『星に願いを…。』





「新入部員歓迎合宿ぅー?」

 言って私は、椅子に座っていた体勢のまま、思わず目の前に立つ友人を見上げていた。

 その友人――私の中学時代からの親友である高階たかしな実果子みかこは、「うん、そう」とアッサリ一つ頷くと、手に持っていた一枚の紙を差し出す。

「これ、回覧。――五月のGWゴールデンウィーク中に一泊で学校合宿だって」

 その差し出された“回覧”と赤字で書かれているプリントを見ると、確かにその通りのことが記載されている。――加えて、『新入部員は強制参加!』とまで太字でデカデカと。

「ちょっと待ってよ……」

 思わずゲンナリした声で返してしまった。

「だって、“新入部員”っていっても……実質、私たち二人しか居ないじゃないの今のとこ」

 ――そうなのだ。…プラス、部内の〈紅点〉だったりも、する。

 ゲンナリついでに机の上で頬杖つきつきボヤいてみると、そこでミカコが「いや、三人よ」と、即座に訂正して下さった。

「ウチのクラスの早乙女さおとめくんが入部してくれたので、一応、新入部員は“実質三人”になりました」

「…ああ、そぉデスカ」

(それにしたって……回覧するまでも無い人数じゃん……)

「あと、何人か“名前だけ借りてます部員”も居るらしいし……“新入部員”と名の付く部員は、今のとこ五人くらいは居るんじゃない?」

「そういう“名前だけ借りてます部員”みたいなヒトが、仮にも“合宿”と名の付く部活動に、――参加すると思う?」

「――…思わないけど」

「イミ無いじゃん……」

 ミカコの引きつったような苦笑に、そこで思わず、私の口から深々としたタメ息が洩れた。

「絶対、“新入部員”ってだけの一番下っぱの私たちが、宴席の肴とばかりに、さんざんイジくり倒されるハメになるだけよ……」

 しかも三人しか居ないんじゃー、それから逃れられようハズも無い。

 丁度そこで教室内に入ってきた早乙女くんを見つけ、…やさぐれた私を持て余していたのだろう、ミカコがホッとしたように、「ああ早乙女くん、ちょうどよかった」と、手を振って彼を呼び止める。

「これ、部活の回覧なんだけど。目を通してくれる?」

「はあ? 回覧ー? なんだそりゃ」

 私たちの居る座席まで近付いてきた彼は、差し出したその“回覧”を受け取り、目を通すと……そこで、「高階は?」と、傍らに立つミカコに訊いた。

「参加するの? コレ」

「だって、ココに『強制参加』って書いてあるじゃない」

「そんなもん、いくらでも口実なんて作れるだろ?」

「まあ…ね、それはそうだけど……」

「――なぁにぃ、早乙女っちー? ミカコにだけ『参加するの?』って訊いて、私には訊いてくれないんだぁ~?」

 そこで二人の間ナナメ下から、ニヤニヤ~っとしながら、そんなチャチャを入れてみる私。――早乙女くんがミカコ狙いで入部したことなんて、もう見るからにバレバレだし周囲には。…でも、カンジンな当のミカコにはバレてないんだけど。…ダメじゃん。

 ――ともあれ、そこらへんはさておき。

 それを聞いた早乙女くんは、そこで初めて、私の方を振り返った。

 そして言う。めっちゃくちゃイヤそーな表情カオをして。



「訊かなくても……オマエはどーせ行くんだろーが。三樹本みきもと先輩狙いで」



「………っ!!?」



 思わずグッと言葉に詰まってしまう私。――だって、まあ、“その通り!”だし。

(てゆーか、『狙い』とかゆーなよ……!! 別に私はセンパイ狙っているワケじゃなくっ……!!)

 しかし、そんな反論を私が言葉にする前に、それに追い討ちをかけるかの如く、ほんわりと響いて降り注ぐ、ミカコの声。



「そうよね、ここに『幹事・2-C、三樹本』って書いてあるし。これは桃花ももかは休めないわねー?」



 アナタ……そんなワザワザ回覧のプリントまで見せて言ってくれなくっても……しかも、ご丁寧にその部分、指差してくれてまで……。



「だから早乙女くん? 結局、桃花に引きずられるカタチで、私も『強制参加』させられるハメになると思うわー」

 ――ちょっとミカコ……その言い方ってば、どうなのよトモダチとしてっ……!!

「ナルホド」

 ――だから、そこで納得するなよ早乙女っ……!!

「つーか、あんたらっ……!!」

 その二人のあまりに失礼な言い草で、半分逆ギレした私は、思わずバシッと机を叩いて立ち上がる。



「いーじゃないの別に!! …ええ、参加するわよ! してやろーじゃないのよ! センパイとラブラブいちゃいちゃするためなら、どこにでも参加してやろーじゃないっ!! 何でもドンと来やがれってなモンだわよ!!」



 そこで、すかさず私のてっぺん頭に振り下ろされる、二つの平手。

「つーかオマエ、堂々と声デカすぎ!」

「そういうことは心の声だけにしときなさい、桃花?」

「――う、ハイ……」



 くそう……みんな、アタシの恋に優しくないわっ……!! しくしく……(涙)。




          *




 高校に入学してから、そろそろ一月が経とうとしている。

 私は、ミカコと一緒に〈天文部〉に入部していた。

 中学時代も所属していた部だったから高校生になっても“部活動”として続けたかった、ということも、あったからだけど。

 それよりも何よりも、みっきー先輩が所属していた部だから、ということの方が大きい。

 もともと、私とみっきー先輩、そしてミカコは、中学時代の天文部員仲間だった。

 私が先輩と知り合ったのも、中学校の天文部でのこと。――“先輩後輩”の関係としては、私たちはそれ以来の付き合いになる。

 高校に入ってからも引き続き天文部員となっていた先輩を追いかけるように、だから私も迷うこと無く、入部する部活動は天文部を選んだ。

 だって、ただでさえ学年も違うし……せっかく同じ学校に入ったんだもの、こうやって同じ部に所属すること以上に一緒に学校生活を過ごせる方法なんて、他に無い、でしょう?

 これからの高校生活、より多くの時間を先輩と過ごすことのできる手段として。

 また、もともと私は星を見るのが好き、ということもあるし。

 そう考えてみると、…動機は不純なりに? 自分にとって“やりたいこと”のできる部活動を選んでいるワケだから……私自身で選択したことだもの、こうして入部したことに対して、別に特別“後悔”とかはしていない。――けど、ね……。

 でも“現実”は厳しかった。――ってホドではないけれど……しかし、とてもじゃないけど甘くはなかった、ので、あったワケで……。



 ―――だって、まさか天文部が校内随一の“別称《オタク部》”だったなんて……誰も、思わないじゃないっ………?



 そりゃーもう、その名に違わぬ、めーっちゃくちゃ“男所帯”な部でございましたわよ! ええ、とってもッ!!

 ミカコと一緒に、初めて部室に顔を出した時の衝撃を、私はまだ忘れちゃいない。――きっと一生、あの驚きは忘れられないだろう。



『失礼しまーす! 天文部ってコチラで、す、……?』



 ドアを開くと同時に発していた言葉は……途中で喉の奥に貼り付いたまま、凍りついた。

 代わりに出てきたのは、『う…』という呻き。

 だって……ドア開けた途端に鼻を突いた刺激臭。――紛うこと無くタバコの煙。しかも一本や二本って量じゃないモクモクっぷり溢れる視界の白さ。

 その煙の向こうでは、机を四つ向かい合わせただけの即席雀卓を囲んでジャラジャラと麻雀に興じている、オヤジな高校生三名。プラス、白衣着たムサいメガネの男性一人。

(――つーか、ここホントに高校……?)

 いくら『生徒の自主性に任せた自由な校風』とやらがウリな規制のユルい高校だからって……これは行き過ぎなんじゃないだろうか……?

 反射的にミカコと二人、“回れ右”して逃げ出しかけたわよ。――どうりで……『私も天文部に入部する!』って言った時、先輩が、そこで驚いたよーな困ったよーな何とも言えないビミョーな表情を浮かべたワケが、ようやくこれで理解できたわ……。

 ――と、そこで逃げ出していたら、現在の私は無い。

 逃げ出しかけた私たち二人の気持ちを引き止めたのは、即座に投げ掛けられていた……低くて冷たい声。



『ドア開けたらサッサと閉めろ。煙が外に洩れるだろうが』



 このセリフで、逃げ出そうとしかけていた気持ちごと、カラダがパキッと凍り付いてしまったのだ。

 ピシャリとそれを言ったのは、即席雀卓を囲んでいた一人、白衣を着た男性。――つーか、このヒト顧問のセンセイなの……?

 その人は、こちらに視線を向けもせず、くわえタバコで手の中の牌に集中したままで、更に冷たく言い放つ。

『入るなら入れ。出るならさっさと出てけ。勝負の邪魔だ』

(『勝負』ってアンタ……)

 入部希望のカワイイ新入生を放ってまで続ける価値のある大事な勝負なんですかソレは……?

 そこで唖然とした私が絶句した、その隙に。

 私よりも立ち直りが早かったらしいミカコが、ぱたんと静かに、ドアを閉めた。――もはや諦めたように、コッソリとタメ息を吐きながら。

 その音に反応したのか、ようやくそのヒトは、『ん…?』とでも言いたげに顔を上げてこちらを見やる。

『何だ、何か用か? 用があるならサッサと言え。授業の質問なら受け付けんぞ。後にしろ』

(うわあああ、やっぱりこのヒト“先生”だよー……!! しかも、何っつーイイ加減さ……!!)

 その、あまりの不良教師っぷりに再び私たちが絶句したところで……聞こえてきた、今度は別の低い声。



『センセー、それは冷たすぎだって。そのコたち新入生じゃないの?』



 その“先生”の背後に置かれていた戸棚の影から姿を現したのは、一人の男子生徒。…ネクタイの色から三年生だということが解るけど。

『新入生にくらい…つーか、しかも相手はオンナノコなんだから、もうちょっとくらい優しくしてやんなよセンセー』

『うるせーぞ吉原よしはら! 俺ほど誰に対しても平等に優しい教師なんて、他にいるかよ』

『平等に“無関心”の間違いじゃん』

『…言うじゃねーか、このクソガキ』

 そんな言葉を“先生”と軽く交わしながら……その『吉原』と呼ばれた三年生は、きっと戸棚の陰で本を読んでいたのだろう、手に抱えた文庫本を上着のポケットに押し込みつつ、にこやかに私たちの方へと歩み寄ってくる。

『まさかとは思うけど……部室ココへ来たってことは、――ひょっとして入部希望?』

 ニッコリした笑顔で尋ねられた私たちは、そんな彼の言葉尻に『…じゃないよねーいくら何でも』と続けられていたにもかかわらず、揃ってそこで、ウッカリ素直に頷いてしまっていた。

『はい、そうです……』

『入部希望、です、けど……』



 ――つまり、これが……私たちが“後戻り”できなくなった、直接の原因。



『え……!? ――マジで入部希望ッ!? キミタチ二人ともッ!?』



 そこで心の底から驚いたように発された彼の大声と共に……『ウソ!?』『マジで!?』『なにーっ!?』という、やっぱり驚きの大声と、そしてガタゴトッという机やら椅子やらを蹴り飛ばしたような物音が、同時に彼の背後から響いてきて……。

 で、気が付いてみたら……私とミカコは、四人のデカくてゴツい男子生徒に見下ろされていた。ネクタイの色が、みな三年生。――『吉原』ってヒトと……そして件の“先生”と雀卓を囲んでいた、例のオヤジな三人の男子たち。

『すっげー、初めてじゃねー女子部員なんて!』

『しかも新入生かよー! ここ最近、新入部員だってマトモに入ったことねーのにさあ』

『つーか、二人ともカワイイねー! 君ら、一年何組? 名前はー?』

『ご趣味はー? 星好きなん?』

『それよか、カレシいる!? オレなんてどう!?』



 あんたら入る部を間違えてんじゃないの!? とでも言いたくなるよーな、見るからに“体育会系”なゴツくてデカいオトコに満面笑顔で我先にと詰め寄られ接近されて質問攻めされて……それでもなお平常心でいられるオンナノコが、ドコの世界に居るだろう……?



『うわ、桃花!? それに実果子ちゃんも……何やっとるん、こんなトコで? ――ひょっとしてマジで入部しに来たんか……!?』



 ――そこで、みっきー先輩が部室のドアを開けてくれなかったら……その場で泣き出してただろーな私ら二人共きっと………。




          *




「なんかね、聞いたところによると……GWに毎年、天文部主催で、新入部員の勧誘も兼ねた観測会をしてるんだって。部員以外の一般生徒も自由参加OKな、むしろ“部活”って云うより“学校行事”の一環みたいなイベントとしてね。それが終わった後に、そのまま天文部員は新入生歓迎合宿になだれこむらしいんだわ」

 部室へと向かって廊下を歩きながら、それを言ったミカコを振り返りつつ、私は尋ねる。

「――それ、誰から情報?」

「――顧問センセイ……」

「…………」

 天文部に入部してから、もうや約一ヶ月。――驚いたことにミカコは既に、あーんな尊大で横柄で性格の悪い上に底意地まで悪い極端なヘビースモーカーの不良教師であるウチの顧問を手懐けるすべを、サッサと身に付けてしまったらしい。

 よくも、あそこまで歪みきった性格の持ち主と和やかに会話ができるものだと……そこらへん、ものすごく尊敬する。

 確かに…確かにさっ、生徒にとって、少しは“話せる”部類の先生らしくて、ウチの部の部員連中――注:男子生徒only――は何事でも無いようなカオで全然フツーに懐いてるみたいだけどっ! …みっきー先輩も然り。

 でも、私は慣れないのよおぅっ!! くっそう、あんのバカ教師ー!! ヒトの顔見るたび、いっつもいっつも鼻で小バカにしやがってえええええっっ……!!

 思い出すなり即座にぶんムクれた私を目の当たりにして、途端に“しまった”とでも思ったのかミカコが慌てて、

「あ、イヤ、えっと、…そう! 吉原部長も同じこと言ってたし! それに、ひょっとしたら観測会の時に新入部員ゲットできて、合宿参加人数も増えるかもー…とか何とか……」

「…………」

 ――でも全然それフォローにすらなってないし……。

 しかもそれ、めっちゃくちゃ“希望的観測”なモノ言いじゃない!? ――確かに、観測会を通じて新入部員が増えるかもしれない…という点については否定しないけど。

(でも、入ったその日に学校に泊り込みしたいと思うよーな奇特な人間なんて……ドコ探したって、居るもんかいっ……!!)

 おまけに、何が哀しゅーてGWの真っ只中に用も無いのにワザワザ観測会に参加するためだけに好き好んで学校に来ようと思うかなあ、そもそも。

 絶対、その観測会だって、一般参加者なんて限りなくゼロに近いに違いない。

「ありえないよ、それ限りなく絶対……」

 浮いてきた血管でヒクヒクしかけているコメカミを軽く指で押さえつつ……そうボヤきながら、部室の前に到着した私たちは、そこで何気なく、ドアを開けた。



 ―――実際に天文部に籍を置いてみて、理解わかったことがある。

 それは、“別称《オタク部》”である天文部、イコール実は“明るいオタク君たちの集い”、だったってコト。

 そこまでネクラなオタク集団では無かったとはいえ……女子部員の寄り付かないワケが、めっちゃくちゃ、理解できたわよ。

“オタク”てゆーか……ぶっちゃけ“オヤジーず”だよね既に。特に三年生の先輩連中。唯一、部長の吉原先輩だけは、まだマトモな方だけど。――ハジけてるの……! 妙な方向にハジけ過ぎてるのよ皆……!!



「うっ……!!」

 ドアを開けるなり、途端に押し寄せてきた白いケムリと刺激臭。

「――だぁかぁらぁああああっ……!!」

 血管、浮いてくるどころじゃない既に。――もう切れる、あとヒトイキで。

 そこで低く呻いた私は、そのまま息を止めると無言でツカツカ部室の中央を横切りベランダへ向かって歩いていき、おもむろにガラピシャと、乱暴に窓という窓すべてを全開にする。

 外から入ってきた新鮮な空気を、まず、思う存分、吸い込んで。

 そうしてから、努めてにこやか~に、振り返った。

 私の視線に映るのは……それぞれタバコ片手に即席雀卓に向かったままコチラを見やっている、三年生の坂本さかもと葛城かつらぎ田所たどころ先輩の、お三方がた。

「――ねえ、先輩っ?」

 ニッコリとした私の笑みとミョーに優しげなその言葉で、ハッと我に返ったように三人は、それぞれ手にしていたタバコを、即座に灰皿がわりの空き缶に放り込む。――が、〈時、既に遅し〉。

 そんなことくらいで……私の切れそーになってる血管がやんわりと、――癒されてくれるハズなんて、ないでしょうがああああっっ!!



「何度も何度も何度も何度も……!! 『部室内禁煙!』って言ってるのに、どぉして守ってくれないんですかああああああッッッ!!!!」



 大絶叫をかますや否や、窓付近の戸棚に常備してある“お部屋の臭い取り”用の消臭スプレーをガッと握り締めるなり、三人の先輩たちに向かって勢いよく吹き付ける。――おまけに、シッカリ常備済みの“トイレの臭い取り”用のスプレーと合わせて。

 部室中に広がる、サワヤカなミントの香りと甘ったるいキンモクセイの香り。

「ぐああああっっ……!! ややややや、ヤメロ小泉こいずみ!!」

「わああ、俺たちが悪かったっ……げほごほげほげほっ……!!」

「つーか高階サンっ!! そんなスミッコで笑ってないで、小泉止めてっ……!!」

 毎度毎度のこの騒ぎに、こーなるとミカコも慣れたもので。シッカリとハンカチを口許に、しかもいつの間にやら風上である窓際に移動していて、ニコニコと涼しげなカオで傍観者に徹してくれている。

 ――が、それも甘い。

 ナニを隠そう、ミカコこそ最終兵器。

「うるさいうるさいうーるーさーいーーッッ! ミカコに助けを求めるなんて百年早いのよっ!! ――よし、やるのだミカコ!!」

「ラジャ~♪」

 そして彼女が取り出したもの。――それは、“汗の臭い取り”用の消臭デオドラントスプレー。

 再び部室中に広がってゆく……今度は、むせかえるようなセッケンの香。

「うがあああああっっ………!!!」

 そうして、ようやく三年生のオヤジーず三人が机に突っ伏して撃沈したところで、私もミカコも、スプレーから手を放した。

「ぅお…オレらはゴキブリかい……!」

「高校生の分際でタバコ吸う人間なんて、それ以下です!!」

「…………!!」

 そんな呻きを洩らす彼らに残った気力の最後の最後までを叩きつぶしてから。

 そして、誰も反論できなくなったのをいいことに、もう毎度毎度繰り返し続けてるセリフを私は怒鳴り散らす。まるで八つ当たりの如くに。

「てゆーか先輩方、タバコなんて吸ってることがガッコにバレたら退学だって、解ってるんですかそこらへん!? 天文部だって、…ただでさえ今ヒト少なくて“同好会”扱いになってるってーのに、今度こそ廃部になっちゃうじゃないですか!! あのインケン中年クサレ教師がトコロ構わずスパスパ吸いやがってるからニオイ残っててわからないとでも思ってるんでしょうけど、そんな考え甘いですからね!! つーか、そもそも何でせっかくヤツが居ない時にまでワザワザ吸うんですかっっ!! 信じらんないっっ!!」



「――ほおぉ? 仮にも“先生”に対して随分な言い草だなキサマ……?」



 そこで聞こえてきた、――地の底を這うように低い…そんでもってシベリアの永久凍土よりも固く冷たい氷のような、声………。



 反射的にドアの方向を見やった私の視界に映ったのは、長身の体を軽く屈めるようにして今しも扉をくぐらんとしている、くわえタバコに眼鏡をかけ白衣をだらしなく羽織っている一人の男性の姿。

 コイツこそ私の天敵、ウチの部の顧問である理科教師。

 天文部顧問、――またの名を碓氷うすい恭平きょうへい、二五歳。地学担当教諭で一年C組副担任。…つまり何の因果か私のクラスの副担任。…イヤガラセかしら?

 ホントこんなヤツ、名前を呼ぶのもオゾマシイわよ! つーか、名前を呼んでやる価値すら無いわよ!

 ヤツは部室に入るなり、部屋中に蔓延しているミントとキンモクセイとセッケンの香に気付いて、眉をしかめる。

「…まーた派手にやりやがったな、小泉こいずみ桃花ももか

「…また出たわね、諸悪の根源ッ!!」

 ――片や、不機嫌そうにタバコの煙を吐き出しながら高い位置にある視線で見下す、長身のムサいオヤジ。

 ――片や、両足広げて両手を腰に屹立してキッと上を見上げる、余りにもこぢんまりとしたサイズの私。

 そんなの……どっちにがあるかなんて、一目瞭然じゃないの悔しいけど……!!

 睨み合っては視線にバチバチ火花を散らしていることに飽きたのか、ふいにヤツがニヤリと笑った。しかも鼻で。フフン…ってカンジで。

 そして、さもイヤガラセのように、悠然と息を吸い込むと、フーッと深く、白い煙と共に吐き出した息を、あろうことか私の鼻先に向かって吹きかけて下さりやがる。――それこそ、“どんなに消臭したって所詮ムダムダムダムダ…(以下無限)”とでも言ってるみたいな……、



(………ッッ!!!!??)



 ――そんな私の視界のスミに……ミカコが耳を塞いでその場に蹲ったのが見え……そして、いつの間に起き上がっていたのか、三人の先輩たちがコソコソと部室のスミの方に移動していったのが解り………、

 そして私は震えるこぶしを握り締めて、思いっきり、息を吸い込む。



「こんッの…クサレ外道インケン中年教師ぃいいいいい―――――ッッ!!!!!!!」



 カーン!! ――その部室中に響き渡る絶叫は、まるで“試合開始”のゴングのようだと……ミカコがいつもシミジミと言う。



「だれが『中年』だ、このジャリガキ!!」

「どー見たって中年以外のナニモノでもないでしょうが、このクソオヤジ!!」

「誰が『オヤジ』だクソガキ!? ふざけんなよ!! 俺はまだ二十代だッ!!」

「どうサバ読んだトコロで、所詮、四捨五入すれば三十でしょうが!! 充分にオヤジじゃない!!」

「なんだとぅ!? 三十男を馬鹿にすんなよ!? …ま、オマエみたいなちちくせェジャリガキ程度にはわからないだろーけどなっ、この魅力が!!」

「わかってたまるか、そんなものッ!! つーか所詮オヤジ!! あくまでもオヤジ!! そんなん、モテない中年のタワゴトじゃんか!! うすらハゲ!!」

「誰が『ハゲ』だ!! 大人しく言わせておけばイイ気になりやがってこのチビガキ……!!」

「『チビ』言うな!! そういうアンタこそ、〈ウドの大木〉並みのムダにデカい図体してるクセして!! ヒトのこと言えるかー!!」

「ほおぅ…? 言ったな? それを言ったな? ――てめぇ、そんなに地学の点数、欲しくねえようだなぁ……?」

「うがっ!! ――ちょっと、だから、毎回ソレ持ち出すの卑怯っっ……!!」

「敬うべき先生サマを毎回トコトン罵倒してくれやがる罰と思い知れ、クソチビガキ」

「なっ…なによなによなによーッッ!! そーやってすぐ成績をタテに脅すよーな、可愛い生徒を『クソチビガキ』呼ばわりするよーな、そんな極悪非道教師の一体ドコを敬えってゆーのッ……!!」

「全部だ全部!! どこもかしこも敬いやがれ!! 神様だと思って、それ以上に崇め奉れ!! そのくらい、ヒトとしてトーゼンだろーが!?」

「ふっ…ふざけんじゃないわよ!! 間違ってるわよヒトとしてソレは!! アンタ一体、何様のつもり!?」

「“先生サマ”で“神様”で“俺様”だ!! その少ない脳ミソかっぽじってよーく叩き込んでおくんだな!! ――解ったか、たかが“ヒラ生徒”?」

「――――ッ!!!??」



 こうして……最後には口で言い負かされる私の手が、まるで鬱憤晴らしの如く無意識に動いてしまうのは、もはや毎度のことで、あり………。



「くッ……!! このサイテー教師!! 失格教師!! 外道、非道、極道教師ぃいいいいいッッ……!!!!!」



 再びの雄叫びと共にブンと唸りを上げて宙を舞った消臭スプレーズだったが、しかし、このクソ教師はそれを難なくヒョイッと避けて下さりやがり……、



「うがッッ……!!?」



 そして過たず、標的を失った二本の缶は、今まさにドアを開けて入ってきたそのヒト――みっきー先輩の、頭部めがけて真っ直ぐに、そして勢い良くヒットしてしまうことと、あいなってしまったのであった………。



 ――モチロン、その後の私が半狂乱になって余計に暴れまくったことは、言うまでも無い。




          *




「――つーか、何なのよコレは……!!」



 そして毎年GW恒例とやらの観測会当日。

 会場である本校舎屋上を見渡してみて、私は思わず目を疑った。

 新入部員という下っぱであるが故に、屋上へ通じる階段の踊り場で地味に“受付係”をミカコと一緒にやっていた隙に、そこは大勢の生徒で埋まっていた。

 イヤ、受付をしていたのだから、そんなことは充分に理解していたつもりだ。わりと多くの生徒が参加するものだなーと、少々驚いていたのだが……てゆーか、参加者に何でこんなに女子が多いんだろうなあ? とも、思っていたのだが……。



「ねえ、三樹本くーん! この望遠鏡、何も見えないんだけどー?」

「三樹本くぅーん、コッチもお願ーい!」

「三樹本くん、ちょっと解説してくれないかなあ?」



(だから……!! どーしてそんなに、みっきー先輩が引っ張りだこになっているワケなのよ……!!)



 女子生徒たち――どー見ても二、三年生のお姉さま方――に取り囲まれている先輩を見つめ、ボーゼンと入口に立ち尽くしている私の肩に、そこでポンと、手が置かれる。

「気~になる~? 桃花チャ~ン?」

 振り返るまでも無く……背後に立って、それぞれにポンポンと私の頭やら肩やらを叩いてくれやがっているのは、オヤジーず三人組である坂本・葛城・田所先輩。

「――気になりますよッッ!! 当然でしょ!? 決まってるじゃない!!」

 ドコの世界に、自分のカレシを他のオンナノコに取り囲ませたまま平常心でいられるオンナノコがいるってゆーの!!

「取り返してくるッッ……!!」

 先輩方のそのニヤニヤとした言い草にまでも腹が立って、そのテンションのまま、みっきー先輩を奪い返しに行こうと息巻いて歩き出した私、だったのだが……、



「「「―――ちょーっと待て!!」」」



 すかさず、見事なホドにユニゾンを披露してくれた三人の手に掴まれ、引き戻される。

「ちょっと! 放してくださいよ!! なんで先輩たちが止めるんですか!?」

「いいか、よーく聞けよ小泉」

 そこでマジメくさったカオをして三人は……至極神妙な口調で、それを、仰る………。



「今日のあいつは、“客寄せパンダ”だ!」



「………は?」



「つまりな、ウチみたいに部員が少ない部は、こーいう催しモノ関係の集客具合で、今後の部費が左右されるんだ」

「部費のために耐えろ、耐えるんだ、耐えてくれ小泉!」

「ちょっ、『部費』って……!! だから、そんなの別に、みっきー先輩は関係ないっ……!!」

「イヤ、大アリなんだなーこれがまた! アイツ狙いのオンナを集められなかったら、トコトン集客できないし」

「そうそう、ヤツの愛想の良さは、こういう時に使わなかったら持ち腐れだぞ?」

「てゆーか、だから何で先輩なの!? みっきー先輩以上に客寄せできる人間くらい、ほかに、居るでしょうっ!?」

「――居ると思うか本気で?」

「―――…思いません」

「――正直者だなオマエもとことん……」

 そこで私がグッと言葉に詰まった拍子に、「でも」と、隣からおっとり、ずっと黙ったままだったミカコが、口を開いた。

「三樹本先輩ホドじゃなくても……やっぱり“客寄せパンダ”をやってらっしゃる人が、もう一人、いるみたいねえ……?」

「えっ……!?」

(じゃあ、先輩が“客寄せ”する必要、無いっ……!?)

 その言葉で嬉々としてミカコを振り返り、彼女の視線の先へと目を向けてみると、そこには……やっぱり女子生徒に囲まれている……、――極悪非道なウチの顧問。

「げっ……!!」

 みんなシュミ悪い…! と、思わず呻いてしまった私だったが、

「いやーミカコちゃん、お目が高い!」

「そうなんだよー、ナニゲに恭平ちゃんも人気モノなんだよなーこれがまた」

「そりゃ、教師といったらジジババばっかの、こーんな田舎の高校で唯一の若いオトコだもんなー。誰だって食いつくわな」

「…………」

 そんな三人三様のオコトバに、思わず絶句。

(みんな、アイツの中身ってモンを知らないから……)

 一度あの性格の悪さっぷりを目の当たりにしてみればいいんだ。そうしたら、ヤツにキャーキャー言う気力なんて、絶対になくなるから。

 思わずタメ息を吐いた私の両肩を、ふいにガシッと、そこで今度はミカコが掴んだ。



「―――桃花、あきらめなさいッ!?」



「ふぇッ……!!?」



 至近距離から私をニッコリと見つめるミカコの有無を言わせぬ迫力にされ、そこでビクリと硬直してしまった私。

 そんな私に気付いてか気付かないでか、尚もニッコリと迫力タップリに微笑んで、彼女は続ける。

「いいわ、この際タップリと二人には“客寄せ”に徹していただきましょう……!? ――これで部費ふんだくれなかったら、タダじゃおかないんだからっ……!!」

「…………」

(――ミカコさん……人柄ヒト、変わってます………)

 何か気に食わないことでもあったのだろうか、フフフフフ…と不敵に微笑んだミカコは……、

 ――本当に、マジで、怖かった……!!

(しゅ、守銭奴……!!)

 ああ……“部費おカネ”という魔物は、おっとりした可愛らしいお嬢さんを、こうまでも変えてしまうチカラを有しているものなのか……。

 私が唖然と硬直している間に、「じゃ、行くわよ桃花」と、ミカコが私の手を引っ張る。

「え……? 『行く』って、ドコに……」

「モチロン、“客寄せパンダ”が目に入らないトコへよ!! 雑用は、まだまだ一杯あるのよー? 桃花が集中できる場所へ行くのっ!」

「…………」

「私たちは部長と早乙女くんの手伝いに回りましょ。――じゃあ先輩方、この場はお願いしますねー?」

 そうして、いつにも増してニッコリ迫力笑顔のミカコには逆らえず……素直に手を引かれて、私もその場を後にする。

(ふ…ふえええええん、センパ~イ………!!)

 ――もちろん心の中で泣いていたのは、当然の如く、言うまでも無かったけど。




          *




 その観測会の後になだれこんだ“新入部員歓迎会”については……正直、あまり思い出したくもない。

 案の定、たった三人の参加した新入部員――私・ミカコ・早乙女くんは、オヤジーずな先輩方にサンザンいじくり倒されるハメとなった。

 所詮、“新入部員”なんて、“主役”という名前だけの、単なる肴。

 特に私は、部内でもみっきー先輩との関係は既に周知のことだし……おまけに、カンジンのみっきー先輩が幹事で忙しくしてて私に構えないのを良いことに……その件に関するオヤジなツッコミを、さんざん、さんざん、さんざんッ、頂くこととなった。

 観測会の時から、先輩に構ってもらえない――どころか他のオンナに取られるハメになるという――鬱憤と苛立ちをタップリと抱えていた私は、最初こそ黙って大人しく受け流していたが、そのうち逆切れかまして、反対に思う存分ノロケて先輩とのラブラブっぷりをめっちゃくちゃアピールしてやった。…ああ、スッキリ♪

 それで私へのイジりはパッタリと減ってくれたとはいえ……そんな私の横でミカコが、やっぱり観測会の時から、一見ニコヤカなくせしてミョーに話しかけ難いオーラを纏っていて、とてもじゃないけど軽くツッコミ入れてはからかって遊べそうな雰囲気では無くて……結局、先輩たちのイジり攻撃は、ただ一人、早乙女くんに集中砲火の如く浴びせられることとなった。

 宴会がお開きになって就寝時間となってからも、男子部員は皆、地学室でザコ寝だもん、また更にイジられ倒されている頃だろう。

 そして、私とミカコの女子部員二名は、保健室を貸し切りで、ベッドという快適な寝床を頂けることとなり、よって早々に床に付いていたのだったが……。



「――あれ……?」



 フと目を覚まして隣を見ると、ミカコのベッドがカラッポだった。

(トイレかな……?)

 あまり気にもせずに、私は再びゴロンと横になったのだが……そこから十分、二十分経過しても、ミカコは一向に戻ってくる気配が無い。

「どうしたんだろう……?」

 少し心配になって、私もモゾモゾと起き出した。

 学校指定の体操着とブルマで寝ていた私は、とりあえずジャージの上着だけを羽織って、保健室から外に出る。

 ――つーか、夜中の学校の廊下って……どうして、こんなにブキミなのかしら……!!

 それでも、ひょっとしたらミカコがトイレで倒れているかもしれない…! と思い、廊下以上にブキミこの上ないトイレへと、足を運ぶ。

 しかし、ミカコはトイレにも居なかった。

 トイレも、廊下も、どこもかしこも真っ暗な校舎は……私をムズムズと落ち着かない気分にさせる。

「もーミカコったら、ドコに居るのよーっ……!!」

 泣きそうになりつつも、とりあえず心当たりの場所を探すことにした。

(えーと、でも、“心当たり”って言っても……今日二人で行ったのは、部室と地学室と屋上くらいしか……)

 地学室なんて…いま男子部員がザコ寝してるよーなトコに、ミカコが行くハズは無いだろーし。その並びに在る部室だって同じだろう。

(じゃあ、屋上……?)

 夜風に当たりに行ってでもいるのだろうか? それ以前に、こんな夜中に、屋上のドアって開いてるのかな……?

 半信半疑で階段を昇っていくと……半開きになっている、屋上へのドア。

(誰か、居る……?)

「ミカコ……?」

 小さく呼びかけながら、ゆっくりと、それを押し開く。

 ドアはかすかに軋んだ音を立ててアッサリと開き……その向こうに、広々としたコンクリートの床と、高いフェンスと、そして濃紺色の夜空が見渡せた。

「うわ、キレーイ……!」

 吹き付けてきた風の涼やかさと、見上げた夜空のあまりの綺麗さに……ドアを開け放ったその場で立ち尽くしたまま、私は絶句する。

 さすが田舎だ。地上の余計な光が少ない分、空の光が良く見える。



「―――桃花、か……?」



 そこで、ふいに投げ掛けられた声に、思わずビクッとして振り返った。

 振り返った先に居たのは……ドアのすぐ横の壁に凭れかかった姿勢で座りコチラを見上げている、――みっきー先輩。



「どうしたん、こんなトコまで来て? 眠れないんか?」

「…………!!」

 何気なく尋ねる、そんな先輩の言葉にも……驚いたあまり、私は何も返せない。

「あ、あの、私っ……!!」

 何事か言葉を出そうとした拍子に、突然、くしゅっと一つ、クシャミが洩れた。――やっぱり屋上の風は冷たかったみたいだ。

「ああ、もう、つーか桃花、そんな薄着で来るからー……大丈夫かー?」

「だってー……」

 ミカコ探すのに、まさか屋上まで出てこようとは思わなかったんだもの……。

「あ、そういえばミカコは? ここに、来てない?」

「実果子ちゃん……?」

 そこで本来の目的を思い出して、それを尋ねるも……先輩は軽く「イヤ」とアッサリ、応える。

「オレ、もうかなりしばらく一人でココに居てたけど……その間、特に誰も来てへんよ?」

「そう……」

「なんや、実果子ちゃん居ないんか?」

「うん……ホントもう、ドコ行っちゃったのかなあ……」

「トイレは?」

「一応、そこも探してはみたんだけど……」

 言いながら、また一つクシャンと、洩れるクシャミ。――ううわ、カッコ悪いっ……!

「…じゃあ、入れ違いになったんやろ。戻ったら居てるって。だから、風邪ひく前にお前もフトンに戻りーや桃花」

 呆れたようなタメ息まじりのそのオコトバで……思わずムッとして返していた。

「イ・ヤ!」

「桃花、あのなぁ……」

「じゃあ私も先輩と一緒に、ココに、居るっ!」

「だから、桃花……」

「別に、風邪ひかなければいいんでしょっ?」

 そして、再び何事か言いかけようとした先輩の口を塞ぐように……つかつかと歩いて先輩の前に立つと、ぽふっと、真正面から抱きついてやった。

「んなっ、ももも桃花なにをっ……!?」

「こーしてればあったかいもーん! うわーい、ぬくぬくーっ♪」

「…………!!」

 そのまま私は、先輩の投げ出した長い両脚の間に、ペッタリ座りこんでしまう。

「今日は一日中、ずっと先輩に構ってもらえなくて、すっごい淋しかったんだから……!!」

 だから、このくらい許してよ? とでも言いたげに見上げた私の視線を見下ろして、先輩はそこで、はーっとした息を深く吐いた。まるでタメ息のように。

 そして、「かなわんなぁ…」と呟きつつ、ようやく私の背中に手を回し、抱きしめてくれる。

「悪かったな、ホンマに……ごめん」

「ううん、いいの。しょうがないもん」

 そんな殊勝なコトバを返しつつも……それでも、私の手は言葉とは裏腹に、ぎゅうーっと更にキツく、先輩のカラダにしがみ付いていく。

「しょうがないけど……!! でも、私が一緒にいられないのに、他のオンナノコは一緒にいられるって……それは悔しかったかなっ! スッゴク!」

「――う…イヤあの、それは、だから……」

「『だから』…なに……?」

 ぎゅううううっ…!! より締め付ける私の両手から、「うがっ…、ギブギブギブっ…!!」と、本気で苦しそうに身をよじって、そこで先輩が降参とばかりに両手を上げて逃れた。

「仕方ないやん! 先輩らーの命令やってん、オレが集めた分、オレが接客せんことには収まりが付かへんって……」

「ふうん、そう……先輩が『集めた』のね……? あんなにオンナノコたくさん……?」

「――――!!?」

 そこでハッとしたように先輩は口を噤むも、――遅いわよ気付くの、それは幾ら何でも。

「先輩も所詮、部費に目が眩んだクチだったんだね……私のことよりも、部費おカネの方が大事なんだ……」

「いや違うって! だから、桃花ッ……!!」

「ひどーい、私が知らない間にそんなたくさんのオンナノコ口説き回ってたなんて……先輩のウワキモノーッ!!」

「『ウワキ』って…違うやろそれは!! それに『口説き回って』なんて、してへんしホンマに!!」

「ふうぅぅん…? 口説いてもないのに、先輩はあんなにオンナノコ集客できちゃうんですかー。それはスゴイですねーホンマにーっ!」

「…………」



 ――そこで、イヤミッ気タップリな私の口を塞ぐように……降ってきた、少し乱暴なキス。



「…いい加減、ちょぉ黙りやー?」

 お互いの唇が離れてから、目が合うと……少し怒ったような声で、先輩は言った。

「オレがするんは桃花だけやって……理解わかってて言ってるんか、そういうコト……?」

「――わかってるもーんっだ……!!」

 その言葉は嬉しいんだけど……それでも、ちょっとだけ悔しさまじりに、私はそこで、“いーッ”とも“ベーッ”ともつかない表情カオをして舌を出す。

「わかってるけど……でも、放っておかれるのはすっごい淋しくて……だから腹が立ったのっ!!」

 私を見下ろしてる、どこまでも優しい視線を受けるのが耐えられなくなって……そして、先輩の胸に顔を埋めるようにして抱きついた。

「先輩には先輩で、いろいろあるんだって、わかってるけど……でも、私だけを見ていて欲しいんだもん……こうやって、いつも一緒にいたいんだもん……!」

 ――そんなのは、単なる私のワガママ。…そしてヤキモチ。

 わかってるけど……でも、言いたくなるんだもん。

 誰にでも好かれる“人気者”な先輩だから、尚更、不安なんだもの。いつも、いつも、私ばっかりが……。

「ワガママなこと言って、ごめんなさい……」

 ぎゅーっと抱きついたまま、先輩の胸の中で素直にそう謝った私だったが……ふいに、そこで優しく引き剥がされる。

(え……?)

 上を見上げた拍子に、再び降ってきた……柔らかくて優しい、先輩の、唇―――。



「…殺し文句やな、それは」



 そう見下ろした視線だけで、私のことを釘付けにして離さないって……先輩の優しい瞳は、それこそ言葉以上に“殺し文句”ばりの効力を持っては私の心ごと捕まえて離してはくれないってこと、

 ――きっと自分では、全然、気付いてないでしょう……?




          *




 先輩の腕の中にくるまって、二人で春の夜空を眺めながら……私は願う。

 私たちを見守るように優しくまたたく、満天の星々たちに。



 ――いつまでも……ずっと、ずっと、先輩とこうして二人でいられますように……。



 もし“星の神様”が居るのなら……どうか叶えて、お願い神様。

 私の、ほんのささやかな“願い事”を。

 それさえ叶えてくれるなら、他には何も、いらないから―――。




          *




「そういえば……どうして先輩、こんな夜中に、一人でこんなトコに来てたの……?」

「ああ、星を見に来た……つーか、逃げてきたついでに、星を見てた」

「『逃げて』……?」

「ああ、先輩らーがコッソリ酒やら持ち込んできてるから……その酒盛りに巻き込まれる前に逃げてきた」

「うっわあ……!!」

 ――やりそう……! 確かにあのオヤジーずなら、やりかねないッ……!!

「つーか、マジでバレたら廃部だよー天文部……!!」

「まあ、なあ……でも大丈夫やろ、身内以外にはバレんよーにやってるし。そういうトコロは器用やからなーあのヒトたちは。おまけに顧問も顧問やし」

「もしかして、一緒に酒盛りしてるとか言う……?」

「いや、それはしてへんけど。でも、あのヒトはシッカリ気付いてるでー?」

「気付いたら止めよーよ、仮にも教師なら……」

「ああ、ムリムリ。言ったトコロでムダに煽ってくれるだけや」

「…それもどうなのよ?」



 そんな、耳に心地いい低い声を聞きながら……ぬくぬくとした先輩の体温を背中に感じているうちに、上下の瞼がトロンと仲良しになってくる。

 もうホントに……こうやって先輩の胸の中にいる居心地ったら、どんな豪奢でフワフワなベッドだって敵わないよ。

(ホントにもう、すっごいキモチイイなあ……)



「まあ、そう言うなや。先輩らーがあそこまで好き勝手に出来るのって、センセがさり気なくカモフラージュしてくれてる、って部分もあるからやし。ああ見えて、ナニゲに気の付くヒトやからなー碓氷サンは」



 苦笑混じりに小声で囁く先輩の低い声も、まるで子守唄のように聴こえてくる。

 言ってることが、「幾ら何でもありえなーい!」って叫んでしまいたくなるようなセリフだったとしても……聞き入ってしまって、反応、できないし……。



「――って、桃花……? どうした……?」



 私の、その余りな無反応さを訝しんだのか、そこで先輩が私を覗き込んだような気配を感じた。

 それが解っても……既にピッタリと仲良しこよしになっていた私の上下の瞼は、ピクリとも動いてくれない。



「まったく……ヒトの気も知らんと……」



 先輩のそんな呟きと深々としたタメ息を聞いたと思ったのを最後に……私の意識は、そこで深い眠りの淵へと、引きずり込まれて、いって―――。




          *




「――桃花! いー加減に起きなさいってば! もう朝だよ!」



 そんな声に目を覚ましてみると、私はベッドの中で、ミカコに見下ろされていた。

「あれ……?」

 横になったまま周囲を見渡してみると……そこは保健室であり。

 カーテンが開け放された大きな窓から、さんさんと朝のの光が差し込んできている。

「あれれー……? いつの間に戻ってきたんだろう私……」

 思わずボヤいた私に向かい、事も無げに、ミカコは言う。

「三樹本先輩が運んできてくれたのよ、ここまで。あとでお礼、言っときなさいね」

「…………」

(――そうだった……私、屋上で寝ちゃったんだった………)

 うわ、やっちゃったよー! と、まだ寝ボケている頭で昨晩のことを徐々に思い出しながら、コッソリ一人で赤面する。――てゆーか、そもそも……何で私ったら、屋上なんかに行ったんだっけ……?

「あ、そうだ! そもそもミカコってば、昨夜ゆうべ、一体ドコに行ってたの!?」

 すっごい心配してたのにー…とボヤいた私に、「それはコッチのセリフ」と、彼女は軽くデコピンを返してくる。

「トイレ行って帰ってきたら、桃花が居ないんだもの。…まあ、どうせ三樹本先輩のトコだろうなーとは、思ってたけど」

「…………」

 おデコを押さえつつ、沈黙するしかない私。――どうやら、先輩の行った通り、“入れ違い説”が正しかったみたいだ。

「でもミカコ……二十分以上もトイレに居たの……?」

 そんな何の他意も無い私のセリフったが、あからさまにミカコが、そこでビクッと、肩を揺らす。

「そ…そうよっ? ちょっとお腹、こわしちゃってて……!! それに私、ちょっと遠いけど、職員用トイレの方に行ってたからっ……!!」

「ふうぅぅぅん……?」

 なんか釈然としないけど……寝起きのアタマの回転の悪さも手伝ってか、「まあ、いいけど…」と、アッサリ考えることを放棄する。そのまま、あふう…と大アクビしながら私は起き上がり、ベッドから床に降り立った。

「そんなことより、お腹すいたー。朝ゴハンって何時からー?」

「…もう、とっくに朝ゴハンの時間だけど」

「げっ!? 何でもっと早くに起こしてくれないのミカコっ……!!」

「起こしたけど起きなかったんでしょーが……」

「………スイマセン」




          *




「――あ、センパーイ!!」

 ちょうど地学室から出てきたばかりのみっきー先輩を見つけて声をかけると、そこで彼は、呼んだ私の方を振り返った。

「ああ、桃花。おはよーさん」

 駆け寄ったそのままの勢いで、寝起きからサワヤカ笑顔の先輩の胸に飛び付くと、「いま起きたの?」と、私は笑う。

「私たち、ミカコとセンセイと、もうゴハン済ませちゃったよー?」

「ああ、それはかまへん。ほかの連中は放っといてかまわんて。夜遅くまで騒いでたから、まだツブれてるし」

「――『だろうから放っておけ』って……センセが言ってた……」

「――サスガやな碓氷サン……」

 先輩のカラダ越しに、薄く開いている扉から地学室を覗き込んでみると……その言葉の通り、ツブれてるしかばねが、多量のビール缶と共に、累々と転がって横たわっている。

「オレは、この“後始末”してかなアカンし……桃花は、ミカコちゃんと先に帰ってていいんやで? もともと、朝メシ食べたら現地解散の予定やったしな」

 その言葉で、思わず「なーんだ…」とボヤいてしまった。

「せっかくのいい天気だし、これからミカコとアイスでも食べに行こうって話してて、それで先輩も誘いに来たんだけど……」

「悪い、また今度な?」

「あんな連中、放っておいたら? 後始末くらい、当人たちに任せとけばいいじゃない」

「…天文部が廃部の危機に陥ってもいいんデスか?」

「…よくないデス」

 先輩は、そして私の頭をくしゃくしゃっと撫でると、「そーゆうコトやから」と、困ったように笑う。

「あとでアイスでも差し入れに来てくれや」

「うん、そうするね」

 そして押し出されるようにしてきびすを返しかけたのだったが……「あ、そうだ!」と、そこで思い出して振り返る。

「ごめんね先輩! 昨夜はお手数おかけしました!」

 そこでペコリと一礼、深々と。――そうよ、そもそも謝りに来たんじゃない、私……!!

「ごめんなさい、私が一人で先に眠りこけちゃって……てゆーか、あのまま放っておいてくれても別によかったのに……」

「イヤ、幾ら何でも、あんな寒空に放置しとけんって」

「でも先輩とくっついてたから、あったかかったし。そのままずーっと一晩、一緒に寝てても良かったくらいだよー」

 そこでテヘッと照れ笑ってみせた私に対し……なのに先輩は、あからさまにヒクッと引きつったカオをしてみせてくれた。――何ですかその反応は……。

「桃花……たのむから、くれぐれも誤解を招くよーな言い方は……」

「――はい……?」

「イヤ、もう、いいわ……。――ホラ、早く行かんと、実果子ちゃんが待ちくたびれとるで?」

「え…あ、ハイ……じゃあ、行ってきます……」

「ハイ、行ってらっさい」

 そこまで満面笑顔で手を振って追い立てるよーにしてくれなくても…とは、思ったものの。

 とりあえず、つられたように手を振って、私も笑顔で今度こそ踵を返す。――返しついでに、ニッコリと去り際にこんな言葉を投げてみたり。

「じゃあね、先輩! また二人で星見に行こうね~っ♪」

「…………」



 ――そして、ルンルン気分の私が小走りで廊下の角を曲がった途端……、



「ごごご誤解やーっ!! だから、誓ってオレは何にもしてへんてっ……!!」



 先輩のそんな絶叫…らしきモノが、遠くで聞こえたような気がしたけど……、

 ――とりあえず、この場は聞こえなかったことにしておこうっと………。




          *




 その後、全員分のアイスを手に、再び地学室へと舞い戻ってきた私が見たものは、――言わずもがな。



「――てゆーか……全然、片付いてないじゃなーいッ……!」



 おまけに、カンジンのみっきー先輩まで一緒にツブれて屍になってるって……だから、一体、どういうコトなんでしょうかソレは……?



「…ったく、もう!」

 舌打ちして、額に浮いてきた血管を押さえつつこぶしをわなわなと震わせながら、私は呻く。

 アタリマエでしょう!? ――呆れ返っちゃうわよ、絶句するわよ、めっちゃくちゃ言いたくもなるわよッ……!!

 深呼吸、その場で一つ。

 そうしてから思いっきり、改めて息を吸い込んだ。



「いい加減に起きろーっ!! いま何時だと思ってるのよッ!! つーか、そもそも私は、あんたらの世話やくために入部したんじゃないんだから―――ッッ!!」



 ――もうホントに……だから“星の神様”ッ!!

 どうかナニゴトも無く、今後も先輩とイチャイチャできる日々を下さい! ――って、この部にいる限り、そんなの、絶対にムリそうじゃない……!!

(ホント、そこんとこ頼むわよ神様ーッッ……!!)



 そんなガックリと肩を落として立ち尽くす私の横に……いつの間に来ていたのか、“自称・『神様』”の不良教師が、ニヤニヤとタバコふかしながら面白そうにその様子を見物、して、て……、

「おーおー、相変わらず“世話焼き”だなー小泉?」

「――――!!?」

(つーか、そもそもアンタの監督不行き届きが原因なんじゃないのかッッ……!!?)



「こんの、クソ教師―――ッッ!! その根性、叩き直してやるわ!! そこに直れ―――ッッ!!」



 そして毎度のことながら……そこで私のファイティングスピリットに火が点いてしまったのは、――それこそ、言うまでも無かった。





【終】






→→→ about next story →→→

 桃花と先輩の“出会い”編。

 ちょっぴり番外編テイスト。

 テーマは8月「夏休み」

『夏の記憶 ~Anniversary -Sweet Memories-』

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