『泥欲氾濫』【下】





 ――下水道とアジトの地下室を繋ぐパイプ内を、不定形の物体が蠢いていた。

 固体と液体の中間といったところか、巨大なアメーバのような「それ」は高い展延性と流動性をもって進行を続けている。

 やがて己の巣に辿り着くと、その物体――液状化したヴァイヒ=メルクーア――は、ドロドロになった躰を、末端部位から徐々に人間のものへと戻していった。両手、両足、胴体、そして頭部――――。

 再び人間の姿を取り戻した異能者は、身体の可動域を確認するかのようにそれぞれの部位を動かした。手を握ったり開いたりを繰り返し、肩を回してみたり、足を上げてみたりする。

「やはり、戻ったばかりだとどうもしっくりこんな……」そう言って不愉快そうに首をコキコキと鳴らした。

 メルクーアは部屋の中を見回し、そこに充満した空気――薬品や火薬、そして血の匂い――を肺いっぱい、気持ちよさそうに吸い込んだ。

 コンクリート打ちっぱなしの狭い室内は殺風景で洒落っ気など微塵もなく、剥き出しの水道管や電線が幾本か壁沿いを這っている。入り口のドアから階段ステップを数段下がった位置に床があり、メルクーアはその間取りの中央に置かれた手術台のようなテーブルを足早に通り過ぎる。入口から向かって右側には薬品棚、左側の壁には幾つかの銃火器が掛けられているが、それらには目もくれない。

「ただいま……ああ、麗しの恋人たちよ!」

 そう言って彼がうっとりとした視線を投げかける先、部屋の一番奥には丈夫そうな金属製のラックが――――そこに何かが並べられている。

 部屋の主は、陳列された「大事なコレクション」へと歩み寄っていく。金属製ラックに並べられているのは、大きな円筒形の――瓶。

 直径四十センチ、高さ六十センチほどの透明なガラス瓶の中身は、肌色に濁った不定形の物体で満たされていた。薄暗い地下室の中で、観賞用のLEDライトに下から照らされている「それら」からは、怪しく淫靡な雰囲気が滲み出している。まるでマッド・サイエンティストが失敗した実験体を標本にして飾っているかのような光景――。


「それら」――――いや、「彼女ら」は、「元人間」だったもの――――。

 そう、メルクーアに攫われた婦女子達の末路に他ならなかった。


 ホルマリン漬けの標本の如く陳列された「彼女ら」は、皆一様に、どろりとした半液体のような性質を保っているようだが、個々の形状には若干の差異があった。中には、眼球や内臓、毛髪や手指などが確認できるものもある……。

 これこそが、彼――ヴァイヒ=メルクーアが異能犯罪者として女性を攫う、最大の目的だった。

 攫われた女性はまず薬品で体の自由を奪われる。そうしておいて抵抗の出来なくなった被害者の全身を愛撫しながら、ゆっくり時間をかけて液状化していく。メルクーアはその作業を何物にもまさる無上の悦びとしていた。

 彼は「ドロドロの液状体に対し極度の性的興奮を覚える」というと特殊極まる性的嗜好を持っていた。生命の危機に晒され発現した異能は、奇しくも彼自身の性的欲望リビドーに強く直結したものだった。

 液状化され瓶の中に閉じ込められた後、彼女たち被害者がどのような扱いを受けたのか、想像に難くない。死ぬまで「お楽しみ」の道具として陵辱され続けたはずだ。液状化された人間は、その状態から栄養を与え続けても、せいぜい数ヵ月ほどしか生命活動を持続させることができなかったが、メルクーアにとっては液状化した相手が生きていようが死んでいようが、それさえもどうでも良かった。極論、女がただドロドロの不定形でさえあれば、それだけで良かったのだ。

 紛うことなき異常者。鬼畜の所業――――。

「おお、こうして隙間なくフラスコに納まった君達は何よりも美しい……。たとえ死んだとしても、私が永遠にその姿を保ってあげるよ――」

 メルクーアが恍惚の表情で跪き、愛おしそうに瓶詰めの恋人達に頬ずりをする。

 とろけるような顔をしながらコレクションを眺めていたが、やがて彼は現実に引き戻された。

 ――さて、問題はどうやって彼女たちを運び出すか、である。やはりトラックを使い港まで運び、得意先の裏業者に金を払って密輸船に載せてもらうのが無難か……。

 そんなことを考えながら、ふと下を向いたメルクーアは、コートの裾に何かが付着しているのを発見した。まるでガムのような、粘着質の物質――。

 手に取って確認してみると、その中には小型の発信器が――――。


「――――Scheisse(シャイセッ)!!!」


 彼はこれ以上はないというほど、忌々しく汚らわしい口調で、盛大に毒づいた。

 発信器を思いきり床に叩きつけ、それを固いブーツで粉々に踏みつぶす。そして狂ったように頭を掻き毟った。

「くそ、くそ、もう遅い、居場所は奴らに知れてしまったと考えたほうがいいだろう。今すぐ……今すぐだ! 今すぐここを離れなくては……!! だが、彼女たちはどうする? ここにこのまま置いていくなど、考えられない――ならば!」

 ならば、ここで迎え撃ってやる――――メルクーアは、自分をこのような状況に追い詰めた特殊刑事達に、激しい憎悪の炎を燃やした。

 彼は怒りに任せ、壁を伝う剥き出しの水道管に向かって拳を振り下ろした。鉄製の水道管は殴られた一部分だけが〈液状化〉し、そこに穴が開いた。おびただしい量の水が噴出する。

 壁に掛けてあるアサルトライフルやサブマシンガンに目をやるが、この部屋でそれらを使うことはできない。もし跳弾でもして「彼女たち」に当たってしまったら事である。敵に使われるような事態も避けるため、一応壁から取り外し、水の底に沈めておくことにする。

 室内の水位は順調に増し続け、すねの中間ほどの高さにまで達していた。メルクーアはテーブル台の上に置いてあった箱から、特殊なナイフを幾本か取り出す。円柱形をした柄が特徴的で、その内部にはとある仕掛けが施されている。かつての戦争時代では敵国だったソ連元特殊部隊の知人から手に入れたものだ。合計十二本。それらの内、十本を床にばらまくように放り投げ、さきほどのライフルと同じように水に沈める。残った二本は両手に持って装備した。急ごしらえだが、これで何とか舞台は整った。

「(さぁ、準備は済んだ。来るなら来い――)」

 メルクーアは普通の人間が入って来られる唯一の入口、前方のドアを恨みがましい目つきで睨みつけた――。





 ペクは地下室への入口――その頑丈そうな鉄製のドアの前で一度呼吸を整えた。おそらく敵が今までに攫った女性たちも、このドアの向こうにある十畳程のスペースに監禁されているはずだ。中ではどのような陰惨な光景が待ち受けているのか……想像することも躊躇われたが、覚悟を決めて取っ手に手を伸ばす。

 ドアの外側から見た造りは、コの字型の取っ手だけが取り付けられているだけで、鍵穴は無い。内側から閂で施錠するタイプらしい。押してみると、少し動いた。どうやら鍵は掛かっていないようだ。

 敵に待ち伏せされていることを前提として、ペクは迅速かつ大胆に行動した。ドアを一気に蹴り開け、そのまま姿勢を低く前転して部屋の中に転がり込んだ。

 地下室の中は床が入口から一メートルほど低い位置に造られていて、五段ほどの階段を使って登り下り出来るようになっている。その階段を転がり落ちたペクは、本来コンクリートの床があるべき場所に着地するはずだった。しかし、彼は「着地」ではなくなぜか「着水」するはめになってしまう。

「……何ッ!?」

 受け身をとって一分の隙もなく膝射しっしゃ体勢に移行できる、完璧な突入だった――はすが、地下室内がものの見事に浸水していたため失敗に終わる。

「(水……だと!?)」

 そこへさらに、出し抜けに飛んできたナイフの刃がペクの左腕前腕部に突き刺さった。

「ぐっ……!」

 腕を見てみると、刺さっているのはナイフの刀身のみで、握るためのつかは付いていない。形状だけを見るなら、同僚の王がごく稀に使う「ひょう」という苦無クナイ型の武器にも似ているかもしれない。

 ペクはすぐさま自分の置かれた状況を頭の中で整理する。

「(おそらくは水道管を破って地下室を浸水させたのか……。つまりは敵の優位な状況に誘い込まれたということ。まずいことになったな――)」

「くははは。ド派手な登場だなぁ!」

 メルクーアはペクが眉間に寄せる皺を見て、嘲笑うかのように声を上げた。右手には、さきほどまでナイフのブレード部分が収まっていたであろう、円筒形のグリップだけが握られていた。そしてもう片方の手には、同じ武器がきちんと刃の装着された状態で装備されている。

「スペツナズ・ナイフか――!」

 ペクの気付いたそれは、グリップに内蔵された強力なバネ仕掛けで刀身を射出することのできる、特殊なナイフだった。ソビエト連邦国家軍の特殊任務部隊『スペツナズ』が暗殺等に使用していたという由来から、そのような名前で呼ばれている。奇襲効果は抜群だが仕掛けは極めて単純で、鍔の部分にあるレバーを親指で押すことによりギミックが作動し、刃が飛び出すのだ。

 スペツナズ・ナイフは一度刀身を発射してしまえばブレードの再装填が難しい武器ではあるが、メルクーアは気にせず手元に残ったグリップ部分を投げ捨て、左手に握ったもう一本のやいばを獲物に向けた。

 ペクは追撃を受ける前に即座に体勢を立て直し、サブマシンガンを構えた。相手の額にしっかりと照準を定める。

「ヴァイヒ=メルクーア。略取罪、監禁罪、および殺人罪の容疑でお前を逮捕する。無駄な抵抗はやめろ……この距離だとまず外さない」

 対面した二人――お互いが完全に目の前の獲物を補足している。ペクの眼力から放たれる殺気が樹上の山猫だとすれば、メルクーアのそれは水辺に潜んで陰湿に狙いを付ける鰐目ワニもくの爬虫類を彷彿とさせられる。それらが互いに牙を剥きながら睨み合っているような、膠着状態だ。

 メルクーアはキシシと歯の隙間から空気が洩れ出すような音を立てて、笑う。

「ふん、来るとしたらあのカタナ使いか、もしくは金髪女だと思っていたがな……意外な人選だ」

「お前ごとき、王やエリゼの手を煩わせるまでもない。それより、攫った者たちをどこへやった?」

 ペクは部屋の中に目を配らせてみたが、それほど広くもない地下室なので、すぐに全体を見渡せてしまう。攫われた女性達の姿は見えない。最悪の場合、もう既に全員殺されてしまったか、もしくは人身売買組織にでも売り飛ばされたか……――。

「おいおい、失礼な男だ。麗しい淑女ダーメの皆さんなら、ちゃんとココにいらっしゃるじゃあないか」

「ふざけているのか……?」

 ――ペクは静かな怒りをたたえながら、トリガーに指を添えた。だが、異能者は慌てる様子を見せない。

「おっと……撃つなよ? 後ろにいる『彼女たち』はまだ生きてるのもいるんだからあなぁ」

 そう言って、メルクーアは立てた親指で自分の背後を指差す。

 彼の示した先にある、頑丈そうな金属製のラック。上段、中段、下段と分かれている。そこに複数、几帳面に並べて置かれている大きなガラス瓶を、ペクは見た。その数はちょうど十五個――――失踪した被害者の数と一致する。

「まさか、貴様……――」

 視線の先にあるガラス瓶を凝視する。瓶に満たされた内容物――そこには人間の体の一部と思しきパーツが散見された。ペクの顔が嫌悪と激怒の色に染まる。

「人間を……人間を〝瓶詰め〟にしたのかッ!!!」

 それを聞いて、メルクーアは下卑た高笑いを部屋中に響かせた。

「ひひゃはは!! 瓶詰めかぁ!! イイなそれ、最高だよ。そうだ、瓶詰めだ! 液状化して瓶にぶち込まれ、絶望しながらも生きようともがき続けている――――そんな彼女たちを見ていると最高にソソられる!! お前はどうだ? フラスコの中の彼女たちを見て美しいとは思わないか!?」

 興奮した彼の両目が、魚のようにぎょろりと見開かれる。片方だけ焦点の合っていない、斜視状態の左眼球。その眼があちこちに忙しなく動いた。

 メルクーアの言う通り、瓶の中に閉じ込められた哀れな被害者たちのいくつかは、原型を留めないほど姿形を変えられてしまったにもかかわらず、まだ己が生きていることを必死に証明するため、びくびくとわずかな蠕動ぜんどうを繰り返していた。

下種ゲスめ……!」ペクは相手にもバリバリと音が聞こえるくらい強く歯を喰いしばった。

「ほざけ、そちらこそ国に雇われた人殺しの分際で! お前などには分かるまい……生きている者は生命維持装置に繋がれ、神秘的にも艶めかしい姿は透明なフラスコの中でその全身が! 裸体が! 内蔵なかみまでもが……ッ! 余すことなく、晒されるウッ!」

 メルクーアは自分で喋りながら興奮してきたのか、ねっとりと絡みつくような上目遣いでペクを睨め上げながら、血色の悪い舌から唾液を大量に垂らし、いやらしくナイフの刀身をしゃぶり上げた。

「ハァ……ハァ……やがて彼女たちが死んでも、スキマ無く納まった美しい肢体エキスは、生の残滓とともにホルマリン漬けで保存されるんだ! そうすることで私は彼女たちの凝縮された美と高潔を永遠に閉じ込め、そこに留めてやることが出来るんだッ!!」

 そんなこと、分かりたくもない――ペクは静かに立ち上がって立射姿勢をとった。本来ならすぐにでも引き金を引いてやりたかった。だが、まだ生きている被害者を液体から人間に戻せるのは、目の前のこの男だけだ。今殺すわけにはいかない。

「……ッフゥ。その悔しそうな顔、堪らんなぁ。お前も殺したあと瓶詰めにして、奇麗に飾ってやろうか? ヒッ、フヒヒッ……」

「……御免こうむる」

 変態の趣味に付き合っている時間はない。

「(それに、薬品棚に跳弾が当たってしまうのも危険だ。あそこに並んでいるのは、おそらく誘拐した女性を動けなくするための劇薬――クロロホルムや、そして死体保存用のホルマリンなどだろう。どちらも揮発性の有害物質を発生させる……)」

 吸入麻酔として有名なクロロホルムは空気に触れれば酸素と反応してホスゲン系の毒性物質を発生させ、また、理科室の標本などでなじみの深いであろうホルマリンに関しても、熱や燃焼以外に、硫酸など他の強酸薬品と混じり合うことで有毒ガスが生じる恐れがある。この地下の密室でそれらが充満してしまうような事態は、刑事と異能者、双方にとっての命取りになりかねない。とにかく、安易に銃器を使用することはできない――。

 焦りを感じる。こうしている間にも水位は増し続け、今や膝上辺りにまで差し掛かっている。

 もはや抜き差しならないまでに追い詰められているメルクーアはもとより、ペクに関しても、悠長に話をしている余裕は無くなりつつあった。

 ――そのような状況下で、いよいよしびれを切らしたのかのように先制攻撃を仕掛けたのは、メルクーアのほうだった。

「ヒィッヒ!! 」

 甲高く気味の悪い笑い声を上げながら、ペクに急接近する。水の抵抗などまるで意に介していない、水棲生物じみた薄気味悪い動きだった。

 しなるように振られた左腕。ナイフが生きているかのように踊り、空中に白銀の尾を引く。二連撃の素早い切り上げが交差線を描き、そして刺突。ペクがその斬撃を短機関銃の銃身で受け流し、突きをスウェーで避ける。メルクーアは避けられたナイフをくるりと回して逆手持ちに切り替え、腕を引き戻しながらペクの首を刈ろうとする。ペクはダッキングでその刃から逃れる。

 敵は追撃の手を緩めない。ダッキングで屈み込んだところを右のロシアン・フックで殴打してきた。これをテンプルこめかみにまともに喰らってしまう。そこから拳を振り抜いて回転し、再び順手に戻したナイフでの横薙ぎ。ペクは慌てて銃身でガード。

「(くそっ、正直言って格闘戦はあまり得意じゃないんだが――)」

 頭の中のそんな泣き言を振り払うべく奮闘するペクだが、相手の鋭利に絡みつくような攻撃は次々とペクの躰を傷付けていく。

 メルクーアのナイフ捌きは、異常に不規則で読みづらい。彼の異能は関節骨を〈液状化〉することで固め技や絞め技を無効にすることができるが、このように攻撃に転用すれば「無制限な可動域」と「独特の軌道」を実現することもできるのだ――。

 その緩急自在のナイフ術に惑わされ、濁水を掻き分けながら至近距離で揉み合う混戦のさなか、ペクの肩が、とうとうメルクーアに掴まれる。

 ズぷっ……と、メルクーアの五指がコートを溶かし、ペクの上腕二頭筋に抵抗なく沈み込んでいく。

 〈液状化〉が来る――そう覚悟したペクだが、彼は逆にこれがチャンスだとも理解していた。メルクーアが己以外に異能を発動している今なら、メルクーア自身の躰を〈液状化〉することは不可能。

 ペクは臆すことなくサブマシンガンのストック部分で相手の顎を打ち上げ、続いて胴体をサイドキックで突き飛ばした。

 敵は顎を打たれて意識が回らなかったためか、胴体を液状化して蹴りを無効化する暇がなかった。メルクーアの躰は後方に突き飛ばされ、背中から勢いよく着水する。しかし、メルクーアも決してタダで蹴られてやったというわけではない。倒れ込みながらもスペツナズ・ナイフをペクに向け、ブレードを射出してきた。今度はペクの右肩にブレードが命中する。

「がぁ……ッ!!」

 鋭い痛みに呻き声をあげるペク。

 そしてメルクーアは着水と同時に水中に潜り込み、そのまま姿を見せない。

「(何だ……? 忍者の如く水遁の術でも行うつもりか……?)」

 水遁の術――というのも、あながち間違いではなかったかもしれない。なぜなら敵はそのまま自らの躰を液体へと変え、地下室に浸水する大量の水と同化してしまったのだから――。

 異能 “Ooze maker” は対象物を液状化する時、ヘドロのようなドロドロからスライム状、また、元の物体の色や質感を残したり、ある程度の自由度がある。完全な無色透明の液体に変わるまでは多少時間がかかるが、濁った水中を隠れ蓑にするのであれば、これほどうってつけな能力もないだろう。

 ペクは水面に銃口を向けたが、無闇に引き金を引く事は出来なかった。水面に向かって撃ち込まれた弾丸は、入射角が浅ければ「水切り」のように跳弾してしまうことがあり、一体どこに飛ぶのか、分かったものではないからだ。弾道が狂って薬品棚の劇薬を流出させてしまうことももちろん危険だが、何より避けたいのは、瓶の中で生命維持装置に繋がれた「彼女たち」にまで危害が及んでしまうことだ。

 ペクは哀れな瓶詰めの被害者達をちらりと見てから、憎々しい目で、部屋中を満たす大量の濁水を睨みつけた。

「くくくく……」

 姿の見えない敵の笑い声が地下室内に響き渡る。

「……なんだぁ、その目は? 私みたいな者は、社会的常識、精神医学的見識から見れば〝病気〟ってやつなんだろう? むしろ同情してもらってもいいくらいだ。

 お前らのような健全で正常な〝普通人〟はいいよなぁ! 兵隊やってる時だってそうだった! 他の奴らは適当に娼婦でも買ってくるか、最悪そこらへんの女を銃で脅してマワしてれば良かったんだからなぁ? でもな、私の場合は違った――この能力を手に入れる以前は、ありったけのライフル弾を撃ち込んで、原型を留めないくらいぐちゃぐちゃにした死体にしか欲情できなかった。この性癖のせいで私がどれだけ苦労してきたか、お前に分かるかぁ!? フヒャヒャヒャッ」

 異能者は語る――獲物を前に狂喜しながら。顔こそ見せていないが、メルクーアの声からは、彼の表情がいびつに引き攣った破顔であることが容易に想像できる。

「悪いが微塵も同情できないな。聞いた限り、貴様は自らの異常性について本気で悩んでもいないし、罪の意識さえ持ち合わせていない。それどころかその〝病気〟を己の欲望を満たすための言い訳にすらしている。貴様の言い分は、他人の命を奪っていい理由には一切ならない」

「……高説ごもっとも。だがな、理から外れてしまった者がわざわざ理に従う理由もあるまい? まして今や人間を超えた私が、人間のルールに縛られる必要もない――」

 次の瞬間、背後からぬっと青白い手だけが水面を破って姿を現し、その手に握られたスペツナズ・ナイフからブレードが射出された。ペクは気配を察して振り向きながら、飛来する刃を躱す。

「(スペツナズ・ナイフ――まだ持っていたのか!)」

 ブレードは首筋のぎりぎり横を通り過ぎていく。すぐさま気配のした方向へと向き直ったが、敵の手はもう水中に引っ込んだあとだった。

 ペクは改めて思い知らされる。溢れ出す水に刻一刻と満たされていく地下室――――この状況、自身の躰を〈液状化〉できる異能者メルクーアにとっては、これ以上ないほど絶好の戦闘環境だろう。まさに〝水を得た魚〟とでも言うべきか――。

 液体となり大量の水と同化して姿を隠し、攻撃する時は手首から先だけを復元。そして水底に配置しておいたスペツナズ・ナイフを拾い、相手に向けてブレードを発射する。これを繰り返すだけで、自分は無傷のまま相手の体力、精神力を削り取っていくことが出来る。いかにも用心深く粘着質な、メルクーアらしい戦術だった。

 だが、不利な状況に立たされてもペクは冷静さを失わなかった。そして、刑事としての矜持も――。

「……理から外れてしまった者は、理によって排除される。それが有史以前からの不変のルールだ。社会でも、戦場でも、野生の世界でもな。異能も、お前の言うところの〝病気〟も、ただそれだけなら無論、罪ではない。そういったものを抱えながら、悩み、苦しみ、社会に溶け込もうと必死に生きている人達もいる。だが、自身の『異常』を理由に理論武装し欲望のまま他者の命を奪うお前の行為は、紛うこと無き悪―――俺達特警はその〝悪〟を排除することに一切躊躇しない」

 今ペクの述べた口上は、かつて戦場で彼を特警にスカウトした老刑事からの受け売りだった。世を捨て戦場を彷徨い、「人を殺す技能」だけに特化してしまった、一人の若い狙撃手――――そんな彼の前に道を開き、生きる意味を与えてくれたものが、さきほどの言葉だったのだ。

 もっとも、とうの昔に彼我ひがに渡ってしまったであろうメルクーアには、その言葉も馬耳東風でしかなかったのだが……。

「そんな理など、くそくらえだ、バカめ!! 私は絶体絶命の状況でこの能力を手に入れた時、新たに生まれ変わったような気さえしたッ! いや、あの瞬間にこそ私の真実(ほんとう)の人生が始まったのだ!!

 そう……あの時頭の中で『カチッ』と音がしたんだ――まるで歪んでいた歯車どうしが奇麗に噛み合ったかのような。今まで歪んでいた〝何か〟が正される音が……!」

 正されたのではない――それはきっと、〝何か〟が壊れた音だったのだろう。ペクはそう思った。

「昔戦場で、お前のように壊れていった奴らを……何人も見てきた。俺とて他人(ひと)のことは言えん。もしあのまま傭兵を続けていたら、いずれはただ敵の眉間に照準を合わせてトリガーを引くだけの殺人機械になっていたかもしれない。だからこそ、お前のような輩を野放しにはしておけない」

 そしてペクは、一層真剣な表情で、力強く言い切った――


「お前の暴走は、今ここで俺が止める――!!」

 

「……フン! 余計なお世話だッ!!」

 メルクーアの叫びとともに、本日四本目のスペツナズ・ナイフが発射される。飛来した刃はペクの大腿部に突き刺さった。それに続き、位置を変えながら次々と襲いかかって来る新たなナイフ。かろうじて急所だけはかばったが、体中のあちこちに切り傷や刺し傷を受けてしまうペク。

「御託を並べたところでッ! ヒヒヒ、無様だなぁ! 銃も使用できない、助けも呼べない、私の姿さえも見えない――この状況でどうやって私を止めると!? 漫画の特殊警察みたいに秘密兵器でも使ってみるか? たとえばそうだなぁ、弾頭に液体窒素が込められた弾丸とかはどうだ?!」

 嫌味まじりの罵声を浴びせてくるメルクーアに対し、ペクは性格通りの生真面目な切り返しで応戦する。

「生憎だが、人体――それも成人男性ほどの体積を持つ対象に、弾丸に込められる程度の少量の液体窒素を使用したところで、ほとんど効果は見込めない。それに、液体窒素が気化することによる体積の膨張率は約 700 倍だ。容器の破裂による暴発の危険性、また、弾丸を完全な断熱容器に作り変えるコストの面からみても――」

「おいおい、冗談の通じない男だな……そんなこと誰も本気で言ってはいない」

 呆れつつも、メルクーアは慎重にペクの背後に回り込み、出方を窺っている。

 ペクのほうも、こうやって何とかして時間を稼いでおけば増援によって完全にこのビルを包囲出来るかもしれない――などと考えていた。たとえ自分がここで殺されても、目の前の犯罪者がまんまと逃げおおせる可能性は激減するはずだ、と。

 SMGサブマシンガンをしっかりと構えながら、まだ沈みきっていない地下室中央の作業台上へと避難する。どこに敵が潜んでいるか分からない水の中にいつまでも浸かっているのも得策とは言えない。

 一度この部屋から撤退するという案も浮かんだが、そうすれば敵に逃げられてしまうリスクも発生してしまう。何より、地下室にたった一つしかない出入り口に近寄るなど、愚の骨頂だ。敵からしてみればこれほど読みやすい行動もないうえ、ナイフの狙いを付けるのも至極簡単なことだろう。

 ――そうなると、液状化した敵を相手にどう戦うべきか。

 瞬間冷凍、瞬間沸騰、高分子吸水材の使用――ペクはあれこれ考えてはみたものの、どれもこの場にはない薬品等が大量に必要で、実行不可能なものばかり。

「(こんな時、自分にも何かしらの異能があれば状況を打開できるかもしれないのにな――)」

 もちろんそのような無い物ねだりをしたところで、何も始まらない。彼には「今できる事」をするしか方法はないのだ。

 ペクはまず、瓶詰めの被害者達――彼女らが繋がれている生命維持装置に目をやった。仕組みは詳しくは分からないが、どうやらメルクーアが独自に作成した物らしい。おそらくチューブや電線から栄養や微弱な電流を送って、〝液状化〟された被害者達を延命しているのだろう。それらの装置は家庭用電源とは別に用意された発電機に繋がれている。メルクーアが裏稼業で稼いだ収入のほとんどは、これらの装置に注ぎ込まれているのではないだろうか……そう思わせるほどの執着と徹底ぶりだ。

「(ふむ、自家用発電機で被害者の延命装置を作動させているのなら、家庭用電源のブレーカーが落ちても問題は無い……ならば――)」

 ペクはそこでようやく死中に活を見出した。

 唯一の懸念は相手の生死だが、液状化中のメルクーアに、おそらく人間と同じような心肺機能は働いていない。この方法で死に至ることはまずないだろう――。

 同じく、メルクーアもいよいよ行動を起こそうとしていた。冷静に、確実に、ペクの首筋の後ろにナイフの狙いを定めてくる――。


 ――それはまさに、ほんの寸毫の差だった。


 迷いなくSMGを構え、素早く行動に移したペクのほうが、敵の一手先を行った。

 彼が狙いを付けたのは水面でも、そこに隠れているメルクーアでもなく、天井の電灯に繋がった、剥き出しのままの――――――電線。

 跳弾による被害を最小限に抑えるため、「指切り射撃」によって極力少ない数の弾丸を発射する。

「物理攻撃の効かないその体でも……水を伝わる電流だったら果たしてどうだ?」

 ペクの放った弾丸は、それぞれ寸分の狂いもなく標的を撃ち抜いていった。まずは剥き出しの電線を壁や天井に打ち付けていた固定具を破壊。金具とネジだけのいい加減な施工で天井に取り付けられていた電灯が、留め具を失って落下してくる。それに繋がった電線にも、数発の弾を叩き込む。

「お、お前まさか――――――やっ、やめっ……」

 メルクーアがペクの狙いに気が付いた時にはもう、弾丸によって断ち切られた電線が、火花を散らしながら水面に接触していた。

 次の瞬間、閃光が走り「バチバチッ」とものすごい音がした。

「うぅう゛う゛ぅう゛っあぁッッ!!!!!」

 メルクーアの絶叫が室内をビリビリと震わせ、響き渡った。

 電気によるショック――それは〈液状化〉しているメルクーアに大ダメージを与えられる、有効な攻撃手段だった。異能 “Ooze maker” によって液状化された物体は、どのような形状になったとしても、元の物体であることには変わりはない。つまり現在メルクーアは、人体を構成する鉄分や塩素、その他の不純物を多く含んだ、非常に電気を通しやすい液体に姿を変えてしまっている、ということになる。(ちなみに、不純物の全く入っていない、ただの水――いわゆる「超純水」などと呼ばれる純度の高い水――は、電気を通さない絶縁体なのだが)

 電撃は容赦なくメルクーアの全身を貫く。そして何より「液状化した状態での感電」という、生まれて初めての経験は、彼の精神と肉体に絶大なる苦痛を与えた。

 漏電により回線がショートし、一瞬にしてブレーカーが落ちる。だが、メルクーアのコレクションを照らすLED照明は発電機から電力を供給していたため、部屋の中は何とか目視できるほどの明るさに保たれていた。

 やがて、うつ伏せのメルクーアの体が水面に浮かんでくる。意識を失ったことで、自身へ使用した能力が解除されたようだ。ペクは先ほどまで闘っていた敵を水中から階段の上まで引きずり上げ、呼吸と脈拍の確認をした。大丈夫だ、生きている――。

 メルクーアの無事を確かめたペクは、水中に潜り水道管のバルブを探し出した。渾身の力でバルブを回し、水漏れを止める。戦闘中にはこんな悠長なことをしている時間は無かったが、疲弊しきった体でなんとか車のハンドルほどもある大きなバルブを閉め切ることが出来た。

 ひと仕事を終え、刑事は水面下から抜け出し、大きく深呼吸する。

 まだ地下室から逮捕したメルクーアや瓶の中に囚われた被害者達を運び出さなくてはならないという重労働が残っているが、それはこのあと駆けつける王や増援部隊に任せればいいだろう。

 彼はコートの襟もとに取り付けられた無線機のマイクを手繰り寄せる。濡れてしまったが、防水性であるため、まだ使える。


「午前1時23分、異能者ヴァイヒ=メルクーア確保完了――――」


 無事本部へと状況終了の報告を入れたペクは、どっと疲れた表情で通路の壁にへたり込んだ。 





 カラカラに晴れた空が気持ちいい、そんな日だった。

 メルクーアの逮捕から既に数日が経った。

 野外に設けられた広大な射撃訓練場――青空の下でペクはライフルを構えていた。

 地面にはレールが敷かれ、その上を人型の的が沿って移動する。ペクはかなり離れた距離から、その動く的を安定した射撃で次々と撃ち抜いていった。弾痕は全て、胸か頭の位置を貫いている。

 こうやってライフルを構えている時、ペクはまるでその鋼鉄と火薬、大小様々な部品が織り成す機能美に満ちた機構の一部一部を、己の延長上――身体の一部であるかのように感じることがある。

 完全に銃と一体化した感覚は、やがて彼に躰からじわじわと溶け出し、辺りにまで広がってゆく。地面に転がる石、周囲に茂る草の一本一本、遠く微かな風の流れ、その風に揺られて樹木の木葉どうしが擦れる音、そして枝にとまっている小鳥の存在まで――全開となった五感は、様々な事を教えてくれる。

 この域にまで集中を高めたペクを相手に気配を隠し通すことは、野生に住まう鳥獣虫魚や歴戦のレンジャー部隊でさえ困難を極めるだろう。ただ一人、特警の〝ある人物〟を除いては――。

 無駄のない射撃制御と照準動作で五つ六つの的を撃ち抜いたあと、ペクはようやく背後に立つ何者かの存在に気が付いた。鋭敏化したペクの感覚を搔い潜りこの距離まで接近し、物音も気配も全く悟らせない動き――明らかに只者ではない。

「……戦場から離れても腕は鈍っておらんか――流石じゃな」

 背後から声を掛けられ、ペクはスコープから利き目を外し、銃を下ろす。

「あの時もそうやって、気付いたら俺の背後に立っていましたよね――副隊長」

 ペクが振り返った先に立っていたのは、薄い柴染色ふしぞめいろのロングコートを着た老人、サカキだった。齢七十を超える身にして、現役で特警の対異能犯罪出動部隊副隊長を務めるほどの実力を持つ、生粋の戦闘者――。

「ふん、こんな爺に易々と背後を取られるようでは、まだまだ修行が足りんわ」

 老兵はつまらなさそうに毒づいた。静かに移動し、狙撃手の隣に立つ。

「あなたが規格外なだけですよ、ご老体」

 ペクは力なく笑って、スナイパーライフルをケースにしまった。

「何を言うか――わしはもうそろそろ引退じゃよ。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。部隊にも有能な粒が揃ってきたしの。じじいは後方支援にでも回ろうかと思っておる」

「また御冗談を……」

 殉職以外に、この老兵が殺し合いから引退することなど到底考えられない。ペクはそう確信していた。

「何が冗談なものか――おんしには特に期待しておるぞ。先日も元軍人の異能者を捕縛したそうじゃな。液状化とはまた随分面妖な能力を――大層手強かっただろうに」

 シワを集めて口の端だけで笑う榊に対し、ペクの心中は複雑だった。

「結局、捕まえるのが俺達の精一杯ですけどね。メルクーアに殺された者はもう帰ってこないし、生きて人間の姿に戻れた被害者はたったの二人。しかも壮絶な体験のせいでPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥り廃人同然の状態。犯人を裁くのは司法の役目で、彼女たちを癒すのは異能障害の専門機関――正直言って、無力感を感じますよ」

 犯人を捕まえたところで、事件はまだ何一つ終わっていない。だが自分たちが関われるのは所詮ここまで――――そのような諦観がペクの中にはあった。

「まだ迷っておるのか? その迷いはブレを生み、真実の瞬間に後れをとる。なれば次に敵と相見えた時、眉間に風穴が開いておるのはおんしの方かもしれんぞ――?」

「………」

 無言のペク。榊老人はさらに続ける。

「儂は戦場で出会ったおんしを特警に誘ったことを後悔してはおらん。道理の通じん馬鹿が次々と湧いてくる限り、儂やお前のようにそれを武力行使で排除する者達は必要になって来る。その馬鹿共が人外の力を手にした異能者となれば尚更――な」

 二重の意味で〝武闘派〟である榊らしい言葉だった。特警の中でも、ここまで極端な考えを持つ者は、そうはいない。榊が古い人間だからと言ってしまえばそれまでの問題だが、老兵の心中には堅く誓った確かな信念があった。

「――奇麗事で済むなど、はなから思っておらん。たとえ泥を引っ被ることになろうと蛇蝎のごとく忌み嫌われようと、儂は次の世代に少しでもまともな世を渡してやりたい。その為ならば鬼にでも修羅にでもなろうぞ」

 以前にも同じ事を言われたのを、ペクは思い出した。そしてその言葉は、彼の道しるべになってくれたものだった。

「――俺だって、殺す事しか能のなかった自分に道を用意して下さったこと、感謝していますよ」

 かつて戦場でこの老人に音も無く背後に立たれ、冷たい刃物を首筋に当てられた時、ペクは死を覚悟した。それと同時に、このまま戦場で見ず知らずの敵に首を掻っ切られるのが、傭兵として多くの命を奪ってきた自分にはふさわしい最期だとも思った。

 だが、覚悟を決めたペクに次の瞬間かけられた言葉は

「おんしの手腕、儂のもとで存分に振るってみる気はないか――?」

という衝撃の一言だった。

 それ以来、戦場で兵士の命を奪ってきた彼の狙撃銃は、異能犯罪者に向けられるものになった。

 きっと、これでいいのだろう。自分には引き金を引く事しか出来ない。これからも牙を研ぎ続ける。そして研ぎ澄まされすぎた牙は、闘いの中である日突然ぽっきりと折れる運命さだめなのだ。

 戦場と何も変わらない。

 異能者の命を奪う覚悟。

 異能者に命を奪われる覚悟。

 どんな惨めな最期でも、受け入れよう。ここが自分の選んだ、新たな戦場なのだから――。


「――で、副隊長。久々に顔を見せたのは世間話のため、というわけじゃないでしょう?」

 ペクは少しだけ吹っ切れた表情で、隣の榊に問いかけた。

 彼がそう問うたのも、世界各地を回って特警隊員をスカウトしている榊老人は、滅多な事がない限りこの支部には寄り付かないからだ。

「察しが良いな。実は儂と一緒に中東のほうに飛んでもらいたい。クルス教系のテロ組織がイスラム系の過激派連中と小競り合いをしておってな、勝手にドンパチやってお互い潰し合うぶんには構わんのだが、いかんせん巻き込まれる一般人のほうが被害が大きい。国連の上層部も苦い顔をしておるわ」

「そこに俺達も呼ばれるというのは、つまり異能者が関わっているということ……」

「うむ。その異能者――目撃情報じゃと巫山戯ふざけたことにクルス教司祭風の戦闘服を着ておるらしいが――凄腕の狙撃手で、千里眼系の能力と、銃弾が障害物をすり抜ける能力、二つの異能を併用して戦うらしい。証拠として回収されたライフル弾や薬莢には一つ一つご丁寧にも “Divine Punishment”(〝神罰〟)と彫り込まれておったそうじゃ」

「ディヴァイン・パニシュメント――神罰代行者気取りのスナイパー……か」

「驕りも甚だしいが、武器と異能の組み合わせは上手く型に嵌っておる。下手をすれば無敵の能力と言えるかもしれんが――――やれるか?」

 榊が挑発するような笑みを浮かべた。答えなど、聞く前から分かっている――とでも言いたげに。


「――もちろん。すぐに現地に飛びましょう」


 自分はやはり、命の遣り取りの中でしか己の価値を見出せないのだろう。迷っているよりも、引き金を引いたほうが随分と楽だ。

 あれこれ考えたり迷ったりするのは、もっと真剣で純粋な、未来のある若者に任せればいい。その代わり、汚れた泥は自分が引っ被る――――。

 たとえ間違っていようとも、彼にはそうすることしか出来ないのだ。ペクは覚悟を新たにし、榊と一緒に訓練場を後にした。




(―泥欲氾濫―完)




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