ヒモノ女子は優雅に腐る

せりもも

第1章 腐ってしまった前任者

女の子のズボンの前の膨らみ

 「あのう。ここに、誤植が」

タブレットを読んでいた本谷もとや直緒なおはつぶやいた。


 本谷直緒は今、就職試験を受けている。

 試験は、町の商工会議所の小部屋で行われていた。

 エンタメ系の出版社の中途採用だ。

 受験者は、直緒一人だった。


 「ほう。どこに」

 試験官が、立ったまま尋ねる。

 身長はゆうに180センチを超えるだろう。

 サイドベンツの黒いスーツを着用している。上着のウエストが絞られており、裾が華やかに広がっている。

 まるで、西欧中世の騎士のようだ。

 年齢は、直緒より少し、上のようだ。

 浅黒い肌で、彫りの深い顔立ち。短髪を、わずかに立てている。


直緒は答えた。

「二人が初めてキスするシーンです。

ええと。


啓介と歩は、寄り添って立っていた。

かわいいかわいい、あゆみ

抱き寄せると、ほのかにサクランボの匂いがした」



 モーリス出版社は、創業してから5年、文藝書出版の新興出版社インディーズである。

 まだ、電子書籍しか出していないが、その販売は、右肩上がりだと聞いている。

 直緒は、モーリス既刊の電子書籍を読まされていた。

 誤植を見つけろという問題である。

 もしあるのなら、と、試験官はそう言って、にたりと笑った。

 黒服なので、なんだか、吸血鬼じみて見えた。


 だが、これは、中途採用の試験だ。

 淡々と、直緒は音読を続けた。


「そっと唇を近寄せる。

『やだ』

歩が身をのけぞらせる。

『なぜ?』

『だって』

『好きだよ』

『うん』

『ずっと前から』

『わかってる』

『キス、していい?』

『馬鹿、聞かないで』

『そうだね。だって、ズボンの膨らみが……』」


 「どこに問題が?」

試験官が眉を顰めた。


「途中からの出題なので、詳しい状況はわかりませんが、」

ゆっくりと直緒は説明を始めた。

「この、最後のセリフは、啓介のものと思われます。すると、彼が指摘している状況は、歩のものと思われ、おかしなことになってしまいます」

「なぜ?」


 ……鈍い人だな。

 直緒は思った。

「だって、女の子のズボンの前が膨らんでいたら、おかしいじゃないですか」

試験官は、まじまじと直緒を見た。


 「作業を続けなさい」

彼は言って、背を向けた。

 ……あれ、怒った?

 試験官は、窓から外を見ている。

 自分の会社の出版物に誤植を指摘され、むっとしたのだろうと、直緒は思った。

 仕方がないので、先を読み始めた。


「……また、ありました」

「ほう」

「部屋に戻ってのシーンです。


 啓介は、歩のシャツをまくりあげた。

 小さな突起を口に含む。

 『あっ』

歩が小さな声をあげた。

舌で転がすうちに、そこは薄く色づきはじめ……」


「……」

「……」

「で、どこが?」

「歩は、奥手の女の子の設定です」

 直緒は言った。

 そこまでの文章から、そう、読み取れる。

「その彼女が、シャツの下に何もつけていないなんて、おかしいです。つまりその……」


「彼女?」

黒服の青年は露骨に不快そうな顔をした。

「もういいです。実技試験は終了です」

彼は言った。

「続いて、社長面接があります。しばらく、このままでお待ち下さい」

そう言うと、ひったくるように、直緒の手から、タブレットを取り上げた。

 振り返って、直緒を見下ろした。

「それから。『歩』は、アユじゃなくて、アユですから!」

言い置いて、部屋から出て行った。



 ……だって、どこにもルビ、振ってなかったじゃん。

 一人残された直緒は、憮然とした。

 ……まさか、ヒロインの名前を読み間違えたからって、減点はないだろうな?

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