6
「此処で最年長の人に会わせてくれ」
「いえっさー」
最年長なら肝も据わっているだろうし、精神に異常があっても分別がつくだろう。
しかしロイはそんなキースの思案を気にするまでもなく、ずんずんと奥へと進んでいく。
廊下は相変わらず真っすぐ続いていた。だが、シャッターの中と外では明らかに違いがあった。
暗いのだ。照明の間隔が異様に広く、本来の役割をあまり果たしていない。清潔なロビーではしなかった泥臭さも気になる。だが、平然と上機嫌で案内してくれているロイに悪いような気がして、キースは何も言わなかった。
「ここだよ」
ロイは今度はキースの後ろに回ると、彼の肩をズイズイと押して前に進めた。事実、そうでもしてもらわないとキースは足が動かせなかった。
頑丈な鉄格子が小さな個室一つ一つに、ご丁寧にはめられていた。その部屋一つに二つずつ、こちらに向かってギョロギョロと目玉が動いている。
「これは……」
「皆の部屋。こうでもしないと夜暴れるからね。で、何だっけ? 一番のじいさん?」
「あ、ああ……」
「じゃあ長老だね! すんませーん! 長老ー!」
途端、今までしていた騒めきや気配がスッと引いた。
「……入れ」
一番奥の個室から、重々しく声が響いた。
「……おいで」
ロイの顔つきも変わった。狂気が抜かれ、正常者に戻ったかのようだった。キースも背筋をピンと伸ばした。長老の声には、人を浄化させる力でもあるのだろうか。
「おじゃまします」
中に入ると、先ほどまで気になっていた泥臭さは一層濃さを増した。簡易ベッドと机がある以外、何もない殺風景な部屋。その中で、椅子に腰かけた彫の深い長老の眼光を真正面から受けた。
「新入りか?」
「その質問は三回目ですね。そしていいえと答えるのも」
「そうか……」
長老と呼ばれたその老人は、蓄えられた白い髭を撫でながら目を瞑った。文字の通り、瞑想という言葉がよく似合う風貌だ。
「ではどうしてここまで来た?」
「……ある人を追っているんです」
興味本位です、とは到底言えなかった。
途端、隣の個室からカサカサと布の擦れる音がすることにキースは気が付いた。時折、弱弱しい声でカンシュサン……と聞こえる。ズルズル、ズルズル、カンシュサン……、ズルズル、カンシュサン……。床を這いずり回る音とその声は延々と続いている。
長老は片目を少し開け、音のする方を一瞥した。
「ここはそういう場所だ。君はまだちゃんと立てるしちゃんと話ができる。それが使い物にならなくなる前に、早く帰りなさい」
「でも――」
「聞きたいんだろう?エス病棟の裏を。ここに眠る真実を」
「っ……」
「そこまで分かった上で言っている。早く帰りなさい」
嘘なんて、とっくの昔に見抜かれていた。
「院長に感づかれる前に、キメラ実験の餌食となる前に、早くかえりなさい」
それは、呪文のような言葉だった。
途端、何かのスイッチが入ったかのように周りの個室が騒がしくなったのだ。
「な、何だ?!」
思わずキースは後ずさる。
どこを向いても発狂、発狂、発狂。とてつもない音量の雄叫びが渦を巻いて、大合唱を作り出していた。
「分かったか?ここには知らなくていい恐ろしいものが潜んでいるのだ。……リオン」
その中でもよく響く声で、長老は人を呼んだ。
「はい」
別の個室が開く音がして、一人分の影が格子の中に入ってきた。
「この人を裏道まで案内しなさい」
「はい」
リオンと呼ばれた少年は、うやうやしく長老にお辞儀をすると、キースをじろりと睨んで顎で外を指した。
歳はキースよりも五つほど下であろう。まだ体は発達途中で、胸板も薄く、肩も丸く、同じ年齢の女子とさして変わりはない。
「何ジロジロ見てんの? 行くよ」
「ああ、悪い」
低くも太くもない幼い声で言われても威勢は無く、キースは軽く受け流すと外に出た。そしてくるりと長老の方を向き、頭を下げているロイに倣って軽く礼をした。
「こっち」
リオンはこちらのペースを気にすることなく、速足でどんどん先に行ってしまう。とはいえ歩幅はキースの方が広いため、さして苦にはならなかった。ロイに至っては飛び跳ねて付いてきている。
発狂のフルコーラスは、すぐに遠くなっていった。
「言っとくけど、別に僕は長老に言われてやってるだけだからね。顔もろくに見たことない奴に何でもかんでもしてやるほどお人好しじゃないんだよ」
「ありがとう。それでも助かるよ」
すると、リオンの足が止まった。くるりと振り返りこちらをのぞき込む目には、歳相応の無邪気さは一切無かった。
「言ってる意味、分かってないね?」
「何が?」
「僕は、長老に指示されたこと以上の親切はかけない。だから」
突然、目の前に金属棒が飛び出てきた。
「あっ! 俺の!」
覆いかぶさるように手を伸ばしたロイをヒョイとかわし、しかしその手はキースにピタリと向けられたままだった。
「うるさいよ。どうせ管理員からくすねてきたこん棒だろ。そもそもロイのものじゃない」
「でも俺の!」
「うるさいって!」
リオンの白くて細い足をめり込ませ、ロイは面白いほど吹っ飛んだ。
リオンがもう一発と足を上げた瞬間、遠くからパタパタと足が聞こえた。
「おい、何だ?」
「しっ!」
キースの前に人差し指を突き出し、転がっているロイの口を塞ぎ、息を殺して待つ。
足音が遠のくとリオンはふうっと短く息を吐き、またこん棒をキースの前で構えた。
「ここを見張っている看守の警備がいつもよりも手厚い。いい迷惑だよ」
「……どういうことだ?」
キースは身じろぎ一つせず、リオンは一点を見つめていた。そうでもしないと立っいられるかすら怪しかった。それほど今のリオンは悍ましいものを孕んでいた。
「僕はここで平和に暮らしてるんだ。何をやっても誰にも文句を言われない、自由な世界で。なのに君が来たせいで看守の見回りが強化されてる。僕は好きな事がしづらくなった!どうしてくれるんだよ」
「すまない……どうしても見つけたい人がいるんだ。なあ、頼むよ! 出口じゃなくて、そいつが行きそうな場所に案内してくれないか?」
確かに長老には止められた。キース自身、ここが場違いなところであることは分かりきっていた。だが、ここまで来た以上は見れるものは見ておきたかった。諦めきれない好奇心が、この段階になってまた顔を覗かせた。
それがリオンに届いたかどうかは分からない。だが、リオンは静かにこん棒を下した。
「……ねぇ、その人は危険を冒してでも見つけたい人なの? 君にとってその人はどんな存在なの?」
「それは――」
▼ドウ答エル?
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