6 山内英二の生い立ち

 山内英二、年齢40歳、服部組代貸。大学法学部を出ている。司法試験を受けて法曹会を志望したこともあった。この辺は賢三の証言で知れるところである。賢三は命の恩人だった。山内に取ってはそれ以上だった。期待もしてくれていたのにその期待も裏切ってしまった。その思いは深い。


 英二が学校にいかなくなった理由。英二の父は英二の学校の教師だった。英二が小学校6年の時、母が亡くなった。1年もしないのに新しい母が来た。小学校3年の男の子を連れていた。一人子だった英二は弟が出来たと喜んでその子を可愛がった。男の子も懐いた。新しい母は英二とその子とを極端に差別した。それは別段かまわなかった。可愛い弟が可愛がられていると思えば我慢がきいた。我慢できなかったのは、〈見て見ぬ振り〉する父だった。仲がいいと言ってもたまには喧嘩もする。あるとき、弟に買ってもらった少年雑誌の連載を早く読みたくて、取り上げたことがあった。弟は泣いた。その晩、父は英二を呼びつけて無言で英二の頬を往復に打った。

 家だけなら、我慢も出来たろうが、学校に行ってまで、人格者面した父を見るのは我慢が出来なかった。「お前の素行のおかげで、学校での立場がない」と言われて切れた。そして学校はさぼり勝ちになり、悪とつるんだ。


 賢三は引き取ってくれて、「学校に行けと」と云った。

1年遅れて、また2年生から始めた。すぐに皆に追いつき、2年の終わり頃には学校でトップクラスの成績になっていた。元々、英二は良く出来た。母がいたときは、母が喜ぶ顔を見たくて頑張って、クラスでトップだった。そんな成績でも父は教師のくせして喜ばなかった。「田舎の学校の1番で喜ぶな」と言った。父に何故嫌われているのか英二には判らなかった。母に云うと哀しそうな顔をされたので、2度とそのことは口にしなかった。


 賢三はすごく喜んでくれた。「頑張れ、大学まで行け」と言ってくれた。期待されたのがすごく嬉しかった。男は愛情を受けるだけでなく、この〈期待される〉ことが大事なのだ。特に男親からのそれは蛮勇の力を与えるものだ。

 英二の生活費は賢三から女将さんに支給されていたが、高校に入ると時間のある時はすし屋の出前や洗いを積極的に手伝った。女将さんは「アルバイト代や」と何がしかをくれた。それで欲しいものを遠慮せず買えた。


 月に1回必ず賢三の家には行った。賢三は何時も英二の訪問を待っていたかのように喜んでくれた。賢三は大きな家に身の回りを世話する若い衆一人を置いただけで住んでいた。英二が大学に入った年に小学校6年生の女の子が住むようになった。賢三は「俺の娘だ」と紹介してくれた。離婚した妻が亡くなって引き取ったのだと言った。

 まだ、小学生の面影を残していたが、身体は成熟し、娘を感じさせた。その子は花子と云ったが、その目鼻立ちから、賢三の妻だった人の美しさが想像出来た。それから行くたびに、途中でお茶を出すのは若い衆からその女の子に変わった。女の子は簡単な挨拶するだけで、お茶を出すとすぐに引っ込んだ。


***

 大学は法学部にした。法学部が有名な私学に入ったのだった。大学でもトップクラスの成績で、現役で司法試験に合格するのは山内英二だろうと噂された。

大学4年の時受けたが、受からなかった。「来年があるさ」と思った。次、受けて落ちて、英二はこの後何回受けても通らないのではと思えた。英二は薬に逃げた。中学の悪っていたときに、アンパンというシンナー遊びを知っていた。

 若いときの自信は、過信ともなり、反して底なしの自身のなさにも又、繋がるものなのだ。


 今川義兵を応援し、後ろ盾になっているのがこのニュータウン開発で巨万の富を独占していると噂さされている、鐵本建設社長鐵本巌である。山内はこの鐵本巌(いわお)から一つの依頼を受けていた。対抗馬の候補多村智司を「何とかならんか」であった。鐵本とはバブルのとき、梅田の都心の地上げで協力した関係があった。鐵本建設の今あるのはこの時の不動産利益が基になっている。山内の組もあの時代は良かったが、バブル崩壊後、凌ぎの軒数を増やしてやっとであった。このままでは大きいものに吸収されて潰されるのは、表の世界も裏の世界も変わりはない。山内は自分では薬はやったが、薬、鉄砲、女は服部賢三に固く禁じられている。山内の法律知識を生かして、示談屋を本業としている。経済的な揉め事に割って入って、落とし前をつける。最も依頼主の利になるのを多とせねばならないが、山内の説得力には定評があって、相手も渋々であるが納得の線で〈落とし前〉を了とした。法律スレスレの世界を歩いている。


 ニュータウンの話はおいしい話だ。大きなお金が動く上に、開発完了までの長い時間がある。服部賢三には今のように何時までも暮らしていて欲しい。増えた組の若い衆も養っていかねばならない。

「ここは頑張りどころやなぁ」と山内は思った。鐵本の頼みには、「いいですよ」と答えておいた。さて、どうしたものか?


 大河内医師は、命の恩人である。「僕の診断に間違いはない」と言われておれば、今はここに居ないだろう。そういう意味では聴き留めてくれた小川看護師だって恩人である。〈命の恩人〉として山内は大河内薫に近付いた。

 山内はその時34才であったが、大河内は山内より二つ若かった。背は1メートル70の山内より10センチ高く、少しポッチャリした体型で、育ちのいい坊っちゃんタイプであった。大河内は海山千山の山内の術中にはまってしまった。

大河内は「先生は命の恩人だ」という言葉に安心して、ずいぶんと喋りすぎた。病院の経営内容も、介護事業も見かけほど楽でないことも、ニュータウンに出来る予定の医療センターに野望があることも、何より山内に〈性格〉を読まれてしまったのだった。

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