11
「入って大丈夫なんですか、これ」
「心配するな」
尻込みする悠里をよそに、無造作に幸太郎は境界を踏み越えてしまう。引き戸を後ろ手で押さえたままなのを見て、悠里はええい、と思い切って中に踏み込む。
肌に触れる気温が違う。春の夜だった。相も変わらず桜は白く輝いている。
「えと、ここで何するんですか? 前みたいにここを中心に?」
「いや、その必要はない。まずは出口の作り方から試してみるか」
「……作り方?」
「まずはこの出口が見えるギリギリまで歩くぞ」
幸太郎の提案に従うがまま、てくてくと歩いて戸がギリギリに見える場所まで行く。桜の樹の間に、ぽつん、と病室のドアが鎮座しているのは、かなり違和感のある光景だった。
「作るってどういう……」
「上沢、目を瞑ってみろ」
唐突な幸太郎の提案に、悠里は驚く。それから少し考えて、じっと幸太郎の顔を見上げる。
「……なんでですか」
「言ってしまえば少しやりづらくなる。何も言わずに目を瞑ってくれると助かるんだが」
「お、置いて行ったりしないでくださいね?」
もちろん、と苦笑する幸太郎を見て、おそるおそる瞼を下ろす悠里。
「よし、そのままその場で十回まわってみろ」
「……あの、もしかして私、この後ワンって言わされますか?」
「……想像力豊かだな。別にそんなことはない。体育祭でやっただろ、あのバットを中心にぐるぐる回るやつ。あれと同じだ。今は扉の方を向いているのはわかるな?」
「はい」
「まあやってみてくれ。面倒なら五回でもいい」
釈然としない気持ちを抱えながらも悠里は言われた通りに回りだす。いまいち回る感覚がつかめず、ふらふら揺れたり隣の幸太郎にぶつかったり今どちらを向いているのかわからなくなりながらも、律儀におおよそ十回まわる。うっすらとした頭痛をこらえて、悠里は止まる。
「回りましたけど」
「……回るの上手いな、ぴったりだ。そのまま目を開けてみろ」
言われて悠里は瞼を上げる。
見えたのは、白く輝く桜の樹と、春の夜の闇と、先ほど入ってきた病院の戸だけで、特に変わったことはない。
怪訝に思って悠里は尋ねる。
「あの、それで」
「後ろを向いてみろ」
疑問に思いながらも、悠里は言われた通り後ろを向く。また回るような動きをしたのでぐらりと頭が揺れてまた酔いが少し強まる。頭に手をやりながら悠里は後方に目をやると。
そこには、白い桜、夜の黒、それから。
もうひとつ、病院の戸。
慌てて悠里はもう一度後ろを向く。変わらずそこには病院の戸が。
「……えぇ?」
「これが出口の作り方だ。ちょうど反対向きになってくれるとは思わなかったけどな。わかりやすくていい」
「ぜ、全然わからないんですけど」
「『ある』と信じれば『ある』」
言い切った幸太郎は、手を顔の前にかざして、すーっ、と空気をぬぐうように横に動かす。
それだけで、ドアが七つもふたりの目の前に出現した。唐突に、けれどまるで先ほどから存在していたかのように。
「えぇっ!?」
困惑する悠里に、幸太郎は言葉を選びながら説明する。
「そもそもここに入口があるのがおかしいと思わないか?」
どこをどういう風におかしいと思えばいいのかわからなかったが、悠里はとりあえず頷いた。
「あのとき、上沢は『ここがもう、永遠に続いてるみたいな』と言った。覚えてるか?」
そんなこと言ったっけ、と悠里は首を傾げて、何とか記憶の片隅から掘り出した。基準点を置いて周囲を探索していたときだ。
「つまりは、あれがすべてだ。上を見てみろ」
素直に悠里は空を見る。月も星もない黒い空を。
「月と星は時間の基準のようにも思えるが、同時に空間、場所の基準でもある。それが失われているということは、つまり、時間同様にこの場所では空間の法則も狂っていると推測でき……、できるか? なんか言葉にしてたら急にゴミみたいな考えに思えてきた」
「はあ……」
急に自分の考えを自分で否定し始めた幸太郎に、しかし悠里はほとんど何も理解できていないので意見を言うこともできない。
「まあいい。推測じゃなくて直感だったことにしよう。この場所の広大さと『永遠』というフレーズから、空間に基準点が存在していることに何となく違和感を覚えた。だから基準点は特定の空間に存在しているのではなく、認識次第であらゆる場所に存在しているのではないかと……、もうダメだ。言葉にすればするほど思考過程が雑すぎる。結論だけ言っていいか?」
「よろしくお願いします」
「どこにでもあって、どこにでもないんだろうと思ったんだ。だから試してみたら、やっぱり認識次第でどこにでも出口が作れるし、どこにでも入口が作れる。病院から直接ここまで来たのもそれだ」
「なるほど」
悠里は頷いた。これはなんとなく理解できた。
不思議な場所への扉はどこにでもあって、どこにでも繋がっている。つまりはそういうことだろう、と。
はあ、と幸太郎が溜息をついた。どうも自分の考えを言語化したことで、その根拠の薄弱さを認識して気を落としているようだった。
悠里は何かフォローしようとしたが、特にフォローの内容を思い付かなかったので、先を促すことにした。
「ええっと、それで、どうなんですか? それがわかるとどうなるんですか?」
「ん、ああ……」
今度こそ、幸太郎は口元に手を当てて、慎重に言葉を選ぶように考えて。
「……結局のところ、ここは中途半端なんだ」
「中途半端?」
「……入口が存在しているのは、まあどこにでもあってどこにもないという処理で譲るとして、……ああ」
幸太郎は眉間に皺を寄せて、何か自分の頭の中にあるものを言葉にしようと、もどかしげにしながら考え込む。
「……病院で目覚めたとき、なんで自分が死んでないのか不思議に思った」
話題が急に飛んだように思えて、悠里は面食らう。
「えーっと、それだけ痛かったって、ことですか?」
違うんじゃないかな、と思いながら口にした言葉は、案の定首を横に振られて否定される。
「病院まで俺を追いかけて殺せばよかった」
ひどく冷めた口調で発せられた物騒な言葉に、悠里は硬直する。
「追いかけてくる気がなかったのか、それとも追いかけることができなかったのか……。そもそもなぜこの『永遠』を名乗る場所の記憶と記録の改竄が外の世界の時間の基準で発生する? 外部との接触可能範囲が時間帯でぶれる理由は? 外部からの介入が可能で、しかもそれによって変化が起こりうるなら、果たしてそれは……」
思考を整理するように呟く言葉のほとんどを悠里は理解できない。
「ここは『永遠』ではない」
けれど、きっぱりと言った、今の言葉が言おうとしているは理解できた。
「ど、どういうことですか?」
「ここにあるのは永遠に似せたものだ。時間的広がりと空間的広がりの一見した停滞性と無限性。けれどそれは完成されていない。本当に『永遠』が存在しているとしたらそれはもっと――」
幸太郎は、途中で自分の言葉を聞きながら、何かに気付いたように、どこか遠くを見るような目になって。
「――ここにあるのは一部に過ぎなく、――何らかの超越的な存在を借り受けて、――ならばそれは、つまり、ああ、そうか――、だから神社に――」
夢見るような調子の言葉が漏れ出てきて、咄嗟に悠里は幸太郎がどこかに消えてしまいそうに感じて、病院着の裾を引っ張った。
それにハッとしたように幸太郎は意識を取り戻して、じっと悠里に向き合った。
「『与える者』のことは覚えているな?」
「え、あ、はい」
唐突に質問がこちらに向けられて悠里は戸惑ったがすぐに頷いた。
自分が言い出した噂の内容だ。この場所では『永遠』が与えられるけれど、それを『与える者』の正体は誰も知らない、と。
「違う。『永遠』と『与える者』は別個の存在じゃないんだ」
きっぱりと言い切る幸太郎に、しかし悠里の理解は追いつかない。『永遠』と『与える者』が別個じゃない、ということは『永遠』が『永遠』を与えると、つまりそれは――?
「超越的な存在を、あまりにも巨大な存在を、それを『神』と呼ぶとして――」
『神』と。幸太郎の口にした言葉はさらに悠里の混乱を加速させる。神? なぜそんなものが今この話に、とそこまで思ったところで気が付く。そうだ、ここは本来なら、この桜の園は本来――。
「『永遠』とは『神』のことだ。だからこの『永遠のある神社』とはすなわち――」
――『神』との接続場所だ。
*
スケールが大きすぎて実感が湧かない、とても信じられない、と。通常だったらそうなりそうなところで、けれど悠里はその言葉に一種の説得力を感じてしまった。
初めてこの場所に足を踏み入れたときに覚えた感覚。
なにか――、そうなにか、あまりにも大きすぎるものと向き合っているようなそれを、『神』という言葉で説明づけられたように感じた。
「かみ、さま……」
呆然と呟いて見上げた花と夜は、これまで以上に隔絶したものに見えた。それはこの世のものではなくて、花弁の一枚一枚すらも自分より大きな存在のように感じる。悠里は無意識のうちに、隣に立つ幸太郎に一歩近寄った。
「どうなっちゃうんですか、智己先輩と、真維先輩……」
虚ろな問いかけに、幸太郎は答える。
「『神』との接続によって、時間的な停滞を、擬似的で不完全な『永遠』を手に入れることになりそうだが、しかし疑問が残る」
「疑問?」
「俺を襲ったやつらのことだ。あれは明らかに意思がなかった。泉谷の意図のもとに動いていたとして、となるとここには一種の指揮系統、あるいは力の優劣か? それが存在していることになる」
幸太郎の言葉を頭の中で噛み砕きながら、悠里は再び尋ねる。
「……先輩たちも、誰かの言いなりになっちゃうってことですか?」
それに幸太郎は曖昧に頷いて。
「……それもあるが、どちらかと言うと、接続にムラが発生している可能性の方が重要だと思う」
「……? ええと」
「人的な要因か、それとも接続媒体、つまりはそのへんの桜の樹が原因か、あるいはその両方なのかは知らないが」
幸太郎は周囲の桜の樹をぐるりと見渡し、その赤い花弁の印のひとつひとつに注目する。それで何となく、悠里はあの赤い印、智己の手にもついていたそれが接続口のような役割をしているのだと予想した。
「もしかすると……、いや」
呟いた幸太郎は、急に悠里と反対側を向くように振り返って。
「大元が、どこかに、ここにある」
ぞわっ、と。背筋にこれまで感じたことのないような怖気を感じて、弾かれるように振り向いた。
そこにあったのは。
「――――」
もはや悠里は、声を出すこともできなかった。呼吸も、瞬きも、心臓の動かし方さえ忘れてしまったように。
強烈な眩暈が、脳を丸ごとさらってしまったかのように。
圧倒する、真紅の桜。
毒よりも激しく、光よりも眩く。
春も夜も己の身体も魂も、何もかもを忘れさせるような、この世にたったひとつ、これだけがすべてを占めているような――。
「これなら、何とかなりそうだな」
と、隣から不意に聞こえてきた声に、悠里はハッと意識を取り戻した。
「あ、りうおえ」
何かを幸太郎に言おうとして、しかし舌が痺れてしまったようにもつれて意味のある言葉にならない。その声に視線を赤の桜から悠里へと移した幸太郎は、ぎょっとした顔で慌てる。
「おい、大丈夫か」
「あう」
やはり言葉にならず、悠里は痙攣するように震える右手で口元を押さえると、そこで冷感を覚えた。
「――え」
涙だった。
自分でもわからぬままに、開いた両目からぼろぼろと涙が際限なく溢れ出てくる。
「う、え?」
「目を瞑れ」
言われて反射のように目を瞑ろうとした悠里だったが、けれど瞼の下ろし方がわからなくなっている。混乱していると、幸太郎が悠里の目の前に片手をかざして視界を塞いだ。
「大丈夫だ、落ち着け。三つ数えるぞ」
一、二、三、と。幸太郎がカウントして手を離すと、視界から赤の桜は消えていた。
「瞬きはできるか?」
言われて、ようやくゆっくりと瞼を下ろすことができた。それから瞼を上げて目を開く。手の震えは名残だけで、涙も止まっていた。
悠里は少しだけ口の中で舌を動かした後、幸太郎に言う。
「……もう、大丈夫みたいです」
「そうか、よかった。俺が軽率だった、申し訳ない」
「いえ……」
ポケットから取り出したハンカチで目元を拭く。まだ頭には揺れているような感覚が残っている。
「その、あれが……?」
「大元だろうな。ただどうもあれは……」
また幸太郎は口の中でもどかしげに言葉を探して。
「絡まっているように見える。上手く働いていないというか……」
「そんなのわかるんですか?」
「見た目の印象だ。なんというか、流れが悪いというか……」
歯切れ悪い幸太郎の言葉に、しかし悠里は奇妙な感覚を抱いた。
見た目の印象、と。自分は決してそんな印象を受けなかった。同じものを見たはずなのに、この違いは何なのだろうと。それこそが『認識』の差なのだろうか、と。
しかしそれで答えが出るわけでもなく、さらに詳しいことを聞こうと、悠里が幸太郎に声をかけようとしたところで。
「本当にしつこいやつ」
三人目の声が、聞こえた。
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