第8話水月 と 理沙
アタシたちはリキたちとの決戦に備え、それぞれがやれることをやった。
公一はルナのフルチューンを。水月とフタバは<楽園>の調査を。これはマスターから報告があったのだけど、<楽園>中の建物に謎のステッカーが貼られるイタズラが多発したのだ。日に日に増えるステッカーは手のひら大のサイズのもので、強力に接着されていて剥がすことができなかった。どうやら、プログラム的に仕掛けがありそうだったので、ふたりは毎日<楽園>に通いその位置と個数を手分けしてチェックしていた。調査自体は大変ではなかったが、「徐々に人が減っていくのが哀しかった」と水月は後に語った。
アタシは、アリサが人質に取られていることもあり雑用メインだ。
もっとも、雑用とは名ばかりで<エル・ドラド>の解析や模擬フィールドの作成、リキの転送システムの対策、そして水月のアイディアの実現など、一番の貧乏くじだったかもしれない。
そして決戦前日。
公一から一通のメールが着たのだ。内容はひとこと。
「至急、櫻井総合病院に来てくれ」
そこは、かつて水月が入院していた病院であり、アタシたちが出会った場所でもあった。
病院に着くと、受付付近のベンチに苦しそうな表情で横たわる水月と、その横に座る公一の姿があった。
「……! 水月、水月ぃー!! 公一っ! 水月はどうしたのよ? ねえ、どうしたの」
「く、苦しいから、その手を離してくれ……」
いつの間にかアタシは公一の胸ぐらを掴んで締め上げていた。それも本格的に。
「……あ、ごめんなさい。で、水月はどうしたの?」
「はは……、大丈夫だよ。単なる車酔い」
「車酔い?」
アタシは全身の力が抜けて、その場に座り込んでしまう。
「……よかった」
「あいつ、ここに来る間、ずっと車の中であやとりしてて。それで酔っちまったみたいなんだ」
「そう、あやとりを……」
この娘はアタシの言うことを聞いて、ずっと練習していたのだ。アタシは水月のそばに座り、彼女の髪を撫でた。
「じゃあ、今日は……」
「ああ、予定を切り上げて決戦の対策をしようと思ってな。ルナも完成したし」
「え、完成したの?」
「ああ、そのテストも兼ねてここをお借りしたんだ。フタバも後から来るぞ」
「それならそうと言いなさいよ」
「お前なら分かると思ってた」
「分かんないわよっ!」
そうか、ついに完成したんだ。水月が“未来”という言葉を使って命名したスピリッツ“ルナ”。
生きる気力を失ったこの娘が口にする“未来”という言葉に、どれだけの重みがあるか、1年前のアタシには理解できなかっただろう。
ルナは彼女にとっての未来であり、目標でもあるのだ。
命名元である“月”を“つまらない所”とアタシは言ったけれど、もしアンタと行けるのなら楽しい場所になるかもね。
アタシがそんなことを考えながら水月の髪を撫でていると、彼女は突然「うっ!」と口を押さえトイレに向かっていった。
「……あの娘、ずいぶん松葉杖の扱いが上手くなったわね」
「おいおい、ずいぶんクールなんだな。さっきまであんなに心配そうな顔してたのに」
「ただ車酔いなんでしょ? ゲロ吐けば直るわよ」
「お前なぁ……」
水月がいなくなり、公一とふたりだけ。思い起こせば、全てはこの男の、あの言葉が始まりだった。
「そういえばさ、アンタにいきなり土下座された時は、どうしようかと思ったわよ」
「……そんなこともあったな。忘れてくれ」
「いやよ。一生の宝物にしてやる」
あれは昨年の初夏。
ライバルだったこの男に突然、理由も言わずに「会いたい」と言われた時にはアタシも多少は期待してたのだ、多少は。
しかし、初対面でいきなり土下座されるとは思わなかった。
その理由が、会ったこともない女の子にバーチャル・スピリッツを教えて欲しいというのだ。
「そんなの、アンタ自身がやればいいでしょ!」
「いや、俺じゃダメなんだ。頼むっ!」
アタシは憤慨して、その場に置いて帰ろうとしたのだがアイツは動こうとしない。
「仕方ないわね、会うだけよ。それでいい?」
そして連れてこられたのがここ、櫻井総合病院だった。
よくドラマなどで“私たちは最悪の出会いをした”といった表現があるが、あれはまだ甘い。
アタシと彼女の出会いは、これ以上ないくらいに最悪だった……。
公一に通された場所は、病院の一室だった。
そして、なぜかアタシひとりだけで会うように言われた。全く面識のない人と病室で会う、これが如何に異常な状況かおわかりいただけるだろうか?
恐る恐る薄暗い病室に入るけれど、人の気配が感じられない。アタシは、本気でアイツにからかわれていると思ったくらいだ。カーテンで隠された奥のベッドだけ確認して帰ろうとのぞき込むと、そこには人がいた。ベッドから身体を起こしているけれど、その人は全く動かない。
「……な、何? マネキン……なの?」
整った顔に、生気のない表情。アタシと同じくらいの少女に見える。
「も、もしかして、実物大のロボットとか言うんじゃないでしょうね……」と、呟いた瞬間、それはこちらを向いたのだ。
「ひいっ!」
悲鳴を上げるアタシを一度視界に入れ、そして又前方に頭を戻す。アタシの背中を冷たい物が走る。
恐る恐るそれの前で手を振るけれど無反応で、ただ正面の白い壁だけを見つめていた。。
手をそっと伸ばし、ほほに触れてみた。
「……暖かい」
眼の前にいるこれは、信じられないことに生きている。ただ単に生きているだけの人間なのだ。
アタシは言葉を失った。
その瞳にアタシは映っているけれど、恐らくアタシを認識してはいないだろう。
こんなに近くにいるのに、彼女とアタシは本当の意味で触れあうことはできない別世界の住人なのだ。
アタシの前にいるのは、生きながら死んでいる人間。
彼女という存在を理解した時、アタシはこの娘をなんとかしないといけないと感じていた。目の前で命を絶とうとする人間がいれば、面識がなくても止めようとするでしょ?
たぶん、それに近い感情がアタシに芽生えたのだ。
気が付くと、泣けない彼女の替わりにアタシが泣いていた。
「アンタが土下座までした理由が分かったわ。でも何でアタシなの?」
アタシは廊下のベンチで公一に尋ねた。
彼女は幼なじみで、妹のような存在であること。
高校進学のため寮に入ったのだけど、すぐに不運な交通事故に巻き込まれ右足を失ったそうだ。
彼女はスポーツ推薦で高校に進学したこともあり、若くして将来を閉ざされたと言える。少なくとも本人はそう感じているようだ。
アタシが病室にひとりで通されたのは、かつて面識があった人間が来ると暴れるからだそうだ。恐らく、今の自分を見られたくないから。そのため家族はもちろん、クラスメートのお見舞いも断っている状態なのだという。
アタシが選ばれたのは赤の他人であり、バーチャル・スピリッツに長けているからだった。
彼女が仮想世界で歩くことができるようになれば、自分を取り戻すことができるんじゃないか、というのが公一の意見だった。
「違いますよ。これは治療行為ではありません。単なるレクリエーションです。いいですね、公一くん」
そう言う彼は櫻井先生、この病院の医院長だ。公一と先生はかなり親しげで、公一の提案に彼が絡んでいるのは明白だった。
この大きな病院の医院長という立場で彼女ひとりを気に留めているのは不思議だったが、アタシには関係のないことだ。いつも笑顔を絶やさないこの先生は、患者さんには信頼されているだろうと容易に予想できた。
この病院には櫻井先生主導でバーチャル・スピリッツのコンソールが大量に導入されたばかりだった。
最新型の、ネットでしか見たことのないその機材は一目でアタシを虜にした。バーチャル・スピリッツは医療的な効果が期待できるけれど、まだ検証段階であるために治療には使えない。
ずいぶん大胆な決断をするこの先生の立場は大丈夫なんだろうか?
そのため、この豪華なシステムは事実上、アタシの使い放題。
しかも、悪くない額のバイト料も出る。
断る理由はなかった。
ただひとつ、納得しがたい条件があった。
それは、アリサと同じゴスロリ服を彼女の前では常に着ろというものだ。
スピリッツに洒落で着せた服を、まさか実際に着る羽目になるとは思わなかった。意味が分からなかったけれど、アタシは承伏した。それほど魅力的だったのだ、あの機材は。
ただ慣れというのは怖い物で、今ではこの格好に何の抵抗もなくなっている。むしろ同じ服ばかり5着もあって、バリエーションが欲しいくらいだ。
もうひとつ、変な条件があった。
彼女がスピリッツに名前を付ける時、特に意思がなければ“ミウ”と名付けて欲しいと。
その理由を、アタシは後に理解することになる。
それからアタシは暇があれば病院に通い、半分は自分のために、半分は彼女のために時間を使った。
自分のために使う時間は、今までやりたくてもできないかったことが思う存分できる至福の時間であった。
反面、もう半分の時間は退屈だった。アタシは感情のない人形に芸を仕込むのだ、面白い訳がない。
確かに最初はそうだった。
しかし、彼女が微妙に反応する行為があった。
それは“歩くこと”。
リアルで歩くことができない彼女は、バーチャル世界でその行為に何かを感じている。操作が簡単なバーチャル・スピリッツだからこそ起こりえた現象と言えた。
アタシは彼女の手を取り、連れ歩くことにした。ネットには接続されていない、文字通りアタシたちだけの世界を。
彼女はスピリッツを動かすことはできたが、無表情に言われるがまま、バーチャル世界を歩くだけだった。何かを見ても、他のことをやらせても反応することはなく、ただ歩くことにだけは素直に従う。そんなレベルだった。
ロボットを動かすロボット。不謹慎だがアタシにはその表現しか思いつかなかった。
それでも、アタシたちの出逢いを考えると大きな進歩だ。
公一とアタシは交代で、彼女が歩くためのフィールドを作り続けることとなる。おかげで、かなり技術が向上した。
彼女が好む風景が見つかれば、彼女を取り戻すきっかけになるのではないかと考えたのだ。
しかし、彼女はあらゆる風景に無関心であり、アタシは半分、諦めかけていた。
逆に外部モニタでその様子を見ていた公一は櫻井先生と何やら話していることが増えた。
そのため、アタシに彼女の世話をまかせっきりになることが多くなった。日に日に、アタシのつくため息の回数は増えていった。
そして……、あの運命の日が訪れる。
いつものように、アリサがミウの手を引きバーチャル世界を歩いていた。今日は公一の作った、10年ほど前のこの辺をイメージしたフィールドだ。アタシですら懐かしさを覚える力作だ。
アタシは彼女の手を引き、河原に出た。真っ赤な夕陽が周りを染め上げていた。
夕方の風景は美しく、そして儚い。
本来なら数分しか見られない風景であるのだが、このフィールドは夕方のまま固定されていた。明けない夜はないというが、むしろこの世界は夜になることを拒んでいるように感じられた。
彼女は相変わらず、ただそこに立っていた。夕陽は赤くほほを染め、足下からの影が長く伸びていた。
「綺麗だね」のアタシの言葉にも彼女は全く反応を示さなかった。
アタシはため息をひとつついて、彼女の手を引き移動しようとした。
けれど、初めて彼女が反抗した。
そこから一歩も動こうとしない。その時、気付いたのだ。
彼女は夕陽に反応しないのではなく、他のものに気を取られていた。遠くに見えるそれは、明らかにアタシたちを見ている。そして、彼女の視線はそこに固定されている。
それは、手を振りながら近づいてきた。
相変わらず彼女はそこから動いてはいなかったが、明らかに変化が見受けられた。
彼女の顔に表情が表れたのだ。口が開き、瞳孔が開き、喜びとも驚きとも取れる感情が徐々に形作られていく。
「こ……」
そして、それは彼女の前に立った。微笑みを持って。
「……こーちゃん」
その時、アタシは初めて彼女の声を聞いたのだ。絞り出すようなその声をアタシは綺麗だと感じた。
彼女は膝を突き、それにしがみつき、泣いた。
泣いたと言っても、バーチャル・スピリッツに涙を流す機能はない。涙を流さずに、彼女は号泣したのだ。
そして、少年の姿をしたそれは頭を撫で、ひと言だけ言った。
「おかえり、水月」
制止した時間は、今巻き戻り、そして静かに動きはじめたのだ。
しかしアタシは未だに彼女に“触れることができずにいた”。
公一はこれを作っていたのだ。自分の10歳ころの姿をしたスピリッツを。
沈まない夕陽の中、何かに吹っ切れたように話す水月は6歳くらいの少女のようだった。
「うん、わかった、こーちゃん」 何度もその言葉を繰り返し言った。
少年の姿をした公一は良く笑う。
フェイスシンクが良く効いているのだ。
本来、自分と同じ顔でないとフェイスシンクは働かない。
自分の幼い頃の顔であるならば、不可能ではないだろうが、相当の変換作業が発生したはずだ。
公一は“水月と再会”するために、ここまでやれるんだ……。
アタシは少し離れた場所でふたりを見つめていた。
「うん、わかった、こーちゃん。また会おうね。ばいばーい」
手を振り公一を見送る水月。
取り残されたアタシには、彼女にどう接して良いか分からなかった。
意外なことに、水月は自分から近づいてきた。夕陽を背景にし、躊躇いながらも手を出してきた。逆光になるアタシからは彼女の表情が分からない。
「わたし、みづき。あなた……だれ?」
アタシは手を差し出しながら、アリサと名乗った。
「ふーん。こーちゃんに『あのおねえさんとなかよくしなさい』っていわれたから、なかよくしよ?」
その言葉はアタシを大いに喜ばせ、そして大いに落胆もさせたのだ。
病院のベンチで、横に座る青年である公一の顔を見る。
「お、おい。どうしたんだ。俺の顔なんかじっと見て」
ふっとため息をついて、なんでこんなのが良いのかねと呟きたくなる。
「他にもっとマシなのがいるでしょうに……」
「何だかしらないけど口に出てるぞ」
「口に出したんだもの、当たり前でしょ?」
この世界にはアタシ以外にも変わり者がいるのだ。
そして、また出会った頃のことを思い出していた。
「……ねえ、公一」
「ん?」
「水月ってさ、学校の成績悪いでしょ?」
無言で苦笑いするその顔が答えになっていた。
「世の中にはいるのね、天才って……」
アタシはそれなりに何でもできる方だと思うし、公一も凄い人間だと思う。
でも、アタシが驚愕したのは水月が初めてだった。
アタシを認識した翌日から彼女は変わった。
コックピットに移動する際、自分から車いすに乗るようになったのだ。今まではヘルパーさんを呼んで苦労してベッドから移動させていたのに、雲底の差だ。ただ、彼女自身が慣れないこともあり、最初は余計に時間が掛かるようになったが、それは仕方ない。
そして、診療の時にも暴れることが徐々になくなっていったそうだ。
後から聞いた話だが、水月は相当な問題児だったらしい。おかげで病院のスタッフさんから、アタシは大いに感謝されることとなった。まだ正式運用されていないバーチャル・スピリッツルームへの移動は、院内のスタッフ専用エリアを通る必要があるのだが、以前と違い冷たい視線が飛んでこなくなったことが何より嬉しかった。
変わった当初は、記憶が混乱し支離滅裂な言動が多かった水月だが、十数日もすると正しく自分の置かれた環境を理解するようになっていった。それは、幼子がわずかな期間で少女に成長する様子を目の当たりにするようで、むしろアタシが彼女に混乱させられる日々でもあった。
と、同時に、公一がゴスロリ服を着るように要請した狙いが理解できた。彼は、アタシとバーチャル・スピリッツ上のアリサを、わざと混同させようとしていたのだ。そうすることによってアタシを現実離れした存在にし、拒否反応が出ないようにしたかったのだろう。
恐らく、その狙いは当たった。
彼女は、アタシをバーチャル・スピリッツの妖精か何かと勘違いしている節がある。
しかし、だからこそ彼女はアタシを受け入れ、バーチャルとリアルの架け橋になれたのだ。
反面、アタシは自分自身のことを彼女に話せずにいた。
あるひどく暑かった夏の日。アタシは水月の車いすを押して、バーチャル・スピリッツルームに移動していた。
「ねえ、あなたは誰?」
「知ってるでしょ? 私はアリサ」
「それはスピリッツ名でしょ? 私が知りたいのはあなたの名前」
「え? スピリッツ名とか教えたかしら?」
「へへ、あなたが帰ってからちょっと調べてみた。結構、難しいね、スピリッツって」
そうか……。ついこの前まで生きた屍のようだったこの娘が、自分から……。
アタシは嬉しくなると同時に、この娘が恐ろしくも感じられた。後に、これが彼女の才能の目覚めであったと思い知らされるのだが。
「理沙よ」
「りさ?」
「そう、理科・社会の理に、さんずいに少ない」
「んー、難しいな。後で書いて教えて? りささん」
「理沙、でいいわよ」
「うん、分かった。ねえ、りさ。私もスピリッツ名が欲しい」
車いすの上で振り返り、アタシの顔を見ながら彼女は言った。
「いいわよ、好きな名前付けなさいよ」
ごめん、公一。彼女のスピリッツ名に“ミウ”と付ける約束、果たせそうにないわ、そう思った時だった。
「“ミウ”がいいな」
「なぜ、その名前なの?」
「えへへ、ひ・み・つ」
当時のアタシにとって、理由などどうでもよかったのだ。
ただ、彼女が前に進んだ。その事実だけが嬉しかった。
水月も何かを感じ取ったらしく、微笑みを返してくれた。たぶんアタシはその時初めて彼女に“触れた”のだ。
そして、アタシと水月はリアルとバーチャルで名前を使い分ける仲になった。
ついにアタシは、水月という天才を眼の当たりにすることになる。
彼女は極端にムラのある天才だったのだ。
その天才性は運動能力的にも、知能的にも発揮された。水月は、自分にとって必要だと思われる物事については信じられないほどの集中力を発揮し、たちまちものにしてしまうのだ。
しかし、それが必要でないと感じたものについては人並み以下と極端に落ちる。
学校の成績が悪いのも理由はそれだ。彼女は学校の勉強に価値を感じていない。それは他人にいくら必要性を説かれても無駄なのだ。彼女自身がそれを認めない限り。
バーチャル・スピリッツは彼女自身がその必要性を認めたのだ。ただし、ドライブに関してのみで、制作についてはとんとダメであったが。
そして覚える順番がメチャクチャなのだ。アタシなんかは物事の理解をパズルに例えると、ピースを端から順番にはめていかないと理解できない。と、いうか普通の人はみなそうだろう。
しかし、彼女は違うのだ。時に、いきなり中央にピースを置いてしまうことを平気でしてしまうのだ。傍目に見ていると、意味なくピースがバラバラに置かれていくようにしか思えないのだが、気がつくと一枚の絵ができあがっている。結果は同じなのだが、その課程が恐ろしいほど早いのだ。逆に、その気にならないと最初のピースの置き場を間違えてしまい、他人の数倍の手間が掛かるようだ。
彼女はその気になりさえすれば何でもできるのに、そうしない。その天才性を無駄にしていることにアタシは腹を立てた。何て傲慢なヤツなんだろうと。アタシは人生で初めて嫉妬した。そう思いつつ彼女の才能に誰よりも魅せられているのも、間違いなくアタシだった。
公一とアタシが第3世代機“ルナ”の開発に着手したのも、彼女の並々ならぬ実力をこの目にしたからだ。正直に言ってしまえば、アタシとアイツが手を組むなんて、少し前なら考えられない話でもあったのだ。元々は公一の無理な願いから始まった話。ここまでやることになるとは、ふたりとも想定外だった。
それほどまでに水月の実力は圧倒的であったのだ。
最先端の施設が思う存分使える贅沢な環境。そして互いのノウハウを存分に出し合った。手始めにアリサの改造に着手し、第2.5世代コードを完成させた。
その成果はアタシたちを歓喜させた。
そして、構想段階の第3世代コード搭載の新型ミウの開発に着手した。
最初から水月の才能にターゲットを合わせたドールだ。
その頃から櫻井先生の独り言(アドバイスと言うと怒られるのだ)を参考に、水月を<楽園>に出入りさせた。他人との接触が不安だったが、それは杞憂に終わった。
そして、アタシは彼女の異常性に気づく。
この娘は、自分が天才であることに無自覚なのだ。だから、その才能を発揮するスイッチを自分で押すことができない。
自立できない天才。それが水月だった。
裏返せば精神的な弱さを持つということでもあった。
交通事故という最悪のアクシデントは、彼女のマイナスのスイッチを押してしまったのだろう。だから最初のピースを間違って置いてしまったのだ。
彼女をそこから救出したのは……恐らくは過去の自分、そして、過去の公一。
そして……、“バーニング・ウェーブ”。
それは、彼女の部屋にあった色あせたポスターのゲーム。
それは、公一の部屋にも貼ってあった伝説の無理ゲー。
“ミウ”は、ポスターの中心で微笑むそのゲームのヒロインの名前だった。
発売当時は話題になったが、その難易度ゆえ、あっという間に人々から忘れられたゲーム。幼かったアタシもすぐに放り出した。
しかし、このふたりにとっては違ったのだろう。ふたりの部屋で微笑む“ミウ”に、アタシは複雑な感情を抱いていた。アタシは公一と水月の間にいる彼女にも、嫉妬していたのかもしれない。
そして、彼女は水月を救った最期の鍵。それは、パンドラの箱に最期に残ったとされる物のように思えた。
つまり、アタシは蚊帳の外の人間なのだ。水月の復活にアタシは不要……。
病院の待合室というのは、予想外に声が響く。アタシは自分の声を抑えながら、青年・公一に問いかけた。
「水月、歩けるようになるかしら……」
「大丈夫だろ、あいつなら」
「でも……」
「大丈夫ですよ。慌ててはいけませんよ。水月さんのペースで、ゆっくりと治せば良いんです」
突然、優しげな中年男性の声が割り込んできた。すぐに公一が立ち上がって挨拶をする。
「あ、櫻井先生。今日は無理言ってすいません」
腰が折れそうなほどにお辞儀をする公一。アタシも慌てて立ち上がって挨拶をした。
「あ、いえいえ。私も君たちのファンですからね。今日を楽しみにしてましたよ」
「……」
そこに水月が戻ってきた。
「ふぅ、ゲロ吐いたらスッとした。あ、櫻井先生。すみません、こんにちは」
いきなりガサツなセリフを吐く水月にアタシは頭を抱えた。公一は公一でアタシを睨み付けている。これは、アタシのせいじゃないわよっ!
「おや、大丈夫ですか? 水月さん」と、先生。
「大丈夫です。単なる車酔いなんで」と、手を横に振って明るく応える水月。確かにもう心配はいらないようだった。
そこへ最後のひとりがやってきた。
「こんにちは! 駅前で美味しそうなケーキ売ってたから買ってきたよ」
フタバだ。遠くに住む彼女とリアルで会うのは初めてだった。
「おや、いいですね。ではこちらも、とっておきの紅茶を用意しましょう」
櫻井先生はニコニコ笑いながら言った。
病院らしい清潔な部屋と、最新の機材で構成されたバーチャル・スピリッツルームは、まさに未来を感じさせる空間だった。初めてここに入るフタバは驚きの声を上げ続けていた。
アタシたちはまず、決戦の切り札である新型ミウの完成版、ルナの性能テストを開始した。
事前に公一から、「この前のとは全然別物だから、そのつもりで」と言われた水月は、やや緊張した面持ちでコックピットに入った。
息を呑んで見守る一同だったが、それはすぐに歓喜の声に変わった。
「すごい! これはいけるんじゃない?」 フタバが興奮気味に叫ぶ。リアルにおける彼女は、場内アナウンスのようにハキハキと話す娘だった。
常に微笑みを絶やさない櫻井先生ですら驚きの表情を浮かべていた。公一がフルチューンしてきたルナの性能はそれほどまでに圧倒的であった。
スピード、パワー、ジャンプ力、瞬発力、柔軟性。数々のテストで見たこともない数値を叩き出した。問題視されたバッテリーも強化策が狙い通りにいっている。ドールを設計したアタシですら興奮を隠せないほどで、革新的という言葉はルナのために用意されたんではないかと言いたくなるほどだった。テスト中、「ドライブしにくい」とこぼしていた水月ですら、コックピットを出てくる時の表情は満足げであった。
喜びの声を挙げようとする水月の視線の先には、寝息を立てる公一の姿があった。櫻井先生は小声で「少し早いですが、お茶にしましょう」と外を指さした。フタバが破った手帳に“会議室でお茶してます。起きたら来てください”と伝言を書き、公一の側に置くと、アタシたちは音を立てないように部屋を後にした。
会議室に着くと、早速櫻井先生が慣れた手つきでお茶の準備をしてくれていた。
「本当は紅茶にしようと思ったんですが、みなさんお疲れのようですからこちらの方がよろしいでしょう」
カップを温めたお湯を捨て、数分蒸らしたお茶が注がれると、部屋がたちまち暖かい空気とジャスミンのほのかな香りで満たされていく。
「なんか、幸せな香りだね」
水月の感想に心から同意。フタバの手によってレアチーズケーキとジャスミンティーが配られると、一同その味を堪能した。甘酸っぱいケーキとジャスミンの香りの相乗効果で、たちまち疲れが抜けていくようだ。
「やったね! これはアタリだわ」
「さすがフタバって感じ。地元民の私だってこんなの知らないのに」
「もっと、ほめて、ほめて」
はしゃぐフタバと水月。ここ数日、食事が単に栄養を補給するだけの作業になっていたから、こういう娯楽的な食べ物は日常に戻ってきたという気がする。
そんな時、ポロっと余計なことを言ってしまうヤツなのだ、水月は。
「なんかさあ、フタバってリアルだと印象違うね。どうしてだろう?」
「あ! 馬鹿、水月。余計なこと言わないの。ごめんなさいね、フタバ」
フタバは怒るわけでもなく、苦笑いしながらアタシたちの様子を見ている。
「あー、口調が違うからか」
こういうところは水月はホント、天然だ。勢いで全部言ってしまう。いや、言い切らないと気が済まないタイプなのだ。もっとも、正統派美人であるフタバにあの口調は似合わないとは、アタシも思う。<バトル・シティ>で猫を被っていると評した公一は間違ってはいない。でも、本人を前にして言うことじゃあないぞ。
「ったく。いい加減にしなさいよ、アンタ。ホント、ごめんね、フタバ」
アタシが水月のほっぺたを引っ張り発言を止める様子を、フタバはお腹を抱えて笑っていた。
「そういえばアンタ。さっきまで気分悪そうだったのに、ケーキなんか食べて大丈夫なの?」
「ふぁいろうぶらから、れをはらしれ」
「あ、ごめん」
アタシが手を離すと「大丈夫だよぉ」と水月は言い、またケーキを一口ほおばった。話は弾むけれど、どうしても話題は明日の話になってしまう。
最初に切り出したのはフタバだった。
「そういえばさ、あのリキの右手、あれなんだったの?」
「どうも、あれからミウのコードをコピーしたみたい。なんかあれ、色んなことができるみたいだよ」
水月は簡単に概要を説明した。
「うわぁ、サイテー」
「あ、でも大丈夫。理沙が対策取ってくれたから」
「流石アリサちゃん。……あ、でもスピリッツの方のアリサちゃんも救出しないとね」
「うん、そうだね。でもさ……、<エル・ドラド>ってどうして無駄に広いんだろ? 何もないくせに<楽園>より大きいよね? アリサひとり閉じ込めるにしては大げさ過ぎる」
「いや、それが大きさは<楽園>とほとんど変わらないのよ。フタバが動作不能時に集めてくれたデータで模擬フィールドを創ってみたんだけど……」
アタシはカバンからノートPCを取り出し、データを呼び出す。
「ほら、<楽園>と<エル・ドラド>ってほぼ同じサイズなのよ。<エル・ドラド>の方が外周円の分だけ大きいだけで、事実上同じと言っても問題ないわ。さらに<楽園>の中央広場と<エル・ドラド>の森の大きさまで同じ」
アタシがPCをずらし、水月に見えるようにすると、フタバも移動して後ろからのぞき込む。
櫻井先生はひとり、ニコニコ笑ったままお茶を飲んでいる。
「ふーむ。これって偶然じゃすまないよね」と、水月。
「あと、<楽園>の建物に貼られていたステッカーも不思議よね。ミウちゃんと調べたら、結局全部の建物に貼られたのよね」と、フタバ。
「あっ!」 アタシの中で何かが繋がった。
「そうか、そういうことだったのね。ステッカーについて調べないと!」
アタシは椅子から立ち上がった。
ダメだ、こんな単純なことに気付かないなんて。平常心を保っているつもりだったのだけど、やっぱりどこかテンパってるんだ。
「どうしたの? 理沙」
「マスターは<楽園>にいるわよね?」
「? う、うん」
「今すぐ調べてもらわなきゃ」
アタシが席を立ち、バーチャル・スピリッツルームに向かおうとすると、公一が部屋に飛び込んできた。
「理沙! 分かったぞ! マスターに確認したら間違いない」
公一も同じ問題に気付き、そして結論も同じだった。
「え、え、つまり、どうなるの?」 水月とフタバは混乱している。
公一は、静かに言った。
「アリサはシステム上、抹消される」
「つまり……“死”ね。想定外の事象ゆえ、実際にはどうなるか分からないけれど」
「理沙! とにかく来てくれ!」
公一がアタシの手を引っ張り、バーチャル・スピリッツルームに連れて行こうとした、その時。
「いけません!」
櫻井先生の厳しい声が会議室に響き渡った。
これまでただ笑っているだけだった先生の豹変ぶりに、アタシたち全員の動きが止まった。
「……公一くん、君はすこし疲れている。まずは、お茶でも飲んでいきませんか?」
先生はポットにお湯を注ぎながら言うその口調は、元の穏やかなままだ。
「でも、先生……」
「無理はいけませんよ。そうですね、15分間で構いません。フタバくんの買って来た美味しいケーキをいただきなさい。 で、なければあの部屋は貸しませんよ。あれは私の私物ですからね」
一度は言ってみたい夢のようなセリフであり、公一にとっては束縛の呪文だった。
渋々席に座り、ジャスミンティーを口にすると公一の表情が変わった。そして、チーズケーキを口にすると「美味い……」とボソっと呟く。
その様子を見ていた水月はクスリと笑う。公一の様子を見ていると、櫻井先生の意図が読めてきた。
つまり、彼は慌ててはいけない、と言っているのだ。
休む時は、休む。
やるときは、やる。
単純だけど、なかなか出来ないことでもある。アタシたちも、それぞれ席に戻った。
「あ、別に話は構いませんよ。雑談するなり、作戦を立てるなり、その辺はご自由に」
櫻井先生はニコニコ笑っている。
結局、最初は単純にリキたちを倒せば良いという作戦だったのが、アリサの救出が最優先に変更された。
そのために作戦をいくつも考えたが結局、水月の考えたアイディアが採用された。
呆れるほど単純で力任せな作戦だけれど、ルナの桁外れのパワーなら可能になってしまう。
「シミュレーションの結果が出たわ。通常重力なら楽勝、超重力だとギリギリね。でも、どちらにせよ何とかなるわ」
公一は水月の頭を撫でながら「まったく、呆れた馬鹿力だな、お前は」とからかうと、「こーちゃんが作ったんじゃない!」と反発する。が、どちらも肩の力が抜けている。
「作戦が豪快過ぎて、逆に対策が取れないと思うわ。こんなの予想もしていないだろうしね」と、アタシは半分呆れながら言った。アタシや公一ではこんな作戦、思いつかない。
「あと、フタバも頼むな。本来は交渉とかやってもらうつもりだったのに、すまん」
「いいわよ。言い出しっぺの法則だしね」
「アタシと公一は、まだまだ創る物が山ほどあるわね」
「ああ。その前に、水月の特訓の方が先だな」
「ふえぇぇぇ~」
「<エル・ドラド>の模擬フィールド、役に立つ時がきたわね。そうそう、エンに連絡とってプログラムもらわないと」
「あ、それは大丈夫。この前もらったよ」
「なら、材料は全部そろったわね。あとは料理するだけ」
「よし、やるか!」
結局、アタシたちは1時間半も作戦会議に費やした。
しかし、その時間はとても意味のあるものである、と信じたい。
何よりも目標をしっかりと定め、全員がそれを認識することは重要だと感じた。“急がば回れ”というヤツだ。
とはいえ、ここ数日の作業で疲れているのも事実。
今はやれるだけのことをやって泥のように眠り、そして本番を迎えるだけだ。あと一息!
すでに決戦まで24時間を切っている。アタシたちは席を立ち、バーチャル・スピリッツルームに向かって歩き出した。
「あ、理沙・・・・・・」
「どうしたの、水月? いくわよ」
「・・・・・・・ん。頑張ろうね!」
「アンタが頼りだから、よろしくね!」
「う、うん!」
後ろから櫻井先生がフタバに声を掛ける。
「あ、そうだ。フタバくん。疲れた時には甘い物に限ります。脳にも効きますし。レアチーズケーキ、最高の選択でしたよ」
「ふふ。ありがとうございます。でも、先生がご用意された物の方が高級で美味しかったのではないですか?」
「いえ、あなたが用意されたことが重要なのです。本当に良いチームですね」
「あれ? 先生は……」
先生は発言を遮るようにウインクをするとフタバは微笑みを返した。
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