ハイスピリッツ・ガールズ
えまのん
第1話ミウ と アリサ
多くの人が行き交う繁華街。
立ち並ぶビルには、それぞれに巨大なスクリーンが備え付けられている。
踊るキャッチコピー、微笑む美少女、天国のような島々。
そこに映るのは夢のような空間。
しかし、それらは全て作り出された偽りのもの。
まるでこの街は、情報が支配しているかのような錯覚を覚えるほどだ。
歩行者天国に集まった人たちはそれらに目もくれず、各々の休日を謳歌していた。
笑い、泣き、語りあう人たち。
無秩序に動く彼らこそが、この街に生命を与えているのだ。
今、そこに一つの異物が投げ込まれた。
真新しいブレザーの制服に身体を包んだ少女。
スカートから健康的に伸びた足や短く切った髪。
活発そうな印象とは裏腹に、彼女は背中を丸め、両手で胸を抱え、何かを探すように周りを見渡している。
周囲の人々は彼女を見つけると、避けるように距離をおく。
やがて彼女の周りだけ広い空間が発生した。
まるで、その空間は日常と非日常を分けるように見えた。
“日常”にいる人々は、寄り添いながらも彼女に眼を向けていた。
やがて人々の流れがとまり、ざわめきと脳天気に流れる音楽だけが街を覆っていた。
何かが起きる。
今、この世界の中心は、小さな彼女であるようだった。
そして、世界は非日常に支配される。
『遅かったわね』
スクリーンのひとつに、黒いゴスロリ服の少女の姿が映し出される。
『ここがアンタと』
『アタシの』
『闘いの場所よ』
ひと言、ひと言のセリフに併せ、次々と街のスクリーンを支配していくゴスロリ少女。
ややつり上がったその眼は全て制服の少女に向けられていた。
制服の少女は、セリフが発せられるたびに大きく反応させていた。
そして最期のセリフが終わった時には、すべてのスクリーンがゴスロリ少女の姿を映していた。
バラバラのセリフを吐いた“彼女たち”は一斉にニッと笑う。
いつの間にか流れる音楽も消え、異常なまでの静寂と緊張感が街を覆っていた。
もはや、ここは“休日の街”ではない。“戦場”だ。
人々はこの街に与えられた名前、<バトル・シティ>を思い出していた。
最初に現れたゴスロリ少女が高らかに宣言する。
『それでははじめましょうか』
最期のセリフは全てのスクリーンがシンクロした。
『楽しいパーティをっ!』
制服の少女が胸を抱いたままぐっと腰を落とし、異常事態に備える。
この場にいる人々が一斉に息をのんだ。
フッとスクリーンからゴスロリ少女たちの姿が同時に消える。
あっけにとられる制服少女。
その刹那、制服少女の真横にゴスロリ少女が突然現れた。
いや、超ハイスピードで彼女は移動したのだ!
人々の注意がスクリーンに向いていた中、全員が不意を突かれた形だ。
「なっ!」
制服の少女が声をあげるが、時すでに遅し。
ゴスロリ少女のスカートがふわっと浮き、彼女の眼がキラリと光る。
「遅いわよっ!」
ブンっと音を立て、ゴスロリ少女の回し蹴りが放たれた。
ドン!
蹴りをまともに喰らった制服少女は、矢のような勢いで身体が吹き飛ばされる。
まるで小石のように吹き飛んだ身体は地面に触れることなく道路の端にまで到達した。
グワシャッ!
まるで狙ったかのように道の端にあったワゴン車に制服少女の身体は食い込み、大きな車体は二つ折りに近い角度にまで歪むものの、その勢いは衰えない。
車体は大きく2度、3度とバウンドし、荷物をまき散らしながらビルの壁面にぶつかると、ようやく動きを止めた。
ゴスロリ少女の小柄な身体からは想像もできない恐るべきパワーである。
制服少女の身体は、ワゴン車に包まれるように食い込みその姿が見えなかった。
静寂の中、一瞬の出来事に人々は静まりかえった。
パラパラと舞い散るビルのコンクリート片や、ワゴン車から投げ出された鉄パイプの響きが、今起きた現象を物語っていた。
ビルにぶら下がるスクリーンはいつの間にか切り替わり、この状況を狙い澄ましたように映し出してた。
街の人々は脅威の闘いの観衆と化し、ある者は見やすい場所に移動し、ある者は安全な場所からはスクリーンを見守っていた。
ゴスロリ少女はキックを放ったゆっくりと足を降ろし、静かに言い放った。
「早く起きなさい、ミウ」
ピンと跳ねた髪を整えながら、動かないワゴン車をにらみ付けている。
「……ったくぅ」
緊迫した空気の中、妙に緩い声がする。
丸くひしゃげたワゴン車がグンと開くと、中からミウと呼ばれた制服少女が現れた。
彼女の両腕は、まるで扉でも開くように、軽々と車の変形を戻していた。
「よっ!」
足を高く上げ、かけ声と共にピョンと跳ね起きると、両手を広げ着地した。
「アリサ。あんたねぇ、少しは加減してよ」
驚く事にミウにはダメージを受けた様子が全くみられなかった。
「あら? そんなもの、必要ないでしょ?」
アリサと呼ばれたゴスロリ少女は、しれっと答える。
「ま、ね」
ミウは身体の調子を確かめるように腕をブンブンと振り回すと、ニッコリと微笑んだ。
その様子をアリサも満足げに見守っている。
視線を感じたのか、ミウも彼女を見つめ返した。
突然、ミウの背後から鉄パイプを手にした男が襲いかかる。
スキンヘッドにサングラス、そしてその身体を誇示するように密着した濃い蒼のTシャツ。
ミウを遙かに超える巨体の持ち主だ。
「うぉぉぉおおお!」
その太い両腕に力を込めて振り下ろす!
ゴーン。
街に、鈍い音が鳴り響く。
「なにぃぃ!」
襲われたミウは、そのままの姿勢で片腕一本あげただけでその暴行を防いでいた。
決して弱い衝撃ではなかったことは、くの字に折れ曲がった鉄パイプが証明している。
大男は、その巨体にものを言わせミウを押しつぶすように力を込めるが、彼女は微動だにしない。
「お、俺のフルパワーは、この小娘の片手にさえ及ばないのか……」
ミウは大男の攻撃を気にもとめず、周りを見回しはじめる。
すると、はるか離れた群衆の中に見知った顔を見つけた。
「フタバっ! お願い!!」
フタバと呼ばれた少女は慌てふためく。
そしてミウは、右手で受け止めた鉄パイプを大男から素早く奪い取る。
大男は最後の抵抗とばかりに右手をミウに伸ばした。
その手のひらにある五角形のマークが印象的であった。
ミウは素早く身を屈め、その手をかわす。
「お兄さん、危ないよ。私たちのパワーは──」
流れるような動作で空いた左の手底で大男の腹を軽く突くと、男の巨体はロケットのような勢いでフタバの元に吹っ飛んでいく。
大男は、フタバとその周辺の数人によってキャッチされるものの、そのままズズズズ……と奥に押し込まれていく。
「──桁違いだから」
フタバは親指を立て、大きな声で「大丈夫だよぉ!」とミウに告げた。
数人の若者をクッションにしたその男は、敗北という言葉すら当てはまらない惨めな想いを抱いていた。
ちくしょう。
全く相手にされない自分が情けなかった。
仮に鉄パイプで殴り掛かる以外の手段であっても、彼女は楽々と対応していただろう。
ちくしょう、ちくしょう……。
彼は泣いた。涙は流れなかった。
フタバの言葉にほっとしたミウは、くの字に折れ曲がった鉄パイプを両手で掴んだ。
そして、くいっと手首を曲げて元の一直線に戻した。
バランスを取るように微調整をとり「よしっ!」とつぶやくと、今度は鉄パイプをブンブンと振り回し始めた。
いわゆる棒術の動きである。
右で、左で、頭上で軽やかに振り回す鉄パイプの速度は加速的に上がっていく。
「やるわね」
傍観していたアリサも、ここに来て戦闘態勢に入る。
全員がミウの動きを見守っていた。
やがて、視認できないほどのスピードまで回転を上げると、ダンッと足を踏み込み片手を突き出すミウ。
「!?」
ピタリと決まったそのポーズに、観衆がざわめき始める。
何かが足りない……。
カラーン……カン、カン……。
その音は人々に、ミウの手にあるはずの鉄パイプの存在を思い出させた。
一瞬にして緊張感が吹き飛び、街にドッと笑いが走る。
「おいおい……」
「やっぱり、やらかしたか」
「あはは、あの娘らしいわ」
引っ込みの付かなくなったミウは、ポーズを決めたまま顔を真っ赤にして固まっている。
アリサは呆れたように構えを解き、肩をすくめた。
「ほんっとぉぉぉぉぉぉに、アンタらしいわ。
格好付けないで、いつも通りいけば?」
「そうだね。あはは」
もはや緊張感のなくなった空気に合わせるようにミウは頭をかき、笑う。
そして、キッと眉を上げ「じゃあ、いくよ!!」と叫び、後ろを向いた。
ビルに食い込んだワゴン車の元に移動すると、中腰になり両手を掛ける。
「ふん!」とひと声。
めり込んだ壁を破壊しながらもワゴン車を持ち上げ、軽やかに振り返りアリサと対峙した。
表情には余裕があり、アリサも特に驚く様子はない。
ミウがそのまま大きく胸を反らすとブレザーのボタンがはじけ飛んだ。
「おぉ!? すげぇ!」
観衆がミウの挙動に再び盛り上がりはじめた。
大きく空いた胸元からは重量感のある胸が露わになる。
密着した白い水着のようなアンダーウェアを着けているため肌は見えないが、男どもをヒートアップさせるには充分であった。
「たあああぁぁあ!」
2、3歩の助走をつけてブンと腕を振り下ろすと、ワゴン車は小石のように投げ飛ばされた。
だが、アリサは動じない。
「攻撃が単調だわ、ミウ」
そういうとアリサは両の腕に力を込め身体を大きくひねり、両手を組み力を蓄える。
重量差のあるワゴン車を正面から受け止めたら、小さな身体は吹き飛ばされてしまう。
この場合は、力のベクトルを変えるのが最適解なのだ。
タイミングを合わせ、「ふん!」と拳を叩きつけると、グシャっと大きな音を立てて車体は歪み、アリサの斜め後方にコースを変える。
彼女に襲いかかるように視界を塞いでいたワゴン車が易々と排除されたその時、その影からミウが現れた。
吹き飛ぶワゴン車の影に隠れ、アリサに接近したのだ。
「しまったっ!」
アリサに初めて焦りの表情が浮かぶ。
が、全身の力を込めた大きなモーションは今更止まらない。
隙だらけとなった背中をガードする術はない。
ミウの回し蹴りがヒットすると、アリサは真横のビルに向かって勢いよく叩きつけられた。
一瞬の間をおいてワゴン車が隣のビルに激突する。
そして、その車体がこれまでの衝撃に耐えきれず爆発を起こした。
アリサが爆煙と炎に巻き込まれ、観衆の視界から消えた。
が、次の瞬間、爆煙の中からひと抱えもあるコンクリート片が飛んできた。
「アリサもワンパターンだよ」
ミウは回し蹴りのポーズから流れるように、パンチを繰り出しコンクリート片を粉々に破壊する。
と、同時に後方にジャンプし接近して来るであろうアリサの攻撃に備える。
「いない!?」
虚を突かれたミウは、左右を見回す。
「上よ」
アリサは、コンクリート片を利用して空中にジャンプして接近していたのだ。
水平方向のみに注意を払っていたミウは、完全に裏をかかれた形だ。
アリサは、上空でミウの肩を掴み、そのまま着地してぶん投げる。
地面に叩きつけられ、大きく弾んだミウに接近し、落下するミウの身体を真上に蹴り上げた。
ピンっと天に伸ばした足が美しい。
何とか空中で姿勢を立て直そうとするミウ。
下を見るとアリサの顔がグンと近づいてくる。
アリサがミウを追ってジャンプしてきたのだ。
「くっ!」
拳を握り、迎撃体勢に入るミウ。
平行するふたりの身体が同じ高さになった瞬間、同時にパンチを繰り出した。
ゴン! ズズーン!!
ふたりの身体は、それぞれ真横に吹っ飛び、受け止めたビルが大きくえぐられる。
その衝撃に街全体が揺れた。
2箇所に沸き立つ粉塵の中、水平に走り出す影があった。
ふたりの少女は壁を駆け上がっているのだ。
その跡にはふたりの足跡が延々と続く。
強靱な脚力でビルに足を食い込ませ、そこをフックにして駆け上がっているのだ。
ふたりの身体はビルにくっつきそうな位に前傾しているので、駆けるというよりも壁面スレスレを飛ぶと言う方が近かった。
タイミングを合わせるように互いに飛び上がると、ゆったりとした2つの放物線が宙に描かれる。
そしてそれがある一点で激突すると、互いが弾かれるように逆方向に飛ぶ。
小さな身体に見合わない圧倒的なパワーで拳をぶつけ合っているのだ。
衝撃で街が揺れる。
今度は、ふたりとも空中で一回転して勢いを殺し、ビルの壁面に綺麗に着地する。
そして、そのまま再びジャンプ。
一直線に飛ぶふたりは、その中点で拳をぶつけ互いの身体を吹き飛ばす。
上に、右に、左に、下に、地面を蹴り、ビルを駆ける。
まるで狭い空間にスーパーボールを投げつけたようにふたりの身体は縦横無尽に跳び回る。
彼女たちは飛行能力を持たない。
自身が持つ圧倒的なパワーと、高度な運動能力、驚異的な動体視力などがこれを可能にしているのだ。
その闘いに街が悲鳴を上げ始める、
観衆と化した人々は、未体験の立体バトルに驚喜した。
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
おおよそ普通の街では聞くことができない破壊音が鳴り響く。
次第にテンポを上げていくそのリズムと共に、ふたりの闘っているエリアには無傷のビルがなくなっていった。
ズズーン。
ひとつのビルがダメージに耐えきれなくなり、大きく傾きはじめた。
しかし備え付けられているはずのスクリーンは位置を変えることなくふたりの闘いを流し続けていた。
ふたりの闘いが続く中、フタバを中心とした数人によって観衆の誘導が始まっていた。
「みなさーん、このエリアはそろそろ危険ですぅ。移動してくださぁい」
観衆が移動したことをフタバが確認すると、街の片隅にいる10歳くらいに見えるメガネを掛けた少年に大きく手を振り合図を送る。
その姿を確認すると、メガネの少年は周りに聞こえないような声でつぶやく。
「OK。次のフェーズに移ってくれ」
すると、空中戦を行っていたミウとアリサがコクリと頷く。
トンと着地すると道路の中央に走り寄り、両手をガップリと組み合い力比べが始まった。
その様子を確認すると、メガネの少年はフタバに合図を送りつつ小声でつぶやく。
「こっちはそろそろ危険だ。フタバも早く待避してくれ!」
「OK!」
フタバとメガネの少年は、移動する人々の最後尾についた。
ミウとアリサが桁外れのパワーを競い合うこのエリアからは人が消えた。
しかし、たったひとりだけその場に潜む者がいたことに誰も気づいていなかった。
比較的に破壊の度合いが少ないエリアではあったが、それでも周りはふたりの闘いによって作られた瓦礫だらけであった。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅ……」
「ふぬぅぅぅぅぅ…・…」
ふたりの桁外れのパワーによる力比べは、動きはないものの見る者の眼を離さなかった。
それほど、異様だったのだ。
小刻みに震えるふたりの身体。
そしてその震えが地面に伝わり始める。
チリチリチリ……と細かな音が聞こえたかと思うと、彼女たちの足下がかすかに曇り始める。
そして、一気に足下から細かな粉塵が舞い上がる。
……ト、ト、ト、ト、ト、ト、ト、ト。
その音は静かに、しかし確実に大きくなっていった。
スクリーンを見つめる観衆が、ざわめき始まる。
「なあ、なんであいつらの足下から煙が出てるんだ?」
「それより、何か聞こえないか?」
「聞こえないわよ」
「シィ! ちょっと静かにっ!」
「…………」
コ……コ……コ、コ、コ、コ…………。
「ホントだ。何の音だ?」
「え? 分かんない」
「うそ! あの娘たちの足下見て!」
コン……コン……コン…、コン、コン、コン、コン……。
「あれ、まさか小石か?」
「そうだよ、小石が……踊ってる!」
彼女たちの足元で跳ねる小石は細かく移動を開始し、綺麗な同心円を描きはじめた。
コン、コン、コン、コン……。
小刻みなリズムと共に小石のダンスは続く。
「ううううぐぅぅぅ……」
「ああああぁぁぁ……」
ふたりの雄叫びと共に、小石のリングが一気に広がり、再び粉塵がぶわっと舞い上がる。
ビシィ。
加速するふたりのパワーに、ついにアスファルトが根を上げ、ひび割れが走った。
細かなヒビが発生したことによって力の伝達が弱くなり、粉塵と小石のダンスが一気に収まっていく。
しかし、ふたりの力比べは続いている。
「ぐぐぐぅ、ふんっ!」
「ううあああぁぁぁ」
しかし勝負の均衡も崩れつつあった。
余裕の表情のミウに、苦痛に顔が歪むアリサ。
次第にアリサが押されていく。
力比べはミウに分があるようだ。
足下の粉塵が収まる頃、アリサの足がガクガクと震え、膝がガクッと落ちる。
その瞬間、アリサは素早くミウの手を振り払い、懐に潜り込んで巴投げで投げ飛ばす。
投げ飛ばされたミウは難なく着地し、瞬時に体勢を立て直す。
アリサは二度、三度とバク転し、距離を取った。
互いの眼が合うと、ふたりは中央に向けてダッシュ。
一瞬で加速してスピードに乗ったパンチが同時に繰り出される。
ズドンッ!
ズズズズガガガ、ガ、ガ、ガ、ガ。
爆発のような音がしたかと思うと、水しぶきのように地面を吹き飛ばしながらふたりの身体は離れていく。
まるで、反発する磁石のように。
停止した時、二人の間にはまるで線路のような2本の溝が出来ていた。
摩擦によって発生した煙が納まらないうちに、ふたりはまた中央に駆け出し、そして拳をぶつけ合う。
時にビルに激突し、時に道路を砕く。
異次元の闘いを目の当たりにした人々は、再び歓喜の声を上げはじめ、それはもう地響きのようであった。
もはや、祭りのような騒ぎである。
ビルの窓が細かく震え、ひび割れたビルの壁がパラパラと崩れていることに誰も気づいていなかった。
ミウとアリサの地上戦は、想定外の高速バトルとなった。
ふたりの強靱な脚力によって地面を蹴るたびにグングンと速度が上がっていく。
飛行能力を持たないふたりは空中で加速する術を持たないため、一般的なイメージとは逆の現象が起きているのだ。
加速して、大きく回り込む。
足を止め、煙を上げながら地面を滑る。
時にビルへの激突を繰り返しながら、ふたりの闘いはヒートアップしていく。
激しい移動と豪腕のぶつかり合いは、見る者を興奮させた。
ビルに設置されたスクリーンが、ふたりの動きを確実にフォローしているのも一役買っていた。
ドゴーン。
拳がぶつかり合い、ふたりの身体が互いに真後ろに吹き飛ばされる。
ミウの身体はビルに激突し勢いが止まるが、後ろ盾のないアリサの移動は止まらない。
「よぉーっし、いっくよー!」
ミウが前方に猛ダッシュ!
大きな曲線を描きながらアリサの横に入ろうとする。
勢いの衰えたアリサは、そのまま後ろにジャンプしながら移動しようとする。
「しまった!」
散らばった瓦礫の上に着地してしまい、アリサはバランスを崩す。
そのまま横からミウが回し蹴りを放つ。
「ば、馬鹿! まだ早い」
アリサは肘を構え、衝撃に備える。
「え?」
ミウの勢いは止まらない。
キックをもろに食らってしまい、アリサは身体を吹き飛ばされる。
「あ、やばっ!」
ミウの表情が固まる。
勢いよく吹っ飛んだアリサは本日最大級の轟音を立ててビルの壁を崩し、その衝撃はビル全体を大きく揺らす。
ミシミシミシ……。
道路の中央に立ちアリサの行方を追っていたミウに巨大な影が迫る。
ビルがついにその衝撃に耐えきれずに傾き始めたのだ。
「アリサっ!」
救出のためにミウは崩壊するビルに慌てて駆け出そうとする、その時。
「うわぁぁぁっっ!」
背後からする声にミウは足を止め振り返る。
そこには見知らぬ少年がいた。
「何でこんな所に! 誘導からはぐれたの?」
少年は恐怖で立ちすくみ、手で頭を守るように抱えていた。
五角形のマークが付いた手のひらをビルを押し返すように広げていたが、当然無力である。
「ミウ! その子の所に行って! こっちは自分で何とかするから!!」
判断に迷うミウを、アリサの声が後押しする。
言葉の終わりを待つことなく、ミウは少年の元に向かう。
ミウの後ろからビルの影は一気に伸びてくる。
時間はもうない!
わずかに見えていたアリサの姿は完全に崩れ落ちる粉塵によって覆い隠された。
ミウの行く先を倒壊するビルの影が先行する。
「くっ!」
加速して、ついに影を追い越し少年の元に達した。
素早く彼を抱き上げ、そのまま正面のビルの壁面を駆け上がる。
倒壊するビルの方が高いと判断したミウは勢いを殺さずタンと壁面を蹴る。
空中で半回転し、倒壊するビルの壁面に着地し、そのまま斜め上に駆け出す。
走る! 走る! 走る!
グングンと加速していくミウ。
「ひいぃぃぃぃっ!」
少年の眼下から地面がグングンと遠ざかっていく。
ビル倒壊のスピードは上がっていく。
少年を抱えたままビルを駆けるミウは、まるで斜めに発射されたロケットのようだった。
ミウは、少年の頭をかばうように右手を添える。
「まずいな。保つかどうか、ギリギリかな?」
ゴゴゴゴ……。
ビルの倒壊が進み、上下がほぼ逆さまになる。
もう、少しでも足を踏み外すと勢いが落ちてしまう。
窓を踏み抜かないように慎重に、それでいて最大限の加速をするのは想像以上に大変な仕事だ。
もはや逆さまになっている錯覚を覚えるほどビルは傾いている。
「後で、こーちゃんに怒られそうだな」
苦笑いしながらもミウはスピードをさらに上げると、壁面の終わりが見えてきた。
「もう少しスピードが欲しかったけど……ええい! いくっきゃないでしょ!!」
ビルの端に達した瞬間、フルパワーでジャンプ!
これまでビルに囲まれていたミウたちの視界は一気に広がった。
上も、下も、右も、左も、何もない。
後ろではビルが倒壊したものすごい轟音が響き渡る。
ミウと少年は空中に巨大な放物線を描き、その場を離れていく。
「もう、大丈夫だから」
そう言うとミウは少年を守るように胸に抱きしめた。
彼女の胸の予想以上のボリュームにほほを赤らめる少年。
思いのほか対空時間は長かった。
しかし、まだ問題は解決していない。
彼女たちは、ビルの屋上から加速を付けて飛び出したのだ。
この少年を抱えながら着地しなければならない。
超高速で飛んでいく風景は、来るべきショックの前奏である。
やがて高度が下がっていき、垣間見える風景も様変わりしてきた。
「そろそろ着地するから、しっかり捕まってて。大丈夫だから」
ミウは少年を守るようにさらにぎゅっと抱きしめ、彼への衝撃が少なくなるように自分の背中を地面に向けた。
「くるよ!」
ミウの背中が地面に触れ、着地の瞬間、ミウの視界がゆがんだ。
ドン、ガッ、ガガガガガガ、ズザァァァー。
丸めた背中から着地したが、その勢いは弱まらず、数回バウンドしてようやっと停止した。
「おい……」
「動かねぇぞ」
眼の前に飛んできたふたりが全く動かないことにざわめく人々。
その人垣をかき分けるようにひとりの少年が飛び出す。
「おい! ミウ! 大丈夫か!」
「ごめん、こーちゃん……。バッテリーが切れそう」
「よし! 待ってろ!」
こーちゃんと呼ばれたメガネの少年はミウの横に膝をつき、ポケットからチューブ型のドリンクを取り出す。
彼は、フタバと共に誘導を行っていた少年であった。
彼は小さな身体でミウの上半身を起こし、チューブ型のドリンクを咥えさせる。
その時、ミウが救出した少年の右手が彼女の胸にあることに気付き、ややムッとしながら手を払いのける。
ふたりの少年の見た目は、ミウよりも年下で同じくらいに見える。
外見と中身が必ずしも一致しないことは、意外によくあることだ。
「助かった。ギリギリだったかも」
ミウがメガネの少年に話しかける。
「やっぱりバッテリー消費が激しかったか」
「パワー上げた時の消費が激しすぎるみたい」
「でも、トラブルによく対応してくれたよ。よくやったな、ミウ」
まるで年上のように少年が彼女の髪をなでながら言う。
「もう、大丈夫」
ミウは微笑むと身体を起こし、救出した少年の頭を膝の上に乗せた。
「パージしてるみたい。ノーマルのドールだと厳しかったかな?」
「いや、こいつカスタマイズしてるみたいだぞ。でも、正直出来はイマイチだな」
「こーちゃんは厳しいなぁ」
苦笑いするミウ。
対するメガネの少年はやや納得がいかない、といった表情をしている。
「おー、おー、ホントにすげぇな、ミウは」
メガネの少年がミウの元に来たことを合図に、わらわらと人が集まってきた。
「へへ。ちょっと怖かったかな。でも、面白かった」
ミウも親しげに人々に返事をする。
「ああ、俺たちも面白いモノ見せてもらったよ。お前もよくやったよ、ハム公」
別の青年が、ハム公と呼ばれたメガネの少年の頭をくしゃくしゃにする。
「ねぇ、ハムちゃん。ミウは大丈夫みたいだけど、アリサの方は良いの?」
遠目に見えるビル倒壊現場は、土煙が収まりつつあった。
「んー、大丈夫だろ、あいつなら。念のため、見に行ってみるわ」
そう言うと少年はスクッと立ち上がった。
「もし何かあったらチャット入れるから手伝いに来てくれ、ミウ」
「ん、分かった。気を付けてね、こーちゃん」
少年は手を振りながら走り始めた。
観衆であった人々は、すでにバラバラに散って思い思いの行動をとっていた。
ある者は飛び散った巨大なコンクリート片を持ち上げようと試み、ある者は深く刻まれたアスファルトの溝に驚いたりと、眼の前で繰り広げられた闘いの凄まじさを実感していた。
人混みを縫うように走り続ける少年は、ようやっと倒壊したビルにたどり着いた。
ここは粉塵が舞っているためか、まだ人が集まっていない。
目の前にある、普段は触ることのできないビルの壁面に触れてみた。
「うーん、ここまでいくとは。流石に計算外だな」
「全くだわ」
声の方を見ると何事もなかったかのように、アリサが倒壊したビルの壁に座っている。
「余裕だな」
「何よ、ちょっとは心配くらいしなさいよ。さすがに死ぬかと思ったわ」
体調よりも土煙の方が気になるようで、一生懸命に身体中を叩いていた。
「お前なら大丈夫だろ?」
少年は笑いながら、やや顔を上げて話しはじめる。
「聞いたかミウ? アリサは問題ない」
少年の呼びかけに、その場にいないミウの声だけが割り込む。音声チャットだ。
「アリサごめんね。私がミスったみたい」
「無事だったから良いわよ。それより、あの子は?」
「大丈夫。気がついたら、逃げるようにどっか行っちゃった」
「多少のハプニングはあるとは思ってたけど……、一番いて欲しくない場所にいたわね、あの子」
「すまん、俺たちの誘導ミスだ」
その言葉を聞くと、アリサはピョンと飛び降り、少年の側に来た。
「それより、終了のアナウンス出さないと。もう、バトルは無理でしょう」
「そうだな。フタバ、聞いてるだろ? パーティ・イズ・オーヴァだ。終了のアナウンスを流してくれ」
「了解、ハムハムぅ」
「じゃあ、チャットを切るぞ」
「OK! こーちゃん」
「了解ぃ」
少年はチャットを切ると、表情が一変する。
その場にあった大きめの瓦礫に、力なく座り込む。
「あいつ、大丈夫かな?」
アリサは少年の肩に手を置き、応える。
「大丈夫よ。あの娘は、もう立ち直ってるわよ。半年以上もアタシは彼女を見守っているんだもの」
自信ありげに言うアリサに、少年は半ば呆れながら返す。
「……俺の方が付き合い、長いのにな」
「あのワゴン車のイベントだって、あの娘が言い出したことだもの」
「……そうか、そうだったな」
「……大丈夫、大丈夫よ」
そう言うアリサも拳を握りしめていた。
そして、ふたりの間に沈黙が訪れた。
だいぶ粉塵は治まり、ここにも人が集まり始めていた。
「やあ、やあ、ハムさん!」
少年は今度はハムさんと呼ばれた。
「あ、どうも。テンさん。来てくださったんですか?」
「そういえばフタバさんは?」
「ああ、あいつには運営を手伝ってもらってますよ」
「そっか、残念だなぁ」
親しげに返す少年を、アリサが肘で突きながら小声で問いかける。
「誰?」
「<ヘヴン>のオーナーだよ」と小声で返す少年。
それを聞くとアリサは「あら、どうも」とごく当たり前のように愛想笑いなった。
テンはさわやかに笑いながらも、やや白々しく答える。
「そりゃ、<楽園>さんの一大イベントですからね。来ない訳がないじゃないですか。
それに、やっぱりすごいですよ。このバーチャル・ジオラマ。リアルにできてるのに、ちゃんと破壊しやすい場所が設定されている。このビルもそのつもりで設計されたんでしょ?」
テンは倒壊したビルをまじまじと見つめている。
「さすが、テンさん。分かりますか?」
「いやぁ、ホント凄いですわ。外見からは全然分かりませんけどなぁ。
頑丈なビルと壊しやすいビルが違和感なく並んでいる。
恐らく、このビルだけは最初から道側に倒すつもりだったんじゃありませんか? 倒れるタイミングは違ったようですが」
「バレましたか。最後のクライマックスで使う予定を手順間違えちゃいましてね」
「はっはっは。いや、そうだったんですか」
「はっはっは。そうだったんですよ」
「いやぁ、凄いですわ。
あ、そうそう。アリサさん、ちょっと失礼します」
そう言うとテンは突然アリサの元にしゃがみ込み、彼女の足に触りはじめた。
「きゃっ! いきなり何すんのっ」と言いながら足を引っ込めようとするアリサだが、テンは動じない。
彼女が足を上げた瞬間に素早く足の底に手を入れる。
なまじパワー差がある場合、かえって対応は難しい。
あまり面識がないとはいえ、少年の友人にダメージを与える訳にもいかず、ただ凍り付くアリサ。
しかしテンはこれ幸いと言わんばかりに、彼女の足を調べまくる。
「ほほう、やはり、やはり。やりますなぁ、ハムさん」
「な、な、な、何を……」
テンはアリサの足の裏に手を付けたり離したりした後、足をなで回し、コンクリート片を拾い上げ足の裏に付けたり離し、また足をなで回した。
少年はその様子をニヤニヤしながら眺めつつ「いやいや、分かりますか、テンさん」と、理解者を得た喜びに溢れた表情で返した。
「分かりますとも。セルを埋め込んでるんですな。セルにはお互いを引きつける力が発生する。
恐らく、彼女のたちの靴が乗った時だけ引き合うようにプログラミングされているんでしょう?」
「おお! 流石テンさん、分かってらっしゃる」
「いやいや、何の。面白いアイディアですなぁ。スピリッツを動かすためのセルを、こういった形で使われるとは。でも、これでは彼女たちが壁面を走るほどの力は得られないのでは?」
「いやいや、そこまでお気づきになるとは。
こいつら、パワーとスピードとテクニックは異常にあるんで、多少補助する程度で壁なんか走れちまうんですよ。俺らがこれ使っても、とてもとてもあんなことできませんがね」
「なるほど。高度なスピリッツと高度なバーチャル・ジオラマ、そして優秀なドライバー、これらが全てが揃っているからこんなイベントができるって訳ですな。いやいや、流石ですわ、ハムさん」
「いやいや、そんなことはありませんわ、テンさん」
「あのー、そろそろお手を離していただけませんこと?」
話ながらも足をなで回しことを止めないテンに、半分キレそうになるアリサ。
しかし、テンは全く気にとめる様子もない。
「いやいや、こんな綺麗なお嬢さんのおみ足を拝見できる機会はそうそうありませんからなぁ」
ブチッ。アリサの中で何かが切れる音がした。
「あ、やばっ……」
少年が止める間もなく、アリサはテンの首根っこを掴んで倒壊したビルの方に放り投げた。
「あーれー」と緊迫感のない声をあげながらも、膝を抱えくるりと一回転し、ビルの上に両手を広げ見事に着地してみせた。
「……なっ、タダモノじゃないわね」
予想外にタフな反応に驚きの表情を見せるアリサ。
「ではでは、もうちょっと勉強させてもらいますわ。失敬っ!」と言うと、テンは嬉しそうにアリサが開けた大穴の中に飛び込んでいった。
アリサは嵐が過ぎ去った後、じっと少年の顔を見つめ、ため息をついた。
「な、なんだよ……」
「似たもの同士というか、変人同士というか……」
「だろ? あいつはライバルみたいなものだからな。知ってるか<ヘヴン>って。あいつがオーナーなんだぜ」
アリサは意外そうな顔をして「え? 最近、急成長している所よね」。
「そうだ。明らかに俺たちの<楽園>をモデルにしているが、俺は何にも教えていないんだぜ」
「なるほど。さっきのセルの件も……。ふざけたヤツだけど、洞察力の高さは凄いわね」
「ああ、将来が楽しみだぜ。でも、俺は負けないけどな」
「違うでしょ?」
「ん?」
「アタシたち3人、チームでしょ?」
「だな、すまん」
素直に頭を下げる少年に、アリサはニコリと笑って「よろしい!」と胸を張る。
ふと気づくとテンだけでなく、かなりの人たちがこの辺に集まっていた。
「じゃあ、3人目の所に戻ろうか?」
少年は。すくっと立って言った。
「背中乗ってく?」
「いや、恥ずかしいからいい」
「そっちの方が速いのに」
「いや、むしろゆっくり歩きたいんだよ」
少年が二本の指でフレームを作ると、その中にスクリーンがあらわれた。
カシャっと音がすると眼の前の風景が写真として切り取られる。
喜びに満ちた顔というのは、見ている人をも幸せにするらしい。
少年も、アリサもその写真を見て頬が緩むのであった。
「なるほど、そっちの方が良いかもね」
アリサはすれ違う人たちとハイタッチしながら歩きはじめた。
ふたりが歩きはじめるのを待っていたかのようにアナウンスが響く。
『本日は<楽園>主催のスペシャルイベントにお越しいただき、誠にありがとうございます。
ここ、<バトル・シティ>は、最新技術を駆使したバーチャル・ジオラマです』
「あら、このアナウンスはフタバ? あの娘、普通にしゃべれるんじゃないの」
「あいつら、普段猫かぶってるからな」
答えながらも写真を撮ることを止めない彼を、アリサは少々呆れながら見ていた。
『この世界の住人である“スピリッツ”である皆様にとっては、まさにそこに存在する街であるように感じられたはずです。
そして、特撮映画さながらの迫力あるシーン。
これまでは見ているだけだったこれらのシーンに、これからは自らが参加することが可能となります。
つまり、失われた遺跡の中の冒険も、闘うヒーローになることも夢ではありません。
バーチャル・スピリッツのシステムを活用し、安価に、手軽に仮想都市の構築が可能となりました。
本物と見間違うリアルな風景、そして迫力ある破壊シーンは企業様のプロモーションや映画の撮影にも充分に耐えられるクオリティであったと自負しております』
「ホントはさ、大怪獣作って暴れさせたかったんだよな。流石に今のバーチャル・スピリッツのシステムでは無理があって」
真顔になってアリサに話しかける少年。
「女子高生が暴れるってのも今風でいいんじゃないの?」
単に口を合わせているだけのアリサの言葉に熱く答える少年。
「ははは、それはそれで。でも、いつかは大怪獣なのだ!」
「男の子って巨大ロボットの方が好きなんじゃないの?」
「あんなもん。だいたいあんなに巨大で関節とかあって、単純な構造のビルより頑丈とかありえん!」
「……そうね」
アリサは自分の破壊してきたビル群を見ながら“突っ込んだら負け”という言葉を噛み締めていた。
「それに巨大ロボットはいつか誰かが造るだろうけど、大怪獣はバーチャルな世界でしか存在を許されそうにないしな」
『今回のバーチャルジオラマは、<楽園>のオーナーであるハムハ……失礼、ハムイチ氏によるものです。細部まで作り込まれたジオラマを是非、ご堪能ください』
「へー、アンタのスピリッツ名ってハムイチって言うんだ、公一」
その言葉を聞くと、写真を撮る手を止めてアリサの方を向いた。
やっと相手をしてくれたので、アリサの表情が緩んだ。
「おいおい、アリサは知ってるだろうが。というか、誰もその名前で呼んでくれないんだよなぁ」
「みたいね。ハムイチって名前が出たとき、みんなの頭に?マークが表示されて動きが止まったわよ」
「んなことあるかい!
それより見てくれよ。みんな良い表情してるんだぜ。イベントを開催した甲斐があるってモンだ」
ハムイチはそう言うと、手のひらを広げ撮影した写真を宙にずらりと並べてみせた。
そこにはすれ違う人びとの興奮した表情で溢れていた。つまりハムイチの夢を、受け入れてくれた“仲間”だ。少々機嫌を損ねていたアリサも、彼らの喜ぶ顔と嬉しそうな仕掛け人ハムイチを見ていると、否定する理由が見当たらなかった。
『今回のもうひとつの目玉。
我々、<楽園>が誇るハイパー・スピリッツ、アリサとミウによる模擬戦闘はいかがでしたでしょうか?
彼女たちはノーマルのスピリッツと比較して数十倍の能力を持つ新世代スピリッツ。
その秘密は、スピリッツに組み込まれた無数のセル。
このセルがお互いに引きつけあう力によってスピリッツは動作しますが、彼女たちのセルには最新のコードが採用されています。このコードの違いが圧倒的なパワーを生み出しているのです。
彼女たちは高々と舞い上がり、軽々とビルの壁を打ち砕きました。
ぜひ、皆さんもビルの壁を破壊できるか、挑戦してみてください』
「せーのっ!」
アリサの眼の前にいる3人組がアナウンスを聞いて自分たちの身体ほどもあるコンクリート片を持ち上げようとしたがビクともしない。
「やっぱりダメだなぁ」
「無理っしょ、やっぱ」
「こんなん、10人くらいは必要だわ」
アリサは愚痴る彼らの横に移動すると、彼らの持ち上げようとしたモノよりも二回りほど大きなコンクリート片を片手で持ち上げて見せた。
「すげ!」
「俺たちのヤツよりもでかいぞ」
「うーん、コードの違いってそんなにパワーに差が出るんだぁ」
『ノーマルの皆さまが搭載しているコードは第1世代としますと、先日までのミウが第2世代のコードを、アリサはその改良型である第2.5世代のコードを搭載しております。
そして、本日デビューいたしました新型のミウは、専用に開発された第3世代コードを搭載しております。外見は第2世代搭載型と変わりませんが、その性能は新世代と呼ぶに相応しいものとなっております。アリサ、およびミウはそれぞれ1体しか存在しない高性能カスタム・スピリッツです』
3人組はアナウンスの解説を一生懸命に聞いていた。
「質問、いいっすか? アリサさん。
アリサさんたちのコードを俺たちに書き込んだら、俺たちもあんなことできるんですか?」
「スピリッツの性能はボディであるドールの出来と、コードの質によって決まるわ。
アタシのコードを書き込めば、アンタたちも相当なパワーアップするはずよ。互換性は取ってるからね。
でも、ドールがチューニングされていないから、アタシほどのパワーは出ないと思うけどね」
突然の質問にアリサはやや照れながら回答する。コンクリート片を降ろすタイミングを見失ったなと思いつつも。
「僕たちの方が身体は大きいのに?」
「ええ、ドールの物理的な出来映えに依存するから、アンタたち位の体格差なら問題ないはずよ。プロレスラーくらいの身体してれば別だけど」
アリサの回答に興味が沸いたのか、3人組のひとりが笑いながら言う。
「じゃあ、試しにコピーさせてくださいよ」
その言葉を聞いた途端、アリサの眉がつり上がり、手にしていた巨大コンクリート片を落とした。
ズーン。
「冗談じゃないわ!」
態度の豹変に、3人組は凍り付く。
「お……おい」
慌ててハムイチが取りなそうとするが、アリサは意に介しない。
「アンタたちねぇ、このコードを開発するのにどれだけ苦労していると思ってるの?
簡単に成果だけを寄こせなんて考えが甘い、甘すぎるわ!」
今にも噛み付かんばかりの勢いでまくし立てるアリサを、ハムイチが慌てて取りなす。
「おい、アリサ! いい加減にしろ」
そして、3人組の方を向いて頭を下げる。
「すまん、気を悪くしないでくれ。こいつも悪気があって言った訳ではないんでな」
アリサはプイと横を向いたままだ。
空気が重くなったこともあるので、ハムイチはアリサを彼らから引き離そうと考えた。
「じゃあ、俺たち行くわ。すまなかったな」
アリサの背中を押して歩きだしたところで声を掛けられる。
「あのう……」
舌打ちしながらハムイチは足を止めた。
「こちらこそ、すみません。僕らが無神経だったと思います」
ひとりが頭を下げると、他のふたりも後を追って頭を下げた。
「……いえ。ごめんなさい。アタシが言い過ぎた。
でもね、アンタたちが思うより、コードを狙う連中って多いのよ。理不尽な方法で奪おうとするヤツも多いし、売ってくれって話も毎日のように来るわ」
「あ、じゃあ、さっきの僕のセリフも……」
「ええ、そいつらの仲間だと思った。申し訳ないけど、アンタたちに悪気があるかどうかを確かめても意味ないし。でも、アンタたちにとっては理不尽よね。悪かったわ」
「いえ、理由を聞けば納得しました。最後にひとつ、聞いてもいいですか?」
アリサが淡々と「どうぞ」と応えると、やや緊張した面持ちで彼は聞いた。
「僕たちにもアリサさんみたいなコードって書けますか?」
その言葉にアリサは驚いた表情を浮かべるが、すぐ真顔に戻った。
残りのふたりも「お、おい。無理に決まってるだろ」と小声で呟く。
アリサは一拍おいてから言葉を発した。
「アタシだって素人だったわ。とにかく一歩を踏み出してみなさい。結果なんか見えなくて良い。そんな物は後から見つかるものよ。
そうね……、まずは神保先生の本を読む所あたりからをお勧めするわ」
そして、そそくさとその場を後にした。
ハムイチは慌てて彼女を追いかけた。
「おい、あの態度はないだろう?」
「……ホントにそうよね。冗談として軽く受け流すべきなのよね。彼らもそれを期待していたんだろうし」
「まぁ、お前の気持ちも分からなくはないけどな。あいつらも、少しは興味を持ってくれると良いんだけど」
「期待するだけ無駄でしょう」
「きっついなぁ、お前」
ハムイチの言葉に、アリサは足を止め振り向き訴える。
「期待はしてるのよ、本当に。でも、面白半分で言われても迷惑だわ。
アタシって、ついつい本気で対応しちゃうから。その度に悲しい思いをしてきた。たぶん今度も同じ」
一気にまくし立てるように言うと、ミウに向かって歩き始めた。
ハムイチには何も言えなかった。
しばらく歩くと、遠くにミウの姿が見えてきた。
数人の仲間たちと談笑しつつ、彼女の水平に伸ばした右腕に数人の女の子がぶら下がって遊ばせていた。
「なーに、やってんのよ、ミウ?」
「あ、アリサ、こーちゃん、お疲れ~。みんなに色々と感想聞いてた。なかなか好評みたいだよ」
ミウの言葉を口火に、皆が次々と感想がのべ始める。
「うんうん、面白かったぞ」
「ちょっと動きが速すぎて、眼で追うのが辛かったけどな」
「実際には体験できないリアルな体験って面白いね!」
「楽園テレビの中継もあったけど、スクリーンが上だったから首が疲れちゃった」
おおむね好評のようだったが、それでも色々な意見があるものだとアリサは感心した。
その内のひとりが、想い出したようにミウに言う。
「そうそう。ミウを襲ったあの大男、あれって台本?」
「ん? 違うよ。このイベントにノーマルの人は巻き込まないよ」
「やっぱ、そうか。<楽園>では見かけない顔だったから、不思議だったんだよね。じゃあ、あの棒術はアドリブか」
「うん。何かやらないとマズイと思って。やっぱアリサみたいにいかないや」
「そうそう、アリサと棒術対決するかと思ったらやらないんだもの。ちょっとがっかり」
「いつか機会があったらお披露目するわよ」とアリサが笑って言う。
たわいもない話をしていると、場内アナウンスが流れた。
『まもなく、イベントは終了とさせていただきます。
準備ができ次第、皆さまを順次強制ログアウトさせていただきます。
ログアウトの順番が来ましたら、目の前に30秒のカウントダウンタイマーが表示されますので、お別れの挨拶などは終了前にお済ませください』
「時間もないし、俺たちはあちこち回ってくるわ」
談笑していた仲間たちは、あっという間に去っていった。
結果、この場にいるのはミウ、アリサ、ハムイチの3人だけとなった。
ハムイチがこの場を撮影し始めると、早くも強制ログアウトが始まったようだ。
街のあちこちでログアウト光が現れ、そしてこの世界から旅立っていく。
遠くで手を振りながら走ってくる女の子がいた。
「ミウさーん、楽しかった! またねー!」
ミウにぶら下がっていたソバージュの娘だ。カウントダウンタイマーがあっという間に0となり、光に包まれて、消えていった。
消えた彼女に向かって手を振りながら「なんだか寂しいね」とミウは言った。
周りでも、次々と姿が消えていく様子が見られる。
みな、バーチャル世界からリアルに戻っていくのだ。
今、ここに集まっているけれど、本当の身体は日本各地のスピリッツ・ステーションに散らばっている。
やがて人々の姿が消え、この世界はミウ、アリサ、ハムイチの3人だけになった。
さっきまでの活気が嘘のようだ。3人は言葉もなく、ただ街を見つめていた。
やがてミウがぽつりと呟いた。
「もう、ここへは来ないのかな?」
「ああ、もうこの街は役目を果たしたからな」
「……なんだか寂しいね」
崩れた壁、深く道路に刻まれた溝、乱暴に投げ捨てた鉄パイプ。
なんだか全てが懐かしく思えてくる。
『ハムハムたちが最後なんだけど、そろそろログアウトしてもいいぃ?』
街にフタバの声が響く。
「オーケー。頼むよ、フタバ」
「はーい」
3人の頭上にカウントダウンタイマーが表示された。
「あ、そうそう。忘れないうちに言っておくわ、公一。
冒頭のアタシのあのセリフ、何よ。台本通り読んだら、あれじゃアタシは悪役じゃないの」
「え? あれ、俺じゃないぞ。あまりにノリノリだったから、お前のアドリブかと思った」
「ば、馬鹿! じゃあ誰が……って、眼をそらすんじゃないわよ、ミウ!」
「え、な、な、何の事かな?」
「とぼけるんじゃないわよ。そうね、確かにあのセンスのないセリフはアンタに違いないわ」
「なーに言ってんだか。ノリノリだったじゃない。『ここがアンタとアタシの闘いの場所よ』、とかさ」
「うるさい! うるさい!! うるさ……」
口論の最中、カウントダウンタイマーが0になると3人の姿が光に包まれた。
これで、完全に<バトル・シティ>から人の姿が消えたのだ。
破壊されるために産まれたこの街は役目を終え、深い眠りについた。
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