『百鬼夜行』【伍】






 カインが呼び出された現場は、広い公園だった。敷地内には雑木林や竹林、蓮の浮いた池、子供用にアスレチックの一角も設えられている――。

 事件により、園内はすでに一般人の立ち入り禁止となっていた。

 そんな中へと足を踏み入れたカインの目に、一番に飛び込んできた光景――それはたっぷりと血を吸った芝生の上に、無造作に転がっている死体ホトケの群れだった。その中に、小さな女の子の物言わぬむくろを見つけ、カインはほとんど反射的に、胃の中の物を全て吐き出した。

 灯された外灯の下で、その子の胸には、ぽっかりと野球ボール大の穴が開いていた。傍らに母親と思われる女性の亡骸も横たわっており、頭部には同じように大きな穴が穿たれていた。

 ――ここで異能者集団による無差別な殺戮と、櫓坂隊長との乱戦が行われたことは確からしい。

 膝に手を突いて、ぜぇぜぇと気道をひくつかせているカインの顔を、明満が心配そうに覗き込んだ。

「……大丈夫ですか?」

「ええ……すみません。死体が、どうしても、苦手で……慣れることが、ありません……」

 特に、小さい子供や、家族のものは――。

 ずっと昔のトラウマ――幼くして殺された弟や、両親のことが、彼の脳裏をよぎる――。

 カインの額には大量の汗。顔色も悪く、息も荒い。

 一緒に現場に駆け付けていた王は、「やれやれ、またかよ」といった顔で頭を抱えていた。

 明満が、そっとカインの肩に手を置く。

「貴方が恥じることも、他人ひとから責められることも、ありませんよ。間違っていない。そう思いたいです……人間としても、刑事としても。そんなことは、慣れてしまうほうが、よほど悲しいことだと思いませんか……」

 老刑事はそれだけで、あえてカインの過去に触れるようなこともしなかった。代わりに、親子の死体のほうに目をやって、致命傷となった穿孔をまじまじと観察する。

「間違いなく、『くりぬき魔』の仕業です。しかも、他の死体を見る限り、どうやら複数の異能者がこの場にいたことは明らか――」

 この親子だけではない――――老刑事は、目も当てられないほど凄惨な殺戮現場と化した公園を見渡した。現在、ほとんどの死体が検死のため安置所に運ばれた後で、残っている大方の死体にもビニールシートがかぶせられていた。そのどれもが、尋常でない殺され方――見る者皆が皆、己の目を疑いたくなるような殺され方をしたものばかり。

 とんでもない力で全身をひねり潰された者。

 肺の中まで水で満たされて死んでいた者。

 首を切り取られた者。

 もずの早贄はやにえのように高い木の枝に突き刺された幼児――。

「……〝人間〟は、絶対に、このような殺され方をしてはならないのです……。怪異によって尋常ならざる殺され方をした者は、その時点で既に、命と意思を持った人間という形を取り除かれ、妖邪の餌食――単なる怪談の一部として、物語に組み込まれてしまう。そして人口に膾炙するうちに、それ自体がいつの間にか、恐怖と嫌悪、憐憫の対象に成り果ててしまいます。もはや一人のパーソンとしての尊厳を、存在と意義を、意味を失ってしまうのです……」

 明満は、苦しそうに、悔しそうに、枯れた声を絞り出した。

「だからこそ、私は憎い――化け物のふりをして、ヒトをこんなふうに殺せる、化け物まがいの人間たちが……とても、悲しいのです。彼らは今や、ヒトにも、バケモノにも、なりそこなってしまった……。そのどちらでも、なくなってしまったのです……」

 今さら、現代の人間が、どんなに人外じみて振る舞おうとも、けして、妖怪にはなれない。それなのに、彼らはヒトであろうとすることも、忘れてしまった。

「何者でもない――か」と、王。

「……けれど、捕まえてやれば、少なくとも『犯罪者』っていうレッテルだけは貼ってやれる。不気味な怪談もどきや、妖怪のなりそこないみてぇな奴らも、化けの皮を剥がれて、どこにも存在できなくなる。いるのは手錠を掛けられた、ただの猟奇殺人者だ。罰を受けて償って、後悔して後悔して、自分のやってしまったことを本当に自覚すれば、いつかは気付く、思い出す――――自分も被害者も、ただの人間だったことに。そっから先がたぶん、本当の贖罪ですよ。

 ……それだけがきっと、オレ達にできる唯一の供養と、妖怪退治――ミチハルさんらしく言うなら、〝憑き物落とし〟ってヤツになるんじゃあないんですかね」

「ええ……そうです……そのとおりですね……」

 明満は目をつぶって、ゆっくりと頷く。

 二人の会話を黙って聞いていたカインも、ぐっと体を起こして、汚れている口元をぬぐった。

「……とにかく、今まで京で起こった異能犯罪は単独犯がほとんどでしたけど、今回は複数の異能者が同じ場所に現れての犯行です。これはもう、『百鬼夜行事件』の犯人たちが一本の糸で繋がっていると考えてもいいんじゃないでしょうか……」

 カインがそう言うと、王も「ああ」と頷いた。

「それが果して、一本に見せかけた結び目だらけの紐なのか、絡まり合ってひと塊の糸くずに見えてるだけなのか、もしくはクモの巣状に網でも張ってやがるのか……まだ分からねえけどな。だが、何にせよ『点』と『点』を繋いでこその、『線』だ。必ずどっかに、『始点』は存在する……」

 せめてもっと早くに、仮定としてでも敵を『組織』として捉えておく視点を持とうとしなかったことを、『百鬼夜行事件』捜査本部の刑事たちは悔やんでいた。

「櫓坂隊長も、まさかこんな事態になろうとは、予想だにしていなかったでしょう。その油断を衝かれてしまったわけです……」

 明満の言うように、櫓坂はどうやら、異能者に襲われた一般人からの通報を受け急行したこの公園で、敵の集団に待ち伏せされ、襲撃を受けたらしかった。

 ちょうど捜査本部に待機していた彼の班が最も現場から近かったうえ、一刻を争う事態だったので、櫓坂が先陣を切り現場に突入、そして旧皇都支部戦闘員が五名ばかり、一足遅れて緊急出動した。その結果、隊長を除き全員が死亡、そして櫓坂自身も重傷を受けて昏睡状態という憂き目にあったのだった。

 カインたちも、支部の医療室に運ばれた櫓坂の状態を見たが、全身に急所をさけて大小さまざまな〝穴〟を開けられ、弄ばれた形跡があった。他にも、金属製のベアリング弾を撃ち込まれた跡、両膝を砕かれ殴る蹴るの暴行を受けた箇所が見受けられ、もし鍛え抜かれた拳法家の躰でなければ、生きているのが不思議なほどの重傷だった。

 捜査本部を仕切っていた隊長が意識不明の集中治療室送りとなったため、捜査指揮権は非常事態における緊急措置として、芒山に移された。同じ隊長格であり、首都圏の本庁属支部で場数を踏んでいる芒山が選ばれたのは、妥当な判断だろう。そして芒山が警邏班から抜けたことと、敵異能者が徒党を組んでいるという危険性を鑑みて、チームの再編成が行われた。

 まず支部に集められた捜査B班は、エリゼ・菅原・スティフナズ兄妹の四人組、そして明満・王・カインの三人組に別れた。現在は死体の回収作業に対する警備と現場調査のため、明満たち三人が、事件のあった公園に出向いてきたところだった。

「しかし、解せねぇ――」と王が呟く。「櫓坂隊長は、あれほどまでに功夫クンフーを高めた、中国武術の達人だ……ぽっと出の異能者が数で押してどうにかなるほどヤワな使い手じゃない。そのうえ、あの〝インフェルノ〟の典獄(看守長)まで務め上げた傑物だぜ? 驚天動地の能力者だって腐るほど見てきただろうし、異能への傾向と対策に関しては、オレらなんかよりよほど専門家だ。それを倒してあまつさえいたぶる余裕があるだけの敵となると、相当腕の立つヤツか、よほど強烈な能力じゃねえと……」

 王は、自ら手合わせした櫓坂の腕を、さらには国内最高峰の異能監獄――〝インフェルノ〟の恐ろしさを片鱗とはいえ知っているからこそ、疑問に思った。そして、それは道場で二人の手合わせを見ていたカインにしても、全くの同意見だった。


 ――それから約二時間。

 カインらが、最後の死体が現場から運び出されるのを見届けた時点で、時計はすでに深夜の二時を指していた。

 丑三つ時ウシミツドキ――魔性が蠢くにはうってつけの時間帯。

 街灯の明かりもとっくの前に消えており、辺りは真っ暗だ。静まり返った深夜の公園に取り残されたように三人ぼっちになってしまった明満班は、とりあえず、本日の捜査をここで切り上げることにした。

「こうも暗くちゃ、自分の足元だってろくに見えやしない。また明るくなってから――」

 王がそう言いかけたとき、明満が「しっ」と唇に指を当てた。

「どうしました?」とカイン。

「二人とも、静かに……」

 耳を澄ませる明満。カインと王も同じように神経を研ぎ澄まして、周囲の様子を窺う。すると、どこからともなく音が聞こえてくる――。


「かち……」「かち……」「かちっ……」


 石どうしを打ち合わせるようなその音は、三人のほうに向かってどんどん近づいてきているようだった。

「あれを……」

 明満が指差した先を見てみると、球体のような物が、三つばかり浮かんでいた。絡まり合うように尾を引きながら浮遊する三つの物体――「ガチッ……! ガチッ……!」段々強くなってくる謎の音は、どうもそれらの浮遊体が鳴らしているらしい。

「っ……!! あれは――」

 暗闇に慣れてきたカインの目は、しっかりとその物体を認識した。


 ――生首が、三つ。

 苦悶の表情で血の涙を流しなら、歯を、ガチガチと噛み鳴らしている。


「〝舞首まいくび〟……」

 明満が、ぼそりと妖怪の名を口にした。

 

「へぇ。警察にも物知りがいるものだ――」

 夜を漂う生首どもの向こう側から、何者かの声が聞こえてくる。特警刑事三人の前に、暗闇から一人の男が歩み出してきた。

 つま先まで隠れる厚手のロングコートを着込んだ、不気味な男。

 カインがコートの下のホルスターから銃を抜いた。

「ここは警察関係者以外立ち入り禁止のはずですが――どうやらあなたは、別の意味での〝関係者〟らしいですね」

 銃を出されても、ロングコートの男は臆すどころか、気持ちの悪い薄笑いを浮かべている。

「ああ、そうさ――『首狩り』っていえば今、京じゃちょっとした有名人だろ? 僕のことさ」

 男は、三つ巴を画く軌道でくるくると飛び回っている生首を、うっとり見つめている。

 カインは嫌悪感を隠せずに、顔を歪めた。

「――じゃあ、その首はひょっとして……」

 おそらく三つの“舞首”は、『首狩り事件』被害者の成れの果てに違いない。

「――で、その有名人さんが、わざわざ捕まりにきたってわけか。御苦労なこった」

 王が抜刀のために鯉口を切ったのを見て、相手は愉快そうに笑った。 

「うはは! けど、本当に刀を使うんだぁ! いいなぁ、それ。あんたが死んだらその刀、僕が代りに使ってやるよ」

 男は、懐からぼろぼろに刃の欠けた鉈を取り出した。血のシミがこびり付いているのを見るに、犯行時、首を切り落とすのに使っているもののようだ。

「……お断りだ。お前みたいなヤツの手に渡ったら、名刀が泣く」

 王は吐き捨てるように言った。

「ふうん。ま、ここに張ってればまた、トクシュ警察だっけ? あんたらみたいな連中が来てるんじゃないかと思ってね、監視してたってわけさ。とは言っても、どうもあんたら、まともな格好じゃないから警察かどうかも疑わしいところだけど……」

 ――確かに、明満はともかく、王とカインの黒いロングコート姿は、刑事らしい服装とは言えないかもしれない。

「自首や出頭をしに来たようには見えませんが、私たちに何か用事でも……?」

 明満が一歩前に出る。

 ――事実、男は殺気満々といった様子である。大人しく捕まる気は毛頭ないようだ。

「えぇー、決まってるでしょ? とりあえず――」

 男は指揮者のように人差し指を上にあげて、それを勢いよく明満らに向けた。


「―――― 死 ん ど い て よ !!」


 合図とともに、一斉に生首たちが襲い掛かった。目で追うのがやっというスピードで、大口を開けながら飛びかかって来る。

 明満はその強力な顎に、肩を強く噛み付かれ、「うぅっ」と唸った。

 王が刀を抜いて、噛み付きを受け止める。哀れな被害者の首は、刀身に喰らい付き、ガチガチと激しく音を立てる。

「首だけだってのに、すげえ力だ――!!」

 明満と王の二人は、【舞首】たちの強い勢いに負け、その場に押しとどめられてしまっている。この状況の中、カインはさっと前に出た。相手に接近して、一気に勝負を決める気だ。

 しかし、簡単に接近を許すほど、敵も間抜けではなかった。

 カインの喉元を狙って、牙を剥いて飛んでくる生首。咄嗟に銃を持っている方の腕でガードしてしまう。喰いちぎられてしまうのではないかというほど、歯が深くまで喰い込んできて、カインは思わず足を止めてしまった。生首はさらに、噛み付いた腕をねじり上げるようにカインの背後に回り込む。カインの躰はうつ伏せに倒れ、地面に押さえつけられた。

「ふはっ! 僕の能力、どうやらあんたらみたいな戦闘のプロにも通用するみたいだなぁ!」

 首狩り男は、己の異能に苦戦する特殊刑事たちの姿を見て、いたくご機嫌の様子だった。

「自分で刈り取った首――それも思い入れのあるものしか操れないんだけど、そのぶん、僕の命令には強く忠実に応えてくれる!! ……ほらッ、見てよこれェ!!」

 男が露出狂のように両手でコートを広げると、その内側には、彼が今までに狩ってきた「」が、

「野郎、……狂気の沙汰だ!!」――王が力いっぱいに罵倒した。

 コートうちに取り付けられた幾つものフックに刺さって、まるで肉屋の商品のようにぶら下がっている。それらは、無惨にも、首から上だけになってしまった被害者たち――。

 首狩り男は、コレクションを自慢する子供のように、満足気な表情を浮かべていた。

「うふふ。子供の頃から人形やおもちゃの首をはさみでちょんぎっては、奇麗に並べて遊んでたっけなぁ……よくそれで母さんに怒られたもんだよ。そのうち人形だけじゃ我慢できなくなってさ、犬猫で遊びだしたら――なぜか精神病院に入院させられちゃったけどね。どうしてだろうなぁ、ねぇ? 僕はさ、ムダを削ぎ落としてるだけなんだ。だってほら、首だけになると生き物は、こんなにも、おとなしくて可愛いんだよ……?」

 彼の、『切断された首』という人体パーツに対する妄執――もとい一種の憧れのようなものが、異能として発露した例だろうか。念動力や、物体操作系の異能は、能力者本人が強い思い入れを持っているモノに対してこそ強力に働く場合が多い。

 故に、彼の場合、〈自らが殺した相手の生首を自在に操作する〉という――悪趣味極まりない能力が成形されたわけだ。

「まさか、それだけのために、理由も無く人を殺していたのか……?」

 地に這いつくばりながらも睨みつけてくるカインを見下ろしながら、男は不思議そうに両手を広げた。

「おいおい、僕は悪くないさ。〝思い入れ〟と言ってもねェ僕の場合、『好意』とか『気に入った』とか、そういうのじゃないんだ。僕は自分が〝恨み〟をもっている相手の首しか動かせない。だから、こんな目に遭うような真似を僕にしてきた、こいつらが悪いんだ」

「恨み……?」

 カインが、上から圧し掛かってくる生首の力に抵抗しながら、起き上がろうとする。

「そう、恨み。

 こっちの女はレジで釣銭を投げてよこしてきたむかつく店員。

 となりの可愛い子は、単に幸せそうに歩いててムカついたから、攫って殺した。

 それから、こいつは道端でそっちからぶつかってきたのに舌打ちしてきたクソガキ。

 あと、人前でイチャつくバカップルと、雨の日に泥水をはねてきた運転手と、僕が通るだけでやたら吠えてくるクソ犬の飼い主――他にもみんな殺されても文句の言えないクズ野郎ばかりだ」

 男が楽しそうに「な、そうだろ?」と自分のコレクションに問いかけると、コートに引っ掛けられた生首たちはまるで返事をするようにカタカタカタと歯を鳴らした。

 男は大声で、転げるように笑った。


「クズはお前だ――救えない」


 いつの間にか、カインは立ち上がっていた。ねじ上げられた腕を無理矢理戻し、ぞっとするほど冷たい殺気のこもった眼で、首狩り男を睨んでいる。

「な、ん――」

 何だと、と言おうとしたのだろう。カインはそれを無視して、腕に喰らいついている生首を思いきり街灯のポールに叩きつけた。

「パキャッ」と音がして、哀れな被害者の頭部は粉々に砕け散った。


「覚悟は出来ているか――?」


 カインはリボルバーから残弾を排出、スピードローダーを使って、弾丸の種類をストッピングパワーの高いホローポイント弾に交換する。素早く撃鉄を起こし、敵に向かって走り込んだ。

「ひっ……!」

 怯んだ敵のコートから、新たに一体の舞首が飛び出す。さらに、急接近してくるカインに対抗するため、明満と王を拘束していた二体の首も、慌てて呼び戻した。

「(どうやら一度に操れるのは、三体までが限界みたいだな――)」

 カインが、襲いかかってきた首を、力いっぱいの蹴りで叩き落とした。

 これはもう、被害者ですらない――死体から切り離され、敵に使役されるだけの道具だ――そう割り切ることができたら、どんなに楽だろうか。

 カインは血が出るほど強く、歯を噛みしめる。彼は――怒っていた。

 男に向けて二発の銃弾を撃ち込む。

 相手は残った二つの首を操り盾にし、その弾丸を防御する。だが、これもカインの想定内だった。

 ホローポイント弾は、弾頭が凹んだ形をしている。この構造は、貫通力よりもむしろ人体破壊に重きを置いて設計されているためだ。着弾時、歪に変形した弾頭が、生首の頭蓋骨内部で炸裂。血と脳漿が弾け飛んで、首狩り男の視界を塞いだ。

「み、見え――」

 目に入った血を拭きとって、再びカインの姿を探そうとしたとき、すでに刑事は目の前にいた。

 まだ生首のスペアはたくさん残っているが、この至近距離でそれらを操っている暇はない。後ろに退こうとしても、重さ5キロから7キロはある人間の首をいくつもぶら下げているコートを着込んでいた男に、素早い動きをとることなど、不可能だった。

「くそがぁっ!」

 首狩り男は、もはや悪あがきにしかならない、手に持った鉈を振り抜いた。

 斬撃を、深くしゃがみ込んで躱したカイン。彼はリボルバーを持った手を真上に突き伸ばし、男のあご下に銃口を突き付けた。

「ふざけっ――」

 男の最期の叫びを掻き消すように、銃声が響く。

 敵は往生際悪く、次の斬撃を繰り出そうと鉈を振りかぶっていた最中だった。炸薬によって上顎から上がほとんど吹き飛ばされ、有無を言わさぬ威力で生命活動は停止させられる。もはや生前の顔の判別もつかない。


 カインは返り血を引っ被りながら、黙って首狩り男の死体を見下ろしていた。

「――おいカイン、お前、大丈夫か……?」

 王が心配して声をかける。コンビを組んで二年以上になる彼でさえも、これほどまでに深く冷たい怒りを露わにする相棒を見たのは、初めてのことだった。

「はい……」

「……やらなきゃ、お前がやられてた。それに相手は凶悪な連続殺人犯だ。他にどうしようもねえよ」

 王がそう言っても、カインはぼおっとした様子で、返り血を拭こうともしない。そこに明満がやって来て、カインの肩に手を置いた。

「――『絵本百物語 桃山人夜話』において『舞首』とは、恨みの炎を吐きながら海の上を飛び回る、三つの生首の怪。その正体とは、お互い恨み合い、壮絶に斬り結び、首を刎ね合って死んだ、三人の武士だったと記されています。そうして転がって海に落ちた彼らの生首が、死後も怨嗟の念を撒き散らし、罵り合い喰らい合い、妖怪となってまでも、海辺を彷徨い続けているのだと云うのです――」

 ……ですが、と明満は続ける。

「首を失ったこの男自身が〝舞首〟になることはもうないでしょうし、何より、本物の〝舞首〟と違って、この男の怨恨は、絡み合うことのない一方通行。本人が消えることで、その邪気に囚われていた被害者の方々の魂も、きっと、無事解放されることと思います――」

 ――その言葉を聞いた途端、カインの中で、すぅ、と何かが洗い流されたような感じがした。息も詰まりそうだった気分が、少しだけ楽になる。彼は、穏やかな老刑事の顔を、不思議そうに見つめた。

「驚くことはありません。言葉を用いて憑き物を落とすのも、陰陽師の仕事ですから――」

 そう言って、自称陰陽師の老人は「さ、返り血を拭いて下さい――」と、ハンカチを差し出した。

「ありがとう……ございます――」

 カインがそれを受け取った、その時だった――。


「――お祭りの会場は、ここかしら?」

「――なんだ? 【舞首】のやつ、やられちまったみてえだな」

「――無様なもんだ」

「――お次はオレたちの出番ってワケ!」

「――こいつらが特警? 思ったより脆そうな連中だな……」


 暗がりから、植え込みから、樹の蔭から、遊具の裏から――ぞろぞろ、ぞろぞろと湧いてくる。

 いつの間に現れたのか、不審者の群れに周囲を取り囲まれていた。

 その数、三十や四十では到底収まらず。中には、鉄パイプやナイフなど、思い思いの武装をしている者もいる――。


「まさか、こいつら全員――――」

 カインのその予想は、的中する。

 〝百鬼夜行〟――妖怪たちの時間が、始まった。







 倒しても倒しても、キリがない――――。

 カインと王、そして明満の三人は、群がる異能者たちに立ち向かい、次々と仕留めていく。

 刑事らにとって唯一救いなのは、敵が驚くほど弱いことだろうか。

 戦闘能力、異能行使の熟練度、打たれ強さ――どれをとってもレベルの低い異能者しかいない。

 これまで幾度も強敵との戦いを経験してきたカインと王からすれば、拍子抜けしてしまうような相手ばかりで、まるで変身ヒーローになぎ倒される下っ端戦闘員軍団のようなものだった。


「ふぅぅぅ――――」

 敵の男が何やら集中力を高めていると、王の周囲で、「ピシッ」「バキッ」とラップ音が鳴り響いた。

 小石が宙に浮き、ヒビが入ったかと思うと粉々に弾け飛ぶ。

 【家鳴やなり】――軽いものを浮かせたり、物体に亀裂を与えたりすることができる念動力。その力で砕け散った小石の破片が、散弾銃のように王を襲う。

 刀で小石の散弾を防御しながら、高速で相手に肉薄する王。

 窮した【家鳴り】が、公園に設置されている鉄網のゴミ箱を、念動力で投げつけてくる。王は冷静に、後ろ廻し突き蹴りを返した。蹴り返されたゴミ箱は、それを投げてよこしてきた念動力使い本人に直撃する。その隙に敵念動力者の死角に滑り込む王。峰打ちで首筋を打って気絶させた。


 一方、明満老人は、狼人間のような姿をした異形の男と対峙している。異能者の全身は獣のような体毛に覆われ、剥き出しの鋭利な牙と爪が光る。

「さしずめ、〝犬神憑き〟といったところですか――」

 狼男が鋭い爪で引き裂こうとしてきたのを、明満は両手甲で挟むように、すいと受け流した。そのまま毛深い手首を掴んでぐんっと回し、敵の有り余る力を利用しながら、転身と入り身を併用。斜向かいで背中合わせになるよう、敵の側面に回る。

 為されるがまま【犬神憑き】の腕がねじ上がり、頭の横で肘を折り畳まれるように下後方に引っ張られたかと思うと、次の瞬間には、剛毛で覆われた後頭部が地面に打ちつけられていた。

 ――相手の体軸を崩して投げを喰らわせる、合気道の『四方投げ』が見事に決まった瞬間だ。【犬神憑き】は気を失って、白目をむいている。


 その傍らで、カインも次から次へと襲い掛かってくる敵にリボルバーの弾丸を撃ち込み、応戦していた。致命傷を与えないように急所を外し、相手を無力化していく。

 ――しかし、ここで少し意外なことが起こった。戦闘経験の浅そうな敵勢が、カインの戦い方に素早く対応してきたのだ。

 遠距離戦に対応できない能力と思われる異能者勢は一斉に後ろに下がり、その中から、背の低い痩せた男と、筋肉質で獣じみた男の二人組が前に出る。

 筋肉質のほうが、まるで猛獣のような雄叫びを上げた。その咆哮にともなって衝撃波が発生する。

 カインはビリビリと衝撃波を全身に受け、一瞬、身動きがとれなくなる。そこを、痩せた男が両手から繰り出した〝風圧の刃〟が襲う。

 カインは脇腹とふくらはぎの二箇所に、軽度の切り傷を負った。大した傷ではない。狙いも不正確なうえ出血も少ないことから、威力も精度もさほど高くないものと思われた。

 【人虎じんこ】――咆哮により衝撃波を発生させる能力者と、【鎌鼬かまいたち】――名の通り、手足を動かして繰り出す鎌風かまかぜによって攻撃する能力者。

 彼らはカインと一定の距離を保ったまま、間合いを詰めようとはしない――遠距離攻撃の繰り返しで、少しずつ消耗戦に持ち込むつもりのようだ。

 カインはまず、【人虎】の側面に素早く回り込み、銃口を向けた。衝撃波によって動きを封じられない限り、【鎌鼬】の能力は脅威ではないと判断したからだ。

 横から狙いを定め、敵の下顎を破壊するように撃ち抜く。これでもう、獣じみた大声を出すことはできない。

 【人虎】は負傷した顎部を両手で押さえ、痛みに悶えながらうずくまる。完全に戦闘意欲を失ったようだ。

「チッ……!」

 【鎌鼬】が焦って斬撃を飛ばしてくるが、腕を振る動きをしっかり観察していれば、その軌道は至極読みやすく、躱すことなど造作も無い。習熟度も低く、まだ止まっている相手にしか当てられないような能力だからこそ、対象の動きを封じる能力者と組んでいたのだろう。

 カインは地面を左右に蹴って移動しながら、風の刃を回避する。

 敵はさらなる攻撃を繰り出すために両腕を構えようとしたが、カインは落ち着いて照準を合わせ、二発の弾丸を撃ち込む。

 【鎌鼬】は両肩の付け根に銃撃を喰らい、後ろに倒れ込んだ。

「(これで遠距離攻撃系の異能者は片付いた――)」

 弾切れのため、カインが弾倉から空薬莢を落とし、装填作業を行おうとする。

 しかし、今度はまるでその機会を見計らっていたかのように、タイミングよく複数の異能者が飛び掛かってくる。そのせいでカインはリボルバーの弾丸を補充することができなかった。

「(まただ……この素早い反応と統率!!)」

 まさかこの場にいる敵全員が、カインの銃の残弾を正確に数えていて、しかも無言のうちの意思疎通を行い、リロードのタイミングを狙った奇襲を実行したというのだろうか? 訓練された兵隊が相手ならともかく、せいぜい愚連隊レベルのこの異能者たちに限って、そのようなことは考えにくい――。

 カインは瞬時に状況判断を重ねながら、己を取り囲む異能者たちを観察しつつ戦闘続行する。

「(ひょっとして、敵サイドには司令塔のような役割を果たす能力者がいる――?)」

 無論、そうやって思考展開している間にも、異能者たちは待ってくれない。

 【周防すおうの大蝦蟇ガマ】――その異能は、発汗機能の増強と体温調節。蒸発した大量の汗が虹のように光を乱反射し、その姿を眩ます。彼が手に振りかざしているのは、鉄パイプの先端を竹やりのように切り落として尖らせた、お手製の鉄槍だ。

 敵がカエルを思わせる大跳躍で一直線に飛び掛かってくるのを、カインは待ち構えていたかのようなフルスイングの上段回し蹴りで薙ぎ倒す。大蝦蟇はあっけなく地面にひっくり返った。

 後ろから、もう一人の敵が迫る。

 異能者、【金槌坊かなづちぼう】――その男は、何もない手の平から、奇抜な形と装飾をした金槌を出現させた。

 彼が異能によって呼び出したそれは、己の内の臆病さや恐怖心に形を与えて、具現化した物。まるで杭を打ち込むように、そういった感情を他人に押し付けてしまいたいという、本人の精神性の表れ――。これで殴られた相手は漠然とした「恐怖心」を植え付けられ、幾度も殴打を重ねればそれは増幅し、ついには正気を失い恐慌パニック状態にまで追い込まれる。

 その異形の鎚を、【金槌坊】はもりもりと膨れ上がった上腕筋の力でカインの頭に振り下ろそうとしてきたが、王が間に割り込み、刀で受け止めた。【金槌坊】を突き放すついでに、近くにいた小太りの異能者を柄打ちで気絶させる。

 今倒された男は【肉人にくじん】――自らのカロリーを消費して他人の「一番望んでいる身体機能」をひとつだけ、格段に引き上げてやる能力を持っている。……のだが、本人自身には適用できないため、直接戦闘ではただの一般人と変わりない。実際、大蝦蟇男の脚力や【金槌坊】の腕力を強化していたのもこの男の異能なのだが、何の異能者かも知られないまま、王に片付けられてしまった。

 颯爽と後輩を助けに入った先輩刑事は、ぴしっと正眼に構え直した刀身で、異能者たちを牽制する。

「さっさとリロードを済ませな、もやしっ子」

 背中合わせになりながら、王がからかうようにほくそ笑む。

「援護感謝します――と言っておきますね、とりあえず」

 カインはむっとしながらスピードローダーを取り出した。そして、すぅと息を吸い、

「――先輩! 明満さん! 敵の中におそらく、テレパシー系の能力を使う異能者がいます! そいつが司令塔の役割を担って、この人数を統率しているに違いありません――!!」

 声を張り上げ、わざと敵にも聞こえるように叫んだ。

 その言葉に、異能者の群れは大いに動揺した。カインはそこを見逃さなかった。

「(あそこか――!!)」

 カインが一気に走り込む。

 敵どうしの目配せや動きを見れば、指揮官役の居場所はすぐに分かった。

 戦闘に巻き込まれず、尚且つこちらの動向も見晴らし良く窺える、絶妙な位置。そして、一人の人物を守っているような不自然な陣形の偏り――。

 立ちはだかる人の壁を躱し、飛び越え、突き飛ばし、カインはそこに到着した。

「ふえっ!?」

 目を点にして間抜けな声を出したその異能者は、抵抗する暇もなくカインの銃底で殴り倒された。

 【やまびこ】――自分を中心に半径五十メートル以内、己と複数の他者(ただし、お互い面識のある人間に限る)との間で一斉に思考メッセージを交換できる通信能力。それだけでなく、利用者どうし、数字や名前などであらかじめ設定しておいた「回線コード」を使用すれば、自らを中継とし他者から他者への連絡を転送することも可能。テレパシーポストとでも呼ぶべきこの力は、まさに情報伝達係にうってつけの能力だっただろう。

 しかし、戦闘経験の浅い敵勢には、せっかくの能力も充分に活かすことが出来なかった。これで、カインらは敵ネットワークの中心を叩けたということになる。

 異形の者たちは、緊張した面持ちで、じりじりと詰め寄って来る。すでにかなりの数を倒しているはずだが、一向に減っている気がしない。 


「――これじゃまるで、百鬼夜行だ……」

 底なしの悪夢のように湧いてくる敵の群れに、王は疲労と困惑を隠せない様子で呟いた。


「ようやく半分といったところですかね。いくらやっつけてもキリがないですよ――」

 カインもそれに応えて、感想を述べた。敵に隙を見せないよう、余裕をかましてはいるが、そろそろ息が上がってきてもおかしくはない頃だ。


「――お二方は、今起こっているこの異常事態についてどう思われますか?」

 明満は、組み合っていた敵異能者を、柔道の払い腰で地べたに寝かしつけてから、いつも通りのおっとりとした口調で問いかける。


「――どうもこうも、こいつら、オレ達が今まで闘ってきた異能者連中に比べたら段違いに弱えですよ。戦い慣れしてないうえ、能力だって大したことない奴がほとんどだ」

「――同感ですね。戦闘に関してもそうですけど、何より能力自体にも使い慣れていないような印象を受けます。おそらくは、つい最近異能に目醒めたばかりなんじゃないでしょうかね」

「――なるほど鋭い考察です。覚醒したばかりの異能者ほど、全能感にとらわれて安易に犯罪に走る傾向がありますからねぇ。また、彼らが徒党を組んでいることも、それらの犯罪衝動を増長させるのに一役買っているのでしょう……。しかし――」

 老刑事が見透かすような細い目で、敵対者の群れを一瞥する。

 異能者たちの間で、一斉に怯むような、微かなどよめきが起こった。

「もとより所詮は烏合の衆――しかもカイン君がたった今、敵側の司令塔を叩いてくれたおかげで、連中の統率が乱れてきました。あとは総崩れを待つだけです」

 明満の言う通り、ひとり、またひとりと、あっという間に減っていく味方の数に、異能者連中は恐れをなし始めている。

 しかし――そうは言うものの、カインにとっては、この者たちを全員倒したところで、到底『事件』が終わるようには思えなかった。

 いくら脅威になる能力が少なく、レベルも低いと言っても、これだけの人数全員が異能者であり、徒党を組んで暴徒と化しているという事実。そして、ある程度には統率がとられ、仲間意識も多少は持ち合わせているらしい。

 去年の暮れに起こされた事件――『十字背負う者達の結社』の例を見れば、彼らの教団の場合、少数の強力な異能者によって大多数の無能力者の構成員が率いられているらしいが、この『百鬼夜行』どもは、それとも違う。下手をすれば、これまで特警組織が培ってきた異能犯罪に対する認識や概念を、根底から覆すような事件にもなりうる――。

「(やはり、暇田コンサルと繋がった暴力団組織が、後ろで糸を引いているのか――?)」

 その可能性は十分にある。しかし、それだけではどうしても「説明できないこと」があった。

 カインは、そのことについて、ある一つの恐ろしい仮説を立てないではいられなかった。


「(いや、まさか――そんな事があるわけがない――――)」

 とにかく、余計な考え事は後だ――。

 今は目の前の敵を倒すことが先決。どんな異能者が相手でも、決してその力を侮ることはできないのだ。油断をしていると、いつ足下を掬われてもおかしくない。


 カインは、邪魔な思考を頭から追い出し、目の前の百鬼夜行に向けてリボルバーを構え直した。







 深夜、二時半――

 薄暗いホテルの一室で、革張りのソファーに腰掛けながら足を組み、酒の入ったロックグラスを傾けているのは、《株式会社・暇田コンサルタント》の社長でもあり、裏社会では広域指定暴力団《荒塵会》の若頭と傘下組織《暇田組》の組長を兼任する男――暇田 麗司。

 そしてソファーの後ろには、彼の秘書である権田と若槻が無言で控えていた。


「で。今まさに【牛蒡種ゴンボダネ】の野郎が『試作分隊』を率いて刑事デカどもに襲い掛かってるワケか」


 彼は今、秘密裡の会合を行っていた。MTGミーティングの相手は、仲間でもあり、ビジネスパートナーでもある二人組――【目目連もくもくれん】と【天狗礫てんぐつぶて】だ。

「あなたは、上手くいくと思う……?」

 女性の異能者、【天狗礫】が問いかける。部屋の内部は照明を落としていたため、陰になってしまって、彼女の顔はよく見えない。

「ああ? ダメだろ――あいつのアクションプランには問題がある。タスクを全うできるだけの能力も持ち合わせちゃあいねえ。MECEミッシーが分かってねえからフレームワークも組めねえし、リソースを有効活用する脳ミソも手腕も無い。そんな奴に、戦略的成功を期待するほうが土台ムリって話だぜ? まあ、分隊運用のテストプレイ、相手の力を量るための当て馬としては、充分に利用価値はあるだろうがな――」

 暇田が馬鹿にしたように笑う。

「……しかしまあ、同行させてた【ヌエ】までパクられちまったのは、計算外だったぜ。ヤツには『試作分隊』の補佐と計画進行の監視、兼アホどもの目付役を任せてあった。あれで一応、うちのエース級戦力だったんだ。我が社としても、相当の痛手だ」

 そう言って、うんざりした様子で溜め息を吐き出す。

「リスクマネジメントは重要だって、〝シラサワさん〟にも何度も言ってるんだが――あの人は分かってんだろうかねぇ、そこんとこ。本来なら【牛蒡種】みてえな野郎はアサインされるべきじゃねえ。即行リリースされて然るべきだ。もしアイツがパクられてゲロっちまったら、俺達のことまでサツに知られっちまうかもしれねえんだぞ?」

「その心配は、ない――」

 ぼそりと呟くように答えたのは【目目連】のほうだった。長身でゆらゆらと不気味に動くその男に、権田と若槻はおろか、暇田さえも何か、異質なものを感じないではいられなかった。

 同じ異能者でも、こいつはどこか、次元が違う――と。

「まあ、そっちがそう言うなら、問題は無いんだろうが……何せ、アンタらにはアンタらの〝コアコンピタンス(強み・優位性)〟がある。しかも、とびきりの優秀ときたもんだ。アライアンスを組むなら、やはり有用性と将来性のある相手でなきゃ話にならんからな。俺らがキャズムを越え、オポチュニティをモノにするには、この提携によるシナジーが必須。大いに期待させてもらってるぜ」

 そう言って、乾杯するようにグラスを掲げる暇田。

 そのキザな仕草と、専門用語だらけの弁舌に、【天狗礫】は呆れ気味だった。

「あなたと話してると、いっつも疲れるわ。それに横文字ばかり使ってると、逆に頭悪く見えるわよ?」

「なにィ? これでも一応有名大学出てんだぞ? バカにしてんのかコラ、あん?」

「――そんなことより、明日の件について、だ……」

 【目目連】のほうは不要な会話に加わる気は無いようで、暇田や秘書の二人にも全く興味を示さない。

「おお。スキームは立ててあるし、コンセンサスも万全だ。表向きは、安生あんじょう組との秘密取引ってことになってるが、ちゃんと遠くから覗ける場所をとってあるぜ。ウチの組の構成員が、警察にその情報をタレコミする手筈も、ちゃんと整ってる。時間的にはサツのイヌが盗聴器仕掛ける余裕もあるが、その点は俺の能力で対処できるから問題ない。もちろん、計画アジェンタ、分隊の編成と訓練もパラで進めてるから安心しな」

「ふーん。やるじゃない」

 【天狗礫】は感心したように言う。

「当り前だ。プランニングとオペレーションは得意分野だからな。アンタらも、俺に言われた通りに動いてくれればいい。明日のヤマは、おそらくこのプロジェクトにおいてのマイルストーンになる。シラサワさんのご希望に添えるよう、恙無つつがなく進めていこうじゃねえか――」

 【火間虫入道】――暇田麗司は、長い舌を垂らしながら邪悪に嗤う。

 【目目連】と【天狗礫】の二人は、お互い顔を見合せ、無言で頷いた。

「――じゃ、話も済んだから、私たちはこれで失礼するわ」

 部屋を出ようとする二人を、暇田が呼び止める。

「なんだ、もう帰っちまうのか? ここはどうだ、プロジェクト成功の前祝いってことで、同じステークホルダー(利害関係者)どうし、一杯やってかねえか?」

 ウィスキーの瓶を手に持って、勧めるように差し出す。

「……遠慮しておくわ。あなたとお酒を飲んでも、美味しくなさそうだから」

 彼女は振り返らずにそれだけ言うと、「さ、行くわよ」と【目目連】をあごで促し、さっさと部屋を出ていってしまった。

 黙ってその後をついて行く【目目連】。彼は薄暗い廊下に出ると、肩越しに暇田らを睨み付けるように一瞥をくれてから、後ろ手で勢いよくドアを閉め、彼らの視線をシャットアウトした。


「フン。【天狗礫】――いけ好かねえクソアマだぜ。黙ってりゃいい女なんだがな。【目目連】の根暗野郎も、クソ気味悪りいったらありゃしねえ――」

 閉まった後のドアを見つめながら、暇田は軽く舌打ちした。


「なあ、権田、若槻――」暇田が二人の部下に語りかける。

 日頃、暇田からは【畢方】【雷獣】というコードネームで呼ばれている彼らは、久しぶりに本名で呼ばれ、軽く驚いたように顔を見合わせる。

「正直どうだ? この案件ハナシはよ。利点があるからこそ長年組んではいるが、シラサワの野郎はいつだって何考えてんのか分かんねえし、それにさっきの新入り二人――目玉野郎とツブテ女にしても、もし、いざというときになったら、俺らの手に負えるような相手に思えるか……?」

 いつになく弱気な顔を見せる社長を前に、忠実な秘書の二人も困惑する。

「そんな、暇田さんらしくもない――もっと自信を持って下さいよ」

「俺は社長みたいに頭が良くありませんから、よく分かりませんが……とにかく社長の決めて下さったことに従うまでです」

 暇田は「はーあ」と投げ遣りな溜め息をついた。

「今さら後には引けねえか――」

 そして、ソファーの後ろにいる権田と若槻を振り返る。

「――今日は俺の奢りだ。久しぶりに一杯付き合えや」


「社長命令なら仕方ないですね」

「よろこんで」

 二人の秘書は、微かに頬を緩めた。


 ――暇田は必要とあれば、どんなに親しい者であっても、それを自分のために利用することを一切厭わない。たとえそれが、下積み時代からの付き合いであるこの二人であっても、例外ではなかった。屁とも思わず捨て駒にできる自信がある。

 競争相手は何が何でも蹴落とす主義だが、従順な飼い犬になってくれる相手ならば、目障りにならない限り、そばに置いておくほうがいくらか得もあるだろう――という程度の扱いだ。

 だが、【目目連】と【天狗礫】は違う――。絶対に手懐けることなど出来ない。【牛蒡種】のような思慮浅い不良少年ならともかく、あの二人をカネやクスリでなびかせることは不可能だ。

「(それに比べてコイツらは、分かりやすいぶんだけ可愛げもあるってもんだ――)」

 暇田はそんなことを思いながら、権田と若槻のグラスに酒を注ぐ。


「三日後の〝パーティー〟にゃ、酒も料理も出ねえからな――今のうちにたらふく飲んでおけ」


 ――――三人はいびつに口の端を歪めて、乾杯した。






(【陸】へ続く――)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る