『百鬼夜行』【参】



「……ほう、ミチハルさんでっか」

 カインの対戦相手に名乗りを上げたのは、明満道晴老人その人だった。

 老人は胴着の襟を正しながら、ゆっくりと立ち上がる。旧皇都支部訓練道場に集められた隊員たちも皆、その様子を驚き半分、心配半分の顔で見守っていた。

 櫓坂は、覇気も闘気も感じさせない明満を少し不安そうに見ていたが(なにせ自分よりも二回り以上も歳を取ったロートルなのだから仕方ない)、さすがに「ダメだ」とは言えないのだろう。

「まあ、あまり無茶しゃはりませんよう、お願いしますよ」と気遣いながらも、結局はカインとの仕合いを許可したのだった。

「ありがとうございます」

 ほとんど目をつぶっているかのような糸目でニコニコと笑いながら、老刑事は同僚たちの取り囲むなか、道場中央へと足を進める。

 どうしてこんなことに……――などと頭を抱えたい思いのカインだったが、もはや決定事項になってしまったこの仕合いを回避するすべはなさそうだった。

「(ええい、こうなったらヤケだ……!!)」

 カインも覚悟を決めて立ち上がって、畳の上をずんずんと進み出た。先ほど櫓坂との勝負では、先輩である王がせっかく良いところを見せたのだ。自分のせいで本庁特警の株を落とすわけにはいかない。

「……胸をお借りします。よろしくお願いします」

 カインが頭を下げる。

「こちらこそ、どうぞお手柔らかに。この老骨めがカイン君のような強健な若者に、どこまでお相手できるか分かりませんが……宜しくお願い致しますよ」

 二人は道場の中心近くで足を止め、互いにお辞儀をした。

 櫓坂は二人の「礼」を見届けてから、端へと下がり、王と一緒に畳に腰を下ろす。

「それでは、二人ともなるだけ怪我のないよう――――はじめ!!」

 ――その野太い掛け声を合図に、カインは臨戦態勢に入った。


 お互いの出方をうかがって静止している、両対戦者。それを見守る、旧皇都支部隊員と特派員の面々。

 ――櫓坂と激しい組手を終えたばかりの王も彼らに混じり、あぐらをかいてその様子を観戦している。

「……で、ミチハルさんは実際、どのくらい〝使われる〟んですかね? 気になるところです」

 タオルで汗をぬぐいながら、隣の櫓坂に尋ねてみた。

「うーん……それがね、正直よう分からんのですよ。捜査に関してはさすがベテランとでも言うべき慧眼を持ってはるんですがね、戦闘の方は……。何でも『落合流おちあいりゅう』だかいう合気柔術の免許皆伝や聞きますから、まあ弱くはないんでしょうがねぇ」

「確か、古流だそうで」

「ええ。ただミチハルさん、滅多に組手や乱取り稽古には参加されへんもんですから、今日びはえらい珍しい。たまぁにやったいうてもあの親爺さん、いっつもうなぎみたいにぬるぬると逃げてばかりでしてなぁ……。それに若いもんもやっぱり年寄り相手に本気出しにくいもんでっしゃろ? まあ面白くもないもんですから、よほどみんな、ミチハルさんとは組みたがらんのどすわ」

 王も目を凝らして、道場中央にカインと対峙する明満老人の度量をはかろうとしてみたが、無形の自然体で佇む老刑事は、達人のようでもあり、素人のようでもある。百戦錬磨の剣士の目でも、早計に判断を下すことは出来なかった。

「――それよりですな、王さん。ワタシ気になりますのは、カイン君のほうで。彼はいったい、武道のウデは如何ほどなんどす?」

 今度は櫓坂のほうが、いかにも興味津々といった様子で訊いてきた。

 その質問を待ってましたとばかりに、王が「にっ」と不敵な笑みを浮かべる。

「悪くはないですがね……単純に腕だけならオレや、もしくはこちらの熟練さんがたのほうが上でしょう。でもまあ、見てて下さい。きっとオレの時より面白いものが見れるかもしれませんよ……」

 王の自信に満ちた態度を見て、櫓坂が「ほほう」と感嘆詞を漏らす。

「王さんがそないに入れ込んでなはるとは、これは楽しみですな。ここは黙ってお手並み拝見といきましょか」

 武道家気質の王と櫓坂はすっかり意気投合し、道場中央の対戦者二人に視線を戻した。


「――ときに、カイン君。」

 緊迫した空気の中、明満が口を開く。

「あなたは何か、これと決めた武術を嗜まれていたりするのですか?」

 大勢からの注視を浴びる中、相変わらずおっとりとした口調でカインに語りかけた。

 出し抜けの質問と、その口調の毒気のなさに、若い刑事は幾許いくばくか闘気を逸らされてしまったような気持ちになった。若干戸惑いつつも、素直にその問い掛けに答える。

「ええと……とくべつ流派はありませんが……一応、逮捕術検定では上級を、柔道と空手に関してはブラックベルトを持っています。あとは警官の必修科目なので、剣道を少々。と言っても王先輩には手も足も出ないレベルですけどね」

「それだけ、ですか? 先日、菅原君との組手で見せて下さった動き、そして今のあなたの佇まい――染み付いた独特のクセが――いえ、独特のが、私の見慣れた武道や武術とは全く違う、〝新しい物〟に見えました」

 見透かされている――と、カインは思った。

「そうですね……実戦では基本、軍隊と特警察庁の共同開発した『全状況対応型徒手格闘』を使います。ですが、これはまだ開発段階の代物と言っても差し支えないかもしれません」

 カインの用いる特警・軍隊式格闘技は、通称『P.A.C.M.』――ポリス.アーミー.コンバット.メソッド。が自衛軍格闘技教官連や戦術開発部と共同訓練・特秘開発し、基本理念から教本の草案までを考案・編纂したもの。各国の軍事データベースから収集された銃撃戦や肉弾戦、凶器の使用をも含むあらゆる戦闘状況を想定・リスクコントロールし、混迷極まる戦場や緊急を要する凶悪犯罪の最中さなかでも冷静かつ速やかに敵兵もしくは武装犯罪者の命を奪うことを目的としている、情け容赦ない格闘術――。

 そのによってカインへ教え、叩き込まれたこの格闘術は、特警内でもまだ試用段階のうえ、各隊員に対する修得も任意とされており、新入隊員を一定の短期間で使いものになる強さまで引き上げられることには定評があるが、各自の分野で一流のスキルを持つような隊員たちの間では、評判はあまり芳しくなかった。各々の武術流派に見られるような特色や伝統も薄く、人間味も感じられない機械のような戦闘術は、特警の仲間からも「あちこちの軍格のいいとこどり」などと揶揄されることが多い。

 ――しかしカイン自身はこの『P.A.C.M.』が使いやすいと感じていたし、自分にも合っているとも思っていた。

 遠慮がちだったカインの回答に対し、

「ほぅ、そうでしたか……」

 明満は、味気ない近代武術に眉をひそめることもなく、そう頷いた。もともと古武術というものも、合戦かっせんで鎧武者を討ち取るために生まれ、発展していった「何でもアリ」の殺人術だ。根底には、通ずるものがあるのかもしれない。

「なるほど、こういった道場での戦闘訓練よりは、実戦の中で力を発揮されるタイプかと思われますが……ふむ」

 そして考えるような仕草をした後、にこやかに微笑みながら

「では、私を犯罪者だと思って、本気で掛かってきて下さい」

 と言い放った。

 始終穏やかな形相を崩さない老刑事から発せられたその好戦的な言葉に、カインは少しばかり驚いた顔を見せた。しかし、驚きの表情はすぐに困惑へと変わる――。

「(本気……と言ってもなぁ……)」

 カインは目の前の老人を観察した。確か、古い武道の使い手であるということは明満本人からも聞いている。しかしその立ち振る舞いからは、この老人が一体どれほどの力量を持つのか、見当もつかない。

「分かりました……」

 カインが両手で握りこぶしを作り、左手を顎の近くに、右手をやや前方に下げて、腰を落とした構えをとりながら、じりじりと接近する。

 まずは小手調べ――――と、鋭いローキックを繰り出した。相手は達人かもしれないが、所詮は機動力のない老人。足元への攻撃は躱しにくいはずだ――そう判断したのだ。

 ――――だが次の一瞬、何をされたのかもよく分からないまま畳の上に転がされていたのは、カインのほうだった。

 目を点にし道場の天井を見上げながら、彼はようやく己の身に何が起こったのかを理解する。

 ――出足払い、だ。

 読んで字のごとく、敵が出してきた足に対応しての「足払い」をかける技。相手が足を揚げたときや、踏み込むとき、もしくは先制して足払いを掛けてきたときなどに返し技として使われ、その際は「燕返し」などとも呼ばれる。先方の出してきた足へ体重の乗る瞬間、合わせてそっと添えるように足を横払えば、相手が大の男でも簡単に転がすことができるという、柔道においては初歩中の初歩――――。

 まさかそんな技で、自分が文字通り「足を掬われる」など、カインは思ってもみなかった。

 しかも、スピードと威力も文句なく、モーションも小さいカインのローキックに合わせ、「燕返し」の要領で絶妙なカウンターとして使用してきたのだ。お互い正々堂々組み合ってからの揚げ足取りならいざ知らず、それがいかに高難易度な作業か、カインにもすぐに分かった。

「(この人、巧い……!)」

 己の認識の甘さを痛感する。目の前の老人を侮っていたことを、若者は恥じた。

「本気で来て下さいと言ったはずですが……大丈夫ですか?」

 明満はにこやかな表情を崩さずに、カインに手を差し伸べてきた。

 ――――返し技を狙っている気配など、おくびにも出していなかった。あまりにも自然な体運びで足は添えられ、気がつくと横に倒されていた。周りの隊員たちは笑っている。おそらく、ローキックを出したカインがひとりでにすっ転んだものと思ったのだろう。

 カインは恥ずかしさに顔を赤くしながら、「すみません……」と、明満の手を取った。ぐい、と引き上げられる。

 ――――刹那、明満の手を握ったカインの右手に激痛が走った。

「まだ組手は終わってはいませんよ……?」老いた柔術家は、カインの手首を極め、他の隊員たちには分からないよう一瞬で関節を外した。

 明満は小声でカインの耳元に語りかける。

「私のことを犯罪者と思って――と、そう言ったはずですが。あなたは戦闘中の犯人に差し伸べられた手を握るのですか?」

 明満の追及と追撃は、なかなかに手厳しかった。カインは思わず「くっ」と焦った表情を隠しきれなかった。

 脱臼した手首は掴まれたまま。ろくに身動きも取れない。ならばいっそのこと――と、カインは思い切って自ら右肩の関節も外した。これで、脱臼による激痛さえ我慢すればどうにか躰は自由になる。そして相手に手首を掴まれた状態のまま、意表を衝いた至近距離の後ろ廻し蹴りを繰り出した。

 極度に近接状態からの蹴り技は当てることも難しいが、死角が増え、読まれにくいという利点もある。――が、明満はも当然のように身を低くして蹴りを透かす。もちろん、掴んだ右手は放してくれない。

 カインは左後ろ廻しから跳び上がっての右上段廻し蹴りに繋げ、ハードルを飛び越えるように自分の腕を跨ぐ。いわゆる、中国拳法の「旋風脚」の動き。

 右足が着地。同時に、正対した相手がするりとカインの懐に潜り込んでくる。一本背負いで投げ崩そうとしてくる明満の背中を、カインは腰を引きながら、ばしんっ! と手の平で叩くように押し止めた。背負い投げを防ぐ、ポピュラーな方法である。

 本来ならこの後、相手に掴まれている腕を切る(引き離す)のが通常だが、肩が脱臼しているカインにはそれが出来ない。明満は不発に終わった一本背負いから一瞬の迷いもなく体勢を切り替え、再びカインに向き直った。カインも向き直った相手の襟を取り、お互いが柔道の基本型――相四つではない、ケンカ四つ――で組み合ったような形になる。

 カインは素早く足を相手の股内にもぐり込ませ、「大内刈り」のような技で明満を押し倒そうとする。

 しかし明満は、ふくらはぎに絡み付こうとしてくるカインの足を、半身をすっと引いて巧みに躱す。同時に腕を引っ張ってカインの体幹を揺さぶってから踏み込んで、今度は己の足を相手に引っ掛けようとする。カインもそれを、ステップを踏むように奇麗に回避する。

 非常にテンポの良い足の差し込み合い――――その応酬に紛れ込ませて、カインがかかとでの踏みつけを繰り出したのを明満は察知し、足を上げて回避。明満の裸足らそくはそのまま、カインの胴着の下履き、右の足裾あしすそを親指と人差し指で器用に挟み込んで、横下方へ引っ張った。

「(――っと!?)」

 足の指を使った掴み。このような崩しを受けたのは、カインにとって初めてだった。流石は古武道の熟達者――小技の引き出しの多さに、若者は舌を巻く。

 カインの躰は、ぐっと右下方に引きつけられる。右足は封じられ、軸足としても使えない。左の足技を出そうとすれば、正常な体勢は維持できない。自由になるのは、相手の襟を掴んでいる左手だけだ。その左手を離して、カインは揚打軌道の小振りなショベルフックを。明満もカインの襟を離して、左手でそれを「ぱしっ」と受ける。鍛錬の年季を感じさせる、固くひび割れ、まめこぶの並んだ手の平が、若者のこぶしを包み込んだ。

 老人の左手は、そのままカインの手の甲を撫でるようにするっと前腕部側面を沿って、胴着の袖の内側へと滑り込んできた。

 ほんの一瞬かつ、両者密接状態での盲点ブラインド・ゾーン。観戦者からは何が起こっているのか分からなかっただろう――胴着を中から掴んでの変則的な組み方、もしくは衣類を利用しためを行うつもりなのかと、カインさえもが思っていた。

 ――否、明満はカインの中袖なかそでの内から、肘関節の出っ張りの、筋肉と皮膚の薄い部分――腕尺関節・滑車・上腕内側上顆じょうわんないそくじょうかと沿って「尺骨神経」の通る、俗に「ファニーボーン」と呼ばれる位置付近の点穴――へ、握り潰すかの如く勢いで親指を突き入れたのだ。

 一挙に神経を駆け登る激痛と痺れ、筋肉痙攣――カインはそれまで右下方へと崩しを掛けられていたのに対抗し、左に体重をかけながら踏み堪えていたのだが、その躰が、びくん――と、思わず右へ引き攣った。

 ここだ――。

 明満は瞬時にカインの左腕を離し、袖の下から自分の手を素早く抜き取った。その手を、もう一方の手で握っているカインの右手に添える。

 そうやって両手で掴み取った右腕を、大きく円を画いて回すように相手の体軸を崩し、尺骨神経の過敏反応による引き攣りの方向へ、絶妙なタイミングで投げを打った。

「(しまった――)」

 「小手返し」――合気道やサンボにも見られる投げ技だ。カインはまるで側宙でもしているかのように脚と躰を空中に投げ出し、ほとんど自ら跳び上がったかのような勢いで派手に回転してから、そのまま為す術もなく畳に叩き付けられた。

「づぁっ……!」

 このまま寝ているカインの腕をかかえて極めるか、側頭に踏み付けでも加えれば、実戦的に見ても完全な一本となる。カインもそうはさせじと、背中を床につけたまま、頭越しに蹴りを振り上げて、上位置の明満に抵抗する。

 この蹴りを明満が前腕によって防いだことでようやく、老人の両手はカインから放れてくれた。ここぞとばかりにカインが起き上がり、距離を取る。

 いまのところ完敗だ――そう思って脂汗を流すカインに、明満が何食わぬ声を掛けた。

「大丈夫ですか……? 肩と手首……よろしければ私が繋げてあげますが……」

 明満の表情は変わらず、紙芝居に出てくるお地蔵さまのような仏顔だ。柔和な笑顔を浮かべながら、カインに歩み寄ってくる。

「いえ、流石に遠慮しておきます……」

 先ほどだって、差し伸べられた手を取っただけで、脱臼はさせられるわ、組み合いまで強要されるわと、散々な目に遭ったのだ――不用意に近づけば一体何をされるか、分かったものではない。

 カインは自力で手首と肩の関節を入れ直した。ゴキッと音がして関節が再び繋がる。

「――ほう、若いのに随分と慣れていらっしゃる……」

 合気柔術使いの老人は、大層感心した様子でカインを褒めた。しかし、始終相手のペースで翻弄されっぱなしだったカインにとっては、どうしても嫌味のように聞こえてしまう。

 このまま終わってしまっては王にも芒山隊長にも申し訳が立たない――そう思いカインが再び『P.A.C.M.警軍格闘方式』における基本姿勢をとったとき、無情にも訓練時間の終了を告げるブザーが鳴り響いた。

「両者、そこまでっ――!!」

 櫓坂の掛け声で、カインと明満は臨戦態勢を解除した。

「……うーん、どないやらカイン君、格闘よりもやはり射撃やら捜査のほうが得意なんでっしゃろか? それとも今日は、たまたま調子でも悪かったとか、ねぇ……」

 櫓坂が腕を組みながら、苦笑気味に首をひねった。

 そう思われても無理がない。先ほどの仕合いでまるでいいところが無かったのは、カイン自身が嫌というほど痛感していた。

 しかし、決して全力をのではない――というのが、おそらく正しい。カインはそう感じていた。己の土俵に引きずり込み、相手の実力を巧く殺す、老獪な立ち回り。故に、明満も未だ、その秘めたる実力を見せてはいないはずだ。その証拠に明満が仕合いで使っていたのは、古流の奥義などではなく、小手先の小技か、現在でもよく見かけられるような比較的簡単な技ばかり。

 だが、それほどまでに明満の立ち回りが狡猾巧緻だったことに気付いているのは、この場においてはおそらく当事者のカインを除けば、王くらいのものだった。

 明満とカインが開始時と同じように「礼」をして、この日の訓練は終了した。


 着替えを終えて、夕食のために食堂に向かうカインと王。

「――先輩、すみませんでした。情けないところを見せてしまって……」

「いや、そう落ち込むもんでもねえ……あの爺さん、どうしてなかなか古狸だ。澄ました顔してるが、相当なやり手だよ。きっとオレだって、畳の上じゃあミチハルさんとやっても上手く戦わせちゃもらえなかったと思うぜ?」

 並んで歩きながら、そんなことを話している二人。すると――

「――カイン君、少しいいですか?」

 噂をすれば影――件の老刑事、明満本人が後ろから声を掛けてきた。

「あ、明満さん」

「おおっ、ミチハルさん」

 二人は立ち止まった。

 本日帰宅待機組である明満は、食堂とは逆の階段方向に歩いていったはずなのだが、こうやって引き返してきたということは、何かカインたちに用でもあるのだろうか――。

 二人が不思議に思っていると、明満は突然に、深々と頭を下げたのだった。

「さきほどの組手では、本当にすみませんでした――」

 いきなりの謝罪に、カインはあたふたと面喰ってしまう。

「そ、そんな、頭を上げて下さい! むしろ貴重な勉強させてもらったと思ってますから、感謝しているぐらいですよ!」

「や、オレも感服させて頂きました。さすがは古流の免許皆伝――」王も、うむうむと頷きながら言う。

 カインと王が明るく対応するのに対し、明満は「いえ、とんでもありません――」と、さらに深く腰を折り曲げた。

「嫌な思いをされるのではと思っていましたが、ああいったこすずるい戦い方をする輩もいることを、カイン君には是非知っておいてほしかったのです」

 明満はそう言ってから、ゆっくり顔を上げた。

「もしカイン君が、油断もスポーツマンシップも捨て、本気の殺し合いを前提とした心構えで戦っていれば、私など造作も無く倒せたでしょう――それこそ、秒殺というやつです。しかし、実力で劣っていても、自分より強い相手と互角に持ち込めるような戦法はいくらでもあります。特にそれが異能を持つ者とあれば、時に我々の思いもよらぬ方法で裏をかいてくることも、ままあるでしょう……。カイン君にはまだ、その点に対しての甘さが残っているような気がしました。ですから、差し出がましい真似だったかもしれませんが、あのようなことをしてしまったのです。耄碌の入ったじじいの繰り言ですが、どうか、胸に刻んでおいて下さい……」

 それを聞いて、カインもはっとする。

 言われた通り、自分にはまだどこか、敵に対して甘い部分が残っている――のかもしれない。現に、さきほどは異能すら持たない老人に翻弄されてしまったのだ。今まではそれでも何とか生き延びてこられたが、これから先、どうなるかなど分からない。敵を前に、真に情けを捨てなければならない時も、いずれやって来るかもしれない。

「……はい。肝に銘じておきます」

 素直に頭を下げるカインに、明満はにこりと微笑み返した。

「カイン君、あなたはとても筋がいし、心根も真っ直ぐだ。きっと、――――」

 老刑事は、若者の瞳を見つめながら、その未来を遠く見据えるように目を細めた。

「――――きっと、素晴らしい警察官になることでしょう」

 それではまた明日と、明満は笑顔で会釈して、廊下の向こうに消えていった。


 大先輩の老いた背中を見送りながら、カインはやる気を新たにする。

 何だか勿体ない言葉をもらってしまった気もするが、その期待に応えるためにも、事件解決に尽力しなくてはならない。明日もまた捜査チームの面々と、外回りの捜査活動に出向くこととなっている。


「(それに今夜だっていつ緊急出動があるかも分からないし、今のうち、栄養のあるものを腹に掻き込んでおこう――)」

 カインは食堂に着いたら、カツカレーを大盛りで注文することに決めた。



 ※




 金曜日。

 旧皇都で過ごす五日目、カインはまたもチームを組んでの捜査にあたっていた。

 ちなみに本日のメンバーは、カインと明満、さらに菅原が加わっての三人組である。先日まで菅原と班を組んでいたエリゼは、いよいよ今日から捜査活動にも加わった芒山隊長とコンビを組んでいるらしい。

 明満と菅原が、並んで前を歩き、その少しあとをカインがついていく。明満と菅原――中肉中背の老人と、ガタイのいい丸刈りの若者――いかにも刑事ドラマに出てきそうな組み合わせだなと、カインは思った。

「それにしても……昨晩も異能者が二名逮捕されたそうですよね。どう考えても尋常じゃない頻度です。なぜ京に限って、いきなりこんな……」

 カインは話にこそ聞いていたものの、キョウに来て改めて目の当たりにしたこの事態に対して、どこか腑に落ちない様子だった。

「この前に申し上げた通りですよ。境界には物の怪が湧く――。京の街中には古より多くの結界が張られてきました。目に視得るもの、視得ないもの、大小さまざまですが、たとえ道路が敷かれ、その上の建物までもが目まぐるしく変わったとしても、かつてそこに拒絶の意思により拵えられた干渉の断絶が在ったことは確かなのです。その不協和の残滓は、気付かぬうちに住民市民を蝕みます。そして、それだけ『異質』どうしの断裂した隙間には『淀み』も溜まりやすいということなのです。……簡単に言い直すと、住民の皆さんは知らぬ間に、結界によって生じた彼我の差異に対してストレスを感じているということですね」

「まるで呪いみたいですね――」とカイン。

「ほうっ、呪い。なるほど。ひょっとしたら、歴史の影に埋もれてきた陰陽師達の中にも『異能者』がいて、現代に残るまでの残留思念を土地や建物に刻み込むこともできたのかもしれませんねぇ――そんなふうに考えると、何だか浪漫を感じるじゃありませんか。学術的見解では、異能は、往々にして強い想いやストレスによって開花するものとされていますよね? それも殊更、負の感情によって発現するケースが多いと聞きます」

 負の感情による異能の発現率――それは確かに有力な通説であった。都会のほうが地方や田舎よりも圧倒的に異能犯罪の発生率が高い事も、その理由が一端であると考えられている。人口密度が高い分、人と人との軋轢が生じやすい――というわけだ。

「そして、溜まり滞った負の思念は、逃げ場も無く、無数の『結界』を内包するこの京の都という巨大な『結界』の中で、渦を巻く。この、閉ざされた都の中で――」

「閉ざされた、都――」

 カインは、明満の言葉を反芻する。

 〝閉ざされた〟というのは、いかにもこの都にぴったりな表現かもしれなかった。

 老刑事は丁寧に説明を続ける。

「まずは〝山〟ですね。何と言っても京は、もともとが山に囲まれた盆地です。それも、ただの山ではなく――いくつもの霊峰・霊山に囲まれています。かつてこの国の農耕民や狩猟民族にとって、お山は『神の住まう処』ではなく、むしろ『神』そのものとして崇められていました。多種多様な生命を産み出し、それが尽きる事のない、絶対的な存在。人の命など簡単に奪うことが出来る自然の脅威――」

 そして時代が移ろい価値観が変わっても、農耕民にとって山は豊穣の神をふもとの里に迎えるための神聖な場所に変わりはなかった。

 これに対し、はるか以前から狩猟民族にとって山とは獲物を求め「征服していくべき場所」にほかならない。しかし、それでも狩人たちは山へ入る前に水垢離みずごりなどの儀式で体を清め、女神じょしんである山の神のために女人禁制、女断ちを徹底し、狩りが成功すればうやうやしく彼女に感謝し、祈りを捧げていたという。

 ――百姓も狩人も、山への畏敬の念を決して忘れなかったのだ。京の都は、そんな神秘の、いにしえの山々に囲まれている。

 明満は遠くに見える山を仰ぎ見ながら、はるか昔に思いを馳せるような目をしていた。その双眸が見据えているのは、ちょうど北東の方角、延暦寺のある比叡山だ。

「――そんな有難い山々ですが、戦乱の世には、都を囲む山やその裾野、平原に、かつて数多くのしかばねがが打ち棄て捨てられたのだと聞きます」

「屍――?」

「戦禍で。疫病で。――幾度となく、都の外周は内外の者の死体で溢れ返りました。きっと、死者のけがれを内に残したくなかったのでしょうかねぇ。そして外が死体に囲まれてしまったとあれば、次には、都を取り巻く死者の怨念から逃れるため、より強く結界を保つ必要が生じてしまう――あ、勿論、死体を放置したことによる伝染病の流行なんかも怖いですからねぇ。物理的にも衛生的にも、そして霊的にも……都を閉ざしたくなる気持ちも、分かる気がしますよ……」

 そういった歴史的成り立ちや地理的問題も、おそらくは無意識レベルで都民の精神に影響を及ぼしているのだろう。そして、そればかりでなく明満の言いたいのは、現代においてさえも息の詰まりそうな、この空気――――どこか排他的で閉鎖的な風潮のせいかもしれない。

 確かに旧皇都は、東都や港町などの「外に開けた都会」と違い、どこか「内に閉ざされた都会」のように感じる事がある。何度も戦に巻き込まれ、炎上し、侵略と略奪を受けてきた歴史と土地柄が、それらのことに深く関わっているのだろうか。

「つまり、この土地特有の閉塞感が、異能者の発生率を底上げしている――と?」

 カインのその言葉を聞いた明満は、どこか寂しそうな顔をした。

「内の問題ばかりではありません。他県の人は大概、京の土地柄や県民性のことを閉鎖的だとかプライドが高くてとっつきにくいとかいうでしょう? 外敵の攻撃なくして、防壁の存在はあり得ません。そうやって外からの圧迫や悪感情を受けることによって、人々の心の壁――『結界』はより強固なものへと変貌を遂げてゆくのです」

「すみませんでした……決して、そんなつもりで言ったわけでは……」

 無神経な発言だったと、カインは反省する。

 前を歩く明満は、少しばかりカインのほうをかえりみて、首を振った。

「いえ、私だってカイン君を責めるつもりだったわけではありませんよ。あなたが気にすることではありません」

 明満は相変わらず、表情の読めない好々爺だった。

 さきほどこの老刑事の述べた意見は、概ね現在の異能研究の視点から見ても、納得できるものだった。特別、異能を開花させやすい何らかのファクターが、この京に存在するのかもしれない。

 しかし、それでもまだ、カインの中に疑問は残った。

 タイミング――である。

 なぜ今このタイミングで、しかも京の中だけに限って、突然降って湧いたように異能者が大量発生するのか。もし先ほど述べたような原因が関係しているとすれば、今までだって、同じような事態が起こっていてもおかしくはなかった。それに、同じような条件を満たした都市なら、数多くはなくとも、他にも存在するはずだ。

 すると、まだ口にも出していないカインの疑問を読み取ったかのように、明満はこくりと頷いた。

「――さて。確かに、これだけ時期が重なるのも、偶然で片付けてしまうには可笑しな話です」

 それに対して明満は「まだ理由こそ解明されていませんが――」と前置きした後、

「ひょっとしたら誰かが、なにか忌まわしい封印でも、解いて回っているのかも知れませんねぇ……」

「封印……?」

「解き放っているのです、都の地理と住人間の感情を熟知した何者かが。『結界』の狭間に生まれた『境界』によって喚起され、そして抑え込まれていた、人々の暗い感情……各々の心にこっそりと飼われていた妖怪変化を――」

「そんな、そのような黒幕がいるとしたら……」カインは不安そうな顔で、始めて『百鬼夜行事件』での逮捕者リストを見たときに感じた違和感、嫌な予感を思い出した。

「そんな黒幕がもしいたら、まるで、読本に出てくるような悪の陰陽道士ですねぇ――」などと、明満は茶化すように言った。「なに、陰陽師の戯言たわごとですよ。どうかお気になさらず、流して下さい――」

 そこに、さきほどからちんぷんかんぷんな顔をしていた菅原が、割り込むように会話の中に入って来た。

「二人とも何ワケの分んないハナシしてるんすか? ひょっとして事件に関係のあることっすか?」

 ガタイも良く、体育会系なノリの菅原だが、体格に似合わぬつぶらな瞳で首を傾げるその様は、やはりどこか仔犬じみている。

「何でもありませんよ、菅原君。ただの爺の繰り言ですから」

「えーっ、俺だけ仲間外れっすか? ヒドイっすよアケさぁん。新入りのカインさんとは楽しそうに話してるのに、付き合いの長い俺にはなーんにも教えてくれないなんて」

 明満はうふふと笑う。カインも気まずそうに苦笑いをした。

「任務中にやれ封印だの結界だの――って。あ、そういえばアケさん、前に教えてくれましたっけ。陰陽師の血を引いてるって」

「出自ははっきりしないのですが、そう伝わっています。大方、外から京の都に流れ着いた呪術師――その辺りの民間陰陽師の子孫なのではないかと……。そういう菅原君の家系も確か、陰陽筋ではなかったですか?」

「え? そうなんですか!?」と驚くカイン。

 菅原はいつもの癖なのか、恥ずかしそうに坊主頭を撫でた。

「はい。でも京じゃそんなに珍しくないっすよ。特に俺の家なんて直系でもないし、かなり分岐しちゃった縁の遠い血筋ですからね。繋がりと言ってもせいぜい、神棚に菅原氏の氏神さん祀ってるくらいのもんっすよ」

「とは言っても、菅原家といえば、四方にある京の入口を守護し司る陰陽四家の一つ、由緒正しき陰陽筋ではありませんか。私のような何処から湧いたやも分からない山出しの野良とは、血統からして違いますよ」

 二人のやり取りを見ながら、カインは「へぇ」と感心したような声を出した。

「ちなみに、その四家というのは……?」

 これに陰陽刑事、老明満が答えて曰く。

「北の安倍氏、南の加茂氏、東の蘆屋氏に西の菅原氏――この四家ですね。これにミカド直属の宮廷陰陽師だった中央藤原氏を加え、陰陽五大家とする場合もあります」

「刑事に陰陽師の血統書が付いてたって、そんなもん有り難味もクソもないじゃないっすか。そもそも有能無能は本人の資質! 家柄とかそんなん無くっても、俺はアケさんのこと尊敬してるっすよ。今こうやって俺を特警刑事として育ててくれてるのも、アケさんなんすからね」

 明満は「いやはや」と細い目をさらに細めた。若者の実直な言葉に、今度は老人の方が照れてしまったようである。

 カインも、まだ数日だけの付き合いではあるが、明満が刑事として有能な事は身に沁みている。

 明満の捜査方針は、いかにも古い刑事らしい、「情報は足で稼ぐ」というものだった。

 インターネット全盛期のこの時代に、えらくアナログな方法だとカインは思ったものだが、しかし、決して明満のことを時代遅れの堅物だなどとは思わない。学者にせよ刑事にせよ、フィールドワークなくして「生きた情報」を手に入れることはできない――というその考え方には、大いに共感できるものがあった。デジタルが溢れ返っている現代だからこそ、こういう見落とされがちなアナログな手法も大事になってくるのだろう。

 年輩刑事、明満は言う。

「カイン君や菅原君のような若い世代からしてみれば疑問に思われるかも知れませんが、パソコンの前に座って情報を集めるだけでは分からないことが沢山あります。たとえばその街の匂いだとか、道を行く人々や動物の様子だとか、あそこの壁に小さな落書きがあることだとか、道の隅や路地裏にゴミが落ちていること、公園で寝ている浮浪者――そんな些細なことも、事件に繋がる大事な情報になり得るのです」

 例えば――と、明満はすんすんと鼻を動かし、耳を澄ませ、何かピンとくるものがあったのか、建物と建物の間の袋小路に入っていく。

「……どうですか? 聞こえませんか?」

 そう言われて、カインと菅原も耳を澄ます。何か、か細い動物の鳴き声――。

 車も行き違えない、ほとんど近隣住民が家屋の出入りにしか使わないような裏道を進んだ先には、野良猫たちがたむろし、にゃぁにゃぁと鳴いていた。

「ほら、猫です。この仲間を呼ぶような鳴き声。それから糞尿の匂いが、表の道まで微かに漂ってきていたでしょう?」

「はぁ、確かに猫――っすね。でも、それがどうかしたんっすか……?」菅原が不思議そうに言った。この猫たちが、一体何だというのか。

 明満は、道の隅の電柱――その根元を指差した。そこには、隠れるように置かれた、数枚の小皿。

「野良猫がこれだけ集まるということは、おそらくはここが餌場になっているということが考えられます。しかもこの猫たち、これだけ集まっても喧嘩をする様子もない。ただ、ねだる様に鳴いているだけです。となれば、ここに猫を集めて餌付けをしていた人間の存在が浮かび上がりませんか?」

「なるほどっす」と菅原。彼はそのまましゃがみ込み、すり寄って来る猫の頭を撫でたり、顎の下をくすぐったりと、戯れ始めた。

「しかし見て下さい、この子たちはお腹を空かせて鳴いているでしょう? そしてこの糞尿を見るからに――」

「――つまり、一日二日の放置ではない、と?」カインが後を受けた。

「そういうことです。こういった住宅地での餌付け行為は、ただでさえ周辺住民の反感を買いやすい。だから、餌付けをする人は鳴き声や糞尿の始末には結構、気を遣うものなのです。それに、この猫たちは餌のないこの状況でも、特に喧嘩もする様子も見せません。ということは、いつもは餌を争う必要がなく、その状況に慣れてしまっているということです。菅原君、ここから分かることは……?」

 ひっくり返した猫のふかふかとした腹を撫でていた菅原が、老刑事のほうを見上げて言った。

「ええと、これだけの数の猫を飢えさせないだけの餌を毎日用意できる。猫たちが自分でエサを探す様子を見せないことから、餌付けは仔猫の頃から行われていたんじゃないっすか? そして見たところ、猫のなかには去勢手術されているものも見受けられるっす。これは、増えすぎて苦情が来ないため――でしょ。

 つまりここで猫に餌をやってる人物は、長年野良猫のためにエサ代や手術代を捻出できるほど裕福で生活に余裕があること、また、一日に決まった回数のエサやり、糞尿の掃除をする時間があることから、日中家に居る事ができ、定職には就いていない人物だと考えられるっす。多分、隠居した孤独な老人とか、そこらへんじゃないっすか?」

 老刑事は嬉しそうに「御明察です」と微笑んだ。

 今度は辺りをうろうろしていたカインが、何かに気づいたように、

「――そして、こまめに行われていたであろう猫の世話が、どういうわけか、ここ数日にわたり途絶えている。もちろん老人なら、不慮の事故や病気などで、家に寝たきりになっているということも考えられますが……」

 彼は、ゴミ箱として使われているとみられる大きな青いポリバケツの前で足を止める。ごとりと、それを動かした。

 そこには――――。

「――血痕です。どうやら、事件の匂いがしてきましたね」

 カインはそう言って、屈みこんだ。ゴミ箱の下にぞんざいに隠された、流血の跡。乾いた血糊が、べっとりと道路に貼り付いている。

 さらに、道路脇の塀の隅のほうに、きらりと光る物体が見えた。そこに落ちていた金属のようなものを拾い上げる。

「これは……?」

 いかにも暴力団員がスーツの襟元に付けていそうな、黒色と金色の組み合わせの、悪趣味なバッジだった。

 ひょっとしたら、「その筋」が絡んでいる事件かもしれない――とカインは考える。これまでに起きた『百鬼夜行事件』の異能犯罪の逮捕者にも、暴力団関係者が多数いた。

 しかし、そのバッジのデザインは、カインも今までに見たことのない意匠だった。金属枠に縁取られたガラス質の黒地に、これまた金色の金属で描かれているその図形――交差した沢山の線の中に埋もれるように、五芒星がデザインされている。カインの知る限り、有名どころの広域指定暴力団やその傘下組織、また、こちらに来てからリストに目を通した、旧皇都を縄張りとする暴力団の物とも符合しない。

 やがて、奥の曲がり角を調べていた菅原も戻ってきた。

「曲がった先の行き止まりに、猫の変死体もあったっす。丸焦げの焼死体がニ匹、内側からただれて死んでるのが一匹――眼球が焼け焦げてるってことは、こっちは感電死っすかね。どっちも普通の死に方じゃないっす」

 明満の「気付き」で、ちょっと横道に入っただけだというのに、いよいよ、きな臭くなってきた。

「どうやらこの界隈を中心に、重点的に聞き込みをする必要がありそうですね……」

 老刑事明満道晴は、手を腰の後ろで組み、もともと開眼ひらいているかもわからないような細い眼で、現場を鋭く睨みつけた。






(【肆】へ続く――)

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