第11話 三大龍
白水会議を終えて自分の顔の体にも落ち着いてきたところで事態は動いた。
白龍族の都に住む白龍が
何かに取り憑かれたように暴れだした、との知らせが入った。
后は側近を遣わせ、その場から隔離するように命じた。
「何でも、体中を掻きむしり、熱湯を自分にかけて痛めつけるのだそうです。」
勉強中だった私は一葉につられて広間へ向かう。
一葉が取り乱しているのはよくある事だが、全く人影を見ないこの建物で、人影が忙しく動き、肌がピリピリするこの様子は、大事だと感じた。
「どうするの??」
髪を束ねようとして束ねられないでいる一葉に尋ねる。
「し、白石殿。
こういう時は喋ってはいけません。
精神の統一に集中してください!」
そういう一葉がせわしなく集中できていないが、黙った。
広間にかけつけると、多くの白龍が集結し、広間を真円にとりかこんでいた。
円の一部に自分も加わると、相楽が近くに来たのを感じた。
相楽は彼なりに、必要な鍛錬をしていたようだ。
「大事なんだってな。」
視線を合わせずに相楽が言う。
「神の国で予想もつかない事があるんだな。」
「そうだね、私達にも何かできるといいけど。」
すると、多くの白龍をしたがえて、后がやってきた、ように感じた。
「相楽は今日、何の訓練だったの?」
わざわざ聞かなければいけないほど、わたしたちはお互いを把握していなかった。
無間と月代になる人物は、何かしらお互いに関係があるということを知らされてからか、悪い意味で意識してしまっていた。
「軽い戦闘訓練みたいなヤツかな。
この身体にもなれてきたし、結構動けるぜ。」
得意そうに何かの型を披露する相楽。
昔も、そうやって私になにかをしてみせたっけ。
「なんだよ珍しいな。
お前が俺のことを気にするなんて。」
そう言われて相楽の方を見ると、少しはにかんだ上目遣いで、こちらを見ている目と目があった。
「そんな興味ないみたいな言い方しないでよね!
ただ、こちらに来ていろいろあって疲れちゃってて。」
「疲れてるのに、シンには会ってる。」
実は最近、夜にシンとひっそり会っていた。
でもそれは、シンからいろいろなことを教わっているからだった。
「シンさんはいいの。いろいろ教えてくれるから。」
「なあ、俺達、1回話し合わね?ちょっと、いろいろハッキリさせておきたいこともあるしさ。」
「考えとく。」
相楽の、「ハッキリさせておきたいこと」が怖い。
だから、曖昧に答えておく。
「皆さん、お集まり頂き感謝します。」
広間に后の声が響く。
声が響くように、空気中の水分を少なくするのだそうだ。
お陰で、声を張り上げずとも皆に声が聞こえる。
「現状は、非常に悪いと言えるでしょう。
白龍が九十九神らしきなにかに取り憑かれ、自身では制御できない状態に陥っています。」
「后殿、憑き物が九十九神たる所以をおきかせくださいますかな」
白龍の一人が声をあげた。
「九十九神というのは断定していません。
神は取り憑くという行為は禁じられていますし、他者をあやつってまでして得る利益はありません。」
「ということは、ひとつしかないだろう」
「黒龍だ!」
「だとしたら后殿、あなたの責任ですぞ」
「后殿、またあなたか。」
広間中がざわつく。
その雰囲気は何処かおかしい。
后を責める声も聞こえる。
「お静かに。
現在、三大龍が鎮圧に赴いています。
その報告をもって、行動を考えます。」
三大龍とは、利根川、筑後川、吉野川から成る暴れ川の主達を言う。
彼らの治水は長く、白龍族では龍族の守護神とされている。
「皆様ご存知のとおり、神々は取り憑く行為をなさいません。
よってこれは、余りにも増えすぎた九十九神か、同族の他の龍によるものと私は考えています。」
「后殿、どちらにしても、不屈の守護を持つと言われる白龍族の都の歴史に泥がついたのは事実ですぞ。」
会場の目線が、后に集中する。
皆が何を言いたがっているのか、私と相楽はまだ理解できていなかった。
「次期月代の御前で申し上げるのは大変恐縮ですが、后殿には責任をとってもらわねばなりませんな。」
私と相楽は目を合わせた。
后が目を閉じ、自分に何か言い聞かせるように頷く。
「分かりました。責任は取ります。」
会場がまたざわめく。
「しかし、白水事件を解決してから、正式に私は退きます。
次期月代は、清澄階に来たばかり。
まだ、伝えねばならない事が多くあります。」
后がこちらを見ている。
私は身構えた。
「白石さん、悪いのだけれど、そういうことになるわ。
次期月代をコトに巻き込みたくはないのだけれど、私の後を継ぐのはあなたしかいないの。危険な目に合わせたくないのだけれど、説明している時間も惜しいの。
一緒に、行動してくれるかしら。
相楽君も。」
「はい。」
「そういうことであれば、我々は了解できるな。」
「后様がお退きになるならそれで。」
「これで我々も胸を張って生きていけますな。」
会場はどこか、后を責め立てているようだった。
すると、他の白龍が会場に入ってきた。
「失礼します。私利根川河川の白龍です。
ご報告します。暴れる白龍を取り押さえました。
どうやら、自ら自傷行為を行った模様です。白龍の被害者はおらず、呪いによる穢れも無い模様です。
現在、下の岩戸に連行、拘束中です。」
「おお、流石三大龍!」
「分かりました。今ゆきます。」
汗もかかない神々だが、この状況が如何に特異的なものなのか、后の様子で察した。
いつも無表情か、儚げに笑みを浮かべている后が、眉をひそめ、少しあわてた様子だった。
「そういえば、こんなに多くの白龍、初めて見たね。」
急ぎ足で后についていきながら、相楽と現場へ向かう。
「爺さんばっかりだったな。若い男がいなくて残念だったか?」
相楽の態度が尖っている。
シンの話や「ハッキリさせたいこと」が頭にあるのだろう。
「相楽こそ、恵ちゃん探してたんじゃないの?」
「そうかもな。」
ちょっと、そこは否定してよ、と、内心思ったが、黙っておいた。
昔ほど気分が悪くならない。そりゃそうだ。今の相楽は完全に「友達」なのだ。
下の岩戸、と呼ばれるところへは、
湖を渡って行くらしい。
あいも変わらず、ガラスと布の色の少ない世界を進んでいく、すると、明らかに聖域らしい、注連縄(しめなわ)で囲われた池州にたどり着いた。
すると、後ろについてきていた一葉たちが、檜と桐でつくられた盆に器を載せて運んできた。
白い布を敷き、何やら準備をしている。
すると、目の前で后が衣服を脱ぎはじめた。
「う わ!」
思わず、後ろを向いた。
相楽は、驚いた様子だが、凝視している。
「ちょっと相楽!何見てるの!」
「だってお前、白龍の姫の裸だぞ。」
相楽が后から視線を外さないので、怒りを通り越して呆れてくる。
が、周りの龍たちも、特別騒ぎたてていない。
「どうやら、この世界には羞恥ってものがないらしい。」
相楽に言われて周りを見渡すと、皆目を背けるどころかむしろ見ていた。
いやらしいものを見る、という目ではなく、もっと、何かを卑下するような。
おそるおそる、后の方を見る。
自分以外の女性の体には興味がなかった。
自分は特段美しいわけでもなく、誇れる美しさがなかったから。
后は、池州のみずを体にかけていた。
その、后の後ろの首筋が目に入り、
思わず声が出そうになった。
后の首には、蜘蛛に噛まれたようなあざが、いくつもあった。
あざは、首筋から鎖骨の下にかけて、点々としている。
后の体は、白く、細く、骨ばっていて、
女性らしい体付きとは言えなかった。
ただ、美しい髪と、意志の強そうな瞳だけが、白龍の姫たらしめている、そんな、身体だった。
冷たい水を体にかけ、震える指先で白い装束をまとう。
そのまま、盆の上にある白い粉をすこしづつ口に含み、水の入った碗を飲み干す。
そのまま、ぶれることなく立ち上がり堂々と、水の中に、ひょうひょうと入っていく。
一葉が、私を覗き込む。
「白石様。お次はあなた方です。
衣服は着替えてもらいますが、この儀式は不要です。」
后と同じ、白色装束を手渡される。
「こ、ここで着替えるの?」
「気になるようでしたら、私どもが囲いますが、いかがします?」
「囲ってもらえ、お前の裸は見たくねえ。」
うっざっ!
と言いかけて、立ちくらみがした。
この身体になってから、怒ることもままならない。
着替え終わると、相楽もきがえたようで、また前髪を気にしていた。
白装束の襟を立てたりして、ちょっとオシャレしている。
皆が見守る中、池州に入る。
「!?」
池州の水が、変だ。
怖い。
水は、透明だが底が見えない。
目に見えている水と、実際の水が違うようで、足が触れる感触は、重いヘドロのなかを歩いているようにヌメヌメしている。
「さがらあ。」
怖くなって、相楽に泣きついた。
相楽は驚いた顔をしたあと、ちょっと笑った。
「泣きそうな声出すなよ、みんな見てんぞ。」
「だ、だめだ、こわい。この水、怖いよ。」
「大丈夫。」
力なく相楽に泣きついていると、
すこしして相楽が抱きしめてくれた。
びっくりしたが、相楽のぬくもりに安心する。
この世界は、冷たいものばかりだ。
久しく触れていなかった相楽に、抱きしめられているということと、皆の前でこんな事をしているという恥ずかしさで心臓がドキドキしている。
「帰ったら、一回整理しよ。な。」
見上げると、優しい相楽の顔。
ああ、昔も、こんなやりとりしたっけ。
こういう顔してたっけ。
「うん。」
相楽が私の手を握る。
昔も握られたことのある手。
状況も、私の顔も違うけれど、握っている手は昔の相楽の手。
そう思うと、勇気が出た。
水はこわい。
先にすすめば進むほど、足が重くなる。
また、息が詰まるのだろうか。
苦しい、とおもったら、下とやらに行けるのだろうか。
相楽の手を握り返して、一緒に入っていく。
胸が水に浸かり、首、口元・・・・
苦しい・・・。
苦しい?
苦しいと思う間もなく、すぐに水からでた。
歩む足は軽く、見えているのも普通の水。
気がつくと、空には何も見えない、
真っ暗な洞窟の中にいた。
池州からあがると、薪をして身体を温めている后と、数名の影が見えた。
「あら、あなたたち、仲良かったのね。」
后が興味なさそうに言い放った。
ん???
私はとっさに相楽の手を振り解いた。
「ちょっっと!こ、怖かったんだよ、ありがとうっっ!!」
これではツンデレ女みたいだ、
と自分の中では思っているが、本音だ。
「珍しく女らしかったぜ。」
「帰ったらおぼえてろよ・・!」
「帰ったら、仲良くするんだろ?」
「仲良くなんかしない!整理するだけ!」
気の抜けたやり取りをしていると、后の周りにいた一人が顔を出した。
「ああ、こんにちは」
「!?」
久しぶりの人間っぽいあいさつに驚く。
細身の、背が高い男性だ。
「こんにちは・・・・あの・・・」
「紹介するわ、こちら、利根川の守り龍で、保坂よ。」
「ウチの恵がお世話になってるみたいで。
ご迷惑でしたら言ってください。言いつけるので。」
「あ、いえ・・・。」
ちらりと、相楽の方を見る。
相楽は、そんなことないですよ、
と、言いながら、イケメンを前に髪型を気にしている。
「さて。」
保坂が后の方を向く。
挨拶はあくまでおまけ、というような素振りで。
「后様、当該の龍は岩戸内に。」
「分かったわ。
保坂、大変なことをお願いしてしまったわね。」
后が髪を束ねながら足早に奥へと去っていった。
「はは、貴方には、いつも大変なことばかりおしつけられる・・・。」
保坂はつぶやいて、こちらを見る。
その顔は、先程迄のにこやかな表情とはうってかわり、無表情だ。
后と私達で態度を変えているのかと思うと、気分が良くない。
無表情なイケメンは、怖い。
「二人とも、こちらへ来る覚悟があるということは、元の姿では帰れませんよ。
時期月代、無限といえども、私が護衛につきっきりということはできません。」
「なんだよ、俺達はついてきて欲しいって言われたんだぜ。」
相楽は保坂の言い方が気に食わなかったらしく、くいかかった。
私も、后と同様、布をやぶって紐を作り、髪をゆう。
「・・・。
おふたかた、こちら・・・、清澄階に来てどれくらいですか。」
「時間の感覚がないので分からないのですが、1ヶ月未満だと思います。」
「なるほど。
それならば、仕方がないかもしれませんが・・・。」
保坂が衣服を正して、なにか言いづらそうにしているのが分かった。
私はその空気に浸りたくなくて、相楽の髪を結ってやる。
「お二人とも、危機感が無いです。
おそらく最低限の教育をされているとは思いますが、月代と無間になることがどんなことか、お分かりですか。」
「なってくれって言われたからなったんだ。
説明なんて無かったさ」
「ちょっと相楽、口のきき方気をつけてよ」
相楽はチッと舌打ちする。
「お二人とも、ちょっと考え方を変えたほうがいい。神々が具現化して戦わないのは、言葉で解決できるからなのです。
神々は、言葉にすべてをかける。」
保坂が洞窟の奥の方を気にした。
「あなた方は、うまく丸め込まれているのですよ。神々の巧みな言葉でね。」
「そんな、性悪説的な人生観はありません。」
「人間界では通用したでしょう。
でも、ここは神々の世界です。
頭領になれば、守るのは今まで一緒に生きてきた人々、何億という人間、生物たちです。
それをおめおめとみんないい人だから、なんて思ってやられたら、あたなたたちに付く私達は安心できませんよ。」
到着するなり、説教をされるとは。
清澄階に来て、怒られたのは初めてだ、むしろ、怒ってくれる者に会ったのが初めてだ。
「分かりました。
あなた方が守護の術を持たないということ、そのままの人間であるということ。
守護の術は何か使えますか」
何もないです、と言いかけたところで、相楽の手が伸びてきて、制された。
相楽は、両の人差し指を合わせて組んだ手を口元に持っていき、目を閉じた。
何やら唱えたかと思うと、相楽を中心に青い光が放たれた。
「すごい。」
「弱い、これではケから見も守れません。」
相楽は舌打ちした。
「舌打ちするくらいなら鍛錬なさい。
私がお守りするので、離れないように。
術は使わなくていいです。」
そういうと、保坂は私の腕を掴み、自分に引き寄せた。
相楽も同じ用に引き寄せた。
「いいですか、私と密着していてください、行きますよ。」
保坂が片人差し指を口元に当て、相楽と同じように何か唱えた。
そのあと、その手で宙を切る。
すると、相楽の光とはまるで違う強い光が、私達三人を覆った。
光は暖かく、どこか安心する。
三人で身体を密着させたまま、后の後を追う。
洞窟は乾いていたが、奥に進むにつれ、身体が重くなるような湿気を感じた。
大きな岩を通り過ぎると、3つの光があり、その中心に、黒い、毛の塊のようなものが居た。
よく見ると塊は、人の形をしていなかった。
内蔵のようなものがちらばり、黒く、長い白龍の髪と、魚の尾ひれ、牛の蹄。
人間のパーツのどこかが動物のそれに変わっていた。
そして、何と言ってもこの匂い。
何かが腐ったような、何かの糞のような、そんなものが混ざった匂いで、思わず吐き気を催す。
「身体を掻きむしるうちに、身体がちぎれ、ちぎれた身体がこうなった。」
保坂が言う。
「焼いていいのね。」
「輸送中、どこの白龍かを調べたところ、筑後川の分流の分流。
もう、名はありませんが、小さな用水路の系統でした。」
「申し訳ないのう、儂の子どもが、こんな!」
后に泣きつく女性らしき龍が涙を流していた。
どうやら、三大龍治水の白龍が、こうなってしまったらしい。
后は龍を慰めながら、片手を口元に当て、なにかを唱え始めた。
すると、泣いている龍もそれを察し、同様にする。
保坂、もう一人の龍も、続いた。
三人からは赤い光が放たれる。
すると、洞窟が響き始め、ひどい耳鳴りがし始めた。
私と相楽は食い入るように見る。
保坂の影に隠れながら。
耳鳴りが高音から低い音に変わり、地響きがする。
水中に入ったかのような鼓膜への圧力を感じる。
洞窟の天井から砂石が降り始める。
立っていられない。
まるでひどい地震だ。
すると、毛の塊となった龍が、暴れ始めた。
髪の毛だったものを尻尾のようにふり乱し、苦しそうにしている。
后の声が大きくなる。
もたれかかっていた泣いていた龍は立ち直り、両の手を使って文を唱えている。
ひとしきり暴れたかと思うと、ぐったりと横たえた。
その様子を確認するため、もう一人の龍が近寄る。
すると、毛の塊は待っていたかのように爪で襲いかかった。
それを、保坂が顔色も変えず文を唱えて防御する。
毛の塊は保坂に被さってきた。
襲い掛かってきた、というよりも何かを吐き出した。
保坂の術は強く、守護の術はびくともしなかった。
術を破ろうと、毛の塊は更に凶暴になり、グチャグチャと音を立てながら守護の結界に張り付く。
間近にケモノが迫り、相楽と私は身構えた。
すると后が近付き、ケモノを素手でひっつかみ、結界から引き剥がした。
ケモノは宙に浮き、その瞬間、4人が一斉に文を唱えたかと思うと、ケモノが宙で燃え始めた。
苦しそうにしたかとおもうと、再び立ち直り、宙に浮き、焼かれながら笑い始めた。
すると、ケモノは人間の形を取り始めた。
私には、若い、女性に見えた。
姿を変えるのを察知すると、后が三人を制し、文を止めた。
「かかか、かかか、」
乾いた笑い声がする。
ケモノの声だ。
「ふ、ふ、」
舌がうまく使えない様子だ。
「お、お前たち、バチあたり」
女性の体をしたケモノからは、その様相に似つかわない、間の抜けた、低い声がした。
「ど、同族、を、焼くなんて、なあ」
か、か、か、
と笑う。
「同族ではないわ。」
后が答える。
「か、か、か」
ケモノは笑うと、再び姿を変え始める。
その様子を見て、保坂が私達の方を向いた。
「見ないほうがいい。」
「な、」
保坂は私達に光景を見せまいとする。
「保坂!
いいの、ありがとう。」
后は保坂に優しく言う。
保坂は后を見つめると、私達に向かってこう言った。
「他人に口外することは許さない。」
その剣幕は、異常だった。
私は、頷くしか出来なかった。
保坂が離れると、ケモノの姿は男性の姿に変わっていた。
長めの黒髪に、白龍の首の鱗。
切れ長の目をした、色の白い、男性だった。
「后、僕だよ。」
ケモノの声は先程と打って変わってまともだ。
后のほうに、歩み寄る。
「いいえ、あなたは死んだわ。」
后が言い放つと、ケモノは立ち止まった。
「僕が、死ぬわけ無いだろ?」
ケモノはにこやかに笑みを浮かべる。
「死んだわ!」
后は、両の手で文を唱えた。
それに合わせて三代龍も加わる。
先程の文と違って、これは聞き覚えがあった。
経だ。
4名の異なる声色が音階を成す。
すると、ケモノから再び炎が上がった。
「后!助けて!あついよ!」
ケモノは苦しがる。
涼し気な男性の顔が、みるみる崩れる。
人間がやかれたら、こうなるのだろう。
ケモノの皮膚が赤くなり、ゴムの焼ける匂いが立ち込める。
足の肉が焼け始め、歩きながら、崩れ落ちる。
「あつい!あつい!后ぃ!」
髪が焼け上がり、頭皮がめくれ、頭蓋骨が顕になる。
唇が焼け落ち、よだれが溢れ出る。
何かを叫ぶ、音がする。
焼かれながらも后の元まで這う。
目玉が地面に落ちる。
ケモノは骨になりつつも、まだ叫んでいるようだった。
骨が崩れ落ち、声が止まった。
「三名とも、ありがとう。」
后は、無表情ながらも、悲しそうな顔をしていた。
私達を守ってくれた保坂も、同様だった。
来るときは苦しい思いをしたが、帰るときもまた苦しかった。
こちらに来た6名で円を描き、身体を構成する要素を元に、元の場所へ戻るのだという。
6名で背中を合わせ、片手で相手の肘を掴み、組む。
すると、腕一本ずつで円が描け、身体が円の内側に入る。
その状態で全員腕を傷つけ、文を唱える。
身体が、文を唱えることによって発生する音階で震えることが重要なようで、私と相楽も文を教えられた。
「オンアビラウンケンソワカ」
意味はよくわからなかったが、何度も唱えた。
保坂の見様見真似で。
すると、一瞬眠気が襲いかかり、気がついたら元の池州に戻っていた。
水は、普通のものだった。
待ち構えていたように、胡蝶、精欄、一葉達が一斉に文を唱える。
私たちは后たちに続き、白色が土だらけに汚れた衣服を脱ぎ、塩が混ぜられた冷水をかぶった。
その後、一人づつ部屋に通され、髪を切られた。
腰まであった長い黒髪が、肩上のボブくらいにまで短くなった。
しばらくは誰かに会うことが許されず、ものを隔てて、食事を取った。
食事は、下へいくときと同様、塩、米、水だけだった。なんでも、清澄階で取れたものを食べることによってケを払うのだとか。
逆に、下へ行くときに食べたものは下の世界で取れた同じものであるが、味がしなかった。
世界の違いなのだろうか。
髪を着切られてからは、思うように身体が動かなかった。
髪は龍の鬣(たてがみ)であるから、身体の一部、精神の一部を取られたと思うと気力が沸かないのも納得した。
元のままでは戻れないというのはこういうことだったのだろう。
1週間ほどがったった。
目が覚めると、胡蝶がそこにいた。
久しぶりに見かける他人に、安心感を感じた。
「お体の調子はいかがですか」
「なんともない。むしろ、暇だったくらい。」
「あの場所は清澄階のケを扱うところなんです。特に、ケに触れた場合はよく清めないと、お力に関わりますから。」
「なにか、力が弱くなったりとか?」
胡蝶は衣服を差し出すと部屋の花を活け始めた。
「神々の力のもとは、精神力が深くかかわるといわれています。ケに触れると、精神がケに傾き、よくない方へ精神が向かうのだと、言われています。」
「なるほど、で、白龍はそれにさらされやすいから入念に、と。」
そういうと胡蝶は何か含んだような表情になる。
「胡蝶、知りたい。教えてほしい。」
胡蝶はなん本か花を変えたあと、口を開いた。
「他の方々は隔離まではされません、その、今回は白石殿と相楽殿だけ。」
なんとなくわかっていた。だから悲しさは無かったが、なんというか、申し訳無さを感じた。自分達のために時間をとらせてしまって申し訳ない、と。
沐浴を済ませ、広間へ通される。
広間は清澄界のガラスと鉄の世界に彩りを与えるような花々で満たされていた。
「保坂が、持ってきてくれたのよ。」
花をみていると、后の声がした。
「后さん、あの、お疲れ様です。」
「ほんとにね。」
后の顔は無表情だが、言葉には温かみがあった。
后も数日幽閉されていたためか、身体はだいぶほそくなっており、長い髪が自分同様肩までになっていた。
ただ、顔に髪がかかるのを好まないようで、せわしなく髪をかきあげている。
「あれは、なんだったんですか。」
「はっきり言うと、これは問題なの。」
后は遠い方を見つめる。
「ずっと、目をつむっていた問題が、今、爆発してしまったのよ。」
「あれは、白龍だったんですか?」
「違うわ。」
后が即答する。その目は険しい。
「あれは、白龍だったもの。
龍は、とても脆いの。
そこに、つけこんだ何者かがいて、彼女は、龍ではなくなってしまった。」
「何者かが。」
「ええ。」
后は髪を耳にかける。
「ただ、ああいった現象を起こそうとするのは、この世界には龍しかいない。」
「ああいった現象?」
「ええ。
これは、相楽君も聞いたほうがいいわ。」
后が後ろに視線をやる。
すると、相楽が顔を出した。
「よお、元気そうだな。」
相楽も、少しだが、髪が短くなっていた。
髪型を気にしたのだろうか、耳上を刈り上げている。
「相楽、まーたおしゃれにしちゃって。」
「お前は短いほうがいいかもな」
何かムカっとして、相楽に言い返そうとしたが、気力がでない。
「ふたりとも、席について。」
気づくと、三大龍と后がテーブルについていた。
あわてて席につく。
「まず、皆さんお疲れ様です。」
皆が会釈をしたので、関心して、一応会釈する。
「紹介がおくれたけれど、
こちらが吉野川の白龍、瓶ヶ森。」
女性が会釈する。
后に泣きついていた龍だ。
容姿は、普通だった。
なんと表現しようか、普通だった。
「利根川の保坂。」
会釈する。
保坂もまた髪が短くスッキリしている。
肌艶がよく、眼光は鋭いが、穏やかだ。
「筑後川の三隈(みくま)。」
紹介された男声もまた、これといって飛び抜けた容姿ではなかった。
清澄界はイケメンばかりというわけではないようだ。
「三名で三大龍よ。
三大暴れ川を治める龍を略して読んでいるわ。
治水が長く、多くの分流を持つこともあって、白龍族の守護を代表でお願いしているの。」
「わしらがそうなったのは后殿の代からからじゃがのう。」
瓶ヶ森は扇で顔を隠しながら目を細めた。
「前までは守るより攻めるほうだったのじゃ。
儂もそっちの方が向いとると思ったが案外。」
「守備のほうがあってましたね。」
「ほんにのう。」
瓶ヶ森と三隈が和やかに会話する中、保坂は優しげな顔で書物を読んでいる。
「私はお三方の特性を見極めたまでよ。
さて、本題に移ろうかしら。」
后が足を組み換える。
保坂も本を閉じた。
「今回の件については、極秘よ。
あくまで、弱小九十九神に取り憑かれた吉野川の分流の龍が、手遅れになり、対処したまで、というのが建前よ。」
「そうするしかない。」
瓶ヶ森は悲しげに目を伏せる。
「で、こうなった理由だけれど。」
私は身構えた。
神々の世界であんなことをするなんて、一体どこの何なのだろうか。
「黒龍族としか思えないのだけれど、皆さんどうかしら。」
「妥当でしょう。
黒龍が一時的に乗り移り、慣れない白龍の土地で荒れ狂った。」
保坂がつらつらと述べる。
「黒龍は日の照った、乾いた熱い土地でないと生きられない。
熱を欲して熱湯をかぶり、取り憑くのを離れようとして自傷していたのでしょう。」
「そうね。」
「我々が連行した時点では、龍でした。
下の世界に付いたとき、黒龍に施されていた呪が開放され、ああなった。」
「攻撃力は無かったものの、耐久があった。
我々の文にも耐えていた。」
「姿形が何回も変わっていたのう、あれは、進化していたのだとおもうぞ。
だが、普通の龍では出せない火力をあびるだろうと想定して、攻撃に耐えられる種類の龍を使ったに違いない。」
「なんで黒龍だと言い切れるんだ?
龍族は他にもいるんだろ。」
保坂達が淡々と理論を積み上げる中で、相楽が割って入った。
三大龍が黙る。
「速魚(はやめ)よ。」
「后殿。」
瓶ヶ森が口を出したが、后が手で制した。
「いいのよ、二人には知る必要がある。」
ずっと触れられて来なかった、后の過去の話。
「速魚は、現、無間。
私の恋人よ。」
「!!!」
私と相楽は顔を見合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます