第6話アイツ と あの娘
「やられたっ!」
アリサにダメージが加えられ、パージタイムに入った瞬間にフィールドを閉じやがった。何度やってもアリサにログインできない。
システム上の欠陥を突かれた、というより想定していない事態だ。
アタシは、アリサを人質に取られてしまった。いくらコンソールを操作してもドールが戻ってこない。物理的にロックされた状態だ。ログアウトできないから、システム上は繋がったまま。
今のアタシはログインしているけど、ログインしていない無意味な存在なのだ。
「くそっ!」
シートを起こし、ヘルメットとハンド・グローブを取り、キーボードとモニタを展開する。
まずは、ログ解析だ。だいたい、あのフィールドは、あまりに周到な罠とおかしな事が多すぎた。
まずはデータをバックアップ。
「遅い、遅い、遅い!」
いつもよりもメータが重く感じられる。やっと読み込み終了した。解析ツールに読み込ませ、怪しい箇所をチェック。
「くそ、くそ、くそぅ!」
アタシの人生において、これだけキーボードを早く叩くのは初めてかもしれない。
これも、これも、これもだ! 瞬く間にチェックポイントが増えていく。
いや、ダメだ、ダメだ、ダメだ。本当にそれは注視すべきポイントか? 落ち着け、落ち着けアタシ。
大きく頭を振り、何もなかったように操作を続ける。むしろ今、この手を止めたら精神がおかしくなる。そんな得体の知れない不安だけが漠然とあった。
ドン! ドン! ドン! ドン!
「理沙! 理沙! 大丈夫なの? 返事して!」
水月がドアを叩く音だ。自分だって、それどころではないだろうに。
でも、あの娘には心配かけられない。ロックを外そうと手を伸ばした時、ほほに液体が流れるのを感じた。
……涙。
ドアを叩く音が止み、今度はケータイが鳴り始めた。
相手は……水月だ。
これ以上は無理だ。アタシは涙をぬぐい、ドアのロックを外した。けれど、顔は正面を向いたままキーボードを闇雲に叩き続けた。
「理沙……よかった」
言葉を返したかったけれど、うまく口が動かせない。こんなことは初めてだ。
やがて、不規則な足音が近づいてくる。アンタ馬鹿ね、松葉杖なしでここに来たの?
いきなりモニタの文字がゆがんだ。まずい、この顔は、この顔だけは……。
「来ないでっ!」
水月の足音が止まった。
「……来ないで……お願い」
これが今の精一杯だ。キーボードを打つ手もいつの間にか止まっていた。
ふたりの間に音は無く、ただコンソールの明滅だけがアタシの顔を照らしていた。
「あ……、ご、ごめんなさい、水月。そ、それよりフタバの様子、見てきてくれない? こういうの、彼女の方が慣れていないと思うから」
「……うん」
返事の後、少しの間を置いて、水月が部屋を出て行こうとする音がした。
「ミウは……大丈夫だったの?」
足を止め、水月が返事をする。
「うん。強制ログアウトされたけど無事だったよ。敗北マークが付いちゃったけど。
……アリサは?」
「<エル・ドラド>に囚われたままロックされてしまったわ。今、あそこはアリサを捉えるだけの牢獄のような存在よ」
水月の息を呑む音が聞こえる。
「……そ、そう。じゃあ、私、フタバに連絡取ってみるね」
優しい娘だ。余計な言葉はかけないでくれる。アタシの精神状態を考慮してくれているのだ。
水月が部屋を出てドアの閉まる音がする。
堰を切ったようにアタシの感情が溢れてきた。
ひとしきり泣いた後、アタシの視線はあるデータに釘付けになった。闇雲に付けたチェックのひとつだ。
「何、これ? 何でこの状況でこんなことが……」
アタシの中で、あの時のフタバの言葉が甦る。
(ねえ、アリサちゃん。コピーって簡単なの?)
落ち着いた所で、このステーションにいるアタシ、水月、公一の3人は水月のコックピットに集合し、状況交換を始めた。さすがにコックピットは狭かったけれど、リキやその仲間がこのステーションにいる可能性を考えると密閉した空間が好ましかったのだ。別のステーションにいるフタバは、ビデオチャットで参加している。
アリサは<エル・ドラド>は人質に取られ、アタシは擬似的にログインした状況のまま。
ミウとフタバは強制ログアウトで、スピリッツは無事。
戦いに参加しなかった公一たちはできる限りの情報収集をしてくれていた。
今もマスターは、いつも通りの営業をしながら情報収集をしてくれている。
情報をまとめよう。
公一によると<エル・ドラド>は昨晩オープンしたフィールドであり、すでにミウに渡した情報と、アタシたちの体験以上のものはない。
アタシとフタバが対応したトラブルは、<エル・ドラド>でフタバを拘束した赤服、青服の自演であったこと。他にはオリジナルのリキと、コピーのリキが4人。また、フィールドの管理者がいると想定されるが、誰かが兼ねているか不明。
つまり、敵は最低7人。
リキと管理者はバトル中、何らかの形で連絡を取っていたと思われる。ただ、あのフィールドはチャット不可の設定がされていたので、どのような形で連絡が取られたかは不明。
リキとその仲間の正体について話し合ったけれど心当たりはいなかったし、リキもアタシたちにあまり詳しい感じがしなかった。
ログイン・ゲートは常設のものが外周円に最低ひとつ、島の内部に開閉式がひとつあるだけである。恐らくは、島のゲートを管理者がオン・オフする形で運用しているのだろう。
そして重力可変が可能で、超重力下では周りの砂地が移動不可能ゾーンとなる。
さらに超重力下では強化型コードを採用したスピリッツしか行動できない。現時点ではリキたち5人と、アリサとミウのみが該当する。
ミウはアクア、ルナの2タイプ存在するが、共に水月専用モデルで他の者がドライブするのは困難。片足が不自由な彼女のために、特殊なドライブ方法を採用しているのだ。
「<エル・ドラド>はアリサとミウを倒すために設定されたフィールドとしか考えられない」
公一が結論付けた。周到に準備された罠に、アタシたちは簡単に引っかかった。ひとことで言って慢心していたのだ。
「悪意のあるフィールドを作られると、たまらんなぁ。スピリッツの能力にある程度干渉できるし、ルールをその場で変えられたら対策の取りようがない」
自らもフィールド・マスターである公一は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
そして、リキたちの要求だ。ミウに送られたリキのメッセージ・カードにはこうあった。
『新型ミウとの対戦を希望する。
日時は3日後、午後5時。
場所は<バトル・フィールド>。
ただしダメージ設定のみを有効にし、他の設定は変更しないこと。
小細工ができないよう、オープンしたままにしておくこと。
そして、対戦1時間前までのお前達の入場は禁ずる』
加えて人数制限はなし。これはリキが直接アタシたちに告げた言葉だ。
「なんで対決の場を<エル・ドラド>にしなかったんだ? 自分たちのフィールドの方が圧倒的に有利じゃないか」
「それが不思議なんだけど……何か理由があるのかしら?」
漠然と何かがあると感じていたけれど、誰もそれを思いつかなかった。
公一が拳を握りしめて言う。
「それにしても、フルチューンされたルナだったら、今日のトラブルは簡単に解決できたのになぁ。悔しいぜ」
「そんなにすごいの、ルナは?」 ドライバー本人からその疑問が出てくるのが、このチームの特殊性を示している。
「ええ、“フルチューン”されたルナなら、あのリキたちが束になってもパワーで圧倒できるはずよ。さすがに、超重力下の砂漠を渡ることはできないでしょうけど」
「ほら、超高速で走り抜ければ渡りきれないかな? 忍者みたいに右足が沈み込む前に左足を着く、みたいな方法で」
「あのねぇ。漫画じゃないんだから、さすがに無理よ。ルナは高性能だけど、スーパーマンじゃないの」
ビデオチャットで参加しているものの、これまで沈黙を保っていたフタバが唐突に口を開いた。
「……ねえ、聞いてもいい? “フルチューン”って何?」
それは、あまりに素朴な疑問であった。
「え? お前に話さなかったっけ? ルナのこと」
「ううん。ミウちゃんがインタビューでメンテしてるって言ってたのは聞いたけど、“フルチューン”って言葉は初めてきいたよ」
「本当か、水月?」
「う、うん。私、“フルチューン”とか他の人に質問されても答えられないから、ずっとメンテって言ってたと思う」
「俺はそんなこと、人前で言わないしなぁ。だいだい俺は裏方だぜ? そもそも人前で話す機会なんかなかった……と思う。理沙はどうだ?」
「アタシだってそうよ。アリサのことは言うかもしれないけれど、ルナのことなんか話さないわ。あの娘については、水月が語るのが基本だもの」
アタシたち3人は考え込んでしまった。リキはなぜ、“フルチューン”という言葉を知っていたのか。確かに水月はルナのドライバーだが、スペックについてはあまり詳しくない。それは先ほどの彼女自身の言葉が証明している。
やや短い沈黙を水月が破った。
「ねえ、もしかして、ファミレスじゃないかな?」
「ファミレス? “大円”か」
「うん。<バトル・シティ>のイベントのあった日。あの時こーちゃんが、ルナを“フルチューン”するのが楽しみって言ってた」
「あっ」
「……俺、確かに言ったな。イベントでルナが予想以上の性能を上げてたから、興奮してたかも」
「そもそも、公一。アンタ直前に仕様変更したから、本当は間に合うはずのルナが中途半端な実装になったんじゃない」
「でも、それが予想外の結果になって。で、あの日、俺は興奮して……。
あ……。逆に言えば、あの日以前にはフルチューンという言葉は使っていないってことなのか」
「つまり、あたしたちが“大円”にいた時にリキさんもいた、ってことでいいのかな?」
水月が結論を出した。
「ああ、お前がバーチャル・スピリッツ内で“フルチューン”って言葉を使っていない以上、リキ、もしくはその仲間は俺たちの身近にいる、と考えて良いだろう。
裏付けはないが、“大円”にいたのも状況から言って間違いない。これでは当面、“大円”には行けないな」
敵は身近にいる。思わぬ事態に空気が重くなった。
「ここで情報交換したのは正解だったって訳ね」
「どうする、“大円”に張り込んでみる?」
「そんな余裕ないわよ。それよりアタシたちには優先すべきことがあるわ」
「そうだね。……でも私たち、リアルにおける<楽園>を失っちゃったみたいだね」
リキ、もしくはその仲間が周りにいる可能性はアタシたちに少なくないショックを与えた。彼らには常識が通用しない、少なくとも今はそう考えるべきという公一の主張には同意せざるを得ない。
離れた土地に住むフタバは、どうしても単独行動が多くなる。アタシと水月だって、リアルではか弱い少女だし、公一はヘタレだ。
よって、アタシたちはまめに電話連絡をとりあうルールを作った。チャットやメールによる文字情報ではなく、生の声が聞きたい。
敵の正体が分からないということが、より一層不安を膨らませていた。
アタシたちは、アリサを回収できないかバーチャル・スピリッツの運営に掛け合ってみた。
けれど、今回の“事件”は想定外の事態で対応方法が用意されていないそうだ。対応は本部からの指示待ちで、少々時間が欲しいとのこと。最悪の場合、システム全体を止める必要があるかもしれないとか。お詫びとしてログイン状態にあるけれど、この問題が解決するまでの料金は無料に。それ以外の補償については、やはり本部からの指示待ちとなるそうだ。
バーチャル・スピリッツの運営は動きが遅い。まだ若いシステムでもあり、サポート態勢が貧弱なのだ。
また、リキたちに関する情報がないか尋ねてみたところ、個人情報保護の観点から教えられないとのこと。予想はしていたが、アタシたちはその答えに落胆した。
とりあえず、この場で話を続けることは得策ではないことと、フタバの受けたショックが尋常ではないので一時解散することになった。それはそうだろう。あの娘は、砂の中に沈んでいく疑似体験をしたのだから。さっきのミーティングで口数が少なかったのは、ビデオ・チャットで参加しているからだけではないはずだ。途中まで体験したアタシでさえ、かなりの精神的なダメージがあるのだから。
意外だったのは、一番ショックを受けると思われた水月が、一番しっかりしていたことだ。
そして、思い出した。
この娘はついこの前まで“死にもっとも近い”存在だったことを。
アタシたちは、公一の部屋で続きを話すことにした。まだ、詰めたいことが山ほどある。
水月は公一の車で、アタシはバイクでの移動だ。裏道を使ってアタシは先に公一の家に行き、彼の部屋の機材を借りてログ解析を再開していた。
今のアタシは何かをしていないと不安で仕方がないのだ。せめて、方針が決まれば……。
アタシはログデータを元に、リキのスペックを割り出してみた。
「ふむ。……こんなことってあるのかしら? でも、データはウソをつかないし……」
作業が一段落した所で、車が停止する音が聞こえてきた。公一と水月が戻ってきたのだ。
客人であるアタシが、この部屋の主を迎えるという奇妙な状況になっていた。
「PC、借りてるわよ」と言いながら、アタシは家の鍵を本来の持ち主に投げるが、彼はキャッチし損ねた。何で落とすかなぁ? 今のはストライクでしょう。
水月の第一声は驚きからだった。 「おじゃまします。わっ、すごい!」
それはそうだろう。部屋の中にスキマなくスピリッツに関する資料や工具、材料が山と積まれているのだから。公一の恐ろしい所は、これだけの物量がきちんと整理されている所だ。
普通は資料が地層と化していて、謎のオーパーツが発掘されたりするものなのだ、普通は。
「4、5年振りかな? お前がこの部屋に来るのは。とりあえずベッドにでも座ってくれ」
「う、うん」
実際、机とベッド以外に人が座れるスペースがほとんど無い部屋だ。水月は公一の肩を借りながら、一緒にベッドにまで移動し、並んで腰掛けた。アタシはその様子から眼が離せなかった。さすがに家の中では水月も松葉杖は使えない。
「で、理沙の方は何か分かったか?」
公一がバッグからタブレットを取り出しながら尋ねる。
「ええ。リキは第2世代のコードを搭載したスピリッツよ」
「それは、あの実力を見れば分かるだろ」
アタシはキーボードを叩き、彼のタブレットに接続しデータを転送した。
「いえ、アタシたちの開発した第2世代コードと全く違いはないと考えるべき性能なのよ。
具体的にはアクアと同じ。
今送ったのが、あのサイズのボディにアクアのコードを搭載しただけのシミュレーション。ほら、ほぼリキのスペックになるでしょ?」
「んー、どれどれ。なるほど、確かに近いな。これは巨大化したアクアだな」
「うえぇ、そうなの?」 水月はちょっと嫌な顔をする。
「ただの事実よ。そして、こんなことはありえない。アタシと公一が別々に開発したコードでさえ、こうはならないわ。これは新規に開発されたというより、コピーされたと考える方が自然なのよ」
深いため息をついて公一が言葉を継ぐ。
「確かに、全く同じ性能のコードを第三者が開発することは考えにくいが……。考えすぎじゃないのか?」
「いえ、証拠もあるのよ。ずっと、気になっていたんだけど、このログを見て」
キーボードを叩いて、公一のタブレットに<エル・ドラド>での闘いのログの一部を送った。
「これは、アリサがリキに囚われていた時のもの。アタシがパージアウトした直後に、リキもパージアウトしたことがあったのよ」
「あっ、アリサが腕を捕まれて十字のようにつり上げられた時だね。
あの時、私、ちょっとめまいしたんで、覚えてるんだ」
水月が状況を補足する。
「そう。その直前の、ここ見てちょうだい」
「……? リキの右手から、アリサの左腕へ強制的なアクセスが発生しているな。あ……確かに、これはコードをコピーしているっぽいな」
「恐らく、バッテリー転送システムのバグを利用しているのよ」
「バッテリー転送? あの、スピリッツ同士でバッテリーの受け渡しをするあのシステムか。でも、あれは使うとパージアウトする欠点が……あっ」
「でしょ? バグを利用しているから、システム全体に負荷を与えてるみたい。恐らく水月が感じためまいもその影響ね」
「じゃあ、私がめまいを感じたあの時に?」
「たぶんね。あの時、アリサの第2.5世代コードをコピーしたのよ」
水月が手で口を覆った。
「あの後、リキの動きがおかしかったでしょう? まるで、キャリブレーションが合っていないような感じで。当たり前よね。コードを書き換えたスピリッツは別物だもの」
「じゃあ、次に会うリキは……」
「キャリブレーションされた、巨大なアリサってことになるわね」
じっと話を聞いていた公一が口を開く。
「でも、その仮説は重要なポイントが抜けてるぞ。いつ、アクアの第2世代のコードをコピーしたんだ?」
そう、そこなのだ。アタシも納得いかないのは。公一は話を続ける。
「そもそも、第2世代コードを搭載したのは、今日<エル・ドラド>で闘ったアクアだけだぞ。リキは昨日の<バトル・シティ>ではノーマルだった。そして、アクアは昨日は稼働していない」
「今日、大勢の人と腕相撲したよ? でも、あの中にリキさんはいなかった」
「もしかすると、別のスピリッツがコピーしたんじゃないのか? そいつから、リキにコードをダビングすれば辻褄は一応合う」
「その結論は早急だと思うわ。ざっと今、アクアのログを見てるけど、その形跡は見当たらない。水月だって目まいは感じなかったでしょ?」
「うん。それにパージアウトした人もいないし。流石に眼の前でそんなことがあったら大騒ぎになってるよ」
「それに、時間の流れを考えると結構無茶。アクアが腕相撲している間に、アタシとフタバは赤服、青服におびき出された。<エル・ドラド>は、悔しいけどかなり良く考えられた罠だわ。もし、腕相撲を利用したとするなら計画が性急すぎるのよ」
公一が話を戻す。
「それはそうだな。……ってことは、いつコピーしたのかが見当付かないってことか」
公一は頭をかきむしった。
「ただね、方法は見当付いているのよ」
アタシが右手のひらを広げ左手で指さすと、公一と水月の視線が集中する。
「リキの右手には、五角形のマークが付いている。たぶん、あれが転送用のポートみたいね。あれをコピーしたいものに押し当ててコマンドを発行することでコピーしているみたい。
ポート自体は単純だから、簡単に増設できるはずよ。しかも、アクセスのやり方を変えれば、コード以外にも色々な物が転送出来そうだわ。このバグ、早く塞がないと大変なことになるわよ」
水月が思い出しながら言う。
「そういえば、<バトル・シティ>のリキさん。よくよく考えると、やたら右手でルナを掴もうとしているようにも見えたな……」
「うーん、とすると、ますます昨日の段階では第2世代コードは持っていなかったと考えるべきだな」
「第2世代コードは、もうひとつあるわよ」
「え!」
「古いハムイチよ。ルナを作るため、分解しちゃったけど、まだメモリージェルが残っているでしょ? あれは第2世代コードのはずよ」
「まさか!」
公一は立ち上がり、アタシを押しのけるように机の正面に移動し、鍵の掛かった引き出しを開けた。
「……やられた。古いハムイチの一部がなくなってる……」
公一は、ガクッと膝をついた。
「ちょっと見せて……。
違うわよ、それ。ルナの胸を急に盛ってくれとリクエストがあったから、間に合わせでアタシが拝借したわ。言ったでしょ?」
「え? 聞いてないぞ」
「言った、言った、言いました。アンタが時間もないのにそんなこと言い出すから悪いんじゃないの」
「だって、そうしないと実用的に……」
論争を始めたアタシと公一を、最初は見守っていた水月がついにキレた。
「うるさい、うるさい、うるさーい。
今の問題はそこじゃないでしょ。とりあえずメモリージェルは盗まれていなかった、で良いよね」
「……はい」「……ええ」
「話を整理するよ。
リキさんは第2世代のコードをコピーしている。でも、少なくとも昨日の<バトル・シティ>ではまだ持っていなかったけれど、今日の<エル・ドラド>での闘いまでに第2世代コードを入手して闘いに望んだ。ここまでは良いよね?」
「ああ、そうだ。問題は、第2世代コードを搭載したスピリッツとリキは接触していないはずだ、ということ。水月、アクアは昨日どうした?」
「ずっとカバンに入れっぱなし。もし<バトル・シティ>でトラブルがあったら、アクアを出すつもりだったから。
カバンはコックピットに持っていったから、誰にも触る機会はないよ」
「水月が使ったコックピットに何か仕掛けがされてたとかないかしら?」
「いや、それはないな。
昨日も今日も、俺が水月専用のフットペダルを付けたけど、異常は見当たらなかった。そもそも部屋は当日ランダムに決まるから、無理ゲーだよ」
そのセリフと共に、一枚のポスターがアタシの視界に入ってきた。
色あせたそれは、無理ゲーの代名詞とも言われる格闘ゲームだ……。
話に行き詰まり、空気が重くなってきた。
考え込んでいる水月がぼそっと言った。
「そういえば……昨日、<バトル・シティ>でも目まいがあったような……」
公一が水月の元に駆け寄り、肩を揺さぶって問い詰める。
「いつ、いつの話だ」
「痛い、痛いよ、こーちゃん。
えーと、男の子を助けて大ジャンプしてる最中。最初は空飛んでるからだと思ったんだけど、考えてみると<エル・ドラド>で起きたのと同じような気がする……」
アタシにも思い当たる節があった。
「あっ! あのビルが崩れる時の話ね。確かにアタシも目まいを感じたわ。ビル崩壊で計算量が増えすぎたためのトラブルだと思ってたけど、別の方面も考えるべきなのかしら?」
「あぁぁぁ!」
突然、大声を上げて公一が頭を抱え込んだ。
「そうか、そうだよ。ようやっと話が繋がったよ。理沙、お前が原因だよ」
「え? アタシ?」
この時、アタシはものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
「ちょっと何言ってんの、こーちゃん。理沙がそんなことするわけないじゃない」
アタシが声を上げるより早く水月が声を上げた。公一をにらみ付け、今すぐその言葉を取り消せとばかりに迫っている。
「まあまあ、落ち着いて水月。とりあえず迷探偵の推理を聞きましょう。すぐにアラが出るわよ」
アタシは立ち上がって、ふたりの間に割って入った。当事者はアタシなんだけどなぁ。
「原因が理沙だ、とは言ったが、犯人は理沙だとは言ってないぞ。
さっき仮説のひとつとしてあった通り、第2世代コードを直接コピーしたのはリキではない。その協力者が分かったって話。
そいつは昨日、第2世代コードをコピーしたのさ。一度コピーしてしまえば、あとはどうにでもなるからな」
話を遮るように、水月が問いかける。
「ちょっと待ってよ、こーちゃん。ってことは、昨日のバトル中、アタシのコックピットに誰かが侵入してカバンの中のアクアを取り出し、コピーしたっていうこと? アクアは一日中、私のそばにいたんだから」
水月は自分で自分の身体を抱きかかえる仕草をした。
「いや、それはない。コックピットのロックはちゃんとしたんだろ? 緊急時以外は開けられないようになってるしな。バーチャル・スピリッツのドライブ中は無防備だから、そんなことができるならもっと他の問題が発生しているさ」
ほっと胸をなで下ろす水月。
「気付いてみれば、実に簡単な話さ。犯人は、ルナが助けたあのガキだよ」
「……!」
「<バトル・シティ>のイベントでは、次に闘うエリアをおおまかに案内してた。避難情報としてな。
でも、あのガキはそれを逆手に取って、バトルするであろう場所に先回りしていたんだ。
<バトル・シティ>に現れたリキも、そのガキも目的は同じ。最新型のルナのコードをコピーすることだったんだ。そしてリキは失敗し、ガキは成功した」
「ちょ、ちょっと待って、公一。盗まれたのは第2世代のコードであって、ルナは第3世代のコード搭載機よ。矛盾してるわ」
アタシが立ち上がって抗議すると、公一はため息をついて答える。
「そこで理沙、お前の登場だよ。何か心当たりはないか?」
「……? ………あー、そういうことか……」
あまりのくだらない真相にアタシは身体の力が抜け、椅子になだれ落ちる。水月は不思議そうに、アタシたちふたりを交互に見ている。
「つまりね、公一のせいで話がややこしくなったのよ」
「おい、それは違うだろ」
「いや! 違わない! そもそもの話は、ものすごくシンプルなのよ。ルナが、あのガキを抱いて飛んだ時にコードがコピーされたのよ」
「……? でも、ルナは第3世代なんでしょ?」
「ええ、本体はね。でも公一のせいでルナは豊胸したのよ」
「だーかーら、それは誤解だって」 公一は抗議をするが、アタシは無視して話を続ける。
「その時に使ったのが、すでに破棄した旧ハムイチのメモリージェル。急に言われたからアタシも手持ちがなくて。旧ハムイチはルナを作る為の原型となったスピリッツで、コードは……」
水月も話が見えてきたのか、頭を抱える。
「第2世代コードが組み込まれたままだった、って訳、か。そーか、全てはこーちゃんの趣味のせいでややこしくなったって訳だね」
水月がジトっとした眼で公一をにらむ。フォローしようと思ったけれど、このままの方が面白そうなので、ほっておこう。もはや公一も、この件については何も言う気がないようだ。
水月が思い出しながら言う。
「あー、確かにあの子にダメージが行かないように、少し場所を下げたなぁ。でもさ、私パージアウトしなかったよ。コードのコピーを行う時ってパージアウトしちゃうんじゃないの?」
そこで、アタシと公一は苦笑いしながら互いの顔を見つめ合う。
「実は……さ。結局、胸盛ったけど間に合わなかったのよね。つまり、盛っただけ」
「うん、ルナの実力が発揮できなかったのは、そこにも原因があるよな」
呆然とする水月。
「じゃあ、もしかして、あの胸って?」
「そ、単なる無駄肉よ」
水月が顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。
「な、な、な、な……」
水月の肩がわなわなと震えだした。
「いやー、あの時回路が繋がってなかったから、ルナはパージアウトしなかったんだな」
「そ、そうよね。ただぶら下がってるだけだったもの。不幸中の幸いだわ」
「あのガキは空中で胸を掴んでコピーしたんだろう」
「ま、ま、まーったく、男ってのはしょうがないわよねえ」
「そ、そ、そう言うなよ、それは男の……」
「こーちゃんっ!!」
「はいっ!」
公一はその場で正座させられ、小一時間水月の小言を聞かされることとなるのだが内容は割愛する。
水月の気が済んだところで、アタシは話を元に戻す。
「……とにかく、リキとあのガキは右手についた五角形のマーク、あれでコードの転送を行っていたのよ。
で、これはフタバに言われて確かめたんだけど、コピーたちには付いていなかった」
「それって何か意味あるのかな?」
「……分からない。もしかすると、ボスはあのエロガキかもしれないわね」
ガキからエロガキに名称を格下げすると、水月はクスリと笑った。
「ただ、リキはアタシの第2.5世代コードを知らずにコピーした。
アイツ、慌ててたから恐らくオペミスだと思うわ。次に会うリキはパワーアップしてるはず。キャリブレーションも取ってるからね」
「と、すると、コピーたちも第2.5世代コードでパワーアップしてるってこと?」
「そこが分からないのよ。アタシの見たところ、どうもリキとコピーたちはあまり仲が良さそうに感じられなかった。もし、コピーたちが第2世代のままだとしたら……」
「そこにつけいる隙がある、ってことだね」
すると公一が軽い口調で割り込む。
「ルナが完成すれば、リキが10人に増えても問題ないさ」
あくまで楽観的な公一に、ちょっとカチンと来た。
「あんたねぇ、間に合うの? あと3日しかないのよ」
「……だな。すまん、突貫で作業しても間に合うかどうか、って感じだな。今すぐ作業に入っていいか?」
「分かったわ。行きましょ、水月」
「頑張ってね、こーちゃん。で、どこに行くの?」
「まだ、もうちょっと話をしたいし……。そうだ! アンタの部屋に行きましょう」
「え!?」
アタシはトレイを持って、階段を上がり、突き当たりの部屋のドアを開けた。
「水月、飲み物もらってきたわよ」
「ごめんね。これじゃあ、どっちがお客さまだか分からないね」
「いいのよ。おばさまにもご挨拶できたし」
アタシたちは水月の家に移動した。彼女の家は公一の家の隣にある、いわゆる分譲住宅というヤツだ。両方の家は全く同じ構造をしているのに、全然違う印象を受ける。
住む人に合わせて建物も変化していくんだ。
ちなみに、公一の部屋と水月の部屋は構造的に同じ場所にある。面白いのは、ふたりの部屋の全く同じ場所に、色あせた同じポスターが貼られていたことだ。
『バーニング・ウェーブ』。
人気イラストレータを採用したそのゲームは、前評判は非常に高かったけれど、異常としか言いようのない難易度とピーキー過ぎる操作性で発売直後にある種の伝説と化したゲームだ。
公一の部屋のそのポスター周りは、スキマを埋めるように色々な物があったけれど、水月の部屋は正反対。ポスターの周りというか、部屋に物がほとんどないのだ。
机と、ほぼ空の本棚、据え置きのタンス、そしてベッドがあるだけ。年頃の女の子が持つようなアイテム類が見当たらない。有り体に言って殺風景な所だった。
この部屋に通された時、水月は「寮に入るから物はみんな持って行った」と照れくさそうに語っていたけれど、恐らくここには戻る気がなかったのではないか。そういう強い意志すら感じられる部屋だった。
彼女は、スポーツ特待生として高校進学を決めたと聞く。足を失った今、この部屋にいることそのものが不本意なのではないだろうか?
何もない、といっても過言ではないこの部屋は、公一の部屋と同じ大きさのはずなのに、遙かに広く感じられた。
ベッドに腰掛ける水月にジュースを渡し、アタシは隣に腰掛けた。
「はぁ、やっと一息つけた。まったく、かわいい女の子ふたりを部屋に招いておいて、お茶も出さない男なんて聞いたことないわ。知ってる? 公一の部屋って物がありすぎるから、飲食禁止なのよね。以前、さんざん交渉して許可されたのがチューブ入りゼリーと、ストロー付きのドリンクのみ。アイツの部屋は宇宙船か!ってーの」
クスクス笑う水月。
ジュースを一口。やはり無理矢理上げたテンションは長続きしない。会話がすぐにつきてしまう。
「ねえ、理沙。アリサ……早く取り戻さないとね。私、理沙にもアリサにもお世話になったから恩返ししないと」
「そうね。どう考えてもアンタに頑張ってもらわないとどうしょうもないものね。よろしくお願いするわ」
アリサが人質に取られるなんてことは、全く想像だにしなかったことだ。
本来、アタシは狼狽していないとおかしいしいし……実際にしたけれど、今は不思議と落ち着いている。ある程度情報が整理できてきたことと、ルナが予定通り完成すれば簡単に状況がひっくり返せると信じているからだ。
いや、やっぱり……この娘のおかげかな?危なっかしいように見えて、妙に頼りになる。出会った頃のことを考えると、別人のよう。
その当人も思うところがあり、今は考え込んでいる。そしてひとつの言葉を吐き出した。
「ねえ……理沙とこーちゃんって、どういう関係なの?」
ぐっ。アタシはジュースを吹き出しそうになった。
「……ついに来たわね、その質問。いつか、来ると思ったけど」
「だって、理沙ってあまり私のこと質問してこないし」
「……質問して欲しかった?」
水月は黙って首を振った。
「でも、とても助かった。ありがたかった。たぶん、あの時の私は何も答えたくなかったし、それでも理沙が私のことをよく考えてくれるのが分かったから。だから、こちらから聞くのは反則かな?って」
「馬鹿ね。たいしたことはないわよ。アタシと公一は、単なるパートナー。
より高性能なスピリッツを作るために同盟を組んだだけよ。お互い、ひとりでやっていくのに限界を感じてたしね。ただ、アタシに釣り合う人材っていなかったのよ」
「でも、でもさ。理沙って、こーちゃんの部屋に出入りしてるみたいだったし」
「あっはっは。ルナ制作のためよ。
あの唐変木、それしか興味ないのよね。こんなかわいい娘といっしょの部屋にいるのにさ。スピリッツの話しかしないのよ」
言いながら、グラスを持つ手に力が入る。
「本当?」
「本当よ」
ほっと息を吐く水月。分かりやすい娘で助かる。
「……もうひとつ、いいかな?」
「何よ」
ひと仕事すんだ気分になったアタシはジュースを口に含んだ。
「やっぱり、こーちゃん、胸が大きい方が好みなのかな?」
ブーーーーー!
そ、それをアタシに聞くか、コイツは。盛大にジュースを吹き出してしまったよ。自慢じゃないが、体型的にその辺の悩みはアタシの方が大きいんだぞ。
「あああ、ごめんなさい」
アタシは動揺を隠すように床を拭き始めた。
「こちらこそ、ごめんなさい」
「いーから、アンタは座ってて!」
本当、分かりやすい娘だ。床を拭いていると何だか笑いがこみ上げてくる。そろそろ、からかうのは止めてきちんと話しておこう。
ベッドに座り、深呼吸一回。
「分かったわ。その辺、説明してあげる。ただし、長くなるわよ」
「……? なんで長くなるの?」
「良い機会だし、ルナについても説明しておくわ」
「……?」
話の流れに、水月は疑問符を浮かべている。
まあ、そうなるか。
「ふたりのミウ、アクアもルナも外見的にはあなたをモデルに作っている。それぞれ設計思想は違うけれど、そのクラスで最高性能を持っていると言っていいわ。
アクアは第2世代とアタシたちが呼んでいるコードを採用している。
これは元々、公一が開発したコードなの。今は破棄された旧ハムイチが採用1号機だったわ。このコードをセルに書き込むことによって、スピリッツの性能は圧倒的に向上する。リキがアタシたちに対抗しうる力を得たようにね」
水月はコクリと頷く。
「で、実はアタシも、第2世代コードに相当するものを開発していたの。くやしいけれど、性能自体は公一のコードの方が上だった。その代わり、モデリング技術やドライブテクニックはアタシの方が上だった」
「モデリング?」
「ああ、ドールを作ること、と理解すれば良いわ。
それで、試しにアタシがモデリングをして、公一のコードを採用したスピリッツを作ることにしたの。
それがアクアよ。
その性能はアタシたちの期待以上だった。もう、ふたりで組むのを躊躇する理由がなくなるほどにね」
そして、その性能を引き出したアンタの腕にもアタシたちは驚いたんだけどね、と心の中で付け加えた。
「開発者が別であるということは、やはりアタシのコードの方が上の部分もあるのよ。つまり、公一のコードとアタシのコードの良いとこ取りしたのが、第2.5世代コードな訳。それを搭載したのが今のアリサ。アクアとアリサはかなりのアプローチが同じ、文字通りの姉妹機と言えるわね」
水月は興味半分で、もう半分はなぜその話?という顔をしている。
「本題に入るまで、もうちょっと待ってね。
アリサの性能はアタシたちを驚喜させたわ。そして、お互いにアイディアを出し合い、全く新しい考え方を採用したスピリッツを作ることにした。それが……」
「ルナなのね!」
ようやく本題に入ったこともあり、水月の顔が真剣になってきた。
「ルナは、スピリッツに関する考え方をアタシたちなりに考え直したモノなの。
まずは、セルそのものをカスタマイズしているわ。セルはメモリー・ジェルに無数に組み込まれている。セル同士の引き合う力をコントロールすることでメモリー・ジェルを擬似的な筋肉として動作させているのね。
ノーマルのスピリッツでは、かなり適当にセル配置しても動くようにプログラムで対応しているの。性能よりも、作りやすさを優先したのね。簡単に言えば、お弁当箱に適当にご飯をよそう感じね。これなら、たいしたテクニックも必要とせずドールが作れるでしょ?
ここまでが第1世代の話。
第2世代は、ご飯の炊き方を変えて美味しくしたって感じね。性能差は大きいけれど、実はやってることはあまり差がないの。ここまで分かった?」
水月はコクンとうなずいた。
「ただ、なんでお弁当箱なのか分からないけど」
「例えとしては、それが一番分かりやすいのよ。
で、ルナの話に戻るわね。ノーマルで使用しているセルは適当に配置されることが前提だから、全方向にベクトルが……引き合う力が発生するようになっているのよ。また、同時に引き合うパートナー同士のセルは引き合うのだけど、パートナーではないセル同士は反発しあうの。
この辺をコントロールしているのがプログラム、つまりコード。
この方式の欠点は、パートナーでないセルが反発してしまうこと。だから、同じ体積に入れられる数に制限が生まれちゃうの」
ここで、アタシはひとつ大きく息を吸った。
「で、ルナ用に開発した新しいセルは、セルのベクトルに方向性を持たせたの。従来のセルにあったX軸、Y軸、Z軸の3つの軸を、全て同じ方向に向けたのよ。これによって、ひとつのセルの出力は3倍ちかくに上昇したわ」
「え、すごい」
「それだけじゃないの。セルのベクトルがほぼ固定できたことで、セル間の反発が抑えられて、たくさんのセルを載せることができるようになったの。同じ体積なら、約3倍。
さっきも言ったけど、セルは人工筋肉みたいなもの。試算だけど、あの巨体のリキとルナのセルはほぼ同等。
つまり、人間で言えばルナとリキの筋肉量は同じ。
しかも、その質は圧倒的にルナの方が高い。
さらに言えば、きちんと計算してセルを配列しているからパワーロスが圧倒的に少ない。つまり、今まで話した数字以上のパワー差があるはずよ」
「こーちゃんと理沙が自信満々な訳ねぇ」
「でもね、逆に欠点もあるわけ。ルナの小さなボディに3倍のセルを搭載した。
これってどうなると思う?」
「あ……、当然、エネルギー消費が3倍に……」
「そう。だから、ルナは<バトル・シティ>での闘いでいち早くバッテリー切れを起こした。それが怖くて、性能を押さえた面もあるのよ。イベント中にバッテリー切れを起こしたらみっともないし」
「うん、確かに不時着した後は動けなかった。やばかったのね」
「解決策はバッテリーを追加するしかなかった。
でも、あのルナのコンパクトなボディには追加バッテリーの入る場所がなかったのよ。あの馬鹿、バッテリーのこと、しっかり失念していたらしいわ。
ルナのドール設計はアタシが担当したんだけど、おっそろしく複雑で改造は無理。
そこで公一は思いついたのよ」
「……!? もしかして!」
「たぶん、正解。
あの馬鹿はルナの胸を大きくして、そこに追加バッテリーを入れることにしたのよ。単にバッテリーを入れただけだと危険だから、クッションとしてメモリー・ジェルで多めにして包んで。
結果、当初よりもグラマーな体型になってしまったって訳」
「ってことは、実用的って?」
「実用的な時間動けるって意味」
「………プッ。アハハハハハ。
なんだ、そういう意味だったの。ちゃんと最初からそういえば良いのに」
水月は涙を流しながら笑っている。
「アイツ、悔しかったんだと思うよ。予定通りに行かなかったことが。さっきも説明したけど、昨日のルナは追加バッテリーを搭載していないからね。“大円”で口を濁したのは、プライドかしらね」
「本当、男って……」
「馬鹿よねぇ」
ひとしきり笑った後、「ルナの話、最後までしていいかしら?」と提案すると、水月は同意した。
「ここからはなんであの馬鹿が苦労しているか、って話になるんだけど。
セルの構造を変えたってことは、スピリッツの身体の構造そのものを変えたってことに等しいの。
つまり、コードも一から書き直しって訳。
今までのノーマルのスピリッツなら、ひとつコードを書けば、専用のプログラムで一気に全身のセルを書き換えることができた。
お弁当箱にご飯をよそうだけって話ね。
ところがアタシたちの考えた第3世代のコードは、部位によって異なるコードを搭載できるように設計したの。コードを専用化することで、さらなる性能アップが期待できるって訳ね。
でも、それって気の遠くなるような作業。
お弁当の例えでいくと、一粒一粒にクマさんのイラストを描いたお米でお弁当を作ってるようなものなのよ」
「ひええええ……」
「しかもね。ご飯粒はしっかりと全部同じ向きに綺麗に並べられているの。イラストは当然前面を向いているわ。で、遠くから見ると、イラストの濃淡で全体にクマさんのイラストが浮かび上がる。そんな変態キャラ弁みたいなものをアイツは作っているのよ」
「……。すごいのか、すごくないのか、もはや分かんないね」
「そうでしょ、あんな作業を嬉しそうにやるのって、恐らく世界で公一だけよ。アタシはごめんだわ」
水月は苦笑いしている。
「それじゃ、時間かかるね。それは納得した。
でも、間に合うの?」
「正直、難しいわね。ただ、フルチューンまでいかなくても、第3世代コードは強力だから勝てると思うけどね」
「……」
「どうかしたの?」
「……どうして闘いになるのかな?って。
別に、正々堂々と挑戦してきてくれれば、相手になるのに」
それについてはアタシも同感だ。
「正々堂々としていない人間だからでしょうよ。だいたい、他人のコードのコピーなんてする奴よ。
自分で強いコードを開発していれば、正面から挑んでくるんでしょうけど。
ああ、悔しい。正面から叩き潰してやるのがアイツのためでもあったのよね。
そういう意味ではあのフィールド<エル・ドラド>は評価できるわね。作った奴は相当性格がねじ曲がっていそうだけど」
「あはは。確かに、あそこまで凝ったフィールドは見たことないね。なんか、能力の使い方間違っているような気がするな」
しばらく水月は考え込んで、ぼそっと言った。
「でも、なんで再戦の場所が<バトル・シティ>なんだろう? <エル・ドラド>でやる方が断然有利なのに」
「過剰な自信を持ったか、まだ何かあるか……。アイツらは、たぶんルナの実力も見誤っているし。
まぁ、それは無理もないか。少なくともコピーが4人いるんだから、対応できると考えるはず」
「馬鹿よねぇ。怒った理沙ほど怖い物はこの世にないのに」
「あら、失礼ね。アタシは、怒った水月に勝てる気がしないけど」
「……プッ」
「……あははは」
アタシたちは涙を流して笑った。
「まあ、何とかなりそうだね」
「ホント、アンタんトコ来て良かったわ」
「あ、そうそう。
本題に戻るけどさ、リキさんたちの右手ってやばいよね。コードのコピーができるんだから、その逆だってできるんじゃないの? たとえばノーマルのコードをアリサに書き込んじゃうとか」
「確かにそうね。あいつらにそこまでの技術があるか分からないけど結構あの右手、応用範囲が広いのよねぇ。ちょっと調べただけで色んなことができるわ。システムのバグね。それも重大な」
「じゃあ、再戦時にはシステムが直ってるかも!?」
「うーん、バーチャル・スピリッツの事務局って腰重いから、期待しない方がいいわね」
「せめて、素手で闘うの何とか避けられないかな? 何か武器を持っていくとか。それはリキさんたち禁じていないでしょ?」
「アイツらは禁止していないけど、<バトル・シティ>が受け付けてくれないのよ。ほら、元々イベント用のフィールドでしょ? トラブル防止のため、回復アイテム以外の持ち込みは禁止しちゃったのよ、アタシたちが」
「うーん、ダメかぁ。あそこに落ちてる鉄パイプだと、やっぱバランス悪くて……」
そう言った後、水月は少し考え込んだ。
「ねぇ、こういうのダメかな?」
水月はひとつのアイディアを提案した。
「なるほど、それなら持ち込めるわね。ただ、変形ができるかどうか……。
よし! 早速、家に帰って色々試してみるわ」
私は立ち上がり、帰り支度を始める。
「ねぇ……、私にもやれること、何かないかな?」
「そうね……。アンタはあやとりでもしてなさい」
「あやとり?」
「そう、あやとり。あれは指先の訓練に良いのよ。スピリッツのドライブって、かなり指先の細かい操作が必要だからね。アンタはその辺がまだ甘いのよ。だから棍を落としたりするのよ。あやとりって、内視鏡手術を扱うお医者さまなんかも指先の訓練としてやっていて効果があるのよ。
あ、そうだ。これあげるわ。アタシの使い古しで悪いんだけど。あっ……」
そう言って取り出したあやとりの紐は、かなり汚れていた。
アタシ自身が練習で使っていた物で、とても人様に渡せるレベルではなかった。慌てて引っ込めようとした紐を、水月は何のためらいもなく受け取った。
「理沙、ありがとう」
そして、嬉しそうに紐を握りしめた。
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