第17話 閑話休題 恋愛なんてしない

ひたひたと、裸足で大理石の上を歩く。

少し肌寒く感じたので、ガウンのようなふわふわした上着を羽織る。

廊下は誰もいない様子で静まり返っていた。

誰もいない食事室で、並べられていた朝餉を取っていると、一葉が部屋に入ってきた。


「相楽殿は早い時間に済ませられました。」


様子を見計らって入ってきたのだろう。

いつもボサボサした髪をして急いでいる様子の一葉の身なりが整っていた。

外見に気を遣えるほど、今日は余裕があるらしい。


「あっ、そう。もう鍛錬に入ってるのかな?」


「そのようです。」


一葉は温かい湯をガラスの急須に入れている。お茶を淹れてくれるようだ。


相楽と私は扱える術のタイプどうやらが違うようだった。

なので、それぞれ自分に合った鍛錬をしている。

相楽はもともと体術や呪文を唱えるタイプの戦闘がある漫画やゲームが好きだったので、実際に扱えるようになって鍛錬すら楽しんでいるようだった。


「あの、失礼を承知の上で申しあげるのですが、その。」


一葉が気まずそうに頭を掻いている。


「なあに?」


「白石殿は、あまり他人に興味を持たれない方なのでしょうか。」


一葉の目が泳ぐ。


「ん?どうして?」


「いえ、その、あくまで見た目ですが、あまり近寄ってはいけないようなオーラが出ているというかなんというか・・・。」


「ああ、それね。よく言われる。」


本当のことだった。

話しかけるな、というオーラを出していて近寄りがたいと言われる。


「でも、そんなつもり無いんだけどなあ。」


「ムスッとしているわけでも無いのに、何故なのでしょうか。」


「んー、でも、たしかに他人に興味ないからなあ、他の人より。我が道を行くというか。誰でもウェルカムとは思っていない。」


「ほお。」


「あんまり他人を信用してないし、尊重もしないんだ、わたし。」


随分ひねくれているとは思う。しかし、本当のことだ。


「なにか、お辛いことでもあったのですか。」


「一葉、聞きたいの?」


一葉は首がもげるんじゃないかと思うほどコクコクと頭をふって頷く。


「じゃあ、まあ、相楽もいないし。」


人が周りにいないことを確認して、私は昔話を始めた。




高校に上がってから、旧知の友と土地を離れて、私は至って平凡な生活をしていた。

県内有数の進学校に入って、なんでもできるつもりでいた自分に自信を無くした。

テストでは平均点しか取れない。

授業は眠さと戦って必死にノートを取る。

生徒会なんてできなかった。やる気も起きなかった。

自分と同じ学力の子たちと一同に介して、自分の平凡さを思い知った。

今までの自分中心の世界から一転、自分が世界の歯車の一部だと気づき、日常の凡庸さに苦しみ、自分の存在価値の薄さに悲しさを感じた。


そんな平凡で退屈な中、私は恋愛に価値を見出した。

田舎で、アルバイトの必要もない、勉強を強いられるだけの高校生には、異性と触れ合うことしか、手軽にできる刺激的なことがなかった。


自分の周りがほとんどそんな状態だったし、街に出れば幸せそうなカップルばかりだったから、自分も恋愛をすれば、この何もない生活から抜け出せるのだろうかと思ったし、恋人がいることが普通のような気がして、相手がいない自分に少しだけ恥ずかしさを感じていた。


しかし、高校生の私は以前より異性から好感を持たれなかった。

化粧もしないような勉強だけの学校だったので、他校の女子高生のバッチリメイクと短いスカートとは無縁だったし、こまめに鏡で自分の顔を見るほど顔を気に入ってないし、女性的な色気や仕草的なものにも考えが及ばなかった。


唯一仲が良かったのは入学時に席が隣になった、小太りで太い黒縁メガネをかけた男子生徒、小林君。背こそ高いが腹は出ているし、足も、指も太い。テストの点は私より下。

でも、音楽や漫画の趣味が合っていて、なにより小林君は笑わせ上手だったから、一緒にいて楽しかった。

小林君とメールアドレスを交換して3日後、好きです、とメールが来た。

私も同じような内容を送った。

なんとも色気がないが、こうしてお手軽な感じに付き合い始めた。



学校では、普通の生徒と同様、休み時間一緒にいたり、お昼を一緒に食べたり放課後一緒に勉強したりしたが、学校内で手をつなぐのは嫌だった。小林くんも嫌がった。

私は小林君と付き合っていると堂々と言えなかった。

小林君と付き合っているのが恥ずかしかったからだ。

彼も、同じだったのかもしれない。

なにしろ、今の私のまわりには、頭が良くて、運動もできる美人やイケメンがいくらでもいる。そんなふうに自分もなりたい、そんな相手と付き合いたいと憧れているから、今の自分たちの状況を胸を張って公言出来なかった。

でも、二人でいるときは幸せだったし、毎日が楽しかった。


ファーストキスもした。

電車の中、誰もいない中で、初めての感覚に病みつきになり、何回も唇を重ねた。寝る前や起きたときにはメールして、いつも携帯電話を握りしめていた。

恋人気分を満喫したし、喧嘩して仲直りしたときは絆の深まりを感じて、この先の未来も想像した。


ある日、変なメールが来た。

メールアドレスの頭の部分が小林くんのものと一緒だったから、携帯の機種を変えたのかなと思いながらメールを開いた。


『ずっと好きでした。俺と付き合ってください。』


小林君かと思っていたが、どうやら違うようだった。

誰からも好かれている自信がなかったし、男子との知り合いはほぼなかったのでこう返信した。


『すみません、どちらさまですか。』


すると、こんなメールがきた。


『付き合ってください。

今の彼氏と別れてください。』


わけもわからず返信する。


『すみません。どなたか知らないですが迷惑です。』


するとすぐ返信が来た。


『知らないやつにそんなすぐに返信するなんてキモいし最低だな。』


この言い方で、小林君だと確信した。そして、小林君にメールした。


『似たようなメールアドレスから変なメールが来たんだけど、何か知ってる?』


『知らない。』


小林君は否定したが、それが嘘だ確定したのは数日後。

小林君が職員室に呼ばれ、次の日先生がクラスに連絡した。

とある男子がメールアドレスを偽装して他クラスの男子生徒に殺人予告のようなものをした。悪質だと判断されたため、警察に届け出ることになった、と。

私はそれが小林君だと直感し、憐れむでもなく自業自得だと思った。


メールアドレスを偽装してまでする必要があったのか、なぜそんなことに時間をかけられるのか、自分のメールアドレスが入っているのだからすぐに分かってしまうだろうとは思わなかったのだろうか。

妙なメールを送って、私が浮気しないかどうか試そうとしたことも、浅はかさと幼稚さに呆れた。


それから、小林君は独りで荒れていった。

自転車を盗んで捕まり、アルバイトをしても続けられずにすぐにクビになった。そして、学校に来なくなった。


それでもなぜか、私と小林君は、付き合っていた。

月に何回か、街で映画を見たり、食事をしたりして、恋人を続けていた。

ある日、体の関係を持ちたいと言われた。初体験が若すぎるというのはよろしくないという認識があったため、拒否した。

すると、小林君は地元の幼馴染と付き合うから別れてほしいと言ってきた。

私はいつものとおり、すぐに興が冷めて、引き止めもせずに了解した。

ケータイのメールアドレスも削除した。


呆気なく終わったような感じたが、精神面はそうは行かなかった。

紆余曲折あったが、家族の次に長く時間を共にしていた相手だったから、その喪失感はかなりのものだった。

テスト勉強も身が入らず、毎日が億劫になった。大切なテストも点数が低かった。

そんな私はまた恋愛に逃げた。

部活の先輩だった。弓道がずば抜けてうまく、日本一の大学を目指していて頭がとてもよかった。付き合いこそしなかったが、話すだけで幸せだったし、先輩もとてもよく可愛がってくれた。


大切な時期を、小林君に費やしたことを後悔した。

初めから先輩と仲良くしていれば、付き合っていただろうし、勉強も教えてもらうことができて、全てがうまく行ったかもしれない、と。

早い段階で、小林君み見切りをつけていればよかった。

もっとしっかり考えて行動すればよかった。


卒業後、大学生になると、小林くんのアドレスからメールが来た。

会いたい、と。

受験や入学もあり、小林君のことを忘れかけていた私は了解した。

そして、何をするでもなく映画を一緒に見た。

帰り道、駅まで一緒に歩いて帰る道中、いきなり手首をつかまれ、キスされた。

咄嗟に拒否して怒ると、忘れられなかったから復縁してほしいと言われた。


数日後、私は復縁を了解した。

あれほど後悔した相手にもかかわらず、だ。私は自分の性欲に負けた。キスされてドキドキして、本能に流された。


お互い他県に住んでいたので遠距離恋愛だった。

家に何回か足を運んで、初体験も経験した。痛いのははじめだけかと思っていたけれど、何度やっても一緒で、快感なんて得られなかった。それを向こうも感じていたのか、お互い行為をしなくなった。

その頃になってやっと私は何をやっているんだと我に返った。


部屋や風呂場に落ちる髪の毛をあえて気にしたり、自分は予定があるかのように携帯で誰かに連絡を取る小林君。

話をしている最中に、覗いてみれば簡単そうな、大学のレポートを徹夜がキツイと言いながら目の前で広げる彼。


すでに尊敬できる人間ではなかった彼に男らしさすら感じなくなり、どんどん興味が無くなって、付き合っている理由は、初めての相手だからという拘りと、恋人がいるという拘りだけになっていた。


ある日から、メールをしても返信が来なくなった。

その理由は、私に気にかけて欲しいというだけのことだということは分かりきっていた。

小林君は幼稚で、自分に甘く、先のことを予測して行動出来ない頭の悪い人間だった。私のように。だから、嫌だった。自分と同じだから、全てが手に取るように分かってしまって。

なあなあで生き、周りの価値観に振り回され、ただなんとなく生きて、なんとなく幸せに浸っている。それが嫌だった。


ある日、小林君から電話がかかってきた。

私は連絡を寄こさなかったことに対しての怒りを抑えて冷静に言葉を選んだ。

すると、小林君は他の子と体の関係を持ったこと、私の笑顔が浮かんで、何をやっても楽しくないことを訴えてきた。


私はあくまで冷たくあしらった。

それは浮気だ、金輪際連絡してくるな、と。その後も小林君から連絡が来た。

一緒に行った場所に一人で訪れた写真や、仲が良かった頃のメールなどを添付してきた。私は今まで言う事を避けてきた、彼が前科を持っていることを引き合いに出して、将来はないと罵倒した。

今まで言えなかった傷つくであろう言葉をすべて並べた。


小林君は私の人生から完全にフェードアウトした。


彼から受けた心の傷は、癒えることはない。

彼から受けた傷は私と付き合う他の誰かの傷にもなるだろう。


そして私は自分の生き方を見直した。

無駄にしてしまった時間を取り返すため、小林君の影響を受けて他人をおろそかにしたことがったことを反省して、考えながら生きることに決めた。

自分を大切にできない人間は、他人なんて大切にできない。

他人の価値観なんて気にせず、自分だけを信じて進もうと決めた。

まず自分を理解して、自分を信じないと他人を信じられない。


そして、もう恋なんてしないと決めた。

自分の理想の人なんて、いないのだから。

理想の人なんて、自分が楽したいだけのエゴに過ぎないし、理想でない人で妥協して生きてまで誰かといる必要は無いと思ったから。

皆自分と同じようになあなあで付き合っている。

もう自分の大切な時間は、誰にも渡さない、と。




「白石殿の人生をそこまで変えるような人物だったとは思えませんが。」


ここまで話して暫くの沈黙のあと、一葉が口を開いた。


「うん、私も、あんなやつに変えられてしまう私が嫌だったよ。でも、私は人より感受性が強いというか、要らないことまで感じ取っちゃうのね、私。

そんなやつだから、他人と付き合うと疲れちゃうみたい。」


「神としての本能が出ているといえば出ているのですが。」


一葉がお茶を入れながら話す。ゆっくりと、湯気が立ち上る。わたしはそれをいっぱいに吸い込み、話した興奮を落ち着ける。


「本能?」


「白石殿は確か、神通力がお強い方でしたよね。

相手の考えや先の行動予測、本能的な相性の判断などは神通力が可能とします。」


「へえ。」


振り向くとそこには鍛錬から戻って少し汗ばんだ相楽がいた。

頭に巻いた布を解きながら、こちらへ近づく。


「ちょっと、隠れて聞いてるなんて。」


「一葉、こいつがこんな捻くれちまったのは神通力のせいじゃないかって言いたいんだな。」


相楽は私のすぐ横の椅子に腰掛けた。

そして、私をあやすように肩を叩く。

なんとなく、叩く手が最後にぎゅっと肩をつかんんだように思えた。


「一概には言えません。一葉は、下界の常識が分からないので。

しかし、白石殿の話を聞く限り、我々神々のような察知能力や自己防衛反応が働いているのではと感じました。」


「ふうん。」


もう私はもうこんなふうになってしまった。

普通の女の子のように素直に喜んだり、ドキドキしたりできない可愛くない女。


「要するに、だ。」


相楽が私の方に体を向ける。一葉も姿勢を正す。


「そんなに気にするなってことだよ。

お前は生まれつきの性格で、しかも神がかり的な能力も手伝って、こうなっちゃったんだよ。お前が悪いわけじゃない。」


一葉が頷く。


「他の男から受けた傷が誰かの傷になったりしねえよ。

それは、お前が気を付ければいい話だ。そこまで、分かってるんだからさ。

それに、俺がいる。大丈夫だ。」


相楽の方を見ると、真面目な顔をしてこちらを見ていた。

一葉にも見られているのに。


相楽は私の頭をポンポンと叩く。





今まで、こういった話は誰にもしてこなかった。

慰められるだけなのが分かっていたから。私が欲しいのは慰めでは無かったし、話したところで何も変わらないから。

でも、今こうして一葉や相楽に聞いてもらって、少し肩の力が抜けた感覚がした。


いいのかな、普通にして。

この人達は私を受け入れてくれるのかな。

そんなことを思っていたら涙が出てきた。

私は言葉を振り絞った。


「ありがとう。」

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