第13話 バツイチの初恋
暗い空からとめどなく雪が降る。高台のウナベツ温泉からは雪のベール越しに灰色のオホーツク海を遠望できた。雪空と鉛色の海のコンボは物悲しく人恋しくさせる……はずだけど、目の前で元気に朝食を掻き込む人のおかげで楽しい。
「出発前に朝風呂もう一度楽しまない? 車冷え切っているからね」
笑い返した。川湯とここは夏に再訪決定。涼音も絶対気に入る。
キンキの一夜干しは綺麗に骨だけとなった。皿に滴った油も全て魚肉でこそげ取って私のお腹に収まった。この骨で出汁を取ったうどんを食べたい。この味なら時価で全然構わない。写真を撮るのを忘れたけど公開する気は無い。皆が押し寄せたらどうなる? 稀少品だから値段が跳ね上がる。教えて堪るか。涼音に味わって貰いたいけど、冬限定の魚だし……セルフのお茶を啜りながら考える。
「流氷シーズンに来れば? アザラシとかオジロワシも近くで見れるよ」
うわ、また口にでてしまった。
「そうだね! じゃあ涼──」
「優ちゃん、いるかあ!」
引き戸が開いた次の瞬間、銅鑼声が炸裂した。思わず首を竦める。
「あれ、さっちゃんも来たんか! よし、来いや!」
本当に襟首掴まれた。ちょっと、支払いがまだ!
「よし、こいつは預かった!」
優さんを引きずる船長と、その二人を遠巻きに見る観光客の姿をサッシ戸を閉めてシャットアウト。やれやれ。首の心配して損した……財布を取り出す。覚悟は出来ている。さあこい。
「メンメ美味しかった? そりゃよかった。税込み七千円ね」
なぬ! まずい、釣り合わない。車の燃料代も受け取ってくれないし。
雪が舞う中、事務所に向かう私は閃いた。彼に似合う革ジャケットを探してプレゼントしよう。皮ジャンが好きみたいだし、よく似合うもの。
一夜干しでメンメの真髄を味わった気になっては駄目だ、と宣言した船長は私たちを自宅に引きずり込んだ。彼が船長家の寝子達にじゃれつかれている隙に船長は私だけに目で促してタバコを吸う手真似をした。
玄関前の防雪フードで船長が煙草に火を付けた。余程の荒天でない限り、船長のお宅は室内禁煙だそうだ。防雪フードはエアロックのような空間だ。分厚いアクリル板が周囲を覆い、積雪でドアが開かなくなるのを防ぐ。頭部や衣服に付着した雪を払い落とすのにも役立つ。
のんびり燻らせながら、優さんが納品した新しいカスタムライフル銃を褒めちぎる船長に相槌を打つ。
新しい煙草に火を付けた船長が私を真っ直ぐ見た。
「さっきの話だけどよ、他に誰か知っているのか」
私を優さんが助けてくれた話だ。彼と私が訪れた理由だけでは納得しなかった船長に尋問されて白状した。殆ど彼が話したけど。
「私の親友一人だけに。どうかしました?」
結婚前は沢山いたけれど、あの事件以降年賀状すら……。
タバコの灰を灰皿に落とす船長が頷いた。
「なあ、さっちゃん。あんた、アイツをどう思う?」
はい? 心臓が急に騒ぎ始めた。
「好きなら、あの話は喋らないでくれねえかな」
立場をはっきり表明しないと。同じ部屋に布団を用意されたら困る。
「友達ですから。でもできたら理由を聞かせてもらえませんか」
「うん、解らない事があったら言ってくれ。えっとな……」
煙草の煙を見詰めながら船長が話す。
暴力沙汰は理由のいかんを問わず鉄砲持ちにはタブー。暴力傾向があると警察が知れば、所持許可は即刻取り消される。昔は酒を飲んで騒ぐ程度は問題なかったけれど、現在は酒乱傾向があるとして排除される。所持者の隣近所が悪く評価しても同じ。だから回り回った話が警察の耳に入ったら。
「銃を持てなくなるし、彼の仕事を潰しかねないわけですね?」
「そう。俺はあいつが鉄砲屋をはじめる前から知っている。だから驚いた。あいつはトラブルを絶対に避ける奴なんだ。殴られても殴り返さない。でもあいつが殴られて済む状況じゃねえからな……俺だって家族が襲われたらさ」
解ります。彼が乱暴な人だったら、絶対友達になんてなりません。
船長の目が微笑んだ。
「完璧じゃねえけど、人を裏切ったり陥れるとかは絶対しねえ。悪口も言わねえな。だから俺も女房も奴が好きでね……さっちゃんはあいつと友達だから庇うけど、それだけじゃない。アイツの考え方はとても大事なんだ。これからどうするかは解らねえけど、もしもアイツが表に出たら、足を引っ張る奴が必ず出てくる。そったら落とし穴は、な。俺はあんたも信じてる。だから正直に話したさ。頼むよ」
頷きながら内心首を傾げた。彼が表に出る?
したっけね。そう呟いた船長は家の中に戻った。
メンメの塩茹では一夜干しと格別に違う美味しさだ。キンキ煮こそ地元の皆が愛する料理だそうな。夢中で箸を動かす私に奥さんが料理法を教えてくれた。鋭い棘のある鰭を切り取り、鱗を剥いでわたを抜く。そしてほんのちょっと塩を入れたお湯でゆっくりじっくり煮るそうだ。「簡単すぎるから台所にいて欲しくなかったさ。」と奥さんは朗らかに笑う。気持ちのよいご夫婦だ。その煮汁を使ったうどんがこれまた絶品。私の勘は正しかった。彼もキンキ煮は初めてだそうだ。へへ、いろいろ知っている彼と一緒にお初体験。
暖かい布団でウトウトしながら考えた。今日、船長と再会出来たのは幸運だ。自覚しないうちに彼を陥れる手伝いをするところだった。気をつけよう。私は彼を裏切ったりしない。恩人、そして大事な友達だ。
まだ飲み続けている二人の笑い声が微かに聞こえた。ご機嫌だね。
トラブルは絶対避けるはず、か。なぜあれほどまでに激怒したのだろう。友達だった恋人達を思い出したから? 涼音も疑問に感じていた。免許証まで奪って後日に備えた。なぜそこまで念入りに。あ、何だっけ、彼があのとき何かを。なんだっけ……。
「俺はともかく祥子さんに何かあったら」跳ね起きた。心臓が猛烈に鼓動する。まさか。それはない。そうなら連絡先を教えてくれたはず。そんなの絶対……自分を見ると思い出すから気を遣ったんじゃないかって涼音はいっていた。ただひたすら案じてくれた。目を逸らしたのは、服装を直してくれたときだけ。それ以外は真っ直ぐ私の目を見てくれた。嫌な経験を重ねた結果、私は性的な目で自分を見る男の目を判別できるようになった。彼は一度も……何時も真っ直ぐ私の目を見て話すあの人は……もしかして。
私、何を期待してる? 友達で十分じゃない。寝よう。
胸が痛い。狭心症か気胸の初期段階か……まさか。私は男の人を好きになった事は一度もない。小学校で憧れた人はいたけれど。
でも一人の時、私は彼の事ばかり考えている。いつも彼を目で追っている。
両手で胸を押さえて心に問う。更に高まる鼓動と痛みが応える。どうかしている。好きになっても、彼に応えられない。
そんな私が何で……もっと、もっと早く彼に逢えていたら違っていたんだろう。きっと。
パジャマの袖で瞼を押さえた。
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