第2話

 天王寺から白浜までは特急がある。和歌山を過ぎれば紀勢本線である。車窓から見る三月の海はすでに南国を思わせていた。椿は息子の言うように白浜の次にあった。駅前なんてない。二台のタクシーがあるだけだ。ここからタクシーで十分ぐらいの海に面した所に椿温泉があるが、温泉街なんてない、たった二件の宿があるだけだ。白浜と比べれば、一駅違うだけでこうも違うのかと驚かされる。


 二軒あるうちの安い方にした。観光旅行ではない。持病の腰のため十日を予定していたのだから、贅沢は言えない。旅館といっても安アパートを民宿にしたようなものであった。パンフレットで見たイメージとは、えらく違う。写真と実物は大抵こうである。

 向かいの道路一つ隔てた旅館は普通なのだが、えらく立派に見える。私のところは、道路より一段高くなっているから、海は眺められた。宛てがわれた部屋は4畳半ぐらいの布団だけ敷ければいいというような殺風景な部屋であった。ここの売りは『お湯』と料金だから、それ以外は問うてはいけない。


 道路から下は崖になっている。向かいの旅館は道に面しては二階建てだが、崖にそって三階あるから、五階建てになる。その崖を下った突き出た岩盤状の上に十階建てのリゾートマンションがポツンと一つある。スキューバーダイビングとかが流行りだした頃である。

 さすが不便なのか、売れていない様子で、夜なんかは各階に灯りが一つ、二つ、ポツンポツンで、まるで幽霊マンションという趣で、私なら怖くって泊まれない。

向かいの旅館からは夜ともなると、賑やかなお囃子が聞こえてくる。地元の衆の宴会だろう。白浜の旅館なら相当の値段が取られるから、白浜からタクシーで芸者衆を呼んでも安いのだろう。賑やかなお囃子や、宴会の歌は連夜である。


 朝起きて、1時間ほど海沿いの道を歩いたり、海が見える小高い丘の道を登る。朝食後、持て余した時間は釣り糸を垂れるが、私に釣られるような魚はほとんどいない。昼は野菜炒めに味噌汁、とんかつに味噌汁といった定食屋の定番メニューといったものである。テレビを見ながら食べる。2度目の新聞を丁寧に読み、出来るだけ食事時間を延ばそうとする。そうしないと、モノの5分で食事時間は終わってしまう。

 夕食は刺身が付くが、海の傍だというのに、さして新鮮ではない。お銚子を1本付けて貰う。それが一日の唯一の楽しみである。向かいの旅館の賑やかしが魅力的に、来ないかと誘ってくる。十日も休みを取ってこれかと、布団をかぶる。


 朝起きると一番に湯に入る。海から昇る朝日を見ての湯は気持ちがいい。昼食後に入って、軽い昼寝を取る。本を少し読んで、散歩に出る。腰が痛いのでそう遠くには行けない。海沿いの道は、海が見えて片側の斜面に緑、それだけで景色に変化はない。

 散歩から帰り、夕食前に又、入る。そして、寝る前に最後の湯になる。身体がふやけやしないかと思うが、何しろ湯治である。湯に浸かることが義務なのである。

持って来た数冊の本も読んでしまったので、本を買いたいと云うと、白浜へのバスがあると云う。鉄道では一駅先と云うけれど、くねった海沿いの道はバスでは結構かかった。


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