4 看護学校実習・浜野ナミの報告

 看護学校の社会人組も〈おとうさん〉を除けて、みな無事に3年生になった。〈おとうさん〉は残念ながら基礎実習を落としてしまった。3年生になると、学校は一日だけで後は全て病院実習になる。調べ物や提出物も多く、休みの日も休んでいられないほどハードなのだ。

 1年は学内で、2年になるとそれに春に1週間の病院実習が、2年末には3年に上がるための2週間の基礎実習がプラスされる。〈おとうさん〉は、筆記科目はよく出来たのだが、やはり、歳というか、世代というか、性分と言うか・・〈おとうさん〉の苦手は実習。私の苦労を分かって欲しいからその実習風景を書いてみる。


 学内実習は基礎技術のテキストにそって進められる。最初はまず、ベッドメーキング。白いシーツでベッドのマットを包むのだが、シワ一つ許されない。畳んでいたセンター線も真っ直ぐでなければいけない。四隅を上手に畳み込むのがポイントなのだが、一人でやるとなると中々上手くいかないのだ。

 実習は一つ終わると必ず実技テストがあり、パスするまで何回でもやり直しがある。落ちたものは昼の休憩時間、放課後、練習に励まねばならない。自信が出来たところで先生に再度見てもらうという次第。一回でパスするために、テスト前には実習室は事前練習で一杯になる。〈おとうさん〉は実習を1回でパスしたことはまずなし、2回、3回と、いちばん最後まで頑張っているのは何時も〈おとうさん〉なのだ。


 一人でやれる実習はいいのだが、看護役、患者役がペアーになってしなければならない場合が多い。寝衣の着せ替え、車椅子からベッドへ、反対にベッドから車椅子への移乗。入院患者さんの洗髪等。

 何故か私のお相手はたいてい〈おとうさん〉。寝衣は浴衣式のもので、新旧の寝間着を、肌を見せることなく、手際よく着せ替える。患者さんを半身の体勢に体位を変換させてやるのだが、袖から手を抜き、袖を通すのが中々むつかしい。上手に肘を折畳むのがポイントだが、患者さんは寝たままで、手は自分では動かしてくれない。袖幅に肘がつかえてしまう。〈おとうさん〉それでも私の腕を強引に、「痛い!」思わず声を出してしまった。もー、バッテンです。「次回やり直し!」先生の無情な声が実習室に響きわたるのだ。


 洗髪のとき、ベッド上でやる。水をこぼしてベッドを勿論濡らしてはいけない。時間がかかりすぎると風邪引きの原因になる。ドライヤーで乾かし、櫛で整えるまでを時間内でやらねばならない。時間ギリギリ「出来たで、ナミさん!」。 私の目は石鹸の泡が入って兎の目。先生に見えないよう俯いていた。

 車椅子からの移動では私を振り落とすわ、散々。これだけではおさまらない、この後、再テストの練習モデルは私。「慰謝料及びモデル代ちょうだい、〈おとうさん〉!」

 

 陰部洗浄という実習がある。まさかこれはペアーで、交代でするわけにはいかない。それ用の人形がある。廊下の窓から実習室を見れば〈おとうさん〉が居残って事前練習に励んでいる。寝かせた人形を前に一つ作業を終える度に、「よし!」と指差し確認、次に移って、また、「よし!」の声。もはや、笑いを通り越して泣けてきた。この人形の代わりはできないが、これからも練習モデルのお付き合いをするしかないと思った。


 実習でよく使う物、例えばタオル、寝衣、爪切り等々は忘れ物の常習犯〈おとうさん〉のために私は二組をロカーに用意していた。〈おとうさん〉は若い頃はさぞかしと思わせる顔立ちである。55歳でもおじさん臭くない、精神的にも若い。それとそのヘマ・ドジ加減もあって、私たちは年の差をあんまり感じずお付き合いしている。それでも若い娘たちは〈おとうさん〉と呼ぶ。「僕はおとうさんであって、異性とは見られないんや」と寂しそうに言ったけど、そんなことないですよ。大谷次第では乗り換えますよ、おとうさん。

 その〈おとうさん〉なのだが、2年から3年に上がる基礎実習を落として、進級出来なかった。ついた先生が悪かった。〈ヨッシー〉こと吉増ヨシエ先生、この基礎実習では必ず一人ターゲットを決めていじめに入る。大抵、最後には生徒は泣いて〈真珠の涙〉でなんとかそれで収まるのだが、生憎、おとうさんには真珠の涙はない。睨み返したのが、ヨッシーの逆鱗に触れたのだ。


***

 3年の実習は、私と、玉ちゃんと、美香と、大谷が一つのグループで、指導看護師は小川恵子であった。内科病棟では我らが先輩、青山尚子看護師に次ぐ実力看護師で厳しい指導で定評がある。特に同性には手厳しいらしい。私たちは緊張した。小川看護師は美人だが何処かケンがあって私は好きでない。大谷が一発でのぼせ上がったのが顔に書いてある。どうして大谷のことはすぐ分かるのだろう。


 高島花子とオザッキーは小川看護師ではなかった。その高島花子だが、すれ違ったとき、振り返らない男はまずいない。日本人離れした顔立ち、ナイスバディ、超セクシー美人なのだ。藤原紀香なんて目ではないとはっきり言える。神様は不平等だとつくづく思う。姿は女なのだが心は男ではないかと思うことが多い。それとファッション、ファッションと限らないのだが、『定まりないのが花子流』と、私は名づけている。夏でも革のジャンパーを羽織っているかと思うと、冬でも半袖であったり、上は超エレガンス、下は破れデニム、奇抜というか、それでも似合ってしまうのが花子流。

 成績は5番以内の時もあるかと思うと、追試で四苦八苦もある。科目によっても得て不得手の差が大きい。実習、手技は抜群である。注射の実習の時は先生も舌を巻いていた。家はお金持ちで豪邸に住んでいると、誰かが言っていた。学校にはハレーとか云う、大谷いわく、1千万円はするというオートバイで通って来ている。


 大谷明は京都の冴えない私大卒で、大阪のインテリア会社に入社、東京出張所で頑張ったが、大阪本社が財テクで倒産。つくづく、サラリーマン稼業の虚しさを知って、30半ばで看護学校に入学してきたことはすでに書いた。

 私たち社会人組は学校でも成績はトップクラスなのだが、大谷だけは真ん中で、一人社会人組の平均点を下げている。大の虎狂で、大谷に連れられて皆で甲子園に行ったことがある。初めて野球を見た私は「なぜ、たまには3塁に走らないの?そしたらセーフになるのにぃー」と言ったら、それまで説明してくれていた花子が説明してくれなくなった。大谷のいいところはさっぱりとした気性であること、趣味はテニス。自称「頭脳派ではなく肉体派」。〈おとうさん〉の評価は高い。私に気があるふりも感じられるがもう一つハッキリしない。それが私は不満。


 尾崎浩二は予備校のチュウター(講師の補助)をやっていたが、給料が安く、身分も不安定なので30代になって入って来た。マー、甘いマスクもあって、現役生には〈オザッキー〉と呼ばれて人気がある。繊細なのはいいが、身振りや言葉使いがお姉でなんとかならないかと私は思ってしまう。外国語大学卒でスワヒリ語専攻とか、これだけでも変わっているのが分かろうというもの。昼の休憩時間、花子から英語を習い、花子にスワヒリ語を教えている。花子の英語は外国人も顔負け、〈オザッキー〉のスワヒリ語、上手なのか下手なのかサッパリわかんない。花子の夢はアフリカで看護師になること。〈オザッキー〉はお姉なのにスポーツジムに毎日通っていてキン肉マンである。これって、チョイ気持ちが悪い。


これに玉子と美香と私が入った6人が特に親しく、お弁当の時間は常にじゃれあっている。〈おとうさん〉がいないのがチョット寂しい。


***

 美香が小川看護師に叱責を食らった。チョットしたミスだったのだが(学生側はそう受け取った)、「そんなことも出来ないの!それで看護師になるつもり!」と、みんなの前で叱りつけた。

 美香は必死で涙をこらえた。横にいた玉ちゃんの目がつり上がった。「我慢して、玉ちゃん・・」思わず心の中で私は祈った。玉ちゃんは何も言わなかったが、二人の中は険悪になった。無言だが、すれ違うときは火花が散った。


 短い夏休みも終わって実習が再開された。高島花子が実習の初日が終わったら、暫く内科、外科病棟以外の病棟に移して欲しいと八宝先生に願い出た。3年生の実習で一番時間が割かれるのが、内科、外科である。術前は内科、術後は外科という患者さんが多いからだ。

「そんな勝手は出来ません」と八宝先生が言ったら、花子は「では、看護学校をやめます」と言った。これは何か深い事情があると思った先生は、別室に花子を呼んだ。花子の願いは特例として認められた。

 花子はメンバーに「どうしても、顔を会わしたくない患者さんが居るから」としか云わなかった。それが誰だか?は云わなかった。


 再開後の実習で、立て続けて二人の患者さんが急死した。病院で死亡は珍しくない。一人は亀山トミさんという80歳の老女、たくさんの土地を持つ資産家である。糖尿病の上、認知症があり、低血糖治療中の点滴を外したという。

 もう一人はH電鉄経営企画室長の畠山三郎氏(50歳)であった。何れも担当看護師は小川恵子看護師であった。亀山トミさんには美香が実習生としてつき、畠山さんには玉子がついていた。


 亀山トミさんの死に、美香が疑念を呈し、玉子が続いたのである。二人にとってはショックな出来事であった。例え高齢でも、一日話しただけでも、突然の死は悲しいものである。まして看護の道を志したばかりの看護学生には、余計にショックで悲しい。〈不審を感じた〉、それだけその患者さんに寄り添っていたとも言える。

 普通こういうことを懸念して、余命いくばくかの患者さんや重篤な患者さんは除外されるのであるが、1年に渡る実習では避けることもできない。


***

水木美香が亀山トミさんの死に不審を感じたのは次の様な理由による。


 亀山トミさんのカルテには糖尿以外の病名に認知症と併記されていた。物忘れや、今日が何日や曜日が言えないのは、この歳ではよくあること。『十津川警部』のサスペンス小説も読んでいたし、話はしっかり、よく喋った。よく喋る老人は元気だと美香は老人施設の実習で感じていた。

 亀山トミさんは「認知症どこに?」と云う感じであった。隣接する同じ大河内医療法人が経営する老人施設より1箇月前に移ってきている。老人施設の職員が見舞いに来たときに、美香はそれとなく聞いてみたが、施設にいたときはそんな気配は全然なかったとの答えであった。

 死因は低血糖の発作があったので、ブドウ糖の点滴を行なったが、認知のある亀山トミさんが点滴を外してしまったということであった。美香には亀山トミさんに認知があったとも思えなかったし、自分で外すなんて到底考えられないと言った。「私は100迄絶対生きる」と、元気に言っていた亀山トミさんだったのだ。


 3年生になると一人ではなく、何人かを受け持つ。報告書作りは受け持ち患者さんだけでいいのだが、血圧や体温の計測なんかはサブとして同行もする。でないと、看護学生が休んだ時など代わりが出来ないからだ。そんなわけで、美香から云われたとき、「トミさんが認知症だったら、老人はみな認知症になるわ」と思わず、私は云ってしまった。

 

そのことを美香が玉子に話すと、玉子も〈畠山三郎さんの死もおかしい〉と言い出した。玉子の不審の理由はこうである。


 検査には、まず心電図検査がある。安静時と運動負荷試験、24時間を見るホルター心電図がある。画像検査としてはエコーや冠動脈造影がある。冠動脈造影は脚の付け根にある大腿動脈の血管からカテーテルを冠動脈入口にまで入れて造影剤を注入してX線撮影をおこなうものである。1〜2時間で終わるが、麻酔や出血のリスクを考え2、3日の入院は要する。高血圧、高脂血症、糖尿病のチェックがいるが、これらは血液検査か血糖検査で簡単に調べられる。畠山さんはこれらの検査結果の数値は玉子が見ても全然問題なかった。そもそも造影検査の必要が要ったのだろうかと思うぐらいであった。そこで、久保看護師を通して検査技師に聞いてもらった。検査技師は「さほど問題とするところはなかったが、先生はよほど心配するところがあったのかなぁー」と言う返事であったとのことであった。


「第一ね、労作時でこそ起きる狭心症がどうして病院みたいな安静にしている所で起きるの。仮に起きても胸が痛んだ時にどうしてナースコールを鳴らさない?狭心症状が出たときは一刻も早く病院に搬送って習わなかった。何のための病院よ!考えられない」

 玉子は学校でも1番の成績だ。さすがと美香も私も頷いた。


***

 玉子は北富雄さんも受け持っていた。玉子が主にするお世話は話の聞き役と、病気柄、管が入ったあそこを清潔にすることだった。玉子と同行して行くときの北さんの会話は楽しい。

「玉ちゃんに玉をか・・いいね~」と言った調子である。

「可愛い名前やね」やはり名前のことを云われる。

「ありがとうございます。大抵の方はクスと笑って、変わった名前やと言われます。可愛いなんて、初めてで嬉しいです」と玉子。玉子は得だ、名前の会話を通じてスート入って行ける。

「結婚してるんですか?とっても見えないなぁー。前の名前はなんというの?」

「南野(なんの)といいます。中学時代男の子に〈なんのたま・・こ〉と言われるのが嫌で、玉山玉子もいいっかと思ったのです」

「玉は二つに限る」北さんはシモネタ好きで、玉子と趣味を同じくしている。もっとも、玉子は患者さん相手に云えるわけはないが…。そんなことで、二人は親しく話す様になっていた。


「玉ちゃんは看護師より、モデルの方がいいね」

「私みたいな、年増でもモデルになれます?」

「僕のいた会社が制服の宣伝をするなら、モデルに小川恵子看護師と玉ちゃんと美香ちゃんを起用するよ。看護師の制服はやっぱり玉ちゃんやなぁー。美香ちゃんはお堅いから婦人警官やなぁ」私は無視された。

「小川看護師は?」と玉子が訊くと、

「それは、女子校生のセーラー服やろう!」と、北さんは笑って答えた。

北さんの勤めていたアパレルは、「ワンサカ娘がイエー・イエー」と出てくるコマシャールで有名だった。私は知っていたが、玉子は覚えがなかった。それなのに…。

「わたしは?」と聞いてやった。

「ナミさんか…セーラー服着たい?」もう、北さんとは口をきかない。

「でも、見ているとナミさんはきっと実力派の看護師さんになるよ。職種は違うが何人もの女性社員を見て来た僕が云うんだ」私、口をききます。

そして、「人間、実力も大事だが、運も大事だね」と、M市の選挙の話をしてくれた。本当は守秘義務でいけないのだが、私たちは疑念を隠して、畠山三郎氏の急死の件を話した。


 北富雄さんは甥がこのH電鉄に勤めていると言ってから、「経営企画室室長と言えばエリートだ。現在の社長もその畑出だ。畠山氏は巨額の損失(土地の評価損)を出しても、ニュータウン計画からの撤退を主張していた。勿論、反対派も社内にはいたがね。これで多村氏を入れてニュータウン関連者が亡くなるのは二人目だね」と言った。

 私達は亀山さんを入れたら3人目かも知れないと思った。


***

 次長の青山尚子看護師は私たちの学校を卒業した実力看護師であった。私たちはいつの日か彼女の様になりたいと思っていた。思い切って疑念を打ち明けた。青山看護師は話を聞いて、調べて見ると云ってくれた。


 実習中の一番の楽しみはお弁当の時間である。リラックスして語れる唯一の時間だ。今は、再度の基礎実習で来ている〈おとうさん〉も来ている。不運なことにまたまた指導教官が吉増ヨシエ〈ヨッシー〉なのだ。〈おとうさん〉はヨッシーに睨まれている。過激な高島花子が曰く、「おとうさん、河原で犯してしまえ」と云うと、「僕かて、好みがあります」と応えたが、元気がない。

 私たちはアドバイスもし、元気づけもした。今回は何としても受かって欲しいのだ。


 みなで亀山トミさんと畠山氏の不審死についてお弁当の時間語り合った。2、3日後、〈おとうさん〉が週刊誌と新聞の切り抜きを持ってきた。週刊誌はM市市長今川義兵氏の〈新都〉に絡む疑惑が掲載されたものだった。新聞の方は、それは2年前だったか、同じ看護学校仲間で同じマンションに住む看護師4人が保険金詐欺を狙ってその中の看護師の夫を連続殺害で逮捕された事件である。事件は平成10年、11年と行われ保険金は支払われ、成功したかに見えたが、主犯の横暴に耐えかねた仲間の一人の通報により発覚した。看護師が医療技術を使って殺害した事件として当時世間を騒がせた。

 特に私たち看護学生はショックであった。殺害の方法は10年の事件は、睡眠薬で眠らせ、静脈に空気注射を打つやり方、11年はお酒で酔わせて眠らせ、さらに医療用チューブで胃にウイスキーを大量に流し込み心肺停止に追い込んだ手口であった。看護師である学校の先生が「夫がね、私が寝た後でしか寝ないの」と、笑えない冗談を言ったのを覚えている。


何と、〈おとうさん〉は《殺人の方程式なる》驚くべき話を始めた。


 皆の話を聞いてね、ちょっと調べてみたのだ。看護師の自宅マンションでの犯行でも警察は殺人とは疑わなかった。病院なら医師が〈ご臨終〉ですと言えば、その死を疑うものはまずいないし、警察が入ることはない。その〈ご臨終〉に看護師が手を貸すとすれば、病院は〈完全犯罪〉のマンションと化す。玉ちゃんと、美香の受け持ち患者さんの死が不審死だとしたら?小川看護師と大河内医師とは〈出来ている〉のはこの病院の関係者なら誰でも知っているぐらいだ。出来うる話だ。

 何のために?亡くなった患者さんの共通項を探してみた。亀山トミさんはたくさんの土地をニュータウン予定地に持つ資産家、畠山氏はH電鉄の経営企画室の室長。この週刊誌でも彼の名前は出ている。玉ちゃんの受け持ち患者の北冨雄さんの話によると、実はこの大河内病院では、一人の男性が以前亡くなっている。3年前にM市の市長選で今、国会議員になっている今川義兵氏と争った大学教授多村智司氏だ。選挙の最大の争点は今、開発されているニュータウン〈新都〉の推進の是非であった。

 

 三者をつなぐモノに今、この〈新都〉を考えてみた。亀山トミさんは新都の中心部に当たる所の大地主だ。畠山氏は「H電鉄はこの開発から即時手を引くべきだ」と云う立場だ。多村氏はM市が関わるこの開発に否定的な考えの持ち主だった。そして大河内理事長の子息である大河内副理事長は、その中心部に立つ予定の医療センターの候補に名乗りを上げている。もし、不審死を殺人と仮定してだよ、右辺に亀山トミさん、畠山室長、多村智司さんを置く、左辺は小川恵子と大河内医師だ。大河内医師が医療センターに並々ならぬ野心を持っていたとしても、いきなりイコールの等式には無理がある。何かが足りない。

 左辺に一人、ミスターXを置いてみる。ミスターXは開発推進派今川氏の後援者鐵本氏と関係があって、大河内医師とも関係がある人物だとしたら?

 調べて見たら鐵本氏はバブルの時期、大阪の都心の地上げでかなりアコギなことをやっていて、この時に川島組の代貸と関係があったそうだ。そしてこの計画が全てミスターXの立案だとしたら、イコールは成り立たないだろうか?勿論、大胆な仮説だ。ミスターXは今この病院に入院している


〈おとうさん〉は喋り終えて、皆の顔を見た。さすが塾の先生。よく調べもしているし、理路整然としている。


***

 玉ちゃんが「山内ですよね」と言った。玉ちゃんも美香と一緒に山内のベッドを訪れ、検温や血圧を計っている。玉子の目をすれば、言葉使い、立ち振る舞いに、なんとはない職業の匂いを感じていたのだ。花子はびっくりした様子で、そして苦虫を噛み潰した顔をした。「チョット飛びすぎと違うかなぁー」と、オザッキーが口をはさむ。今回、オザッキーはどこか冷めている。小川看護師の悪口言ってるときにもあまり乗ってこない。

 美香は受け持ちだった亀山さんの死に出会っている。なおかつ、山内も受け持ち患者さんだ。複雑な心境なのだろう、表情は悲しげであった。小川看護師にぞっこんの大谷は、「まさかそれは無いやろぅ~!」ほぼ悲鳴であった。


 花子が病棟を変えて欲しいと言った理由を語った。

「その山内が原因やねん。実はウチは川島組の娘やねん。山内はウチの組みの幹部や」

「そうやね、飛びすぎてるかもしれない。でも、時には飛ぶことも大事やないやろか。僕は、山内なる人物はよく知らないが、美香から聞いて、何か予感じみたものを感じるんだ」と〈おとうさん〉。

「ウチ、山内に訊いてみる。何か云うやろぅ」と花子が云った。そして花子が持ってきた話はこうであった。


《屋上に山内を呼び出して、「あんた、大河内を使って何か計画しているやろぅ?」と〈おとうさん〉の話を持ち出してズバと訊いたわ。あの連中はまだるっこしいことは嫌いやからこれが一番なのよ。「お嬢さん誰に聴きなすった」と云って6年前の入院の経過を山内は話してくれたわ》


《私は大河内の病院で受診し、バリウムを飲んで検査を受けましたが異常ないということで、帰りかけたのですが、「どうして、胃が痛んだのだろう?」と出口でつぶやいたのです。虫の知らせという奴ですかね。医者から「大丈夫!」のお墨付きを貰ったのに、一度も胃が痛んだなんて経験なかったし、夜中に2時間近くも痛んで寝れなかったのは初めてだったので、そんな言葉が出たんでしょうかね。その言葉を聞きとめたのが小川看護師です。「じゃー、念のためカメラを飲む?」と言ってくれました。

 今みたいにカメラが細くなく普通でなかった時代、最初はバリウムです。普通、名だたる名医なら、「僕の診断に間違いはない」とかなんとか言うものですが、大河内医師はあっさり「そうしましょう」と小川看護師に同意しました。カメラを飲んだら、私の胃は変形していてバリウムでは映らない所があったのです。いわば、二人は命の恩人なのです。命の恩人を接待したって誰も疑いませんよね。大河内は〈命の恩人〉に安心したのか、何回か会う内に色んなことを知りましたよ。小川恵子との関係は看護学生さんでも知ってるぐらいですからね。経営の内情なんかもね。そして彼の野心もね。何より知ったのは彼の性格ですよ。

 胃癌で入院していたとき、暇つぶしに推理小説をよく読みましたよ。そして病院の様子を観察していたら、ふと、こんなことを思ったものです。「命を救う所は一歩間違えばこれほど安全な殺人を行える所はないのだ」とね。お嬢さんも看護学校に行って病院はよくご存知でしょう。劇薬、毒薬、手術道具一式、殺人道具がこれほど揃っているとこはありませんやね。それより、医学知識です。注射器1本でなんなりとできますよね。「俺なら推理小説を書くならこれをテーマに取り上げるが…」。よっぽど退屈してたんでしょうね。

 計画?その〈おとうさん〉も暇で推理小説の読みすぎではないですか?仮にその〈おとうさん〉の方程式通りだとしても、やるかやらないかは大河内が決めることじゃないですか。これ以上はいくらお嬢さんでも堪忍してくださいよ》


 山内はかなり際どい所まで喋っている。〈おとうさん〉の推理を裏付ける内容だ。方程式が仮に成り立つとしても、「〈証明〉がいるのと違いまっか?」と云っているのだ。

 でも、暫くして小川恵子は逮捕された。亀山トミさん、畠山三郎氏の両名の殺人容疑であった。小川恵子は多村智司氏を含め2人の殺害と1名の結果責任を大河内医師に命じられてやったとあっさり自白した。大河内医師は殺人教唆、及び医師法違反で逮捕された。山内英二は恐喝で別件逮捕されたが、刑法61条2項殺人教唆者を教唆したもの、すなわち殺人罪が適用されるかどうか検討されている。


この事件の影の功労者は〈おとうさん〉と思うのだが、〈おとうさん〉はヨッシーの前に又、基礎実習を落としてしまった。


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