18

※キーワード「e」を手に入れました。

 ロイに合わせるように、その男はクツクツと笑い声を洩らしていた。しかしそれはロイの笑い声に溶け込んでしまい、むしろいいカモフラージュになっていた。

「グフフッ! 馬鹿だなぁ……俺がいるっていうのにさぁ!」

 頭をさも愉快そうにユラユラと揺らしながら、彼は壁に張り付いているボタンを躊躇なく押した。

「……ちょっと待って」

 先に足を止めたのは、リオンだった。

「どうした?」

 キースが様子を伺う隙も与えず、リオンはバッと振り返る。合わせて二人も後ろを見る。

 そこには、ギャギャギャとこちらを指さして笑う男がいた。

「あ! あいつ! 俺の隣の部屋の!」

 自分と同じ服を着たその男を同じように指さしながら、ロイは高速で足踏みする。

「走って!」

 リオンは叫ぶと二人の背中をバンと叩き、その横を通り抜けて男目掛けて駈け出した。

 次の瞬間、男の前でガシャン!と聞き覚えのある金属音がした。

「あ! おいロイ! 早く行くぞ!」

 気付いたキースも遅れて走り出した。

 シャッターが目の前を容赦ない速さで塞ごうとしていた。

「すごい! アレみたい! アレ! なんだっけ? えーっとーぉ?」

「いいから早く行け!」

 走りながら考え事を始めたロイの背中をキースが押し込んだ。ロイは綺麗に倒れてそのまま滑り込み、キースもその流れに続く。

 数秒もしないうちに、シャッターはガンとぶっきらぼうにキースの足元で下がりきった。

「二回目……かよ……ホントどうなってるんだ?」

 微かだが、シャッターの向こうからシュウウという音がする。毒ガスが噴射されているのだろう。

「ねえ! 思い出せない! なんだっけこういう感じのシーン! ほら映画でさー」

「沢山あってどれだか分からないよ……」

 お決まりのシーンではあるが、実際体験することになるとは思わず、キースはため息をつくしかなかった。

「てめぇ!」

 その傍ら、リオンは先程の男に飛びかかっていた。

「誰の差し金? 今自分がしたことの意味分かってる?」

「ひぃぃっ!」

 男の顔からまたたく間に血の気が引く。そしてあわあわと口を動かした。

「ちょ、長老に言われたんだよ!」

「え……?」

「ついていけって。頼まれたんだよ!」

「長老が……?」

 リオンの手の力が緩むと、男はするりと体制を戻し、再び嘲り笑った。

「そうだよ! 長老が言ったんだ! 俺はその通りにしただけだ!」

 そのままリオンを突き落とし、ヨロヨロと立ち上がる。そしてそのギョロギョロと突き出た目でリオンを見下した。

「残念だったな。お前随分と長老のこと慕ってたみたいだけどさ、こんな形で裏切られるなんてなぁ!」

「嘘だ! 尾行しとけって言われただけだろ? 殺せとまでは言ってない!」

 リオンは男の胸倉を掴み、壁に押し付けた。しかし男の表情は変わらない。

「シャッターを閉めたのはお前の意思だろ?」

「さぁ、どうかなぁ」

「もう一度聞くけど、自分がしたことの意味分かってる?」

「何のことだか、さっぱり!」

 するとリオンは顔色一つ変えず、ポケットから白い破片を取り出すと男の眼球に押し込んだ。

 あまりに咄嗟の出来事に、痛覚が認識するまでに時間がかかったのだろう。糸を張るような奇妙な静寂が、一瞬作られた。しかしすぐさまそれを男の絶叫が突き破った。喉が潰れそうなほど大きな声に、リオンは冷たく言い放つ。

「うるさい」

 破片を抜くと、男の声はすぐ止んだ。だが余韻を帯びて蚊の鳴くような声を絞り出している。

「あぁ……痛い……!痛いよぅーうう……」

 今にも飛び出そうな眼球が、悲鳴と共鳴するようにグラグラと揺れる。

「破片がゴロゴロして痛いだろ?ちゃんと洗ってきたら?」

 リオンが情けの欠片もない声を投げると、男はおぼつかない足取りで歩きだした。

「水……み、ず! 水路……あぁぁ」

 リオンはその後ろを、目の前の惨劇を透かして何も見ていないかのようについて行く。

「ほら行くよ」

「お、おい。良いのか……?」

「何が?」

「いや、だってさ」

 キースは前を見やる。男は相変わらずノロノロと歩を進めている。

「人を殴ったら痛いだろ? いくら殺されかけたからって、目を潰していい理由にはならないし……。というか、そんな男に道案内させていいのか? そもそもここはなんでここまで無法地帯なんだ?」

「別に道案内させてるわけじゃないよ。水路までなら僕だって行けるし。話はまず、こいつを使い捨ててからね」

「それってどういう……」

 突然、男が曲がり角で消えると、バシャンッと派手な水音がした。

 慌てて駆け寄ると、カルキの臭いが鼻をついた。ジャバジャバと荒々しい音を立てて、大量の水が道いっぱいに広がっている。その手前、男が頭を水流の中に突っ込んでいた。ガボガボと水の中で息を吐き出しながら、のめり込んでいる。

「今の看守は従順ではあるけど個人のスキルといったら笑っちゃうレベルだね。気配を感じ取ったらすぐに寄ってくるまではいいけど把握の仕方が下手くそだし、対処も指示待ち」

 独り言のように滔々と語ると、リオンは水路をヒョイと跨いで向こう岸に移った。

「早く行くよ」

「あ、ああ」

 しかし目の前をダクダクと暴れる水はかなりの幅を取っている。キースは目をつむり、助走をつけると足を地から離した。

「おっと……!」

 再び重力を感じた瞬間バランスを崩し、海老反りになる。つんのめりながらも無理に前に体重を持っていき、そこでようやく落ち着いた。

 先程まで目の前にあった水音を背中に受けながら、一息つく。充分に沁み込んだところで後ろを振り向いた瞬間、

「っ! ロイ、早く!」

 リオンが叫んだ。無遠慮に喚く水たちの前でも、看守の気配を察知する能力は鈍らない。

 しかし、ロイは首を横に振った。

「ちょっと! どうしたの?」

 焦る気持ちを抑えながら、リオンはロイの様子を伺った。ここで発狂でもされようものなら看守が来る時間が早まってしまう。

「俺……泳げない!」

「はぁ? じゃあ先に行くよ」

「あ!お前!」

「大丈夫だって。あいつだって患者なんだから、そこらへん散歩してましたって言えばどうとでもなる」

「でも! おい!」

 キースが腕を掴もうとしたが、スルリと綺麗にかわす。そのままリオンは呆れ顔で走って行ってしまった。再び目をやると、ロイは本当に怯えている。

「大丈夫だ! 跨ぐだけだから!」

 しかしロイは頷いてはくれない。

 看守の足音が、キースの耳にも届いてきた。ロイが跨いで水路から一緒に姿を消すには、時間がかかって無理があるだろう。

「ああもう! うりゃ!」

 急いでまた水路を飛び越える。

 小刻みに首を横に振るロイは、未だ一向に足を前に出そうとしない。


▼ドウスル?

・置いていくと説得し自分だけ先に行く→24へ

・一緒に水路に潜り込んで身を潜める →22へ

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