7 小川看護師の陳述

 私に声をかけるドクターは多かったのですよ。でも、考えていることは分っていますし、変な噂を立てられて居られなくなるのも嫌でしたから…。大河内病院は待遇も良く、病院には珍しく家族的な雰囲気があって、働きやすい所でしたよ。だから人の定着も良く、そんなとこが患者さんにも支持されたのだと思います。それは大河内天童理事長の個性でしょうね。副理事長が任されるようになってもそれは変わりませんでした。

 大河内の口説きのテクニック?そんな上等なものではありません。手口といったほうがいいでしょう。〈理事長夫人〉をちらつかしたのです。これはやっぱり魅力ですよ。だって威張っていたドクターだって、同僚の看護師だって、私に深々とお辞儀をするとこを想像しただけで、身体が痙攣してしまいそうでした。まして、ヘンダーソン看護師の青山尚子がどんな顔するか考えただけで気絶してしまいます。


 ヘンダーソン?そうですよね。看護学校ではその看護学校がどんな看護理念に基づいて教育するかは大切なものなんです。尚子の学校はヘンダーソン。尚子のあだ名は〈ヘンダーソン看護師〉。何か言うと「ヘンダーソンはね」と云うことからついた名前。「理論がないと看護が出来ないのか」と言いたい。私の学校はクラッシック。ナイチンゲールでした。理論の違い、詳しくは看護学生たちに聞いてくださいな。次の次長はてっきり私だと思っていたら、後から来たくせに婦長に取り入るのが上手いんだから…。私は卒業してズートこの病院で勤務してきたんですよ。それを、キリスト系の有名な病院にいたことが買われてなんて・・おかしいじゃありませんか。そんなことも大河内に近付いたことかしら…。


 事件の実行を言われた時、正直ショックでした。罪悪感に?いいえ、大河内は何時も私に治療の指示を出す時の調子で、「恵子さん、楽に逝けてしまう注射1本打っといてね」と、まるで軽く猫に注射を打つぐらいの言い方でした。こんな時、深刻に言われる方が苦手じゃありません?

 そんなことではなく、理事長夫人の線はなくなったことにです。本当に愛している人に殺人を云いますか?誰が殺人者を妻になんかしますか?だったらいっそ、「共犯になったれ!」と思ったのです。共犯になって離れられない関係、それもいいじゃないかと思ったのです。「別れるのなら、私は…」という手も使えますし、勿論、テレビでよくあるように、邪魔者は消せで、私が殺されるリスクもあるんでしょうが…。大河内には自分の手でする程の度胸はありません。よしんばあっても、殺されたっていいと思いました。

 決心さえつけば実行は簡単なことです。後は大河内が「ご臨終です」と言いさえすればいいのですし。理事長夫人は私には魅力的だったのです。どんな対価を払っても手に入れたいと思えたのです。反省の弁、死んだって言いやしません。反省するぐらいなら最初からしやしません。世間がどう言ってるぐらいは想像できます。「黒い看護師」「悪女」「毒婦」くらいに言われてるんでしょう。

 あっさり認めた?久保看護師はカルテを片手に、私の処置を順次問うてきました。少しの矛盾があると厳しく追求してきました。思っていたより看護や医学を勉強していました。私もかなり頑張って勉強もしてきました。論破されてそれ以上には開き直れませんでした。私も看護師の端くれです。

 

***

 山内と大河内の関係、山内がからんでいるらしい事は感じていました。お坊っちゃん育ちの大河内にはこんな大胆な計画や決断は出来るはずはないのですから…。付き合った相手が悪かったのです。

 大河内はゆっくり育ったおおらかないいところがありました。貧乏で難儀して育った私にはないものでした。ドクターは気難しい人が多く、まず、看護婦に文句言っても褒める人はいませんでした。大河内はそんなとこが全然ない珍しいタイプでした。

 一度こんなことがありました。なんの治療だったか今は忘れましたが、足の太腿を消毒しているのを見たら、右足なのです。カルテを見たら治療は左足なのです。よくよく見ましたがやっぱり〈左〉でした。多分、患者さんは俯いていたから、左右を勘違いしたのだと思います。こんな時困ってしまうのですが、患者さんのことを考えたら、黙っているわけにいきません。「先生、治療は違う方の足です」と耳元で云って、カルテを見せました。大抵こんな時、ドクターは黙って不機嫌な顔をするか、「両方を消毒してからするつもりだった」とかこじつけを言うのですが、「わー、サンキュー、おおきに」といった軽さでした。

 後から「恵子さんは普段から、先を読めた仕事が出来ているなー、と感心してたの」と褒められました。ドクターから褒められたことなんてなかったから、それは嬉しかったですよ。医者としての腕はマー、私から云ってもいい方ではなかったです。そんなことがあって、大河内から誘いがありました。もっともそのように、持って行ったともいえますが…。


 二人の関係があったからではなく、誰もが話しやすい人でしたよ。こちらから「先生、これなさっておいてくださいね」と言えるぐらいでした。よくいえば、家族的、大河内一家主義。悪く言えば病院は大河内家の私物的な感覚があって、何をしても許される的な感覚に綯ったのでしょうか?

 畠山さんは麻酔剤を注射してから、カリウムを静脈に注射しました。それが一番楽な方法だと思います。亀山トミさんの場合はインシュリンの量を多くして、低血糖状態を起こしブドウ糖の点滴をして、認知のあるトミさんが外したことにしたのです。

 多村智司さんの時は、実は何もしていないのです。今更、こんなことを言っても信じてもらえないことは分かっています。決意しても、いざとなると躊躇しました。もう一度夜勤の受け持ちがあるからと先に延ばしたのです。でも、あくる日亡くなられていました。

 大河内は「やったな」という目で私を見ました。「やってない」と言えますか?別に今更罪を減じてもらおうと思って言ってるのではないのですよ。「やる」と決意したのですから、「天罰」が当たったのでしょう。後は流れです。

 多村智司さんは、過労症状による急性心不全だったのです。血圧も高かったし、相当過労が激しかったのでしょう、他に持病があったのかもしれません。殺害目的でなかったら、きちんと検査して、対処できたのでしょうが、入院目的が他にあるのですから、検査なしでブドウ糖の点滴で安静の処方しかしませんでした。助かるモノを助けなかったのですから、これも立派な殺人ですよね。


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