1年目 「白いワンピース姿の女」

1年目 「白いワンピース姿の女」 


 弘が失踪してから一年が経った。妻の純子はターミナル駅通りを歩きながら大きくため息をついた。失踪当日の朝、純子が目覚めると弘は何も話さず家を出た後だった。それまでは黙って家を出るような素振りは全くなく失踪する理由が思い当たらない。弘の退職後には二人で長期の海外旅行を楽しみにしていた。夫婦のたわいない会話が思い出される。


「どうせ旅するのならクルージングがいいわね」

「いいねー、ダイがいたら、俺も連れて行けと大騒ぎになるな」

「そうだわね、ダイがいる限り家を空けての旅行はできなかったわよね」

「あいつなら、旅に一緒に連れて行けとばかりに、裕介と砂浜で遊んだゴムボートを引っ張り出してくるな」


 そんな思いに耽っていると純子は突然アンパン食い逃げ事件を思い出した。キッチンで裕介のおやつのあんぱんをうっかりと床に落としてしまったのだ。このミスをダイが見逃すはずがない。どこから現れたのか、ダイは一瞬でパクッとあんぱんに噛みつき、そして、そのまま電光のように速く逃げ去った。純子は思わず、


「あっ!」


 と叫んだが、残されたアンパンは大きくコの字型に食われていた。それが、まるで漫画のようにあまりにも綺麗な口型の切り口だったので、純子は叱るどころか大笑いしてしまった。ダイがいた当時が懐かしい。彼の周りでは家族みんなの笑いが絶えなかった。


 楽しかった思い出とは裏腹に、弘の安否が非常に心配だった。しかし、もしかして、弘は元気に気ままに、一人で外洋の船旅に一足早く出かけたのだと勝手に想像して気を紛らわす純子だった。夫がいなくなった後、抜けた家族のピースを埋めるように、建築家として独立した一人息子の祐介を家に呼び戻し、純子はパート勤務を始め、家計を何とかやりくりしている。二人で捜し回ったが、弘の手掛かりは最後の一つとなった。会社で一緒に働いていたスタッフの紀子の証言だ。紀子が弘と最後に交わした会話が『ターミナル駅通りで目撃した白いワンピース姿の女性』だった。これでダメだったら捜すのはもう諦めようと思い、目を前方に向けると、


「えっ!」


純子は思わず驚きの声を上げた。


 遠く前方に見える太い支柱・・・それは歩道の真ん中にあり、上の立体歩道橋を支えている太い支柱だ。それを背に白いワンピース姿の若い女性が立っている。視線は前を向いているがうつろだ。不思議な事に大勢の通行人がこんなに目立つ女性には目もくれず、何事もなかったかのように、すーと彼女の前で右に左に二手に自然に分かれていく。誰も彼女の存在に気づいていないようだ。純子は鳥肌が立った。これからどんな事が起ころうとも、負けまいという思いでぎゅっと口を結び、足に力を入れ歩く速度を速めた。近づくにつれ、白いワンピース姿の女性が首から吊り下げている大きなボードの文字が徐々に読めてきた。


「あなたの夢 300円」


 この案内文字は純子の話と合致している。


 今、謎の女性の目の前に立ち、何と聞けば良いのか迷ってしまった。我に返り、慌ててバッグから弘の写真を取り出すと、


「あ、あのー、一年ほど前にこんな人見かけませんでした?」


 その写真は弘が渚公園の高台にあるベンチの横に立ち、弘が愛していたダイがベンチに飛び乗り、遊び疲れて休んでいる写真だ。うつむいていた女性の目線がゆっくりと写真に注がれた。


「・・・」

「あっ、いや、私の夫なんですが、もしかしたら、ここを通りかかったのかなと思いまして・・・」


 純子は必死の形相で訴えた。続けて、


「それ以来・・・、テーブルの上に童話の背表紙の切れ端を残して、どこかに行ってしまったんです。・・・それ以来帰って来ず・・・変なお話で申し訳ございませんね」


その時、うつろだった女性の目の焦点が定まったことを見てとれた。透き通るような声で、


「お待ちしていました」

「えっ?」


 純子は、彼女がなぜ私を待っていたのか理解できず、困惑のまま彼女を見つめた。

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