創君、腐男子化計画




 控えの間で待っていると、仏頂面をした典子が出てきた。


「待って、おねえちゃま」

仔犬のように、異母弟の創がついてくる。

 右に左に、ドレス姿の典子にまとわりつく。

「ねえ、“とどのあな”へ連れてって。一緒に“ナニメイト”へ行こ」

 甲高い声で、あの呪わしいオタク系本屋の名前を連呼している。


 美容院から脱走した典子を、何度も迎えにいった店だ。

 みるまに、典子の顔が、ほころんだ。


「いいわよ。連れてってあげる」

非常に嬉しそうだ。

「ツアーしましょ。創がキャリーバックを引くのよ?」

「うん、わかった。ミッフィーの、持ってく」

「じゃ、明日、学校終わったら、迎えに行くわ」

「帰りに、お茶もしたい。乙女ロードの執事喫茶……」



 「執事なら、あなたのおうちにいるでしょ、創さま。わざわざ遠征しなくても」

凍えるような冷たい声が聞こえた。


 「ぐえっ、古海……」

「古海さん、やっぱり、一乗寺社長にコビを売ってらっしゃったんですね!」

蛙が踏みつぶされたような典子の叫び声に、もなみの声がかぶさった。


 古海が、じろりともなみを見た。

「コビとはなんです、コビとは」

「だって、典子お嬢様が」

「わたしは何も言ってないもん!」

「また人を裏切るんだから……」


 「とにかく、です!」

古海は典子に向き直った。

「創さまを腐らせるような真似は、一乗寺家の家令の名にかけて、この古海、」


 後ろから、ぼこっと、殴られた。

 「おねえちゃまを、いじめるなっ!」

創だった。

 気難しそうに眉根を寄せて、古海の腰の辺りを、もう一度、ばしんと殴った。


 「創さま」

打って変った優しい微笑を、古海は浮かべた。

「お母様がお呼びですよ、創さま」

「いやだ」

「一緒に温室へ行って、玄関へ飾る薔薇の花を選んでほしいということです」

「いやだ」

「直接、お母様にそう、おっしゃい」

創が、また、古海の腰の辺りを狙っている。


 その両手を、素早く古海がとらえた。

「喧嘩っ早い人は好きですよ。そういう人を、身近に一人、知ってます。でも、どうせやるのだったら、彼みたいに、正面からかかってらっしゃい」


 両手を強く握られているのか、創は、身動きが取れない。

 「おねえちゃま、助けて!」

「いやよ。古海は、剣道と居合の段をもってるもん」

「出た、お嬢様の裏切り!」

「モナちゃん、ひどいっ!」

「おねえちゃまっ!」


 「だまらっしゃい!」


 古海が一喝した。

 全員、しんとした。


 「母親を大切にしない男は、男ではありません。さ、お行きなさい、創さま」

有無を言わさぬ強い口調で言われ、創はうな垂れた。

 そして、古海の指さす方へ、とぼとぼと歩いて行った。



**



 創の姿が温室に消えると、古海は、典子に向き直った。

 「その計画は、放棄なさい、お嬢様」

「計画? 何の?」

「創さま腐男子化計画」

ぼそりと古海がささやいた。


 典子が、ぎょっとしたように身を引いた。

「ば、ばれてた……?」


 はああああ。

 古海が、聞こえよがしに、ため息をついた。

「奥様から伺いました。創を典子さんの毒牙にかけたくないと、涙ながらおっしゃられて……。私、胸を打たれました」


 ……そうだ。

 それで、典子お嬢様は、創さまと離され、一人、別宅で暮らしているのだ。

 古海を監視役に据えられて……。


 もなみは思い出した。

 お父様である一乗寺社長には、いまひとつ、その理由がつかめていないようだが。

 しかし、彼は、大変な愛妻家である。

 若い後妻のいいなりである。



 ぷうう、と、典子が膨れた。

「創ママも大袈裟ね。まだわたし、何もしてないよ?」

 古海がぎろりと睨む。

「本、貸したでしょ」

「え……」

「こっそりお化粧、したでしょ」

「今は男子でも……」

「絹のブラジャー」

「……どうしてばれたの?」

「創さまで遊ぶのはおやめなさい、お嬢様。綾音奥様が、おかわいそうです」

「だって、創ったら、磨けば光る珠よ、あれ」


 「だめです。奥様だけじゃない。詳しい事情を知れば、社長だって、お叱りになります」

「古海が、言いつけてみる? 無駄だと思うけど。お父様には、いくら教えても理解できないから。恋愛は、男女でするものだと固く思い込んでるからね」

「……それは、ご理解いただかない方が、何かと好都合なのでは?」

「なぜ?」

「だって、いろいろ便宜を図ってもらえなくなりますから。お嬢様のご趣味に」

「趣味って何よ、趣味って!」


「冬日向よう先生のご本……電子書籍……」

古海が典子にささやくのが聞こえた。


 もなみには何のことかわからなったが、典子は黙り込んでしまった。

 改まった口調で、古海が言う。


「それに、一乗寺社長とて、孫が欲しい筈ですよ」

 言われて典子が憤った。

「孫? 創はまだ、14歳よ?」

「14歳だろうと、腐るものは腐ります。特にあなたの感染力はすさまじいのだから」

「そんなの。創の勝手だわ」



 「孫なら、お嬢様が作ってさしあげればいいじゃないですか」

 さっきから聞いていれば、2人は、孫は、創からしか出てこないということを前提で話している。

 つい、もなみは口を出してしまった。


 例の冷たい目で、古海がもなみを見た。

「それは無理というもの……」

「わたしも赤ちゃん、欲しいわ」

言いかけた古海を、典子が遮った。


 古海が、ぎょっとしたように、典子を見た。

「お嬢様、腐ったあなたが、いったい、どういう……」

「わたしはね……」

古海を無視し、典子はもなみを見た。

「男同士のカップルから依頼されて、彼らの赤ちゃんを産むの」


 「そっ、それはっ、……人工授精ですよね? もちろん」

思わずもなみは問い返した。

 「あたりまえよ。決まってるじゃない」

迷いなく典子は答える。

「完全な産み分けで、赤ちゃんはもちろん、男の子よ。わたしが育ててもいいけど、きっと、彼らも自分たちの手で育てたいでしょう。だって、赤ちゃんって、彼らの愛の結晶なのよ!」

「いや、それは違うのでは……」

「え?」

「だって、タネはどちらかのでも、卵子は……どなたのです?」


 人工授精だからな。

 産み分けだけじゃなく、なんでもありの世界だ。


「はて。そこまで考えてなかったわ。卵子バンク? 日本にそんな便利な銀行、あったかしら。なんならお父様に頼んで、一乗寺財閥うちで作ってもいいけど」


 ……いや、社長は決してそんなものは作るまい、と、もなみは思った。

 溺愛する令嬢が一枚噛んでいるのなら、なおさら。


 「とすると、お嬢様は、ハラをお貸しになるだけなんですね?」

「そうよ。愛し合う2人の役に立てるなんて、素敵なことだと思わない?」

 うっとりと、典子は続けた。

「生まれた男の子は、彼らのものよ。でも、こっそりともう1人だけ、わたしは赤ちゃんを産むの」

「ええーーっ、それは、契約違反では?」

「大丈夫よ。許可は取るから。最初から、契約書に盛り込んでおくわ」

「……」

「2人目はね、女の子よ。この子は、わたしの手で育てるの。いつも一緒、どこでも一緒、ずうーっと一緒」


 両手をドレスの胸の前で組んでいる。

 そこだけ見ると、まるでフランス人形のようにかわいらしい。


「そして、大きくなったら、一緒にコミケに行くの。だって、いくら誘っても、モナちゃんは一緒に行ってくれないんだもん」

「あたりまえです。せっかくの休日に、誰が、」

「お祭りですもの。わたしだって、誰かと一緒に行きたいじゃない?」

「……その子は、確実に腐りますね」

「もちろんよ!」


 「お嬢様……」

ためらいながら、もなみは言った。

「なにも腐らせるために、そんなめんどうなことまでして子どもを生まなくても……。実の弟さんもそうですけど……。友達を作ればいいだけの話じゃあ……?」


「友達ができないからよっ!」

典子は叫んだ。

「わたしは腐友が欲しいのよっ!」


 いつの間にやら、古海の姿は消えていた。


 「妄想は別として、お嬢様……」

古海がいなくなったのを確認して、もなみはささやいた。

「創お坊ちゃまを腐らせるのは、おやめになった方がいいと思います」

「まっ、モナちゃん、あなたまで。心外だわ」

「お嬢様、考えてもごらんなさい。もし、創さまが腐ったら……まっすぐ、古海さんの餌食になります」

「許しません!」


 典子が叫んだ。

 脊髄で反射したような速さだった。


「古海なんて! あんな、萌え要素の1ミクロンもない男となんて!」

「お嬢様、落ち着いて」

典子のあまりの剣幕に、もなみの方があせった。


 話題、話題を変えなければ……。


 「……で、旦那様のご機嫌はうるわしうございましたか?」


 古海の話は、典子もあまりしたい気分ではなかったらしい。

 簡単に、もなみの問いに答えた。


「あいかわらずよ。なんでも、今回のパーティには、小説家をたくさん招いたそうよ。一乗寺財閥の人脈の豊かさを、自慢してたわ」

「きっと、典子お嬢様のご機嫌を取るためでございますね」

あいかわらずの親馬鹿ですね、は、心の中でつぶやいた。


 かわりに言った。

「ほんと、お優しいお父様ですね!」

「なーにが!」

典子は、ぶう、と、鼻を鳴らした。

「お嬢様! 素敵なドレスを着て、完璧な化粧を施して、そのように鼻を鳴らされては全てが台無しになります」

「いい? お父様のお招きになったのはね……」


 矢継ぎ早に、典子は7~6人の作家の名を上げた。

 もなみの知らない名前ばかりだった。


「知らなくてもいいわよ。純文学の作家ばかりだから。あ。時代作家もいたか。あのね。さっきも言ったけどね。お父さまはね、男同士の恋愛BLのことを、ちっとも理解していらっしゃらないのよっ!」



 「失礼、」

その時、本宅の執事が、近づいてきて話しかけた。

「旦那様がお呼びです」

「え? 私?」

もなみは驚いて、白髪の執事を見た。


 「ああ、そういえば、メイドを寄越すようにって、お父様が言ってた」

けろりとして典子が言う。

「……お嬢様。そういう大切なことは、真っ先に言って頂かないと」


 ……なんの話だろう?

 旦那様が、直接別邸のメイドに話をするとは、今までになかったことだ。

 本宅執事の冷たい目をみながら、もなみは、不安になった。

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