獣人と悪夢の森.2
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ガプス大陸 北方辺境の地『悪夢の森』
広大な森林の中央に聳える巨木群。
その天辺付近の枝を掴んで辺りを見回している少女がいた。
巨木の天辺付近、高さにすれば百メートル程はあるだろうか、少し冷たい風に髪を靡かせていた。
天に煌く大きな月と、まるで堕ちてきそうなほどに美しい星々の輝き。プラネタリウムなどという造り物ではない、生で見る大宇宙の荘厳な輝きが広がっている。それは言葉で形容しがたい美しさであった。
しばし空の美しさに見とれた後、少女は月明かりに照らされた眼下に広がる真っ暗な森林地帯に眼を馳せる。
それは大森林といって良いほど広大な森だった。半端な広さではなく数キロ先まで広がっている。
「大きなお月様~、こんなの東京じゃ見れないよね~。それにすっごい森、空気が綺麗すぎる~。」
少女は胸いっぱいに大量の新鮮な空気を吸い込み、たっぷりと味わって息を吐いていく。
これほど綺麗な空気を吸ったのはいつぶりか、東京に出てくる前の田舎暮らしをしていた頃以来だろうか。
いや田舎の空気よりも綺麗かもしれない。ただ気になるのは空気の中に僅かに、かなり微量ではあるが味わった事の無い違和感があった。
それが何かは解らないが、身体に害のあるものではなさそうなので気にしないことにする。それに先ほどから感じているのだが、身体がやたらと軽く感じる。
──身体を『作りなおされた』からかな?それとも重力が違うとか?
理由は解らないが、とにかく身体が以前以上に動くのは有り難い。
ふうっと大きく息を吐き、髪をかきあげる。
「ははっ異世界かぁ。見た感じ唯のど田舎って感じかなぁ。」
少女は広大な森林から更にその先に眼を向ける。
辺りには光源となるものが一切なく、それでも天から降り注ぐ月の明かりと星々の明かりだけでもそれなりに見えている。
薄暗い森が広がり、左右に横切るかのように街道があり、その向こうには標高何千メートルだか知らないが、見たこともないほどに高い山々が広がっている。
山の中腹から頂付近には、月明かりに照らされ反射する雪で化粧が施されていて、さらにその上は雲がかかってよく見えない。もしエベレスト山などを間近で見たことがあるなら、きっとこういう感じなのだろうか。
目線を移動して先ほどの街道を追って見る。
左へと向けると森と山にそって道は続いていき、右へと向けると森が途切れたその先には暗い海があった。波が静かに浜辺に打ち付け、浜から少し先には小島が二つある。その向こうにも島影が見えるのだが、小島とは違ってかなり大きそうだ。
浜辺の手前、海岸線に灯る微かな灯りが見える。
目を細めて視力を最大限に高めて見ると、それは民家だった。此処から五、六キロは先だが、村だろうか、集落だろうか、たくさんの民家──およそ二百~三百戸程の民家が確認できる。
「ふ~ん、あれは村か集落ってところかな。」
さらに目を凝らしてズームアップしてよく見ると、民家は中央の広場を中心にして放射状に立ち並んでいるのがわかった。海の直ぐ側だからおそらく漁村だろうか。
「ここでウロウロしても仕方ないし、村に行ってみるか。宿屋とかあるといい、ん──。」
そこまで考えてふと思い出す。宿に泊まるとなればお金が必要だ。
「あ、お金──」
少女はお金を持っていないことに気がつく。
上着にもスカートのポケットを弄ってみても、何も入っていない。もともとカバンの中に財布も携帯も全部放り込んでいたのだが、そのカバンが無いのだ。
「渋谷で落としたかな……まぁ日本のお金が異世界で使えるわけないしね……」
ふと考えて売り飛ばせるものを考える。
まさか異世界に来て初の援交体験、なんて洒落にならないことはしたくもない。服を売るわけにもいかなし、と考えていくと脚の辺りに違和感があった。
スカートをちらりとまくり上げると、何故か太ももに革バンドで固定されたサバイバルナイフがあった。
「なにこれ、どうしたんだっけ?」
ナイフをバンドから外して手に持ってみる。柄の所はナックルガード状になっており、指を通せる様になっていた。
月明かりを浴びて鈍く赤っぽい銀色に光る刀身は、やたらと切れ味が良さそうだ。飾りのナイフではないことはひと目でわかった。ナックルガードにも刀身と同じ材質が使われているのか、かなり堅牢そうである。
「なんだかな。」
ナイフを握り枝を一薙するとあっさりと断ち切れ、メキメキと音を立てて眼下に落ちていく。
「なんかこれ~、めっちゃ凄い切れ味なんだけど、誰がくれたんだろ?《女神》様かな?」
誰のプレゼントだか心当たりが無いのだが、そういえばRPGゲームとかでは最初に初期武器を持っていたな、と思い出す。
少女にとってここは異世界であり、そんな所に放り込まれたのだから、自身を守る武器の一つがあっても不思議ではない。ありがたく頂いておくことにする。
「このナイフ売っとばせば、宿に泊めてもらえるぐらいのお金になるかな。」
初期武器をいきなり売るのも面白いかも、とあっけらかんと考え、掴んでいた枝を離すと、眼下に広がる樹木の海へと飛び降りた。
ザザザザッと派手な音を立て、少女の身体は生い茂る葉をかき分け垂直に落下していく。途中で落下の邪魔をする枝を掴むと、くるりと回転して別の枝へと飛び移り、速度を抑えつつ、徐々に下へと降りていくその様はまるで忍者のようでもあった。
やがて地面近くになると、最後の枝で一回転して飛び、空中で数回身体を捻って着地する。
「さて、こっちだったなか。」
乱れた髪を掻きあげ手櫛で直すと、天辺から見た集落の方向を思い出して少女は歩き出す。
◇◆◇
ノースショアの村の境界、魔獣避けの柵から約五キロ程、急ぎ足で三〇分も歩くと悪夢の森の入り口へと辿り着く。
煌々と輝く月と星明かりの中、白い髪と耳を持つ獣人族のロックスは、森へ向かいながら考えた。
あの光は何だったのか。リリアンは光の柱と言っていた。そんなものが造れる等、まるで集団魔法でも使ったかのようだ。
──集団魔法、か?
高位の魔導師であれば可能かもしれないが、そこまでの光を放てるとなれば、個人の魔法では限界も有る。
光となれば、聖光系だろうか。聖光系で高位の魔法を使える者はそうは居ない。村でも数人といったところだ。
獣人でなければ、魔人かとも考えるが、聖光系の魔法は使えないはず。
魔人の可能性がないとすれば、もう一つの可能性、それは人間だ。アフラムでの動乱に乗じて人間が攻めてくる可能性がある。
残忍で卑怯な人間ならば、この動乱をチャンスとばかりに北海を渡って攻め入ることも有るだろう。
「用心はしておくべきか……」
ロックスは頭を切り替えると剣を握りしめ、辺りの気配を探りながら光を見た方角にある、暗く佇む『悪夢の森』と呼ばれる不気味な大森林へと向かって歩を進ませた。
森の入口がまるで侵入者の前に顎門を開口した、肉食獣の様に佇んていた。ロックスの瞳が動物のように細く変化していく。
獣人族の持つ種族特有の能力の一つ、暗視能力が発揮され暗がりですら昼間の様に見通していく。そして警戒を怠らぬように、ロックスの身体から闘気が発せられ辺りの気配を探り始めていた。
樹木が鬱蒼として生茂り、昼間とは打って変わって真っ暗な森の中は恐ろしげな存在感を露わにする。
この村で生活しているロックスにとって、悪夢の森は慣れた狩り場でもある。そこそこに強い魔獣がうろつき、それが獲物となる。
しかし今は昼間ではない。夜ともなれば村人で近寄るものなど皆無だ。
『悪夢の森』
夜に森に入り込み、帰ってこれなくなった者は数知れない。それほど夜は危険度が増すのだ。ロックスと手無事に帰れるかどうか、せめてあいつが出てこないことを祈った。
††
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