第22話 運命の糸は玉結び?

 地下鉄、京王線そして世田谷線と乗り継ぐ時間、私はずっと考え続けた。祥子の様子がおかしい。海老名に行かなくなった。携帯に全く注意を払わない。そして物思いにふけりがち。微笑みも消え、鼻歌を歌わなくなった。全てが凄く引っかかる。でも祥子はなにも言わない。言ってくれない!

 終点は三軒茶屋。警戒しながら考えるのは難しい。今日は東急を使わずにタクシーで帰ろう。

「二子玉川駅までお願いします」

 運転手さんに告げつつ周囲を見回す。タクシー待ちの列に割り込む男の姿は確認できない。よし、ここまでは大丈夫かな。

 祥子はマッシーと話をしたのか。相談中もしくは話す内容を考え続けているならば考え込んでも不思議は無い。でも携帯に気を配らないのは引っかかる。よく二人でメールしていたのに。減らしていた煙草も酒も以前に戻った。まさか子作りを諦めた? 二人でそう結論……いや。祥子は短絡的に行動するがある。

 大学入学前のあの事件。私がアメリカに行ったりしなければ。祥子を嵌めやがったあのクソ女。祥子の善良さを嘲笑い、二度目も仕組んだ屑! なにが元華族のお嬢様だ! 帰国後、噂で真相を知った私はあの女を絞り上げた。奴は欧州に逃げたまま戻らない。私は今もあの腐れ外道を許しちゃいない。

 祥子はまともな彼氏を探してやりなおすどころか、恋愛はしないと自分に誓った。短絡的且つ自罰的思考だと思ったけれど、同情と怖れが勝って私は黙り込んだ。真実を知ったらもっと悲しむと思った。祥子は奴を信じていたから。

 そして祥子は権威に弱い。

 私は高校で出会った可憐な彼女に目を見張った。バタ臭い私とは正反対の清楚な人。綺麗だと心から思った。周囲を引っかき回すのが楽しみな腹黒い私の真逆、優しい心の持ち主と知って圧倒された。その彼女が私に打ち解けてくれてどれほど嬉しかったか。でも彼女はそれを認めない。真逆の存在だと決めつけるのが謎だった。ある日彼女の呟きで真相を知った。不細工だと母親に言われるんだと。彼女は全くそれを疑っていなかった。理由を考え続けた私が達した結論。美人だった母親は、自分以上の美を咲かせはじめた祥子に嫉妬し、年老いていく自分を認められずに牽制し続けた。娘を可愛がる夫への嫉妬もあったかも。母親という権威に盲従する素直な性格が仇になった。母親の呪縛を解いたのは彼だ。

 先の検診結果もそれだな。医者は適当なことは言えない。ちょっと難しいかもしれないと思ったとき、「全然問題ありませんよ」と告げるか、はたまた「難しいかもしれない」というか。後でトラブらないためには保険を掛けた方がいい。スムーズに妊娠したら患者と一緒に喜べば済む。何かというと訴訟だネットでの風評被害だのが盛んな昨今、お医者様だって慎重になるだろう。でも祥子は素直に受け取ってしまった。権威は怖い。素直というのも場合によっては……おや。ニラ一束99円税別。安い! ニラ玉中華スープ作ろう。二束Get!

 食料品がどっさり入ったビニール袋を抱えて、またタクシーに乗った。今度は用賀の新居まで。よし、あいつはいない。本人に聞いてみるか。問題はどうやれば彼女が話しやすくなるかだ。毒入り誘い水だけはまずい……。


 夕食の準備が出来たテーブルは無人だ。祥子は仕事部屋にいた。開け放したドア越しにボールペンを走らせていた彼女が私に気付く。

「お帰りなさい。ご飯もお風呂の支度も出来てるよ」

「先ずは祥子を美味しく食べちゃうぞ。仕事より愛に生きよう!」

「うん、仕事と言えば仕事かな。現代文の植田先生憶えているよね」

 やっぱり変だ。笑顔も浮かべない。

「タヌキみたいな顔だけど声のいい先生だっけか。お、もしかして教職スカウト?」

「違うよ。演劇部の部長を連れてきた。植田先生が顧問なんだって」

 ああ、消極的逃亡を図っていた祥子を捕獲に出向いたか。許せ、我が友よ。

 哀しげに頭を振る彼女に罪の意識が強まった。

「電話が掛かってきたときから、厭な予感はしていたんだよ」

「私が悪かった! で、どんな話」

「案の定、演劇ベースの小説の依頼。ジャンルも任されたからやりにくいったら」

「惹かれ合う男女のすれ違いが引き起こす気高くもアホな愛の物語とかは?」

 祥子の顔から一切の表情が失せた。あれ?

「……そういうの、書きたくない」

 祥子の得意分野なのに。やっぱり何かあったな。

「お腹減っちゃった。私からも報告があるんだ」

 やっと祥子の目に光が点った。絶対おかしい。

 先ずはビールで、とやりつつ馬鹿男の結末を報告した。

「接近禁止って裁判所命令でなくても、示談書で有効なんだって。で、慰謝料についても決まったよ」

 金額を聞いた祥子が仰け反る。

「あ、でも仕事を辞めるんだから妥当かな」

 そうだよ。名誉と仕事を失うんだから少ないくらい。どうせ奴の義理親がカネ出すんだ。むかつく!

「金額を口外しちゃ駄目だよ、お金は怖いよ」

「うん、気をつけるね。マンションも何とかなりそう」

 このご時世に不名誉退社だよ。はあ、私の未来は暗い……いや、今はもっと大事なことが。

「残務整理は六月一杯で終わる予定。北海道どうしようか」

 楽しみを誘い水にするのは気が引ける。でも無遠慮に斬り込むよりは。神様、初詣で福澤一枚の先払いしたのは私です。今こそ働いてください。夏ばてには早いぞ、パリパリ働いておくんなまし!

「その後は有給消化だよね。うん、それじゃあ涼音のお疲れ様旅行ということで、期間長めにしようか」

 いいね。祥子と一緒に沢山楽しみたい。

「予定を組まずに行き当たりばったりってのも面白いよ。彼が――」

 祥子の唇が線になった。ふむ。

「うんうん、気の向くままってやつだね!」

 まだ早い。スルー検定なら任せろ。

「ここだけは外せないって場所を教えてよ、涼音。それをベースに考えるから」

 ダッシュして祥子の仕事部屋から地図を持ってきた。二人で騒ぎながらそれを捲る。

「それじゃあ小樽に上陸。積丹とニセコ辺りを廻って札幌で泊ろうか。未明に上陸だからビール園でたっぷり過ごせるよ」

「やたっ! 出来たての生、飲みまくろう! あと焼きタラバとジンギスカン!」

「焼タラバなら小樽にいいレストランあるよ?」

 祥子がいつもの微笑みを浮かべてくれた。

「でも未明到着なら店開いていないだろ? ドアの前でボサ―っと待つ?」

「小樽から積丹にいって、戻ってくれば時間調整できるね。ブランチに海鮮、夕食はお肉食べまくりでいいんじゃない?」

 おお、祥子大明神様! 一生ついてきますとも!

「翌朝二日酔いと胃もたれで死んでいなければ、天気を睨んで富良野……いや、ラベンダーのハイシーズンは七月下旬だから後回しにしてもいいけど、人の少ない初夏の美瑛も捨てがたい。うーん、どうしよう」

 最初と最後の二度行けばいいじゃん。何時がいいかな。

「じゃあ往路と復路で。時期は……蝦夷梅雨を考えると七月上旬から下旬かな。八月は結構降るんだよ」

「あれ、北海道って梅雨はないんじゃ?」

「こっちの梅雨みたいにずっと降り続けないけど降るには降るよ。カッパを脱いだり着たり忙しい。六月と九月は天気はいいけど寒いんだよね」

 じゃあ七月上旬。そうだ、フェリーの予約は二ヶ月前からだってネットで教わったけど。

「あ、そうだよ! やばいって」

 二人で仕事部屋にダッシュ。フェリー会社にアクセスして予約状況を見ると、既に金曜から日曜日の便は予約で埋まっていた。しっかり者の祥子が忘失していた。絶対おかしい。内心北海道に行きたくないのか?

「私達には問題なかったね。だって私たちはほら」

 そりゃそうだ。プーの私とタイムカードに囚われない祥子だ。

 新潟発木曜日のスイートを予約した。食事と専用テラス付きだ。でも帰りのフェリーについてはまだ決めない。それよりも先に何処を見るか検討しなきゃ。

 私が買込んだ刺身の盛り合わせと北海道の地図を肴に芋焼酎に切り替えて飲む。そろそろだな。ああ神様、なにとぞ地雷を踏みませんように。

「マッシーとは現地合流?」

 途端に祥子の顔が強張った。ああ、地雷かよ。喧嘩──。

「……ごめん。彼とは別れた」

 私の指から杯が落ちた。核地雷じゃないか!

「どうしたの?」

 冷静を心がけて問いかける。最悪二人の相談が平行線になったあたりかと考えていたけど。ぽつぽつ話す彼女に黙って聞き入る。


 溜息が意識せずに出てしまう。言いたくないけれど、祥子だからこそ言わなくては。落ち着いて話さなくちゃだめだぞ、私!

「不妊症の定義、知ってる?」

 杯を持つ彼女の指が白い。ほれ、と注いでやり、自分の杯も満たす。

 彼女の答えは私を失望させた。ばかちん……。

「二年以上継続的なセックスをしている男女に子供が出来ない状況だよ。最近三年に延ばそうとか議論しているらしいけど。不妊症なんだ、私。医者と健康な精子の太鼓判だ」

 祥子の目が大きく見開かれた。ごめん。言うべきだったよ。

「え?」

「私も子供が欲しかった。あの人の家の事情もあったけど、彼も子供好きだった。私の場合は不妊治療を受ける意味もなかった。あの人が他の人を選んだのは、それも理由だったと思うよ。がらっぱちもあるだろうけど……」

 祥子を揶揄する積もりはこれっぽっちもないよ。勘違いしないで聞いて。

「妊娠って不思議だよ。一度のセックスで妊娠する人もいるけど、そうでない夫婦もね。今は二年が一応の目安。簡単に妊娠するものじゃないわけだよね」

 続けざまに二杯呷った。祥子の気持ちはよく解る。けど短絡的すぎる。なんであんたは……いや、断定する言い方は駄目。祥子の気持を考えろ!

「質問の仕方もよくないかな。子供が欲しいかって聞かれたら、彼はイエスって答えるよ。こう聞くべきじゃなかったのかな。「もしも数年経って子供が出来なかったら、一緒に病院に行ってくれるかな。」その答えがイエスなら「それでも子供が出来なかったらどうする?」って。祥子の問いかけは反論を封じる為の罠だよ。自分の言葉に責任を持つ人ほど反論できない。黙るしかない」

 途中で顔を伏せた彼女の肩が震えている。こんなこと言いたくない。でも、私は祥子も優さんも好きだ。ああ、神様。

「彼の離婚理由を思い出して。結論だけみちゃ駄目。原因と過程が大事だよ」

 セックスだけが目的の男もいる。奴がそうだ。不妊症だから結婚はと告げた私に奴は喜んだ。一年前に理由が解った。子供を産めない女を愛人にすれば楽しめて将来面倒なことにならないからだ。彼は違うと思うぞ!

「謝って、もう一度話し合うべきじゃないかな」

 長い沈黙の後、祥子は首を横に振った。

「酷いこと言っちゃった……もう顔を合わせられない」

 ……ああ、自分が加害するなんて初体験だろ。でも。

「直ぐにそうやって結論出すのが祥子の悪い癖。そして常に自罰的。よくないよ」

 また祥子は首を横に振る。滴が飛び散った。なんであんたは……。


 剥き出しの泥地面に砕石が撒かれた道を唖然と私は見詰めた。これは林道とかいう奴だ。ロードスポーツには無理、いや、私には無理だ。こんな場所に私を呼ぶか、おのれマッシー! 鬼かおのれは!

 あの夜以降彼女は一層物思いにふけるようになった。携帯もパソコンのメーラーも頻繁にチェックしている。なのに自分から動こうとはしない。

 私にも彼からの連絡は一切ない。

 似たもの同士だ。互いに我を張っている。

 でも、その根底にあるのは相手を思う気持ちと脅え。歯痒くなってメールを送った。今日会おう、と。射撃場に行くから来てくれるかと即座に返信が。勇んできてみればこの仕打ち。バイクに乗るあの野郎がロードスポーツとオフロードスポーツもしくはデュアルパーパスバイクの差を知らないわけがない!

 ひとしきり罵った私は覚悟を決めた。正月に福澤を奮発しても目をかけてくれなかった神様には今年いっぱい頼むものか。アクセルをそっと捻りクラッチを繋ぐ。守護霊様ご先祖様、私をお守りくだしゃい!

 撒かれた砕石が車体を激しく震わせる。波状路走行を思い出してシートから腰を上げ、必死にニー・グリップして進む。轍の外には岩まで転がっている。ばっきゃろ、新車だぞ! 運転する私だって自称か弱い女だ!

 ひーひー言いながらよたよた走るうちに太腿がぱんぱんに張ってきた。停止して足を休めたい。でも細い轍のすぐ外には石がある。それを踏めば滑って立ちゴケするに決まってる。私の可愛いツェーベー・エルフ君に傷が付く。こければ燃料タンクに穴が開いて引火爆発炎上……泣きたい気分で前に進む。

 と、銃声が聞こえ、次に工事現場でみかけるプレハブの建物が見えてきた。その手前に開かれた鋼鉄の門。何とか辿り着いた。身体中汗まみれだ。帰りは……今は考えたくない。奴にツェーベー君を運転させて、私はあいつの車で戻るか。

 外で汗を拭い湿った髪を整えてから事務所に入る。名乗ると受付の女性は笑顔で頷き、見学者と書かれた掛け紐つきのカードを渡した。

 彼女に案内されて坂を登るにつれ、凄まじい音が身体を叩く。映画やテレビの銃声なんて嘘っぱちだ。両手で耳を覆ってもきつい。内蔵まで揺さぶられる。

 受付さんに肩を叩かれた彼が振り向いて微笑みを浮かべた。この野郎。

「やあ、おひさ」

「よお、来てやったぞ。ちょっと話がある。直ちに顔貸せ」

 ヘッドホンのような耳当てとサングラスのようなものを装着した彼が首を傾げた。やつれているな、と正直思った。何時も感じた静かな気迫を全く感じない。

「ここじゃ五月蠅いから、下──」

 銃声が彼の言葉をかき消した。私のしかめっ面に気付いた彼はヘッドホンを私に被せてくれる。轟音がまったく気にならない音量となった。下に行こうと彼が繰り返す。耳当てをしても会話は出来るんだ。どういう理屈だ。

「もう撃たないの?」

「調子が悪いからもう止めようかと」

「地獄を味わった私につれないね。見たいから撃ちなさい!」

「話は?」

「殴られたい? 蹴られたい? ちなみに股間だ」

 苦笑いしつつ頷いた彼は、ポケットから取り出したプラグ状耳栓を耳にはめ込んだ。

 右膝を突いた膝うち姿勢で彼はライフル銃を構えた。私は後ろの柵に凭れてその背中を見る。彼の脇に置かれたプラスチックの小箱には、金色に輝く大きく長い弾が列をなして収まっている。

 私の身体を何かが叩き、内蔵まで揺すぶられた。こみあげた吐き気を堪える。他の人とは銃声も反動も全く違う。何てものを撃ってんだ。絶対身体に悪いって。鞭打ちになるぞ! 

 平然と彼は銃を操作して空薬莢を弾き出し、新しい弾を銃に押し込んだ。あれ?弾倉とかいうのは使わないのか。なんで――うえぇ……。

 辟易気分で見る私はあることに気付いた。彼は右手人差し指を引き金に掛けない。人差し指は真っ直ぐ銃に添え、中指で引き金を引いている。他の射手は人差し指だ。妙だな。

 撃ち終えた彼は他の人に声を掛け、柱に付いたボタンを押し込んだ。他の三人は一斉に銃を置いて雑談をはじめる。紅いライトが点滅を始めチャイムが鳴り響く中、彼は遠くの的──多分百メートル──に駆け寄り、標的紙を剥がして戻った。もう一度ボタンを押し込む。ライトとチャイムが沈黙した。三人が銃を手にして射座に戻る。成る程、安全確保のお約束なんだな。

 ボール紙の的に残る弾痕は予想より大きく散っていた。五百メートル超えの狙撃を祥子から聞いたけど、百メートルでこれじゃ無理だ。どういうこと?

 片付けを終えた彼の車に乗って事務所に戻る。戸外の椅子に座って待っていると、精算を終えた彼が缶コーヒーをくれた。いろいろと疲れた私は有り難く頂戴する。一気に半分飲んだ。ふう、吐き気が消散。

「祥子さん、元気かな」

 この言葉を聞きたかった。

「うん、まあ。高校の演劇部に頼まれて小説を書いている。夏休み前に納品なんだってさ」

 数回小さく頷いた彼がコーヒーを呷った。テーブルに缶を置いて目頭を揉む。さて、どう切り出──。

「やっぱり無理かな」

 溜息交じりの呟きに私は虚を突かれた。私の決死の努力を無にする気かよ!

「無理ってなにが?」

 きつめに問うた私に彼は目を瞬いた。

「彼女には秘密にしてくれる? 射撃はもう無理かもしれない」

 は? 祥子はそこまで精神的打撃を与えたの? あいつが?!

「ナイフを手で掴んだらしくてね、指の腱と神経を切られた。縫合してもらったから動くんだけど、でも感覚が戻らなくてね。少し痺れていて引き金を落とすタイミングがとれないんだよ。ぎりぎりのところで止めて、ほんの僅かに力を込めて激発させるんだ。今日は中指で試したけど、人差し指より悪かった」

 ああ、それか。ふむ……手指で操作するバイクのクラッチやブレーキのレバーで考えると何となく解るかも。どっちも指先の感覚で判断するから。引き金も微妙な感覚なんだろう。

「そう……でも、リハビリと練習次第でなんとかなるよ、きっと」

 だといいけどと寂しく微笑んだ彼に胸が疼く。こんな弱気な姿をはじめて見た。もし今、祥子がいたなら決して話さないだろう。よし、ならば。

「祥子から聞いた。いいの?」

 煙草を取り出しかけた彼が一瞬動きを止めた。私の許可を受けてからあのジッポで火を付ける。使っているからといって期待は出来ない。祥子から昔のジッポの話は聞いた。

「なにか言われたの?」

 探る積もりも期待する気持ちもない、ただの確認の言葉だ。私は首を横に振った。頼まれていないし、出しゃばった真似もできない。彼は理解したらしい。

「あんたはどうなの」

「今も……好きだよ。でも彼女を苦しめたくない」

 似たもの同士だ、本当に。だから歯車が少しずれると動かなくなる。

「ぶっちゃけ、元の仲に戻りたいの?」

 頷いた彼が直ぐに口を開く。

「でも、子供が理由で彼女を苦しめたくない」

 子供が出来なくてもいいの?

「二人で努力しての結果は受け入れるよ。不妊は男の側にも……そもそも、子供が欲しいから彼女を好きになったわけじゃない」

 やっぱり。安心したよ、マッシー。ならお前さんから──まてよ。

 今日もこいつは自分だけを責めている。自罰の裏は自分に自信を持てないからじゃ。相手を引っ張る度量と、話し合って妥協点を探す裁量がないから、自分を責めて失敗の理由とするのかも。祥子はもろそれだ。マッシーは一見そうは見えない。でもそれだとしたら前の奥さんがマッシーを選んだ理由も離婚に抗った意味も解る。自罰思考する相手は御しやすい。祥子も長いこと母親に精神支配されていた。

 彼も祥子も自分だけで結論を出す。自分の結論を他人がどう評価するか怖いからじゃないのか。それが積み重なって、いつも自分で判断し行動するのが当たり前に……前の彼女がマッシーに見切りを付けた理由はこれかもな。大事な人に相談されたい、してほしいとおもうのが人情だ。決断力がない人間は論外だけど、ありすぎる相手だとパートナーの存在意義はない。愛されていても、必要とされていないと思っちまう。まずい。これでは復縁できても破滅するぞ。

 目を上げると彼と目が合った。その眼には微かな希望と諦めが混在している。

「あんたの欠点が解った。あんたが変わらないと駄目だ」

 目を瞬く彼に肩を竦めて見せた。

「自分に自信が持てないから自罰思考するし、人の意見を求めないで行動する。例えばヒグマ。あんたに責任はないよ。無理矢理連れて行ったわけでも、知識を与えなかったわけでもない。でもあんたは自分を責める。一見優しさに見えるけど、そりゃエゴだ。それが続けば前カノと同じく祥子も気付くよ。あんたにパートナーは必要ないんだってね。愛情があれば一緒にいられるわけじゃないよ。支えあいが愛情の燃料だもの。必要とされないと感じてしまったら答えは一つ」

 彼は明らかに動揺している。でも聞いてくれている。

「祥子もその気があるよ。でもあいつは変わり始めた。あんたに愛されたいと願ったからだ。でも、女にしか出来ない唯一のことが出来ないと怯え、あんたを傷つけたと悔やんで引きこもってる。があんたとあいつの未来と決めつけたからだ。なんでそうなった? あいつにとって初めての恋愛だって気付かなかった? あいつがあんたの離婚理由を知っているのを忘れた? あいつは頭に馬鹿を付けるほど真っ直ぐな奴だよ。知らないとは言わせない」

 目を落とした彼に構わず続けた。

「あんたが悔いるべきはそこ。あんたが望む家庭は、相互理解と協力を礎にしたものだよね。自分の願いが、希望が、相手にとっていい結果になる自信があるなら、そして努力する決意があるなら話し合って、互いの希望を摺り合わせて行動すべきだよね。それが出来ないなら、変れないなら祥子は諦めろ。それがあいつの為だ」

 沈黙が私を苛立たせる。でも頷いてくれた。

「厳しいね……でも言い返せない」

 かなり危ない橋だったけど。

 でも彼は迷っている。問題は……どっちも悪気は無い。でもこのままだとどちらかが膝を屈し、相手もそれを理解する。結局わだかまりは残っちまう。それを帳消しにするには……運命と努力の相互作用が必要か。そうだ、引き合わせるなにかが介在するこの二人なら。

「ところでさ。今年の夏、北海道に行く?」

 気分が乗らないからと彼は寂しげに首を横に振った。

「私達は七月三日から三週間ちょっとの予定。小樽から気の向くままに走る。マッシー、祥子との未来を願うなら北海道に行きなよ」

 迷いがはっきり彼の顔に出た。怯えている。臆病なところも似ている。

「広い北海道だもの、努力だけじゃなく縁がなければ無理さ。行動せずにうじうじして、時が諦めさせてくれるのを待つ? 話し合える可能性に賭けてみる? 私は一切情報提供しない」

 おら、ヒグマ殺し。どうする!

 俯いた奴の顔を睨み付けるうち、奴は顔を上げた。

「……賭ける」

 彼の目に輝きが戻った。よし、赤い糸が二人をしっかり縫い止めるか、はたまた玉結びを忘れていて簡単に抜けてしまうものだったか私が見届けてやる。

 あ、祥子はどうだろう。祥子も臆病だ。さらに加えて弱気になってる。とりあえず様子をみよう。よし、今日ここまできた甲斐が……あっ、てめ!

「忘れてた。おい、なんだあの道! 死にかけたわ!」

 目を見開いた彼がゲートの向こうを見、慌てて私に向き直って頭を下げた。

「ごめん。北海道ではよくあるからうっかりして。コケなかった?」

「なんですと……」

「国道は完全舗装になったけど、道道とかだと結構あるよ?」

 頭が真っ白になった。そっか、だから祥子はセローも所有していたのか。買い換え……オフロードタイプだと私は足が付かない。やべーよ。どうしよう。

「お礼に林道走破のコツ、教えようか」

 師匠!


「お帰りなさい。どこまで行ったの?」

「中央高速で富士五湖エリアまで。林道も少し走ったぞ。北海道ツーリング練習さ。でも疲れた。腹減った!」

「……お疲れ様。シャワー浴びておいでよ」

 おんや。免許や財布と一緒に携帯をさりげなくテーブルに置いて浴室に直行。祥子は覗くようなことはしない。でも、疑われるのも嫌だ。腹黒い私だが矜恃がある。しかし女の勘は怖いねえ。

 熱いシャワーが肌に突き刺さる。うーん、気持いいー。

 にしても困ったものだ。祥子もマッシーもへたれ。互いに恋しい癖に。自罰傾向ペアは扱い難い。祥子は感づいた。今頃頭を悩ましているはずだ。「別れたなら私が彼と付き合ってもいいよね」とケツを蹴飛ばすか。彼が絶対揺るがない確信があるから出来るブラフ。いや、祥子には使えない。レイズどころか即座にフォールドするわ。どうやって祥子をその気にさせるか。これまた難題な……。

「着替え、ここに置くよ。問題なかった?」

 不安に負けたな、祥子。憂いに心を焦がすより今は笑わなきゃ!

 ドアを開け、吃驚顔の祥子の手を掴む。

「背中流しっこしよう! ほれほれ!」

 思い切り引っ張り、抱きついてシャワーの真下に。そうそう、騒いで汗と一緒に憂いも流しちまえ!


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