3
柔らかな視線を感じて振り向くと、日なたで目を細めているおばあさんと目が合った。
特に迷うまでもなく、キースはずかずかとおばあさんの元へと歩み寄った。
「こんにちは」
『好印象な青年』を顔に張り付けて、爽やかな挨拶を吐く。
「どうも」
おばあさんもまた、柔らかいパンのような白い頬をふかふかさせ、温かく返してくれた。
「今日は本当にええ日じゃ。こうしていると本当にええもんで」
「そうですか」
「お前さんもかい?まぁゆっくりしていき」
「ありがとうございます」
話を切り出そうにも、何を言っていいのか分からない。ここに住んでいる患者にエス病棟の噂を聞くというのは、失礼なのではないかという今更ながらの迷いがフィルターとなり、無難な返答しか外に出てこない。
「何せ最後なもんでの。でも特別に何かをする気にもならん。こうしていつもと変わらずにおるのが一番じゃ」
「最後?」
「ああ……」
しかしおばあさんはそれ以上言葉を進めることはなく、車いすの脇にあるレバーをそっと引いた。スススと前に車いすが進み、おばあさんを運んでいく。キースもその後ろに続いた。
「あの、最後って?」
「ああ……」
おばあさんの返事は全く変わらなかった。仕方がなく、キースはおばあさんについていく。
無機質な道に入っていく。分岐する道も無ければ部屋も一切ない。ただただ延々と真っすぐ、道は続いていた。バリアフリーなのか、階段こそ無いが確かに下り坂になっていて、どんどんと奥に進むほど地下に潜っていってるのが分かる。比例して、照明の間隔はどんどん広くなり、歩いていくほどに薄暗さが増していった。
引き返そうとは思わなかった。おばあさんに何も聞くこともなかった。何かに憑かれてしまったかのように、淡々とキースはおばあさんの後をついて行った。
だが、おばあさんは突き当たった道でピタリと止まった。
動きに酔っていたキースはその後に続くことができず、車いすにぶつかってしまう。
「あ、すみません」
「ええよ。ええんじゃ……」
カチリ……と、控えめな音が辿ってきた道に響いた。おばあさんが車いすのスイッチを切ったのだ。だが、キースは気づいていた。その時聞こえていた、もう一つの音に。
「あの、おばあさん。今何か音が……」
しかしキースはそこで口をつぐんだ。するのだ、音が。だがそれは先ほどのような音ではない。シュウウと空気の漏れるような音が、道の其処彼処から湧いて来るのだ。
「おばあさん? これは――」
グラリと体が傾いた。そのまま立て直すことができず、キースは体を地面に強く打ち付けた。しかし痛みを感じない。それどころか、起き上がることすらできない。
「今日は本当にええ日じゃ。こうして一緒に死んでくれるもんがおるなんて……」
日なたぼっこをしていた時と同じようにウトウトし始めたおばあさんが、どんどん霞んでいく。
そのまま遠くなっていく音と共に、キースの世界はゆっくりと黒く、黒く染まっていった。もう戻れない、黒に。
〈GAMEOVER〉
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