凶暴な熊さん.2
††
「ミソノ……ナオミ?」
「うん、友達はナオミって呼ぶよ。」
にこっと笑う顔がやたらと可愛らしく、思わず頬を朱に染めたロックスの闘気が抜けていく。
「そそうか、俺はロックスだ。」
「へぇ、なんかロックな名前だね?」
「ろっく?」
ロックスには理解できない言い回しをしながら、ナオミと名乗った少女はなんら警戒もせずに前に出てくると、ロックスの間合いに更に入り込んできた。
──今なら、殺れる……のだが
剣の柄を掴む手に力が込められるが、すでにそんなつもりがなくなっていた。
少女からも殺気も闘気も感じられず、まるで油断しているとしか言いようが無い。先ほどまでの鬼気迫る程の闘気は何だったのか。
「ん~……っっ」
少女はきょとんとしてロックスの顔を見つめていたが、いきなり破顔する。
「わぁぁぁ、ケモミミだぁぁぁっ!」
いきなりロックスの顔を指さして心底嬉しそうな顔をした。その笑顔に思わずドキッとして、突き出した剣を引いてしまった。
「なになになに、なんかのイベント、なんでオジサンなのにそんなケモミミつけてんの~~。」
鈴の音のような可愛らしい声が響いたかと思うと、剣が引かれた一瞬の間に少女はロックスの目の前まで移動していた。
「な、な、、、」
まるで瞬間移動のように一瞬で移動してきた少女の動きを、ロックスは捉える事ができなかった。ロックスは目の前に立つ少女に反応すらできず、唖然としていた。
しかも少女は背伸びしてロックスの頭に生えた白く丸い団子のような耳をつんつん突いたり触ったり引っ張っているのだ。
「わぁ、毛がふわふわぁぁぁぁっ」
耳を指でさわり、気持ちよさそうに顔を緩ませている。
ロックスの身長は一九〇センチ近くある。少女は一六五センチ位だろうか、手を伸ばして耳を触っているのだが、少女の顔が丁度見下ろした所に有り、間近に迫ったなんとも言えない可愛らしさに、鼓動が高鳴り始めた。
それに耳を撫でられていると、遥か昔、幼いころに母親から耳を撫でられていたことを思い出す。安心感と心地よさについほっこりとしてしまうのだ。
そういえば妻のマリアンとも……
「──お、おまええええっ!」
ロックスは我に帰ると、慌てて後ろに跳んで剣を構えた。
いくら油断をしていたとはいえ、こんなにも容易く間合いに入り込まれ、さらに耳に触れられるなど初めての事であり驚愕の事態でも有る。
「あん、もっと触りたかったぁぁぁっ!」
直美は残念そうな顔をして、拗ねた様にロックスを見つめてくる。しかしロックスとしてはそれどころではない。
一瞬にして間合いを詰められたのだ。油断していたとは言え、ロックスは少女の動きに全く反応できなかった。
──こいつ、いったい
わけが分からず、ロックスは混乱して大量に汗を掻いて少女を見つめていた。
「あ~~そっかぁ、わかった、オジサンが獣人っていう種族なんだ!」
少女がポンと手を叩くと、うんうんと頷いた。
「え、ああ~、確かに、俺は獣人族だ。」
少女の笑顔に思わず答えてしまう。だが一体どういうことなのか?まるで獣人を初めて見たような反応だ。今まで獣人を見たことがないのか、と不思議な感想を抱いてしまう。そういえばさっきも亜獣人を初めて見たようなことを言っていた。
人間族の棲むシーリス大陸にも、僅かだが獣人は居るはずだし、またコボルドのような亜獣人は居るはずだ。
「へぇ~すごい~、ほんとに獣人っているんだぁ、もしかして女の子も同じように耳が頭に生えてたりして、尻尾があったりしてぇぇ!」
何やら想像しているのか、やたらと楽しそうに眼をキラキラとさせて妄想の世界に入っていっているようだ。
──今ならあっさり殺せそうだな。
実際には不思議な少女──彌園直美が出会った獣人はニ人目である。
森の奥で出会った──襲われた──銀髪の老獣人が最初なのだが、あの時の直美は老獣人の不埒な行いに激怒していたためか、耳があるとか尻尾があるなど全く目に止まらなかったようだ。
「グルォォォォォッ!」
その時背後から地獄の底から響くような低い唸り声がする。
──なにっ!!!!
背後に迫る凶悪な気配を感じ、背中に氷柱を突っ込まれたようにゾクリとした。
警戒を怠っていた、いや少女の奇抜さに混乱し、周囲の気配に注意を注いでいなかったのだ。
慌てて振り向くと巨大な黒い影が見えた。
二本脚で立った体躯はロックスの倍近い身の丈を持ち、赤い妖火のような眼が睨みつけている。鋭い爪が生えそろった丸太ほども有る前足が高く掲げられ、今まさに振り下ろされようとしていた。
「まずいっ!」
ロックスは体毛を総毛立たせる。あいつだ、悪夢の森で最も凶暴な魔獣ベアーハッグスだ。
背後に立ったベアーハッグスが、大木すら一撃で引き裂く爪を振り下ろそうとしているのだ。
──避けなければ。
歴戦の経験から考えるよりも先に身体が動き出す。だが逃すものかとばかりに前足が振り下ろされた。
風を斬る音が聞こえた。
「おおおおおっ!」
寸でのところで躱して地面を転がり、立ち上がりざまに剣を構え
「グォロロロロロッ!」
妖光のような赤い目が怒りを露わに、ロックスに向かって一歩前に出る。軽い地鳴りのような音と共に、ベアーハッグスの巨体がゆらりと近づくや、開かれた顎門から咆哮が迸る。
「こいつはかなりやべえクラスだ。」
体長にして四メートル弱、大きさからして成獣だ。
──全力でやらねぇとまずいな
覚悟を決めたかのようにロックスの身体から闘気が迸り、剛斬灰塵剣へと流し込むと刀身が淡い光を放ち輝き始めた。魔剣は魔力と闘気を帯びることで切れ味を増し、岩をも断ち切る切れ味を持つ。
「おおおっ!剣が光った。」
背後から気の抜けるような声と拍手が聞こえてくるのだが、この際無視する。
「ゴァァァァッ!」
ロックスの闘気に気づいたかのように、ベアーハッグスもまた闘気を放ち始める。ゆらゆらと揺らめく闘気がベアーハッグスの身体を覆う。
「おおおっ!熊さんも凄い闘気!すごーぃ!」
また歓声が聞こえるが、無視する。
ベアーハッグスが前にでるや、鋭い爪をともなった前足が横殴りに襲ってくる。大木をして一撃でへし折る、凄まじい膂力を伴って。
ロックスは極力冷静に務めた。
軽くバックステップ、目の前を凄まじい旋風を伴って通り過ぎる前足の間隙を縫い、身を屈めて前に進むと、空いた腹に向けて剣を煌めかせる。
「剛斬覇─弐ノ形」
切れ味を増した刀身が煌めき、瞬速の剣がベアーハッグスの横腹を斬り裂いた。
「ゴァァァァッ!」
そして直ぐ様離れるロックスの後を追うように、ベアーハッグスの前足が迫る。ギリギリで躱すロックスが見るのは、まるでダメージを見せていない魔獣の姿だ。
斬り裂いたはずの腹は、微か皮膚が斬れて血が滴っていはいるが、ダメージを受けた様には見えない。
ベアーハッグスの皮や筋肉はとてつもなく堅牢である。如何な魔剣とはいえ、簡単に致命傷を与えることは不可能だ。精々皮を断ち切り、筋肉の一部を斬るくらいだろう。
昼であるならば、これを何度も繰り返し、云わば持久戦で体力の削り合いをする。しかし夜は別だ。夜ともなれば森の魔力や瘴気を吸収し、魔獣はやたらと強くなり、昼間の倍近くまで強く堅牢になる。
──たく、勘弁してくれ。
ロックスは逃げ出したい気分に駆られる。夜にこいつに出会うなんて、どれだけツイていないのか。ある程度覚悟はしていたが、死ぬ覚悟まではしていない。
やはり村の仲間と共に来ればよかったと、今更ながらに後悔するが、それを一瞬で消し去り目の前の魔獣に集中する。
「おおー、なんか凄いぃ!」
どこかで気楽な声と拍手が聞こえてくるが無視しておく。
††
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