『摘出者は嗤う』【下】



「どうした? まだ一匹減っただけだろう。貴様等狗の命など、雇われの端金はしたがねより軽い。そんな事は分かり切った事だ。――さあ、狗なら狗らしく牙を剥け。そして狗の様に死んで逝け!!」

 男が叫んだ。その途端、今まで空気飲まれて固まっていた黒服達も、一斉射撃に転じる。しかしそれは相手の言葉に怒りを覚えてというよりはまるで、ただ怯えてトリガーを引いてしまっただけのように見えた。

 無数の弾丸。それらを掻い潜るように接近する男。白のロングコートが激しく翻る。

 男は一番近くのSPの腕を掴み、下段の蹴りで膝を砕きながら、抵抗の暇も与えず抱き寄せた。そして後ろから絞める様に腕を相手の首に掛け、捻り、折る。――手際が、良すぎる。

 さらにその死体を盾にし、他の黒服達が撃ってきた弾を防ぐ。銃撃が止んだ一瞬の隙を衝き、用済みとなった死体を大勢の黒服めがけて放ってよこす。

 男の腕は、巻き付くように死体の襟首とズボンのベルトに掛けられていた。そこから回転を加えて解き放たれた死体は、独楽コマのように激しくきりもみしながら黒服達の二、三人を巻き込んでぶち当たる。彼らが怯み、その隙に白いコートが駆け込む。群がる黒服達の中央に陣取った。巧い。これなら銃は使えない――撃てば同志討ちになるからだ。

 SP達も状況を素早く理解し、即座に腰のホルダーから警棒を抜き取った。判断も切り替えも早い。やはり素人ではない。ちゃんと訓練されている。

 それでも尚、敵は余裕の笑みを崩さなかった。

 警棒で襲い掛かってきた二人の横薙ぎを、それぞれ潜り抜けるように避け、左側のSPを横蹴りで蹴り飛ばす。さらに右側のSPの脇腹に手刀を打ち込んだ。手刀を受けたほうのSPは(おそらくはボディアーマーか何か着込んでいるのだろうが)怯まずに、内側へ振り切った腕を即時切り返し、更なる横薙ぎを繰り出す。

 相手はそれを冷静に右内腕で受け止めた。すかさず左手で黒服の腕を取り、防御していた右手は流れるように黒服の肘に添えられる。そのまま腕は捻り上げられ、抵抗できずに前屈みになったSPの顔面には、あらかじめ置くように出しておいた膝蹴りが綺麗に叩き込まれた。

 普通ならこれでK.O.だろうが、相手は入念に、気を失って倒れ込んだSPの首――その付け根のあたりを踏みつけ、足首をねじり込むように力を込めた。

 骨の折れる音。全く躊躇がない。

 一方、横蹴りで吹っ飛ばされたSPは壁に叩きつけられたダメージで、よろけながら起き上ろうしていた。

 そこへ白いコートが翻り、素早く転身しながら間合いを詰めた。

 後ろ廻し蹴り――いや、革靴の側面を押し付けるような足刀蹴りが、SPの首に差し込まれた。男はそのまま先程と同じように足首に力を込め頸椎を砕き、止めを刺した。

 ――あっという間に四人。このままじゃマズい。そう思って僕と王先輩が駆け出したのは、ほとんど同時だった。僕はリボルバー銃を右手に持ち、先輩は刀を腰のホルダーから鞘ごと取り外す。

 敵をぐるりと取り囲む残り八人ほどの黒服達が邪魔だ。

 王先輩は横に跳び、壁を蹴って更に跳躍した。人垣を越え敵の頭上高くまで飛び上り、上から叩き下ろすように居合抜きを放った。相手は切っ先を見切り、必要最低限の動きでそれを躱す。

 一方僕は目の前に居る黒服の肩を掴み、それを支点にして跳んだ。身を捻るように宙返りを打ちながら飛び越す。天地逆さまのまま空中で銃を構え、白いコートの男に向かって上空から発砲する。先輩の攻撃とタイミングを合わせた連携だ。これには、さしもの敵も派手なアクロバットで弾丸を避けることを余儀なくされた。

 先輩より少し遅れて僕が着地し、ちょうど二人で男を挟んで対峙する形になった。先輩が手に持った鞘を素早く投げつける。白コートの男は自分に向かって飛んできた鞘を蹴りで払い落した。その隙に僕達が間合いを詰める。

 拳銃は迂闊には使えない。相手が避ければ周りの黒服達に当たる。僕はミドルとハイの二段蹴りを繰り出した。下段払いと上段受けで防がれた。男の突き出してきた鋭い貫手を左手で押し逸らし、下段に構えた拳銃から相手の足の甲めがけて弾を撃ち込む。これは素早く足を引いて躱された。

 そこへ王先輩が刀を手に躍り出た。しっかりと諸手持ちに柄を握り、袈裟懸けに斬りつける。男は低く身を屈めて斬撃をやり過ごす。

 振り下ろした刀をそのまま右薙ぎに切り返し、次の攻撃に繋げる先輩。刀が振り切られる前に、相手はずいと右手の掌を押し出し、手刀部分で先輩の持ち手のあたりを押し止めた。技の連携を崩されても先輩は動きを止めることなく、そこから間髪入れずに左回りに回転する。

 先輩の次の斬撃まで、インターバルが生じる。僕はそれをフォローするため、敵の背後から、後頭部めがけて銃底を振り下ろす。が、素早く身を翻してこちらに向き直った男は、振り下ろされた僕の腕を両手で掴み、巻き込みながら懐へ潜り込んできた。身をかがめ、腰の力で僕の躰を跳ね上げる――奇麗な一本背負いだ。

 僕は下手に逆らうことはせず、流れに身を任せて自ら跳んだ。宙に投げ出される身体からだ。そこから脚を旋回させて身をよじり、両足でしっかりと地面に着地する。

 相手はまだ僕の腕を離してはいない。だが追撃が来る前に、王先輩の回転しながらの左薙ぎが僕を救った。煌く白刃が敵の顔面に迫る。男は僕の腕を離し、後ろに飛び退いて距離を取った。

「成程、出来るな」

 そう言って男はずれた眼鏡を中指で押し上げる。その表情はきわめて無表情だ。台詞といい、相変わらずの余裕である。

 高速の立ち回りが一時停止し、すかさず黒服達の一人が動いた。警棒を振りかぶり、後ろから男の頭を殴りつけようとした。だが、それに気付かないような相手ではない。男は一瞥もくれずに振り下ろされた警棒を掴み取ると、そこから合気道のような投げ技を繰り出した。

 SPの躰が大きく回転する。恐らくは、頭から落とすつもりか。しかしそれだけでは終わらない。男は相手の死を更に確実なものにするために、空中で真っ逆さまになっているSPの顎の下あたりを踏み付けた。そのまま踏み抜くように勢いを付け、頭部を脳天から床に叩き付ける――!

「ぐしゃ」と不気味な音が廊下に響いた。SPの頭蓋は、硬い石の床と男の足に挟まれ、粉々に砕け散った――はずだ。僕は脳漿を見るのが嫌だったので、床付近には視線を送らなかったのだ。

「――先輩、何なんですか、奴のあのえげつない技の数々は……」

 そう――男の使うのはまさに「技」と呼ぶに相応しかった。それは戦闘中に使用するにはあまりにも機能的でシステマティック過ぎた。

 もしもこれらが「殺人」という陰惨な作業に使われたのでなければ、「美しい」とさえ思えてしまう程に――それほどまでに洗練されていたのだ。

「柔だよ――」

 王先輩が言った。

「――やわら? っていうと柔道ですか?」

「ちげぇよ、柔術だ……古流のな」

 周りの黒服達は皆戦慄し、もはや完全に戦意喪失している。仲間の惨たらしい最期を見てしまったのだ、それも無理ないだろうと思う。そんな彼らに、先輩が檄を飛ばした。

「おい! ぼさっとしてるんじゃねえ! てめえらの仕事は依頼人守るのがまず第一だろうが!! お前らじゃこいつは倒せない。さっさと劉のジジイを安全な所まで運びに行くんだ!!」

 恐怖のあまり茫然自失としていた黒服達も、今の言葉で自分を取り戻したみたいだ。気が付いたように廊下の奥へと走り出した。

「させるものか――!」

 敵が追おうとする。僕がそれを阻止すべく銃撃する。

 相手は横に跳んで弾を避けた。そこへ王先輩が突進しながら刺突を放つ。男は避けきれないと悟ったのか、バックステップで距離を取った。SP達への追撃は諦めたようだ。僕は額を流れる汗を袖で拭った。

「柔術使い……と戦ったのは初めてです。柔術って聞くとブラジリアンとかグレイシーを思い浮かべますけど……」

「そりゃあヴァーリトゥード(何でもあり)っていう試合形式でのみ有効な、スポーツ格闘技のことだろ。あの賊が遣うのは、そんなもんとは別物だ。武術家どうしが死合いで使う――謂わば、古来から伝わる殺人術よ」

 白いコートの男は、ククと笑った。

「そうだ、月宮凰明流――私の使う技は歴とした古武術だ」

「なるほど、だからナンバか――あれは古武術の技を理解するには必修の動きだからな」

「つきのみや……おうめいりゅう?」

 僕はそんな流派を聞いたのは初めてだった。だが先輩の方を見ると、血の気の引いたような顔をしている。

「嫌な予感が、当たりやがったか――」

「な、何ですか一体? 先輩がそんなに怖がるなんて……」

「おめえは知らなくても無理はない。ちょっとやそっと武術史をかじったくらいじゃ、凰明流には辿り付けない。なぜならアレは――宗教でもあるからな」

 宗教と、武術――。

 一体何の関係があるのか。だが先輩の言葉を聞いて、相手の男は不快そうに眉を吊り上げた。何か核心を突いたようだ。

「もとは神道の一派だった。修験道――山伏を想像すれば分かりやすいか。古神道的な山岳信仰に仏教の要素が加わって生まれた、言ってみりゃ神仏習合みたいなもんだ。あれらの修行は山野を駆けまわる非常に厳しいものでな。下手すりゃ命を落とす危険だってあったと云われている。

 凰明流の礎になった武術は、鍛錬のためにそういった修行を利用し、強さに精神論を求めた武術家達と、諸国行脚や修行中の護身、または宗教儀式の中に武術の套路とうろを取り入れようとした変わり種の修験道の一門――それらの利害が一致して出来た古武道だ。そこからいろんな流派・信仰と迎合を繰り返し、様々に枝分かれし、より密教的な体系を強くしていった末、その多くは消えていった。怪しげな術を使うと白眼視され、武術界からも宗教界からも、鼻つまみ者だったらしい」

 だから、武術史にも宗教史にも詳しくは登場しない――先輩はそう締め括った。

 確かに昔、武士の多くは「無我の境地」や「明鏡止水」などと言って、禅の精神を取り入れようとしていた者は多くいた――そのような話は先輩から聞いたことがある。凰明流の成り立ちは、それと似たようなものなのだろうか?

「確か、その中でも月宮派は、凰明流最後の生き残りだった門派――と文献に伝わっていたはずだ」

 白いコートの男は、「ほうぉ」と感心したように声を上げる。

「博識だな。まさか我が流派を知る者がこの現代にも残っていたとは、驚きだ」

 驚いたなどと言っている割には、男は別段取り乱してもおらず、至って冷静なままだった。

「自己紹介が未だだったな。私は月宮凰明流二十二代目当主、月宮瀧彦つきみや たきひこ。裏の世界では〝摘出者〟と呼ばれている者だ」

 ――自らを「摘出者」と名乗ったその男は、両手に嵌めていた白い手袋をゆっくりと外した。

 武道家が名を名乗ったという事は、僕達の事を「犬」ではなく倒すべき「敵」だと認めたということだろうか。

「しかし、良くぞ知っていたものだ。どうやって凰明流まで辿り着いた?」

「たまたまさ。うちの道場にあった古文書で読んで知ってた。それに、色々調べてみて分かったが、このビルの下に埋まっていると言われる御社おやしろも、もとはお前ら凰明流に連なるものだったはずだ」

 脱いだ手袋を放り捨て、摘出者――月宮瀧彦は無言で僕達の方へと歩き出した。

「復讐――か?」

 先輩が言った。

「まあ、れもある。だが其の前に、奴――劉月泰には返して貰わなければならない物がるのだ」

「御神体か……」

 その言葉で、僕もようやく理解ができた。犯人である〝摘出者〟が無謀にも思われる犯行を繰り返した、その理由が。

 ……そう、予告状にも書かれていた通り、彼は冗談でも何でもなく、本当に失われた〝御神体〟の在処を探していたのだ――劉の子飼いの政治家や企業を襲いながら。それは凰明流が権威を取り戻し、復興するには欠かせない物だからだ。そして、驚異の執念でここまで辿り着いた――。

「誰の手に渡ったかも分からぬ御神体の行方を追うのは、随分と骨が折れたぞ。まさか、劉月泰――あの金の亡者のような老骸が後生大事に手放していなかったとは、夢にも思わなかったがな。本社の警備は特に厳重だ……奴の腹心や重役から情報を入手し、付け入る穴を探る必要があった」

「なるほど、それで今まで襲撃してきたのは劉と繋がりのある連中ばかりだったって訳か。そしてわざわざ情報をばら撒いたのも、捜査の撹乱と自分の真の目的を悟られないようにするためだった――!」

「御名答」摘出者は短く答え、そこで歩みを止めた。足元には、自分の殺した黒服の骸が転がっている。

「どうやら貴様等には、能力を使わずして勝つのは難しい様だ――」

 月宮は死体の襟首を掴み軽々と持ち上げ、その頭部をがっしりと鷲掴みにした。

「見せてやろう――是こそ私が〝摘出者〟と呼ばれる所以だ!!」

 摘出者はまるで何かを引っぺがすかのように、手の平を勢いよく死体の頭から引き離す。

 ずるり。何かを引きずり出すような音。そして――

 脳髄。

 その手には引き剥がされたかのように脳髄がついて来た。

 そう――摘出者はSPの頭部から脳髄を〝摘出〟したのだ。死体の頭にはやはり傷一つ付いていなかった。

 奴は手に吸い付くように取り出したそれを、まるでゴミでも扱うかのように無造作に放り捨てた。

「な……どうやって!?」

 僕は吐き気を堪えながら叫んだ。

「簡単な事――!」

 月宮が走り出した。――迅い。

 疾走の最中さなか、月宮は落ちていたSPの警棒を拾い上げ、投げ付けてくる。警棒は僕の構えていたリボルバーの銃身に当たり、その衝撃で銃口が大きく下方にブレた。僕は慌てて銃を向け直そうとするが、敵は既に眼前に迫っている。下から跳ね上がるリボルバー銃を、月宮が掌で掴んで止める。そしてもう一方の手が頭部へと伸びてきた。

 僕は先ほど見た、あの光景を思い出す。摘出された、脳髄。

 ――駄目だ、殺される。

「カインっ……!!」

 先輩が僕の名を叫んだのが聞こえた。僕はそれに応じてさっと頭を下げた。頭上をもの凄いスピードで白刃が通り過ぎていくのを感じる。相手は伸ばしかけた腕を引っ込めると、バックステップで先輩の刀から逃れた。

 間一髪。助かった。だが安堵している場合ではない。敵は後ろに跳んでいる最中――空中で身動きの取れない今がチャンスだ。

 僕は素早く照準を敵に合わせ、トリガーを引いた――――

「カチッ!」

 不発――いや、弾切れか……? 否、そんなはずはない。戦闘中、残弾数は常に覚えている。回転弾倉にはまだ三発の弾丸が残っていたはずなのだ。

「探し物は――これか?」

 摘出者が不敵に笑った。奴が握っていた手を開くと、そこから三つの弾丸がこぼれ落ちた。

「い、いつの間に……ッ!!」

 あのわずかな接触、刹那の時間で弾倉を開き、そこから弾を抜き出すなど、到底不可能だ。そんな事が出来るとすれば、それは神業以外の何物でもない。

「何、至極単純な事だ。私の持つ力はたったの二言で説明が附く」と月宮。

「〈〉――たった其れだけだ。たった其れだけの異能、是こそが私の能力――」

 月宮は癖なのか、また中指でずれた眼鏡を押し上げた。

「――“Surgical Skillサージカル・スキル”だ」

 なるほど、能力を応用して取り出していたのではなく、「取り出すこと」自体が能力なわけだ。確かにシンプルだが、このような能力は異能者の中でも珍しい。

「言うに事欠いて〝外科技術〟かよ。おめえのそれは、人を救うのには使えないようだがな、殺人狂め――」

 先輩が唾でも吐き掛けたそうな顔で呟くと、摘出者は少し悲しそうな笑みで首を振った。

「私は本来、医者になりたかった。学生の頃は、其の為の勉学にも励んだ。だが、凰明流の師である我が祖父は其れを望まなかったのだ。厳格な武道家だった祖父は、幼い私が泣こうが喚こうが、容赦なく私を鍛え続けた程だ。武術家以外の道歩ませる気など、毛頭無かったのだろう。そして口を開けば『御神体を取り戻せ』とまるで呪詛のように繰り返した。そんな風に育って気が付けば、何時しか私も其れが行動原理となっていた……。いや――」

 違うな、と摘出者は続けた。その間に僕はスイングアウトさせた弾倉から、エジェクターロッドを叩いて空の薬莢を排出し、スピードローダーによる弾の装填を済ませる。

「――そんな物は建前か。貴様の言う通りだ居合使い。大勢の人間を殺して来て私は漸く気が付いた。私はこう謂う事がつくづく好きなのだとな……。そう、私は――」

「――殺人狂だ!!」叫びながら摘出者が嬉々として飛び出した。

 僕はポケットに手を突っ込んで、中にある物を一つ掴んだ。鴨志田さんから渡された炸裂弾だ。

 敵に悟られないようポケットの中で安全キャップを外し、三つ並んだうちの一番下のボタンを押す。あの兵器マニアなお爺さんの言うことが正しければ、炸裂弾は三秒後に爆発を起こすはずだ。

 ――一秒経過。

 弾丸を二発、相手に向かって撃ち込んだ。素早い動きで左右に跳んで躱された。そこへ先輩が勢いよく斬り込み、月宮は空中で身体を回転させながら斬撃を避ける。

 ――二秒経過。

 僕が続けて背後から撃った弾を、先輩がギリギリまで引きつけて躱す。

 先輩の躰によって軌道を隠されていた弾丸は、死角から飛び出し、避ける暇を与えずに摘出者の二の腕に着弾した。

 ほんの寸毫の間だが、敵の動きが止まる。その隙に僕は月宮めがけて駆け込んだ。体重を乗せたサイドキックで思い切り腹を蹴とばす。相手はもろに喰らって、後方へと吹っ飛んだ。

 ――三秒……!

「今だ……!!」

 僕はポケットから取り出した炸裂弾を、親指で弾いて投げ付けた!

 月宮は本能的にまずいと判断したのか、空中で身体をよじって身を躱そうとする。

 だが間に合わない。小さなカプセルが爆竹のような音とともに、盛大に爆ぜた。

「うぉ……くっ!!」

 着地した月宮は、苦痛の表情で脇腹を押えていた。純白のコートがズタズタに裂かれ、黒く焦げ付いている。今ので、肋の何本かは逝ったはずだ。

 月宮は手を当てたまま自分の脇腹をさすると、そこから肋骨の一部だった欠片を自らの能力で〈摘出〉した。――折れた肋が肺に突き刺さるのを防ぐためだろうが、相当無茶な行為だ。

 さらに〝摘出者〟は自分の襟に付けていたリボンタイをするりと外し、それを慣れた手つきで二の腕に強く巻き付ける。そうやって止血の準備を済ませてから、銃創部に手を当てて、中に残っていた弾丸も、異能を使って取り除く。

 ――なるほど、あんな風にも使えるのか。僕は思わず感心してしまった。単純だが応用の効く、なかなか便利な能力ではある。

 炸裂弾は敵に致命傷を与えるには至らなかった。だが、意表を衝いて使うには充分過ぎる効果だ。何よりあれ以上威力が高かったら、至近距離では僕達まで巻き込まれてしまう。

「鴨のおっさんの秘密道具も、意外と役に立つもんだな!」

 先輩がにやりと一笑し、僕の前に飛び出す。廊下を蹴り、うずくまる敵に向かって駆け込んだ。五メートルほどまで接近したところで、先輩は勢いよく上に跳びあがる。

 道が空いた。僕はすかさず狙いを付け、月宮を狙撃する。一発、二発、三発、そして弾丸の装填。相手は弾道を見切り、体捌きでそれを躱す。そこへ先輩が頭上からの奇襲攻撃。刀は唐竹に振り下ろされる。

 摘出者は横に転がって斬撃から逃れた。着地した王先輩は、近くに落ちてあった鞘を素早く拾った。その鉄拵えの鞘と抜き身の刀との二刀流で、激しく攻め立てる。僕も援護するべく、闘う二人の元へ駆け寄った。

 刺突、横薙ぎ、左切上――鞘と刀はそれぞれ自在に動き、摘出者に襲いかかる。

 回転しながらの二連袈裟斬り打ち。左右の手に持った刀と鞘が、時間差で斜め上から振り下ろされる。月宮は一撃目、刀での斬撃を右手で押し退けるようにして軌道を逸らし、鞘での二撃目を左腕上段受けで防いだ。常人なら骨の粉々に砕ける威力だが、流石に鍛え方が並ではない。眉ひとつ動かさなかった上、どうやら前腕骨も無事なようだ。

 先輩は防がれた鞘を、相手に掴まれる前に引き戻した。そのまましゃがみながら反転し、相手の足首の辺りを鞘で打ち据えようとする。跳びあがって避ける月宮。黒塗りの鞘は弧を描きながら空を切った。そこへ再び、右手に持った刀が時間差で繰り出される。

 敵は空中――逃げ場はない。遠心力の上乗せされた斜め切上。だが先輩の腕は振り上げられる直前に、敵の蹴りによって止められてしまった。挙動も小さく低打点の飛び後ろ廻し蹴り、どちらかというとローリングソバットにも近い動きだ。蹴りは手首の腱のあたりに決まり、握る力の入らなくなった先輩の手から刀が弾き飛ばされた。

「先輩!!」

 僕は勢いを付けて走り込み、飛び後ろ廻し突き蹴りを仕掛けた。月宮は十字に組んだ腕で僕の蹴りを受け、その膂力で数十センチだけ後ろに下がる。

 さらに反撃の隙を与えぬよう、体術と銃撃で至近距離から攻め立てる。右肘打ち、左鈎突き、右膝蹴り、肩を用いた靠法(体当たり)で相手のバランスを崩す。そこへ跳び上がっての左右の足での二段蹴り、着地後に発砲、すぐさま右足での前蹴り、更に左右での拳打と銃撃、そこから後ろ廻し蹴り――。

 だが、僕の一連のコンビネーションはことごとく防がれ躱され、月宮にダメージを与える事は適わなかった。

 そこからは相手の反撃だ。左のミドル。鋭い。僕が防御しようと腕を出すと、その蹴りは不自然に弧を描くように軌道を曲げ、前蹴りへと変化した。――三日月蹴りだ。革靴の硬いつま先が、肝臓レバーに深くのめり込んだ。

 思わず前のめりになったところへ、顔面めがけての縦拳での直突き。慌てて右手で捌く。やばい。さっきの蹴りのせいで吐きそうだ。その間も摘出者の攻撃は容赦なく続く。

 柔術で怖いのはサブミッション――つまりは関節技だとばかり思っていたが、敵はどうやら立ち技での打撃もかなり使えるようだった。柔道や柔術にも古くから当身技はあるそうだが、恐らくはそれに大陸の拳法を取り入れた動きだろうか。テンポのいい拳打や蹴撃が矢継ぎ早に襲いかかる。

 押され気味のところ、王先輩が横から加勢に入り――弾丸、白刃、拳足、三者入り乱れての乱戦だ。

「(やられっぱなしで堪るかっ……!)」

 相手の足下を狙っての水面蹴りを仕掛ける。転ばせてしまえば、二人掛かりでどうにか取り押さえられるかもしれない――。しかしその思惑もむなしく、月宮は軽くジャンプして水面蹴りを躱した。僕はそのまま回転しながら立ち上がり、敵から見えないように死角で左手に持ち替えた拳銃を、奇襲的に突き付けた。

 上手くいったと思ったが、敵の反応も尋常ではない。月宮はリボルバーの銃口が自分の急所に向けられる前に、それを掴んで封じてしまった。その瞬間、敵の手と、引き鉄に掛けられていた僕の人差し指が触れ合い、激痛が走る――。

 僕の手を掴んでいる月宮の手を、王先輩が腕ごと叩き斬ろうとする。だが一瞬早く相手の手は引っ込められた。僕は自分の指を見て「くそっ」と毒づいた。僕を守ろうとしてくれた先輩の文字通りの「助太刀」も、どうやら間に合わなかったようである。

 やられた――「骨法」だ。以前先輩から、昔のサムライは鍔迫り合いの最中などに相手の指の骨を折ったり、関節を外したりする技術をよく使っていた、と聞いたことがある。今の籠手を装備した「剣道」では使われなくなり廃れてしまったであろういにしえの技だ。

 人差し指は脱臼し、明後日の方向を向いて折れ曲がっていた。どうやら折られてはいないようだが、これではとても使い物にはならない。僕はすぐさま、投げるように銃を右手に持ち替えた。

「繋げられては厄介だからな。悪いが貰っておいたぞ――」

 摘出者は無表情でそう云うと、こちらに何かを投げてよこした。白い物体。避けるに越したことはないだろうが、僕はつい反射で掴み取ってしまった。

 手の平を開け、その物体を凝視する。これは恐らく――骨だ。指の骨。

「貴様の左手人差し指の指骨――その第二関節より上の中節骨・末節骨を取り除いた。引き鉄を引くのには勿論の事、もはや拳打にも使えまい」

 骨法など序の口――あまりに洗練された体術に目を奪われ、真実ほんとうに恐ろしいのは奴の異能だということを、すっかり失念していた。僕は焦った。それはそうだろう、何せ外傷もない状態で骨だけを「取り除かれた」などというのは、生まれてこの方、初めての経験だったからだ。

「ぼやっとするな!」

 先輩がそう叫び、僕と敵の間に割り込んできた。勢いにまかせ刀を振り下ろすが、月宮は上体を反らして刃から逃れた。

「そんなもん、こっから生きて帰れたら、後で沙帆ちゃんに頭下げてでも治してもらえ!!」

 ――全くその通りだ。僕は先輩の言葉で己を取り戻した。それに激痛にさえ耐えられれば、何とか戦えないこともない。僕と王先輩は一旦敵から距離を取った。

 だが、間合いが空いた、その時を待っていたとばかりに月宮が指で何かを弾き飛ばしてきた。僕と先輩の動体視力は、飛んでくる「それ」を確かに捉えた。見覚えのあるカプセル状の物体――鴨志田さん謹製の小型炸裂弾だ!!

「先輩、まずいです!!」僕達は急いで飛び退いた。

 一体いつの間にポケットから抜き取ったのか。――いや、そんなスリのような真似をしている時間は、先ほどの攻防の中には無かったはずだ。ならば、おそらく僕のコートに軽く触れた時に能力を発動し、「ポケットの中」から炸裂弾を〈摘出〉したのだろう。全く、油断の隙もない能力だ。

 多分、月宮は炸裂弾の使い方が詳しくは分からなかったのだろうか、ボタンを押してからすぐに投げたに違いない。それゆえに、投げられてから床に落ち、尚且つ僕達二人が爆発の圏内に巻き込まれない位置まで逃げるには充分過ぎる時間があった。

 先輩と僕の二人は敵との距離をさらに空け、階段のある横道へと逃げ込んだ。曲がり角が盾になって、炸裂弾の破片や爆風を防ぐ。

「ふぅ……」

 先輩は冷や汗を拭い、忌々しそうに握りこぶしで壁をドンと叩いた。

「くっそ! 次から次へと、まるで手品師みたいな野郎だ!」

「……先輩、奴は〝中の物を取り出す〟と言っていましたが、それって例えばボディに掌底喰らったりしたら内臓とかも引きずり出されるってことですかね?」

 先輩は少し考える仕草をした。

「……いや、それは無いだろう。考えてみろ。人間の躰ってのは口から肛門までひとつなぎ、複雑にくねった一本のチューブみたいなもんだ。言ってみりゃ、まあチクワだな。つまりな、胃とか腸とか中内臓の中は表皮とつながった、謂わば人間の〝表面〟なんだよ。そんなもんは〝中に入ってる〟とは言えねえだろ?

 たとえ胴体に触れられたとしても奴に出来るのはつまり、胃の中の内容物を取り出すとか――それくらいのはずなんじゃねえか? 多分」

 仕事の度にゲェゲェ吐いてるお前にはちょうどいいかもな――と先輩が最後に付け加えた。余計なお世話だ。

 僕は戦闘中に気付いた事を頭の中で整理してみた。

 まず能力の発動条件は「中身」の入った「容れ物」にあたる部位・物品を「掴む」もしくは「触れる」ということ。

 最初にSPの脳髄を取り出した時は、僅かながら時間がかかっていたが、弾丸や骨を取り出した時は一瞬だった。どうやら〈摘出〉する物の大きさによっては多少のタイムラグが発生するらしい。

 また、〈摘出〉する対象物に対し「掴む」という行為を要することから、恐らく取り出せる物体も手の平で掴める程度の大きさ――人間の頭大くらい――までが限度なのではないかと思われる。

 つまり、手での攻撃――特に骨を狙って掴み掛かる技や、心臓や脾臓、腎臓などへの攻撃に注意すれば、即戦闘不能級のダメージを喰らうことはそうそうないはずだ。

 そして僕が〝摘出者〟と戦ったうえで分かったことは、奴の戦術が異能頼りの一撃必殺ではなく、むしろ「強力な異能の存在に相手の意識を誘導させておき、優れた体術で攻める」のがメインであるということだ。もちろん、そうやって得意の肉弾戦で相手の体力を削っておけば、最後に異能で楽に仕留めることもできる――という狙いもあるのだろう。

「ならば……」

 あえて近接格闘に持ち込み、奴ご自慢の異能を使う隙を与えてやれば――いける。

「――先輩、説明してる時間はありません。奴の能力を封じる策を仕掛けるので、少しの間時間稼ぎをお願いします!」

 急な提案だったが、先輩は怪訝な顔すらせずに、逆に不敵な笑みさえ浮かべてみせた。

「へいへい、ひと口乗ってやるとするか……!」

 僕のいう「策」に対しては一言の質問も返さずに、再び廊下へと飛び出していく先輩。普段はぼろかすに言ってくる癖に、結局はそれなりに信頼してくれているのだ。その期待を裏切るわけにはいかない。

 僕はいつものようにスピードローダーをそのまま使うことはせず、コートの内ポケットに入れておいたバラの実包を使って、リボルバーの薬室に弾を補充し始めた。その間は、先輩一人で何とか敵を喰い止めてもらう。

 刀には一撃の破壊力、そして素手では敵わないリーチがある。その利点を利用し、こちらからは深く踏み込まずに、鋭い刺突の連撃などで一定の距離を保つ。また、刺突による「点」の動きに相手の目が慣れた頃、大きく袈裟懸けや胴薙ぎを繰り出せば意表を衝くこともできる。その大振りであえて作った隙には、敵を上手く誘い込み、切り返しで迎撃する――。

 王先輩の試合巧者な連続攻撃に、流石の月宮も今一歩踏み込んでは来られないようだ。だが、正確に見切りをつけ斬撃を避け続ける月宮にも、なかなかダメージを与えられない。せいぜい衣服を切るか、かすり傷を付ける程度だ。

「無刀を以て有刀を制す。是、我ら徒手空拳を用いて闘う武術家に於いては基本中の基本」

 相手は余裕の表情だ。

「言いやがる……! だったら制してみやがれっ!」

 先輩はカッとなり相手の脳天めがけて刀を振り落とした。それを最小限の動きで横にすっと躱す月宮。そこから刀は敵を追うかのように切っ先を返し、今度は「燕返し」のごとく下から真上に振り上げられる。だが、先輩が逆風さかかぜに斬り上げた刀は、柄のあたりを掴んで止められてしまった。

 月宮はもう一方の手で刀の峰を掴み、そして柄に添えていた手を放すと、その手から何か小さな物体を放り捨てた。木片のような物。どうやらそれは刀の「目釘」のようだった。刀身を柄に固定する際に使う部品だ。

 〝摘出者〟の異能によって目釘を失った刀身が、彼の手によって柄から引き抜かれる。それを手の内でくるんと回すと、月宮は刃になっていないなかごの部分を逆手に掴み、容赦なく先輩の肩に突き刺した。

「ぐっ……をぉおお!!」先輩は叫んだ。痛みのあまり後ろによろける。そこへ今度は茎尻なかごじりへの肘鉄が加えられた。刀身はより深く先輩の身体に喰い込む。先輩が尻餅をついて壁にぶち当たったところへ、ダメ押しの蹴りが飛んできた。これも茎尻にだ。貫通した刀は背後の壁に深く突き刺さり、王先輩を磔にした。

「良い様だな、居合使い。――そろそろ、死ね」

 摘出者はそう云って、先輩の頭部へと手を伸ばす――――それは、僕がようやく準備を済ませたのとほぼ同時だった。

 狙いを定め、撃つ。月宮は自分のこめかみに向かって飛んできた弾を、咄嗟に低くかがんで躱した。完全な奇襲だったのに――流石に勘も良い。

「ふん、五月蠅い奴だ」

 壁に突き刺さったまま動けない先輩を無視して、摘出者は僕の方に向き直った。

 この距離だと、何発撃っても避けられる。僕はあらん限りの力で走り込み、一気に間合いを詰めた。

 敵の三メートルほど手前で壁に足を掛け、そのまま壁面を駆け抜ける。

飛檐走壁ひたんそうへきか!!」

 月宮は感心したように叫んだ。

 飛檐走壁――大陸の拳法、少林寺に伝わるという軽身功けいしんこうの一つだ。高い壁を駆け上がるようによじ登ったり、垂直の壁を走ったりできる技らしい。確か、以前先輩から聞いたことがあった。無論僕は拳法の修行はしたことはないので、これは必死に鍛えた身体能力の賜である。

 数歩走ったところで壁を強く蹴り、側方宙返りをうった。空中で重力に身を任せつつ、敵の脳天に向かって発砲する。相手は白いコートを翻し、舞うように回転して弾丸を躱した。

 弾丸は残り四発――いや、か。そしてタイムリミットはあと三十秒といったところだ。ここからは常に先を読みつつ、詰将棋のように一手たりとも間違えられない緊迫した攻防になるはずだ。

 着地後、すぐさま床に手をつきカポエイラのような後ろ廻し蹴りを放った。相手はダッキングでそれを避ける。僕は蹴りの勢いで上体を起こしつつ、その勢いに乗ってラリアートのように乱暴なフックを繰り出す。月宮は両腕で僕の渾身の一撃を受け止めた。

 腕を掴まれないよう、素早く引っ込める。再びその左で、脇腹にショベルフック――のような掌底を打ち込んでやった(人差し指がイカレているから、握り拳を作ることが出来ないのだ)。これは奇麗に入った。

 相手がダメージを受けている隙に右手に持った拳銃を額に突き付けてやろうとするも、腕をくぐるようにして回避された。それと同時に僕の空いた右脇腹に、中高一本拳(中指をくの字に折り曲げ立てた状態で殴る、空手などでよく使われる拳技)が突き刺さる。肋がやられた。多分折れている。しかも力が一点に集中されている分、かなり痛い。

 確かに痛いが、今は正直それどころではない。敵は前屈みになって懐にもぐり込んできたところだ――その頭部めがけて、右肘を打ち落とす。月宮は素早く横に回り込んで避け、膝の裏に強烈な右下段蹴りを叩きつけてきた。膝カックンの要領で思わず片膝をついたところに、今度は間髪入れずに顔面への左中段蹴りが飛んでくる。両手で押し止めた。素早く立ち上がり応戦する。

 銃を持った右手での回し裏拳。ブロックされる。反転しての中段後ろ回し蹴り。これも受けられた。――あと、もう少しだ。

 ミドルレンジから付かず離れずの距離で、一進一退の攻防を続ける。相手に掴まれる可能性のある、非常に危険な距離だ。僕は「その瞬間」まで敵に能力発動の隙を与えぬよう、細心の注意を払う。月宮は相変わらず余裕の表情を崩さない。

「拳銃は離れて撃ってこそ最も効力を発揮する兵器だろう。こうやって銃口より内側に潜り込んでしまえば、もはや恐るるに足らず。尤も離れて撃った処で、真直ぐにしか飛ばん代物だ。私にとって躱す事など造作も無いがな。そして――」

 ――よし、ここだ。

 僕は正面から迫ってきたハイキックを左手で受け止め、銃口を相手に向ける――。

 だが、それすらも読んでいたかのように、引き鉄を引く暇もなく、月宮の右手は素早く銃身を掴まえた。

「そして――、弾が無ければ撃つ事も出来まい」

 〝摘出者〟が勝ち誇った顔で云う。

 僕はわずかな違和感も見逃さぬよう、銃を持った右手に全神経を集中させていた。拳銃の重さが少しだけ軽くなる。そう、――弾倉の中の弾を〈摘出〉されたのだ。

 僕は急いで後方へ跳んだ。

 次の瞬間、爆裂音と共に〝摘出者〟の右手が――弾ける!

 指や肉片が、辺りに飛び散った。月宮の手首から先は跡形もなく吹き飛ばされたようだ。失われた右手――その傷口からは砕けた骨や断裂した筋繊維が覗き、血が噴き出していた。月宮は傷口を押さえて呻いている。

 僕は飛び退きながら既に弾丸のリロードを済ませていた。冷静に標準を定めて、敵の両足に全弾を撃ち尽くした。これで完全に相手の戦力は削いだ。だが、油断は出来ない。すぐさま薬莢を排出し、再び弾丸の交換を済ませる。僕は、もはや立つ事も出来ずに壁にもたれ掛る摘出者に銃口を向けつつ、王先輩の方に歩み寄った。

「先輩……大丈夫ですか?」

 視線は決して敵から外さず、注意も逸らさない。

 僕は先輩の肩に突き刺さった刃を、力の入りにくい左手で壁から引き抜いた。大量出血が恐いので、躰には刺さったままにしておく。先輩は歯を喰いしばって痛みに耐えている。

「貴様……まさか……」月宮がこちらを向いて、呻いた。

「成程、文字通りとんでもない物を〝掴まされた〟と謂う訳だ――」

 〝摘出者〟はこの期に及んでまだ笑っていた。だがその笑みにはどことなく諦観が漂っている。先輩が息を荒げながら言った。

「カインてめえ、弾倉の中に鴨のオッサンの炸裂弾を仕込みやがったな……それも起動済みの、カウントダウン中のやつを……ッ!」

 うまいタイミングで弾と一緒に取り出させるのは一か八かでしたけどね――と僕は力なく笑ってそれに答えた。

「シュレディンガーの時といい、無茶ばかりしやがる……」

 下手したら弾倉で暴発してお前が死んでたぞ――先輩はそう言って僕のこめかみに軽くゲンコツを喰らわせた。

 ――そう、僕はリボルバー銃の回転弾倉の中に、起爆タイマーを一分に設定した小型炸裂弾を隠していたのだ。罠を気取られず、怪しまれない程度に数回は発砲できるよう、順番にも考慮して――。

 月宮ほどの使い手を相手取り、不審に思われないほど自然な攻防の最中、時間ギリギリのタイミングで弾丸と炸裂弾を〈――――本当に危険な賭けだった。

 そうして弾倉から〈摘出〉された炸裂弾は、一緒に取り出された拳銃弾――その薬莢に含まれていた火薬との相乗効果で威力を増し、見事摘出者の右手を粉々に吹き飛ばした――というわけだ。

「その様じゃあもう戦えねえよな、月宮瀧彦。大人しく投降しろ」

 先輩がふらついたので、僕が肩を貸した。そのまま摘出者――月宮瀧彦のもとへと歩み寄る。だが、相手は這うことがやっとといった状態にもかかわらず、全く戦意喪失していなかった。

「私に近寄るな――! 貴様等体制の手に堕ちる位なら、誇りに殉じて死を選ぶ!!」

 月宮は撃たれた脚に精一杯力を込め、壁に手をついたままよろよろと立ち上がる。鬼気迫る表情からは、尋常ではない殺気と怒気が伝わってくる。一体この状態で何が出来るというのか……。

「何か妙な事しそうだったら、その時は容赦なく撃て」先輩が耳元で囁くように言った。僕は銃口を敵に向けながら無言で頷く。

 だが次の瞬間には、そんな事は出来ないのだと悟った。そう、この匂いは――。

「駄目です、先輩……撃てません!」

「な、何言って――!」そこで先輩もはっと気が付いたようだ。

「くはは、漸く気付いたか? そうだ、丁度此処。此処の壁の中にはな、給湯室に向けてのガス管が通っている。侵入の為、あれだけ念入りに調べたのだ、このビルの見取り図は完全に頭の中に入っている……!」

 月宮は自分のもたれ掛っていた壁をコツコツと叩いた。

 まさか、壁の中に埋め込まれた配管の、そのまた中を通るガスを〈摘出〉したというのか……? 確かに辺り一面はガスの匂いで充満している。この状態で発砲すれば、ガス爆発は必至だ。

 戦闘中に発動していた相手の能力を見る限り、物体の中の中、しかも「気体」まで取り出せるような能力だったとは到底思えない。――となれば、おそらく死の危険に瀕して能力が格段に成長した――ということか。キャパシティを越えた肉体的・精神的負荷の影響、もしくは極限まで追い詰められた際の生存本能の高ぶり。そういった要因が異能者の能力に関係して進化を促すのは、まま起こり得ることらしい。ならばこれは、こうなる前に止めを刺せなかった、僕の落ち度である。

「ふん……撃っていれば貴様等も道連れに出来たのにな……」

 月宮は残念そうに首を振ると、自分のコートのポケットから鴨志田さんの小型炸裂弾を取り出した。

「な、てめえッ! まだ持ってやがったのか!!」

「――逃げたければ逃げろ。私は此処で死ぬ」

 この距離からではもう、どうにもならない。僕と先輩は踵を返して猛烈に走り出した。エレベーターは使えない。階段から降りなくてはならないだろう。

「御神体をせめて一目だけでも拝めなかったのが、残念だ――。しかし、そのお蔭で……全てを捧げ会得した人殺しの技を、思う存分遣う事も出来た……。概ね、未練も後悔も無い……」

 〝摘出者〟の呟く声がする。

 僕は、最後にもう一度だけ月宮の方を振り返った。

 手に持つ炸裂弾、そのセーフティロックの役割を果たすキャップはもう外されている。

 純白のコートに身を包んだその男は、僕と目を合わせると、にやりと目尻を下げ、口角をだらしなく吊り上げた。

「貴様達は、これからもずっと、こんな事を続けていくのだろうな――」

 それは、満足の笑顔でもなく、勝ち誇りの高笑いでもなく、負け惜しみの嘲笑でもなかった。ただ顔面に貼り付いたような、厭らしい笑み――。

 それが、僕がこのビルの中で見た、最後の光景。


 ――摘出者は嗤う。





 僕が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。

 ご丁寧にも、隣に寝かされていたのは王先輩だった――らしい。ベッドの上にネームプレートが掛けられていた。備え付けのデジタル時計に表示された年月日を見ると、ぼんやりした頭で少し時間が掛かったが、あれから二日が経っていることが分かった。

 ちょうど僕が起きたのは、先輩が売店から缶コーヒーを買ってきた帰りだったようだ。あの怪我でもう動けるのだから、本当にバケモノである。聞くと先輩は僕より一日も早く意識を取り戻したらしく、むくりと起き上った僕に対して開口一番、「ずいぶん寝てたな、モヤシっ子」と憎まれ口を叩いてきた。

「俺は元来デリケートな質なんですよ。不死身の王さんと比べられちゃ堪りません」

 躰のあちこちが痛む。どうやら相当やられているらしい。

 先輩も、包帯だらけの自分の身体を眺めまわしてから、「ま、命あっての物種だわな」と頭を掻いた。

 どうやら僕達は階段を飛び降り、そこからさらに階下に向かって転がり落ちる最中、爆風と瓦礫で深刻なダメージを受けたらしかった。幸いビルが頑丈に作られていたため、大規模な崩落などはなく、気絶していたところを救助隊に助け出されたのだそうだ。特に先輩は刀が肩に貫通していたこともあり、結構危ない状態だったと聞かされた。

「沙帆ちゃんは今、別件の出動中で忙しいんだと。帰ってきたらすぐ治してくれるって話だが……。あのオッサン……あ、いや『部長』が言ってたぜ」

 僕が二日間も昏睡状態だった間、「部長」が一度お見舞いに来てくれたらしい。ちなみに先輩の奥さんも何度かいらしてくれたそうで、意識不明ゆえ仕方なかったとはいえ、挨拶できなかったのが申し訳なく感じる。他、特警隊員の面々は、隊長や他のメンバー達は皆事後処理や別件で忙しかったため、来ることができたのは管理職である「部長」だけだったそうだ。

 先輩は僕のベッドまで歩いて来て、よっこらせと腰を掛けた。僕はおもむろに口を開ける。出てきたのは問いかけだった。

「奴は――――どうなりましたか?」

 嗤って消えていった――摘出者。

 あの、「笑み」と呼ぶべきなのかどうかも分からない、最期の表情――。

 どんな日常を過ごして来れば、人間にあんな顔ができるのだろう。

「死んだよ……当然だろうが」先輩は缶のプルタブを開けて、中の液体を一口だけ流し込んだ。

「やりきれませんね……」

「何がだ?」

 僕は少しだけ、いや――かなり語気を荒げていたと思う。

「だってそうでしょう! 犯人は、月宮は、何の改心もせずにさっさと逝ってしまった! SPや警備員達だって眼前でみすみす殺され、その挙げ句俺達が守ったのは汚くて腹黒い財界のお偉いさん一人ですよ? これじゃあどっちが勝ったのか分ったもんじゃない! 納得いきませんよ!!」

「馬鹿野郎!!」

 王先輩は、僕の三倍くらい大きな声で怒鳴った。そして胸ぐらを掴んで、無理矢理に引き起こしてきた。

「納得だと? お前今まで……――今までオレ達が関わってきた中で、只の一度でも納得のいくヤマがあったかのかよ」

 僕は先輩の顔から眼を逸らすことが出来なかった。

「オレ達のしてる事は、どっちが勝つとか負けるとか、そんな簡単なことじゃねえだろうが。勝ちとか負けとか、正義と悪とか、白と黒とか……そんな単純な二元論で物事を片付けようとするんじゃねえよ」

「す、すみません……」

 先輩は掴んでいた僕の服を離した。思い出したかのようにあちこちの傷口が痛んだ。

「いや、オレの方こそすまなかったな――」先輩が静かに詫びて、再び僕に背を向ける。

「極論すりゃ、一番良いのはオレらみたいな仕事が必要とされないぐらい平和な世界……ってことだろ? まあ、実際ありえねえだろうし、もし『部長』あたりに聞かれたら、酷い理想論だって叱られそうだがな。

 戦争と同じさ。こんなこと始めちまった時点でどっちも負けてんだよ。オレ達も、犯罪者も、両方な――」

 そんな……じゃあ僕達がやっていることは一体何だと言うのか。あの死に物狂いで鍛えた日々は何の為だったのか……。結局は「誰かがやらなくてはいけないから」やっているだけなのだろうか?

 そんな僕の心の中を察したかのように、先輩は言った。

「前に一度だけ、オレに教えてくれたじゃないか。お前が特警に入った一番の理由は何だった?」

 僕は今まで何度も心の中で誓い、繰り返してきた言葉を再び口にした。

「――俺みたいに異能者の犯罪で家族を失ったり不幸になったりする人を、一人でも減らしかったから……」

「だろ? それでいいんだよ、きっとな。裁くのも反省させるのも、多分オレらの仕事じゃねえよ。そんなのおこがましいじゃねえか」

 先輩は外に出て風に当たってくると言って、立ち上がった。果たしてちゃんと、病院側からの外出許可は出ているのだろうか――若干心配ではある。

 先輩はドアを開けたところで立ち止まり、もう一度振り向いた。

「なあカイン、怪我が治ったらオレんちでパァっとやろうぜ。嫁さんもきっと、お前が来てくれたら喜ぶしな。もちろん沙帆ちゃんも呼んでよ」

「はい。ありがとうございます」

 何だかさっきより随分と気分が楽になったような気がする。王先輩が廊下に出ると、やはり「また勝手に出歩いて云々」といった看護師さんの怒った声が聞こえてきた。どうやら思ったとおり、まだ絶対安静の真っ最中だったようだ。

 僕は情けない声で謝る先輩の声を聞いて、いつもは豪快な王さんがへこへこと頭を下げる姿を想像してしまった。不覚にも、くすりと笑ってしまう。


 そして窓の外に目を移して、薄ら嗤いを浮かべながら消えていった一人の男の事を思い浮かべる。

 記憶に焼き付いたあの空虚な笑みと、窓ガラスに映っていた僕の間抜けな笑い顔が、ふと、重なった――。


 ――あいつもかつては、こんな風に笑ったことがあったのだろうか。




 (―摘出者は嗤う― 完)

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