俺について

 生きるのがとても苦手だと気付いたのは、いつの頃だったろう。


 食卓に並ぶ肉の、生前の姿を考える癖がついたのはいつからだったか。幸福の裏側にべったりと張り付いている見えない不幸に目を凝らし始めたのはいつからだったか。


 隣に真維が立っていることを、無邪気に幸福だと、そう感じられていたのはいつまでだったか。



 もう何もかも覚えていない。たったの十五年の人生の中で、もうそれは自分の中に染み込んでしまった。


 どこか遠くに行きたいといつも思っていた。

 何も考えたくないといつも思っていた。


 けれどどんな場所に行っても、幸福と不幸はこの世界に表裏のように塗りこまれていて、俺はそれを忘れることができない。

 ただそれだけの本当に些細なことがずっと、頭の奥をガリガリと削るように引っかかっていた。


 いつか全然、想像したこともない自分になれば、ひょっとして、もしかしたら幸せになれるのかもしれないと、そんな風に思ったこともあったけれど。

 それを信じるには、あまりに俺は幼すぎたのかもしれない。


 そのうち、何もする気が起きなくなった。食べる気も起きなくて、話す気も起きなくなった。

 真維が家に来て、『学校に行け』だの『ちゃんと食べなさい』だの言う言葉で、少しだけ繋ぎ留められていて、きっとそれは俺の幸福だったのだろうけれど、ただ俺だけのものなのだと、そう思った。


 同じものを見ていない。それはどうしようもなかった。


 隣に立っているけれど、同じものを見ていない。同じものを見ていても、それを同じようには感じない。

 それを俺ははっきり感じていて、真維はまだ知らなかった。


 知られる前に離れたいと、そう思った。


 俺の見ているものに関心を持たれる前に、かけらでも同じように感じてしまう前に、どうにかして彼女の前から姿を消して、どこかで誰からも忘れられたように適当に死んでいきたいと。


 もう触れられなくていい。触れられないのがいい。

 叶わなくていい。叶わないのがいい。



 だから、『永遠』を前にして、俺は。

 ようやくその、言い訳を。



 泉谷は俺のことを嫌いだと言ったけれど、俺はあいつを羨ましいと思う。だってあいつは、最初のひとりでも何でもないのにちゃんと真維の友達として選ばれて隣にいるから。俺がやりたいと思っていることを、けれどできないことを、行動に移してしまえるから。


 俺を止めていたのは思いやりなんかじゃなくて、きっとただの臆病だったんだろうけど。



 上沢には、悪いことをしたと思う。

 あいつの質問に答えようとして妙に口が滑ってしまったし、わざわざ最後の時まで付き合わせてしまった。よく泣くやつだったけど、その半分くらいは俺が泣かせてたんじゃないかと思う。

 結局それは俺の『誰かに知ってほしい』という浅ましさの発露の結果だったんだろうけど、できるだけ早く忘れてほしいと思う。


 些細な、たった三日間の、春の夢として。



 真維。

 ……。消えていく俺に、何も言っていいことはないだろう。



 十五年かけて××になったから、百五十年くらいかけて忘れようと思う。



 それじゃあ、さようなら。

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