『摘出者は嗤う』

『摘出者は嗤う』【上】


『摘出者は嗤う』





「やれやれ、ひどい有様だ……」

 僕の向かいに座っている先輩がそうぼやいた。

 ここは署内の医務室。特警に所属する医療班の各員に割り当てられ、署内の色々なエリアに点在しているメディカル・ルームのひとつだ。

 僕は、治療用のチェアに躰を預けている先輩に向かい合うように、部屋の隅から丸椅子を引っ張り出し、そこに腰掛けていた。

 先輩――茶色い長髪を後ろで結っているその人の名前は、ワンといった。王先輩はけだるそうに、コートに着した砂鉄を手でぱんぱんと払い落とす。砂鉄、である。それも、かなりの量の砂鉄。先輩は服どころでは済まされず、顔や髪の毛に至るまで砂鉄まみれになっていた。

 この、いつもより煤けた姿の先輩は、僕の職場である『特殊警察本庁属支部 対異能者犯罪出動部隊』――通称『特警本庁』での先輩にあたる人物だ。

 任務を終え、怪我をした王先輩が帰ってきたというので僕もお見舞いがてら顔を出したというわけだ。

 今日の僕の仕事は専らデスクワークばかりで、さっさと終わらせてから、幾つか気になる事件を調べていたところだ。現在はまだ普通警察の管轄である、『政治家・企業連続襲撃事件』もそのひとつだった。

「……しかしまあ、随分とやられたもんですね、先輩」

 先輩の左腕――その肩から下はもうぶらんぶらんとぶら下がっただけの状態で、どこから見ても完全に折れているようだった。王先輩は「イテテ……」と呻くと、無事な方の腕で、折れた左腕をさする。

「しかし先輩にこれだけの手傷を負わせたとなると、それなりの異能者が相手だったようですね……。一体、どんな能力者だったんですか?」

 この質問に、王先輩が苦虫を噛み潰したような顔をする。

「……まあ、その何だ。エレキテルだよ」

「はぁ?」

 僕はつい、素っ頓狂な声を出してしまった。

 エレキテルとは、昔この国のヒラガ=ゲンナイとかいう科学者が作った発電装置(といっても、それは静電気を発生させて放電するくらいのお粗末な代物だったらしい)のことだ。つまり、特警の中では「帯電体質」を持った者を揶揄する隠語でもある。

「そんな帯電体質だなんて、たいして珍しくもない……対処法なんて幾らでもあるでしょう」

 異能者との戦闘経験の豊かな王先輩が、その程度の能力者相手に苦戦したとは、にわかに信じがたい。

「いや、そんなこと言ってもな、カイン――」

 王先輩は格好のつかない感じで僕の名前を呼ぶと、こう続けた。

「今度の奴は、そんじょそこらのスタンガン人間とはワケが違ってた。かなり高い電圧を操るうえに、驚くほど器用でな。

 まあ、防電着のお陰で直接感電死は免れたんだが、野郎電撃が効かねえと分かると、今度は磁極を操ってでっけえ鉄骨を飛ばしてきやがった」

 そう言うと彼は自分の左腕を忌々しそうに見つめた。おそらくその骨折は、そのときに負った怪我なのだろうか……。

「油断してたオレも悪いんだがな。相手もビビッて逃げようとするもんだから、オレは奴の後を追っていった。そして相手が逃げ込んだのは鉄工所近くの採掘現場だった」

「はぁ……」

 僕は何だか段々と、先輩が現在真っ黒に煤けている理由と、この話のオチが読めてきたような気がした。

「採掘場にあるのはだだっ広い荒地と、切り崩された崖だけだ。相手に逃げ場はねえ。……オレはそう思ったが、実はあちらさんには狙いがあったのさ。こっちが犯人を追い詰めていたようで、その実おびき寄せられてたってワケだ、奴の狩場によ。なんと次の瞬間、相手は異能を使って大量の砂鉄を地中から、オレの躰に纏わり付かせてきやがった! たぶん、窒息死させようとでも考えたんだろう」

 王先輩がニヤリと笑う。それは相手の失策であったと、僕も心の中で同意する。何せ僕はこの人が無呼吸法の修行とか何とかで、三十分間も水中で座禅を組んでいられるのを知っているのだ。直接の絞め技で正確に頸動脈を圧迫でもしないかぎり(それでも熟練の技術を要する訳だが)、この人を落とすのは不可能に近いだろう。

「……で、先輩はどうしたんです?」

「とっつかまえて逆にスリーパーホールドで絞め落としてやったよ」

 ぐっすりおねんねさ――そう言った先輩は、やれやれといった感じで、サイドテーブルに置かれていた書類を手に取った。書類は、今回先輩の捕まえた異能者に関するものらしい。

 僕は相手がどんな人物なのか気になって、その調書を覗き込んだ。

 逮捕された異能者は驚くことに、まだ高校生の少年だった。能力は珍しいことに先天性であったことと、罪状欄には傷害・器物破損等と記されている。そして動機の欄では、先輩の筆跡で大きく「受験のストレス」と乱暴に殴り書きされていた……。

 先輩は大きく溜め息をついた。

「まったく、アホらしい……。なんで特警がこんなガキのストレス発散に振り回されなくちゃぁならんのか。一般的な警察の装備でも充分に対処可能なレベルの能力だったしよ。最近の普警は異能者と聞くとすぐ面倒臭がってオレ達に仕事を押しつけやがる……」

 「普警」とは「普通警察」の略、つまりは通常の犯罪の取り締まりに当たる警察機構のことで、異能者専門の僕たち「特警」とは全く異なった体系を持つ。両者の関係は、有り体に言えばあまり好ましくはなく、お互いの蔭口を叩き合っているようなのが現状だ。正直、市民を守るための公的機関がこんな有様では……と、嘆かわしくなることもあるのだが。

「あのう……すみません」

 後ろの方で、小さく可愛らしい声がしたので、僕は振り返った。

「あ、沙帆ちゃん」僕が思わず間抜けな声を出してしまうと、その女の子は少し小首を傾げて笑った。背あまり高くなく髪は栗色でセミロング、可愛らしい顔をした女の子だ。特警所属の人員は基本的に服装自由とされているにも拘らず、彼女は真面目にも制服を着用している。ここでそんな格好をしているのは、この子を除けばあとは堅物で有名な「部長」くらいのものである。

 ――この子の名前は須山沙帆すやま さほといい、これでも特殊警察の一員である。確か年齢は二十歳、特警メンバーの中ではダントツの最年少だ。しかも彼女は、曲者揃いの特警の中にあっても少々特異なのである。

 何が特異なのかと言うと、その理由はもちろん特警の紅一点……という訳ではなく(実動部隊の中には女性も何人かいる。例外なく女傑ばかりだけど)、彼女が実動部隊の中では唯一の非戦闘員であるということ。医療班には他にもたくさんのメンバーがいるが、戦闘部隊の出動に同行する可能性のある医務員は、この沙帆ちゃんだけである。

 そして、何より特異な点――それは、彼女が機関の中に存在する唯一の『ということだ。

「ちょっと失礼しますね」

 そう言うと沙帆ちゃんは、王先輩の折れた腕に自らの両手をかざした。少しの間目を瞑ってから、その腕を割れ物でも扱うかのように、優しく手に取る。

「もう大丈夫ですよ」と言って手を放すまでの間は、僅か五秒程だった。

「おお、何度見ても見事だな、沙帆ちゃん!」

 王先輩はさっきまで完全に折れていた左腕を、ぐるんぐるんと元気よく回した。調子を確かめるかのように手を握ったり開いたりしている。

「うん、綺麗さっぱり治ってるな」と先輩。

 ――そう、沙帆ちゃんの能力は〈怪我を治すこと〉なのだ。

 それも、体表面の怪我を治すだけには留まらず、肉体の欠損を補う〈再生〉まで行うことができる。つまり、失った眼球や指、腕や足などを復活させることが可能なのだ。これは戦闘を生業とする我ら特警にとっては非常に貴重な能力で、僕らメンバーが安心して大怪我を負って帰れるのも、ひとえに沙帆ちゃんのおかげだと言えるだろう。ただし、それも万能の治癒能力というわけではなく、異能報告例にもよく見られるヒーリングとは系統が違い、内科の領域である病気などは治せず、また古すぎる怪我、癒着してしまった怪我にも効力を持たない……とは本人の談である。

「いやあ、いつも治してもらって悪いなぁ」

 王先輩が申し訳なさそうに、自分の頬に走った大きな古傷を、指でカリカリ掻いた。これはよくこの人が無自覚でやっているクセのようなものだ。先輩は照れ臭そうな表情のまま続けた。

「……まあその、お礼と言っちゃ何だけどよ、またいつもみたいにウチに飯でも食いに来てくれよ」

「はい、喜んで!」

 沙帆ちゃんが嬉しそうに返事をした。僕はこの二人がこんなに仲がいいとは知らなかったので、少々驚いた。

 というか……え……? いつもみたいに? 家に?

「そいじゃあな、また連絡するよ」

唖然とする僕を置いて、王先輩が医務室の扉を開け出ていった。その間僕の思考は停止し、からだは石のように固まっている。衝撃のあまり、しばらくの間、そうやってぼおっとしていたようだ。

「あの、カインさん……大丈夫ですか?」

心配して声を掛けてくれたで沙帆ちゃんのおかげで、はっと我に返る。

「え、あ……うん。何でもないんだ」

僕は混乱も解けぬまま「じ、じゃ」としどろもどろな挨拶をして、急いで先輩の後を追った。

「ちょ、待って下さいよ先輩!」

 廊下でようやく追いつき、横に並ぶ。王先輩は「何だ、またお前か」と笑った。

「何か用か? オレは今一刻も早くシャワー浴びてこの砂鉄まみれの躰を洗い流したいんだが」

 背中がかゆくって仕方化がない、と先輩が不愉快そうに躰をよじる。……うん、ここは時間を取らせず単刀直入に訊いたほうがよさそうだ。

「えっと、その……沙帆ちゃんって何度か先輩の家に来たことがあるんですか?」

 僕は多少もじもじしながらも、率直どストレートに尋ねてみた。「ああ、たまにな」と先輩が答える。一片の後ろめたさもなさそうに。

 ――それは、ちょっとマズイのではなかろうか……と、僕は思う。何せ、ここ特警本庁属支部内における沙帆ちゃんの人気は絶大で、お姉さま方からは大層可愛がられ、オジサン連中も彼女のことは実の娘のように気に掛けている人がほとんどだ。それどころか、彼女の持つ能力も相まってか、神聖視(と言えば少し大袈裟かもしれないけど……)さえする者も少なくない。

 万が一、沙帆ちゃんに悪い虫でも付こうものなら、全員が完全武装で相手宅に押し掛けることだろう。……まあ、かく言う僕や王先輩もそのうちの一人な訳だが。

 僕は王先輩も分かり切っているであろうそういったことを、恐る恐るに忠告してみたが、先輩は大層愉快そうに笑い飛ばした。

「はは、何だそんなことか。いやな、以前女房に『どんな怪我でも治してくれる天使みたいな女の子がいる』って言ったんだ。そしたら是非会いたいって言うもんだからよ、沙帆ちゃんに無理言って夕食に来てもらったんだよ。やれやれ、うちのワイフは仔犬でも猫でも子供でも、可愛いもんが大好きな女でな。そいでもって何故か二人意気投合しちまって、今じゃもう仲良し姉妹みたいなノリになってんだよ。それからはちょくちょく夕飯に招待させてもらってるってわけさ。何か、沙帆ちゃん休みの日には二人で映画観に行ったりメシ食いに行ったりしてるみたいだぜ?」

「は、はぁ~……」成る程、そういうことだったのか――と納得しかけた僕だが、何か、引っかかることがあるような気がした。ワイフ……にょうぼう……女房……。

 ――――女房ッ!?

「えぇっ!? わ、王先輩って奥さん居たんですかぁ!?」

 僕はそれこそ、天地がひっくり返るほど驚いた。

「そんなバカな。こんな現場主義の体育会系で破天荒でいい加減でちゃらんぽらんで、その上無茶ばっかりするし、特別に頭が良いというわけでもないのにどうでもいい蘊蓄ばかり知っている王せんぱ――」

「おい、声に出てるぞ……」

 僕は王先輩に脇腹を小突かれて「はごぅ」と呻き声を上げた。

「何だお前、知らなかったのか? あいつは一度オレの弁当届けに来た時、お前と話したって言ってたぜ?」

「え……?」

 言われてみて、僕は記憶を辿ってみた。確かに以前、廊下でお弁当を届けにきたというご夫人と会ったことがある。


 ――2ヶ月ほど前のことだったろうか。

「あら、ひょっとしてカイン君じゃない?」

 廊下で突然呼び止められ、僕が振り返ると、おおよそこの場所には似つかわしくない優しそうな女性が立っていた。

「あ、はい……」

「主人からいつも話は聞いてるの。一度会ってみたいって思ってたかったから、何だか嬉しいわ」

「は、はぁ……」

 相手が大層美人だったので、僕は極度に緊張していた。

「主人がいつもお世話になってます。これからも宜しくしてやって下さいね」

「いえ、そんな此方こそ!」

 相手がお辞儀をしたので、僕も慌てて腰を折り曲げる。

 奥さんは「それじゃあね」と言うと、そのまま休憩室のほうに向かったようだった。


 ――確か、たったそれだけの会話だった。

 ……そういえば緊張のあまり、誰の奥さんかは聞いていなかったようだ。隊長か、他の妻子持ちのオジサン連中の奥さんかとも思ったけど、それにしては若すぎる。でもまさか、王先輩の奥さんだとは思ってもいなかったのだ。

「あ、あの凄い美人の……――」

 たぶん僕は、それ以上は口をぱくぱくさせているだけだったと思う。

「おいおい、お世辞は本人に言ってやれよ。 オレに言ったって何も出ないぜ?」

 王先輩は、そう言うとまた大声で笑った。僕は更衣室のドアに手を掛ける。今日はもう上がりなので、先輩と一緒に入室する。先輩は砂鉄を洗い落とすため、備え付けのシャワールームへ。

 僕は自分のロッカーの前で、帰り支度と着替えを。半裸になってシャワールームへ入ろうとしていた先輩は、立ち止まって僕の方を振り返った。

「だいたい、そんなに気になるんならお前が沙帆ちゃん誘ってやればいいじゃねぇか」

 予想外の一言が飛んできた。

「えっ?」

 コートを羽織る途中だった僕は、動きが止まった。

「いや、女房も言ってたけどな、ここじゃ歳もお前が一番近いし、お似合いだと思うぜ? 可愛いのに彼氏もいねえみたいだし、もったいないってなぁ」

 ……それは、その何というか、考えたことも無かった。

 詳しくは知らないが、彼女は幼少の頃に家族を亡くした辛い過去――というよりは大変な事故――があったらしく、そのせいか普通に接しようとしても、どうしても同情の念が先立ってしまっていたように思う。しかも沙帆ちゃんとは歳が六つも離れている上、そういう事を考えるよりは、どちらかというと守らなくてはならない、「妹」のような感覚のほうが強かったからだ。

「……まあその前に、俺みたいな陰気な眼鏡男子は、あちらから願い下げでしょうがね」

 僕がそう言うと、「ちげえねぇ」と王先輩が頷いた。嘘でもそこはフォローしとけよ、と思う。

 着替え終わった僕は、王先輩に「お疲れ様です」を言ってから、そのまま先にID認証で退勤手続きを済ませ、家路についた。署から出ると、日はもうとっくに暮れている。

 本格的に秋が終わろうとしているのか、外はとても寒く感じた。思わず肩をすくめて、コートの襟を立てる。僕はそのまま、駅に向かって歩き出した。





 ―――翌朝。

 僕は五月蠅く振動する携帯のアラームを止めて目を覚ました。とりあえずテレビをつけてみると、ちょうど朝のニュースがやっている所だった。

 その内容は、今僕も気になっている『政治家・企業連続襲撃事件』のものだった。新聞などには一面に大きく「義賊現る?」「革命家気取りか」などと書かれており、どうやら今回もまた一般にも広く知れ渡るような大企業が、社外秘の重要データを盗まれたらしい。そして、これまでも、今回も、例外なく犯人からの予告状が送られていたようで、警備にあっていた警備員達は一人残らず殺されている。しかもこの犯人は、その手に入れたネタで強請りをするようなマネはせず、もっぱらネット上に情報を流しているらしいのだ。

 犯人によって流出させられた情報というのが、主に企業の行った裏取引、悪徳政治家との癒着に関する情報など、企業・政治家サイドにとって致命的に不利なものばかりで、そのせいか被害者であるはずの政界・企業側ともに、現在大変なバッシングを受けている。

 それらが、この襲撃犯の「義賊」などと呼ばれている所以ゆえんでもあるのだ。

 ――事件は警察関係やマスコミも入り乱れ、今やちょっとしたカオスの相を呈している。恐らくは世直しか革命家気取りの犯人も、今頃ほくそ笑みながらニュースを見ていることに違いない。

 僕は「部長」が「この事件は普通警察の手に負えない、必ず我々に仕事が回ってくる」と言っていたのを思い出す。確かに犯人は堅牢なセキュリティの布かれた大物政治家宅や事務所、大企業の敷地内などにことごとく出没し、既に何人もの人間が殺されているのだ。もはや並の事件として扱う訳にはいかないだろう――。

 ニュースを見ながらそんなことを考えつつ、リンゴを三個かじり、バナナとヨーグルトをミキサーにかけたもので流し込む。キッチンに立ってベーコンエッグを挟んだトーストを作って、それを食べてもまだ小腹がすいていたのでレトルトカレーとパックのご飯をレンジで温めて、軽めの朝食を済ませると、歯を磨いて着替えてから家を出た。途中、自動販売機で買ったカロリーメイトを二箱ほど、ポケットに詰め込んでおく。仕事中、もしお昼までにお腹が空いてしまったら、これで凌ぐのだ。

 最寄りの駅から電車に乗り、署に一番近い駅――サクラダゲート・ステーションで降りる。署に着くと、ちょうど王先輩も通勤用の自家用車から降りてきたところで、駐車場で鉢合わせになった。

「あ、おはようございます」

「おう」

 それだけの挨拶を交わすと、入り口でID認証を済ませ、僕らは並んで更衣室まで歩いた。中で着替えながら、先輩に今朝のニュースを見たかを尋ねる。

「ああ。企業や政治家の連続襲撃事件だろ? 今回のも合わせて六件だ……流石に普警のやつらも頭抱えてることだろうな」

「ひょっとすると、俺達も出動する羽目になるかもしれませんね……」

 ――その予感が、まさかこの日のうちに見事的中するとは、その時は思ってもいなかった訳だが。


 新人の射撃訓練に補助教官として出張っていた王先輩と、本日もデスクワークに勤しんでいた僕は、その日の午後、隊長の執務室に呼び出されたのだった。先に部屋へ入った僕達は二人で隊長を待っていた。一体何事だろうなどと話していたら、やがて隊長が部屋に入ってきた。

 東都特警本庁属支部実動部隊隊長――芒山翁達のぎやま おうたつ。筋骨隆々の大男である。軍人として数々の戦場を渡り歩いた過去を持つ生粋の戦士で、空手・柔道の達人でもある。組み手の訓練などでは特警の刑事五人がかりでも隊長には勝てないほどだ。千切っては投げ、とはまさにあの事だろう。

 そんな隊長が席に着くと、椅子が窮屈そうに見えるばかりか、かなり広いはずの机までもが小さく見えた。

 やっぱり、この人の持つ威厳が、そう見せるんだろうか。

 実際、一般に『異能』の存在が知らされていないこの社会において、表向きには普警本庁の近くに設置された実験的な警察署として――しかし真実は対異能戦闘部隊の駐屯所としての意味合いが強いこの支部では、戦闘経験豊富で、かつ誰もが認める強さを持つこの芒山隊長こそが、実質的に署長、または支部長に等しい人物だった。

「例の、政治家・企業に対する連続襲撃事件だが――」

 席に着くなり、隊長がおもむろに口を開いた。

「――とうとう我々にも出動要請が出た」

「そうなりましたか……」

 王先輩が「やっぱりな」という表情で返事をした。特に驚く様子を見せない僕たちを見て、芒山隊長は「うむ」とだけ頷いた後に話を続けた。

「昨晩、外務大臣宅に例の賊が入った。大臣は通報によって駆け付けた普警特殊部隊に保護されたが、彼以外は警備員、秘書含め皆殺しだったらしい。何も盗られた物は無いなどと言っているが、あの大臣も例に漏れず、黒い噂が絶えない人物だ――恐らくそれも今晩あたりには、また情報が流されることになるだろう……そのうち大騒ぎになる」

「まあ、起きてしまったものは仕方ないでしょう……。ところで、俺達が呼ばれた訳は何なんです? いよいよ手の足りなくなった普警から調査協力の要請が?」

 王先輩が言ったが、隊長は「いいや」と首を振った。

「調査ではなく、護衛だな。今度はあの『劉グループ』の本社ビルに予告状が届いたらしい」

 ――劉グループといえば、劉月泰りゅう げったいという老資産家が現当主の、巨大財閥だ。様々な大企業を抱え込み、財界を裏で操っているとも言われるほど巨大で権力を持つグループである。

「いや、でもあれほどの力を持つ財閥なら不都合な情報の一つや二つ、簡単に揉み消せるんじゃないですか?」

 僕がその疑問を口に出すと、隊長が少し難しそうな顔をした。

「今まで通りデータを盗むだけならそれで良かったんだがな、今回は何を考えたのか犯人が劉の暗殺――いや、殺害か。それも一緒に予告してきた」

 確かに、予告してからの殺人は「暗殺」とは呼ばないだろう。

「で、それはともかく。今回は何でこんなに早い段階で、しかもオレら特警に依頼が回ってきたんですかね?」

 そう、王先輩の言うそれは、僕も疑問に思っていた事だ。

 今までの事件は狙われる側にも後ろめたさ……つまりは非があったため、警察にも通報されておらず、予告状が送られたことはおろか事件が起きたことさえも、全ては事後に発覚したことなのだ。

 そして、彼らパワーエリートがその余りある財力で秘密裏に警備会社やプロの護衛を雇った結果が、これら一連の大量虐殺の原因でもあった。

 犯人の予告状は「無駄な抵抗はせず御神体を渡せ。さもなくば力ずくでも奪いに行く。」といった内容のもので、つまり「予告状」というよりは「脅迫状」に近い。〝御神体〟が何のことを指すのか、何かの隠語か、情報やデータの事を指すのか等――今はまだ何も解っていない。

何にせよ、その脅迫状は犯人なりの、無駄な被害者を生みだしたくないという配慮だったのかもしれない(結局は圧倒的な力量差があるにもかかわらず、抵抗する者を皆殺しにしているわけだが)。

 それがなぜ今回に限っては、事件の起きる前に警察に伝わっているのか……。

「単純なことだ――」と、芒山隊長。

「劉グループの幹部が情報をリークしてきた。今朝、普通警察に通報があったらしい。おそらく、これほど巷を騒がせている賊だからな、我が身可愛さに恐れをなしたのだろうな……。結果、この事件は普通警察の知るところになったわけだ」

「――しかし、幹部といえどもそんな事をしては只では済まないでしょう?」

「まあ、化け物を相手にするよりはいくらかマシだと思ったのだろう……」

 隊長はそう言って、昨日起きた外務大臣邸襲撃事件の経緯を語った。

 大臣の悪業は前々から実しやかに囁かれていたので、今回の事件はまあ、起こるべくして起こったものとも言えるだろう。大臣邸は、セキュリティ会社による幾重もの防衛線が張られ、さらにはプロのSP――それも、大臣子飼いの汚職要人護衛官だ――も合わせて、一個小隊ほどの人員が徘徊している。犯人はそれらセキュリティを全て正面から突破し、護衛警備のSPも、遭遇した者から順に片っ端から殺していったらしい。もしかすれば、犯人側も特殊部隊くずれの団体様か、はたまたこの国の上層部におけるパワーバランスを乱そうと海外から送られてきた、高練度な諜報部隊だったりするかもしれない。

「――並の賊ではないですね。よほど訓練された部隊でも、これほどの警備の中でこの手際の良さは発揮できないでしょう……」

 僕は隊長から渡された報告書に目を通しながら言った。しかし、それを聞いた隊長が深

刻な面持ちで続ける。

「……部隊ではない。賊は一人だったらしい」

「なっ……!」

 その言葉は、俄かには信じがたいものだった。王先輩も声こそ出さなかったものの、顔の右半分を異常に引き攣らせて驚いていた。だが、真に衝撃的だったのは、更にその次の言葉だった。

「――それだけじゃない。邸宅地下の大型金庫近くに配備されていた護衛達は皆、全て頭部から脳髄を摘出されている。きれいに、すっぽりとな」

 ――脳髄を、摘出した? それも、きれいに……すっぽりと?

 僕はそれこそ、先ほどの比じゃないくらいに驚いた。

「な、何のために……!? 第一、襲撃と目的物の奪取、さらに警備の応援や警官が駆け付けるまでには現場から離脱しなくてはならないことも考えると、そんなことをしてる時間はとてもないでしょう。それに、人間の頭蓋から脳をまるごと取り出すとなると、特殊な道具や技術も必要になると思います……」

 隊長がそれを否定した。

「いや、事は極めて短時間に行われている。そしてその作業中、専門的な道具は一切使用されていない」

 ――何故なら、と隊長が一拍置いて、重い口を開いた。

「――被害者の頭部には、傷一つ付いてなかったんだ」

「そ、そんな……」

「なるほど、それが特警出動要請の原因か……」王先輩が唸るように呟いた。

 確かに、そのような手品師のような真似ができるとなれば、これは敵が異能者である可能性が高い。もっとも手品師でさえ、人間の頭蓋から脳を取り出すなどといった馬鹿げた真似はしないだろうが……。まさに、狂気の沙汰だ。

 しかし、ならば何故つわもの揃いの特警からの護衛が、僕達たった二人だけなのだろうか? 不思議がる僕を横目で見ながら、先輩が答えを言った。

「オレら二人しか護衛につけないのも大方、上からの圧力でしょう? もともとが幹部の密告によって漏出したこの事件、本来なら劉グループは表に出すつもりはなかった。オレ達みたいな虫を腹の中に招き入れること自体、本意じゃねえんだ。ヤツらは警察機構上層部にも太いパイプを持っているらしいですし、お偉いさん方に『出しゃばった真似はするな』とでも釘を刺してきたんでしょう」

「うむ……」と隊長が頷く。

「とにかく、本社ビルに国家警察がぞろぞろ入って来た挙句うろちょろされるのはマズイ……ってわけだ。これじゃあ、自分から『私は腹黒い資産家です』、って白状してるようなもんだぜ」

 成る程。聞けばまあ筋立ては理解できる話ではある。ただ、それが僕たち特警にとって屈辱的な扱いであることには変わりはなく、納得はとてもできそうにない。隊長は申し訳なさそうに俯いた。

「すまんな……私にもっと力があれば……」

「隊長が謝ることじゃぁありませんよ。未だにそんな繋がりを断ち切れない上層部が悪いんです。警察すらこんな体たらくじゃ、公憤にせよ私憤にせよ犯人が憤っている理由も分かる気がしますけどね。

 ――もっとも、犯人が本当に正義感からこれら一連の事件を犯していれば……の話ですが」

 僕がそう言うと、「だが――」と王先輩が続ける。「どんな理由があれ、相手は犯罪者、こちらは警察です。普段の任務とやることに変わりはない。それに、これはチャンスです。犯人は必ずオレ達で逮捕しますよ」

 確かに。この機会を逃せば、次はいつ犯人の情報が入るのか、分かったものではない。これは、千載一隅のチャンスなのだ――。

 隊長は、王先輩の言ったことを噛みしめるようにもう一度だけ、「すまない、頼む――」と頭を下げた。





 犯人によって予告された日時まではまだがあったのだが、僕達は隊長から出動命令が出された日からさっそく護衛の任務に就くこととなった。

 調書によれば今まで犯人が予告状の内容を違えたことは一度もなく、きっちり予告通りに犯行が行われている。だが、賊の言うことを素直に信用するというのも確かにおかしな話だし、前例が破られないという保証もどこにもない。隊長の判断も当然と言えた。

 もちろん、今回の件で仕事をしているのは、劉グループ本社ビルの中で缶詰にされていた僕と王先輩だけ、というわけではない。他にも普警や特警の捜査員が外回りで必死に捜査を続けている。それでも犯人の足跡すら掴めないまま護衛任務開始から三日が過ぎ、日付はとうとう予告当日となってしまったのだ。

 ――僕と先輩は、これまでの報告を済ませるのと、改めて装備を整えるために、一旦、ホームまで戻った。実動部隊の他のメンバー達は皆心配そうに声を掛けてくれる。僕はリボルバー銃のメンテナンスと予備弾薬の補充を、王先輩は研ぎ師に預けていた愛用の日本刀が届いたというので(それまでは十数本もあるうちの先輩の愛刀コレクションから使い勝手のいいものを使用していたようだ)、『武具兵器管理課』まで足を運んだ。

 王先輩が刀を受け取り愛刀との再会を喜んでいる間、僕は弾丸の六個セットされたスピードローダーをがさごそと漁っていた。スピードローダーというのは、オートマチックに比べ手間がかかるリボルバー拳銃での装填動作リロードを素早く済ませるための道具で、回転式弾倉シリンダーに空いたチャンバーの配列に対応した形で固定された弾丸を、一気にまとめて補充できる。それをいくつか手に取っては、ポケットやガンホルダーのポーチへ。弾切れの際、いつでも簡単に取り出せるようにしておく。あとは念のため、バラの状態の弾薬もポケットに入れておくことにしよう。これで、僕のほうは装備の確認OKだ。これらの持ち出し・使用申請書は、いつも仏頂面で受付机に座っている、管理係の女性職員に提出する。

 そんなことをしていると、

「――カイン君、ちょっといいかな?」

 後ろから声を掛けられ、僕はどきっとして振り返った。

 そこに立っていたのは、白衣を着た、恰幅の良い、丸い体の老人だった。頭頂部には薄くなった白い髪を残し、金縁の丸眼鏡をかけて、人のよさそうな微笑みを浮かべている。

 この人は、兵器研究開発部主任の――鴨志田かもしださんだ。

 やたらと温和そうな顔をしているが、長く警察関係や軍事関係の装備・兵器開発に携わってきた人物で、東都特警に勤める公務官の中でも、二番目の年輩に数えられる人物だ。……と、経歴だけ聞くとおっかないけれど、僕はこのお爺さんが笑っている表情以外、正直見たことがない。気がする。

「……俺ですか? なんでしょう」

 鴨志田さんのことだから、恐らくはいつものように、新しく開発した兵器の試運転を頼みに来たのだろうか。

「んっとね……そうそう、これこれ」彼はところどころ煤汚れた白衣のポケットから、円筒形の小さな――弾丸の薬莢のような物体を取り出した。それを、僕の手に渡す。

「あ、言っておくけど弾じゃないよ? 間違って弾倉に入れたりしないでね。死んじゃうからね」

 僕だってそんなに間抜けではない。何だかよく分からない物体を弾倉に入れたりはしないし、こんなものと弾丸を間違えるほど素人でもない。

 手に取って見てみると、その物体は、僕の普段使っているマグナム弾の実包よりほんの一回りほど小さい、円筒形のカプセル錠剤のような形状をしていた――。

「で……何なんです、これは?」

「炸裂弾だよ」

 鴨志田さんはにこやかに答えた。炸裂弾ということは、爆薬か。それにしては頼りないくらいに小さい。

「敵が能力者でも、爆薬なら大抵の場合有無を言わさず戦闘力を削ぐことができると思ってですね。これは中距離戦闘用に開発した、半径一メートル程度にダメージを与える小規模なものなんだけど、ちょっと実戦データに乏しくて。ぜひ試しに使ってみてほしいんですね」

「ほへぇ……。効力はどれくらいありそうなんですか?」

「んーっと、そうだね、事前に取ったデータからだと、一メートル以内の爆破圏内だったら爆風と破片による裂傷でそれなりのダメージは与えられるはずなんだけど。手足とか、末端部位近くで炸裂したら、指かそれ以上のパーツを吹き飛ばすくらいの威力はあると思うんだよね」

 ……なんともアバウトである。それに、結構物騒な代物だ。こんなものを試しで人に使わせようとは、この老人は一体どういう神経をしているのか。

 だけどまあ、何かしらには使えない……こともないかもしれない。こうやって実践的にデータを集めていくことで、組織全体の装備の充実にも繋がるはずだ。僕はそのモニターとしての依頼を受けることにした。鴨志田さんがぱっと顔を輝かせる。

「本当? いやあ、ありがたいね~。で、使い方なんだけど――」

 そのまま嬉々として説明を始める鴨志田老人。なにやらこのカプセルには小さなボタンが並んで三箇所に付けられており、下から順にそれぞれ、押すと三秒後、十五秒後、一分後に爆発するよう使い分けられるらしい。なるほど、大きさにしてはなかなかの高性能だ。

 もちろん、誤ってボタンを押してしまうことによる暴発を防ぐために、ロックの付いたキャップのようなパーツを外さないとカウントダウンが作動しないよう設計されている。爆発範囲自体も小規模で、自分や仲間を危険に晒すことも少なそうだし、使い勝手はなかなか良さそうだ。


「――おいおい爺さん、オレの相棒バディに変なもん渡さねえでくれよ? こっちまで巻き込まれちゃかなわねえ」


 どうやら背後から僕ら二人のやりとりを伺っていたらしい王先輩が、出し抜けに声を掛けてきた。鴨志田さんは「爺さん」なんて呼ばれても、笑顔を全然崩さない。

「ああ、王君。君の刀も、頼んでくれたら色々近代的に改造してあげるのに。どうかな、ここは一つこの老僕めに……」

「冗談じゃねえや」

 ――まあ、十中八九は冗談なのだろうけど(鴨志田さんの場合そうは言い切れない所が怖い)、王先輩に一蹴された白衣の老人は、少しだけしゅんとしたように見えた。

「さて、油売ってる場合でもないぞ。おいカイン、さっさと現場に戻るぜ」

「あ、はい……」

 僕達は用も済ませたので、鴨志田さんの管理室から出ると廊下を早足で進んだ。これから向かうのは、劉グループの本社ビル。賊の予告してきた時間も、もうすぐに迫っている。

 頭の中で、これまで事件について調べてきた内容と、犯人によって襲撃された現場の記録データなどを反芻してみる。

 ――僕はその時、はっと気が付いた。

「先輩、一つ気になることがあるんです……」

「何だ?」

 そのまま並んで歩きながら、会話を続けた。

「俺は護衛任務に就く前にも、『政治家・企業連続襲撃事件』を独自に調べていたんです。そのときは気付かなかったことなんですが……」

 ――そう、今の今まで、さほど重要なこととは思わず頭の片隅に埋もれてしまっていたことだ。

「今まで襲われた企業や政治家たちは皆、劉月泰の子飼いと言ってもいいほど、彼と親密な関係を持っている者たちなんです……。犯人が対象を決める際の基準は、ひょっとしたら劉と関わりの強い企業や政治家を中心に絞られていたのかもしれません」

 ――いや、そうじゃない、何かが違う。自分で言っておきながら、どこかまだ引っ掛かる。

 それに《劉グループ》が持つ財政界への絶大な影響力を考えると、この偶然もさほど不思議ではないかもしれないのだ。

「ふむ……。それで、お前はそのことについて、どう思っているんだ?」

 王先輩は、顎に手を当てて唸るような仕草をして、僕に先を言うよううながした。

 僕は思考を整理しながら、言葉を探しながら、考えを口に出していく。

「いえ、ただ……そうですね、今回起こされた一連の事件、『最初から劉グループに関わる企業や政治家を狙ったもの』とも考えられますが、もしくは、『何かしらの目的を持っていた犯人が事件を起こしていった末に辿り着いたのが、劉月泰だった』という可能性もあるんじゃないか――と、そう思ったりもするんです……」

 そう言って横を向いてみると、王先輩は何だか不安そうな顔をしていた。

「……もしかして、他にも何か被害者側の共通点があったりするか?」

「そういうわけではないんですが……」

 共通点と言われて今すぐ思い付くものといえば、犯人に襲撃された企業のトップや政治家は全員、「骨董品もしくはアンティークの熱心な蒐集家」という顔も持っていたことくらいだろうか。だが、金持ちの道楽としてはたいして珍しくもない趣味だと思う。

 そのことを一応先輩にも話してみると、「骨董品、ね……」と、呟き、そのまま深く思案するようにふさぎ込んでしまった。

 先輩にも何か、心当たりがあるのだろうか……?

 ――しかし、僕達の会話はそこで遮られた。

 正面玄関の近くに差し掛かると、そこには見慣れた小さな影が見える。――沙帆ちゃんだ。僕達に気付き、駆け寄ってきた。どうやら、わざわざ見送りのために、待っていてくれたらしい。

「王さん、カインさん……あの……」

 とても不安そうな顔だ。本当に心配してくれているに違いない。王先輩がいつものように「ははっ」と笑った。

「オレなら心配いらないぜ? そういうのは、この――」

 先輩は僕の背中を強く叩いて、前に押し出した。

「できの悪い若造にでもしてやってくれ」

 僕は振り返って「痛ったいなぁ……」と先輩を睨みつけると、沙帆ちゃんに向きなおった。沙帆ちゃんは下を向いたまま、僕のコートの袖をきゅっと握った。

「ちゃんと……ちゃんと帰ってきて下さいね。怪我は絶対、私が治しますから」

 そう言って顔を上げた沙帆ちゃんの目には、今にも零れそうなくらい涙が溜められている。おそらく、今回の敵――正体不明の異能者――が並々ならぬ使い手だと、誰かから聞いたのだろう。

 この子は何故か、いつでも「仲間を失うこと」を極端に恐れていた。それはまるで、自分が死ぬことよりも――そんな風に感じることが、何回もあった。

 恐らくは、幼い頃に大切な人たちを失った記憶が、後を引いているのだろうか――。

「わかった、絶対帰るよ。約束する」

 僕がそう言うと、沙帆ちゃんは――相変わらず涙目だけど――笑ってくれた。

「二人とも、気を付けて下さいね……」

 僕達が頷くと、沙帆ちゃんが少し申し訳なさそうに、脇にどいた。王先輩がその頭を子供でもなだめる様にぽんぽんと撫でる。

「んじゃ、行ってくるぜ」

 先輩の言葉に、まだあどけなさも残るその女の子は、「はい」ともう一度だけ笑顔を作ってくれた――。


 僕達は正面玄関からIDゲートを抜けて、署を後にした。

 空はどんよりと曇り、もう日も暮れようとしていた。

 二人ともこれから迎える夜の闇に溶けるべく、漆黒のコートを羽織っている。――この装いこそが、いわば僕達の戦闘装束。

「――日が暮れてからがオレ達の仕事、ってな」

 王先輩は不敵に笑うと、腰に巻かれたガンホルダーのような革ベルトへ、黒鉄の鞘とそれに納まった愛刀を取り付けた。

 結局、《劉グループ》と連続襲撃事件の関係についての話は、有耶無耶のままに終わってしまった。どうにも違和感が付きまとう

 僕はまるで自分の不安を具現化したような、その質量を持ってのしかかる鉛色の空を見上げる。

「――では先輩、出勤といきますか」





 僕と先輩の二人は劉グループ本社ビルに繋がる唯一の細道の前で、その巨大な建物を見上げていた。相当にばかでかい――――地上70階もあれば当り前か。

 護衛任務の開始からもう三日も通いつめているが、今日が予告の日だと思うと、今までとは違った威圧感を放っているようにも見える。

「ここはな――」

 王先輩が静かに口を開いた。

「この辺はもともと、天神信仰の盛んな地でな。大昔、お偉い学者大臣様が死後に祟り神として祀られ雷神信仰と結び付いたのがそもそもの始まりだったのが、動乱の時代には戦神いくさがみとして武家の信心を集め、さらにのち、戦が治まって太平の世になってくると学問が推奨され、これが勉強の神様として特に寺子屋なんかでも広く信仰されるようになっていった。――この辺りにも、近代までその名残があったんだ」

 しかし――、と先輩が続ける。

「そういった信仰も、時代の移り変わりとともに段々と廃れていった。それでもこの場所にだけは、神道系の実践道場として、小さな神社とそれを管理する神主の一族がひっそりと残っていたいたんだそうだ。あの《劉グループ》のでっかいビルも、ここら一帯の私有敷地もみんな、そういったもんを全部取り壊して建てられた物らしい」

 ――現状からは想像もできないが、かつてはそのような信仰の地だった場所が、今や鉄とコンクリート、ガラス張りの建物ばかりになってしまった、ということなのか。なんだか寂しい。諸行無常というやつだろうか。

「さらに悲しいことに、グループトップの劉はとことん無信仰なジイさんでな。碌にやしろを祀ることもせず、奉納されていた御神体も強引な工事の際に行方不明、おそらく今でもビルの下に埋まったままなんじゃねえかとよ。――それどころか、劉が自分の骨董品コレクションに加えちまった、なんて噂まである」

「それはまたえらく罰当たりな……」

 ひょっとしたら今回の事件も、天罰覿面……などということはないだろうか。畏れ多い話である。

 けど、それだけじゃない。ある言葉が、僕の頭の中に引っ掛かった――。

「御神体――――」

 そう、〝御神体〟とは予告状にも記されていたキーワードだ。ただの偶然……なのかもしれないが。

 考え込む僕に対し、王先輩は一本道を挟む側面のビルの壁面をコツコツと叩いてこう続けた。

「――で、オレらの向かうこの道。ここだって昔は神社に繋がる一本道で、鳥居の連なった参道だったそうだ」

「天神様の細道――『とおりゃんせ』ってわけですか?」

 どうも昔から、お寺やら神社やらは苦手である。僕は想像してみたが、鳥居の連なる細道というのも、なかなかぞっとする光景だ。

「くく、『いきはよいよい かえりはこわい』ってな」

 まったく何を笑っているのか、この先輩は。いつも任務直前には僕を怖がらせようと、こんな話をするのだ……本当に困った人である。僕は先輩を放って、さっさと歩き出した。

「そもそもあれは、神社にお札――守り神――を返しに行くって唄でしょう?」

 確か、「七つまでは神のうち」などと言ったっけ、そのくらいの大昔は乳幼児の死亡率も高く、生まれた子供が無事育つことを願い、神主さんからお札――御守りを施してもらう風習があった。その御守りも、無事に七つの数え年を迎えた暁には、神社に返しに行かなくてはならない。だから、加護のある「行き」はよくても、それを失った「帰り」は恐い――気をつけろ、というわけだ。

「それ以外にも、実は子供の神隠しを唄ったものだとか、子減らしの唄だとか、ぞっとしねぇ話ばっかだけどな。俗っぽいのだと、当時、城内にあった神社で参拝の人出入りが激しかったもんだから、領外からの間諜や参拝客の口から情報漏洩しちまうのを警戒して、厳しくお改めする役人様がうるさかったそうでな。入るときはまだ良くても、出るときはたいそう面倒だった。それを暗にからかったもんだ――なんて話もあるぜ」

「どれにせよ、現代人でもうとっくに成人も越してる俺達には関係ないでしょう……行きも帰りも同じですよ」

 そう言って振り返ってみると、王先輩は未だにさっきの場所で立ち止まったままだ。

「どう……したんですか?」

 先輩は我に返ったように、はっと顔を上げた。

「いやな……少し気になることがあるんだよ。まあ、気のせいではあると思うんだけどな」

 そして僕等は再び歩きだした。

 両隣も背の高いビルに挟まれているため、二人の硬いブーツから発せられる足音が、かつんこつんと反響する。

 あんな話を聞いたせいだろうか。僕の頭の中ではさっきからずっと『とおりゃんせ』が繰り返し流されている。

 ――――正直言って、あの歌は……嫌いだ。





 僕と先輩の持ち場は、重役会議室と情報保管庫のある36階。

 もちろん、護衛に当たっている人員は僕達だけじゃない。周りは皆黒スーツ黒メガネという出で立ちのSPや、同じような格好をした劉グループ直属の警備員達である。そんな絵面の中では、黒いコートを身に纏った僕達特警刑事も、充分に没個性的だった。

 こんな事になってしまったのも、本来、ターゲットである劉月泰は自らこのビルに居るべきではないのにも拘わらず、現在重要な会議とやらのために、この階に留まっているからだ。

 きっと、財界を裏で束ねる一大財閥の長が、たかが一匹の賊相手に逃げ出したとあっては、これまでに築いてきた一族の沽券にかかわるということなのだろう。だが、散々ちまたを騒がせてきた賊の働きを知らぬはずもないから、随分豪胆な老人であるともいえる。見上げた商売魂だ――王先輩がそうぼやいた。

「奴は……来ますかね」

 僕は誰に訊くでもなく、そう呟いた。

「来るさ――」先輩はそう言って廊下の先を見据えた。

 外は普通警察に包囲されているし、敷地外には特警の隊員――それも選りすぐりの精鋭部隊が待機している。よほどの馬鹿でもない限り、この警戒網をかいくぐりビルに侵入してこようなどとは思わない。そのはずだ。

 だけど、もし敵が異能者だったら――奴らには、常人には成し得ないような、不可思議な能力がある。それは例えば、厳重なセキュリティだとか、一対多数などという不利を簡単に覆してしまうだけのポテンシャルを秘めていることもあるのだ。それほどの能力、ましてやそれに伴ったずば抜けた戦闘能力を持つような異能者は、正直言って少ない。だが今回の賊はその少数派の中の一人、それも殊更危険な部類に入るものと見て間違いはない――。

 そんな事を考えていると、SPの連中がざわざわと騒ぎ出した。どうも階下と連絡が取れなくなったらしい。だが、警報等は鳴っていない。

「おいおい、大丈夫かよ……」

 壁にもたれていた王先輩がSP達の方に歩み寄ろうとしたが、「引っ込んでいろ」とばかりに手で制止された。

 先輩は「ちっ」と聞こえんばかりに舌打ちをした。どうやら奴らにとって僕ら特警はオマケ――というより邪魔者扱いのようだ。

 セキュリティポリス――警視庁警備部警護課。要人護衛のプロフェッショナルである彼らにとって、僕らのような得体の知れない特殊捜査員は、現場に紛れ込んでしまった不確定要素でしかないのかもしれない。歓迎されないのも納得だ。それに、もし彼らの上官が劉月泰に飼われているような関係の場合、こちらの行動を制限してくる可能性だってある。

 ――けど、それもこれも、彼らが異能者の恐ろしさを知らないから、そんな態度をとっていられるのだ。いざ戦闘になってみれば、僕達にとっては異能者との戦闘経験のない彼らこそが足手纏いに他ならない。これだけぞろぞろと人間がいる中、はたして死傷者を出さずに事を運べるだろうか……。

「よほど先輩と二人きりの方がやりやすいですね」

 ぼそりとそう言った僕に、

「まったく、厄介な現場に派遣されてしまったもんだな」

 先輩も肩を透かした。


 ――いよいよ、SP達の騒ぎようが激しくなってきた。モニター室から出てきた一人が叫んだ。

「おかしいぞ! 階下を担当しているはずの警備員達が一人も映っていない!!」

 そんなバカな……! 僕と王先輩もモニター室まで駆け寄ろうとした、その時だった。

 一瞬の暗転。そう――停電だ!

 ビル内の電源が落されたようだ。まさか、賊の仕業なのだろうか。

「配電室に一班送って様子を見てくるんだ。この暗さだ、必ずツーマンセル以上でカバーリングし、突入時には特に気を付けろ」

 現場を取り仕切っているリーダーらしきSPが、イヤホン型の無線機で迅速に指示を飛ばす。だが――

「エレベーターが……!」

 更に別のSPが大声を出した。僕はその声につられ、長い廊下の先――真正面にあるエレベーターに目を移した。なるほど、停電中にも拘わらず、エレベーターだけは作動している。階数表示はどんどん上の階に向かい、やがて36階――この階で止まった。

 あの聞き慣れた「チン」という音が鳴り響く。それはまるで、不吉な来訪者の登場を告げているようだった。

 SP連中は皆、銃を取り出してエレベーターの扉に向けた。訓練された、素早い動きだ。全員揃って使用しているのはシグザウエルのP230。装弾数9+1、コンパクトかつ滑らかな流線を意識したフレームは、服の下から取り出す際に引っ掛かりにくい。要人護衛にはうってつけであろう、携帯性抜群のオートマチック拳銃。

 もちろん、僕も先輩もとうに戦闘準備はできている。抜刀のために刀の鯉口は切られ、トリガープルを軽くするため、リボルバーの撃鉄を起こす。

 ――ゆっくりと、扉が開いた。

 非常灯だけの灯る薄暗い中、そこに立っていたのは、黒服に黒メガネ――SPの男だった。

 それを見て、緊張していたSPのうち一人が、銃を下ろして近づいた。仲間の姿を見て安心したのだろう。

「おい、どうした……? 下の階では何があったんだ?」

 だが相手は返事をしなかった。幽霊のようにすぅっとエレベーターから出てくる。その躰がぶらんと中空に揺れる。地に足が付いていない。まるでマリオネットのように力なく手足が踊っている。

「馬鹿野郎、そいつから離れろッ!!」

 先輩が叫んだ。

 黒いスーツのマリオネットは、口から大量の血を垂れ流す。彼の首は揺れに逆らうことなく、そのままだらしなく明後日の方向に折れ曲がった。死んでいる。首がねじ折られているのだ。

 ――死んだSPの背後からは、尋常でない力で頸椎を握り潰す白い手が伸びていた。手が離されると、り糸が切れたように、死体は前のめりに倒れ込んだ。

 扉近くに居たSPは、「ひっ」と叫んで倒れてくる死体を避けた。後ずさってエレベーターから距離をとる。

 暗転に対し、目が慣れてくる。真っ黒な空間に、白い影がぼぅっと浮かび上がる。暗い鉄の箱、その中には男がもう一人。

 賊は――死んだマリオネットのすぐ後ろにいたのだ。

「ふむ……」

 出てきた男は僕たち全員を値踏みするように見回すと、落ち着き払った表情で第一声を放った。

 一体どこにそんな余裕があるものなのか。だが実際SP達は男の殺気に当てられて、その場から一歩も動けないようだった。

 この男が、侵入者にして、連続襲撃事件の犯人――。

 艶のある黒髪。楕円形のメガネの奥に控えた瞳。その眼光は鋭く、まるで獲物を睨み付ける猛禽類のようである。

 さらに――賊はこの上なく目立つ純白のロングコートを着込んでいた。黒髪を除けば、上から下まで真っ白なのだ。両手につけた手袋、そして皮靴までも白い。この暗さの中、わずかな光を一斉に集め反射するその白は、黒いスーツのSP達に囲まれて、より一層男の存在を引きたてていた。

 銃を向けられているにも拘わらず、男はつかつかと歩を進めた。そして、一番奥に控える僕と先輩に視線を向ける。

「――成程、多少は使える者も混じって居る様だな」

 男が感心したように云った。目が合って、射竦められるような感覚に陥る。察するに、僕か先輩に向けられた言葉のようだった。王先輩が静かな臨戦態勢へ、いつでも刀を抜ける状態に移行した。僕もリボルバーの銃口を男の方にしっかりと向けている。

「警察か……。だが所詮は走狗、この腐り切った国家の手先に過ぎん。利権を吸い尽くす壁蝨ダニのような政治屋や企業と手を取り合う。そこに甘んじる貴様等など闘う前から既に敗けている」

 男はまるで傍らに人の無きが如く、速度を落とさず歩み寄ってくる。動きには自信が満ちている。

「ナンバだ……気を付けろ」王先輩が小声で言った。

「え――?」僕が同じくらい小さな声で訊き返す。ナンバとは一体何のことか。

 白いコートの男はその歩みを止めない。

「ナンバ歩きだよ。まだ西洋人の歩き方が伝わる以前、古来からのこの国の人間がしてた歩き方だ」

 なるほど。よく見ると男は確かに、普通に道行く人のそれとは違い、独特な歩法を用いている。よほど習慣として身に付いているのだろうか、所作にまったく違和感がなく、先輩に指摘されるまで気付かなかったほどだ。

 すっと右手と右足を同時に前に出す。そして、左手と左足を同時に前に出す。この繰り返しだ。それは普通の歩き方、出す足と逆の手を振って腰をひねるように歩く現代人の歩き方と比べると、明らかに異質なものだった。――――が、自然だ。そして隙がない。

 先輩は一層緊張した面持ちで、居合の構え、その踏ん張る足に力を込めた。

「こりゃあ、悪い予感が当たったかもな……」


 白いコートの男はSP達を見回して、よく通る声で云った。

「――貴様等は私を捕らえるか殺すかする為に、此処に居るのだろう。そう、云われるが儘、雇われるが儘にのこのことやって来た。其処に己の貫くべき意志は無い」

 いよいよ間合いが詰まって来た。隙を見せずゆっくりと近寄ってくる男に対し、一番近くに居たSPが堪りかねて発砲する。

 弾は当たらなかった――。そこからは先は、常人では目で追うことすらも出来ないほどの早業だった。

 ゆるやかな「静」からの、一瞬の「動」――――コマ落としと錯覚するかのような俊敏さで弾丸を素早く躱し、あっという間にSPの懐に潜り込んだ男は、その顎にアッパーのような掌底を喰らわせた。さらに同じ手で二本の指を、サングラスの上から両の眼球に深々と突き立てる。そこから、眼窩に指を掛けて握るように力を込め、そのまま後方に向けて首の骨を――折った。

 SPの首は、まるで折り畳まれたように背中側へ折れ曲がる。白いコートの男は、大外刈りの要領で足を引っ掛け押し倒し、掴んでいた頭をそのまま硬い床に叩き付けた。

「ゴシャリ」

 嫌な音がした。誰がどう見ても――即死だ。

 僕の食道を、何やら酸っぱい匂いの物が駆け上がる。駄目だ……。

 死体を見ると、どうしても吐きそうになる。これはもう癖というよりは過去のトラウマからくる条件反射に近く、自分でコントロールすることさえ出来ない。僕が「警察に向いてない」と仲間から馬鹿にされる所以でもある。

 だが、もう吐きそうになる寸前の僕の口を、王先輩が手の平で押さえ込んだ。

「頼むから、今だけは勘弁してくれ。そんな場合じゃないんだよ」

 先輩の額には、冷汗が浮かんでいた。

「いいか。死体には目もくれるな。死にたくなかったら、あの男だけを視ろ――」

 僕はなんとか吐き気を抑え込み、こくりと頷いた。

 確かに男の動きは、それは見事なものだった。群がる黒服達の戦意を著しく削ぎ落とし、場の空気を支配してしまうには、充分過ぎるほどに――。




(下巻に続く――)

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