第7話オヤジ と ガキ
翌日、ミウは<楽園>のゲートに現れた。
何か情報がないか、役に立てることはないか。そんな思いが彼女の足を運ばせたのだ。
「やっほー! ミウ、聞こえる?」
フィールドに入ると、すぐに音声チャットが入った。
「あれ、アリサ? 身体は取り戻せたの?」
「まだダメ。<エル・ドラド>から追い出されている状態だからかしらね、チャットだけはできるみたい。明らかに今、アタシはシステムが想定していない存在なんだわ」
「ってことは、<エル・ドラド>は……」
「ええ、閉じたまま。<エル・ドラド>のゲートが開いている時にログインコマンドを発行しないと復帰できないみたい」
「あはは、じゃあアリサは今、幽霊みたいなもんだね。じゃあ、アルバに行くけど構わない? 背後霊さん?」
「構わないわ。映像が何も無いから、アンタを通して音声でしか状況が分からないのよ。冗談でなく、本当にアンタの背後霊ね、アタシ」
「じゃあ、歩き始めるね」
「OK。全く問題ないわ」
「あはは、何だか“天の声”みたいで面白いかも」
「こっちの身にもなってよ。とりあえず来てみたけど、やっぱり何もできないわ。ところで、公一は?」
「こーちゃんは徹夜だったみたい。まだ寝てるみたい。だから、今日はひとりで来ちゃった」
「……足はどうしたの?」
「ん? タクシーで来たよ」
「……アンタ、今どんな格好してる?」
「アクアは昨日、服を破いちゃったから……」
「そっちじゃなくて、アンタ自身よ。まさかジャージとかで来てないでしょうね?」
「ぎくっ!」
「……。ふう、アンタって本当に行動パターンが読みやすいわよね。公一がいないからって手を抜いちゃダメよ」
「そ、そ、そんなんじゃないよ。って、あれ? おかしいな」
「こら、誤魔化すんじゃないわよ」
「いや、本当におかしいんだって。なんか、人が異常に少ないんだよね。
いるのは古株の人ばっかりで、昨日あれだけいた新人さんは全然いない」
「……。とすると、昨日の件が予想よりも早く広まっているってことかしらね」
「アルバに着いたよ、アリサ。これから入るね。
こんにちは、マスター。いつものお願い」
「かしこまりました」
「おーい、ミウちゃん。こっち、こっち」
「あ、エンさん、こんにちは。ドクさんも、こんにちは。じゃあ、お邪魔しまーす」
「おう、嬢ちゃん。ひとりなんて珍しいな。ハムとか、アリサ嬢ちゃんは?」
「アタシはいるわよ、ここに」
「おぉっ!? 声はすれども姿は見えずってか」
「アリサは都合により今日は声だけの出演なんです」
「おいおい。……なるほどねぇ、噂は本当って訳だ」
「噂って、何かあったんですか?」
「ミウちゃん、これを見てくれ」
「何ですか、これ? ……うわぁ、ひどい」
「どうしたの水月? アタシにも見せなさいよ。チャットで送れるはずよ。
……なるほどね。こういうことしてくれるんだ、アイツら」
「夕べからかなりの数、出回っているようでございます。最初はランダムに配布されたようですが、複製されてコピーが一気に転送されたようです」
「あ、ありがとう、マスター」
「アリサちゃんを磔にして、勝利宣言のつもりなのかね?」
「……まだ、勝負は決していないのに」
「それでも十分な効果があったってことね。
それにしても、ご丁寧にアタシを十字架に磔にした写真を配りまくるなんて。ありがたくって、涙が出ちゃうわ」
「背景を見る限り、ここは<エル・ドラド>だよね」
「ええ、一度はゲートをオープンしたのね。それと、重力は元に戻ってるみたいね」
「え? それはどうして分かるの?」
「十字架が少し斜めになってるでしょ? もし、重力があの時のままなら、この角度では立てられないわ。ともかく、これが人が少なくなった原因なのは間違いないわね」
「敵である私たちは、これを配られずに避けられんだね」
「ここも一種のネット社会だからな。ご丁寧に、アリサちゃんが負けたという意味の“Lose”と書き添えるところに根の深さを感じる。昨日、揉めてた連中の仕業だろ?」
「ええ、間違いないわね」
アリサは昨日のできごとを簡単に話した。
「<楽園>の乗っ取りが目的かい。
アリサちゃんを破った奴がいるんなら、ここがいつまでも平和である保証はないって訳だ。
坊主も水くさいなぁ。あいつ、自分の用件しか連絡してこねぇ」
「あ、こーちゃんは、ルナのメンテで今死んでます。あと、余計な人を巻き込みたくなかったんだと思います」
「余計な、……か。水くさいなぁ、坊主。寂しいじゃないか」
「おいおい。ガキのケンカに大人が出てくる気かい? それに、お前さんが口を出す訳にはいかんだろうが」
「ドクさん、そりゃそうですけどね……」
「ありがとうございます、エンさん。でも、これはやっぱりガキのケンカだと思うんです。まずは、現役のガキ同士で何とかしてみます。私たちにも、意地ってものがあるし」
「……あ。……そうか、そうだな。すまなかった。
……ただ自慢じゃないが、俺は大人のように見えて大人じゃないぞ。単なるオヤジだ。言い換えると経験値の高いタダのガキだわ、やっぱ。だから、いつでもミウちゃんの味方だ。何かあったらいつでも相談してくれ」
「ふふ……。ありがとうございます。心強いです!」
「……ったく、コイツは。それで嬢ちゃん。
あんたはあんな目に遭って大丈夫なのか? 女の子なんだし」
「あ、私は大丈夫です。自分でも不思議なくらいショックはなくて。
一晩寝たらスッキリしました、あはは。それよりも、フタバの方が心配で」
「ん? フタバちゃんなら、さっき来てたぞ。
あっちこっちのフィールド駆け回って、情報収集してるみたいだ。
今は女の子の方が元気だねぇ。坊主に爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「ふふ、敵わないなぁ、フタバには。ねぇ、ミウ」
「それでもな、嬢ちゃん方。
それでも、何かちょっとでもおかしいと思ったら医者に来い。いや、できれば何もなくてもだ。
お前さん方の体験したことは、やはりヘビーすぎる」
「ありがとう、ドクさん」
「……」
「どうしたの、アリサ?」
「……何でもないわ。気にしないで」
「おう、そうだ! さっきの続きだが、坊主から調べ物の依頼が来てたんだ。すまんがミウちゃん、アイツに渡しといてくれないか?」
「あら、もう公一から依頼があったの? こういうことは早いのね、アイツ」
「やっぱりアリサちゃんも知ってたか。でも、坊主に直接渡してくれ。ちょっと内容が内容なんでな。頼むぞ」
「こーちゃんはパスワード知ってるんですか?」
「いつものアレ、で通じるよ」
「わかりました。確かにお預かりします」
「あ、そうそう、エン。相談があるんだけど、いいかしら?」
「おう、俺はアリサちゃんのいうことなら何でも聞いちゃうよ」
「馬鹿。いつか見せてくれたオモチャあったでしょ?」
「うーん、ダンシング・ベアーかい? それともバーチャル水鉄砲?」
「それじゃなくて、手品の」
「あ、縦縞が横縞になるハンカチか」
「違う!」
「はは、あれだな。スティックが布になるマジックを再現したヤツ」
「そうそう、それ。あれ、実際にパラメータを変えて材質を変化させてたわよね」
「ああ、そうだよ。ははん、何か企んでるな?
ちょっと待ってな……よし。ミウちゃん、これ後でアリサちゃんに渡しといてくれ」
「あ、はい」
「パスワードはアリサちゃんが今、一番好きな人の名前だ。頭だけ大文字、後は小文字な」
「何よそれ、馬鹿。でも、ありがとう」
「じゃあ、私、今日は帰りますね」
「おう! 気ぃ付けてな」
「無理するんじゃないぞ」
「はい! ありがとうございます」
「マスター、明日も来るんでよろしくね!」
「はい。緊急時のみご連絡をする方向でよろしいですね」
「はい、それで。では、失礼します」
「あー、嵐が去った後みたいっすねぇ、ドクさん」
「そうかい、心地よい風だったじゃないか」
「……『ガキのケンカ』、か。久しぶりに聞いたな。あれ、相当やり込まないと出てこないんですけどね」
「いい娘だろ?」
「はい。……いや、いい娘たちです。
そろそろ俺も、行きますわ。やらんといけないことが溜まってるんで」
「おう! ガンバレよ。
さてと。
俺も、ちょいと悪巧みの準備でもしてくるかね」
「あー、また悪い顔して笑ってる。やめてくださいよ、もう」
「知ってんだろ? 俺はワガママなんだ」
「知ってますよ、痛いほど。マジで人の人生変えちまうんだもの」
「へっへっへ……」
*
<楽園>でアタシは何もすることがないし、何より水月が預かったメッセージが気になったので、彼女に同行して公一の部屋に向かった。
水月とはバイクの二人乗りができないので、アタシは彼女のタクシーを追う形となった。本当にジャージを着てた水月に苦笑しながら。
「そうか、すまなかったな」
公一は、いかにも起き抜けといった風情であった。もう少し、気を使えよな。
机の上には眠るようにルナが横たわっている。多数のケーブルを接続してのコード書き込みの真っ最中で、背景のモニターの数値が目まぐるしくスクロールしていく。その周りには多数の付箋紙が乱雑に貼られていて、今なお試行錯誤している様子が見受けられた。
公一は、わざわざ着替えてきた水月からエンのメッセージを受け取ると、すぐにパスワードを入力し閲覧を始めた。
「あー、やっぱり。理沙、残念だけど予想は当たってたみたいだぞ。最悪だ。
実は、エンさんにリキのポート件、解析をお願いしたんだ。あの人、顔広いから通常は入手できないはずのデータとか見れちゃうんだよ。結論から言うと、アイツらの使ってるポート、あれは何でもありだ」
「ってことは、アタシたちのセルにコードを書き込むことも可能って訳?」
「それだけじゃなくて、バーチャル・スピリッツで使われているほとんどのデータが転送可能」
「あちゃー、マジで“どこでもドア”か。塞がりそう?」
「無理。バッテリー転送に関するバグだから、結構時間が掛かるって。
あと、お前の救出の事もあって、運営は大混乱しているらしい」
「うわ、サイテー。いくら何でもひどすぎない?」
「今まで平和そのものだったからなぁ。いきなり色々ありすぎて、トラブル対応がおざなりになってたんだな」
「危機意識がなさ過ぎよ」
「といっても、ひとつ穴が見つかると、そこからグイグイ広げていくのがクラッカーだからなぁ」
会話について行けない水月がアタシの袖を引っ張る。
「ねぇ、ねぇ、どういうことなの?」
「んー、リキの右手は昨日話してたよりも危険ってこと。原理的には何でも転送できる可能性があるってこと」
「あ、それで“どこでもドア”。ねえ、私たちもそれ、作っちゃえばアリサの救出とかに役立つんじゃないの?」
「無茶言わないで。流石に時間がないわよ。理屈が分かったからと言って、すぐに作れるとは限らないのよ。そもそもセキュリティホールを利用して、無理矢理実現しているから速度は速くない。もし何かを転送したとしても、その様子が眼で見えるはずよ。あと、転送されるものはパージしてしまうはず。だから、かなり使いどころが難しいわね」
そこに公一が割り込んでくる。
「あと、あのポートはスピリッツ本体についている必要はないみたいだ。構造自体はものすごく単純みたいだ。それから、運営はまだ解析中で、対策が取れないってさ」
「運営はずいぶんのんびりしてるんだね」
「バーチャル・スピリッツのシステムは複雑だから、少し手を入れると他にも影響が出る可能性があるのよ。だからやる時は慎重になるのは仕方ないわ。でも、腰が重いのは同意するけどね。
公一、アンタ時間ないでしょ。アタシにデータちょうだい。こっちで対策取れないか、調べてみるわ」
「すまない、助かる。
たぶん、転送元が分かっていればガードが掛けられると思うんだがな。俺の方の資料も付けておくよ。ちょっと待ってくれ」
公一が資料をまとめるため、机に向かった。
「ねえ、ねえ、理沙。質問していい?
セキュリティーホールって安全性に関するバグでしょ? 何でそんなものを残しておくの?」
「これに限らずプログラムってのは、バグとの闘いなのよ。ちょっと長くなるけど、いい?」
水月は頷いた。アタシは公一の本棚にある適当な小説を取り出した。
「そうね……。プログラムっていうのはね、ある意味文章なの。読者が人間ではなく、コンピュータだというだけのね。人間って結構いい加減な生きもので、多少の誤字脱字は受け入れてくれるのよ。でも、コンピュータはそれを許さない」
水月はいまひとつピンとこない顔をしている。
「OK、今のは忘れて。じゃあ、たとえ話をしましょう。
ここに、水月が住んでいる家があるとするわ。玄関があって、鍵を持っている水月だけが出入りできる。これが、セキュリティ。ここまでは良いわね」
「うん。私が出かける時は、キチンと鍵を閉めていけば安全って訳だよね」
「そう。だから、水月に恨みを持ってるリキは鍵を持っていないからアンタの家に入れない。少なくとも家の設計者はそう思っているはずよね。
でも、リキはとんでもない怪力で玄関をぶち破ってアンタの家に侵入してしまいました」
「あはは、リキさん、かわいそうな役回りだ」
「たとえ話だし、本物も変わらないわよ。
とにかく、設計時には想定もしなかったことが実現してしまう。これもひとつのセキュリティホールなのよ」
「あ、なるほど。必ずしもセキュリティホールってバグとは限らないんだ」
「そうそう。で、アンタだったらリキの対策に何をする?」
「んー、リキさんでも壊せない頑丈なドアに取り替えるかな?」
「そう、それが対策。必ずしもドアを丈夫にする必要はないんだけど、今回はそれでいきましょう。
で、実はリキは水月を殺したいと思ってたのよ」
「うわ、いきなり物騒になったなぁ。でも、家に閉じこもれば安心じゃないの? リキさんとは会えないんだから」
「いえいえ。例えば、ドアの鍵穴から毒ガスを流し込めばアンタなんかイチコロよ」
「あたっ! それは予想してなかった」
「でしょ? 想定外の方法でシステムに攻撃する、これもセキュリティホールよ。つまり、システムはありとあらゆる攻撃方法を想定して創っておく必要があるの」
「あー、なるほど。一種の知恵比べが発生してるから、システムも常にアップデートが必要になるんだ。今日の正解は、明日には時代遅れ、ってこと?」
「その通り! だから、今回のセキュリティホールが解決されても、いつか新しいセキュリティホールが見つかる。残念ながら、むなしいイタチごっこが続くって訳ね」
「うーん、なるほど。あと、バグも当然あるしね。
あっ。さっきの小説をセキュリティとするなら、完全に一字一句間違えずに正確に意味のある文章を書かなければいけないってことか。ちょっとでも間違えてたら揚げ足を取られるみたいな感じ?」
「そう、わかってるじゃない。でも、実際には一字一句どころか、使ってるインクとか、紙に問題があったなら、そこを狙うことがあるのよ。完全に防ぐことなんかできないわ」
「うわぁ、そんなシビアなんだ」
「だから、大変なのよ。たとえば、さっきアンタは玄関を強化する、って言ったでしょ? あれよりは、家を塀で囲ってしまう方が良いのよ。玄関に近づけないから、ドアも壊せないし、毒ガスも入れられない。
もちろん丈夫に作る必要はあるし手間はかかるけど、下手に家を改造して使いにくくするよりは楽ってね。まぁ、これにも攻撃方法があるんだけどね」
「たとえば?」
「そうね、たとえば投石だけでも十分嫌がらせになるわね。命を狙うんだったら、火炎瓶でも投げれば良いわ」
「そんなもんが登場するの? あ……あー、なるほど。攻撃方法が色々考え出されるんだもんね。それもありなのか」
「そうなのよ。だから知恵比べ。後出しで色んな方法が登場するわ。それすらも想定しておかないと。
ネットショップで、アクセスが集中してサイトが落ちるなんて話があるでしょ? あれも、ある意味“想定していなかった攻撃”なのよ。実際に猛烈にアクセスを集中させる攻撃方法はあるわよ」
「うーん、なるほどねぇ。今回、バッテリー転送の思いも寄らない使い方をリキさんたちが見つけて、それを悪用しているって訳だ」
「そうそう。もっとも、バッテリー転送には元々問題があったんだから、とっとと対策すべきだったの。
だから、今回は運営の怠慢が原因だったと言えるわね」
一段落ついた公一が話に割り込んできた。
「まだ若いシステムだから仕方ない面もあるさ。理沙、お前のPCに資料送っといた。チェックしてくれ。
あと水月、ちょっとルナの件で相談があるんだ。こっち来てくれないか?」
公一は席を立ち、水月を自分の椅子に座らせて打ち合わせを始めた。
アタシはノートPCを開き、キーボードを叩く。
「ちゃんと着てるわ、ありがとう。
……あ、そうそう。エンからのファイルもチェックしておかないと」
パスワードは確か、アタシの一番好きな人……か。
どうせ自分の名前でも入れておいたんでしょう。
「En、あれ?」 エラーだ。
「Yenかな?」 やっぱ、違う。
「ねぇ公一、エンの本名って知ってる?」
「え? 知らないぞ」「私も知らない」
えー、それは困った。とりあえず思いつくままの名前を入れてみる。
違う。これもエラー。スペル違いもダメか。
「もしかして……」
ふとアタシはあり得ない名前を入れてみた。
「通っちゃった……」
……ガキか、アイツは。
「理沙、お待たせ。あれ? 顔が赤いよ、どうかしたの?」
「な、な、何でもないわよっ! き、気にしないでっ!!」
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