12

「また刺されに来たわけ?」


 智己は敵意を隠さない表情で幸太郎を睨み付け、一方幸太郎は無表情で智己を見つめ返す。悠里は幸太郎の横でおろおろしていたが、しかし智己がひとりであることに安堵も覚えた。これから真維と話すのかそれとももう話した後なのかはわからなかったが。


「……いいや、もう帰るよ」

「帰すと思う?」


 溜息交じりの幸太郎の返答に、即座に智己は切り返す。またふたりは、じっと、緊迫して視線を交わして。


 先に折れたのは幸太郎だった。

 両手を肩のあたりまで持ち上げて言う。


「……何もしないで大人しく帰るよ。殴ったのも撃ったのも謝る」


 悪かった、と。瞑目して告げる。それを智己はじっと聞いて。


「……あなたが嫌い」


 と、言葉を一気に刺し込んだ。


「当たり前みたいな顔して真維の隣にいるあなたが嫌い。何をやっても私より上を行くあなたが嫌い。死ぬほど嫌い。大っ嫌い」


 一言一言を噛みしめるように智己は言い放ち、対して幸太郎はそれに反応するでもない。

 張り詰めた沈黙が流れる。


「あ、あの……」


 その空気で口を挟んだのは悠里だった。

 智己の視線が幸太郎から悠里に移される。


「悠里……」


 その目は、敵意から、どこか寂し気な色に。


「智己先輩は、なんで、なんで『永遠』なんて欲しがったんですか……?」

「『なんて』じゃない」


 けれど、その言葉はきっぱりと否定した。


「私にとっては、『なんて』じゃない。本当に、心の底から必要なものなんだ」

「……」


 真剣なまなざしを受けて、悠里は押し黙る。


「私には必要なの。失われるのが怖いから、失うくらいなら永遠に閉じ込めてしまいたい。……ねえ、悠里」


 優しい呼びかけだった。


「悠里は、こっち側じゃないの?」


 智己の悲し気な瞳を見て、悠里は。


 何も言えないままに、桜の園には風も流れない。

 智己がいた。幸太郎がいた。そして幸太郎の隣に悠里がいた。それは決して彼女の選択の結果ではなく、けれど。


 今、悠里が智己の側に歩むと決めることは――。


「……」

「……そう」


 目を伏せた悠里に、智己は何かを諦めるように息を吐く。

 それから、身体の緊張を解いて。


「……早く帰って。止めないから」

「そうさせてもらおう」


 幸太郎が自分の右側に目線をやると、また一瞬のうちに出口ができる。


「私は……」

「悠里も行って」


 ためらうような素振りを見せた悠里に、智己が言う。


「行って」

「……はい」


 言われるがままに、悠里は幸太郎とともに出口をくぐる。

 智己はそれを見て即座に背中を向けてしまったが、悠里は智己から目を逸らさなかった。


 春の夜、桜の園にひとり佇む智己の背中は、


――なんだかとても小さいと。そんな風に、悠里には映った。



*



「……まだ一時か」


 桜の園から出た先は、幸太郎の家の前だった。


「どうする?」


 と尋ねられ、悠里は戸惑う。

 『真維先輩の家に泊まる』と親には連絡してしまったし、深夜帯に家に帰るのは不自然だろう。かといって時間を潰せるような施設がある場所でもない。しかし、たとえ駅前に出たところで、朝まで中学生がひとりで過ごせる場所があるかと言うと、基本的に素行が良い悠里には思い浮かばなかったが。強いて言うなら友達の家だろうか。

 と、そこまで考えて。


「あのー……」


 おそるおそる。


「朝まで、家に置いてもらっていいですか?」

「ああ、いいぞ」


 快諾。悠里はほっと胸を撫で下ろす。しかし、すぐに鍵を取り出した幸太郎が堂々と玄関から忍び足もせずに入っていくものだからぎょっとした。


「ちょっと先輩、家族の人起きちゃいますよ」


 小声で注意を呼びかけるが、幸太郎は意に介さない。


「安心しろ、この家に住んでるのは俺だけだ。ほら、入れ」

「――え?」


 思いもがけない情報を耳にして悠里は一瞬硬直するが、幸太郎が玄関のドアを手で支えたままなのを見て、慌てて玄関内に入っていく。

 玄関には、横のシューズケースには何足か靴が入っていたけれど、たたきの方には靴はなく、確かに幸太郎ひとりしか住んでいないように見えた。


 先を歩いていく幸太郎についていく。階段下を通って左に折れると、リビングに入る。


 驚くほど物がない。ソファにテーブル、大きなテレビがあるが、それ以外にはほとんど何も置いておらず、モデルルームの方がまだ生活感がありそうな部屋だった。


「そのへんに適当に座ってくれ。何時に出る?」

「えっ、ああ……。五時くらい、ですかね?」

「五時だとまだ日が昇ってないと思うけど大丈夫か?」

「……あ、そうでしたね」


 言われて悠里は思い出す。そう言えば昨日――、このとき『もう昨日』という思いと『まだ昨日』という気持ちが同時に浮かんだ――、真維の家に来たときは六時過ぎでもまだ薄暗かった。


「じゃあ、明るくなってきた頃にでも……。あ、真維先輩の家に自転車置きっぱなしなんだった」


 どうしようかな、と口にすると、幸太郎も何かを考えるような仕草を見せたが、悠里を見てそれをやめた。


「取りに来た体で自転車を取り戻して帰るのも手だけど、真維が応対に出てきたらたぶん家に帰ってないのバレるぞ」

「……マジですか」

「というか、神社から出るときに自分の部屋に繋げればよかったのに」

「そこまで気が回りませんでした。思いついてても、今家に帰るのも不自然ですし……」

「上手いこと処理されると思うが」


 平然と言ってのける幸太郎を少し怪しみながらも、この人が言うなら本当にそうなるんだろうな、という気持ちで悠里は聞く。しかしそれなら言ってくれれば……、と思ったが、あの空気でそれを求めるのも無茶だっただろう。

 それから、明日の朝になっても真維が応対に出る可能性を当然のように幸太郎が口にしたことに、悠里は少し安心した。


 結果としては、悠里はほとんど初対面の、とは言っても随分密度の濃い交流をしたわけではあるが、とにかくそういう人物の家に、深夜から明け方の五時間を居座ることになった。

 病院での待機とは、また違った気まずさを感じた。

 携帯をつけて時間を確認してみても、まだここに着いてから十分も経っていない。


 また何か聞いてみようか、と思ったが、悠里の情報処理能力はもうかなり限界に達していた。『神』との接続だとかなんだとか。未だに頭がぐらぐら揺れているような感覚が続いている。それに、幸太郎が質問の答えを知っていたとしても、それを自分にわかるように伝えてくれることはあまり期待できないように思えた。内容が難しいのもあるだろうけれど、『話すのが苦手』というのも本当のことなんだろうと、少なくとも今のところはそういう風に悠里には感じられた。

 

 かといって、人の家でいきなり寝始めるほどの度胸も悠里にはない。時間を持て余しながらソファに座っていると、その視線の向きから勘違いした幸太郎が立ち上がって声をかけた。


「テレビ点けるか?」


 そういうつもりはなかった悠里は一瞬戸惑ったが、とりあえず頷いた。幸太郎はテレビの裏から電源コードを引っ張り出してコンセントに差し込む。テレビ台の上からリモコンを取って、電源だけ点けて悠里に手渡した。


 適当にチャンネルを回す。自然番組。英会話。通販番組。知らないアイドルのバラエティ。知ってる芸能人のトーク番組。スポーツニュース。見たことないドラマ。本屋平積み漫画の表紙で見たことがある、女の子三人組のアニメ。全部回しても特に見たいものはなかったけれど、わざわざ点けてもらっていきなり消すのも気が引けるので、そこでチャンネルを回す手を止めた。


 特になんでもない普通の学校で、普通に女の子が喋っていた。なんとなく悠里は不思議に思った。どうして昼の明るい学校の話を、ほとんどの人が眠るような夜にやるのだろうと。テレビからは和やかな音楽が流れているけれど、悠里と幸太郎が座るリビングには、電灯では隠しきれない夜の冷たさと静けさが満ちていた。


 悠里はちら、と隣にひとつ間を空けて座る幸太郎の顔を窺った。視線こそテレビに向いていたが、意識は全然別のところにあるように見えた。


「……あの」

「ん?」


 呼びかけると、視線の向きを変えないままに幸太郎が応じる。


「どうするんですか?」


 ずいぶん大雑把な質問をしてしまったと思ったが、その意図はしっかり幸太郎には伝わったようで、また言葉を選んでいるような仕草を見せる。


「……あいつ次第だな」

「真維先輩ですか?」


 幸太郎は頷き、


「もう、あいつが決めることだろ」


 突き放すような言葉だったが、けれど言い方はそうではなかった。


「……じゃあ、なんでわざわざあそこに行ったんですか?」

「いざというときにはもう遅い、そういうこともあるからな」


 何気ない調子で言う幸太郎に、悠里は尋ねる。


「あの……、なんで」


 上手く言葉にならずに、もう一度。


「なんで、そこまでするんですか? その、やっぱり、真維先輩のことが」


 好きなんですか? と、そこまで続けようとして、悠里は自分が人の心に踏み込み過ぎていることに気が付いた。ほとんど初対面の相手からこんなことを聞かれて気分が良くなる人間がいるだろうか。何を思ってこんなことを聞こうとしたのかと、無遠慮な自分を少し嫌悪した。


「……どうかな」


 幸太郎は溜息のように呟いた。

 それからじっと、見ていないような目つきでテレビを見て。


「飯を食うシーンがさ」

「え?」


 唐突な話題の転換に戸惑う。テレビを見ると、確かにキャラクターが数人で教室で食事しているシーンだった。


「……昔から苦手なんだ。自分が食うのも苦手だ。肉とか見ると、生き物の死体だ、って認識が先に来るんだ。そのうち肉以外も苦手になってきて」


 何の話をされているのかわからなかった。食事のシーンが苦手。確かにテレビで流れる楽し気な雰囲気と、それを眺める幸太郎の雰囲気には隔絶した温度差があるように見えた。

 悠里はしかし、幸太郎が何かを伝えようとしているということを感じ取ることができて。


「……苦手なんだ。幸せ、みたいなやつ」


 その乾いた呟きを、しっかりと聞いた。

 ただそれだけで、何だか泣きたいような気分になって。けれどさらに幸太郎は言葉を差し込む。


「でも、泉谷はそうじゃない」

「……え」

「あいつは幸せになろうとしてるんだろ。そのやり方が過激だったり、あんまり馴染みがなかったりするだけで」


 だから――、と。また幸太郎は何かを伝えようと言葉を探して。


「だから別に、お前たちが過ごした時間が嘘だったわけじゃない。誰だって、誰かを全部知ってるわけじゃなくて、そういうところを見たとき急に不安になったりするかもしれないけどそれは別に……、上手く言えないな」


 幸太郎はもどかしげに瞑目して考えて。



「あいつはお前らのこと好きだよ。それは変わってない」



――この人は。


 きっと、普通の人よりもずっと多くのことを感じ取ってるんだと、悠里はそう思った。本人でもわからないような部分を感じ取って、話すのが苦手なのはきっと言葉がそれに追いつかないからで。


 ぼろっ、と涙が落ちるのを悠里は感じた。それを見た幸太郎がぎょっとして慌てる。


「大丈夫か」

「大丈夫です、すみません……」


 言いながら、ふと悠里は思った。



 自分がこんなに涙もろいことも、そういえば全然知らなかった。

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