凶暴な熊さん.3

††


 既にベアーハッグスはこちらに向けて襲いかかってきているのだ。


 再び前足が横殴りに襲ってくる。なんとも脳のない攻撃だが、分厚く強固な皮という鎧を纏ったベアーハッグスにはそれで十分なのだ。

 

 攻撃を受けてもびくともしない身体を武器に、一撃必殺の攻撃で獲物を惨殺する。真に単純な狩猟方法だ。

 

 ロックスは集中する。

 

 目の前をかすめる暴力の具現の如き前足は剣で受け止めることは不可能、剣で受けてもふっとばされるだけだし、もし身体に受ければ戦闘不能、最悪は死に至らしめられる。

 

 必死に攻撃を躱し、次にくるチャンスを狙っていた。そしてそのタイミングが来る。

 

 猛烈なスピードで横殴りにきた前足を躱すと、次いで頭上から鋭牙が襲ってくる。そのタイミングを待っていた、とばかりに大きく開いた顎門に向けて剣を走らせた。

 

 ベアーハッグスの鋼鉄の鎧の如き堅牢な身体をちまちまと傷付けたところで、無駄なことである。ロックスは頭上高くに存在する急所を狙っていた。

 

「剛斬覇─惨ノ形」


 構えた剛斬灰塵剣が突出される。狙いは開いた顎門。

 

 如何なベアーハッグスと言えど、口腔内であれば堅牢な鎧は存在しない。あるのは柔らかな肉だけだ。

 

 口から頭へ貫き通す。

 

 ガキッ!!

 

 金属音が響き渡る。

 

──な!!!


 喉から迸るのは驚愕の呻き声。

 

 ロックスは時間が停まった様に感じていた。ベアーハッグスの口腔内に突き立った剣は、鋭い牙によって停められていた。剣が突き立つ瞬間、この魔獣は口を閉じ、鋭い牙が魔剣の一突きを停めたのだ。

 

 なんという瞬間の判断力。今までにも何度か仕留めてきたが、このような事は初めてだった。魔剣から迸る闘気を受け止め、多少は口腔内が傷ついているのか口元から血が滴っているが、それだけだ。

 

 不気味な赤い眼が、にたりと笑った気がした。

 

──やられた

 

 剣は押しても引いてもびくともしない、所詮この怪物の咬噛力に対して自分の膂力など児戯の如くである。

 

 そして前足が唸る。

 

 ロックスが剣から手を離しバックステップを踏んで距離を取ろうとした。だがほんの僅かに遅かったのか、鋭利な爪が掠った。

 

 途端に胸に痛みが走る。火箸を何本も当てられたかのような痛みが疾走り、次いで吹き飛ばされた。

 

 風に舞う木の葉のように回転しながら、地面に叩きつけられた。ロックスの身体を守っていた革鎧が切り裂かれ、三本の血の筋が疾走っていた。

 

──やっべぇ


 胸を襲う痛みは我慢が出きる。血の量も大したものではない。打撲も大したことはない。

 

 身体の損傷を瞬時に判断し、ロックスが立ち上がりベアーハッグスへと視線を向けると、丁度ベアーハッグスの口元から、剛斬灰塵剣が足元に落ちたところだ。

 

 地面に落ちた剣の上に丸太のような太い脚が乗ると、憎々しげに何度も踏みつけられる。

 

 数回踏みつけて満足したのか、勝ち誇ったかのように巨大な体躯を揺らし、赤い眼が獲物を値踏みするように見下ろした。

 

──全力で逃げるか……


 あとは逃げるしかない。

 

 魔剣を失うのは痛いが、生きて戻る事が再優先だ。ロックスは逃げることを考える。この森のなか、この怪物からどこまで逃げられるかを。

 

 だがふと思い出す。さっきの女はどうした、と。

 

 ベアーハッグスから気が反れた刹那、ベアーハッグスは地面に前足をおくや、凄まじい速度で地面を疾走りロックスに向かって突進を始めた。

 

──やべぇ!!!


 余計な事を考えている暇など無かった、と後悔した時には遅かった。

 

 慌てて避けようと体を動かすが、おそらくはもう間に合わない。四肢を駆り走るベアーハッグスは瞬く間にロックスに迫った。もはや逃れられる時間はなかった。

 

 ズバンッ!

 

 打撃音が聞こえた。

 

 殺られた、そう思ったがロックスは見事にベアーハッグスの突進を潜り抜けて地面を転がっていた。

 

 背後で聞こえる地面が削られる様な音。

 

──助かった?


 確かにそう思ったが、直ぐに否定する。


──いや、違うっ


「めっちゃ大きな熊さんだねぇ?」


 背後からの楽しそうな声が聞こえてきた。

 

「グゴォォォォッ」


 ベアーハッグスの怒りに満ちた唸り声が響く。

 

 振り向くと、そこには先ほどの少女が立っている。しかも紺色のスカートがまくり上がり、淡いピンク色の肌着から伸びたスラリとした脚が伸び上がり、その近くには横倒しになったベアーハッグスが恐ろしげな妖光を輝かせている。

 

──なんだと、蹴りでぶっとばしたのか?


 ゴクリと固唾を飲み込み、声も出せずにその様子を見守る。

 

 信じられない出来事から、ロックスは眼が離せなかった。ゴリラのようなゴツイ身体の戦士が停めた、というのなら納得も出きる。

 

 だがベアーハッグスの突進を停めたのは、筋肉がスッキリとしているが、それでもとても戦士とは思えぬほどに華奢な体躯の少女なのだ。

 

 とても現実の出来事とは思えなかった。

 

 ただ一つ気になるのは、少女からにじみ出る様に迸っている、赤い焔のようなモノは何なのか。身体強化術をかけた時のように、赤い靄のような物が少女を包み込んでいる。

 

──魔法か?


 理解不能な状況の中で、少女がちらりとこちらを向いた。

 

「オジサン大丈夫だった?」

「あ、、ああ、、大丈夫だ」

 

 少女の問いかけに、ロックスは思わず返事をしてしまう。だがそんなことより

 

「赤い瞳……」


 先ほどまで茶褐色だった少女の瞳が、まるで血のように赤く染まっている。

 

 聞いたことはある。人間族に近い亜人種の中には、髪の色や眼の色が赤や紫、緑などカラフルな色を持つ種族がいると。そしてそれらの種族は比較的人間族と近いことから、人間族と同じ土地に暮らしている。

 

 この少女もまた亜人種なのだろうか。だが、先程まで茶褐色だったのに、なぜ色が変化するのか。

 

「この熊、餌場を荒らされて怒ってるのかな?その狼でよければあげるから、怒るのやめない?」


 ロックスの混乱を他所に少女は再びベアーハッグスへと顔を向ける。すると

 

「ゴアァァァッ!!!」


 ようやく状況を把握したのか、怒り狂ったように吠えたベアーハッグスが後ろ足で立ち上がり、少女を向けて前足で横殴りにした。

 

「逃げろっ!!」


 ロックスは思わず叫んだ。

 

 今度こそ殺られる、そう思った時には声が迸り出ていた。別に人間に加勢する義務も義理も何もない──いや義理はある。

 

 襲いかかってきたベアーハッグスから助けられたのだ。駆け寄り加勢するにしても武器がない。剣はどこだと辺りを見回す。

 

 そもそも襲い来る前足に、少女は避けようともしていない。あれだけの動きができたのなら、避けられる筈なのに。

 

 バシンンンンンッ


 肉を打つような打撃音が響き、横薙ぎに少女を襲った腕が跳ね上がった。次には少女の腕が前に伸びていた。

 

 いつの間に、という瞬間の出来事であり、それが何を意味しているのかも理解できない。理解したのはベアーハッグス本人だ。

 

 ヒト族のメスに向けて横殴りにした前足が跳ね上げられたかと思うと、目の前でくるりと回転したヒト族のメスが腹に向けて拳を突きだしてきた。しかしそれが直接当たることは無く、当たる寸前で停められた。だが停められたにも関わらず、腹に激しい衝撃と痛みを受けたのだ。

 

 ドンンンンンッ!


 ベアーハッグスの腹に目に見えぬ何かが当たり、まるで太鼓のような音が鳴り響くと同時に、膨らんだ腹が大きくベッコリと凹んだ。

 

「ぐごぉ、、」


 今まで経験したこともない衝撃と痛みを腹に受けたベアーハッグスは、唸り声をあげてよろよろと数歩後退った。

 

 野生の本能がアラートを鳴らし始めていた。このヒト族は危険だと。

 

 そもそも最初に突進の最中に顔を蹴られたときもそうだが、先ほど蹴り上げられた前足も、痺れてしまって思うように動かせないのだ。

 

「ん~凶暴な奴だなぁ、次は向うの世界じゃ滅多に出さない本気でぶっ飛ばすよ?」


 云うなり少女の身体からゆらりと何かが噴き出してきた。

 

──な、なんだあれは。


 ロックスの目にはまるで少女の身体が焔に包まれ燃えているかのように映っていた。

 

 身体から溢れだす闘気だろうか、いや違う。凄まじい闘気もそうだが、それに重なる様に闘気を倍増させている不可解な力が、少女の身体を燃え盛る炎の様に包みこんでいるのだ。

 

 いったいあれは何なのか、溢れだして燃え上がる炎から凄まじい攻撃の意思を感じ、ロックスはぞぞっと総毛立った。

 

「グォッ……」


 ベアーハッグスもまた凄まじい闘気と攻撃の意思を感じたのか、ジリジリと後退りを始めた。

 

「おとなしく棲家に帰りな、じゃないと……」


 さらに凄まじい何か得体の知れない、経験したことのない気配が膨れ上がった。


「フ、フゴォォォ」


 少女が手を戻し肘を引き構えると、ベアーハッグスは慌てた様に森の奥へと向かって走り去っていった。

 

「これでオッケーッと──で、おじさん、大丈夫だった?」


 今までの恐ろしい気配が不意に消えたかと思うと、少女がくるりとロックスの方を向いてにっこり微笑んできた。

 

 そこにはあのような恐ろしい気配を発したとは思えぬほど、可愛らしい顔が心配そうに見つめていた。

 

 その時だ。

 

ググ~~~~~ッ

 

 どこからとも無く妙な唸り声が聞こえてきた。傍らではナオミが顔を真赤にしてお腹を抑えて俯いていた。

 

††

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