第11話影 と 光

 棍による攻撃を封じられリーチが取れなくなり、破壊された街によってフットワークが活かせない。元々体格で劣るアリサは防戦一方であった。

 第2.5世代コードはリキに、アリサの想定を超える多大なパワーとスピードを与えており、一撃離脱の攻撃も効果が薄い。悪くなる一方の足場が彼女のスピードを奪い、捉えられ攻撃される、という局面が増えて来た。

 アリサの足下が滑った瞬間をリキは逃さず、蹴りを加える。

 「ぐはぁっ!」

 吹き飛ばされビルの壁に食い込むように貼り付いたアリサは、そのままズルリと地面に落ちる。


 全てのモニターにリキの顔のアップが映る。

 「……おい、もう限界じゃないか?」

 「<楽園>はこれで終わりなのか?」

 「次は、<ヘヴン>か?」

 「おい、馬鹿なことを言うな」

 「いや、さっき宣言しただろ? 有力フィールドを狙ってくんだ。次はここだよ」

 わき起こる不安の声が、リキの口元に浮かぶ笑いが一気にかき消す。

 ゆっくりと歩きはじめるリキ。その歩みとともにサンセットのざわめきが少なくなっていき、アリサの元に着いた頃には誰も声を発する者はいなかった。

 「……良くやったよ、お前は」

 リキはそう呟くとアリサの首根っこを掴み、高々と持ち上げた。モニターの前の人びとから絶望の声、悲鳴に近い声が上がる。

 赤服、青服と少年は声を押し殺して笑っている。

 リキが巨大な手で拳を作り、振り上げる。

 フタバは耐えきれず、顔を伏せてしまう。


 「……ミウちゃん」


 フタバは思わず呟いた。

 そのひと言に反応するかのように、ざわめきの声が産まれ始める。

 「え?」

 「……おい?」

 「何が起きた?」

 モニターからリキとアリサの姿が突然、消えたのだ。迷走し始める四方の画面。店内の人びとは状況が理解できず、きょろきょろと周りを見回し始める。

 「……来たぁ!」

 少年たちに気付かれる訳にいかないので、フタバは小声で叫ぶ。

 「え?」

 フタバの歓喜の表情に、ますます状況が飲み込めなくなるテン。

 モニターの画面は相変わらず迷走して、上下左右にカメラアングルが変わるが、街の適当な場所を映すだけだ。

 「SDCステルス・ドローン・カメラが暴走してんじゃないのか!?」

 「しっかりしろよ、楽園テレビ!」

 その声に呼応するようにカメラの移動速度が速くなる。モニターの絵は、謎の爆発を捉えてはすぐ移動、また爆発を捉えるということを繰り返していた。

 ひとり、状況を理解しているフタバだけは興奮を抑えられない。

 「来た、来た、来た、来た、来た、来た、来た、来た、来たぁっ!」

 押し殺した叫び、そして堪えきれない興奮を隠すため顔を伏せる。フタバ以外の全員の視線はモニターに釘付けだ。

 「なんだぁ、あちこちのビルが突然爆発し始めたぞ」

 「いや、道路もだ。何が起きてるんだ?」

 「……まさか。SDCの画像追跡が追いついていないじゃ?」

 「そんなこと、あるわけないよ」

 「でも、カメラがあっちこっちにパンして、爆発シーンを連続して写すなんてありえない」

 テーブルの影に隠れたフタバの顔は、これ以上ないほどに興奮していた。自分の感情の振れ幅がこんなに広いとは自分でも思わなかった。

 ニヤニヤが止まらないっ!

 大声で叫びたいっ!

 フタバは思わずフェイスシンクのスイッチをオフにした。無表情でいるのは目立つけれど、それでもニヤけまくっている現状よりはマシと判断したのだ。

 「おい! まさかとは思うけど」

 「いや、そんなことはないって」

 「カメラが追いかけるのあきらめて引き画になったぞ」

 「なんだこれ。ビルといい、道路といい、休む間もなくデタラメに爆発しまくってるじゃないか」

 「……やっぱり、たまに影が映らないか?」

 「カメラが戻った。あっ!」

 それは一瞬の出来事であった。

 切り替わったカメラに映るのは、リキの腹部を下から突き上げるように殴り上げるミウの姿。吹き飛ばされるリキは一瞬で真上にフレームアウトし、ミウも姿を消す。気付くと上から降り注ぐ瓦礫ばかりが画面に映っている。

 カメラが切り替わり全景を映すと、縦に深い溝が掘られたビル、その上に吹っ飛ぶリキの姿があった。

 そして空中で追いつき、追い越すミウの姿が映る。カメラの映像はグングンと上空に舞い上がるミウを捉えている。ここにきて、左腕にアリサを抱えているのが確認できるようになった。

 ミウが上空でクルリと回転して、トンッと空に“着地”するとサンセット店内にどよめきが起きた。

 「ちょ! まさか」

 「……信じられない」

 「<バトル・シティ>の天井まで届いたのか!?」

 「あんな所、届く訳ないだろ!」

 モニターのミウはゆっくりと膝を折り曲げて勢いを殺している。

 殺し切れていない勢いのため、天井に数秒しゃがみ込む形となるミウ。

 そして、軽く空を蹴ると、弾丸のようなスピードでミウが落下していく。サンセット全てのモニターがミウを追う。四方を囲む巨大なモニターは全て急激に落ちる空。自分自身が落下する錯覚を起こした者の小さな悲鳴があちこちで上がる。

 やがて自由落下するリキに追いつき、ミウは余った右手でパンチを繰り出すと再び両者の姿が消え、同時に両端のビルで爆発が起きた。ミウのパンチの作用、反作用でそれぞれ反対の方向に身体が吹き飛ばされたのだ。

 「おい、あの爆発って……」

 「リキが大砲の弾のように吹き飛んで、ぶち当たってるのか!?」

 「SDCが追えないほどのスピードって、どんなパワーだよ」

 一瞬でひっくり返った形勢に、サンセット店内は一気に盛り上がる。

 「フタバさん、あれはミウさんですよね?」

 「そう、あれは新しい方のルナ」

 興奮するテンの質問に、表情を変えずに答えるフタバ。赤服たちから見えないように伏せているので、彼女の口元は見えないが、テンは気にも留めようとしない。

 無理もない。SDCが追えないほどのハイスピードバトルだ。しかも形勢が一気に逆転する奇跡と、スピリッツの新たなる可能性を同時に見せられたのだ。興奮しない方がおかしい。

 そんな中、フタバだけは漠然とした不安に襲われていた。

 「やっぱり、ミウちゃんでもコントロールしきれていない。

 ……強すぎるのよ、ルナは」


 サンセット店内では、ミウの一挙手一投足に歓喜の声が上がる。

 「何じゃあ、こりゃあ!」

 「勝ったな」

 「すごい、すごい、すごい!」

 「すげえな。あれ、ミウだろ? 新型の方の。ルナって言ったっけ?」

 「おいおい、この前のとは全然別物じゃないですか」

 「そりゃ、旧型のアリサ相手じゃ手を抜かないと身体がもたない。次元が違いすぎる」

 「うーん。それにしてもデタラメなパワーだな。まるでチートだよ、これじゃ」

 「このシステムってコードとドールの性能がそのまま反映するからな。不正改造してるってことはないだろ」

 「アリサだって、リキだって、俺たちとはパワーが違い過ぎる訳だし……」

 「それにスピードもすごいよね」

 「あれドライブできるのも、とんでもないテクニックじゃねぇか? あんなスピードでピタリと思った位置に止められねえぞ、普通」

 たった数秒で、サンセットにいる全員がミウの勝利を確信していた。

 当然、その光景を苦々しい表情で睨み付ける者たちがいた。赤服たち3人である。

 フタバと冷静さを取り戻したテンは、彼らをしっかりと監視していた。

 やがて少年が立ち上がると、赤服たちに強く何かを言いつけて店を出て行った。

 フタバが止める間もなくテンは立ち上がった。

 「僕は彼らを追います」


 パージアウトしたアリサが眼を覚ますと、そこはミウの腕の中だった。彼女は左腕一本をおしりに回してアリサを抱きかかえ、真っ直ぐ伸ばした右腕は、リキの首根っこをしっかりと掴んでいた。

 パージアウトしたのはわずかな時間のはずだが、<バトル・シティ>は一気にボロボロになっていた。

 そのビルの一角にミウは立ち、腕一本でリキを宙にぶら下げているのだ。逃れようと身体を左右に揺さぶるリキだったが、ミウの細腕は微動だにしない。

 何が起きたのかは想像するしかないが、予想以上の性能をミウルナが発揮したのが分かる。

 喜ぶべき状況なのだが、背中に冷たい物が走るのも事実だった。

 「く、くそうぅ……」

 アリサは、リキの右手が怪しい動きを始めたことに気付いた。

 「ミウ! 右手に気を付けて!」

 リキの右手がミウの右手を掴もうとした瞬間、ブンと彼の身体を投げ下ろす。

 ドーーーーン!

 瞬時に向かいのビルの1階部分に大穴が開き、粉塵が舞い上がる。

 「アンタねぇ、少しは加減って物を覚えなさいよ」

 アリサが呆れた顔で言うと、ミウは少し困ったような笑いを見せる。

 「! もしかしてアンタ、本当に上手く加減できないの!?」

 「はは、何とかなると思ったんだけど。

 ちょっとこの娘、パワーがありすぎるみたい」

 「馬鹿! なんで言わないのよ! そんな調整、半日あれば。……あっ」

 アリサは言葉を失った。

 「……うん。理沙もこーちゃんも限界だったから。私は何にもできないし……。それに、そもそも時間がなかったから、もしやったとしても……」

 「そうね。アタシたちがヘマやったかもしれないわね。調整を強行しなかったのは正しい判断ね。でも、黙っていたのは間違いだわ。アタシたちはチームでしょ?」

 「……だね。ごめんなさい」

 「よろしい」と、アリサが返すとふたりは眼を合わせ微笑んだ。

 と、同時にハムイチから音声チャットが入る。

 「おい、ミウ! ミウ! お前、やり過ぎだ。このままじゃ街が持たないぞ!」

 それを聞いたアリサが指でツノを作り、怒っているぞと言わんばかりのゼスチャーを送る。

 ミウは少し困った表情となりながら口を開こうとすると、アリサが手を上げて制止した。

 「あ、公一! ここに来てるの? 助かったぁ~。回復アイテムあるかしら? アタシさー、バッテリーがほとんどないのよね~」

 少々棒読みであったが、強引に話題を変えるアリサにハムイチは出鼻をくじかれた形となった。

 「お、アリサか。あ、ああ。あるぞ。こっちに来れるか?」

 回答と共にハムイチから座標が送られてくると、アリサはお礼を言い一方的にチャットを切った。もちろん、お礼は棒読みであったが。

 「アイツって瞬間湯沸かし器だから、少し時間をおけば怒りは納まるでしょ」

 アリサは抱かれたままで、ミウの髪をくしゃくしゃにした。

 「ありがと。でも、パージアウトしてたんだから、バッテリーの件は本当だよね。こーちゃんの所に送ってくね。私もこーちゃんに言うことがあるし」

 「ん! ただ、スピードは少し落としてよ。アンタの加速度が激しすぎて、パージアウトがなかなか解けなかったんだから」

 ミウはうんと頷いて、ビルから飛び立った。


 「……そうか。それは俺にも問題があるな。済まなかったな」

 ミウの謝罪をハムイチはあっさりと受け入れた。

 拍子抜けするミウに、ハムイチは「どうせ、もうこいつに説教されたんだろ? それで十分」と、アリサを指さしながら答えた。

 アリサは回復アイテムを口にしながら言う。

 「それより、この街が保たないのは事実よ。下手するとまたビル崩壊が起こる可能性があるわ。さっき、アタシたちがいたエリアはまだ無傷のビルがあるから、あそこで接近戦でやるしかないわね」

 「了解! だいぶルナに慣れてきたから何とかなると思う。バッテリー問題も解決してるよ。アクアよりもスタミナがあるくらい。巨乳にした甲斐があったね、こーちゃん」

 「ば、馬鹿野郎っ!」

 ウインクをして身体を返すと、ミウはジャンプをしてリキのいる方向に向かった。

 膝を軽く曲げただけのジャンプだが、ビルの屋上に届かんとする高さまで舞い上がり、その姿はあっという間に小さくなっていった。


 残されたハムイチとアリサは、ミウの去った方を見たまま会話を始めた。

 「大丈夫か?」

 「ええ、ありがとう。ちょっと、このドールに無理させすぎたみたい」

 「“アリサ”にしてみれば、3日間ログインし続けて、最後にこのバトルだからな」

 「関節とかボロボロ。終わったらメンテしてあげなくちゃ。

 それよりルナ、本当に凄いわね」

 「ああ……。あそこまでいけるとは思わなかった」

 「あの娘に抱かれて空飛んでる時、一瞬だけだけど景色が見えたの。

 とんでもないスピードだった。自分の処理速度が追いつかない、そんな感覚に襲われたわ。恐らくリキも同じだったと思う」

 ハムイチは黙って頷いた。

 「水月の能力を引き出したのはお前だよ」

 「そんなこと、ない。たぶん、アンタのおかげ。アタシはもう……」

 激しい闘いでナーバスになっていると判断したハムイチは彼女の手を強く握りしめた。

 「……すまないが、もうひと働きして欲しい。

 お前たちが倒したはずのコピーたちの姿が見えない。何者かが<バトル・シティ>に入り込んで彼らを回復した可能性があるんだ」

 「エロガキの仕業ね……」


 サンセットで、赤服と青服を監視するフタバの元に、テンから音声チャットが入った。

 「フタバさん、フタバさん、すまない。見失った。あのガキ、あっという間に移動しやがった。ゲートをくぐってしまったから、追えない」

 「あ、そうかぁ。ごめんなさい、テンテン。たぶん、あいつ第2世代コードを搭載してるのよ。ミウちゃんから盗んだヤツ」

 「え? 初耳ですよ、それ」

 「詳しいことは後で。むしろ、バトルにならなくて良かった。絶対に勝てないから。それに行き先は見当ついてるし」

 「……<バトル・シティ>ですな。じゃあ、そっちに戻りますわ」


 「リキ、聞こえるか? 俺だ」

 瓦礫の上に大の字になるリキに音声チャットが入った。

 「ああ、あんたか。もしかして、このフィールドに入ってきたのか?」

 相手はその言葉に応ずることなく、高圧的に言い放つ。

 「お前はミウのコードをコピーしろ。なんとしてでもだ」

 「……無理だな。力の差がありすぎる。

 ありゃ、正真正銘の化け物だ。眼にもとまらぬ速度で動き、片手でビルに大穴を開けるんだぞ、それも軽々と。攻略の方法が思いつかねぇよ。以前よりも力の差がある位だ」

 「なら、奥の手を使う。

 お前は、そこのビルの前でミウを足止めするんだ。どんな方法を使ってでもいい。その時、ハンドグローブは地面に置いて闘え」

 「俺と闘っている間に、後ろからミウを襲ってコピーするんですかい? 無理だと思うけどねぇ」

 「いいから、やれ! 今すぐだ」

 リキは苦笑いしながら、ゆっくりと上半身を起こす。

 「へいへい、分かりましたよ」

 チャットを切り、周りを見渡すと、ここは一切の光が当たらない場所だった。

 ここは、それほどビルの奥深い場所である。

 それでも、来るまでは一瞬。

 リキは重い腰を上げ、元来た方向を見た。

 陽の当たる場所。

 それはミウが空けた大穴。

 その先には、きっと彼女がいる。

 「……ちっ、馬鹿馬鹿しい。勝てない闘いに意味なんかあるかよ」

 そちらに背を向け足を踏み出そうとした瞬間、声が響く。

 「リキさん、いるんでしょ?」

 ……ミウだ。

 その声を聞くと、リキは足を踏み出せなかった。

 まるで、魔法にかかったように。

 「そうか……、俺は……」

 思わず口に言葉がついたが、最後のフレーズだけは飲み込んだ。

 それは、それだけは言ってはいけない気がしたのだ。

 リキは、上を見上げ「行くか」と、つぶやいた。

 反転してミウのいる方向に足を踏み出す。

 暗いところになれた眼には、外は眩しかった。

 真っ白な光の中、やがてミウの姿が浮かび上がる。

 「あんたは、ずっとそういう場所にいたんだろうなぁ……」

 リキの足は、ビルの影から抜けた。

 「待たせたな」

 ミウは怒るわけでもなく、微笑むこともなく、ただ訴えてきた。

 「ねえ、リキさん。もう止めようよ。勝負はついた。私たちが闘う意味はないよ」

 リキはミウと眼を合わせずに言う。

 「いや、理由ならあるさ」

 「???」

 ミウは小首をかしげる。

 「……意地。あと、約束さ。くだらねぇが、俺にもそんなモンがあるんだよ」

 ミウはため息をついて「じゃあ、仕方ないね」と、ひとこと言った。


 リキは両手を前に突き出し、力比べを要求した。

 が、ミウの表情はそれを拒否している。

 「安心しろ。コピーはしねぇよ」と、言ってみたが、表情は変わらなかった。

 「なら、これで良いだろ?」

 右手のハンドグローブを外しその場に投げ捨て、何もない手のひらをミウに差し出した。

 「へぇ? そういう仕組みになってたんだ」

 「じゃあ、やろうぜ」

 リキがそう言うと、ミウはすんなりと両手を組んできた。

 自分の大きな手は、ミウの手をすっぽりと包んでしまう。

 通常なら、負ける要素がない闘いなのだが……。

 「おい、しっかり構えろよ」

 ミウは軽く足を開き、両手の脇を締め、手を軽く曲げた状態で手を組んでいる。力が完全に抜けたリラックスした状態だ。

 「いつでもどうぞ」

 「くそっ、余裕見せやがって。いくぞ!」

 リキはフルパワーで、その巨体で押しつぶすかのように襲いかかるが、ミウの小さな身体はピクリとも動かない。

 「ふんっ……ぐうううぅぅ」

 どんなに力を入れても、抜いても、引いても、回しても、彼女の手は微動だにしない。

 まさしく桁外れ。この身体のどこにそんなパワーがあるのか。

 「……あっ」

 ドサッ。

 リキは、ミウの手を掴んだまま、顔からだらしなく倒れ込んでいた。

 いや、倒されていた。

 彼女が手首を倒しただけのパワーに耐えられなかったのだ。

 「くそっ!」

 手を振り払い、ミウの細い腰にタックルをかます。

 ズゥーン。

 「何ぃっ!」

 その身体からは想像もできない強靱な足腰は、ビルの壁すらぶち抜くパワーを軽々と受け止めてみせた。

 押しても、押しても、押しても、ミウの身体は、ビクともしない。

 ミウの右手が肩に触れると、リキの身体は一瞬で遙か遠くに吹き飛ばされた。

 彼女のパワーは、片手でリキの全身のフルパワーを遙かに上回っているということだ。

 「く、くそっ!」

 リキは足下のコンクリート破片の内、自分の身体を遙かに超える最も巨大な物を高々と持ち上げてみた。

 「ちっ、こっちのパワーに異常なしか。とんでもねぇ化け物だ、あいつは」

 そのまま助走を付けて走り、コンクリート片を勢いよく投げつけると、弾丸のような勢いでミウを襲う。

 しかし、彼女はピザパイの生地を空中で回すようにあっさりと対処し、静かに地面に降ろした。

 彼女は力比べをした地点を全く移動していない。

 結果として足止めはできているものの、それも彼女の気分次第。移動したいと考えたならば抗することはできない。

 もはや、リキはただこの場に引き留めろとの命令を守るためだけに闘っていた。

 「……!」

 そうか、時間稼ぎでよいのだ。

 今のところ、相手はこちらが手を出さないと攻撃してこない。

 「なら! 試してみたいことがあるっ!」

 リキはミウに向かって全力で走り、大きなモーションを使ってフルパワーで回し蹴りを決める。

 ミウは構えもせず、腕一本で受け止めてみせる。

 「くそっ! ビクともしやがらねぇ」

 そのままブンと腕を振るが、反撃に遭いリキの身体はつぶてのように弾かれビル壁面に激突した。

 崩れ落ちる壁。

 粉塵の中、リキは急いで立ち上がりミウを睨み付ける。

 ほとんど失われた視界の中、彼は確かに見た。一瞬だけだが、ミウの“しまった”という表情を。

 「そうか、やはりな……。あいつは力が強すぎて、加減が上手く出来ないんだ。なら、勝てないが、時間稼ぎなら可能ってことだな」

 リキは、ミウの前でファイティングポーズを取ったまま、一定の距離を置いて周りを回り始めた。


 <ヘヴン>のサンセット。取り囲むモニター。

 観戦する人びとは、圧倒的なミウの実力に大歓声を、そして消極的になったリキにブーイングを飛ばしていた。

 これまでやり放題だったリキの、もっともっとやられる姿が見たいのだ。

 重い空気が一掃され明るくなった店内で、赤服たちの動きが怪しくなってきた。

 キョロキョロと周りを見回し、赤服が合図を送ると青服がしゃがみ込む。

 みな観戦に夢中で、フタバ以外に彼らに眼を向ける者はいない。

 そして青服が立ち上がると、ふたりは店の出口に向かった。フタバは彼らを追うか迷ったが、彼らのいた席の方が気になって仕方なかった。

 やがてモニターの隅に彼らが店を出て行く姿が映るが、誰も気にも留めない。

 すぐさまチャットを入れる。

 「テンテン、赤服たちが逃げた。追える?」

 「フタバさん、まだサンセットまで距離がある」

 「あいつら、何か仕掛けてったみたい。見つからなかったら、深追いせずすぐにこっち来て!」

 「あいあいさー」

 フタバは急いで、赤服たちのいた席に移動した。

 いわゆる胸騒ぎというヤツがおさまらないのだ。悪い予感というのは得てしてよく当たってしまうものだ。


 すっかり及び腰となったリキに対し、ついにミウがしびれを切らした。

 猛ダッシュしてくるミウを、リキはひらりと躱す。

 落ち着いて振り返ってみると、この新しいミウは力とスピードに頼った直線的な攻撃しかしていない。

 旧型のような読めない動きはできないようだ。

 これなら、“あいつ”が何かをやるまでの時間稼ぎ程度はできそうだ。

 しかし、ミウのポテンシャルは高い。彼女はリキの想定を超えるスピードで対応し始めた。

 直進的な動きは変わらないが、テンポと距離が段々と短くなっている。旧型が曲線的な動きなら、新型は多角形的な動き。それはまるで今まで使っていなかったスイッチがオンになったような。

 はじめは1回曲がり、次はクンックンッと2回、そしてグッグッグッと3回、4回、5回とワンアクション単位の変化が次第に増えていく。多角形的な動きであっても、回数が多ければそれは曲線と変わらない。

 圧倒的強者であった彼女がさらに成長していく。非常なる現実にリキの心は折れそうになる。

 後ろにステップを踏んで躱そうとしたリキに、ついにミウの指が掛かる。そのまま脇腹をグイっと引き寄せると、無造作にリキの身体を高く持ち上げた。

 「くっ、万事休すか!?」

 ミウの片手が首に、反対側の手が左足首に掛かると、リキの巨体はあお向けになったまま弓なりに反らされる。

 「これは……アルゼンチン・バックブレーカー!」

 正確には、それに似たただの力業であった。

 華奢な身体に宿る圧倒的な腕力のみでリキの巨体を持ち上げ、反らし、ダメージを与える。

 リキは全身の力を使って抵抗するが全く効果はなく、今や不自然な角度までギリギリと曲がり始めていた。

 「く、くそう。これまでか……」

 リキがギブアップを口にしようとしたその時、“あいつ”から音声チャットが入る。

 「くくく……。リキさん、ご苦労さまでした。準備が出来ましたよ。そして、……さ、よ、な、ら」


 フタバは、赤服たちのいた席を隅々までチェックしていた。

 テーブルの上、何もなし。

 テーブルの下、何もなし。

 テーブルの裏、何もなし。

 椅子、すべて異常なし……いや、椅子をずらすと、脚に隠されるように例のステッカーが貼ってあった。

 嫌な予感は的中した。

 そして、すぐさまステッカーが五角形に光り始めた。

 「まずい!」

 フタバはマスターにもらったキャンセラーを取り出しステッカーの上に貼ろうとする。

 ボン!

 遅かったのか、キャンセラーの方が爆発してしまう。こうしている間にも、ステッカーの光が徐々に大きくなり、店全体に広がっていく。

 圧勝するミウの活躍に盛り上がっていた場は一瞬で静まりかえり、店内の視線がフタバの元に集中する。

 フタバは人目を気にせず音声チャットを始める。

 「あいつらサンセットに例のステッカー貼って逃げた!!」

 「こちらハムイチ。 キャンセラーを貼るんだ!」

 「だめっ! 間に合わなかったっ!」

 「フタバさん! テンです、今すぐみんなを避難させて!!」

 「うん、わかった!」

 フタバは立ち上がって、できる限りの大きな声で叫んだ。

 「みんな逃げて! ここは危険よっ!!」

 その言葉を合図にするかのように、光の柱が一気に伸び始める。

 ひとりの男がつかつかと歩み寄り、フタバの腕を掴み上げる。

 「てめぇ、何やってやがる。リキの仲間か?」

 「ち、ちがう……。逃げて。危険なの、ここは」

 「あのなぁ、無表情な顔でそういうセリフを吐くヤツを、俺は信用できないんだよなぁ」

 「え……。しまった、フェイスシンク」

 フタバはミウ復活の際、フェイスシンクを切っていたことをしっかり忘れていたのだ。

 慌ててオンにすると、腕を掴んでいた男の表情が変わる。それほどまでに鬼気迫る表情だったのだ。

 「いいからっ! はやく逃げて! ここは危険なの!」

 男が手を放すと、その場にちょっとした動揺が広がり始める。

 バタッ!と扉が開き、このフィールドのオーナーであるテンが飛び込んでくる姿がモニターのウィンドウに映し出される。

 「その人の言うことは本当だ! みんな、はやく外に出るんだ!!」

 タイミングとしては最悪だった。

 人びとが判断力を失い、一斉に扉に向かって殺到した。

 フタバの足下から光の柱が広がるのが、パニックを増長させた。

 後ろから押されるように先頭の者が倒れ、そのまま倒れ込むと、人びとがなだれ込んだ。

 誰一人、扉に到達することなく、光は全員を包み込んだ。

 ……そして、全員がパージアウトした。

 サンセットの時が凍り付いたのだ。


 ミウは眼の前が一瞬暗くなった。

 「これは……」

 そう、リキたちがコピーを行うときに発生するあの感覚だ。

 そして、音声チャットから興奮したハムイチの声が届く。

 「ミウ! 聞こえるか! 危険だ。今すぐ、その場から離れるんだ!!」

 「え?」

 「狙いは間違いなくお前だ! リキの動きがお前をそこに足止めするようだった。それが罠だったんだ。そこにサンセットが転送されるぞっ!」

 「へっ???」

 ミウは何を言っているかが理解できなかったが、リキを担ぎ上げたまま斜め後ろにジャンプした。

 その時、地面の一部が怪しい光を放ちはじめた。

 「あれは……リキさんのハンドグローブ!?」

 光はハンドグローブの手のひら部分から広がりはじめ、一瞬で高い柱を形作る。

 そして一気に広がり建物の外形となり、ミウたちは光に取り囲まれてしまった。

 トン。

 リキが投げてきた巨大コンクリート片の中央部にミウが着地すると、取り囲む光の色が変わった。

 「まずいな……」

 「お、おい。何が起きてんだ!」

 異常事態だ。今は闘っている時ではない。ミウはリキを降ろし説明を始める。

 「恐らく<ヘヴン>にあるサンセットがここに転送されてくるんだと思う。リキさん、あいつらの仲間でしょ?」

 「し、知らねぇよ。俺たちはどうなるんだ?」

 ミウは周りを見渡しながら言う。

 「私たちのデータ上書き。簡単に言えば、スピリッツの死」

 「な、何!? 何でそんなことに」

 今にも掴みかからんとするリキに、ミウは答える。

 「……これはリキさんがアリサにやろうとしたことだよ? <エル・ドラド>に<楽園>のデータを上書きして」

 「そ、そんな……」

 リキは顔を上げ、何者かに向け大声でて叫ぶ。

 「おい! 何をしてんだ。止めろ! はやく止めるんだ!!

 ……っち、繋がらねぇ。おい、答えろ! おい……」

 ミウはリキを放っておき、光の壁を観察し始めた。

 よく見ると、天井部よりも地面に近い方が色が濃い。

 そして、地面からはサンセットの床と思われる物体が、じわじわと水面を上げるように転送されてきた。

 リキは相手が応じないため、イライラと歩きながら叫び続けている。

 ミウは巨大コンクリート片の上にある小石を拾い、光の壁に投げてみた。

 バチバチバチバチ!と、大きな音を立て小石は消えてしまった。

 その音は、周りをうろついていたリキの耳にも届いた。

 「おいおい、それが俺たちの運命かよ……。

 やい、答えやがれ! 俺だ、リキだ! 聞こえないのか!!」

 もはや、その声は悲鳴と区別付かなかった。

 ミウはしばらく考えた後、また石を拾い今度は高めの位置に投げてみる。

 バチバチバチ!

 サンセットの床は次第に高くなってきた。

 また石を拾い、今度は天井に投げてみる。

 バチバチ!

 「…・…あっ」

 大きな音を立てるが、石は小さくなるだけでそのまま天井を抜けていった。

 まだ光が弱い部分は、一瞬だけ穴を開けることが可能なのだ!

 あとは、巨大な石があれば……。

 ミウが周りを見渡した瞬間、リキが巨大コンクリート片の端を踏み外した。

 「うわぁ!」

 バチバチバチバチ!

 リキの右足が、転送されるサンセットに触れて消し飛んだ。リキの動きが止まり、そのままバランスを崩して外に倒れそうになる。

 「危ないっ!!」

 ミウは慌てて駆け出しリキの手を引くと、彼は固まったままだ。

 「あ……パージアウトしてる……。むしろ、都合がいいか」

 パージアウトしたリキは驚きと恐怖に満ちた表情で固まっている。ミウが触れるのを躊躇するレベルであった。

 しかし、今は時間的余裕はない。

 リキの身体を巨大コンクリート片の中央部に降ろした。そのままミウ自身はコンクリート片の隅に移動する。

 しゃがみ込み、コンクリート片に手刀をズッと差し込み横に引くと、自分の足がようやく乗る程度のスペースだけが分離できた。

 こうしている間にもサンセット転送の水位は着実に上がっている。

 「よし!」

 ミウは分離された大きい方のコンクリート片を片手で掴み、持ち上げた。

 崩れないように、そうっと、そうっと。

 コンクリート片が斜めになると、倒れ込んでいるリキがズズズッと手前に滑り落ちてくるので、空いている手で抱きとめる。

 足場は狭く不安定。

 どんどん上がる転送の水位。

 そう考えてもチャンスは一度きり。

 天井を見上げ、一番色の薄い部分を見定める。

 そして、コンクリート片を頭上に持ち上げると、その巨大さでミウの上方への視界が全て遮られた。

 「えいっ!」

 ミウは意を決するように巨大なコンクリート片を真上に投げ飛ばすと、弾丸のように勢いよくぶっ飛んだ。

 間髪をおかず、ミウは追うようにジャンプする。

 「上手くいって!」

 グングンと飛び上がるコンクリート片が、ある地点に差し掛かると突然動きを止め、バチバチバチを大きな音を立て始めた。

 グググッとサイズが小さくなっていくと共に、コンクリート片は少しずつ飛び上がっていく。そして、ついに二回りほど小さくなると、光の壁に穴を開けながら一気に天井を突き破った。

 「やった!」

 リキを抱きかかえたミウが後に続くと、合わせたように光の壁が塞がる。脱出成功だ!

 しかしこのまま真下に落ちるとサンセットの転送に巻き込まれる。方向転換しなければならない。

 ジャンプの勢いが勝るミウが、空中でコンクリート片に追いつく。

 水平に飛ぶコンクリート片をちょんと突っついて向きを変え、垂直になった瞬間、ミウは軽く蹴りを入れる。

 コンクリート片とミウが綺麗に反対の方向にベクトルを変える。やがて、自由落下と相まって、Yの字を描くように二つの軌跡が描かれた。ミウの視界からサンセットが遠ざかっていく。

 成功だ!

 重量級のリキの身体を上手く使い、ミウは空中でくるりと回転した。

 ズッ…ズザアアァァァ。

 ややバランスを崩したものの、無事に着地。

 ミウの眼の前には、まだ形になっていないサンセットがあった。

 「やった! やったよ、リキさん」

 だが、リキはまだパージアウトしたままで反応はない。

 ミウはその場に彼をそっと降ろし、音声チャットを繋いだ。

 「こーちゃん、なんとか脱出できた。……うん、リキさんも無事。勝負はついた……と思う。たぶん、リキさんも納得してくれていると」

 「そうか! お疲れ」

 「ミウ、お疲れさま! コピーたちがいなくなったんで公一と一緒に探しているんだけど、逃げちゃったみたいね。見当たらないわ」

 「じゃあ、これで終わりかな?」

 「後はサンセットにいるフタバたちを救出して終わりね」

 「ええ! この中にフタバがいるの?」

 「そうなのよ。<ヘヴン>の人たちも何人か巻き込んじゃった……ってミウ? まさか、あなたサンセットに向かっていないでしょうね? 完全に転送が終わるまで触っちゃダメよ」

 「え? あ? ははは。そ、そうだよね」

 「アンタ今、行こうとしてたわね。……ったく」

 会話から、アリサもハムイチも緊張が解けたのが分かる。他愛もない会話が闘いが終わったと、感じさせた。

 その時、突然リキの叫び声が上がる。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ。足がぁ、足がぁぁぁぁ!」

 その声は、チャット先のアリサにも届いたようだ。

 「何があったの? もしかして、リキ?」

 「右足首が転送に巻き込まれ、消滅しちゃった。今、パージが解けたんだけど、ずいぶん痛そう……」

 するとハムイチが会話に割り込んできた。

 「あぁ、大丈夫だ。本物の身体には影響はない。バーチャルとはいえ、体験がリアル過ぎて脳が間違った信号を発してるんだな。もしかすると、パージアウトしている間もずっと騒いでいたのかもしれないぞ」

 ハムイチの言葉を聞いたミウは、少し表情を曇らせる。

 「……あ、サンセットの転送が終わりそう。一旦切りまーす」

 「了解! フタバによろしくな」

 「アタシたちもすぐにそっち行くわ」

 「はーい」

 チャットを切ると、瓦礫の山の中でただ泣き叫ぶ大男の声だけがミウの耳に入ってくる。

 脳の誤解であるとはいえ、その表情は本当に苦しそうに見える。

 サンセット転送の完了には、もう少し時間が掛かりそうだ。

 ミウは彼にどう接して良いか、分からなかった。

 「これは……数ヶ月前の、私なんだ」

 自分の場合はもっとひどかった、はずだ。

 彼に対し、何もできない自分がここにいた。

 思い……出した。

 思い出してしまった。

 泣いても叫んでも、戻らない物。

 あの時、世界には自分ひとりしかいなかった。

 果たして本当にそうだっただろうか?

 周りが見えていないだけだったのではないだろうか?

 彼が感じている痛みは偽物だ。

 でも、今の彼にとって本物と変わりはない。

 彼はやり直せる。周りに少し眼を向けるだけで戻ることができるのだ。

 リキに対して、嫉妬と同情が混ざった複雑な想いが産まれていた。


 とにかくリキに、何か声を掛けようと、ミウは一歩踏み出した。

 その瞬間であった。

 街中にドスン!ドスン!と重い音が鳴り響きはじめる。

 「な、何?」

 サンセットの近くのビルが揺れている。あれは……リキを投げつけ大穴を開けたビルだ。

 すでにボロボロになったビルはその振動で、パラパラと細かな破片を振らせつつある。

 眼を凝らしてみると、コピーたちが柱を殴りつけていた。

 「せーの、それ!」

 ドスンッ!!

 支えていた数少ない柱部分のひとつが完全に破壊され、ビルの振動が止まらなくなった。自重に耐えられなくなっているのだ。

 「まっ、まずい!」

 ミウはコピーたちの方に走り出し、排除をはじめる。

 彼らが4人揃っていようが、ミウの敵ではない。しかし、対応するタイミングが遅すぎた。

 3人を一瞬で倒すものの、最後のひとりがビルにとどめを刺す。

 「そりゃあ!」

 ドーーーーンッ!!

 絶望の重低音が街に鳴り響き、手前の柱が全て破壊された。

 「なんてことをっ!」

 ミウは最後のコピーの元に向かい、腹への軽い一撃でコピーをダメージアウトさせる。ミウは投げ捨てるように、コピーを安全地帯に退避させると状況確認に入った。

 ミシミシミシミシミシミシミシミシ……。

 ビルはわずかに残った柱や壁で何とか形を保っているが、もはや崩壊するのは誰の眼にも明らかだ。

 恐らくは道路側に倒壊するだろう。

 その予想地点を見ると……。

 「まずい! サンセットがある!! あの人たち、転送が終わるのを待ってビルを破壊したんだ……」

 転送中であれば、崩れるビルは光の壁にぶつかり消滅するから問題ない。

 しかし、転送が終わった今は全くの無防備だ。サンセットは、間もなくこのビルに押しつぶされる。

 残された猶予はわずか……。


 ミウはサンセットに向かい、すでに開きかけていたドアを紙のように引きちぎった。

 「みんな! 早く逃げ……、あっ」

 店内の人たちは、全員がパージしたまま硬直していた。

 恐怖の表情を浮かべ、一斉に出口に向かい、重なり倒れている。転送の瞬間、パニックが起きたことが容易に想像できる。パージが解けても、パニックは終わらないだろう。

 「これじゃ、間に合わない……」

 こうしている間にもビルはミシミシと音を立てて傾きはじめている。

 「パージ解除の時間が読めないっ! どうする? サンセットごと移動する? そこまでのパワーがルナにあるの?」

 この世界においてルナは驚異的なパワーの持ち主であるが、その限界値は未知数である。それ故、バランスの取れていない存在でもあった。巨大すぎるパワーは小さな身体の一点に集中してしまう。仮にサンセットを移動できるパワーがあったとしても、建物自身が耐えられずに穴が開いてしまうだけだ。

 「……! 穴を開ける……か」 

 コピーたちによって崩されたビルは、まだ何とかその形を留めている。

 回れ右をして反対側を見ると、同程度の規模のビルが奇跡的にほぼ無傷で残っていた。

 「一か八か、毒をもって毒を制す。やってみますかっ!」

 ミウは自分に言い聞かせるように言うと、倒れているリキの元に向かった。

 「ミウ、ミウ! どうした!」

 異常を察知したハムイチが音声チャットで呼びかけているけれど、それに返す余裕は今のミウにない。

 リキはまだ、悲鳴を上げていた。

 「痛てぇ、痛てぇ、痛てぇよぉ」

 あれだけ傲慢な態度を取ってきた男が、今はミウにしがみつくように救いを求めている。

 「お願い、リキさん。私に協力して! みんなが危ないの! 協力して! お願いだから!!」

 懇願するミウの言葉は全くリキには届かない。ただ、ひたすらに喚くだけだった。

 ミウはすがりつくリキを振り払い、片手で首を掴み腰が浮く程度に持ち上げた。

 リキは半ばパニックとなり、両腕や足、全身をバタつかせた。何もかも自由に動くのに、首の位置だけは微動だにしない。逃げることも、攻めることもできないのだ。

 「痛くない! その痛みは脳が間違った情報を出しているだけ。しっかりしなさい!」

 そしてミウは鬼のような形相をリキの顔に近づけた。

 「いい? リキさん、あなたはこれからサンセットに入って、誰も逃げ出さないように入り口を守るの。いいわね?」

 リキは恐怖のあまり、言葉を失ってしまう。出来ることは、ただ頭を縦に振り、肯定の意思を示すだけだった。

 ミウが手を離すとリキの身体はドサッと地面に落ちる。

 唖然とするリキを、ミウがふわりと抱きしめた。

 「ごめんなさい。今はあなたしか頼れる人がいないの。足は脳が錯覚してるだけ。実際の足はしっかりとあるから安心して。あなたはちゃんと歩くことができる。

 それより、あなたと同じ思いを多くの人にさせたくないの。だから、協力して?」

 「ああぁぁぁ、うぅ」

 もはや声にならない言葉を発し、リキはがくがくとうなずいた。

 「ありがとう」

 少女はニッコリと笑い、リキの巨体を軽々と抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。

 いささか情けない姿にリキは抗議の声を上げようとしたが、ミウの真剣な顔つきを見て止めた。状況は分からないが、かなり切迫しているらしいことが読み取れたからだ。

 リキはサンセットの入り口まで運ばれると、そっとそこに降ろされた。

 「まもなくパージが解けます。みんなをここで足止めしてください。絶対に外に出さないで。危険だから。あと念のため、ここは塞ぎます」

 早口で説明した後、ミウはこの場を後にした。

 見送る彼女の背中は、とても大きな物に感じられた。


 ミウが去った後、リキは自分の右足を見てみる。信じられないほど綺麗な断面で足が切り取られていた。

 切れた足に手を恐る恐る手を伸ばしてみる。眼には見えないけれど、足の感覚はある。不思議な感覚だ。切られたのはバーチャル空間にある足で、リアルにある本物の足はしっかりと付いているのだ。

 「なんだ、確かにあるじゃねぇか。俺の足は無事だよ。ははは、スッと痛みが引いていくぜ。はは……。人間てのは単純だな。こんな作り物の体験に、あっさり騙されちまう」

 とはいえ、この世界においてリキの足が無いことに代わりはない。一度座ってしまうと立ち上がる方法が分からない。

 顔を上げると、サンセットの客が津波のように押し寄せた状態で静止している。その苦痛に満ちた表情は、まるで自分に向けられているように感じられた。

 「これは、カルマってヤツかな?」

 あれだけ酷かった足の痛みはもうない。

 今はただ、ミウに捕まれた首の痛みだけが残っていた。

 「ったく、人ごとだと思いやがって……」

 彼にとって、ミウのような人間は苦手だ。誰でも簡単に信用するようなヤツは……。

 自分とは違い、ずっと日向を歩いていた人間固有の考え方なのだろう、とリキは思った。

 「だが、悪くねぇかな……」

 自分にこれだけ色々な感情をぶつけてきた人間は初めてだったかもしれない。

 ただひとつ、リキはミウの眼だけが気になっていた。

 何かが引っかかるのだ。

 ズズーン。

 サンセットの入り口を塞ぐような巨大な瓦礫が、外からミウによって置かれた。リキは自然とそれに寄りかかる形となる。

 「じゃあ、お願いします!」

 「ああ、まかせておけ」

 ミウの気配は去ったようだ。

 「しかし、あいつは何をするつもりなんだ?」


 サンセットの入り口をふさいだミウは、倒壊しつつあるビルの対面にあるビルの前に移動していた。

 ボロボロになった街で、奇跡的に無傷に近い状態のビルである。

 「まいったね、こりゃ」

 軽口を叩きながらも目つきは真剣である。

 ビルの右端に移動し、壁をコツコツとたたき始めた。

 「おい、ミウ! 無茶だ! すぐ逃げろ」

 楽園テレビの中継を見たのであろうハムイチがチャットで叫ぶ。

 「……」

 「おい! 聞いているのか? おい!」

 「……ごめん、こーちゃん。チャット切るね」

 「おい! ミ……」

 ミウはひたすらコツコツと壁を叩き続けた。わずかな音の違いを聞き分けるのに、ハムイチの声が邪魔だったのだ。

 そして「ここだ」と言うと、ひと差し指を突き刺し、砂に絵を描くようにバツ印を彫り込んだ。

 「よし、もう一箇所」

 ミウは場所を左端に移動し、同じ作業を続けた。

 こうしている間も、サンセットを覆う影は次第に大きくなっていく。


 「きゃーっ!」

 「なぜ、こいつが?」

 「うわぁ!」

 サンセットではパニックが起きていた。一斉にパージアウトした人びとの前に、あのリキが現れたのだから。

 テンは驚いてその場に座り込んでしまい、出口に向かう人と、奥に逃げようとする人がぶつかりあって揉みくちゃになっていた。

 サンセット自慢の巨大モニターは転送のためか、映像が止まっていることもパニックを増長させていた。

 バーーーン!

 リキが床を叩く衝撃音で、人びとの動きは固まった。

 「てめぇら、静かにしろ! 席に戻れ! 今、すぐだっ!」

 そして横にいるテンの方を向き、背中を塞いでいる瓦礫をコンコンと叩いた。

 「あんたもだ。どうせ、逃げられねえしな。席に着いてくれ」

 「……みんなに手を出さないと約束してくれるか?」

 「要求はただひとつだ。席に座れ。早くしろ」

 テンはじっとリキを見つめるとフッと笑い、その場で反転し人びとの方を向いた。

 そしてパン、パン、パンと手を叩いて注目を集めた後、両手を広げ明るく言った。

 「みんな、すまない。席に着いてくれ。どうやら、状況が大きく変わったようだ」

 不満を述べる者も数人いたが、テンが背中をポンポンと叩いて説得し、あっという間に全員を着席させてしまった。よほどの信頼を得ているのだろう。さっきまでパニック寸前だったとは信じられない状況だ。その手腕にリキは感心した。

 テンはクルリと反転しリキの方向を向くと、キッと睨み付けその前にドサッと胡座をかいた。

 「あんたも席に着きな」と、リキ。

 「仲間に手は出させない」

 テンは、テコでも動かないという顔をしている。

 「勝手にしな」

 リキはフッと笑った。


 状況が飲み込めない人びとはコソコソ話を始める。

 「なぁ、何であいつがいるんだよ」

 「知らないわよ。パージしてた時に忍び込んだんじゃない?」

 「でも、あいつ<バトル・シティ>にいたんじゃないのか? なんで<ヘヴン>に」

 「……ちょっと静かにして! なんか変な音が聞こえない?」

 「…………。ホントだ。何だ、この腹に響くような重低音は」

 その時、巨大モニターが復旧し、まずはウィンドウにリキとその前に座るテンの姿を映し出した。

 わずかに遅れて、今にも崩れそうなビルの映像が現れた。

 「ねぇ、モニター見てよ。なんかビルが倒れそうになってる」

 「え? あのビルに押しつぶされそうなのって、サンセットじゃないの?」

 「まさ……か。でも、……間違いない。あれはサンセットだよ」

 映像のビルは徐々に傾き始めている。

 「逃げないと!」

 「でも、間に合わないぞ!」

 テンが立ち上がりリキに抗議する。

 「おい! 今、何が起きてるんだ!! 説明しろ」

 「うるせぇ! しっかりその辺につかまってろ! あいつが何とかするからよ」

 「……あいつ?」

 その時モニターが、ビルの正面に立つミウの姿に切り替わった。

 「あいつって、まさか!?」

 「……始まるぜ」

 モニターに映るミウは拳を握り、大きく振りかぶり、足を高々とあげ、細い腰を限界までひねり停止した。

 自身の限界まで力をためているのだ。

 倒壊するビルの影が彼女を覆った時、ミウは街中に響き渡るほどの雄叫びを上げてパンチを繰り出した。

 「だああああぁぁぁぁ」

 踏み抜いた足は地面を大きく抉り、振り抜いた腕はビルの壁面を打ち抜く。

 ズーーーンッ! ドゴオオォォォォンンンン!!

 彼女のフルパワーを受け、ビル壁面はその大半が一瞬にして吹き飛んだ。

 ビルは、まるでミウを飲み込もうとするような巨大な口を開けた。その威力はすさまじく、ビルの奥の壁が一部吹き飛んでいるのが確認できるほどだった。

 モニターのミウの動きに合わせるように巨大な音が鳴り響き、ほんのわずか遅れてサンセットが巨大地震に遭遇したように揺れた。

 「きゃああぁぁ!」

 「マジかよっ!」

 「アレって本当にここで起きてることなの?」

 「おい! 見ろよモニター」

 「すげぇ、1、2階部分が半分吹き飛んでる」

 「うそぉ! ビルの向こう側が見えるよ!」

 「地面も大きく窪んでるぞ」

 「もう一発来るぞ。つかまれ!」

 ミウは最初にマーキングした場所に移動し、同じように振りかぶり、渾身の一撃を食らわせる。

 ズーーーンッ! ドゴオオォォォォンンンン!!

 ビルの1、2階部分は全て吹き飛び、わずかに残った壁は真上から押しつぶされる。

 まるでだるま落としのようにビルが沈み込み、階数が縮む。

 ズズズドドドオオォォォォーーンン。

 「きゃああぁぁぁ!」

 サンセット店内を、これまでで最大の振動が襲う。

 すぐ真横でビルが丸々落下したのだ。

 店内の椅子やテーブルなどはメチャクチャに散乱し、各所で悲鳴があがる。

 「まだだ! 動くんじゃない!! みんな! どこかにつかまるんだ!!」

 テンの叫びが店内にこだまする。

 SDCはアングルの制限のない仮想カメラである。楽園テレビは迫力のある画像を撮ろうと、倒壊するビルの真正面にカメラを切り替えた。

 サンセットの巨大モニターは四方向から手前に倒れ込むビルを映していた。

 ゴゴゴゴゴゴ………。

 もはや座っていることが難しいほどの揺れと、逃げ場を塞ぐようなビル倒壊映像はサンセット店内を悲鳴一色に染め上げた。

 「また来るぞ! 伏せろ!!」

 「もう、やだああぁぁぁぁぁぁ」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

 サンセットの両側から、不気味な重低音が鳴り響き、そして段々に大きくなっていった。


 ミウの2発のパンチで、1、2階部分の大半を失ったビルは一気に沈み込む。

 ビルの足下からは粉塵が舞い上がり、ミウの姿を覆い、その勢いはサンセットの周りにまで及んだ。

 手前部分が大きく抉られたビルは、急激にサンセットに向けて傾き始めた。

 その勢いは激しく、すでに倒壊しているビルの傾きに一気に追いつき、わずかに追い越しそうな形となる。

 グワァァァシャァァァーーーーー!

 低くなったビルの先端が、先に倒れたビルの下に潜り込むような形で食い込み、サンセットの真上で互いに支え合う形となった。

 激突するビル同士は砕け散り、粉塵を舞い散らせ、無数のコンクリート片を辺り構わずまき散らし始めた。

 サンセットに降り注ぐコンクリート片はかなり巨大なものが含まれている。

 しかも、その数は大量。

 サンセットが押しつぶされることは容易に想像できる状況であった。

 粉塵がやや薄れてくると、サンセットの屋上に白い人影が浮かび上がる。

 ミウだ!

 彼女はまなこを開いて真上を見つめ、膝を折り曲げて力を貯めていた。

 その眼球は、全てのコンクリート片を捉えようとばかりに上下左右に素早く動いている。

 そしてコンクリート片の雨に向かって、グンと跳び上がる。

 まずは、目前に迫った巨大なコンクリート片を軽く蹴り、コンクリート片のコースとミウ自身のコースを変える。

 コンクリート片はサンセットから大きく外れ、ミウは別のコンクリート片の元に飛んでいく。

 今度は右の裏拳を当てて粉々に砕く。

 そのまま左足を上げて別のコンクリート片を砕き、力任せに身体をひねって自らのコースを変える。

 サンセットにダメージを与えそうにない小さな物は見逃した。

 その光景は、ただ空中でミウが舞っているようにさえ見える。

 彼女が作り出す細かな破片と大量の粉塵によってサンセットは救われているのだ。

 コンクリート片の落下はまだまだ続く。


 サンセットの真上から恐ろしい音が襲いかかってくる。

 グワシャァァァァ……ズズズズズズズズ…………。

 店内は恐ろしいほど揺れる。振動などと生やさしいものではない。

 全てのものが跳び跳ね、あらゆる店内の物が落下してきた。

 最早、上も下も分からない。世界がグシャグシャにシャッフルされる感覚を全員が味わっていた。

 振動が収まってくると、トン、トン、ドン、トン、ドン、ドンとコンクリート片が降り注ぐ音が続く。

 建物にダメージはないものの、巨大な破裂音も聞こえてくる。

 そしてミウが塞いだ入り口のスキマから、勢いよく粉塵が吹き込んできた。

 「くそっ!」

 リキは入り口をテーブルで塞ごうと立ち上がる。

 しかし今、彼の右足はない。

 そのまま床に倒れ込んでしまう。

 「邪魔だ、どけ!」

 テンと数人の者が、リキの意図を受け継ぐ形でテーブルを移動し入り口を塞ぐ。

 未だ止まぬ振動でテーブルがガタガタ揺れる。

 最後にリキが押さえつけると、ようやっと土煙の進入がほぼ防がれた。

 「もう少しだ! 頑張れ!!」


 しばらくすると振動も治まり、コンクリート片の雨も止んだ。

 「終わったみたいだな……」

 「死ぬかと思った……」

 「おーい、みんな無事か?」

 何人かがテーブルの下敷きになったが、問題なく排除されたようだ。

 テーブルを支えた男のひとり、バンダナを巻いた青年がリキに向かって言う。

 「なんだかよく分からんけど……ありがとな」

 ばつが悪くなったリキは無言で横を向いてしまうが、その青年は気にも留めず肩に手をかけてきた。

 「おい! モニター見てみろよ!」

 「おおぉぉぉ、すげぇ!」

 「すごいなぁ、ミウちゃん……」

 モニターには互いにもたれ合って“へ”の字を描いているふたつのビルが映っていた。

 そして、その真下には多少のダメージを受けたサンセットが、その形を留めていた。


 「ミウー! どこにいるの?」

 「おーい! 大丈夫かー?」

 ハムイチとアリサは、震動が納まるのを待って倒壊現場に駆け寄った。

 「ほーい!」

 その場にそぐわない緊張感のない返事が返ってくると、まだ止まぬ粉塵の中からコピーが2体、吹っ飛んでくる。

 アリサは思わず身構えるが、眼の前に落ちたそれは動かない。やがて残るふたりをそれぞれ片手で持ち上げて運ぶミウの影が現れた。

 「これで、全て終わりかな?」

 投げ飛ばされた2体と合わせ、全てのコピーを山積みにした。

 「大丈夫だよ、全員ダメージアウトしてる」

 「ったく、アンタは心配かけて!」

 呆れるアリサ。

 まだ周りは身長の低いハムイチの姿がはっきりと見えないほどの土煙が立ちこめていた。

 左右に手を振って土煙を払うハムイチ。

 「まぁ、なんとかなったみたいだな。これで本当に終わりかな?」

 ミウも、アリサも、ハムイチも緊張が解けた表情になってきた。

 「ハムイチさん、ハムイチさん、もう終わりましたか?」

 テンから音声チャットで呼びかけが入る。

 「もう大丈夫です。ただ、まだ煙いから、ちょっと待つ方がいいかも。テンさんの方は大丈夫ですか?」

 「ほいほい、了解です。こちらも全員無事ですわ。詳しい話は後ほど。聞きたいことが山ほどありますからなぁ」

 「……うっ。了解。そりゃそうだよなぁ」

 チャットを切り、ハムイチは頭を抱えた。

 「俺たちも理不尽に巻き込まれたけど……、<ヘヴン>の人たちは本当にとばっちりだもんなぁ」

 「それもこれも、リキたちのせいじゃない」

 「でもさ、主犯ってリキさんじゃないっぽいんだよね」

 まだ晴れぬ視界の中、ミウがあごに手を当てて考えるポーズをする。

 その時、彼女の背後に小さな影が浮かぶ。

 「後ろ! 気を付けて、ミウ!」

 アリサの叫びに振り返ると、後ろから例の五角形のポートが付いている手が伸びていた。

 「しまった!」

 「そのコード、もらったっ!」

 完全に不意を突かれたミウは、避けきることができない。

 手のひらの持ち主は、アリサたちにエロガキと呼ばれている少年だった。

 身を捻るミウ。しかし、少年の手もそれに追随していく。

 あとわずか、あとわずか手を伸ばせばミウの背中に届かんとする距離にまで縮まった。

 目的達成を確信した少年がニヤリと笑った時、その顔が大きく歪んだ。

 いち早く危機を察知したアリサの跳び蹴りがヒットしたのだ。

 「そうはいかないわっ!」

 ズザザザザ……。

 身を捻るミウの背中をアリサと少年が横切る形となり、一瞬で距離が離れてしまう。

 少年は慌てて起き上がり逃げようとするが、アリサの方が一枚上手であった。

 あっという間に追いつき、少年を転ばせ、右手を背中に回した状態で馬乗りになると、身動きが取れない状態となった。

 「やっぱりアンタだったのね。他人の成果を盗み取って悪用するなんて許せない」

 「な、何言ってるんだ?」

 シラを切る少年にハムイチが近寄り、しゃがみ込んで話しかける。

 「チェックメイトだよ、もう。

 お前、コピーする技術だけは得意みたいだけどな。それだけじゃ、やっぱりダメだよ。

 ミウのコードをコピーして、リキに与えて、バーチャル・スピリッツを荒らし回ったのもバレてんだよ」

 「だから、何言ってるんだよ。僕、リキとかとは無関係だよ」

 「あのさあ、さっき『そのコードもらった!』とか言っておいて、白々しくないか?」

 「……」

 「それにな」

 ハムイチは指でフレームを作ると、その中にフタバから送られてきた<ヘヴン>の映像を映し出した。

 「リキのお友達とは仲が良いみたいじゃないか? この赤服と青服にはアリサたちがずいぶんと世話になったよ。で、お前はこいつらにボスみたいに命令してるように見えるが?」

 少年は視線をそらす。

 「<エル・ドラド>を作ったのもお前だろ?

 あまりに何もないフィールドなので不思議だったんだが、あれは<楽園>の建物を丸々コピーするために作ったんだな。

 <楽園>がすっぽり入るサイズの空き地に外周円を付けたのが<エル・ドラド>。

 <楽園>の建物に転送用のステッカーを貼りまくったのもお前らの仕業だな? あれを介して<エル・ドラド>に転送する予定だった」

 ここまで言うとハムイチは少年のあごを掴み、顔を正面に向けさせた。

 「だが、お前らは失敗した。こちらの開発したキャンセラ-で、しっかりとガードを掛けさせてもらったよ」

 「だから僕は関係ない! そんなことはしらないっ!」

 「お前は甘いんだよ。コピーするため、ポートを強引に開いているだが、その時、自分自身のポートも開いていることに気づかなかったのか? <楽園>を盗み取ろうとした時、罠を掛けさせてもらったよ」

 ハムイチがそう言って、空中でキーボードを叩くように指を動かすと、少年の五角形のポートが淡く光を放ち始めた。

 「ほらな。俺たちだって、いつでもお前の転送ポートを使えるぜ。眼の付け所は良かったが、仕事が雑なんだよ、お前は。しっかりと解析させてもらった」

 少年は無言でにらみ返す。もはや、それは認めたのと同じだ。

 「もし<楽園>が<エル・ドラド>に転送されたら、囚われのアリサはデータ上書きされて、システムの管理から外れてしまうはずだった。バーチャル・スピリッツからの追放、いや処刑と言ってもいいかな? イタズラの限度を超えてるぞ、それは」

 それを受けて、ドスの利いた声が響く。

 「つまりお前はあの時、俺とミウを一緒に消滅させようと考えていたのか?」

 少年が声のする方を向くと、そこにはバンダナを巻いた青年に肩を借りたリキが立っていた。

 後ろには、サンセットにいた者たちが集まりつつあった。

 リキから離れた所にフタバの姿を見つけ、ハムイチは胸をなで下ろす。

 「ち、違う! 信じてくれ。僕はお前に力をやっただろ? そりゃ、ミウなんて規格外のバケモノには敵わなかったけど、それでも最強の力を得たのは誰のおかげだと思ってるんだ?」

 「ちょっと。バケモノは失礼じゃない?」

 ミウが憤慨した表情でリキの横に並ぶ。

 その後ろからは、だいたいの事情を把握した者たちからの冷たい視線が注がれる。

 「ダメよ」

 顔を伏せて眼を反らそうとすると、アリサは少年の髪を引っ張って強引に顔を上げさせる。

 「しっかりと見なさい。この人たちがアンタの被害を受けた人たちよ。

 アンタは他人が精魂込めて創った物をコピーして、悪用して、これだけの人たちに、いいえバーチャル・スピリッツ全体に迷惑を掛けたのよ」

 ハムイチが立ち上がって叫ぶ。

 「すみませーん、みなさん。運営が来るまでこのフィールドをログアウト禁止と制限させてもらいます」

 皆、黙って頷いた。

 リキが、少年を見下ろしながら低い声で言った。

 「だいたいあんた、おかしかったんだよ。

 俺は<楽園>の転送の話なんて聞いたこともないし、データ上書きのことも初耳だ。

 そもそも、俺はあんたの顔も正体も知らない。

 あんたは俺を持ち上げるようにしつつ、重要なことは何一つ教えてくれていなかった。

 そもそも俺のコピーを作るのなんて意味がない。

 あんたは好き放題やった責任を全部俺に押しつけて、逃げるつもりだったんじゃないのか?」

 「うるさい! お前みたいに騙される馬鹿が悪いんだろう。馬鹿は利用されて当然! お前なんかは最下層の養分のくせに黙ってろ」

 「なに~!」

 激高するリキを手で遮ってハムイチが淡々と語る。

 「これ、俺の推測なんだけど。

 あんた、実は何の目的も持ってないだろ?

 単に眼の前に目立つヤツがいるからちょっかいを出す。

 他人が持っている物を意味もなく欲しがる。

 アリサやリキを消そうとしたのも恨みとかがある訳ではなく、いってみれば単なる遊び。別に意味はないんじゃないか?

 だがな、覚えておけ。単なる遊びが暴走して、他人の一生をメチャクチャにすることだってあるんだ。お前はここにいる全員の人生を背負えるのかっ!」

 「偉そうに言うんじゃねぇ!」

 その言葉にアリサが反応し、少年の頭をさらに強く引っ張り上げる。

 「アンタ、いい加減にしなさい!」

 「痛たた、痛い、痛い痛い。放してよぅ、お姉ちゃん」

 その言葉にはっとするアリサが力を緩める。

 すると、少年は頭をつかまれたまま、首を回しアリサを見る。

 「なーーんてな。バァーーーーーーカ」

 少年がニヤリと笑うと、巨大な音と共にアリサの身体が下から突き上げられ、宙に高く舞った。

 その場にいる全員が、何が起きているのか理解できなかった。

 世界が速度が徐々に遅くなっていき、やがてスローモーションのような動きになった。

 アリサを追いかけるように、少年の右手が、左足が、胴が、左腕が、右太ももが、胸部が、ありとあらゆる部位が飛んでいく。

 クルクルと舞い上がったそれらは緩い放物線を描き、やがて鈍い音をばらばらに地面に散らばった。

 ドサッ!

 その中央にアリサがお尻から落ちた。

 世界が崩れ始め、周りの風景にノイズが入り始める。

 状況が呑み込めず、キョトンとしているアリサ。

 何かを掴んだままの右手を恐る恐る持ち上げる。

 そこにあったのは、首から下がない少年の頭であった。

 「い……い……」

 アリサがガタガタと震えはじめ、それを放り投げると少年の頭は地面にドスンと落ちる。

 地面が崩れ、空間がゆがみ始める。

 ゴロンと転がって少年の顔がアリサの方を向くと、ニヤリといやらしい笑い顔を見せた。

 「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 アリサの絶叫が<バトル・シティ>に轟いた時、世界が完全に崩れ全員が暗い闇に落ちていった。

 ……そして、システムは突然終了した。

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