第4話<楽園> と <エル・ドラド>
フタバの叫びを聞き、ミウは立ち上がり、ハムイチに眼を向けた。
「えーっと、発信元は……<エル・ドラド>? 聞いたことがないな」
宙で指を踊らせ答えるハムイチ。
ミウは「こーちゃん、情報収集よろしく!」と言うが早いか、アルバを飛び出していった。
「やれやれ、忙しい娘だね」とドクが呟いた。
広場でのイベントが終わり、街は人が増えていた。人波をすり抜けるように走り抜けるミウ。声を掛ける人もいたけれど、彼女の耳には届いていなかった。早く、早く行かなくてはと、焦りだけが増していく。しかし、今日のミウは注目の人である。段々に注目が集まり、人並みが集まりつつあることに気付いた。いつもとは何もかも違うのだ。このままではパニックになると判断し、ふわりと舞い上がり屋根に飛び乗ると、すぐさま屋根伝いにゲートを目指した。
そこにハムイチからのチャットが入ってきた。
「ミウ、聞こえるか? フタバもアリサも<エル・ドラド>という新設フィールドにいる。今はあいつらと通信ができない。どうも、フィールドマスターによって通信が遮断されたみたいだ。エンさんが集めてくれた情報をとりあえず送るんで後でチェックしてくれ。何しろ情報がない。あいつらが<エル・ドラド>のどこにいるか、そもそも何が起きているのか全く分からない。
ハッキリ言って、これは異常だ。嫌な予感がする。フタバとアリサを救出したら、すぐに戻ってこい。
最悪の場合、……あいつらを見捨てる判断もありだ」
ハムイチの言葉には緊張が混ざっていた。
「ありがとう、こーちゃん。大丈夫。ふたりを連れて、すぐにもどるね」
そう言い残すと、ミウは<楽園>のゲートを後にした。
シュウウゥ……。
ゲートを抜けると、そこは何もない世界だった。
「ここが、<エル・ドラド>……」
巨大なドーム状の空間。
その外周円にあたる部分だけがコンクリートのような材質で出来た道になっていて、ゲートだけがそこに存在していた。
外周円の内側はただ砂、砂、砂。地平線の向こうまで砂漠が続いているだけであった。
フタバとアリサを探すどころか、何も見つけられない空間であった。
「こーちゃ……、あ。チャット不可か……。外とのチャットだけでなく、内部同士でも禁止。ってことは、アリサとも、フタバとも連絡がとれないのか……」
恐る恐る砂に足を乗せてみると、わずかに足が食い込んだ。軽く足で砂を掘ってみたが、砂自体はかなり深くまであるようだ。
「これなら、やや走りにくい程度で問題ないか。逆に、砂の中に誰かが潜んでいるってこともなさそう。とりあえず、情報チェックかな?」
というと、宙に指を踊らせ、地図を開く。
「うわ! 何これ?」
<エル・ドラド>はいくつかの同心円で構成されている単なる円形のフィールドであった。
中央にやや大きめの島と思わしきエリア、その外側にこのフィールドの大半を占める砂漠、そして再外周に細い道路があるだけだ。
「明らかにフタバは誰かと揉めていた。この外周円上じゃないよね、きっと。と言うことは……通信可能になった瞬間にフタバが隙を見て連絡してきたか、フタバに連絡させたか」
軽くジャンプしてみたけれど、島は見えない。
「つまり、この砂漠を駆け抜けて、中央に行くしかないってことか。アクアなら難しいことではないけど……フタバや、ノーマルの人たちはどうやってあの島まで行ったんだろう?
そもそもアリサに何かが起きているから……これはきな臭くなってきましたよ」
ため息をついて、屈伸運動をはじめた。スピリッツには意味がないことだけど、それでも気合いは入る。
「……2、2、3、4、うわぁ」
ガコンッ!!
外周円が突然、時計回りに動いた。ミウに緊張が走る。しかし、何も起きなかった。
「今、外周円が動いたよね? つまり、ゲートの位置は時間によって変わるってことか。ゲート自体は……常時空いているタイプね。何の意味があるのさっ! それにしても……」
ミウは周りを見回した。外周円は動いたのだけど、その証が何も残っていない。
「つまり、ここに戻ってきても同じ場所にゲートあるとは限らない。なんちゅー凶悪なフィールドなんだ、ここは」
自分でも口数が増えていることに気づいてはいたが、止められない。
不安なのだ。
それは自分でも自覚している。でも……。
「行かない訳にいかない、か」
そういうと、フィールドの中心に向かって歩き始めた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザ、ザ、ザ、ザ……。
次第にテンポを上げて、ついに走りはじめた。
一歩、一歩、足を進めるたびにグングンと加速していく。
「これなら、アリサとフタバを担いでも問題なく走れそう。風景が全く変わらないのは迷いそうで困るな。まあ、自分の位置だけは地図で確認できるか」
フォックスハンティングやサバイバルゲームをする時に使う、他者が見えないモードに設定されているのだ。どうやら、ここのオーナーはフィールドに悪意を持った設定にしているらしい。
「でも……バーチャルだけど、何の制約もなく走れるのって気持ち良いな。
えいっ!」
充分な加速をつけて、ミウは大ジャンプを敢行した。グンっと高く飛び上がっているのだが、空と砂だけの風景ではその実感が沸かない。
次第に小さくなっていく自分の影だけが、ジャンプをしている証に思えた。長い、長い滞空時間を活かし、未確認の情報をここでチェックする。
「うわぁ、ひどっ。こんな設定ってアリ?」
攻撃係数、ダメージ係数や重力は標準、これはいい。問題なのはペナルティ・パージと微弱なダメージ回復が設定されていることだ。ダメージが一定数に達するとドライバーの接続が一時的に解除される、これがペナルティ・パージ。人間で言えば気絶した状態だ。そして微弱にダメージ回復してその場に復活をする。
この組み合わせは禁じ手とされているものだ。
そして、アイテムによるダメージ回復も禁止されている。つまり、このフィールドにおいてダメージを受けるということは致命的である、ということだ。
また、フィードバックがダメージモードで設定されている。仮想世界で受けた感覚は専用スーツを通してドライバーに返ってくる仕組みになっているということ。でないと、腕相撲のようなゲームは成立しない。
通常は痛みを感じないレベルで制限をかけるリミットモードを使用する。<バトル・シティ>の闘いはリミットモードで行われてたので、痛みは感じないだった。しかし、ビルの倒壊のような想像を超えた圧力にスピリッツが耐えられるかは未知数であった。だからミウはあの闘いの中、少年の救出を最優先としたのだ。
そして、このフィールドでは痛みがそのまま返ってくるダメージモードに設定されている。
つまり殴られると痛いということだ。
ミウは第2世代コードを採用しているため、防御力も比例して高くなっている。むしろ、問題は相手側にある。圧倒的なミウのパワーは、ノーマル・スピリッツのドライバーにダメージを与えてしまう可能性がある。
困ったことに、ミウはダメージモードでの経験がない。うまく手加減できるか、それが問題なのだ。
「ここって、まるでリンチするための場所みたい……。まさか、砂漠で囲んでいるのも逃げられないようにするため…なの?
そして
嘆きと共に、自分の影が大きくなってきたのが分かる。そろそろジャンプも終わり。
チッ、チッ。
前に伸ばした足に、砂が軽く触れる。
ズザザザザザザザザザ……。
やがて、両足で巨大な砂しぶきをつくり着地すると、地面に長い2本の足跡が尾を引くように伸びていく。姿勢が安定したら、スピードを殺さないようにそのまま走りはじめる。
加速、加速、加速、加速、加速!
グングングンとスピードを付け、再び大ジャンプっ!!
高く高く舞い上がる感覚はあるものの、やはり風景は変わらない。恐らくこのフィールドは、ただ広大であることが罠なのだ。
バーチャル・スピリッツは、スピリッツという物理的なドールを接続してプレイする。あまりに巨大なダメージが加わると、スピリッツそのものにも影響がでる可能性がある。このフィールドにおける凶悪な設定は、物理的なダメージを与える可能性が充分にあった。そうなると修復不可能となることもありえる。実際にそこまでのトラブルが発生したことはない、と聞いているが。
とりあえず情報には一通り目を通したけれど、まだ島は見えない。
ひたすら前進している……はずだけど、間違っていないだろうか?
地図に何かフェイクは仕込まれていないだろうか?
文字通り“地に足が着いていない”状態である。
私は、本当に前に進んでいるのだろうか?
もしかして空中に浮いたままではないのだろか?
私は、今どこに向かっているのだろう。
バサバサと揺らぐワンピースの裾だけが、ここにいる証のように思えた。
走り始めた時の開放感もすでに消え、今はただ焦燥感だけが膨らんでいった。
「せめて鳥でも飛んでいればな。ねぇ? アリサ、フタバ、聞こえる?聞こえたら返事して!
……やっぱりダメか。
チャット禁止だしね。これだけ広いと連絡取れないと不便だよなぁ。何もないクセに。もしかすると<楽園>より広いんじゃないの? 無駄だよねぇ。
あれ?」
はるか地平線の向こう、緑の島が見えてきた。砂漠と比較するとかなり小さいが、バトルをするには十分すぎる面積がありそうだ。
「ホント、悪趣味。でも、あそこにアリサとフタバがいる。待ってて!」
2回目の大ジャンプを終え、より一層の加速を付けて3回目の大ジャンプに入った。
“道しるべなき旅”というのは、異常に距離を長く感じさせるようだ。ミウは、その後2回の大ジャンプを行い、ようやっと島の手前までたどり着いた。最期の着地は両足をグンと前に伸ばし、これまで異常に長く深い2本のラインを刻んだ。その終着点は島にまで達するものとなった。このラインを辿れば、元いた場所に戻れるはず。外周円は移動するだろうけど、すぐに戻る予定だからあまりズレは発生しないはずだ。
ズッザザザザザザザザザ……ザン。
島に着いたミウは戦闘態勢をとり、辺りをゆっくりと確認した。
が、動く物は何もない。
前方には背の高い木々といくつかの岩が転がるだけの荒れた森があるだけだった。息を潜め、素早く手前の大木の影に移動する。
「……誰もいないか。早くアリサたちの元に行きたいけど……」
戻るべきゲートがあるはずの方向を見つめながら、木をなでる。
「行きはよいよい…。ふんっ!」
腰を落とし、両手で一抱えもある巨木を掴み、一気に引き抜いた。ミウを遙かに超える巨木を持ち上げると、そのまま軽々と砂浜の手前まで持ち運び、砂浜に青々と茂る枝を向けて寝かせた。枝の先には延々と伸びるラインありが、さらにその先にはゲートがあるはずの場所だ。移動している以上、意味は薄いけれど目標がないよりマシだ。万が一、自分に何かあったときでもアリサたちに出口がわかる。多少の修正は外周円に着いてからで良い。アリサなら簡単だ。
「でも、これだけじゃ、ちょっと不安かな?」
同じ作業を繰り返し、5本ほど縦に並べた。流石に抜くには両手が必要だが、片手で1本ずつ巨木を運べたので、作業自体はあっという間に終わった。
「……! 誰?」
ミウは森の奥に誰かの視線を感じ、そちらに向けて駆けだした。乱立する木々を軽やかに避けつつ、奥に進んでいく。突然高く飛び上がり、太めの枝にぶら下がった。
「……見ぃつけた」
逆上がりの要領でクルリと回り音も立てずに隣の枝に飛び乗ると、大きな振動で木の葉が揺れ落ちる。振り落とされないように木に手を当てるミウ。
くわっと瞳孔が開き、心臓の音が大きくなる。
森の中心部はぽっかりと抜け、広場のようになっていた。
そこにフタバはいた。ふたりの男に羽交い締めにされて。
ミウの呼吸はだんだん激しくなる。
再度、大きな振動が起き、木の葉が舞い散る。
「へっ、口ほどにもない」
大男が吐き捨てるように言うと、それを地面に強く叩きつけた。
ズウゥン。
三度、木の葉が舞い散った。大男の足下には、朽ち果てたアリサの姿があった。大地を揺るがすようなパワーで叩きつけられた彼女に、抵抗の跡は見られなかった。深く息を吸うと、ミウは音を立てないように着地した。
まだ動悸が止まらない。
もう一度、じっくり情報を整理しよう。
まず、フタバ。彼女はノーマル、恐らくあの中でもっとも弱い存在。
アリサは、彼女が人質に取られているので手が出せないのだろう。
フタバはふたりの男に拘束されている。
ひとりは赤い服、もうひとりは青い服を着ているので、それぞれ赤服、青服と呼ぶことにする。
フタバは赤服に羽交い締めにされ、青服に警棒のようなスティックを口の中に突きつけられている。たったひとりの女の子をふたりがかりで押さえつけているのだから、彼らはノーマルなのだろう。武器を持っていることが、それを強く確信させる。
だからこそ、信じられない。
あのアリサが手も足も出せないなんて。彼女なら隙を見てフタバを奪い返すことは造作もないはずだ。
問題は、あの大男のパワー。ミウやアリサに匹敵する……もしかすると上回っているかもしれない。これまで、彼女らに対抗できるだけのパワーを持った者は皆無であった。
「しかし、なぜ彼が……」
納得できない点がある。
ミウは逸る気持ちを抑えつつ、木の陰から大男を観察する。スキンヘッドにサングラス、筋骨隆々としたプロレスラーのような肉体。
やはり、間違いない。昨日<バトル・シティ>でミウに鉄パイプで襲いかかり、返り討ちされたあの大男だ。
しかし、なぜ? 昨日の彼は、ただ身体が大きいだけのノーマルだった。第3世代のルナには全く通用しない弱者であった。彼女に比べると劣るけれど、アリサやこのアクアでも彼とは比較にならないパワーを持っている。ミウは頭を強く振った。
「……そんなことがあるはずが。アリサはただ抵抗できないだけ。フタバを取り返せば、きっと全て終わるはず」
ドサッ!
呟いた言葉を否定するかのように、アリサが高く蹴り上げられる。
「急がなきゃ」
ミウはフタバ救出のため、彼らの背後に回った。
大男は勝ち誇った様に胸を反らし、ゆっくりとアリサの元に近づいていった。
「天下のアリサさまも、この程度なのか。ガッカリさせられるぜ」
赤服、青服が大男にへつらうように声を出す。
「へへへ。リキさま、そろそろトドメ刺しちゃいましょうよ」
「そうですよ。そのクソ生意気な女、むかついてたんですよ」
青服が喋るたびにスティックがフタバの口の中で動き、恐怖心を煽る。フタバは、アリサの足を引っ張るだけの自分に嫌悪感を感じていた。恐らくはミウを呼ぶように脅されたのも、彼らの作戦の一環。逆らうこともできず、ただ従ったけれど、それは彼女を巻き込んだだけだった気がしてきた。とはいえ、彼女に頼る以外の方法は思いつかない。
友人のハムイチの運営する<楽園>の規模が大きくなりトラブルが多発するようになったため、フタバが手伝うようになったのはごく自然な流れだった。素直過ぎる彼はトラブルの解決には向いていない。ある程度ひねくれた人間がいないとダメなのだ。以前、第2世代コードに書き換えることを提案されたこともあったのだが、ノーマルのままでいることを選択したのは自分だ。
交渉するには、相手と同じ立場である方がやりやすい。
アリサやミウが強すぎるため、尚更だ。もちろん、それなりのリスクが発生する可能性も予想はしていたが、それが現実になった。力の面ではアリサに頼りっきりであったことが裏目になった。フタバ自身が人質に取られてしまうと、彼女は手も足も出せない。この人数でも、全員がノーマルであれば隙を見て何とかしてしまうはずだ。
しかし、あの大男はアリサに匹敵するパワーを持っている。初めて入るフィールドであの大男に待ち伏せされていたのだから、これは計画的なのだろう。
自分たちの考えが甘かった。
バーチャル・スピリッツの特徴として、多大なダメージを受けると物理的にスピリッツが破壊される可能性がある。アリサは理沙自身が設計したこともあり、かなり耐久性は高い。だけど、あれだけのダメージを受けたとなると心配だ。
そして、ついにその時がきた……。
高く蹴り上げられたアリサの瞳から光が消えた。ダメージマックスになったため、強制パージに入ったのだ。このフィールドの設定では、10秒間ドライバーはスピリッツとの接続を強制切断される。ダメージ回復が得られるものの、復活はその場所。つまり、相手の目の前なので、事実上のハメモードに入ったといえる。
「よっしゃぁ!」
「さすが、リキさまだ」
フタバを拘束していた男たちは歓喜の声を上げる。
青服の持つスティックが、興奮のあまりフタバの口から外れたその瞬間、青服が吹っ飛んだ。
「え?」
続けて赤服が彼女の身体から引きはがされ、高々と投げ出された。
そして、眼の前に両手を広げて立つ、彼女よりもやや背の低い見慣れたシルエットがあった。
「あ、あ…」
華奢だけど、頼もしいその背中は…。
「ミウちゃん!」
「遅くなってごめん。なかなかチャンスがなくってさ」
振り返りペロっと舌をだすその微笑みは、フタバにとって何よりも心強かった。抱きつきたくなる衝動に駆られるが、さすがにその状況ではない。
青服のスティックが真上から降ってくるのを、ミウは正面を向いたまま手だけを動かしキャッチした。ブンっとひと振り、調子を確かめた後、スティックを大男に向けてミウが問いかける。
「あなたはリキさん……、で良いのかな? もういいでしょう。アリサを返してくれない?」
リキと呼ばれた大男はニヤリと笑い、アリサの顔を掴んだ。
「ああ? 聞こえねぇなぁ。せっかく面白い玩具を見つけたんだ。もうちょっと、遊ばせろやぁ」
そう言うとアリサを片手で高々と持ち上げた。
と同時に、アリサの両腕がピクリと動いた。パージモードから復帰したのだ。
「アリサっ!」
ミウの叫びにアリサが反応する。
「……なんだ、遅かったじゃない。どうやら、これで遠慮する必要はなくなったようね」
そう言うと、アリサの両手がリキの丸太のような腕を掴む。
「アンタねぇ、……なめんじゃない……わよっ!」
が、そこまでだった。
アリサの怪力をもってしても、リキの腕は微動だにしない。無駄にエネルギーだけが消費していく。
「くっ! そんな……」
やがて、アリサの両腕はダラリと崩れ落ちた。完全なパワー負け。パージ空けのわずかな回復量は、あっという間に使い切ってしまった。
そして、アリサはそれよりも強力な第2.5世代コードを採用している。にも関わらず、アリサは眼の前にいる男に手も足も出せない。最強の名をほしいままにしていた彼女は今、たったひとりの男の、たった一本の腕に蹂躙されていた。
「くくく……。さてと、お楽しみといきますか」
リキが空いた手で拳を作る。
「無敵のアリサさまが、なすすべもなく崩れていくさまは、惨めで、惨めで楽しいよなぁ。ほれ」
ドスっ。
「こーんな軽いダメージでまたパージしちまう。もしかすると、こいつは偽物か? 本物がこんな弱い訳ないものなぁ。わはははは…」
高笑いするリキ。再び拳を作り、アリサを殴ろうとした瞬間、その眼下にミウが現れた。リキの緩慢なモーションの隙を突いて、一瞬で間を詰めたのだ。
「な、何ぃ。こんなに速いのかっ!」
ミウの蹴りが放たれる瞬間、リキがとっさにアリサの身体を棍棒のように振り回す。想定外の動きはミウに一瞬の隙を作らせた。躊躇した足は、彼女の長所でもあるスピードをも殺し、結果アリサとの衝突を招く。
ドガッ!
「きゃああぁぁぁ」
ズザッ……ズザッ…………ベキィッ!
バットによって打ち出されるボールのようにミウは宙高く舞い上がり、地面に二度、三度とバウンドしてもなお、その勢いは止まらず、大木をへし折ることでようやっと静止した。
ミウは素早く立ち上がりジャンプしてフタバの前に戻ると、リキとの間に立ち、彼女を守るような姿勢を取った。
「だ、大丈夫? ミウちゃん」
「……何とかね。フタバは、下がってて」
ミウはフタバに微笑みながら言った。しかし、その微笑みに先ほどまでの余裕はない。
「う……うん」
フタバは後ろに下がり、大木の影に隠れつつ、先ほどミウから渡されたスティックを構えた。しかし、荒事になれていない彼女の腰は引けたままだ。
「まいったね、こりゃ」 ミウは大きく息を吐き出し、心を落ち着かせた。
そして遠くの相手に届くよう、通る声で叫んだ。
「たいしたパワーね、リキさん」
地面に落とした人形を拾うように、アリサの右腕を左手で掴み上げるリキ。
「へっ。お前もスピードだけはたいしたもんだ、スピードだけはな」
「あら、自信たっぷりなのね。昨日は無様だったくせに。女の子に武器持って殴りかかったクセに、片手でいなされてさ」
くすりと笑って挑発すると、リキは顔を真っ赤にして反論してきた。
「うるせぇ! 昨日とは違うんだよ、昨日とは。手に入れたんだよ。最強の力を、な。お前ら、ずるいよな。
こんなパワーを独り占めしてたんだから。
……チッ。分かったよ。もう余計な事は言わねぇよ」
……!? 自分以外の誰かと会話している……?
ミウは自分のコンソールを操作してみるが、やはりチャットは禁止されたままだ。ハムイチはもちろん、同じフィールドにいるアリサやフタバとも禁止されている状態だ。リキの周りに誰かがいる気配はない。
もし、いたとしたら、アリサが何らかの反応を見せるはず。チャット禁止はフィールド全体でしか制限できないはず。
「誰と会話してるの? リキさん」
鎌をかけてみるが、リキは無視した。
「……。
ただひとつ言えることは、もうお前らは最強ではないということ。お前らがチート技もどきで得た力は、もう問題にならないのさ」
その言葉に反応するように、アリサがピクリと動く。
「ふざけないで!
アリサの顔を飲み込まんばかりに、リキの顔が近づく。
「ああん? 死にぞこないが。俺より弱い奴が意見するんじゃねぇ!」
「……き、汚い顔、近づけるんじゃないわよっ!」
「ふふん、負け犬の遠吠えってのは、真の強者にとってなかなか心地よいものだな。もっと喚け! 喚け!」
「……くっ」
アリサは沈黙するしかなかった。その様子を見たミウが一歩前に出て叫んだ。
「ねぇ、リキさん。目的は何なの? 闘うことが目的なら、いつでも相手になるよ、私たち」
「けっ、あんなぬるい勝負なんかいくらやってもつまらん。お前らのやっているのは派手に見えるけれど、実際には拳と拳をぶつけて、そのパワーで身体をはじき飛ばしているだけじゃねぇか。あんなもん、闘いでも何でもねぇ! 俺が望むのは力と力が……ちぇっ、わかったよ。あんたの言うとおりすれば良いんだろ?」
「!?」
また、リキの集中が途切れたのを見て、ミウが駆けだす!
「おっと、動くなよ。こいつのダメージは、そろそろ深刻なレベルになるぞ」と言いながら、アリサを盾のように突き出す。
ズザァァァァ……。ミウは急制止するが、リキの動きは止まらない。そのまま高々と持ち上げ、右手でアリサの左腕を掴み、リキの正面で十字の形を取った。
「……うぅっ」
うめき声を上げるアリサの両腕をぐぐっと押しこみ、身体を弓なりに反らせると、顔と顔がぶつかりそうな位置まで近づいた。
「うぐぁっ!」と声を上げ、アリサの首がガクンと落ちた。
と、同時にミウの視界が一瞬ぐにゃりと歪んだ。
「!? 何、今の?」
その時、視界の端で赤服がフタバの方に向かって動くのが見えた。ミウは一歩ステップを踏んで下がり、ひと一抱えはある岩を蹴り飛ばすと、赤服の眼の前をかすめ後ろの木をへし折った。
「動くな! そっちの青い服の人もね。早くしなさい!」
ドン!と地面を強く踏みつけると、大きな凹みが生まれた。ミウがふたりの男を交互に睨み付けると、ジリジリと下がっていく。そして自身もまた、リキににらみを効かせつつポジションを移動しようとすると、リキの様子がおかしいことに気付いた。
「リキ……さん? もしかして……止まってる?」
ミウのつぶやきが終わったその時、アリサのパージが解けた。アリサの正面には、眼の光が消えたリキの顔がある。
「!? ミウ! こいつパージしてる!!」
ミウの位置からは両者の顔が見えない。アリサの言葉を信じ、駆け出すミウ。
と、同時に、リキの眼に光が戻った。
ドカッ! 無言のまま片手でアリサを振り上げ、地面に叩きつけた。
「くそっ、ミスったぜ」
ダメージを負いながらも自由になったアリサは脱出を試みる。
「ったく、くそったれがぁ!」
ズゥン! リキは大きく足をあげ、立ち上がろうとするアリサの頭を踏みつける。アリサの瞳から、またしても光が失われる。
「この死に損ないがぁ!」
高笑いするリキを見るミウの表情が一変する。
「貴様ぁー!!」
低く唸るような声を発しながらミウは拳を強く握りしめ、一気にリキに接近する。高速ではあったが、視界を遮る物がない今、意外性はない。
「ほらな、てめぇは動きが単調すぎるんだよっ」
狙いすましたように、リキは組んだ両手を振り下ろす。
ブンっ。音を立てて振り落とされた拳の元にミウの姿はない。
「なっ……」
彼女は一瞬早く身体を沈み込ませ、突いた片手を軸にくるりと回ってコースを変えた。そのまま両足を揃えて、リキの身体を蹴り飛ばす。完全にタイミングを外されたリキの巨体はつぶてのように吹き飛ばされ、大木を数本へし折った。ミウは吹き飛ぶリキには目もくれず、アリサを素早く抱き上げ、軽いステップを踏みながらフタバの元に戻ると彼女も抱え上げて森の中に逃げ込んだ。そして、右回りに移動し、相手の眼が届かない場所に移動して、トンと地面を蹴りやや太めの枝に飛び乗った。あっけにとられるフタバを枝に降ろし座らせると、ミウは唇に人差し指を当てウインクした。状況を察したフタバは黙ってコクコク頷き、幹に身体を預け姿勢を安定させる。アリサを横に降ろすと、フタバは後ろから抱きかかえて安定させると、やっと安心した表情を見せた。
ミウは押し殺した声でフタバに話しかける。
「フタバ、アリサをお願い。もうじきパージが解けるはず。まずは回復してもらわないと、次の手が何も打てない」
首がちぎれんばかりにフタバがうなずくと、ちょうどアリサが眼を覚ました。
「アンタた……うぐぅ」
いつも通りに話そうとするアリサの口をフタバは慌てて塞ぎ、ミウは「シー!」っと人差し指を立てた。
「おい! いたか?」
木の下を、赤服と青服のふたりが走り回っている。どうやらミウたちを探し回っているようだ。
「いや、いない。また、あいつにどやされるぞ」
「だな。面倒な男だから早く見つけないと」
「よし、向こうを探してみよう」と言うと、ふたりはこの場を立ち去っていった。
ふたりに聞こえない距離に達したところで、ミウは小声で呟いた。
「……行ったみたいだね。あいつら普段、空なんか見上げないから気づかなかったみたい」
「何がどうなってるのよ、説明しなさいよ」
アリサは簡単に今の状況の説明を受けた。
「なるほど、ね。ありがとう、ミウ。助かったわ。でも……」
「うん。早く<エル・ドラド>から脱出しないと。アリサとフタバはどこからここに入ってきたの?」
「ちょうど反対側の森の奥の方にゲートがあったの。あの赤服と青服が<楽園>でケンカするフリして、あたしたちをおびき出したのよ。で、あいつらを追って、あたしたちが入ってきたらすぐにゲートが閉じられちゃったぁ」と、言いながらフタバはゲートのあった位置を指さす。
「このフィールドは日の当たる方向が変わらないからぁ、影が伸びる元を目指せば迷わずに行けると思うよ」
ミウはなるほどと、感心しながらフタバの話を聞いていた。この娘は囚われの身でありながら、しっかりと周りを観察をしていたのだ。
そして、アリサが話を引き継ぐ。
「完全にハメられたわ。以前にも似たトラブルがあったから、油断してた。それは反省しないとね。
で、アタシたちが入ってきたゲートが閉じたってことは、あれは予備。
ミウが<エル・ドラド>の構造について説明すると、アリサは頭を抱えた。
「まいったわね。その外周円まで行かないと出られないって訳? アタシは今、バッテリーがほとんどないから今、砂漠を越えるには危険すぎる。もう少し回復してから、一気に渡るのが正解かしらね」
「私もそう思う。ただ……」
ミウが黙ると、リキと赤服、青服の3人が揉めている声が聞こえてくる。一方的に怒鳴り散らすと、リキはその辺の木にパンチで吹き飛ばし始めた。
「と、いう訳だから、ちょっと相手してくる。このままじゃ、あいつら何するかわからないもん」
ミウが枝から飛び降りようとすると、アリサがグッと腕を掴み引き留めた。そして、眼を見つめながら言った。
「気を付けてね。どうやら、このフィールド自体がアタシたちをハメるために用意されたみたい。まだ、何かありそうよ」
「うん、分かってる」
「アタシのダメージが回復したら、一応アタシたちが来たゲートを調べてみる。今、砂漠を渡るのはリスクが大きすぎるもの。もし、そこが使えるようなら、何らかの方法で合図を送るわ。使えないようだったら、海岸にアンタが残した木のマークを探す。
アタシはフタバの脱出を最優先にする。万が一のことが起きた場合はミウ、アンタは自分で自分の身を守って」
「そんな、アリサちゃ……」
フタバがセリフを言い終える前に、ミウは彼女と、その間にいるアリサを同時に抱きしめた。
「うん。でも、3人で脱出するから安心して、フタバ」
「……うん」
「じゃあ、行ってくるね!」
ミウは周りに敵がいないことを確認すると軽く手を振り、スッと音も立てずに地面に舞い降りた。
ミウは、大回りに森を駆けながら作戦を練っていた。赤服、青服についてはその都度の対応で問題ないだろう。問題はリキひとり。恐らくパワーは向こうが、スピードはこちらが上。これは一撃離脱の戦法を採るしかない。
「!?」
ミウは地面を蹴り、手頃な枝に飛び乗った。眼下にリキがいた。腕を組み、あのふたりの報告を待っているのだろう。イライラしているのが、遠目でも分かる。
だいぶ暴れたらしく、周りの大木が根こそぎ破壊されている。
ミウは気づかれないように木から木へ移動する。木の影が中央に向かって伸びているので、この先にゲートがあるはずだ。
「うーん、ここからはゲートは見えないか。でも、リキさんはここから引き離しておく方がよさそうだね。 隙をみて、もうちょっと回り込んでみようか?」
ミウはチャンスをじっと待った。リキがこちらに背を向けた瞬間、ミウは音も立てずに別の木に向けてジャンプをする。よし、もう一回、同じようにジャンプ!
「!? そこかあ!」 正面を向いていたリキが突然振り返る。その顔の背景には自分の影がしっかりとできていた。
「しまった! 影っ!」
リキは素早く反応し、足下にあった巨石を拾いあげてミウに向かって投げつける。
ベキィッ! 巨石によって大木が砕かれるが、ミウはすでに隣の木に移った後だ。ミウは大木を蹴り、斜め上からリキに襲いかかる。
「なめんなぁ!」 リキは拳を固め、上半身をひねり力を貯める。上空からのミウに合わせ、ブンとパンチを繰り出す。リアルと異なり、リキやミウはパワーに比較して体重が非常に軽い。だから上からの攻撃は不利である。そのことを、リキは<バトル・シティ>で鉄パイプで襲いかかった時に学習した。鉄パイプを振り下ろしてもあの場合、全く意味がなかったのだ。
ミウとリキの腕がすれ違い、互いの拳が互いの顔面に伸びる。
「勝った」 リキはニヤリと笑う。闘いはパワーと体格、これが物を言う。
ミウのパンチが届く前に、リキの長いリーチは彼女の顔面を捉え、大きく歪ませる……はずだった。
「なにぃっ!」
ミウは素早くリキの腕に絡ませ、自分の軌道を回転させた。そして、リキの腕をレールのようにして自分の身体を載せる。リキの顔にミウの顔が急接近する。
ゴーン。 リキの額とミウの額が正面から激突し、ふたりは互いにはじけ飛ばされた。
「いたたたた……」
ミウは頭を抱えながら立ち上がると、リキは高笑いを始めた。
「ふっ、ふっ、ははははぁ。いいぞ、いいぞ。お前、気に入ったよ」
「私はそんなことはないけどね」
ミウがそっけなく答えるが、リキは構わず走り寄り、ブンブンとパンチを繰り出す。
「ははは、もっと楽しませてくれよ。お前みたいなのを俺は待ってたんだよ。さぁ、デートと洒落こもうじゃねぇかっ。もっと、もっとっ! 熱く燃え上がろうぜぇ」
ミウは軽いフットワークでいなしていく。
「嫌だよ。もう、やめようよ。こんなことしなくても、いつまでも相手になるし。だから……」
ミウは説得を続けながら、中央の木のないエリアに誘導していく。
「だから?」
「私たちを帰して!」
笑いを浮かべながら、ブンブンと腕を振り回すリキ。彼はパンチが当たらないことを楽しんでいるようだ。それは、自分の力量を試しているのか、ミウの力量を確かめているのか。
「そんなこと、俺が聞くと思うか?」
突然リキが動きを止め、足下に半分埋まっていた岩を力ずくで持ち上げ、ミウに向かって投げつける。ミウは十字に腕を組んで、つぶてのように飛んでくる岩を受け止める。
「交渉、決裂……なの?」
ドスン、と岩が音を立ててその場に落ちる。
「そういうことだ。悪いな、ねーちゃん」
「……そう。じゃあ、仕方ないね」
ミウは意を決したように、ワンピースの裾をビリっと破った。
スリットのようになったスカートから、すらりと伸びた右足が露わになる。そして2、3度と空中に蹴りを発した後、リキが投げ飛ばした岩を軽々と蹴り飛ばす。
「ひゅう~♪ いいねぇ。見えてますよ、し・ろ・い・の」
リキが下卑た笑いを見せると、ミウはいーっと舌を出しながら、「パンツじゃないわよっ」と否定する。
闘いは新たな局面を迎えつつあった。
「上手いこと、あの娘が誘導してくれてるわ。行くわよ、フタバ」
リキの背中を確認すると、アリサとフタバは森の中を走り出した。
「すごいね、ミウちゃん。ますますスピードが上がってる」
「あの格好は闘いに向かないもの。アイツ相手では、ああするのが正解。アタシが作った服だからあの娘、破くのに躊躇したみたい」
「ミウちゃんらしいねぇ」
「スピードもだけど、曲線的な動きが増えたでしょう。あれにリキは振り回されてる。フットワークが解放されて、アクアの機能がフルに発揮されているのね。パワーはリキに劣るとはいっても、十分にダメージだけの力はあるし」
「ということは、ミウちゃんなら勝てるってことぉ?」
「……微妙なところね。今は一撃離脱で攻撃しているけれど接近戦になった場合、つまり捕まると大ダメージを受ける可能性があるわ。アタシもそれでやられたもの。まぁ、楽観視はできない、程度に考えれば良いわ」
走りながらコクリと頷くフタバ。
「ただ、なんか動きがおかしいのよね、アイツ……」
「くそっ!」 リキの表情に余裕がなくなってきた。ミウの解放されたフットワークに身体がついて行けないのだ。そしてリキとミウのパワーは、その身体から考えると異常に強い。小さな身体でも戦闘力は充分。防御力は勝っているとはいえ、ダメージの蓄積は深刻だ。
理由はそれだけではない。
さっきから身体の調子がおかしい。バーチャル・スピリッツはスピリッツ・ドールを人間がドライブするシミュレーションだ。ドールと人間にはそれぞれにクセがあるので、あらかじめそれを
それが、“ずれている感じ”がするのだ。
調整自体は数分で済む。しかし、それにはログアウトする必要がある。<エル・ドラド>は事実上のログアウト禁止フィールド。ミウたちに仕掛けた罠が自分にも襲いかかっている状態なのだ。
手を伸ばしても伸びきらない感じ、足を出すとその先に足がある感じ。さっきまで一体であった自分のドールが、今は違和感の固まりのようだ。アリサとの闘いでは、こんな感覚はなかった。微妙な違いではあったが、ミウは見逃してくれない。圧倒的なスピードで隙を見つけ、ピンポイントで攻撃を仕掛けてくる。蓄積される焦りはやがて決定的な危機を産む。
スッと潜り込まれ、ボディに突き上げるような一撃を喰らう。
「くそっ!」
宙に浮いた身体は制御できない。そのままミウの渾身のストレート。真横に吹っ飛ぶリキを追いかけ、追いつき、更に一撃。巨大な岩にぶち当たるとリキの身体はバウンドし前方に押し戻される。
倒れ込むリキの身体をミウの右足が捉え、そのまま垂直にまで伸びると、リキの身体はそのまま上空高くに舞い上がり、そして落下した。
ドーンッ!
地面の大穴からふらふらになったリキが顔を出すと、ミウに肩を掴まれ、そのまま持ち上げ、投げ飛ばされた。
まずい。
今、自分は正常な判断ができていない、と思いつつ、ファイティングポーズを取る。それがいけなかった。後ろからミウが肩車のような形で飛び乗った。
「しまった!」
スカートが目隠しの役目となり視界が奪われる。
「チェックメイトだよ」と、言うと、ミウは両足を四の字に組んで首をホールドし、全身の力を使って身体を後ろに大きく反らす。
そして腕を伸ばしリキの右太ももを掴むと、ふたりの身体はアルファベットのDを描くような体勢となった。弓なりに反ったリキの身体に、ぐいぐいと力を加える直線部分のミウ。スカートによって視界を奪われたことが、一層リキの混乱を招いた。今、自分がどれだけ不利な状況にいるのかさえ把握できないのだ。
そしてミウは小柄な身体とその身体に見合わぬパワーを活かし、ギリギリとリキを締め上げていた。
「見て、アリサちゃん。ミウちゃん、すごいよぉ」
フタバの声に、アリサも足を止める。指さす方向を見ると、見たこともない技でミウがリキを追い詰めていた。
「すごい……。すごいけど、マズイわね」
「どうして?」
「今、あの娘の長所のスピードが殺されている状態でもあるのよ。パワー自体はリキの方が圧倒的だしね。ちょっとバランスが崩れると、一気に不利に追い込まれるわ。
急ぎましょう。ゲートはすぐそこのはずよ」
「うん」 フタバは再び走り出した。
「もうすこし頑張ってね、ミウ。もうちょっと回復しないと、加勢にもいけやしない」と、アリサは呟いてからフタバを追いかけた。足の勝るアリサはすぐにフタバに追いついた。
間もなく、前方にゲートが見えてきた。ゲートのインジケーターが間もなく閉じることを示していた。
「ねぇ、見て! ゲートだぁ。ああ、もうすぐ閉じちゃう! 急いでぇ、アリサちゃん!!」
フタバがゲートに向かってスピードを上げる。その時、ひとつの影が彼女の前に現れる。
「危ない!」
アリサはダッシュしてフタバをかばうが、謎の影に吹き飛ばされてしまう。
「アリサちゃん!」
慌ててアリサの元に駆け寄るフタバ。ゲートの光は徐々に弱くなっていく。アリサを抱き起こし振り返ると、そこに彼女を攻撃した者がいた。
「……え!? な、なんで、あなたが、ここに?」
驚愕するフタバとアリサ。ゲートの光はゆっくりと消えていく。
「くっ くそ!」
リキは両腕をミウの足に掛けて引きはがそうとする。アリサとの力比べでは圧倒したが、あの時は彼女の足が宙に浮いた状態であり、彼女が本領を発揮できなかったためだ。
今、ミウが仕掛けている技はパワーで劣る彼女が小さな身体を最大限に活かした、リアルではあり得ない体勢の技。身体が弓なりの体勢で固定されたリキが巻き返すのは不可能……に思えた。
「ふん……ぐぬぅぅぅ……」
リキは力任せに、ミウを振りほどきに掛かった。太い両腕を広げ、弓なりに反った身体がブルブルと震え始める。小細工不要、と言わんばかりに反りを盛り返していく。
「くっ、くう……あぁぁぁ……」
本来は有利なはずのミウの表情が段々と苦痛に歪む。しっかりとリキの太ももをホールドしたはずの手が徐々に外れていく。恐ろしいリキのパワーである。
しかし、ミウも軽々と巨木を引き抜くパワーの持ち主である。有利な体勢であることを活かし、リキの力が緩む瞬間に盛り返す。強烈な力と力のせめぎ合いとなり、フィールドはふたりのうめき声だけが支配していた。
「ぐ、ぐぅぅぅ……」
奪われた視界によって的確な状況判断ができないリキは、ただ力まかせに身体を戻そうとするだけだ。このままでは体力負けする。何かが足りない。しかし、その何かが分からないのだ。
「んっっ!」
押されつつある攻め手のミウであったが、リキの力が緩むタイミングで一気に挽回する。そもそも足の力は、腕の4倍はあると言われている。しっかりと四の字に固めた足は、パワーに勝るリキでも引きはがすのは困難であった。このままで耐久戦が続けば勝てそうな状況に持ち込みつつあった。
……そして、その均衡が、ついに破れる時が来た。
身動きの取れないミウの視界に、ふたつの人影が飛び込んできた。そして、真っ直ぐにこちらに向かってくる。
「たああぁぁぁぁぁ!」「やああああああぁぁぁ!」
赤服と青服のふたりが同時にミウに体当たりを加えた。
「きゃあああぁぁ!」
普段なら、何てことのない貧弱な攻撃だが、今はリキとギリギリの闘いをしている最中である。一気にその均衡が崩れ、ミウの手が外れてしまう。
「しまっ……!」「……よし!」
ミウの力が抜けた瞬間、リキは闇雲に相手の身体を掴んで投げつける。
ドン、ドン、ズザザザ……ベキッ!
ミウの華奢な身体は、何度もバウンドを繰り返し、大木をへし折りようやっと停止した。フィールドの中央に誘導したアドバンテージは一瞬にして失われてしまった。頭を振って立ち上がるミウに、リキの蹴りが炸裂する。
「ぐえぇ……」
腹をくの字に折り曲げ苦しむミウを、リキは逃がさない。すぐさま腕と太ももを捕まえ、そのまま頭上に高々と持ち上げ、背中を自身の頭に叩きつける。そのまま腕に力を込め、ミウの身体を弓なりに大きく反らした。
アルゼンチンバックブリーカー!
その太い腕でしっかりと固められたミウの身体はもはや動かすことができない。ギシギシとコアスケルトンが歪む音が聞こえてくるようだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
相手の悲鳴が心地良く響く。
「よくやったよ、アンタは。だが闘いは結局パワーだよ」
ギリギリとミウを締め上げながらリキが叫ぶ。
「おい! そろそろ時間だ! お前らはとっとと待避しとけ」
赤服と青服は、リキの指令を聞くと一目散に駆けだした。
そして、リキは両膝を大きく折り曲げ、高く跳び上がった。上空で腕の力を緩めミウの身体をやや解放し、地面に着地する瞬間に腕の力を入れる。
ズズーン……! 着地の衝撃で真横の大木が大きく揺れ、ミウの身体が大きく反り返る。
「ぐわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ミウの悲鳴がフィールドにこだまする。
「もう一丁行くぞ! そりゃ!」
2回目のジャンプで、ミウの抗する力が大幅に弱まった。もはやか細いうめき声しか聞こえてこない。
「じゃあ、これで最期だ。あんたは気に入ったよ。だから特別サービスだ!」
フッと笑うと、リキはこれまで以上に深く膝を曲げ跳び上がる。そして、枝をかすめながらも大木よりも高く舞い上がる。
「これで、とどめだ!」 跳躍が頂点に達し、自由落下に入るとリキは叫んだ。徐々に重力による加速が増し地面が近づいた時、突然リキがバランスを崩した。想定外のできごとに手が滑り、ミウの身体がすり抜ける。リキは着地すると、上を見上げ落ちてくるはずのミウを待ち受けた。
が、彼女は一向に落ちてこない。
「!? ……野郎。そうでなくっちゃな、ミウさんよっ!」状況を把握したリキはニヤリと笑う。
上を見上げると、枝にぶら下がるミウの姿があった。彼女が落ちる最中に枝を掴んだため、リキはバランスを崩したのだ。
ミウは肩で息をしながら鉄棒に見立てくるりと回り、すとんと枝の上に立った。
イーっと、舌を出して挑発すると、リキは何かを叫びながら木を殴り倒す。
「おっと! 洒落が分からない人だなぁ」
ミウはピョンと隣の木に飛び移る。
「うーん、どうしよう。このまま続けても、こっちにメリットないしなぁ。
時間稼ぎにはなったし、そろそろアリサたちと合流してみようかな?」
ゲートの方向を確認するため、地面に伸びる影を見ると、突然別の影が重なった。
「え? まさか!?」 一瞬であったが、見覚えのあるシルエットだ。ミウは木から飛び降り、影を追おうとするが、リキが立ちはだかる。
「おっと。つれないなぁ。俺が相手してるんだろ?」
「くっ」
両手を広げ、ミウの移動を防ぐリキ。隙を見て横をすり抜けようとするミウであったが、それでは自由落下する影に追いつかない。
そして、それはリキの斜め後方に力なくドサっと音を立てて地面に叩きつけられる。ミウの予感は的中した……。
「アリサ!」
遠目で分かりづらいが、またダメージを受けているようであった。フラフラっと立ち上がると、彼女の視線は遠くに向いている。
そして、再びミウの上空を別の影が飛ぶ。にらみ合うミウとリキの後方でアリサが影を追い走り始め、空中でキャッチ。そのまま、背中で着地する。その腕の中にはフタバの姿があった。
ほっと息をもらすミウ。フタバは、自分やアリサと異なりノーマルのコードのままだ。あの距離を飛ばされたならタダでは済まない。
両手を広げたままアリサたちを振り返ったリキはひと言「来たのか」と言うと、戦闘態勢を解いた。
「アリサ! 大丈夫!?」
リキを間に挟んだ形で、ミウはアリサに問いかける。
「……何とか……ね」 フタバを抱えたままのアリサは、そのままぺたんとしゃがみ込む。
ミウが言葉を返そうとすると、リキが言葉をかぶせてきた。
「ミウさんよ! 残念だな。もう時間が来ちまった。俺とのデートは終わりだ」
「え……、じゃあ返してくれるの?」
リキは首を振った。
「これから、ちっとばかり面白いアトラクションが始まるんでな。つきあってくれ」
そう言うと立ち上がり、手のひらに五角形のマークが付いた右手を上げて指をパチンと鳴らした。
「??? 何も起きないじゃない?」
「そうかな?」
ミウとリキはにらみ合い、その先にアリサとフタバがふたりを見守る形となっていた。
時が止まったかのように、フィールドは静寂と謎の緊張感が包み込んでいた。
やがて、フィールド全体がかすかな音を立て始める。
カサ……カサ…カサカサカサ……。
その音はやがて広がっていき、ザワザワと音を変え、ゴゴゴゴゴ……と重低音を伴い始めた。
そして異変の影響を真っ先に受けたのはフタバであった。
「きゃあ!」
突然、立っていられなくなり、その場にへたり込む。膝をつき、両手をつく。身体がガクガクと震えはじめ、終いには地面に吸い付くように倒れ込んだ。
その頃にはミウも、アリサも異変の正体に気付いていた。フィールド全体に響く音は崩壊音に変わり始めた。
ミ……ミシ、ミシ……、ミシミシベキベキベキベキズズズーン。
周りの木々が、それに耐えきれず崩壊し始めた。枝が折れ、幹は割れ、崩れ落ちる。
「く……リキさん、あ、あなた……。まさか……!」
「そ……それは禁じ手だわ」
「いや、
高笑いするリキの背後で、次々と森が崩壊していく。巨岩さえも、自身の自重に耐えられなくなりひび割れていく。真っ先に倒れたフタバは、もはや動くこともできない。どんどんと強くなっていく重力にミウは足を踏ん張り、アリサは地面に手を突いて耐えていた。
彼女たちの周りは、崩壊した森の起こす土煙に囲まれていた。超重力下なので土煙はすぐに納まっていくが、それ以上の勢いで崩壊が外に広がっていく。
「俺が欲しいのは、最強の証。さて、この条件でもいけるかな?」
「冗談じゃ……」
アリサの言葉を遮って、ミウが叫ぶ。
「わかった。それはあなたが名乗って構わないから、私たちを解放して」
呆然とミウを見つめるアリサ。そして意を決するようにミウに向かって頷くと、彼女もアリサに向かって頷きかえした。
気が付くと、重力の増加が止み安定しきた。超重力であるのは変わらないが、身体への負担は減っている。ミウは踏ん張るのを止めて胸を張り、アリサはよろよろと立ち上がりフタバを守るように立ちはだかった。
「はははは……。そうか!
なら、<楽園>を差し出しな! それが降伏の条件だ」
森の崩壊は止まらない。重力の増加は止んだけれど、何一つ好転はしていないのだ。超重力は相変わらずフィールドを襲い、次々と木々が倒れる音が鳴り響いている。
「……え? そんなことできる訳ないでしょ?」
「今や<楽園>は最強の者であるシンボルになっているんだよ。<楽園>を支配できたなら、誰もが疑うことなく俺を強者と認めるだろう?」
「違う! <楽園>はそんな所じゃない!」
「……そんな所なんだよ。そして、俺は<楽園>を手に入れて、破壊する!」
ズズーン……。
最後の一本が崩壊したのだろう。取り囲んでいた崩壊音が止み、舞い上がる土煙だけがこのフィールドを支配していた。
「……お断りよ。あなたに<楽園>を渡せる訳ないでしょう?」
その言葉を聞くとリキは手を叩いて笑い始めた。
「あっはっはっは。そうか、そうだよな、ははは。いやぁ、助かったよ。降伏されたらどうしようかと思ってたぜ」
やがて土煙が止み始める。すると、変わり果てた島がその姿を露わにし始めた。
見渡す限り、粉砕された木々が広がる何もない空間。
それが今の<エル・ドラド>。
そして、ミウの後ろからズン、ズンと重低音が近づいてくる。
それもひとつではなく、複数だ。
リキがニヤリと笑う。
「後ろを見てみ。あんたとデートしたいってよ」
ミウが振り返ると土煙の中に動く影がある。
ズン、ズン、ズン、ズン……。
影はだんだんと人の形になっていった。
ズン、ズン、ズン、ズン……。
1、2、3、4……4人。
4人がこちらに近づいてくる。土煙が完全に晴れると、彼らの足も止まった。重い足音は、増加した重力のために発生したものなのだろう。
「これは……」
4人は共にリキと同様の巨大な身体を持ち、リキと同じ顔をしていた。
ミウは計5人のリキに挟まれる形となった。
「リキさんのコピー、か。これはもしかして『前門の虎、後門の狼』って奴?」
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