


 カン、カン、と。


 踏切の音が聞こえてきた。もうその目当ての『高架下の踏切』が近付いてきたのだ。気付けば周囲に帰宅途中の学生服は見えなくなっていた。

 高架沿いに民家だか会社なんだかわからないような建物の横を選挙ポスターに見送られながら歩き、大きな工場の横を通り過ぎる。こちらは駅の南側に当たる場所だが、北側が大きなスーパーマーケットや複数のコンビニ、やたらに入口の開放的な書店や薬局を抱えていることを考えると、かなりこぢんまりしている感じがする。学生は、あまり普段から使う側ではない。


 警報機の赤色が見えてきた。


「悠里、この先でいいの?」

「はい。私はそう聞いたんですけど……」


 踏切の前に立ち電車が通過してくるのを待つ。その前にその踏切の向こうに目をやるが。


「……なんか見える?」

「飯屋。コンビニ」


 それしか見えなかった。少し古びた感じのする狭いコンビニと、学生用には見えない飲食店。特に変わったところは見られない。


 ごお、と風を切る音が聞こえてきた。そしてすぐに、目の前を電車が減速しながら通り過ぎていく。少しだけ三人の前髪が揺れた。


 そして警報機の音も色も、何事もなかったように消えてしまい、ひっそりと踏切が開いた。三人は線路を跨いで、先へ進んでいく。


 コンビニ、飲食店。通り過ぎて高架下をくぐる道を合わせた十字路に立つ。そこから来た道以外の三方向以外を回る。新たに目についたのは、民家と電器店、家具屋にサイクルショップ。それからシャッターが閉まりっぱなしの、店らしきものがいくつか。それだけだった。


「えーっと、悠里。神社、なのよね?」

「はい、でも……」

「あ、そっか」


 言いづらそうにする悠里を見て、真維は察する。『永遠』を求める人の前にしか現れないという条件が、あの話にはついていたのだ。

 しかし何も真維はその話を本気にしていたわけではなかった。何かそれらしく神社に見えないこともない、なんてその程度のものがあるなら、と思ってここに来ていた。だが。


「それっぽいものもないわね……」

「そうですね、それに……」


 人通りが思っていたよりもかなり多いのだ。駅の近くとはいえ、南側ならもう少し寂れているようなイメージがあったけれど、こうして立ち止まっていると結構な人数とすれ違う。近くの工場もかなり大きいもので従業員数は多そうだし、飲食店も看板を見る限りでは夜遅くまで営業をしている。


 やっぱり、悠里の話と智己の失踪には関係はないのだろう。


 そう真維は思った。この場所で事件に巻き込まれるとは思えない。智己の行方に関する手がかりが空振りに終わったのはとても残念ではあったけれど、悠里が原因になっているようなことがなくてよかったと、どこか安堵する気持ちもあった。


 そうとわかれば。自分で智己を探すにしろ、大人に任せるにしろ、特にこの場でやることはない。


「それじゃあ解散しましょうか。悠里はどうする? 家まで送って? あと幸太郎、どっちがチャリでどっちが走……、どしたの? あんた」

「いや、どうしたのってか……」


 何やら不審な様子の幸太郎に気付いた真維。しかし、幸太郎はかえって真維と悠里の方を不可思議そうな表情で見る。

 そして言うには。


「神社なんだろ? 見ていかないのか?」

「……何言ってんの? そんなのなかったじゃない?」

「は?」

「は?」


 お互いにわけがわからない、という顔をする真維と幸太郎。悠里も同じく混乱した表情で、真維と幸太郎の顔を交互に見比べる。


 そして幸太郎は、つ、と人差し指を伸ばして。


「あるだろ、そこに」

「……え?」

「……あ」



 確かに、幸太郎の指さす先には、神社の鳥居があった。

 先ほど、真維と悠里も歩いたはずの場所に、薄汚れた市内広報ボードの横に、その入り口が。


「なんか行かない理由があるのか? あんまり俺もこのへん詳しくないからわかんないけどさ」

「いや、そうじゃなくてさ……」

「…………」


 呆然とする真維の言葉に、悠里もコクコクと無言でうなずく。要領を得ない返答に、幸太郎は困惑する。

 真維はおそるおそる、とばかりにそろそろと人差し指を動かして鳥居を指さす。


「……あんなの、さっきあった?」

「はあ?」


 この質問に、さらに幸太郎はわけがわからない、という顔で。


「あったに決まってるだろ。何言ってるんだお前」

「あった、悠里?」

「いえ、私も、全然気付かなくて……」

「はあ!?」

「す、すみませ……」

「いや、怒ってるわけじゃなくて……」


 思わず出た少し大きな声に、気の弱っている悠里は怯えてしまい、幸太郎は慌てて取り繕う。


「気付かなかった? あれに? 本気で言ってるのか?」

「嘘言ってどうすんのよ。でも、なんで気付かなかったんだろう、あんなの……」


 どこか落ち着いた色彩、というか地味目の街の配色の中で、真っ赤な鳥居はかなり目立つ。それもそこまで小さいものでもない。普通にしていても目に留まるだろうし、今のように神社を探していて気付かないとは思えなかった。


 もしかして、と。


 思う気持ちが、芽生えた。


「ここかな」

「知らないけどさ。見ておいた方がすっきりするんじゃないのか。そのために来たんだろ」

「うん」


 そうして三人は神社の方へ向かって行く。道路から境内が覗き見えた。


「なんか、大きくないですか?」

「うん、確かに」


 駅近く街中にあるにしては結構大きな神社だった。少し無理をすれば、自動車を三台くらい置けるかもしれない。奥の本殿も、外から見た限りでは学校の教室ひとつ分、あるいはふたつ分くらいはあるように見えた。

 けれど。


「『永遠』だかなんだか知らないけど、そういう怪しい雰囲気は特にないな」


 それが三人が受けた印象だった。

 都市伝説の出所としてはあまりにも普通すぎる。人通りの多い道の、少し大きい神社。特に事件が発生しそうな箇所は見当たらないのだ。

 一見した感じでも、何か中学生の身に危険が及ぶようなものは見当たらないし、神社自体も、見つけたあとになってみれば、やはり外から見ても目立つ場所にある。


 しかし、どこか気にかかる気持ちがあった。たまたま三人のうちふたりが見逃しただけ、と言えばそれまでだけれど、何となく、友人の失踪という特殊な状況下で訪れたその偶然が真維の心に引っかかっていた。


「入ってみよ。じっくり調べてみれば、何かあるかも」


 真維の言葉に、幸太郎は、仕方ないから付き合ってやる、と言いたげに頷く。悠里は――、と真維が思ったところで、ぎゅっ、と制服の袖がつかまれた。


 握っていたのは悠里で、まだ少しばかり泣き跡の残る目で不安げに真維を見ていた。


 初めからあの都市伝説を半ば本気にしていたこの子が一番怖いんだ――。真維は安心させるように、優しく悠里の肩を叩いた。


「行こう」


 と。


 言って、一歩踏み入れた瞬間に。



「――――!!」


 ぞわり、と寒気がして、そのくせ肌を包むように急に空気が温かくなる。


「うそ……」


 悠里の呟く声が真維の耳に届いた。袖をつかむ力が一層強くなるのを感じる。


 当然だ、と思った。真維の瞳は釘付けになっていた。きっと悠里も同じと思った。その目に映る光景を、焼き付けるように。



 突然闇に染まった、夜の空と。



 幾万本あろうかという、桜の樹に。

 奇妙に輝く、その幻想のような白い花に。

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