『雪に咲く花 -Sweet Memories-』




 玄関を開けたら、ふいに鮮やかなピンク色が、真っ先に目に飛び込んできた―――。




          *




 この冬いちばんの冷え込みを記録したその翌日は、朝から何年かぶりの大雪だった。

 そんな日に限って、本命の高校の受験日で。

“滑る”“転ぶ”“落ちる”が禁句である受験生にとっては、何てツイテナイ! と、オーバーリアクションで地に伏しては大仰に嘆きたくもなるというもの。――この雪の所為で濡れた駅の階段あたりで“滑って”“転んで”“落っこちた”ら、一体どうしてくれるんだ。

 そう憂鬱な気分で窓の外を見上げるオレを、無情にも母親が「そんな悠長にノンビリしてへんで、雪で電車まで動かんようになったらアカンから早めに出ときや!」と、まるで蹴り出さんばかりの勢いで追い立てる。

 ――オカアサン……? アンタ、仮にも本命の受験を当日に控えた息子に向かって、温かい励ましの言葉の一つも無いんかいな……?

 とはいえ、受験に何の役にも立たない励ましの言葉なんか、別にハナっから要らないが。

 それよりも何よりも、どーせくれるなら、『この雪やから駅まで送っていったるわ』という、こっちの気遣いの方が断然、欲しかったんですがー。

 しかし、それならそれで自分から頼んでみよう、とは、試みようとしてはみたものの……「うぎゃー遅刻やー!!」と、優雅に朝飯も食えない状態でバタバタ走り回ってる出勤前のオカンの姿を目にするだに……到底ムリや、と、言葉の代わりにタメ息しか出てきーへん。――なんやねんウチの家族は。

「ほな、行ってきますー……」

 とりあえず申し訳程度の小声で、相変わらずバタバタしてるオカンの背中に、タメ息吐きつつ、それを投げ掛けて。

 家を出るべく、コートを羽織りマフラーを巻き、おまけにポケットには使い捨てカイロを放り込んで、椅子に掛けていたバッグを肩に背負い、――そこでようやく飛んできた「気ィ付けて行くんやでー! 頑張ってなー!」という声を背中に聞きながら、その足で玄関へと向かった。

 昨日までは、とりあえず駅までは、自転車で行くつもりでいたのだが。――“雪が降る”と聞いていた手前、決して自転車で行けない距離ではないけれども高校まで直で乗り付けていくのは、サスガに危ないかなと思って。それで大事を取って電車で行くことに決めていたのだ。

 しかし生憎と、この深夜から降り始めて今もなお相変わらずの勢いで降り続いている雪は、既に道路のアスファルトの路面上にまで、コンモリと白く積もっている。

 この劣悪な路面コンディションで、よりにもよって傘まで差しながらという状態で、自転車を運転していくとなると……ぶっちゃけ、たかが駅までの距離でさえ、着くまで絶対に転ばない自信など、全くもって、オレには無い。

 よって、しゃーない歩くか…と、もう何度目になるか分からないタメ息を吐きながら靴を履き、傘立てから自分の傘を引っこ抜く。

 結局、そんなこんなで、母に蹴り出されるまでもなく早めに家を出なければならないことには変わらない。

 そのことが、何故だかモノスゴク腹立たしくて。

 ホンマにツイテナイわなー…と、そうボヤきボヤき、再び大きく一つ、タメ息を吐くと。

 おもむろにオレは、ガチャリと玄関の扉を開けた。

 即座に、開いた扉の隙間から吹き込んでくる、冷たい空気。

 この寒い中を歩いてくのもイヤやなー…と、一瞬だけ気持ちが怯んだものの。

 だが、エイヤッとばかりに意を決し、そのまま全開にドアを押し開く。



 開けたドアの向こうに広がるのは……未だ降り止まない雪が織り成す、一面の銀世界。

 ――その色の無い世界の中に、一つだけ存在する色彩が、ふいにオレの目を射る。

 モノクロの視界にパアッと飛び込んできた、それはそれは鮮やかなピンク色。

 広げられ、くるくると回っているピンクの傘。



「あっ、おはよーございまぁす、みっきー先輩っ!」



 ドアの開く音に気付いたのか、ピンクの傘がクルリとこちらを振り返った。

 白い息と共に紅い唇から吐き出されたその言葉と共に、傘の内側からニッコリとした笑みを投げ掛けてくれたのは……、



「――桃花ももか…チャン……?」



 同じ中学で、そして同じ部活の、一つ後輩の女の子。

 オレが今の中学へ転校してきて以来、ずっと“好き”だと想い続けてきた女の子―――。



 その彼女が、ピンクの傘を差しウチの門扉の前に立って、オレをニコニコと見つめていた。

「どうしたんや? こんな朝早くから、ワザワザ出迎えてくれはって」

 慌てて玄関のドアを閉め、言いながらオレは小走りで彼女のもとへと歩み寄る。

「だって先輩、今日、受験なんでしょ? 一日学校に来ないって聞いたから……」

 閉まっている門扉に軽く手を掛けたと同時、やっぱり門扉に手を掛けた彼女の瞳が、思いのほか近くから、オレを見つめた。

「だからコレ! 今日、どうしても渡したかったんです!」

 そして彼女が手袋をした両手で門扉越しに差し出してきたのは、可愛くラッピングされている小振りの包み。



「今日はバレンタインだから……! 誰よりも先に、チョコレート、先輩に渡したくて……!」



 ――ああ、そうか……今日は二月一四日、やったっけ……。



「一応、小さくて食べやすいもの選んできたので……試験に疲れたら、合間にでも食べてクダサイ……!」

 そうチョコレートの包みを差し出しながら、真っ赤な顔を、だんだん俯けてゆく彼女のことを見下ろして。

 この雪の中、一体ココでどれくらいオレのことを待っていたんだろうか、と……ふいに何となく、それを思った。

 …普段、学校へ行くのに家を出る時間よりも、今朝はずっと早いのに。

 …しかも、オレが何時に家を出るかなんて、そんなこと彼女が知ってるハズもなかったのに。

 それを考えたと同時、彼女を愛しいと思う気持ちが、すごくすごく、溢れるくらいに込み上げてきて。

 おもむろに手を伸ばすと、俯いてる彼女の、その赤く染まっている頬に触れた。

「えっ……!!?」

「――すごく冷たくなってるやん……」

 弾かれたように顔を上げた彼女を見つめ、今度は両手でその両頬を挟みこむ。

 即座に、驚いたのだろうか、更に赤く染まってゆく彼女の頬。

 てのひらから伝わってくる冷たさが、徐々にオレの体温で温まってゆくのが分かる。

「あ、あの、その、えっと、先輩……?」

「こんな寒い中、わざわざ待っててくれてアリガトな」

 慌てたような表情と仕草で彼女が口を開く前に、先んじて、オレは告げた。

「桃花チャンが来てくれたお陰で、受験、頑張れそうや」

 それは決して社交辞令なんかでなく、本気で。

 心の底から自然に湧き上がってきたみたいな……本当に本心からの、言葉だった。

 過言じゃなく正真正銘、さっきまで感じていた陰気で憂鬱な気分が全部、一瞬にして吹き飛んでくれたカンジだったから。

 ――彼女が今、こうしてオレのところに来てくれた、それだけで……何でも上手くいきそうな気分になる。

 オレは両手を離すと、そのまま彼女の差し出していた包みを摘まみ上げた。

「ありがたく戴くな。試験の時に甘いモンあると、ホンマ助かる。マジさんきゅー!」

 礼と共に笑みを返して、頂戴したばかりのその包みを大事にバッグの中に仕舞った。

 それからようやく、自分と彼女の間を隔てていた門扉を引き開け、外に出る。

「オレ、これから歩いて駅まで行くトコやったんやけど……桃花チャンは、これから学校やろ? 途中まで一緒に行こーか」

 告げてみた途端、彼女の表情カオがパアッとほころんだ。――まるで花が開いたみたいに満面の笑顔。

 その笑顔のまま首を縦に勢い良くブンッと振り、そして答える。

「ハイ、行きますっっ!! 『途中まで』とは言わず、ゼヒ駅までっっ!! だって、今から学校行っても早く着き過ぎちゃうしっっ!!」

「え、でも、そんなんまでしてもらったら遠回りになる……」

「大丈夫です!! そんなの気にしないで全然OKですから!! せっかくですもん、お見送りしますっっ!!」

「ああ、そりゃどうもありがとさん……」

「イエイエ、私がやりたくてやってることですから、お気遣いなく♪」

 そんな会話を交わしつつ、遅まきながらオレも彼女の隣で傘を広げると、並んで一緒に雪の中を歩き出した。



 明るくて、素直で、おまけに子供のように無邪気で、無防備で……。

 やっぱりオレは、そんな彼女のことが好きなんだ、と……改めて、思った。



 彼女と一緒に居る時間に癒されてる自分を、いつも感じる。

 そして、どんな時も彼女の明るさに救われる。

 こうして二人で歩く駅までの道のりが、どこまでも続けばいいのにとさえ、思えるくらいに。

 ――オレにとって、そのくらい彼女の存在は大切だった。



 彼女がオレに好意を持って懐いてくれることが、最初は、ただ単純に嬉しかった。

 無邪気に『先輩、大好き!』と言ってもらえることが、ただただ、本当に嬉しくて。そして誇らしくも、あった。

 でも、一緒に過ごす時間を重ねていくうちに……彼女にとっての“大好きな先輩”で居ることが、だんだんキツくなってきて。

 言われる都度、彼女の告げてくれる『大好き』の意味を、自分に都合よく勘違いしそうになる。

 ――そんなにも……きっと彼女とオレの中では、“好き”という言葉の意味に違いがある。

 だから、彼女を自分のそばに繋ぎとめておくためには、オレはあくまでも“先輩”で居なければいけないのだ。



 けれど……卒業してしまったら、もう彼女の“先輩”では居られなくなる―――。



 だからこそ、このまま彼女と離れたくは無いと思った。

 卒業してもなるべく近くに居て、今のままの“関係”でもいいから、それを繋がったままにしておきたいと思った。

 それで、自分の学力を考えたら多少レベルは高かったが、中学校から一番近い高校を受験することに決めたのだ。

 この高校に通うことになれば、登下校の際、中学校の前を通ることになるから。

 その時に、彼女と会える機会が作れるかもしれない。

 何かと理由をつけて、中学校へ訪れることも出来るかもしれない。

 卒業しても、この高校に通っていれば、少なくとも一年間は、彼女との縁が繋がってくれるかもしれない。



 ――こんな女々しい自分のことなんて、当の彼女には秘密だけどな。



 降りしきる雪の所為でか、普段よりも音の無い、静かに澄み切った朝の空気。

 ざくざくと、積もった雪を踏みしめて歩く靴音のほかは何の音も聞こえてこない、…そんな音までモノクロームの世界の中で。

 耳に良く響くのは、それだけが極彩色。――隣に並ぶ彼女の、高く通った明るい声だけ。

 オレを見上げながら笑顔で一生懸命になって話す、そんな彼女を微笑ましく見下ろし、にこにこと相槌を打ちながら。

 ぶつかり合う傘と傘の間の不自然に空いた二人の距離を、これは一体どうやって埋めたらいいものだろうかと……駅まで歩く道すがら、ずっとアタマの向こう側でボンヤリと、オレはそのことばかり、考えていた―――。




          *




「――あーあ……結局、天気予報の言った通りになってもーたなァ……」



 二月の、しかも受験当日の朝に降る雪は。

 記憶の引き出しの中から、懐かしいものを呼び起こす―――。



「高校受験の日とおんなじやんな……」

 窓の向こうに広がる白一色の世界を眺めつつ、ハーッと深くタメ息を吐いた。

 三年前と同様。――関東地方で、この冬いちばんの冷え込みを記録したその翌日は、朝から何年かぶりの大雪となった。

 更に三年前と同様なことに、今日オレは本命の大学の受験日で。

 加えて今日は、三年前よりも更に遠く、片道およそ三時間かけて試験会場である大学まで、向かわなくてはならないときてる。

「早めに出るにしても、“限度”ってモンがあるやろが……」

 雪が降るようなことは聞いていたから、念のため当初の予定よりも早めに起きといてよかったなァ…と、再びタメ息を吐きながら、一人ごちた。

 天気予報では『未明から降り始め、翌日午前中が降雪のピーク』ということだったが。

 でも昨日は、確かに多少は冷え込みが厳しかったものの、とはいえ雪の“ゆ”の字も見当たらないホド晴れていたものだから。これじゃ雪なんて降るはずもないだろう、と、内心タカを括っていたのである。

 …やっぱり気象庁の気象予測は偉大やな。

 どーでもいい時はバカスカ外してくれやがるクセに、当たって欲しくない時に限ってピッタリ的中させてくれやがって。

 もう一度、窓の向こうを見つめて深々と息を吐いてから。

 そしてオレは、手早くコートを羽織って家を出るための身支度を済ませると、部屋の電気を消して玄関に出、傘を片手にドアを開いた。

 ――三年前のあの朝と違って……背後でドタドタ走り回る母親も、他の家族の誰も、今朝は居ない。

 誰も居ない、オレ一人だけのシンとした家の中。

 一人暮らしをしているのだから、当然といえば当然なのだが……やはり“忙しい朝の騒がしさ”というものは、とりたてて受験に役に立つものでなくとも、無ければ無いで、少々寂しいものかもしれない。

 少しだけ胸に湧いて出てきた感傷を振り払うように、外に出て目の前で閉ざしたドアから、オレは差し込んだ鍵を引っこ抜く。

 手の中に収めた鍵をコートのポケットに放り込みながら、そのままクルリときびすを返した。

 二階に在る自分の部屋の前から狭くて短い通路を歩き、階段を下りようとしたところで……フとそれに気付く。



 ――モノクロの世界に映える、鮮やかなピンク色。



 階段の下には、ピンク色した大輪の傘の花。

 それが白い世界の中で彩りも鮮やかに、くるくると回りながら咲いている。



 そうやって傘を回しながら差すのは……昔から変わらない、桃花の癖だ。



 吹き込んできてウッスラと積もった雪のために、注意深くトントンとゆっくり階段を下りていった、オレの足音に気付いてか。

 短い階段を降りきる前に、くるりとピンクの傘が振り返る。

「おはよう、先輩!」

 明るい言葉と、やわらかな微笑みと共に。



 そして……あの日と同じ、今日は二月一四日―――。



「こんな雪の中、朝っぱら早くから……風邪ひくやんか」

 三年前と同じように、言いながらオレは、そのまま彼女の前に立つと、その頬を両手のてのひらで挟み込んだ。

「早く来てたんやったら、部屋ん中に居ればよかったやろ」

「うん…でも、ただでさえ出がけの朝は忙しいのに、邪魔になっちゃ悪いと思って……」

 けど、そんなに早くから来てなかったよ! いま来たばっかりだから! ――オレを気遣ってか慌てて付け加える、彼女のほんのり紅く染まった頬は……そんな言葉とは裏腹に、すっかり冷え切っていて。

 彼女の言葉を遮るように、オレはその唇に一つ、キスを落とした。

「来てくれてアリガトな。…ホンマに嬉しいわ」

 唇を離してから、それを告げると。

 ゆっくりと、彼女の表情に笑みが広がっていく。――三年前よりも少し大人びた、あでやかに咲き誇る花のような笑顔。

 そして彼女は、手に持っていた小さな包みを、オレに向けて差し出した。

「これ、バレンタインのチョコレート。試験に疲れたら合間にでも食べてね。食べやすいように一口サイズのにしたから」



 ――オレが大学に合格したら離れ離れになってしまう……それを彼女が憂いていることに、もちろん、オレだって気付いてる。



 オレが都内の大学を受験すると告げて以来、時おり彼女が表情に覗かせる憂いを帯びた色を、これまで何度と無く目にしてきたから。

 彼女なりに、精一杯それを押し隠して、何事も無いような表情を作ってから、オレと接してくれてはいるのだろうけれど。

 でもフとした拍子に零れてしまう“一瞬”は、彼女自身でもコントロール出来ない、無意識の現われなんだろうと思う。

 …決して心の底からの本心では、オレを応援することなんて出来ないだろうに。離れ離れになることを受け入れたいハズなんてないだろうに。

 それでも、あえて自分の気持ちを何も言わずに、ただオレを応援しようとだけしてくれる、その気持ちが嬉しい。

 そんな彼女の想いを感じるたび、僅かな罪悪感と共に、それ以上の愛しさが溢れてくる。

 溢れては抑えきれなくなるほどに、とてもとても愛しくて堪らなくなる。

 彼女の辛い気持ちまでを解っているクセに……なのに自分からは何も言わないのは。

 ――そんなもの、“甘え”といわれてしまえば、それまでだけど。

 けど多分、その通りなのだ。

 彼女のくれるオレへの“想い”に、どっぷり甘えてしまいたいのだと思う。

 愛しくて愛しくて、彼女の全てを自分のものにしたとしても、まだ飽き足らないほどに……それくらい、彼女を貪欲に求めているオレが居て。

 それゆえに、彼女の気持ちがどれくらい自分にあるのか、その全てを量りたいと思うオレも居て。

 彼女を傷付けてるかもしれないと分かっていながら……それでも何も言わずに、自身の欲望を優先させようとする自分。

 どうすればいいのか……自分でもコントロールし切れない気持ちのあまり、逆に彼女を試すような真似しか、出来なくて。



 それでも、桃花なら絶対にオレを好きで居てくれる。――そう何の根拠も無く思えてしまうくらい、オレは彼女に参ってるのに。



「ありがたく頂くな。試験の時に甘いモンあると、ホンマ助かる」

 三年前と同じセリフを返しながら……手袋をした彼女の手の上から、差し出された包みを摘まみ上げた。

 それをバッグの中に仕舞い終えるのを待ってから、彼女がオレを真っ直ぐに見上げ、そして言う。

「…受験、頑張ってね。先輩」

 ほわりとした温かい微笑みと共に。

 ――そこに少しだけ見えた、かすかな翳りを……オレは気付かないフリをする。

「桃花も、これから学校行くんやろ? ほな、途中まで一緒に行くか」

 何事も無かったように微笑んでそれを言うと、彼女も普段の笑顔に戻って「うん!」と明るい声で応じてくれた。

 改めて自分の傘を開き、そのまま歩き出そうとして……わざと思い出したように振り返る。

 まだその場に立ち尽くしていた、どことなく不満げな表情の彼女へと向かって。

 傘を持った右手を軽く上げてみせると、軽く首を傾げてみせる。――言わなくても通じる、『…入る?』って訊くジェスチャー。

 ヒトコト「うんっっ!!」と元気良く、パアッと全開の笑顔を見せるなり即座に自分の傘を畳んでオレの腕に飛びついてきた、そんな彼女と共に。

 二人でピッタリ身を寄せ合って、雪の積もった道路の上を歩き出す。



 傘を差しながら並んで歩く時の、不自然に空いた二人の距離が。

 こうすれば縮まることに気が付いたのは、一体いつからだったろう―――。



 三年、という時間を経て……変わってしまったものと、変わらないで在るもの。

 何があろうと、でも時間だけは確実に流れ続ける。



 いつかと同じく、降りしきる雪の所為で普段よりも音の無い静かな朝。

 音まで白く色褪せた世界の中で、それだけが極彩色の彩りを持って耳に届く、彼女の声。



 …でも、ピンク色の傘は、もう咲いていなくて。

 …二人の間に空いていた不自然な距離は、もうどこにも無い。



 滞りなく流れゆく時間の波に、こんなにも不安を感じるのは……一体、何故なんだろう……?



「あのね、先輩! 今年のチョコは手作りなんだよっ!」

「えーと……? ――お母さんの……?」

「違うってバ!! アタシのよ!! アタシが手ずから作ったチョコレートだから“手作り”って言ってんじゃないっっ!!」

「あー…うーんと、それは、えー……ぶっちゃけ、食べても大丈夫なモノなんでしょうか……?」

「なによそれ、失礼しちゃうなっっ!!」

「せやかて桃花、以前マエに『お弁当作ってくる!』って張り切って、見事に十本の指全部に切り傷と火傷つくっただけで終わったことあったやん……」

「う゛っ、それはっっ……! ――でもでも、今回は大丈夫!! ちゃんとミカコにそばで教わりながら作ったし、最後の味見までしてもらったからっっ!!」

「ああ、実果子ちゃんが付いてたんやったら……ほな、かろうじて人間ヒトの食えるモンには、なってるんやな……」

「だーかーらー、その言い方ってどうなのよーっっ……!!」

「てか、今回は火傷とかせんかった? 無事か指は?」

「…え゛っ!? ――ま、まあそこはあまり気にせずにっ!」

「………今度は指何本や?」

「…………言いたくありまセンっっ!」



 こうして二人で歩く駅までの道のりが、どこまでも続けばいいのに。

 いつだったか願ったように……心の中、オレは願う。

 このまま二人一緒に、どこまでも歩いていければいい。

 同じものを見て、同じことを考えて。

 そうやって、いつまでも二人で歩いていけたらいいのに。



 軽く脹れて尖らせた彼女の柔らかな唇に、そっとオレは、キスを落とす。

 驚いて目を丸く瞠ると、同時に緩みそうになる頬を精一杯、唇をむんっと引き結んではこらえてる、そんな戸惑ったような表情で、怒ったようにオレを見上げてくる彼女を見下ろすと。

 にっこり微笑んでみせてから、オレは告げた。



「たとえ致命的に料理が下手でも……オレは、そんな桃花が、イチバン好きなんやで?」




          *




 雪の中で咲く、唯一の色彩を持つ“花”は。

 同じようにオレの中で、やっぱり鮮やかな色に咲き誇る、唯だ一つだけの、大切な大切な“花”だから。

 それは多分、この先ずっと、いつまでも変わらずに―――。





【終】






→→→ about next story →→→

 みっきー先輩の“桜”が咲いた。

 桜の花が咲く頃には…先輩はもう、ここには居ない――。

 テーマは3月「ホワイトデー」

『サクラ サク ~Anniversary -bittersweet-』

→→→→→→→→→→→→→→

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