盗聴器が好きな犬




 「門壇社でも?」


 直緒は電話をしていた。

 相手は、門壇社の編集者、木島だ。


 典子と義元は作家の家へ向かった。

 しつこくまとわりついていた古海も、ようやくいなくなった。


 ちなみに古海は、不明な送金の件で、一乗寺社長に呼び出されている。例の、中花国への賄賂だ。

 もちろん、一乗寺社長には内緒で送金した。だが、何分金額が大きかったので、不審に思われ、呼び出しがかかったのだ。



 電話の向こうで、木島は言った。

「うん、重版は取りやめになった。大河内先生には本当に申し訳ない。僕も、力及ばずだ」


「それは……先生がBLをお書きになったから?」


「どうやらそうらしい。でも、これだけは言っておくが、現場の判断じゃないんだ。トップダウンで、上から直できた指示だよ」


「上? 営業からですか?」


「違う。大河内先生の作品はどれも売れてた。もっと上の……どうやら、経営側かららしい」

溜息が聞こえた。

「こういう時、小さな出版社はいいと思うよ。風通しがいいし、現場の声が生かせる」


「経営判断って、でも、売れてるんでしょ、大河内先生の本。どういうことですか?」


「わからない。なんだか、会社に圧力がかかったようなんだ。BLを書くような作家の作品を、おおっぴらに売ることは許されない、みたいな」


「圧力!? いったい、どこから」


「本谷君、あのね。今、BL出版は、どこもみな、大変らしいよ」


「それは、どういう?」


「モーリスは、金持ち社長のワンマン経営だからわからないかもしれないけど……今現在、BL書籍は、販路に乗りにくくなってる。本を出版しても、書店に供給されなくなっているんだ」


「……モーリスも、取次ぎからの注文がなくなりました。それに、……これは別件ですけど、同じBLがらみで……地元の学校のPTAから、連日、苦情が来ています」


「僕が聞いた話でも、ほら、BLって、小さな出版社が多いだろ? 自転車操業だから、BLで稼げなくなって、大変らしいよ。ネットで人気の作者を探してきて、安い印税でラノベを書かせて、なんとかしのいでいるらしい。ほら、作者に丸投げで、1作か2作書かせて終わり、ってビジネスモデル。それでも、軒並み、倒産してる」


「……末期ですね」


「うん。今までなんとか、BLという隙間産業でやってきたのが、大手・零細合わせての入れ食い状態になってるからね。ラノベもすでに飽和してる」


「モーリスなんか、零細もいいところだから、」


「君んとこは大丈夫だろ。あの社長は、何があっても、BLを手放さないよ」


「……」


「でも、気をつけろよ。なにか、目に見えない大きな力が働いているような気がしてならない。異端BLを排斥する力が」


「目に見えない、大きな力ですって?」


「ごめん、僕も、現場を離れてしまったし、これ以上のことは、本当にわからないんだ」


「木島さん、今、どこに?」


門壇社の木島は、ML……Men's Love, 大人の男同士の恋……の編集部にいたはずだ。


「『門壇SM倶楽部』に異動になった。月刊誌だよ」


「門壇、SM?」


「あれ、知らなかった? モーリスさんには、毎号、送ってるけど」


「え? 知りません」


「編集部の古海さん宛てに」


「古海さん? てか、あの人、モーリスの人じゃありませんよ」


「え、そうなの? 僕、あの人、好きなんだ。けっこう、クるよね、あの目」


「……」


「ま、だからどうこうなろうとは思わないけど。仕事関係なら、なおさら……なにせ、僕の恋人も同じ業界にいるから」


「モーリスの編集者です、木島さんと同業、仕事関係者なんです、古海さんは!」

思わず直緒は叫んでいた。



**



 本家から帰る途中、大きな公園の噴水脇で、古海は呼び止められた。

 振り向くと、がっちりした体格の、人相の悪い男が笑っていた。


 「轟鬼警部! あの節は、どうも」

「元気でいたかい? 腰の具合はどうだ?」


「……どうしてみんなみんな、人の腰ばかり心配を……」


「だって君、腰を抜かして救急車で運ばれたじゃないか。あの立てこもり事件の時。あの事件は、公式に、

 怪我人1

 事由:腰痛

だぜ」


「……直緒さんとお嬢様の無事が確保できて、安心しただけですっ!」

古海は強い口調で言い返した。




 「こうして男二人で、噴水前のベンチに腰を下ろしていると、なんだか妙だな」

足元に迫りくる鳩をじっと見ながら、轟鬼警部が言った。


「なんでです? 私はよくありますが。あ。特定の人とだけですよ、今は」

「は? いや、ひと目が……。まあ、俺から誘ったわけだが」


しっしっ、と、轟鬼警部は、鳩を靴で追いやった。

「実は、気になる話を聞いたんだ」


「なんでございましょう。海外への不正(不正は小さな文字)送金の件でしょうか? それとも、業者から古本BLを横取りした件? はたまた、町内会長の家に、大型トラックで突っ込んだあの日のこと……」


「いろいろやってるな」

「全部、お嬢様のなさったことです」

けろりとして古海は答えた。


「だがまあ、俺の管轄じゃないからな。いずれも担当の警察官に、こってり油を搾られたことだろう。そう思うことにしよう」

自分に言い聞かせているようだった。


 轟鬼警部は、一人、頷いた。

「実は、俺の同期に、警察庁さっちょう勤務のやつがいてな。そいつに聞いた話だが……」

轟鬼警部は言葉を濁らせた。


 再び近寄ってきた鳩を、つま先で突こうとする。

 排ガスで薄汚れた鳩は、馬鹿にしたようにちょんとよけただけで、逃げようともしない。


「あんたんとこの出版社……モーリスとかいったか……、公安に目をつけられているそうじゃないか」


「公安とは!」

古海は素っ頓狂な声を上げた。

「お嬢様も、出世なさったものでございますね!」

「いや、そうじゃなくて」

警部は困ったように、足を踏み鳴らした。


「わかっておりますよ、警部のお立場は」


 古海は言って、ポケットからパン屑を出した。

 鳩に撒いてやる。


「この頃、なんだかきな臭いものを感じておりました。BL、でございますね」

「そうだ。そんなもの、出版しちゃ、いけないんだ。そういう方向に、世の中全体が、傾いている」

もとは?」

「それが……どうも、現政権中枢部からだと思われるフシがある。公安幹部が、内閣官僚と、しきりに連絡を取り合っているそうだ」

「内閣……それはまた」


「例の少子化対策プロジェクト、な。特命大臣まで据えた。あの大臣は、お飾りだ。実際の指揮は、官僚がとっている」

「そんなこと、常識でしょ」

「この国の少子化にとって、BLは、好ましくない影響を与えている、と、あいつらは、考えているようだ」


 「……人間は、少しは減った方がいいのでは?」

古海は言った。

「増えすぎです。現在の日本の人口だけみても、江戸時代の4倍強。わずか150年で、そんなに増加したんですよ。不自然なほどの増加です。現に、自給自足で食料が賄えなくて、輸入に頼っているではありませんか、この国は」

「しかし、官僚はそう考えない。やつらは、右肩上がりの夢を、忘れられない」

「彼らの考えることはよくわかりません。いくら経済が発展しても、基本となる資源の量が、地球には、絶対的に不足しています。その事実に、目をつぶるなんて」


 パン屑に引き寄せられて、鳩がたくさん集まってきた。

 先にいた仲間を押しのけ、獰猛な目つきで、ベンチに近寄ってくる。


「本能をなくしているな。人を怖がるという、本能を」

ぽつんと警部がつぶやいた。


 痺れをきらした一羽が、とうとう、古海の黒い肩に止まった。


 古海が、さっと立ち上がる。

 肩先の鳩が飛び立った。

 ベンチの回りにいた鳩たちも、一斉に、飛び立つ。


「ご警告、ありがとうございました、轟鬼警部」

鳥たちの羽音の中で、古海が言った。


 「いや、なに……」

轟鬼警部もつられて立ち上がった。

「つまり、なんだ、その……俺は、あの時、あの子に悪いことをしたから。あの、女の子、典子ちゃんに」

軽く咳をした。

「本当は、ちっとも疑ってなど、いなかった。ただ、あの子の話に曖昧な点が多かったから……それに、他の人質たちの証言との食い違いも、随分あったから」


「それは、お疑いになって正しかったのです、轟鬼警部」

古海はにっこりほほ笑んだ。

「でも、うちのお嬢様は、決して、間違ったことはなさりません。腐女子として、という意味ですけど」


やや頬を赤らめ、警部は続けた。

「あの子は、……ちょっとばかり変わってるけど、一生懸命な子だ。それくらい、俺だって、わかってる。それに、心配なんだ。公安が動くとは。あの人のことが、とても心配だ。くれぐれも気をつけるよう、伝えてくれ。典子ちゃんと一緒にいた、あのきれいな人に」



**



 「直緒さん! あなた、またやりましたね! 私が救急車で運ばれてる隙に……ちなみに私の腰は丈夫です……、また、」

「救急車? それ、いつの話ですか?」


「話をそらさないで下さいっ! きれいな人って、あなた、あの警部は言ってましたよ! きれいな人、って!」

「なんのことやら、さっぱりわかりません。それより古海さん、あなたこそ木島さんを、どんな目で見たんです!」


「木島さん? ええと、」

「門壇社の編集さんです!」

「ああ。でも、彼は、直緒さんの仕事の人じゃないですか。私には関係な……」

「誤魔化さないでっ! あの人、毎号、雑誌を送ってくれてたんでしょ。門壇S……M倶楽部。SM……、S……」


その雑誌は、オフィスの、古海の机の下に押し込まれていた。


「ああ、あれ、」

こともなげに、古海は言った。

「私が保管しておきました。お嬢様がご覧になったらいけないと思いまして」

「典子さんのBLしごとへの情熱を甘く見ないで下さい! 先日も、先鋭的になり過ぎていることに気がつかれたくらいで……」

「直緒さん、男同士ばかりということじゃないんですよ、SMというのは」

「……ああ、それは、心配かも」


「それより直緒さん、あなたこそ、その、フェロモンを垂れ流すクセ、なんとかなさい!」

「知りません!」



 「ちょっと、」

ふたりの下で声がした。

「ひとのことをそっちのけで、さっきから、二人とも、」

ピンクのふわふわが立ち上がった。

「わたしの話を聞きなさいっ!」




 「直緒さんの話では、何ものかが、圧力をかけているということね。BLを売らせないように。各出版社や取次ぎに」

典子が言い、直緒は頷いた。


 「目に見えない、大きな力が働いていると、木島さんは、そう言ってました」

「大河内先生の御本の増刷がストップしたのは、そういうわけだったのね。……久條先生は大丈夫かしら? あの先生も、もとは他ジャンルの作家さんよね?」


久條の名を聞いて、古海が露骨に嫌な顔をした。


 「もとは、じゃなくて、今でも純文学作家ですよ、久條先生は」

直緒は言った。

「久條先生は大丈夫です。なにしろ、権威ある賞をお取りになりましたから。それに、映画やドラマ、ゲームなどの原作を、数多くお持ちですし。自分には、全く影響がないとおっしゃっていました。むしろ、あちこちでBLを擁護されているようで、僕には、そちらの方が心配です」


「連絡を取ったのですか、直緒さん! 久條先生と」

むっとしたように古海が言った。


「当たり前でしょ。僕は先生の担当ですよ? ……古海さん、あなたは僕の仕事には、口を出さない約束をしましたよね?」

「おや、そうでしたっけ?」

「しました!」

「いつ? どこで?」

「いつかの晩、ベッ……」

言いかけて、直緒が固まった。



 「それで、」

典子が言った。

「古海が聞いて来た話では、それは、日本政府の陰謀だと?」


 古海はため息をついた。

 目をつぶり、首を回した。

 ぎゅっと大きく肩を竦めてから、目を開いた。

 

 「恐らく、連日のPTA攻勢も、陰に黒幕がいると思われます。中花国への送金と賄賂で、日本政府も、堪忍袋の緒が切れたのでございましょう。ちなみに私も、大きな金額を動かしたことを、本家の執事と旦那様の前で誤魔化すのに、それはそれは……」


最後の言葉を典子は無視した。


「少子化対策の為のBL弾圧? 笑わせるわ。あまつさえ」

優雅に背筋を伸ばした。

「このわたしに公安をつけるとは。一乗寺典子も、甘く見られたものね」


 思わず、直緒と古海は顔を見合わせた。

 それくらい、危険な雰囲気が、典子にはあった。


「売られた喧嘩、買おうじゃないの!」

「お嬢様!」

「典子さん!」


「なに? ふたりして、止めようって言うの?」


「いえ。もろともに腐りゆくのも、また、一興かと」

「僕は、あなたについていくと、最初から決めてます!」


「ふ、」

典子が笑った。

「ふ、ふ、ふ……」


「お嬢様?」

「典子さん?」


「公安にはね。知り合いがいるのよ。とっても頼もしい、心の友だわ」

「知り合い? それは、一方的に嗅ぎまわられているという意味でなくて?」

疑わしげに古海が聞いた。

「違うわよ」

憤然と典子は言った。

「山田ハナコちゃん。覚えてるでしょ? 前に司書をしてくれてた」

「ああ、お嬢様のセクハラに耐えかねて、失踪した人ですね」

「それも違……」

「そして、同人誌即売会で再会したんですね?」

話をそらさぬよう、直緒が口を出す。



 典子が頷いた。

「ええ、6月のお庭でね。わたしたち、それからも親しくおつきあいを重ね……」

「嘘ですね。お嬢様の方から、一方的につけまわしたんでしょ? また、私立探偵を雇いましたか?」

「違うわ! 今度は、遠藤さんのお世話にはなってないわ。本当に仲良く楽しく、お付き合いしてきたの。きっと彼女はもうすぐ、同人誌仲間にも、わたしを紹介してくれるに違いないわ」


 「……で、その情報とは? なぜ、山田さんが?」

じれて直緒が尋ねた。

「そうそう。古海が突っ込みを入れるからいけないのよ。ハナちゃんはね。実は、公安のスパイだったの!」


 「はあ?」

間抜けな声が、古海の口から漏れた。

「すぱいぃ~~~? あのオバさんがぁ~~~」


「オバさんって言ったらダメだって言ったのは、あなたでしょ、古海」

「それは、直緒さんが」

「当り前です。成熟した女性のことを、そのような言葉で表現してはいけません」

「また、直緒さん、年齢を問わず、あなたは女に甘い……」

「古海さんこそ、本当は若い男の子の司書が良かったんでしょ! 全くあなたは、男にユルイんだからっ!」


「もおっ! ふたりとも、わかってるの? モーリス出版社、ひいては、日本のBL界そのものが危険にさらされてる、非常時なのよ!」


「わかりました、お嬢様。山田さんは、スパイだったんですね。公安の」

軽くいなすように、古海が言った。


 重々しく典子が頷いた。

「ハナちゃんは、今ではすっかりスパイ稼業から足を洗って、穏やかなBLの世界の住人になっているわ! こんなに素敵な世界は知らなかったって! それで、昔のことを後悔して、すっかり、わたしに告白してくれたの。自分は、スパイだったって!」


「しかし、お嬢様をスパイなんかしたって……」

言いかけて、古海ははっとしたような顔になった。

「ひょっとして、山田さん、この屋敷に盗聴器を仕掛けたとか、言ってませんでした?」


「言ってたわよ」

いともあっさり、典子が答えた。

「家のあちこちに仕掛けたけど、全部、外されちゃったそうよ。きっと盗聴器が好きな犬がいて、そいつが、全部嗅ぎ当てたんだろうと思った、って」

「犬?」

憤然と古海が言った。

「盗聴器を外したのは、私です。だって、コンセントに直接さしてあるから……」


 「さすが、古海さんですね!」

直緒が熱い目で古海を見た。

 さっきあれほど言い争ったことなど、けろりと忘れているようだ。


 古海は照れ臭そうに、それでも嬉しそうに笑った。

「だって、お嬢様が、コンセントに何か刺さってるのを見つけたら、大変ですから。辺りが血の海になります。鼻血の」

「?」

「そういうわけで、コンセントに余計なものがささってないかチェックするのは、毎朝の私の日課なのです。その時は気がつきませんでしたけどね。まさか、盗聴器だったとは」


「……いつ気がついたんですか?」

「たった今」

「今?」

「スパイと聞いて」

「今、って……、自分は僕に、盗聴器をつけたくせに?」


あきれたように直緒は言った。


「不審な物がささってるのを見つけて、怪しいと思わなかったんですか?!」

「直緒さんにつけたのとは、型が違います! あれは秋葉原で見つけた、自立携行型のやつで……コンセントにささってたのは、三つ又とかの、普通のプラグだったし」


「それで、その盗聴器はどこに?」

「どこって、私の部屋の……」


 直緒が、はっとしたように古海の視線を捕えた。

 その目を見つめ、憑かれたように古海が続ける。


「……ベッドの脇の、小机の中」


 直緒の顔が、みるみる赤く染まっていった。

「ふ、古海さんなんか、大っ嫌いだ!」

「直緒さん、それはひどい。大嫌いは、あんまりだ。大丈夫です、コンセントから外してあるから、きっとすぐに、電池が切れましたよ」

「すぐって、いつ!?」

「え? べ、別に、誰に聞かれたって、いいじゃないですか。だってあんなにかわいい声……」

古海はうっとりとした目をした。



 「古海さん!」

耳元で短くヒステリックに叫ばれ、夢から覚めた人のような表情になった。

「……いや、よくない! あの声は、私だけのもの、それを、人に聞かれるなんて。それも、よりによって役人なんかに……」



 「……そういうわけで、ハナちゃんがうちに送り込まれたわけよ。盗聴器が使えなくなったから。あれ? 古海? 直緒さん? どうしちゃったの、ふたりとも」

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