第2話水 と 月
ファミレス“
地球儀の上でクルクル回る風見鶏がトレードマークの全国チェーン店。
こーちゃんの家族と、幼い頃から一緒に通ったお店だったりする。
家族ぐるみの付き合いとはいえ、成長するにつれその回数は減っていくものだ。
なんか久しぶりだね、風見鶏さん。
胸を張ってる姿は凛々しいけれど、そこがまたコッケイ。
風見鶏のモチーフとなったニワトリは飛べない鳥として有名だけど、昔は空を飛べたという説がある。
今、彼らはどんな思いで空を眺めているんだろう。
未練はないんだろうか?
それとも手が届かない世界だったと、はじめからあきらめているのかな?
一度で良いから、大空を羽ばたくニワトリっていうのは見てみたいものだ。
……と、それを言う資格は私にはないか。
ともあれ今日、私たちはイベントの成功を祝って、食事会と洒落込んでみたのだ。
「うーん、やっぱりバッテリー消費が激しいわね」
窓際の席に座る彼女はノートPCを叩きながら言った。
彼女の名は
年齢は私と同じくらい……だと思う。
実は、誰よりも親しい友人でありながら、彼女のことをよく知らない。
半年ほど前からの付き合いなのだが、私はとある事情で彼女との出逢いを覚えていないのだ。
そして、さっきまで<バトル・シティ>で闘っていた“アリサ”のドライバーであり、私の“ミウ”の共同開発者のひとりでもある。
彼女は、新しいミウではドール造形を担当している。
スピリッツ。
それは15cm弱のドールであり、体内に埋め込まれた無数のセルをコントロールすることによって、自立的な動作が可能に“なるはず”の、一種のロボット。
“なるはず”といった表現を使うのは、現状ではセルの出力が足りずに自立的に動けないから。
私たちがさっきまでいた世界“バーチャル・スピリッツ”はドールのデータを読み取って、セルの出力を格段にアップした世界をシミュレートしたもの、つまり『できたらいいな』の世界なのだ。
セルにはコード、簡単に言えばプログラムを書き込むことができて、このコードとドールそのものの出来によってスピリッツの能力が変わってくる。
「“スピリッツ=ドール+コード”で、ドールはハードウェア、コードがソフトウェアなの」というのが理沙の説明だけど、私にはちょっと難しいのが本音だ。
スピリッツであるミウも、アリサも、今は実際には動けないけれど、出力が上がればバーチャル世界のように動けるはずだ……動けるといいなという話なのだ。
ミウとアリサは最先端の技術を採用していて性能はずば抜けているけれど、それでもリアル世界では指一本動かすことができない。現実はまだまだシビアなのだ。
本来は研究機関とかでないと扱えないシロモノなんだけど、ゲーム要素を付加して広く遊べるようになったのがバーチャル・スピリッツ。
最先端のコンピューター技術に触れられることもあって、理沙のような理系オタクはもう夢中。
私のような体育会系、いや元体育会系の人間は異端児なんだよね。
だから普通、ドールは自作するか、出来合いのものをそのまま流用する人が多いんだけど、私は人任せにしてる。……と、いうか難しくて、無理。
そんな世界においても、ドライバーとモデラーを非常に高いレベルで両立している理沙は珍しい存在だ。
またバーチャルでも、リアルでも、全く同じゴスロリの服を着こなしている。理由を聞いても笑って教えてくれないんだよね。
……改めて彼女について考えると本当に人間なのか、むしろ妖精か何かだと言われる方が納得しそうな気がする。
横に座る理沙は、ものすごいスピードでキーを叩いている。
「……いや、出力を上げている時はむしろ効率が良いのか。むしろ、アイドル時の方が問題ね……」
「なるほど」
私はとりあえず、相づちを打っている。理解できないし、何となく間が持たないから。
彼女は今、夢中になってミウのログを追っている。
第3世代のコードを初めて搭載した新しいミウは、自身のアリサよりも興味深い存在であるらしい。
アリサの姉妹機でもあるのだから、当たり前か。
将来的にはアリサも第3世代のコードを搭載するつもりなのだろう。
「あら、面白いグラフになってるわね。
最後のアンタのダッシュ、あと3歩も走ってたらバッテリー切れになって、地面に叩きつけられてたわよ」
「なるほど、なるほど」
突然、理沙はキッとこちらを向いて、私のほっぺたに手を伸ばす。
「アンタねぇ、誰のスピリッツの話をしていると思ってんのよ。少しは興味持ちなさいよ」
「いらい、いらいよぉ。らって、ふぶかしいんらもの」
「あんだってぇ」
「らから、いらい、いらいおぉ」
理沙は思いっきり私のほっぺたを引き伸ばしにかかった。
「……何やってんだ、お前ら」
ドリンクを運んできた青年が向かいに座る。
彼は
私のちょっと年の離れた幼なじみで、ミウの共同開発者のひとり。
新しいミウのコードは、彼が中心になって開発したものだ。
ドライバーとしては平凡だけど、モデラーとしては唯一敵わないと理沙に言わしめる人物。
スピリッツのドール制作だけでなく、バーチャル・ジオラマの造形にも明るい。
私とアリサは、実物に近いイメージのスピリッツをドライブしているが、彼は10歳くらいの少年のスピリッツを扱っている。彼の実年齢は19歳なので、16歳の私とはリアルとバーチャルで年齢差が逆転してしまう。
なんだかバーチャルってのは不思議な空間だ。
ちなみに、彼のスピリッツ名は“ハムイチ”と言うのだが、なぜかその名を使わないルールがあるみたいで、みんな呼び方がバラバラ。
私は悩んだ結果、リアルでもバーチャルでも、昔からの呼び方“こーちゃん”と呼んでいる。
通常、バーチャル・スピリッツに参加する人たちはリアル、バーチャル関わらず、バーチャル名で呼び合うことが多いらしい。
私と理沙のように、リアルとバーチャルで呼び方を変えたり、バーチャルでもリアル名を使うのは珍しいとフタバに指摘された。
ちなみに、フタバは私たちと離れた街に住んでいるので、ここには来ていない。というか、本物のフタバとはまだ会ったことがない。スピリッツの顔はドライバーの顔をスキャンして作成しているので、本人に会っても違和感は生まれないはずなんだけど、やっぱり会ってみたいな。
彼女は私と同じく開発はからきし。その代わり、交渉ごとやイベントの企画などが得意なので、その方面で活躍している。
とにかく、今日は3人だけの食事会だ。
こーちゃんは理沙の前にオレンジジュースを、自分の前にアイスコーヒーを、そして私の前には「これで合ってるか?」と言いつつドリンクを置いた。
理沙は私の前に置かれたドリンクに興味を示すと、ようやっと手を離してくれた。
「何、それ? そんなのドリンクバーにあるの?」
不思議そうにのぞき込む理沙に「飲んでみる?」と私は勧めてみる。
「え、ええ」と言うと、理沙は自分のストローを私のドリンクに刺して一口飲んでみる。
「……! 美味しい! でも、こんなの飲んだことないわね」
「えへへ。これ、メロンジュースのコーラ割り、だよね? こーちゃん」
「ああ。こいつと俺で、ドリンクバーのドリンクを混ぜて新作を作る競争してたんだよ。“メロンコーラ”はお気に入り、だったよな」
「うん! でも、良く覚えてたね、久しぶりなのに」
理沙はストローを自分のオレンジジュースに移し、一口飲むと「でも、ジュースなんてだいたい何混ぜても美味しいんじゃないの?」と呟く。
それを聞いた私とこーちゃんは眼を合わせニタリと笑う。
「ほう。そこまで言うなら、コンソメスープのグレープジュース割りに挑戦してもらおうか、理沙さん」
「コーヒーのコーラ割の方がいいんじゃない?」
「ちょっ、ちょっと待って。それって、もしかして……」
「うん、もちろん絶対に忘れられない味だよ」
「グラスにはこんなに液体が入るんだ、と後悔することになる」
「やめて! アタシが悪うございました」
立ち上がろうとするこーちゃんを見て、理沙は必死で引き留める。
「はは、冗談だよ。それより、理沙が見てるのミウのログだろ? 俺にも見せてくれよ」と、言って自分のカバンからタブレットを取り出す。
「いいわよ。……今送ったわ。パスはいつものアレね」
「あいよっ」と言うと、タブレット上に指を走らせ、真剣にデータを読み始めた。
「おぉ、いいね、いいね。予想よりもパワーは出てるじゃありませんかっ」
「でしょ。でも、バッテリーだけは想定外。アンタの言ったとおり、対策が必要だわ」
嬉しそうに語るふたりだけど、正直言って私は画面いっぱいに広がる数字や文字列について行けない。この辺、分かるのが理系ってことなのかな?
「まぁ、詳しい解析は後で。ちょっと気になるところもあるし。整理したデータを後で送るから、そっちをベースに検討しましょう」と言って理沙はノートPCを閉じ、オレンジジュースを一口飲んだ。
そして、私の顔を真正面から見ながら「アンタもログぐらい読めるようになっときなさい」
「はーい」
「ったく、アンタって人は…」
「まぁ、まぁ。まだ、こいつには難しいって」
私のバーチャル・スピリッツ歴は、彼女との付き合いと同じなのだ。理沙は私の友人であると同時に私の師匠でもある。ド素人と言っても良い私のキャリアであれだけのドライブができるのは、彼女の厳しい指導のおかげなのは間違いない。
のれんに腕押しと感じたのか、理沙は突然話題を変えてきた。
「ところでさ、新しいミウの調子はどうよ?」
「おう、それを早く聞きたかったんだ」
ふたつの顔が同時にぐいっと迫ってくる。このふたり、ホントに仲良いなぁ。
「う、うん。ちょっと敏感に反応しすぎる感じがするかなぁ。パワーが上がってる分だけ、細かな動作が苦手。前の子だったら棒術ももうちょっと上手くやれた気がする」
「あら、そう? ミウ1号でもあんな物じゃないの?」
「ちょっとは練習したんだけどな。結局、ぶっつけ本番みたいになっちゃったけど」
「あ、それはスマン。結局、実装が間に合ってなくて第2世代のコードが混ざっちまった。だから、ミウ2号は本来の力を引き出せていないんだよな」
「結果オーライだけど、それでミウ2号の問題点がハッキリとしたから良いわよ。それに、フルパワーで掛かってこられたら、アタシが大変な事になってるし」
「あー、でもスッキリした! なんか久々に暴れたって感じ。車をブン投げるなんて、実生活じゃありえないもの」
私が両手を上げてあの時のミウのマネをすると、理沙がニシシと笑う。
「いやぁ、ホント凄かったわね、あれ。もう、ボーンとさ」と、理沙が自分の胸の前に巨大な球を形作る。
「あ、忘れてた。服のサイズ間違えたでしょ、理沙ぁ」
「いいえ、合ってるわよ。違ってるのはミウのボディの方。公一のリクエストが急に来たからね」
「こーちゃん!」
「い、いや。違うんだ」
理沙は笑いを必死に笑いをかみ殺しながら追い打ちをかける。
「あらぁ、突然『胸が小さい!』とか言って、ミウの胸を大きく修正させたのはアンタでしょ?」
「おいおい、そんなことは言ってない……けど」
「ほーんと、大変だったわぁ~。おかげで服の修正が間に合わなかったのよねぇ」
「こーちゃん!」
「い、いや、あの。ほら、その。実用的なサイズにしないと……」
ちょ、ちょっと。何言い出すんだ、この男は! 顔が一気に火照るのが自分でも分かる。
私はテーブルをバンと叩きながら、声を荒らげる。
「じ、じ、じ、実用的って、何よ!」
「きゃははははははは」
理沙がついにこらえきれずにお腹をかかえて笑い出した。こーちゃんは、ただただ狼狽するばかり。
周りから冷たい視線が集中しているのが、はっきりと分かるよ。
どーしよ!?
「お客様、お静かに」
口に指を当てた真面目そうな青年が、私に顔を寄せて注意してきた。
「す、すみません」
流石にはしゃぎすぎたみたい、注意されちゃった。恥ずかしさのあまり、私たちは一斉に下を向いてしまう。
髪の長い彼はペコリと頭を下げ「料理の方はもう少しお待ちください」と言い残し去って行った。
彼が去った後、私は必要以上に声を抑えて理沙に文句を言った。
「ほら理沙、ウエイターさんに怒られちゃったじゃない」
「ごめん、ごめん」と、ハンカチで眼を押さえながら言う。
涙まで流して笑っていたのか、こいつは。
まぁ、いい。
これ以上この話題を続ける雰囲気でもなくなったので、私はかねてからの疑問をぶつけてみることにした。
「ところでさ、スピリッツってなんでわざわざ
「おや、お嬢さん。 アンタ、良い所に眼を付けましたなぁ」
やばい、理沙の眼が輝いてきた。
「理由は簡単よ。やってみたら面白かったから」
「えっ、そんな理由なの?」
「そうよ、単に自分で作った人形が実際に動く。こんな面白いことってなかなかないわよ。今はまだ、シミュレーションだけどね。
バーチャル・スピリッツは人形を動かすためのデータやノウハウを貯めるための手段で、目的ではないのよ。データを動かすだけだったら、それこそ20世紀のテレビゲームでもできてたもの。
今は、まだ道の途中。バーチャル・スピリッツは完成品ではないのよ。だから、明日にはシステムが変わっているかもしれないわ。今日の新発見は、明日には常識に、明後日には時代遅れ。そんな世界」
「分かったような、分からないような」
「物を創るってのは、そんなもんよ。偉大な大発明だって、実は単なる興味本位だったりしてね。
何か、人のためになることをしたい。そういう目的の人もいるけど、多くの場合は気になることがあって、それについて調べたり、研究するのが楽しくてしかたないの。成果なんてただの後付けよ。
だから創ってる最中は、ほとんどの人にその価値が理解されない。それは仕方ないけど、妨害だけは止めて欲しいわ。結構多いのよ……」
「う、私もよく分かってないと思う」
理沙は笑いながら、私のおでこをツンと突っついた。
「アンタはもう分かってるわよ。さっき、車投げて気持ち良かったって言ったじゃない。あれが、全て。
バーチャル・スピリッツは、アンタにその体験をさせるために創られたシステムじゃないわ。でも、アンタは気持ち良い体験ができた。結果が後から付いてきたのよ。
アンタにとってバーチャル・スピリッツはそういうシステム、それで良いの。人形を動かすことの価値が分からなくても、アンタなりの意味が産まれたでしょ? あとは、それをとことん楽しむだけ。いつか、きっと何らかの成果になるわ」
「え……、それでいいの?」
「それでいいの。そもそも、アンタとアタシで意見や価値を統一する必要はないしね。アンタはアンタの楽しみ方を追求するといいわ」
持論を展開した理沙は急に恥ずかしくなったのか、プイと横を向いた。しっかり耳が赤くなってるのがカワイイ。
理沙が黙ったので、こーちゃんが別の話を振ってきた。
「あ、そうそう。ミウ2号な、ちょっとメンテするから明日からはまたミウ1号使ってくれないか?」
「え、別にいいけど、メンテ?」
「ミウ2号はフルチューンするのさ。今日はデータ取りの意味もあってパワーを押さえてたんだけど充分なデータが取れた。だからフルパワーが出せるように再調整するのさ。今日のデータを見る限り、フルチューンすると凄いことになるぞ。ミウ2号は次元が違うパワーを持つことになる」
あ、ダメだ。こーちゃんの眼は、あっちの世界に行っちゃってる。
「んー、別に構わないけど、前の娘は第2世代のまま?」
「そうだけど、アリサと同じコードに書き換えるか?」
「今のままで問題ないよ。作業は新しい娘に集中してあげて。
でもさ、ミウもアリサの強さは今でも圧倒的じゃない。あれ以上、強くしても意味ないんじゃないの?」
私がそういうと、ふたりは同時に顔を近づけ、声を揃えて言う。
「ちがーうっ!」
私は思わず人差し指を口に当てると、ふたりは一度動きを止め、静かに自分のポジションに戻っていった。
声を抑えてこーちゃんが言う。
「さっき理沙が言っただろ? ミウが強いのは目標じゃないのさ。単なる結果。俺たちの目標は実際に動くスピリッツを一番最初に作ることだからな。画期的と言えるミウ2号でもまだまだパワー不足なんだよ」
理沙が続ける。
「バーチャル・スピリッツが単なる格闘ゲームだったら、公一なんかと組まないわ。ひとりでやることに行き詰まっていたから、組まないと先に進めないと、そう考えたの。まぁ、偶然もあるんだけね」
「偶然?」
「気にしないで。とにかく、アタシたちは単なるゲームプレイヤーとして競い合っている自分たちが“井の中の蛙”であると気付いたのよ。そこでいくら強くなっても、それで終わり。世界は広がらない。
でも、スピリッツは違う。
本来のスピリッツは、ここで、現実で、自由に動き回れるはずなのよ。そういう可能性を秘めたシステムなの。今のままでは、もったいないわ。
本来ならアタシも、公一もそんな大層なプロジェクトに参加できるような人間じゃないわ。でも、そのチャンスがあることに気付いたの。バーチャル・スピリッツには未来がある。だから、アタシたちはそこを目指すの」
「あ、だから“井の中の蛙”」
「そう、“大海を知らない”あわれな蛙。ミウ2号は、今一番大海に近いところにいる存在よ。
それでも、まだ全然遠い。井戸の出口もまだ見えていない状態だもの。アタシたちの目標が大海である以上、“井の中”で争うことにあまり意味はないの。どんどん先に進むわ」
理沙たちが、そんなことを考えていたなんて知らなかった。と、同時に素朴な疑問が浮かんだ。
「なら、なんで私なんかに、ミウみたいに凄いスピリッツを創ってくれたの?」
「……たまたま、よ」
「たまたま?」
「そう。次はアタシのアリサがそれを追い越す。順番がたまたま、ミウに回ってきただけ。それにね」
そう言うと、アリサはこーちゃんをキッと睨む。
「公一って、スピリッツのドライブが下手なんですもの。優れたスピリッツ与えても無駄。豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏、犬に論語、腐っても鯛みたいなものよ」
「おい、おい。最後のは違わないか?」
「とにかく! アンタにスピリッツを創る方に期待はしていないけれど、ドライバーとしては期待してるってことよ。まだ第3世代のコードは開発されたばかりで、補助コントロールプログラムの方が追いついてないの。だから、現状でミウ2号をドライブできる人間はごく限られて居るわ。たとえば、公一でもミウ2号は無理ね。
ア、アタシがやってもいいけど、外から見る人間も必要だし。それに……」
「それに?」
理沙は私の鼻を指さして「信用できる優秀なドライバーは多い方がいいってこと、よ」とイタズラっぽく笑った。
ちょうどそのタイミングで、注文の料理が到着した。
「お待たせしました!って、あれ? ミウさん?」
食事を持ってきてくれたウェイトレスさんは、驚きの声をあげる。
彼女は<バトル・シティ>でミウにぶら下がっていたソバージュの女の子だった。
慣れた手つきで料理をテーブルに置くと「ミウさんとアリサさんは、本当に仲が良いんですね」と冷やかした。
リアルでスピリッツ名で呼ばれると、なんだか恥ずかしい。でも、ミウも私の名前のひとつなのだ。
そして「で、ないとあんなことはできませんよね」とニッコリ笑った。仕事中だというのに<バトル・シティ>の話を楽しそうにし、最期にはカウンターから怒鳴られつつも、気にせず手を振って去って行った。
「はぁ、嵐みたいな娘だったわねぇ」
あの理沙が口を挟む暇がないほどのネタを投入してくる彼女は、一気に私たちを疲れさせた。
「ふーん。それであの人、パンダさんって言うんだ」と、私はなんとなく口にした。
「パンダって?」
「あ、彼女のスピリッツ名。ネームプレートに“笹森”って書いてあったから。たぶん、笹の森の人ってことで“パンダ”なんじゃないかな?」
「アンタ、よくネームプレートなんか見る余裕があったわね。……まぁ、いいわ。早速、いただきましょう」
理沙は特上ステーキ、こーちゃんはサンドイッチ、そして私がカツ丼御前と頼む物がバラバラ。こういう時、ファミレスというのは本当に便利だ。それに私にとって、久しぶりの外食。
「あぁ、シャバの飯は旨いぜぃ」
「本当、アンタって美味しそうに食べるわよね」
「だって、他の人と食事するのって久しぶりだし」
「これからは、何度だって来れるだろ?」
「うん!」
久しぶりの好物だからではないのだと思う。ふたりの優しさが、これ以上ない調味料になっている……ってのはクサイかな? でも間違いなく、彼らは私の大切な宝物。口に出すと、恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだ。
「どうした? ニヤニヤして」
え、やばっ。もしかして顔に出てた? こーちゃんの指摘に恥ずかしくなって、ごまかすように別の話題を口にする私。
「そ、そ、そんなことよりさ。前のミウと新しいミウ、1号、2号じゃかわいそうじゃない? 名前付けようよ」
「別に1号、2号で構わないじゃないか」
「そうね、名前なんかどうでもいいわ」
あー、これだから理系は!
「なんか番号で呼ぶのって嫌っ! それに名前を付けてあげないとかわいそうだもの」
「アンタがそう言うなら、特に反対する理由もないけど」
「ドールに名前を付けるヤツって聞いたことないけど……。まぁ、ミウはお前の分身みたいなものだしな。好きにするといいさ」
「ありがとう!」
やった! あの娘たちに名前を付けてあげられる。とっさに口にした話だからノープランだけど。
さて、なんて名前にしてあげようかな?
「ごちそうさまでした」
え?
横を向くと、理沙はすでに食事を終えたところだった。
こーちゃんはこーちゃんで、すでに食べ終えてのんびりとアイスコーヒーを飲んでいる。
「みんな、早っ!」
「アンタがいつまでも喋ってるからでしょう」
「俺、サンドイッチだから量、少ないしな」
私だけまだ半分も進んでいない。慌ててカツ丼をかきこみ始めた。
「馬鹿ね、身体に悪いわよ。ゆっくり食べなさいよ」
食事を終え外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。
もうじき三月だというのに、まだ肌寒い日が続く。
ラフなスタイルの男女にゴスロリ少女がひとり、というのはかなり目立つ。
退院したばかりの私は、まだ上手く松葉杖を扱えずにいた。
昨年、私の16回目の誕生日。
名も知らぬ少年の文字通りの暴走に巻き込まれ、私は右足と未来を奪われた。
そこにドラマと言えるものはなかった。
彼は自身の人生を終え、私の人生は激変した。
ただそれだけ。それだけのことなのだ。
私の新しい右足は冷たく、固く、予想以上に重く、いまだに主の言うことを聞いてくれない。まるで私自身を拒否しているようにも感じられる。いや、拒否しているのは、私か……。
作り物の足はズボンに隠れているけれど、異常なまでの違和感と存在感を私に与えていた。
私たちは、帰宅するためにファミレス裏の駐車場に向かっていた。私の荷物はこーちゃんが持っていてくれる。
ドサッ。
「あ、痛たたたた……」
駐車場スペースに差し掛かろうとする時、段差に杖を取られて私は転倒してしまった。
「大丈夫?」
「大丈夫か?」
ふたりがほぼ同時に声を掛けてくる。
「平気、平気。たはは、失敗しちゃった」
パンツルックはこういう時、安心だ。
そういえば、地面に腰を下ろすのなんていつ以来だろう? ここはグラウンドではなく、固いアスファルトだけれど。ずっと病院の敷地内にいた私にとって、ここは別世界のようにも感じられる。
照れくささもあり、私は誤魔化すように仰向けになり空を見上げた。
「わぁ、すごい! 月が綺麗」
自分でも驚くくらいの大きな声が出た。
それ位、眼に飛び込んできた月は美しかったのだ。
「お、ほんとだ」
「あら、今日は満月なのね」
ふたりも同じく月に見とれていた。
「ほら、手を伸ばせば掴めそうだよ」と言いながら、私は右手を伸ばした。大きく広げた手のひらに、巨大なはずの月はすっぽりと隠れてしまう。
「あのねぇ。月は38万キロも離れているのよ。届く訳ないじゃないの。それに月なんて水も、空気も少ないつまらない所よ」
「本当、理沙って夢がないよね」
「現実主義と言ってくれない?」
月明かりにくっきりと浮かび上がっている理沙の横顔は、その口ぶりと違い微笑んでいた。
彼女を見ていると、ふと“井の中の蛙”の話を思い出した。
「……ねぇ。井戸の底にいる蛙って、空を見上げても月しか見られないのかな?」
「そうかもね。それも1日のうち、わずかな時間だけ」
「じゃあ、憧れたよね、きっと。大海は知らないけれど、その先の月は知っていたんだ」
その時、ふたつの言葉が頭に浮かんだ。私にとって馴染みの深い言葉だけれど、これ以上の名前はないと思う。
「決めた! あの娘たちの名前。
最初の娘はアクア。そして新しい娘はルナにする」
月を掴む仕草をしながら、私は宣言する。
「アクアにルナ?」
「うん。
ルナは私にとっての未来。目指すべき月。大海よりもその先にあるもの。
そしてアクアは今の自分。今の私は水の中にいる蛙みたいなものだし。ダメかな?」
「はは、水と月か。いいんじゃないか」
こーちゃんの明るい声が聞こえてくる。
「それに」
月を背景に理沙が手を伸ばしてくる。
「あなたの名前でもあるものね。
彼女の顔の正面に月明かりが当たり、その表情の細部までがハッキリと見える。
ああ、この娘が時折見せる“この微笑み”は卑怯だ。いくら憎まれ口を叩かれようと一瞬で許してしまう。それは、まるで、魔法にかけられたように。この微笑みを見ると、普段の微笑みがいかにぎこちなく感じられることか。いくたびか私はこの微笑みに助けられてきた。
……あ、そうか。この娘がこの表情する時って……。ひとつ、私の中で謎が解けたような気がした。それは、分かってしまえばちっぽけな謎だったけれど、彼女の本質を示すものだったのだ。
私は差し出された手をしっかりと握りしめ身体を引き起こしてもらう。
「名前なんてどうでもいい、と言ったのは取り消すわ」
「へへ」
「名前は重要、そうかもね。アタシも認識を改めるわ。“未来”か…」
理沙の眼が月に向かう。
「それに、月には妖精がいるっていうでしょ」
「え、何か言った?」
しまった。つい声に出てしまったみたい。
「ううん、なんでもない」
……たぶん聞かれたな。
「公一! さっさと松葉杖持って来なさいよ。全く気が利かないわね」
間近で見るのは初めてだけど、ゴスロリ服のままバイクに乗るというのは凄いインパクトがある。まさしくファンタジーとリアルのハイブリッドだ。
ボディが月明かりを反射して、美しいラインを浮かび上がらせていた。私はバイクのことはよく分からないけれど、とっても丁寧に整備されているというのは分かる。
理沙はエンジンを吹かすと、紅いヘルメットを被った。
「では明日、<楽園>で会いましょう」
そう言い残すと、手を振ってあっという間に走り去って行った。
見送るこーちゃんが不意に漏らす。
「いつ見てもすげぇな。あの格好」
「あれ、ライダースーツを改造したんだって。ホント器用だよね、理沙」
「いや、そうじゃなくて、寒くないのかな?って」
「あはは、やっぱ寒いみたいだよ。なんであの格好にこだわってるんだろ?」
「はは……、何もあそこまでやらんでも良いのに……。
じゃあ、俺たちも行こうか、お嬢さま?」
「うん!」
こーちゃんはそう言って、助手席のドアを開けてくれた。
幼なじみである私たちの家は隣同士なのだ。
免許は去年、夏休みを利用して取ったらしい。車はおじさんのを借りているので、運転するたびに初心者マークを貼り付けている。
「ありがとう」
松葉杖を彼に渡すと、後部座席に他の荷物と共に載せてくれた。
「では、行きますよ」と、いうとゆっくりと発進させた。
こーちゃんは超安全運転だ。それは、初心者マークのせいなんだろうか。それとも交通事故に遭った私への配慮? 聞いてみたいけれど、なんだか照れくさい。
それに幼なじみであるとはいえ、16歳の私と19歳のこーちゃんとでは年が離れすぎていた。いつの間にか会わなくなってしまった。事故のおかげでまた会えるようになったのは皮肉かな?
そういえば……。
理沙がこーちゃんに引き合わせてくれたような気もするんだけど、思い出せない。
小さい頃、私とこーちゃんはキャラクターカスタマイズ型の格闘ゲームに夢中になったのだ。
難易度が異常に高いため人気のあるゲームではなかったけれど、それは私たちを虜にした。こーちゃんはカスタマイズに、私は操作テクニックに秀でていた為、自分たちだけの特別ルールを作って遊んでいた。彼は強力なキャラをほぼ全自動で動かすようにカスタマイズし、私はそれに手動操作で挑み続けた。使用キャラは、お気に入りのひとりに固定して。
異常に高度なカスタマイズ性と、敏感すぎる操作性がこのような条件でもゲームとして成立させていたのだ。私には難しく複雑なカスタマイズを彼は楽々とマスターし、彼には難しい複雑なコマンド入力を私は素早くやってのけた。
全くかみ合う所がない私たちの長所ではあったけれど、このゲームにおいては公平だった。
勝負は事実上、五分五分といって良かっただろう。
そのゲームは私たちを繋いでいただけでなく、進むべき道をも左右した。
こーちゃんは工学方面を、私はスポーツの道を選んだ。
本当は格闘技を始めたかったのだけど母親に強く反対された。家出までしたが、結局は陸上に押し切られた。中学でそこそこの成績を収めていたので、ここから離れたスポーツの名門と呼ばれる全寮制の高校に推薦入学。その直後に事故に遭い、今は休学している。
別にライバルということはないけれど、順調に自分の選んだ道を進んでいるこーちゃんをうらやましく思うのは本音だ。
その面影を残しながら大人になったこーちゃんを見て思う。慎重すぎる不器用な運転は、小さい頃ゲームをやっていた彼そのままだ。
ねぇ、こーちゃん。覚えてる? “ミウ”って名前は、その頃に使ってたキャラの名前なんだよ。
斜め前方には美しい月が見える。
井戸の底にいる私は、ジャンプすることもままならない惨めな蛙だ。
結論から言えば、私はあそこにたどり着くことはできないのだろう。
でも、そこを目指す仲間がいるのなら、せめて後押しをしたい。そう思ったのだ。
でも、私自身はどうすれば良いのだろう。どこに行けば良いのだろう。
やがて月は正面に移動し、はるか遠く、前方で輝くのであった。
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