13禁だって、ダメ!


 ……私、イヤだったのよね。

いやに張り切る上坂かみさかPTA会長の隣で同小PTA副会長・宮川みやがわ三重子みえこは、小さくなっていた。


 ……。


 「そんなっ! なんて非常識なっ! ピカリエにBL図書館なんて!」

シブタニ小学校PTA、上坂会長は叫んだ。

「シブタニ駅の一等地、若者の集まるピカリエにっ! びーえる! 図書館! なんて!」


「いかがなものでしょう」

この情報をもたらした副校長は、上目づかいで、上坂会長の顔を見た。

「ダメ。ダメに決まってます。子どもの健全育成が阻まれます。ねっ、宮川さん!」


 急にふられて、宮川三重子は、飲んでいたお茶にむせそうになった。

 胸をどんどん叩いて、お茶を喉の奥に流し込んだ。


 上坂会長は、それを、自分への賛成の意思表示と取ったようだった。満足そうに頷いて言った。

「ほら、宮川さんも、反対です」


 三重子はシブタニ小PTAの副会長だが、実の所、上坂会長のソエモノに過ぎない。PTAとしての全ての決定権は、上坂会長にある。


 どこかほっとしたような顔で、副校長が頷いた。

「そうですね。私もどうかと思います。その、」

「BL図書館。だめです。絶対」

「では、シブタニ小PTAの総意として、」

「ええ、もちろん、みんなそう言うに決まってます!」


 上坂会長はさっそく、PTA役員に召集をかけ、臨時の役員会を開いた。




 狭いPTA室には、執行役員が集まっていた。

 母親たちの熱気で、むんむんする。


 「『一乗寺のりこ記念BL図書館』っていうんですって。のりこは、ひらがなね」

会計役員、幸島こうじまが眼鏡をずり上げながら、議案書に目を通した。


 「15禁とか18禁とかの本も、ぼろぼろありそうね」

「13禁だってダメよ」

「13禁? そんなのあるの?」

「保護者の許可が必要、とかいうやつじゃない?」

「ああ、保護者の監督のもとに、とかね」

「え? え? でも、どうやって、監督?」

「図書館の本でしょ? だからぁ……」

「読み聞かせる?」

「……BLを?」


 一同、考え込んだ。

 そもそも、15禁以下の定義があいまいだ。


 痩せぎすの、広報部長が言葉を継いだ。

「一乗寺って、なんだか聞いたことが……。まさか、あの、一乗寺? 財閥の?」

「いやだわ。うちのマンション、一乗寺建設よ。ローンがまだ、29年、残ってるのに」

「一乗寺財閥とは関係ないでしょ。だって、BLよ? ラーメン激戦区の方じゃない?」

「ラーメンとBLと、何の関係が?」

「スマホに『一乗寺』って入れると、一番上に、ラーメンって出てくるのよ。ほら……」

「とにかく、よ、一乗寺財閥とは関係ないに違いないわっ! だって、今さら、引っ越せないもん!」


母親たちは、口々に騒ぎ始めた。



 「静かに、皆さん、静かに!」

上坂会長は大声を出した。

「では、シブタニ小学校PTAとして、満場一致で、BL図書館設立反対ということで、よろしいですねっ?」

「はーい」


 ……。



 というわけで、今、PTA副会長の三重子は、上坂会長と共に、一乗寺邸に来ている。

 子ども達が通う小学校のある坂のてっぺんの、大豪邸だ。


 昔の華族の隠れ家だとも、さる大企業の社長の妾の家だとも、謎の芸術家の巨大アトリエだとも、いろいろ言われている。

 詳しいことは、誰も知らない。


 ちなみに子ども達は、お化け屋敷と呼んでいる。

 夜になると、黒い服を着た吸血鬼が、道行く人を襲うんだそうな。

 それも、美男子だけ。

 変わった吸血鬼である。



 気が遠くなるような長いアプローチを抜けてようやくたどり着いた玄関。


 そこで二人を待っていたのは、背の高い、黒いお仕着せ姿の青年だった。

 浅黒い顔に短い髪。銀縁眼鏡を掛けている。

 三重子より、干支で、ざっと一回りほど年下だ。


 なんというか、どハンサムであった。

 イケメンというには、若干草食性が足りない気がする。

 だがその分、顔かたちはたいそう整っていた。


 冷たい印象だ。

 とりつくしまもない、というか。

 年下なのに威厳のようなものがあって、三重子は、なんとなく気おくれを感じた。



「……そういうわけで、子どもたちの健全育成の為に、私達は、BL図書館などというものは、断固として許すわけにはいかないのです」


 力強く上坂会長は締めくくった。

 上坂会長は、三重子より遥かに年上だ。この青年など、自分の子どものようなものなのだろう、と三重子は考えた。

 一番上のお子さんは、もう社会人だと言っていた。


 「お話、承りました」

青年は慇懃に頭を下げた。

「必ず責任者に伝えますゆえ、今日のところはお引き取りのほどを……」

「ですからね、私達は、一乗寺のりこ記念BL図書館などという有害なものを、ですね、若者の集まるシブタニの商業施設ピカリエに……」


「今、なんて?」

青年が遮った。

 上坂会長が繰り返す。

「シブタニの商業施設、つまり、駅前ピカリエ……」

「その前です」

「えーと、」


「一乗寺のりこ記念BL図書館」

三重子は口を出した。

「その図書館の名前です」

「一乗寺典子……」

「のりこは、ひらがなで」

「一乗寺のりこ……記念……BL! 図書館!」


 大変な衝撃を、青年は受けたようだった。

 恋人と同じ名前なのだろうか、と、三重子は考えた。


 ……この気難しそうな美青年の恋人なら、さぞや美しい女性なんだろうな。


 ちりちりと胸が痛んだ。

 なぜかはわからない。



「ですから、ね。男同士の恋愛などという不健全なものを、未来ある子どもたちの前に晒すのは、いかがなものか、と思うわけですよ」

「誰と恋愛しようが、個人の自由と思いますが、」


青年は言った。


「BL図書館については、私も反対です。その名称なら、なおさらです」

「だったら、是非、撤回のほどを」

「私は、それを決める立場にはありません」


 「いいですか、」

上坂会長の声が一段、高くなった。

「子ども達には将来があるんですよ。この日本を担う、国の宝です。ですから、私達おとなは、こどもの幸せを、真っ先に考えなければならないのです」


 上坂会長は熱弁をふるった。上坂会長には、お子さんが4人いる。

 自ら立候補しての、PTA会長である。

 全身から、日本の子ども達の幸福を願う、熱いオーラが放たれていた。


「子ども達には、幸せな結婚をして、幸福な家庭を築いてほしい。子どもも、最低2人は産んで欲しい。それが、この国の少子高齢化を救うのですよ」


 対して三重子は、あみだくじで当たっての副会長である。

 上坂会長の論理には、ちょっとついていけないところがある。


 たとえば三重子には子どもは一人しかいない。それで副会長のくじを引いてしまうとは、運が悪いにもほどがある。

 それに三重子は、これから先、子どもを産むつもりはない。産んでしまったら、また、PTAをやらなければならないではないか。



 上坂会長の話を聞いていた青年が、くすりと笑った。

「同じことを、昨日見えたシブタニ中学校のPTAさんも言ってましたね。なにか、申し合わせでもあるんですか?」

「常識でしょ!」

憤然と、上坂会長は言った。

「BLなんか。男同士の恋愛なんか! それじゃ、うちの孫が産まれないじゃないですか!」


 ……孫?

 ……え? え? 男同士の恋愛のせいで、上坂さんの孫が産まれない?


 ……えと。上坂さんとこは、一番上のお兄ちゃんは、社会人。二番目のお兄ちゃんは大学生。


 いけないと思ったが、妄想が止まらない。

 ……三番目の中学生は女の子。さすがに小3のケイ君ってことはないよね?



 三重子の心中に気づきもせず、上坂会長は、口から唾を飛ばして言い募る。

「世の常識というものです! 我々親は、自分を犠牲にしても子ども達の幸せを考え……」


「それはご立派なことです」

青年が遮った。

「しかし、親が楽しくないと、子どもも楽しくないものですよ……」




 「なにあれ!」

長いアプローチをてくてく歩き、ようやく門の外に出ると、上坂会長は憤然と叫んだ。

「まったくね、今どきの若い人は! 特に若い男ときたら! ほんと、ナマイキ!」



 「こんばんは」

三重子が何か言おうとした時、向こうから来た人が、挨拶した。門の中へ入っていく。


 ちらりとしか見えなかったが、たいそう美しい男だった。

 宵やみに、残り香が匂うようだ。


 上坂と三重子は慌てて頭を下げた。

 PTA役員として、また、小学生の子どもを持つ母親として、挨拶は、絶対しなければならないものなのだ。


「ま、いいじゃないですか。若い人はナマイキでも」

三重子は言った。

 上坂会長がキレた。

「何言ってるの!? ぜんぜんよくないわよ。若者は年長者に礼をもって接するべきだわ。だいたいあなたはまだ若いからそう言うけどね……」


 延々と続く上坂会長のご高話を、三重子は、軽く聞き流した。


 ……昔は私も。

 今は子どもへの影響を考えてすっぱり足を洗っているが、三重子にはBL小説を読み漁った過去がある。


 ……ピカリエにBL図書館。

 ……いいじゃない、それ。


 ……早くうちの子が大きくなればいい。

 ……親も楽しまなくっちゃね。できたら子どもと一緒に。


 三重子の子どもは、女の子である。



**



 「お嬢様っ! 隠れてないで出てきなさい!」

客人が立ち去り、静かになった屋敷の中に、古海の声が響いた。

「……」

「いらっしゃるのはわかっているのですからね。こちらから参りましょうか?」

「……」

「ほんと、往生際の悪い。この棚の本、捨てますよ?」


「捨てちゃダメ!」

ピンクの影がちらついた。


 モーリス出版オフィス。そのデスクの下に、典子は隠れていた。

 古海はため息をつく。


「……ったく。居留守を使うなんて。天下の一乗寺家、令嬢が」

「だって、おっかないオバさんたちが来たんですもの……」

「オバさんはだめでしょ、オバさんは。中年女性をそのように呼ぶと、直緒さんに叱られますよ。あの人、女性に優しいから」

「直緒さんは、わたしのことは叱らないわ」

「ふん。お嬢様、そのうちあなただって、オバさんの仲間入りをするんです」

「まだ、ずっと先だもん。それにわたしは、マダムになるの、オバさんじゃなく!」

「だったらとっとと結婚なさい。彼氏を見つけなさい!」

「そう簡単に、古海、あなたの仕事をなくしてあげたりするもんですか」


 「とにかく、です」

きっぱりと古海は言った。

「BL図書館は、お嬢様の管轄なんですから。逃げ隠れしてないで、お嬢様が応対なさるべきです。私には何の義務も権限も……」


はっとした顔になった。


「そうだ! なんです、お嬢様。『一乗寺のりこ記念BL図書館』って!」

「うん、BLに人生を捧げたわたしの功績を称えて『記念』図書館。素晴らしいネーミングでしょ?」

「どこがですっ! 第一あなたはまだ、生きてるじゃないですか。そういうのは死んでから、後の人が作るものですよっ!」

「作ってもらえなかったら困るから」

「困りません! そんなことより、お嬢様だって、特定されてしまうような無防備さの方が、よっぽど問題です!」


「のりこ、はひらがなよ」

「そこに何の意味が?」

「わたしだって身バレしないわ。『則子』かも、『紀子』かも、『法子』かもしれないじゃない!」

「全部同じに聞こえますが」

「違うわっ! わたしは、『典子』よ!」


「そもそも、『一乗寺』ですよ、『一乗寺』! そこで一発特定じゃないですかっ!」

「広い世界を探せば、どこかに他の一乗寺のりこ……」

「とにかく! 一乗寺財閥の名を汚すような真似は、断じて、許すわけにはまいりません」

「あら。汚すなんて」

「絶対駄目です。BLと大財閥は、相性が悪いのです」

「なんで……」


「あっ、直緒さんだ!」

樫材の重いドアが開き、古海が歓声を上げた。


「直緒さん、おかえりなさい」

「直緒さん、古海がヒドイのよ……」


直緒の両側に、典子と古海が飛びついた。



**



 「あ、その人たち、そこですれ違いました。すぐそこで。門のところで」

直緒は言った。

「普通のお母さん、って感じで。そんな怖い感じはしなかったですけど」


「あなたはニブいのです、直緒さん。それに、女性に甘いし」

「そうよそうよ。オニのような人たちだったわ!」

「だからって、私に押し付けて、逃げ隠れしていいってことにはなりません! あの手の人たちは、私だって苦手です」

「……いいこと聞いたわ。古海でも、苦手があったのね……」



 「昨日は、シブタニ中学校でしたね」

直緒が言った。

「一昨日は、確か……」


「日本学院PTA。私学ですね。その前は、活動女学院、それに、ハラシュク中学……」

古海が続ける。

「シブタニ中にある学校のPTAが、日替わりでやってくる感じですね。BL図書館への抗議で」


「いったい、どうしたことでしょうね。まるで、誰かの作為があるような……」

「考え過ぎよ、直緒さん」

能天気な声で、典子が言った。

「きっと様子を見に来ているのよ。BL図書館が開くのを、みんな、楽しみにしているのよ!」

「楽しみって、感じではなかったですがね。特に、年上の方が」

「あら、そうかしら」


「典子さん、図書館だけじゃないんです」

暗い目をして、直緒が言った。

「僕、今日、ヒルカの倉庫へ行ってきたんですが……」



 連日のPTA攻勢と、司書の不在で、図書館構想は、頓挫したままになっている。


 その一方で、典子が見境なく集めた本が、玄関ホールを占拠したままになっていた。この本は、放っておくと、ダニだらけになってしまう。


 仕方がないので、それらの本は、モーリスが新しく隣のサキタマ県、ヒルカに借りた倉庫に移動させた。

 そもそもは、モーリスの紙の本の出版に臨んで、在庫を保管しておく為に借りた倉庫である。


 基本、注文に応じて印刷するオンデマンド出版であっても、お客さんをあまり長く待たせたくない。

 人気が出た本は、書店に置いてもらってもいる。


 その為の、在庫であり、倉庫だ。



 「そこで僕、妙な話を聞きました」


 紙の本は、取次ぎを通して、全国の書店に送られる。

 出版社が出した本を、一度取次ぎが吸い上げ、全国の書店に配本する。

 取次ぎは、出版社と書店をつなぐ、卸問屋のような役割を担っている。出版社が製造で、書店が、小売りだ。


 ところがここ数週間、取次ぎから、モーリスへの注文が、皆無だという。


 「不思議に思って、都内の書店を2~3ヶ所、回ってみました。どこもモーリスの本は品切れで……、|モーリス(うち)の倉庫には、いっぱいあるのに。そしたら、篤久堂書店の香坂さんが、取次ぎにいくら注文しても、モーリスの本が入らないって教えてくれました……」


 「つまり、どういうことなの?」


「取次ぎが、モーリスの本の流通を、ストップさせているってことですね」

古海が言った。

 直緒が頷く。


「なぜ? いったいどうして、そんなイジワルを?」

典子が問う。

「わかりません。でも、これって……これもやっぱり、何かの作為が働いているようで……」


「いいわっ!」

典子が叫んだ。

「これからは、モーリスの本は、もう、取次ぎを通さない。直売よ! 基本に戻るの! メイドたちを総動員して、直接、読者さんの手元に配送するわっ!」

「でもそれだと、本屋さんに置いてもらえなくなるんですよ……」

「希望する本屋さんには、直接買い取ってもらう! そうね。門壇社の佐々江さんに、もうひとはたらき、してもらわないとね。全国の本屋さんから、注文をとってきてもらうわ!」


「佐々江という人が、どのような弱みをお嬢様に握られたか知りませんが」

古海が言った。

「あいかわらず、人のフンドシで相撲を取っておられますね、お嬢様」

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