第4話 黄金の不動明王
悦子が耕五郎の秘書役になって三ヶ月が過ぎた。事務仕事を悦子がやってくれるというか、やってしまうので、とてもヒマになってしまった耕五郎は、恭介の淹れるコーヒーを飲んだり、読書をしたりしているばかりでは所員に申し訳ないと思って、とりあえず、渥美さんの浮気調査に同行してその仕事を手伝うことにした。渥美さんは「いや、いいですよ。いつも通り本でも読んでいてください」と奥ゆかしいことを言ったが、耕五郎は渥美さんがいくつもの案件を抱えて、てんてこ舞いなのを知っていたので、進んで手伝うと申し出た。「じゃあ、あんまり頑張らないでくださいね、所長」と渥美さんは言った。自分に対する気遣いだろうと耕五郎は思った。
依頼人は三十六歳の主婦A子さん。旦那の帰りが、いつも、とても遅い。旦那は残業だったと言う。土日祝日も会社に行く。今度は休日出勤だと機嫌悪げに言う。「とにかく今、ウチの会社は大事な時で忙しいんだ。お前には構ってあげられない」と冷たく突き放されたという。旦那は四十歳、働きざかりではある。しかし、先週の金曜日、洗濯をしようとワイシャツを取ったら微かに香水の匂いがする。これは怪しい。浮気を疑った奥さんは翌日の土曜日に休日出勤をする旦那を尾行するべく、変装メークをした。なかなかの出来である。しかし、三十分もメークに時間が掛かってしまっので旦那はとっくに出掛けてしまっていた。尾行失敗である。日曜日、奥さんは旦那の出発に間に合わすため五時半に目覚まし時計をセットし、変装メークを完成させた。しかし、旦那は九時過ぎになってようやく起きてきた。今日は休みだと言う。「なんだ、その厚化粧。黒柳●子か!」と雑言を吐いて、旦那はまた寝てしまった。
素人では尾行は無理だと悟った奥さんは、インターネットで興信所を検索した。トップに出たのがなぜか『トエンティの探偵通信簿』で、『小林探偵事務所』を、べた褒めしていた。奥さんは迷うことなくウチに電話したと言う。「そうですか。それは良い選択をなされました。ウチには渥美というこの道のベテランがおりますから」耕五郎は上機嫌で接客した。「それに、今日は所長である私が同行いたしますので、鬼に金棒です」耕五郎が言うと、隣席の渥美さんがコーヒーにむせた。「ところでご主人は今日も会社ですか?」「はい。今晩も残業だと言っていました」「ご主人の会社の定時は何時ですか?」「五時です」「そうですか。ではご主人のお写真を拝借します」「スマホの写真しかないんですけれど……」「それで結構です。こちらに転送してください。業務が完了しましたらメールアドレスごと消去いたしますのでご安心ください。個人情報の取り扱いについては充分に気をつかっております」「はい」写真が送られてくる。旦那は野生的な顔立ちだ。あっちの方も野獣なんじゃないのと耕五郎が思っていると、「所長、申し訳ありませんがここはやはり私一人でやります。所長は難事件や怪奇事件はお得意ですが、浮気調査は別のスキルが必要です。慎重さです。所長は残念ながら、ちょっと軽薄なところがあります」渥美さんは、はっきりと言った。風通しの良い職場、それが耕五郎のポリシーである。渥美さんにそう言われてしまったらぐうの音も出ない。心に隙間風が吹いた。なので「こりゃまた失礼いたしました」とその場を退散した。
ヒマである。せっかく浮気調査で時間を潰そうと思ったのに渥美さんに駄目出しを食らってしまった。だからと言って佐々木さんの手伝いはもうしたくない。すごく骨が折れるからである。動物の扱いは本当に難しい。悪党を相手にしたほうがまだましだ。耕五郎はあまりにもヒマなので、『小林探偵事務所』のホームページを作ることにした。考えてみれば、今までなかったのがおかしいくらいだ。耕五郎は早速パソコンに向かう。でも難しくてよく分からない。ホームページ作成は早くも挫折した。ちょっと勉強してみると、ブログが簡単に出来そうなので、無料で開設出来るという某ブログに登録する。タイトルは『小林探偵事務所の日常』とした。シブくて決まっていると耕五郎は思った。基本情報のところには、所長名小林耕五郎、住所、電話番号、申し訳ありませんが当ブログではご依頼をお受け出来ません。お電話をくださいと書き添えた。さて、何を書こう。怪人トエンティ・フェースとの対決を書こうかなと思って執筆してみたらこれが面白い。自分をカッコよく書いてみる。個人情報に気をつけて登場人物は仮名にする。要点を押さえて書いたら、なかなかの文章が出来た。耕五郎は自分が作家になれるのではないかと自惚れた。ちょうどそこに、佐々木さんが帰ってきたので「どう? ここのブログ作ってみたんだけど」と自慢げに見せてみた。すると佐々木さんは「これ、文章長すぎます。誰もこんなものは読みませんよ。ホームページが作りたいんでしたら言ってくれればよかったのに。私、作れますよ」と言ってパソコンをカシャカシャやって、簡単にホームページを作ってしまった。さすが理系女子。「それにメールでご依頼をお受け出来るようにしました。悦子さんに管理をお願いします」と佐々木さんは勝手にことをどんどん進めてしまう。悦子も「わかりました」と元気にお返事。耕五郎の出番はここにもなかった。ブログはすぐ閉鎖した。閲覧者ゼロだった。
そんな耕五郎のヒマを解消したのは、そのホームページからの依頼だった。その内容はこういうものだった。
『拝啓、秋深まりて稲、首を垂れる頃となりました。初めてメールいたします。拙僧、横浜市鶴見区にて苦災寺で住職をしております、花札任天と申します。先ごろ、怪人トエンティ・フェースと名乗る御仁から、わが寺の本尊、黄金不動明王をいただく。日にちは一週間後である。というメッセージカードを頂戴しました。おそらくはいたずらだとは思いますが、万一のことがあってはいけないと思い、警察に相談したところ、快くない返事をいただきました。まだ起こっていない事件には関わっている時間が警察にはない。ただパトロールの方は強化するとのこと。拙僧、腹を立てましたところ、寺の小僧が、それならば私立探偵に頼めば良い。評判の私立探偵事務所を知っているとして、御社を薦めてくれました。ぜひ、相談に乗っていただきたく思います。それではお体ご自愛ください、敬具』
「よし、私の出番が来た」と耕五郎は張り切った。怪人トエンティ・フェースとの再戦である。
苦災寺は鶴見区の獅子ヶ谷市民の森の中にある。メールには地図が添付してあったのだが、この森のどこをどう行ったらいいかさっぱり分からない。「こりゃあ、迷子になったかもしれないなあ」と耕五郎がぼやくと、森の上の方から小僧さんがやって来る。そして「小林探偵事務所の方ですね」と言ってくる。「そうだよ、ここは道が全く分かんないねえ」と耕五郎が言うと、小僧は「未だかつて自力で当寺にたどり着いた人はいません」平然と答えた。もうちょっと分かりやすい地図を作りなさいよ。耕五郎は強く思った。
歩くこと三十分、ようやく寺に着いた。華麗宗苦災寺、因業な名前だ。小僧は耕五郎を本堂でなく、脇にある茶室に連れて行く。中に潜り入ると老僧がいた。「これはこれは、小林探偵事務所の方ですな。拙僧が当寺の住職、花札任天と申します」「こんにちは。私が小林探偵事務所所長の小林耕五郎です。よろしくお願いいたします」挨拶が済むと、住職の淹れた茶を喫した。いつも恭介のコーヒーばっかり飲んでいる耕五郎には新鮮で、とても美味しく感じられた。「さて、本題に入りましょう。まずはトエンティ・フェースの予告状を見せてください」「うぬ、これじゃ」住職が懐から予告状を出す。水色の封筒に赤いカードが入っている。配色が変だな。トエンティはカラーコーディネーターにはなれないなと耕五郎は思った。カードのメッセージを要約すると一週間後、黄金不動明王を獲りに行く、住職のメール通りだ。「これはいつ届いたのですか?」耕五郎が聞くと、「月曜日じゃ」と住職が答えた。「ということは、犯行予定日は来週の月曜日か。住職、早速ですが、本堂の黄金不動明王を拝見させてもらえますか?」「ああ、こちらへお越しください」住職は耕五郎を誘った。本堂はこじんまりしている。「開けますぞ」住職が雨戸を開ける。別世界が広がった。これぞ密教、極彩色の壁を背に黄金に光り輝く不動明王が鎮座している。左手の羂索には真珠が使われている。そして不動明王を取り囲むように八大童子が配置されている。八大童子も金色に輝いている。「これは木像に金箔を貼ったものですか?」と耕五郎が聞くと、「何の、全て純金で出来ておる」住職が答えた。「ひええ」耕五郎はびっくりした。「作られたのは平安後期じゃ。元関東の武将だった、光明法師がこの寺を建立した時、大本山の二王寺から贈られたものじゃ。その頃、二王寺のスポンサーには俘囚の豪族安倍氏が付いていてな。金が豊富にあったのじゃ」「はあ」歴史のことは苦手な耕五郎であった。「重さはどれくらいですか?」「本尊だけでも三百キロはあるじゃろう」「うーん、そうすると、持ち上げて運ぶには相当の人数か、重機が要りますね」「そうじゃろう、だから拙僧はいたずらだと思うのじゃ」「しかし、トエンティは不可能を可能にする男ですからねえ」「そのもの、有名なのか?」「まだ駆け出しですけど、期待の怪盗No.1ですね。何せ二代目怪人二十面相の孫ですから」「そりゃあすごいな。是非とも拙僧が捕まえてみたいものじゃ」そう言うと住職は薙刀を持って来た。「これでそやつをぶった切ってくれよう」「それじゃあ、住職が殺人で捕まっちゃいますよ。なんか血の気が多いな」耕五郎は呆れた。「当寺は荒ぶる仏の寺でな」住職がしゃべりだした。「荒ぶる仏って何ですか?」「不動明王様自体が、仏道に背くものを強引に冥土に送る仏だからのう」「へえ、だからあんなにおっかない顔をしているのですね」「それに、この寺を建てた光明法師は鎌倉に背いて、一万の兵に取り囲まれたことがある」「一万!」「それを六人くらいの僧兵であわや鎌倉方全滅のところまで攻め込んだそうじゃ。その後、光明法師は失踪してしまったのでその後のことはよく分からない。だが鎌倉殿はその時の恐怖を忘れないため、当寺を再建したのだそうじゃ」「六人で一万の兵を全滅寸前まで追い込むなんて光明法師はとんでもない強者ですね」「その通り、日本最強の僧侶であるな」「まるで漫画ですね。それはともかく、事前の備えをしましょう。住職、ご本尊に近付いてよろしいですか?」「構わんよ」耕五郎は本堂に入り、ご本尊に一礼すると、近付いてその最下部をじっくりと見た。「固定はされていない。ただ置いてあるだけだ」さらに注意深く調べる。「床板が古くなっているな。破壊することはたやすい」そのことを住職に言うと、「では早速、大工を呼んで修理させよう」とせっかちに住職は電話を掛け始めた。大工はすぐに来た。
大工の修理を耕五郎はじっくりと見ていた。彼らがトエンティ・フェースの仲間だという可能性だってあるからだ。だが、大工たちはきっちり仕事をした。「ついでに天井も見ておきましょうか」大工が言う。「ああ、頼むわ」住職が答えて、作業が始まる。天井も防犯上大切な場所だ。トエンティ・フェースがお得意の気球を使って不動明王像を持ち上げるということも考えられる。耕五郎は大工さんと一緒になって天井を見た。ネズミが数匹いた。ネズミが苦手の耕五郎は飛び上がって、屋根裏に頭をぶつけた。痛い。どうにかネズミを追い払い、天井と屋根を詳しく調べる。特に細工はされていないようだ。一体どうやってトエンティ・フェースは黄金の不動明王像を盗むのだろう。深い森に囲まれ、周囲のケアは万端、未だに仕掛けの準備なし。それに品は三百キロの重さ。これを盗むのは不可能に思えた。
翌日から、耕五郎は自分で寺を訪れるのが億劫になったので、良雄とそのホームレス仲間、『中年探偵団』を派遣することにした。「何か、変わったことがあったらすぐに、連絡するように」と言って、またコーヒー片手に読書をしていた。そこに渥美さんが帰ってきたので、先日の浮気調査の件を聞くことにする。「どうなりました? 例の一件」渥美さんは答えた。「女の勘っていうのは鋭いですよ。旦那は毎日定時に上がって、浮気相手のウチに日参していました。もう、夫婦同然です。なんでも高校の同級生だそうですから、奥さんよりババアです。それでもいいんだったら、きちんと離婚しなさいと、私は諭しました」「奥さんの様子はいかがでした?」「当たり前ですけど、こういうことにはウブなので初めは相当取り乱しました。でも落ち着いたら、『慰謝料いっぱいふんだくってやるわ』って張り切っていましたけどね」「そうですか。そちらは一件落着ですな。私はこれからが勝負です」耕五郎は読書しながらもトエンティがどう攻めてくるのか考えているのだが、全然方法が見つからない。もしかして、この件は何か別の大きい仕事の囮なのじゃないかとも思えてきた。横浜市の経済を乗っ取ろうとしたトエンティが、いくらすごい価値があるとはいえ、小さな寺のご本尊を盗むなんて、彼らしくないといえば彼らしくない。トエンティにはもっと大きな仕事をしてもらいたい。そしてその難事件をこの小林耕五郎がズバッと解決する。これぞ素晴らしいサクセスストーリーである。佐々木さんには批判されたけれど、またブログを作って執筆しちゃおうかしら。そしたら、全国から依頼が殺到しちゃって所員を増やさなきゃならないな。事務所だって大きくしないといけない。そんな妄想に、耕五郎が浸っていると、電話が鳴った。良雄からだった。住職が至急会いたいと言っているという。耕五郎は身なりを整えると、鶴見の苦災寺に向かった。事務所最寄りの東急東横線綱島駅から鶴見に行くにはバスに乗る方が早い。一本で行ける。耕五郎は綱島駅発鶴見駅行きのバスに乗り込んだ。二人掛けの席しか空いていなかったので仕方なくそこに座る。本当は二人掛け席、嫌なんだよな。隣の人に気を使うし、降りる時、一回立ってもらわなくちゃならない。そんなことを考えていると後ろから「やあ、小林くんやないかい。奇遇やわ」と心の破滅の音がする。「横、空いているわな、よっこいしょ」ぎゅーっと、巨大風船みたいに、窓際に押しつぶされる。シャツを通して素肌を感じる。気持ち悪い。なんでこいつがここにいるんだ? こいつの名前は白智大五郎。白智小五郎先生の奥様の遠い親戚の孫で、誰の許しも得ずに突然、『白智探偵事務所』を再興させてしまった。その仕事ぶりは最低なようで、業界でもかなりの悪評が立っている。『トエンティの探偵通信簿』でもダントツの最下位だった。また名前のごとく丸々太っていて、もう秋の終わりなのに汗だくだ。必死に扇子をあおぎながらタオルで顔を拭っている。取り組み直前の相撲取りだよ、まるで。「小林くん、君どこ行くねん?」「守秘義務がありますから言えません」「ふん、そうかい、じゃあ、わしにも守秘義務があるからどこいくか教えてやらない」「知りたくもないですよ」耕五郎は窓からの景色を見て、大五郎を無視した。大五郎は扇子をあおぎながら鼻歌を歌っている。とても気に障った。
耕五郎が目的のバス停で降りようとすると大五郎も席を立った。同じバス停で降りたのだ。「まあ、奇遇やね。奇遇続きだね。この奇遇を活かしてウチの事務所に入りなよ」大五郎はしつこい。いつも耕五郎を勧誘してくる。その気は一切ない。それにしても大五郎はどこに行くのだ。まさか苦災寺じゃあないだろうなと様子を見ていると、地図を見て唸っている。まさかのまさかだ。苦災寺に行くんだ。耕五郎は無視して一人苦災寺への道を進んだ。寺に入ると、また小僧さんに茶室を案内された。また、あの美味しいお抹茶がいただけるんだと思うと、心がウキウキする。住職は今日も先に茶室に入っていた。「こんにちは」「ご苦労さまです」と住職は言うと「今日はもう一人客がいるでの」と続けた。大五郎だ。こんな狭い茶室に大五郎が入ったら空気中の酸素濃度が下がる。窒息する。脳に障害が残る……。そんなこと考えていたら、「やあ、狭いでんな。入れませんわ」と大五郎が潜りで苦しんでいる。入れなきゃいいのにと思ったら、するっと入ってしまった。竹筒に入った水羊羹がするっと出てくる感じにそっくりだった。「はい、住職はんお待たせしましたわ。ここに来る道、分っかりませんなあ。それに、あの地図、暗号ですわ。解読出来ない。小僧はんが迎えに来てくれたおかげでなんとか来られましたわ」そこまで言うと大五郎は耕五郎に気が付き、「小林くん、なんでいるの。もしかして意地悪したでしょ。イケズやわ」とぼやいた。ちょっと悪いことしたかと耕五郎は反省した。しかし、なんで大五郎がここにいる! 「小林さんには悪いけれど、セカンドオピニオンさせてもらいました」「セカンドオピニオン?」「ええ、小林さんの調査、捜索に不満はないのじゃが、どうも不安が消えない。そこで、天下に名だたる、白智探偵事務所の白智さんに来てもらって、違う角度から見ていただきたいと思ったのじゃ」それは構わないのだが、何も大五郎でなくともいいのに。耕五郎は思った。すると大五郎は、「それじゃあ、早速、不動明王像を見せてもらいます。これはすごいでんな。こんなもの、こんな荒れ寺に置いとったら、盗んでくださいと言っちょるようなものでんな。ここはレプリカを作って、本物は隠した方がよろしい」と言った。大五郎の意見には珍しく一理あった。耕五郎は感心した。少しは成長したか。「早速レプリカを作りましょう。知り合いに金物加工に優れたもんがおりますさかい、今夜から徹夜で作らせましょ。そいで本物は銀行の金庫に入れておきましょう。場所は安心出来る大手がいいでしょう。花菱東洋UFО銀行か、みずこ銀行がいいでしょう」大五郎は人が変わったように良策を連発した。「小林さんはどう思われるのじゃ?」住職が聞いてくる。「白智さんの意見でいいと思います」耕五郎はそう言うしかなかった。
「じゃあ、金物職人を五人ばかり、この寺に連れて来ます。道に迷わんように小僧はんに道案内させてください。よろしゅう」そう言うと大五郎は帰って行った。耕五郎は住職に「私はお役ごめんですね」と自虐的に言ったが、住職には「あなたに頼んだのは黄金不動明王像の安全。これは最後まで様子を見てもらわなくては困る」と言われたので業務を続けることになった。
次の日から、大五郎が連れて来た、金物職人が、不動明王像や八大童子のレプリカを作り始めた。腕は確かなようで、短期間に全ての作業を終了した。世間知らずの大五郎になぜ、こんな優秀な職人の知り合いがいるのか、不思議であった。
翌、日曜日は明日のトエンティ・フェースの犯罪予告から逃れるため、本物の黄金不動明王像、八大童子像を花菱東洋UFО銀行の大型金庫に入れる作業をした。日本運輸の美術工芸運搬特別係が丁寧に梱包する。これも職人芸だ。彼らも大五郎が連れて来た。大五郎は隕石でも頭に当たって、別人になってしまったのかと思うくらい的確に働いた。もはや住職の信頼は大五郎にあると言っていいだろう。だがちょっと待ってくれ。我々が戦う一番の敵は、怪人トエンティ・フェースである。やつの動きは今のところ、何もない。しかし、期日は明日だ。明日、必ず仕掛けてくる。そう思って、心を引き締める耕五郎であった。
予告日当日が来た。苦災寺にある黄金不動明王像と八大童子の像はレプリカである。怪人トエンティ・フェースがそれに気付いているかどうかはわからないが、気付いていなければ、このレプリカを盗み出そうとするだろう。どうやってという楽しみも正直ある。だがトエンティがレプリカの存在に気付かないことがあるだろうか。我が陣営、耕五郎、良雄、ホームレス、大五郎、職人、銀行員、住職、小僧さん、大工さん。この中に必ず、トエンティのスパイがいるはずだ。ということは本堂にあるのはレプリカ。盗む価値などない。本物は花菱東洋UFО銀行の大型貸金庫に入っているはずだが、耕五郎は確認していない。それに気になることは大五郎が姿を見せないということだ。「住職!」耕五郎は叫んだ。「花菱東洋UFО銀行の何支店に、黄金不動明王像と八大童子は隠されているのですか?」「横浜支店じゃ」「鍵を持ってそこに行きましょう。手遅れかもしれない」耕五郎たちは良雄のベンツに乗り、花菱東洋UFО銀行横浜支店に急行した。ずんずん入り込む、係員の停止命令は無視だ。貸金庫内にどんどん入る。そして大型貸金庫にたどり着いた。住職が鍵を開く。そこには何もなかった。空っぽだった。トエンティ・フェースはまんまと黄金不動明王を奪取したのだった。
不覚だった。大五郎は変装したトエンティ・フェースだったのだ。一見、すぐに盗めそうでその実、立地上の関係で盗みがしにくい苦災寺から、大怪盗なら簡単に盗みに入れる、銀行の貸金庫に移すために、わざわざ、職人を雇い、レプリカを作らせ、日本運輸の美術工芸運搬特別係まで呼んで安全に盗めるところまで移動させたのだ。今回は完敗である。トエンティは一度もその身を晒すことなく黄金不動明王を盗むことに成功したのだ。
と誰もが思うだろう。でもそれは甘い。この小林耕五郎は名探偵である。トエンティ・フェースの考えなど、すべてお見通しである。まず白智大五郎に変装したところからしてバレている。やつは僕の隣に座っていたのだが、ワイシャツの内側にインナーを付けていなかった。それは体を押し付けられた時にわかった。本物の大五郎ならそんなことをしたら、ワイシャツが汗びっしょりになるはずだ。でもなってなかった。トエンティも汗までは調整出来なかったようだ。それで怪しいと思った。それから大五郎の仕事ぶりだ。黄金不動明王のレプリカを作ることを提案し、即決して、すぐ職人を呼ぶ、そんなこと本物の大五郎に出来るはずがない。そのことに気付いた耕五郎は密かに別の職人さんたちにもう一組のレプリカを作ってもらった。そして本物の黄金不動明王と八大童子は『中年探偵団』を総動員して、偽の大五郎がいない夜中に、寺の奥の森に隠しておいた。耕五郎が作らせたレプリカも夜中に『中年探偵団』に、本堂へ配置させた。つまり、日本運輸さんの美術工芸運搬特別係が梱包したものは、耕五郎の作らせた第二のレプリカだったのである。今頃、梱包を外して、トエンティはレプリカだと気付いて、臍を噛んでいることだろう。
トエンティ・フェースとの対決が終わり、耕五郎はまたヒマになってしまった。思わず父の恭介に「お父さん、ヒマでしょうがありません。なんかすることないでしょうか?」と聞いてしまった。恭介は「寺で仕事してきたのだろ。座禅でもして心を空にしたらどうだ」と参考にならないことを言う。「うーん」考えた耕五郎は、“そば打ち”をすることにした。近くのホームセンターで道具を一式揃えてくる。店の人曰く中年男子の間で流行っているそうだ。事務所の机の上で蕎麦をこねる。むっ、気持ちが集中出来て、浮世を忘れられる。こね終えたら伸ばしだ、耕五郎は打ち粉を撒いた。その瞬間、「ハクション」と大きなくしゃみ。渥美さんだ。「蕎麦打つって聞いたんですけどうどんなんですか? えっ? 打ち粉ですか。実は私、小麦粉アレルギーなんですよ」「えっ、そうなんですか」じゃあ、そば打ちできないじゃん。耕五郎はまたヒマになった。こうなったら恭介の言う通り、座禅でも組むかと耕五郎が考えていると、「お届け物です」と何か届いた。何かやたら大きい。差出人は何とトエンティ・フェースである。まさかねと、耕五郎が箱を空けると……中身は何とトエンティが盗んだ、レプリカの黄金不動明王と八大童子である。「こんなもの送りつけられても、事務所に置くところないよ」と耕五郎はぼやいた。その後、苦災寺の住職に引き取ってもらおうと電話しても、「レプリカは二つもいらないな」と断られ、事務所のホームページに「これあげます」として写真をアップしたが、欲しいという人は現れなかった。なので今、所長席は八大童子に取り囲まれており、黄金不動明王のレプリカは大きすぎるので応接席のソファーの横に置いてある。以来客が驚くこと必至である。「どなたか、この黄金不動明王と八大童子、欲しい方、いらっしゃいますか? もちろん無料です。お家までお届けします。一生の家宝になりますよ」何度となくホームページに投稿を続けるがなしのつぶて。今度は、タウン誌に投稿しようか? 少しくらい、お金がかかってもいいやと思う耕五郎であった。
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