『夏の記憶 -Sweet Memories-』





 初めて出逢った日。――絶対、このひとが“王子様”だと、思ったの……!!




          *




「うーわ、もう、あっつーい……!!」

 開け放してあった廊下の窓の向こうから響いてくるジージーとしたセミの声を聞きながら……そんな呟きを洩らしつつ、私は理科室の扉を引き開けた。

 途端、閉め切った部屋の中で暑さが籠っていたのだろう、むわっとした熱気が溢れ出したように襲ってくる。

 夏休み真っ只中の、こんなしがジリジリと照り付ける一日の最高気温三五℃を記録するような今日、…よりにもよって、まだこんなにも日の高い時間。

 校舎の中には、生徒なんて誰一人として居やしない。しかもココは《特別教室棟》なんていう名前の、フツーの教室が並ぶ本校舎から離れた場所だもん、余計に人影なんて無い。

 入った理科室の暑さに耐えかねて窓を開け、校庭を見下ろすも……いつもなら練習に勤しんでいるはずの運動部の姿も、今日は無かった。もう今日の練習は終わったのかもしれない。――そりゃそーよね。こんな暑い中で普段通りに激しい運動なんてしてたら、確実に熱中症でブッ倒れる人間が多数出るに違いない。

 そんな日のそんな時間に一人、私がこうして学校に来たのは、部活動のため。

 とは言っても、部活を終えてココに来ているワケじゃない。――その逆。

 私が入っているのは〈天文部〉。

 そんな通常の活動も活発とは言い難い“夜行性”マイナー文化部で、今日はホトンド無いに等しい夏季休業中の部活動の、ちょうど観測会の日。

 ゆえに、他の部が本日の活動を終えて、部員が皆帰宅したような時間になってから……私たち“夜行性”な天文部員は活動し始める。

 そして部内で最も下っ端である一年生の私は、今日の観測会での雑用当番に当たっていたというワケで。

 だからこうして、学校に人気ひとけもなくなり、そして天文部員もまだ集まっていないような時間に、観測会の“下準備”をすべく一人登校してきたのだった。



 ――籠っていた室内の空気が、開けた窓から緩やかに動き出す。



 その場で一つ、深呼吸をして……そして私はきびすを返した。

 ここ理科室の隣に在る、理科準備室。――そこは、理科室の中からしか入れない。理科担当教諭しか入室できない規則であるその部屋は、授業の時以外、常に施錠されて一般生徒から閉ざされている。

 しかし、“天文部員”で“一年生”で“雑用当番”である今日の私の手の中には、しっかりと、その鍵が握り締められていた。

 観測会に必要な天体望遠鏡やら何やらは、全て準備室の棚の中に仕舞われているのだ。準備室に入れなきゃ、雑用係のイミが無い。

「…さて、と」

 ひと声ごちて、シブシブ私は動き始める。

 まずは、観測会の場である屋上に運ばなくてはならないものを全て、いったん準備室から出してしまおうと思い立った。全てのものを準備室から理科室へと移しきってから……それから屋上へと運ぶ方が、多分、効率が良い。

 そしてゴソゴソと私は、忙しなく準備室と理科室の間を往復し始める。



「―――あの……理科室って、ココでええの?」



 それは、ちょうど天体望遠鏡の入った包みを抱えて準備室を出てきたトコロで。

 ふいに投げ掛けられた耳慣れないイントネーションの低い声に、思わずビクッとして、私は反射的にそちらを振り返っていた。

 振り返った私の視界に映ったのは、開け放した入口の扉からコチラを覗き込んでいる、――私服姿の一人の男子。

 制服を着ていないってことは……ウチの生徒じゃないのかもしれない。

 それに、校内で見たことないもん、こんな人。



(見たことないわよ、こんなカッコイイ人なんてっ………!!)



 その端正な顔立ちに思わずボーッと見惚れて……つい、まじまじと凝視してしまった。

 こんな男の子が同じ学校にいたら、絶対、女の子が放っておかないハズ。

 ――誰なんだろう……?

 見つめるだけで何も言わない私の視線に耐えかねたのか……困ったように微笑んで、そして彼は再び訊いた。

「ココでええんやろ? 理科室って」

 その言葉にハッとして我に返ると、ようやくコクコクと頷きながら、「ハイ、そうです」と、私も返す。

「…ほな、ちょっと入らせてもらうわ」

 彼は小さくホッとしたように笑って言うと、ようやく扉をくぐって室内に足を踏み入れた。

「ココで待ってるように言われてるんよ」

(『待ってるように言われて』……? 誰に……?)

「あ、あの……?」

 不思議に思って、私が何事か問いかけようと口を開きかけた、――そんな時。

 戸口にヌッと覗いた、大きな影。



「待たせたなあ、三樹本みきもと



「――先生っ!?」



 思わず叫んでしまったのは、私の方だった。

 その声で、室内にいた私の存在に今はじめて気付いたかのように……その大きな影――天文部顧問である理科担当の柳井やない先生が、驚いたような表情でコチラを見やる。

「おお、居たのか小泉こいずみ。おまえが今日の当番だったか? ご苦労さん」

「イヤあの、『ご苦労さん』って、センセイ……!」

 この彼が『待ってるように言われ』たのは、どうやらウチの顧問の先生に、らしい。――てことは……つまり、何?

 先生と、この彼と、二人を繋ぐ関係がサッパリ全く読み取れない。

「あの、………?」

 呆気にとられたまま、呆然と二人を見比べつつ、何事か問いかけようとした私だったのだが。

 それよりも一瞬早く、「そうだ小泉、おまえにも紹介しとかんとな」と、先生の方が先に口を開いた。

「こちら、三樹本みきもと慎之介しんのすけくんだ。二学期からおまえの先輩になるからな、シッカリ挨拶しとけー?」

「え……?」

 そこで私がキョトンとして彼を振り向いたと同時。

 彼も、先生の言葉を受け、コチラを振り返る。

 途端、バッチリと合わさってしまった視線。――ドクン、と大きく一つ、心臓が鳴いて……そのままパキッと私は硬直してしまった。

 真っ直ぐで…あまりにも綺麗な、彼の瞳。

(吸い込まれそう……)

 まさしく“魅入られた”という状態なんだろうな、こういうの……彼を見つめたまま、身動きの一つも出来ない。

 しかし、そんな硬直してる私の様子などドコ吹く風、先生は相変わらず軽い口調で言葉を続けて下さる。

「俺のクラスに二学期から編入することになってなあ、今日はその挨拶に来てくれたんだ。天文部にも入部してくれるからな」

 そう言うと今度は、振り返って、隣に立つ彼にニコニコと語りかける。

「こいつは一年の小泉こいずみ桃花ももかだ。やっぱり天文部員。ウルサイだけで無害だから、仲良くしてやってくれ」

「――『ウルサイ』言うな!」

 反射的に猛然ととツッコんでしまった私を、おかしそうな表情を浮かべて、再び彼が振り返った。――目が合ってしまい、ドキンと、また私の胸が大きく高鳴る。

 焦って、ギクシャクとした動作で不自然にも彼から目を逸らすと、「…てゆーかセンセイ!」と、もって行き場の無い焦りを全部先生に向けてぶつけてみることにして、慌てて口を開く私。

「なによ、もうー!! 仮にも初対面のヒトに向かって『ウルサイ』って紹介の仕方はないでしょうっ!? フツー教師がそゆこと言うー!? 信じらんなーいっっ!!」

「おまえ……いま、自らそれを証明してるぞ……?」

「むぁ!? な、なんだとーうっ……!!」



 ――ぶはっ……!



 私が目を剥いて更なる反論をしようと息を吸い込んだ、その一瞬の隙に、差し挟まれたそれは。

 件の彼の、吹き出した声。

(わ、笑われたーっっ……!!)

 よりにもよって、こんな綺麗で素敵でカッコイイ人に……! しかも、めっちゃくちゃ“こらえきれません!”って表情カオされてるし……!!

 あまりのショックで、そのままぱーっと顔がユデタコ状態に赤くなっていくのが解る。

 でも、自分がそんなにもブスな顔をしてるって解っているのに……普通にしてた時よりもずっと幼くなった彼の笑顔から目が離せず……だから再び硬直したまま、私は自分のブスなユデタコ顔をボーッと向けたままで、見惚れて彼を凝視しているしか出来ないでいた。

 そんな私に向かって、にこやかに彼は言う。



「…それ、運ぶん?」



「え……?」



 一瞬……咄嗟に何を言われたのかが、わからなかった。

 その指差された先には……さっきからずっと抱えたままでいた、私の腕の中の天体望遠鏡。



「オレもこの後、ついでに観測会参加させてもらうことになってるから。運ぶモンとかあれば、手伝うで? 一人で準備するんじゃ大変やろ?」

 ようやくそこで、私のトロい頭が言われた言葉の意味を理解してくれるも……その時には既に、笑顔で彼が言いながら、コチラへと歩み寄ってきているところ、で、あり……、

 思わずズザッと、反射的に半歩、後ずさってしまった。

「いっ…いえ、そんなっ……!! 大丈夫です、一人で運べますからっ……!!」

 真っ赤になったまま両手をブンッと大きく振り振り、ドキドキしながら近付く彼を押しとどめるように、そう、告げた、――途端。



 ―――グガシャッ……!



(え………?)



 そんな限りなく不穏な音が足元で響いたと思ったら……私が、その方向を見やるよりも、一呼吸、早く……、



「う…、――うああああああこここ小泉オマエ、ななななにやった今ーーーっっ……!!?」



 今度は向こうから柳井先生の狼狽したような野太い大絶叫が、耳を貫くかのように、響いてきて……、



「――あっちゃあ……コレはイッたなあ……」



 目の前で、イヤに冷静な声で、私の足元を見ながら、そう、彼が、呟き……、



 そうして、つられたように自分の足元を恐る恐る見やった私の視界に映ったものは……天文部に一台しか無い、先刻まで自分が抱えていた天体望遠鏡のなれの果て、だったワケ、で、あり………。




          *




「―――おーっと、桃花! コレはオレが持ってっちゃる!」



 突然、頭の上から降ってきたその言葉と共に、私が今しも抱え上げようとしていた天体望遠鏡を、後ろからヒョイッと、みっきー先輩が取り上げた。

「え…? あ…ありがと……」

 突然のことで驚きながらも、見上げてお礼を言いかけた私を見下ろし……先輩は、顔満面にニヤーッとしたイタズラっぽい笑みを浮かべて、言って下さる。

「桃花に天体望遠鏡を持たせたら、どうなるかわかったもんやないからなーっ」

「…………!!」



 ――それは言わずもがな……中学時代のを、からかっているに違いなく………。



「もうっ……!! そんな昔のことなんて持ち出さないでよ今サラっ……!!」

 それは言わないお約束ー!! と、即座に脹れっ面になって私は、先輩を上目遣いで睨み付けた。

 しかし、そんな私の様子などドコ吹く風、あははーっと軽く声を上げて笑いながら先輩は、尚も続けて下さる。ホント心の底からおかしそうな様子でシミジミと。でも、どことなく懐かしそうな表情も浮かべて。

「あん時の柳井サンの慌てっぷりといったら、もう……!! いつ思い返しても笑えるわー。ホンマ笑いごとやあらへんけど……それから卒業するまで、ずっと部内で“対天体望遠鏡接触禁止令”とか出されてたもんなあ、桃花限定で。よっぽどショックやったんやなぁー」

「…………」



 先輩の言うとおり……あの後、常日頃から口ウルサイくらいに天体望遠鏡に対する取り扱いを厳重注意し続けていた、一見ゴッツい熊のよーに大柄で如何にも大雑把な性格してそうな外見してるクセに実はやかましいくらい神経質だった柳井先生から、『だーから常日頃から言ってるだろうオマエは何でそう落ち着きが無いんだ』から始まってあーだこーだと、しこたま長々しいお説教を喰らうハメとなり……おまけに、おシャカになってしまったのは一台しか無い天体望遠鏡、せっかく暑い中、わらわらと夕刻になると共に部員たちが集まってきたというのに、カンジンな観測会も出来なくなったよーな事態に陥り、そのせいで人数は少ないながらも全員のブーイングまで一身に受けることとなり……。

 ――それ以来、当分の間、私には『天文部の破壊魔』という不名誉な肩書きが付いて回ることとなった。

 おかげで何かとゆーと、コトあるごとに『クラッシャー小泉』と呼ばれ、モノが壊れればいわれも無く私のせいにされ、親切心から何か運ぼうとすれば『やめてー!!』と血相変えて懇願され、結局なにも手伝えない役立たずと言われ、その挙句に事務雑用ばかり押し付けられ、…と、数え上げればキリが無い。

 たった一度の失敗でもって私は、卒業するまで、そんな全くもって有り難くも何とも無い事態を被るハメとなったのだった。



「――もう……ホントいい加減、忘れてくれたっていいじゃないのよそんなことー……」

 その数々を思い出してゲンナリと呟いてしまった私に向かい、「それはムリやなぁ」と、ニベも無くアッサリさっくり仰って下さる、みっきー先輩。――スイマセン……もう私、フテクサレてイジけてやるせなく一人の世界に閉じこもってみても、いいですか……?

「つーか、忘れられるハズなんて無いやんか。あんなにインパクトのある“出逢い”なんて」

 しかし、そんな私のブスくれてムクれて脹れた顔を、覗き込むように近くから見つめて……ふいに先輩はニッコリと微笑む。それはそれは極上の笑みで。

 初めて出会った日から変わらない……どことなく幼くも見える、私の大好きな、先輩の、それはそれは優しい笑顔―――。



「オレと桃花が、初めて出逢った日、だったのに……それを桃花は、忘れてもいいんか……?」



 即座に私が「イヤ!」と返すよりも早く、――降ってきたのは柔らかなキス



「…だから結局、つまるところ、桃花には望遠鏡を運ばせるワケにはイカン、っつーワケやな」



 唇が離れてから、ニッコリとそれを言った先輩を見上げつつ……思わず大きくタメ息を吐いてしまった。深々と。

 ――自分じゃ見えないけれど……多分、“これでもか!”ってくらいにイヤそーな表情カオをしてるんだろうな、今の私……。

 私と先輩の、“初めての出逢い”なんていう大切な思い出の記念日だというのに、――こんなの、情けなさすぎるっ……!!



「――でも結局……絶対、私も、忘れられないんだわー……」



 だって、私が初めて“王子様”に出逢った日、でも、あるんだから。――私が、初めての恋をした日。



 哀しいやら嬉しいやら、くすぐったい気分なような、やりきれなさMAXのような……そんなフクザツ極まりない想いを持て余しながら、トホホ…と、そうして苦笑しつつ呟いてうなだれた私に、もう一度、軽くキスを落としてから。

 やおら先輩は、「そろそろ行こうか」と、私の頭を優しくポンッと叩いた。

「いい加減、はよ行かんと、碓氷サンの足元、タバコの吸い殻で山が出来るで?」

「…確かに」

 そうだ……早く戻らないと、『望遠鏡一つ取りに行くのに一体何時間かかってるんだ!?』的なイヤミを言われることは、間違い無い。じゃなかったら、『オマエは望遠鏡一つ持ってくることすらマトモに出来ないのか』なパターンね。

 ――あんなインケン教師に、みすみすイヤミなんて言わせてたまるもんですか……!!

 そこで「あれ…?」と、気付いた私は先輩を振り返った。

「そういえば……先輩、どうして部室ココに来たの? 何か忘れ物?」

「いや、その逆。運ぶモノ全部運び終わったから、最後にカギ閉めに来ただけや」

「…てコトは、私で最後?」

「ま、そういうコトやな」

「…………」

 くらり…と、思わずそこで軽い眩暈を覚える。――あああ、サイテー教師のイヤミ決定ー……。

「もういいよ、先輩……あんな教師、待たせとけば……」

「…つーか桃花チャン? ほかの皆様も待たせてるってコト、忘れてません?」

「――忘れてませんー……」



 天体望遠鏡を抱えた先輩の代わりに私が部室のカギを閉め、私たちは、そのまま一緒に廊下を歩き、校舎の外へと向かった。

 昇降口を出ると、途端、真夏の太陽が眩しいくらいに輝いてジリジリと私たちを照り付けてくる。

 並んで共に歩き出しながら……眩しさに眇めた視界の先に映るのは、目の前のロータリーに停まっている一台のバスと、そこに集まる人だかり。




          *




 この夏は……私が先輩と共に過ごす、四度目の夏。

 そして、私たちが“カレシ”“カノジョ”の関係として、初めて迎える夏休み。



 素敵なコトが起こりそうな予感がする……二人の、初めての夏―――。



 思い出の中の夏に負けないくらい、私たち、今まででイチバン楽しい時間ときを過ごせるよねっ!




          *




 夏休みを迎えた天文部の恒例行事。――これから夏合宿が、始まります!





【終】






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“お月見”って…そもそも、こういうモノだっけ…?

 テーマは9月「お月見」

『片月見の約束 ~Anniversary4』

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