生と死、そして生

@hiyoko

ありがとう ありがとう

1995年7月14日

阪神淡路大震災や

地下鉄サリン事件のあった年

札幌市の産婦人科で

女の子として産まれるはずだった男の子

つまり俺は生まれた

後から聞いた話では

俺の祖母は女の子の服を作っていて

医者にかなり怒ったらしい

名前も「みらの」

って名前だったらしい


今考えたら

俺は男の子として生まれたのは

偶然じゃないと思っている


俺はテニスコーチの親父

会社員の母さん

父方のばあちゃんの四人家族だった


そんな男の子の

本当にあった20年間の話

拙い文章ですが

最後まで読んでくれると嬉しいです








俺が覚えている1番昔の記憶

幼稚園に入りたての頃

俺は近所のでっかい公園に

親父と遊びに行った時

周りの子より少し運動のできた俺は

身の丈に少しあってない遊具で遊んでいた

その遊具は

木の柱が三本あって

それに小さい丸太をロープで繋いだ橋が架かっている遊具だった

丸太には杭のような足場があり

それを登って

上から渡るというものだった

それを俺は

登らずにうんていの要領で

下から行こうとした

しかし

体の小さい俺は

次の丸太に手が届かず

反動で後ろに戻った時に

思いっきり足場の杭で

後頭部をぶつけ

ぱっくり頭が割れてしまった

その時親父が

赤いハンカチで頭を押さえ

抱きかかえられてるのを今でも覚えている

そこから病院までの記憶はなく

気がついたら病院のベッドの上で

頭にネットをしていた

帰ってきた母さんに

マスクメロン〜

って言ってふざけてたのを覚えている

母さんはとてもびっくりしてた


これも後から聞いた話だけど

父は俺を抱きかかえた後

近くのいとこの家でどこの病院にするか

相談している時

いとことぶどう狩りをしていたそうだ

今考えると色んな意味で頭が大変なことになっている


これが1番昔の記憶だ


どうでもいい事だが

俺の1番初めに喋った言葉は

祖母が聞いた

今日もいい天気だね

だそうだ

その時の空は曇りで

あまりいい天気ではなかったが

祖母はかなり驚いたそうだ

どこまでが真実だがわからないが

そういう事になっている





そんな俺は大層賢い子供だったらしい

幼稚園の年中さんで

九九の段をマスターしていた

これは俺も覚えている

昔は賢かったんだな

幼稚園の遠足で

動物園に行った時も

動物の説明の書いてある看板を

スラスラと読み上げていたそうだ

漢字も大して知らない子供が

そんな事をしたので

幼稚園の先生は親に

頭のいい子が行く幼稚園を勧めたらしい

つまり俺は神童として扱われていたのだ

この時俺は

大したふうにも思ってないし

当たり前だと思っていた

けど今考えたら

俺実は天才なんじゃないか?

今がすごく残念で笑えてくる






そんな俺も

小学校に上がった

小学校は特認校という

すこし特殊な学校に通った

朝は6時に起き

地下鉄とバスで1時間半かけて通った

今考えると

よくそんな事やってたな

なんて思う

子供の時の俺に

がんばったなって言いたい

その学校は山の中にあり

スキー授業がたくさんあった

大自然ってほどではないが

自然の中で育った

だから俺は今でも半野生人だ

山の中にほっぽり出されても

すこしの間くらいなら生きてるだろう


俺は小学校の頃

たくさんの習い事をさせてもらった

いや、当時はよくわからないままやっていた

一年生の時から塾、ピアノ

水泳に空手、体操教室

ヴァイオリンなんてのもやった

塾に限っては6年間も通っていた


それはさておき話

俺の小学校では一クラス20人と

すごく少ない人数だった

もちろんクラスは全部で一クラス

友達も20人しか同級生ではできない

けどそれはそれでよかった

当時の俺は今では考えられないくらい

人気者だった

特に下の学年からはとても慕われていた

みんなかわいい弟、妹のようだった

そんな俺は

小学校5年の時から卒業まで

クラスの男子にいじめられていた

理由ははっきりとわからなかったが

恐らく勉強も運動も

クラスの誰よりもできたからだと思う

クラスに男子は9人しかいなかったが

そのうち6人からいじめられた

当時から捻くれ者だった俺は

弱者が妬み嫉みで吠えてるだけ

そう思っていた

けど

俺はとても短気だった為

売られた喧嘩は全部買っていた

運動が得意で

血の気の多い俺は

喧嘩でも負ける事はなかった

やり過ぎで失明させかけるなんて事もあった

ごめんなさい

そんな俺にも

仲良くしてくれる男の子が居てくれたおかげで

なんとかやっていけた


塾の友達も仲良くしてくれた

その塾で

今でもずっと仲のいい

ちょっとした口論はあっても

絶対に殴り合ったりしないくらいの

喧嘩なんてしない

いい友達に逢えた

俺はそいつの事を

親友だと思っている

後でまた述べるが

俺にはもう一人親友だと思っている奴がいる

それは後で話そう


そんな俺はとにかく勉強した

勉強する理由もわからず勉強した

そして受験もした

偏差値もそこそこの

知名度もそこそこの

そこそこばっかり言っていたら

学校には失礼だが

寮のある南北海道の中学で男子校だ

ちなみに全国的に名前が馳せている

わかる人は

これだけでわかってしまうだろうから

これ以上深くは言わないけど

他にも2つ受験して

両方受かった

母さんには

地元の中学に行って欲しいと言われたが

俺は頑として寮のある学校に行った

その時の親父の言葉を

今でも覚えている

本人が行きたいところに行かせてあげよう

この時は

あー、親父、わかってるな

そんな生意気な事を思ってた







そして

俺は南北海道の寮のある中学に入学した

最初は少し不安だった

ってみんな言うけど

俺はわくわくして

たまらなかった

今までと違う

いや、全くもって違う生活がこのにある

そう思っていた


これは前置きだが

中高一貫校であった母校の話

今でも色々覚えすぎている為

話が長くなる事を

先に伝えておく


俺の苗字はだいぶ後ろだったので

寮生番号はかなり後ろだった

ちなみに寮生番号とは

寮の中で使われる番号で

一人一つ与えられるものである

これが無いと

実家からの荷物とかの仕分けが大変なのだ


寮に入ってすぐ

舞い上がっていた俺は

周りの子たちにすぐ絡んだ

今思うと相当ウザい

俺はそこで先程述べた

親友だと思っている奴に出会った

そいつは

ぽっちゃりしていてきのこ頭

読書ばっかりしている奴だった

典型的なインドア派だ

俺は小学校の時に少しやっていた

ミニバスが楽しくて

バスケ部に入ろうと思っていた

そこにそいつを誘ったのだ

と言うより無理やり連れて行ったのだ

ミニバス経験者の俺は

初めからそこそこできた

そいつはと言うと

まぁ言うまでも無いがへっぽこだった

体力も技術もない

文字通りへっぽこだった

けどそれが彼に火をつけたのか

彼は一緒にバスケ部に入った

そいつとやるバスケは1番楽しかった

それは今も変わらない


勉強も頑張った

と、カッコつけて言いたいが

親の目の届かないところだったので

サボりにサボった

最初は大してやらなくても

まぁまぁできた

一応言っておくが

俺は天才ではない

せいぜい秀才止まりだ

自分で言うのもあれだが



中学一年の時の担任は

俺の1番の恩師である

見た目はかなり太っていて

坊ちゃん刈りの先生だった

先生は俺らと一緒に学校に入った

同じ一年生だった

先生は俺らの親にこんな事を言った

僕が皆さんのお子さんをカッコいい男にします

俺の親は大層安心したらしい

果たして俺はカッコいい男になれたのか

それは周りが判断することだが

カッコ悪いよりはカッコ良くなりたい

そんなユーモアな先生が

俺は大好きだった

困ったことがあったら

その先生に相談に行ったりもした

その先生は国語の教師だった

実を言うと俺は国語が大の苦手であり

塾の時にはかなり怒られた

けどその先生の授業はとても面白く

国語が少しずつ得意になっていった

塾の先生が悪いわけではない

理解できなかった俺が悪いのだが

当時塾の先生が話していたことが

その時わかって

あの時こんな事を言っていたのか

と理解した

そんな俺が

ここまで文章を書けるようになったのも

その先生のおかげである




そんな楽しい中学生活が始まった




ここまでで序章である

先が長く見えないが

頑張って付いてきて欲しい

安心してくれ

分厚い小説になるような話にはしない予定だ

予定だけどね




中学に入学して間もなく

ゴールデンウィークがやってきた

1年生は皆

強制的に帰省させられる

理由ははっきりとは覚えていないが

みんな地元へ帰って行った

ゴールデンウィークが終わり

皆が帰寮した

もちろん俺も帰寮したが

一部の友達の様子がおかしい

特に奴である

そう、バスケ部に無理やり誘った奴だ

彼は実家が寺で

家の手伝いをして髪を丸めていた

だが様子がおかしいのはそこじゃない

号泣していたのである

本人は恥ずかしがって

今話すとやめてくれよと言うが

当時はそれどころじゃなかった

俗に言うホームシックというやつだった

確かに俺も

久しぶりの家の食事や

家族の温かさが身に染みたが

それを承知できてたので

そこまでにはならなかった

とりあえず俺は彼をなだめ

ひと段落を得た

俺はこのゴールデンウィークで

両親の愛や

家族の絆を感じた

面と向かって話すのは

こっぱずかしいのでこの場を借りて

お礼を言わせてもらおう

読んでくれてる方もご一緒にどうぞ

親父、母さん、ばあちゃん

ありがとう


そして時は過ぎ

といっても数ヶ月だが

1年間めちゃくちゃ楽しかった

今までいた

自分の小さな世界が少し大きくなった気がした


中学2年になって俺にも後輩ができた

その時ちょっとした事件が起きた

小学校の頃に

1番かわいがっていた後輩がそこにいる

一瞬目を疑ったが

間違いない

俺の後を追いかけてきたのか

理由は本人しか知らないがそこにいた

彼とも長い付き合いになりそうだ



頃合もいいので

ここで我が母校の楽しいところを紹介しよう


学園祭の話を1番に上げさせてもらう

え?学園祭はどの学校でも楽しい?

それは俺だってわかりきっている

それをわかっている上での紹介だ

俺の話を聞いて存分に想像を膨らませてくれ

まずうちの学園祭の特徴は

生徒による模擬店の禁止

これがなんといっても面白い

え?そんなのつまらないって?

ノンノン

楽しいのはここからである

生徒が模擬店を出せないという事は

全クラスによる出し物があるということ

そしてそれを競い合うのだ

学園祭のエンディングで

来場者による人気投票が行われるのだ

皆はそれで1番になるべく

頑張っているのだ

え?それでもやっぱり微妙?

まだ焦る時間じゃない

先ほども言ったが

生徒が模擬店を出せないなら

誰が模擬店を出す?

そう、父兄である

つまるところ自分たちの親達だ

うちの学校はだいぶ前にも述べたが

全国的に名前が売れている学校なので

全国から生徒が集まるのだ

そうすればもちろん

地域の特産物が模擬店に並ぶのだ

するとどうだ?たのしくなってきただろう?

札幌支部から厳密には少し違うがラーメン

東北からは牛タン弁当やババヘラアイス

関西のタコ焼き

その他様々な地域の特産物、名物が並ぶ

もしどの学校かわかったら

是非行ってみて欲しい

他の学校とは一味違った

ちょっとした全国美味いもの市だ

そして生徒が

この学園祭で1番楽しみにしているもの

それは

学園祭終了と同時に訪れる夏休みだ

夏休み

好きだろう?

どうでしょうか

うちの学校の楽しさが

少しでも伝わっていれば嬉しいです




さぁ

楽しい話はこの辺で

またつまらない話をしよう




俺は3年の先輩方が部活を引退して

皆の推薦により部長になった

最初は

というよりずっと大変だった

皆をまとめるという事の難しさを

そこで初めてわかったのである

うちのバスケ部はあまり強くなかったが

まぁまぁ、楽しかった

そして3年になり

新しい1年生が入ってきた

辛い事の方が多かった

まだクソガキだった俺は

やってはいけないことをやってしまった

万引きである

もう時効だと思うので正直に告白する

一緒にやっていた部員たちも皆反省している

そして俺は部を退部しようと思った

けどそんな俺を皆は必要としてくれた

それが例え一戦力だとしても

俺はそれがとても嬉しかった

代わりに部長から降りた

新しい部長は入部した時は1番ドベだった

あのへっぽこ丸である

いや、その時はすでに

へっぽこではなくなっていた

俺もそいつなら大丈夫だと思っていた

しかし彼は俺のことを良くは思っていなかった

軽蔑されたのだ

仕方のないことだった

だから俺は部に出来ることを精一杯やった

1年生がやるような事も全部


だが俺の頑張りを皆は認めてくれた

俺は最後の中体連に

レギュラーとしてフル出場した

結果は惨敗

俺の成績はチームの得点の半分くらい

だが勝つことはできなかった

悔しかったがやり切った

俺のバスケ人生はここで終幕する



それからしばらくの間

彼からはずっと冷たくあしらわれた

けど俺にも新しい仲の良い友達ができ

彼と距離は少しずつ離れていった



そして中学3年の夏休み

俺の人生に関わる大事件が起きた

この事件は俺の人生史上1番の事件である

そして俺の人生を一気に狂わせた


夏休み

意気揚々と帰省した俺

夏休みの間はずっと楽しかった

塾で仲良くなった彼とめちゃくちゃ遊んだ

親父が柄にもなく

初めてといっても過言ではない

テニスを教えてくれた

お前には才能があるとかないとか

確かに初めてにしてはよく体が動いた

まぁ上手くはないが

そして更に柄にもなく

レジャー施設にも連れて行ってくれた

俺はあの時のことを忘れない

あんな楽しい思い出はなかった

今思うと中3の夏休みが1番楽しかった

そんな夏休みも終わろうとしていた時

母さんからこんな話をされた

親父は膵臓癌だった

余命一年と宣告されたと俺に告げた

その時の俺は平然としていた

というか平然を装っていた

こんなに辛そうな母さんを見たのは

生まれてこの方初めてだった






夏休みが終わり帰寮した俺が

真っ先にした事は勉強だった

今までサボってきた勉強をして

親父に俺が頑張ってる姿を

遠いところからでもわかるように

どうしても伝えたかったのだ

そして夏休み終わりの1番最初のテスト

期末テストが近づき

俺は今までにないくらい勉強した

間違いなく成績が上がる確信があるまで

遊ぶことなどなく勉強した

残りひと月

残り半月

残り一週

残り6日

そして残り5日目の夜

俺の集中はピークに達していた

自習室で勉強していた俺に

担当の寮教諭が俺を呼んだ

俺は

あれ?なんかわりー事したっけ?

なんて思ってた

すると先生は

おい、急いで帰る準備しろ

俺は全てを理解した

今電話でお前の母さんから連絡があった

わかってるそんなのわかってる

父さんの体調が悪くなったらしい

だからわかってる

俺はすぐに帰る準備をした

もちろん周りの友達に

あれ?どうしたの?と言われた

俺は

いやー、急に親に呼び出しかかってさー

なんて気丈に振る舞ったが

内心周りの事など考えてなかった




俺は次の日の朝

1番早い飛行機で帰った

家には親父の姿はなかった

母さんは俺を車に乗せ病院に向かった

そこには夏休みには元気だった

少し痩せている親父が寝ていた

体中にチューブが繋がれ

見るに堪えない姿だった

けど俺は親父の前ては笑っていた

親父は湿っぽいのが大の嫌いだった

だからせめて俺だけでもと笑顔を見せた

次の日地元から出ていたいとこがきた

次の日は親父の親友がきた

そしてその日にみんなを一人一人

病室に呼び出し話をした

俺に親父はこんな事を言った

母さんとばあちゃんを頼む

それと立派な男になれ

いい大学に行かなくてもいい

いい職業に就かなくてもいい

いい男になれ

俺にはそれしか話をしなかった

けど俺は親父の言葉の重さが

ずっしりと胸に落ちるのがわかった

俺は

おうよ、任せとけ!

涙ひとつ流さず笑って元気に返事をした

親父はその後カバンを取ってくれと言った

俺はカバンを渡した

すると財布を出した

そして俺にその財布を手渡してきた

やる、お前が持っててくれ

中には現金とカードや免許証などが入っていた

その日の晩に俺は普段はしないメールを

親父あてに送った

内容は恥ずかしいので言わないが

その文章が

後日某ケータイ会社の賞を受賞した

そして次の日

俺は医者に

親父を楽にしてくれって頼んだ

俺は親父を殺した

51歳になったばかりだった

死んだ親父の顔は少し痩せていたが

とても末期ガンの患者とは

到底思えないほど穏やかだった

抗ガン剤の副作用で抜けるはずの髪も

ちゃんとフサフサと生えていた

俺は親父が死ぬ時

がっちりと手を握っていた

そして親父が死んだのを1番最初に気がついた

俺の握っていたはずの手が

ぐっと重くなる

そして筋肉が機能しなくなり

まるでゴムのような弾力を帯びた

それがわかった途端

俺は一心不乱になり心臓マッサージをしようと

親父の胸を強く何度も叩いたが

途中でもうダメだとあきらめ

やめてしまった

初めて目の前で人が死んだ

それも自分の手の中で

それでも俺は泣かなかった

まだ親父が見ている気がしたのだ

そして病室で皆が親父を囲って

泣いているのを背に

病室を出た

そして俺は学校の担任であった

あの先生に電話した

もう深夜で

寝ているはずの時間に電話したのに

先生は出てくれた

そして先生は俺にこう言ってくれた

そうか、それは残念だったな

けどまだお前さんにはやる事がある

お前さんのお母さんとばあちゃんが

立ち直るまで支えてやれ

そう言われた俺は出せる力一杯に返事をした





その後日

親父の葬儀が行われた

最初は家族葬にしようと思っていた

しかしやっぱり会社にはお世話になったので

日時等連絡した

すると二日間ある葬儀で

のべ700人以上参列してくださった

俺は初めての葬儀だったので

この人数に違和感はなかったが

葬儀会社の人には

ちょっとした社長の葬儀でもこんなのは稀だ

と言われ

俺はその時初めて

親父がどういう人間なのかわかった

果たして俺が死んだ時

こんなにも涙を流してくれる人がいるだろうか

葬儀には俺でさえ見た顔の人もいた

それは新聞やネットで有名な人もいたのだ

俺の親父はいったいどんな人だったのか

親父は死んでも尚

俺にいろんな事を教えてくれたのだ


親父は俺に死を教えてくれた

親父は俺に人の温かさを教えてくれた

親父は俺に運命との向き合い方を教えてくれた



そしてその葬儀には

先生が来てくれていた

テスト日程が終わり

採点が忙しいはずなのに

わざわざ来てくださったのだ

身内が死んで葬儀を済ませた場合

多くても一週間ほどしか学校を休めないが

先生が配慮してくださり

一ヶ月も実家にいた

母さんもばあちゃんも泣きやむことはなかった

特にばあちゃんは大変だった

実のところ

ばあちゃんはガンを二回

脳出血を一回しているのだ

それでもしぶとく生きていると

自分を責めていた

俺に言えることは

親父の分しっかり生きろ

これしか言えなかった

母さんももう意気消沈していた

俺は自分の事を考えてる余裕なんて

これっぽっちもなかった

辛いのはみんな同じなのだ

みんなが下を向いていたら

ここで親父が作った家族が壊れる

そう思ったのだ

俺は必死だった

そしてある程度みんなが落ち着いた時

俺は寮に帰ったのだ




帰寮してまず

みんなに心配された

俺は純粋にそれが嬉しかった

けど俺は明るく振る舞った

変に気を使われるのが嫌だったのだ

そして俺の事を遠ざけていた彼も

俺に声をかけてくれた

とても心配してくれていたみたいだ

どことなく話しかけにくいような

けど何か言わなきゃってのが伝わった

俺は明るくお礼を言った

そしてその日の夜

初めて泣きそうになった

けど俺はぐっとこらえた

ここで泣いたら親父に悲しい思いをさせる

そう思ってのことだ




俺の中学生活は

こんな辛い思いで終わったのだった

高校はそのまま上がらず

地元に戻ろうとも思ったが

なんだかんだでそのまま進級した








高校生として

新しい一歩を踏み出した

部活はハンドボール部に入った

そこで新しい仲間もできた

俺はキーパーとしてデビューしたが

すぐにチーム事情により

フィールドプレイヤーに転向した

ハンドボールは楽しかった

今までにない高揚感があった

先輩方もすごい上手だった

ここで俺は新しい自分の才能がわかった

俺は一度見たプレースタイルを覚えれるのだ

そしてそれを再現できる

もちろん筋肉の量や体格が同じじゃない

そういう時は自分でアレンジを加えて

形をほぼ同じにして

新しいスタイルを作れるということだ

これに気が付いてから色々納得した

親父にテニスの才能があると言われたのも

これの事だったのだ

こういう言い方だと

中二病のようだが

つまり要領が良かったのだ

そして元々頭でプレーするタイプだった俺は

メキメキ力をつけ

すぐにベンチ入りし試合にもかかわらでた

同じチームの元選抜の子にも

唯一認めてもらえた




俺はハンドボールに没頭した

つもりだった

親父の死をまだ引きずっていたのだ

その当時の俺の身長は今も同じだが

167センチと小柄ながら

体重は筋肉で66キロあった

しかしその時の体重は48キロ程度

それしかなかったのだ

よくよく冷静に考えると

ご飯をあまり食べていなかったのだ

急激に20キロ近く痩せたせいで

体調はとてつもなく悪くなっていた

体調不良誤魔化すために

オーバートレーニングと拒食を

長く繰り返したのだ

ストレスだった



しばらくして精神科に行った

最初は精神科なんて恥ずかしかったが

体調が良くなるにつれて

気持ちも明るくなった

俺の第一次精神闘争は呆気なく終わった



その要因としてはもう一つ

これを言わずとして何がある

ということがある

担任の先生がまたあの恩師だったのだ

かなりありえない確率なのだが

4年間連続で担任だったのだ

その先生が辛い時に支えてくれた

いつか必ず恩返しに行きます




俺の高校生活は少し辛いながらも

周りに支えられてスタートした





俺は中学一年から体育委員に入っていた

中学の時は書記、副委員長、委員長と

体育だけ真面目だった

そしてそれは高校でも同じで

副委員長、委員長、副委員長と

6年間ですべてに役職を与えられた

2年の委員長は担当の先生からの推薦で

クラスで委員会を決める時には

既にに決定していたのだ






さぁ、少し暗い話が連続してしまったので

二回目の我が母校の楽しいところを

紹介しようと思う

前述でもあったが

我が校には全国から生徒が集まっている

雪を見るのが初めての生徒もいた

つまりもう察しのいい方は気付いただろう

そう、雪中運動会があったのだ

俺はさっきも言ったが体育委員長だったので

競技をしっかりやれなかったが

と言いつつ1番楽しんでいたかもしれない

中でも騎馬戦は全戦無敗の猛者だったと

自他共に認める選手だった

野球部の4番の筋肉ゴリゴリの

体重差恐らく20キロ近く

かつ馬の大きさも一回り大きい

マッチョメンを力でねじ伏せたのは

自分の中の輝いた瞬間だった

後々後輩に言われたのは

先輩鬼みたいでしたよ〜

と笑われたが

悪い気はしなかった

自分の話はさて置き

この雪中運動会

様々な競技がある

定番の二人三脚、綱引き

少し危険な棒倒し、騎馬戦

俺が活躍するのはこの辺りだ

そして最後のアンカーには

担任教師が乗るソリリレーだ

この戦いは見た目以上に白熱する

担任が吹っ飛んで落ちるところなんて見所だ

普段は絶対にできないが

担任をちょっとだけ振り回すことができるのだ

これは非常に愉快である

考案者、グッジョブ



さてさて、ここまででお気付きの方も

少なくはないんじゃないだろうか

そう、何を隠そう私は体育だけが取り柄である

高校に上がるときいろんな部活から

顧問から直々に声がかかったのだ

野球部、柔道部、バスケ部

生徒からは

陸上部、テニス部、バトミントン部

その他色々声を掛けてくれて

ありがとうございました

野球部の顧問は

寮頭という寮の校長のような人でした

寮頭は特に目をかけてくれて

学校一の運動神経とまで言ってくれました

光栄至極でございます





プチ自慢はこれ位にして

もう私はどう言う人物か

おわかりいただけたと思います

そう、運動バカです

選ぶ学校を間違えたレベルで

運動が好きです




そんな俺が高校に入って

今まで逃げてきた女の子との関わりを持ちます

高1で初めての彼女を作りました

まぁ遠距離だったので

長くは続かなかったのですが

それから高3まで9人の彼女が居ました

もちろん二股なんてしません

期間が短いのです

そして高3の春

1人の女の子との出会いが

また俺の人生を変えました








彼女と初めて会ったのは高2の学園祭

友達の友達でした

そのとき初めて連絡をし

暫く振りに連絡した時

一週間だけ付き合ってみる事になりました

最初は軽い冗談のようなものだったのですが

お互い惹かれあい

気が付いた時は一週間はすぐに去り

本当に付き合う事になりました

彼女はお嬢様学校に通っており

地元の男なら大半は知っているほど

可愛いで有名で

そんな事も知らずに付き合っていた俺は

とんでもないラッキー野郎だ

なんて思ったりもした

彼女は明るく優しい

俺なんかにゃ勿体無いいい子で

若干申し訳ないながら楽しく過ごしました

そんな俺らに異変が起きたのは

付き合って半年ほど経ち

空気が冷たくなってきた頃

俺は東京の大学に進学するつもりで

受験勉強していたのだが

彼女は

推薦で地元の学校に行くと言い

遠距離になるのが嫌だと

残って欲しいと言いました

俺にもやりたい事があるから我慢しよう

大学卒業したら結婚しよう?

それでも嫌だ

それなら別れる

ここで意思が折れた俺も悪いのだが

親に相談するとめちゃくちゃ怒られ

板挾み状態になりました

この頃の俺は

目も当てられないほど

精神的に病んでいました

そんなある日の朝

俺はストレスによって声が出なくなった

どんな事をしても声が出ず

保健室の先生のところに行くと

すぐさま実家に帰された

それもそのはず

声が出ないなら寮での生活に支障が出る

まずはそれを治してこい

そして元気になった姿を見せてくれ

との事

しかし実家に帰っても良くはならず

彼女からは責められ

より一層悪化しました

病院では失声症と言われ

心のケアが始まりました

これが第二次精神闘争です

それからは大変でした

精神が狂い

強暴性が増し

常に不安定な状態が続きます

声にならない奇声をあげる事もありました

その時初めて彼女と別れようと

決意したのだが

お互い依存しすぎたせいもあり

曖昧な関係になりました

声が出るようになり

といっても二ヶ月ほどはでなかったが

帰れるまでになったので

帰寮するとまた会うようになり

また不安定になります

この時俺を助けてくれたのは

寮で1番信頼してる人の1人の

そう、彼です

彼は俺の荒れ狂う姿を目の当たりにしながらも

いつも止めてくれました

自分で命を絶とうとした時も

全力で止めてくれました

あれがなかったら今頃仏様だったでしょう

そして彼のおかげで

彼女の呪縛から解き放たれ

高校を卒業する事もできた

大学は当時考えていた大学ではなく

地元の1番近くの大学に

ちょろっと引っかかりました

そしてまだ病んでいた俺は

その大学に入学を決めるのだった




これが高校時代の黒歴史です

これだけ聞くと

彼女が悪いように聞こえるかもしれないですが

俺は彼女から色んな思い出を貰いましたし

彼女を怨んでいません

もともと他人に興味がなく

好きになる事を知らなかった俺を

そこまで変えてくれた彼女の存在は

今の僕にとって

掛け替えのない存在です

もうあんなのはコリゴリですがね



さぁこれで

俺の人生の9割を話してきた

もうそろそろみんなとはお別れだね

寂しくなるけど

ここまで読んでくれて

本当にありがとう


それじゃ

そんな波乱万丈な人生を歩んだ俺の

今の姿を

見てもらおう






大学に入学した俺は

まだ引きずっていた

大学に行きたくない

つまんない

そんな風に思っていた

そんな俺はバイトを始めた

高校の時の先輩の誘いで居酒屋で働いた

それがめちゃくちゃ楽しかった

働くことの楽しさ

給料をもらう嬉しさ

お客さんの笑顔なんて最高だった

そして俺は掛け持ちでホストも始めた

きっかけはスカウトによるものだった

今は真面目に塾講師やってますよ!

それはそうと

そこで俺は現在の嫁に出会うことになるのは

もう少し後の話

とにかくその頃は学校より

バイトバイトの生活だった

月に20万ほど稼ぐ月もあった

そんな生活をしてる時

俺の客だった女の子の

働いてる店に遊びに行った

そこで初めて嫁と出会った

初めて見た時は

お、可愛い子いんじゃん

だった

けどその直後

ねぇ!この子のことどう思ってんの

ってやかってきた

うわっ怖っ

これが2番目の印象

その日から2、3日後

嫁は俺に好意を抱いてくれていた

俺はそれにいち早く気が付いた

おそらく本人より先に

だから俺は焦らしに焦らして

告白させようと悪知恵を走らせていた

それでも中々言わない

んー、終電なくなるな

そう思ったので

ねぇ、もう気付いてるよ?

嫁の恥ずかしそうな顔が

今まで見た顔で1番可愛かった

そんな顔されたら

俺だって惚れちまうよ

その日から付き合うことになった

彼女は俺の心の支えになった

俺が薬で倒れた時も

過労で倒れて頭から流血した時も

側にいてくれた

喧嘩ばっかりだけど

こんな俺なんかといてくれる

物好きな奴も多くないだろう

嫁は俺が捨てない限り離れるつもりはないって

俺はお前に見捨てられるまで

離れたくないって思ってんだぞ

ずっとそんな風に思ってる

嫁もまだまだ子供だから

一緒に成長できればって

心底思ってる

いつかめちゃんこ優しい旦那になるって

心に決めてるから

いつかめちゃんこ可愛い嫁になって欲しいって

密かな願いなのは言えてない

いつもいつも俺のわがまま聞いて

家のことやってくれて

本当さんきゅーな







そんな嫁と

1年がとっくに過ぎて

俺らの間に子供ができた

人生を少し急ぎすぎてる気もするけど

俺、学校やめて働くよ

今公務員試験の勉強してるから

ビンボーな思いはさせないよ

今なら親父の言ってた

いい男になれって意味

少しはわかるような気がする

親父はみんなに優しく

愛情一杯に俺を育ててきてくれた

俺には感情が少し欠落してるかもしれない

まともに好きになれないことの方が多い

けどこの子となら

頑張れる

親父が死んで5年たったけど

親父はまだ俺に色んなこと

伝えてくれてんだな





俺はまだ20年しか生きてない

そしてこの後何年生きるか

これっぽっちも検討はつかない

けど

これまでの人生を一度も後悔なんかしてない

後悔する時間があるなら

反省してすぐ前を向かなきゃ

立ち止まってても進歩はしない

時間は待ってくれない

俺はいつ死のうが後悔する人生なんて嫌だ

今この時を

常に全力で生きていく

これが親父に唯一できる

親孝行だと思ってる










ここまで読んでくれた方へ


俺は普通に考えたら

綱渡りみたいな人生を送ってると思う

けどさ

そんなんどーでもいいじゃん

一度きりの人生

他人に迷惑かけねー程度に

自由に生きればいんじゃないか?

もちろん人を殺したりするのは

よくないことだと思う

その人の自由な人生を奪うのはよくない

俺はそう思う

もし俺の考えに賛同してくれるのなら

後悔なんて言葉

二度と使わないで

人生を謳歌して欲しい

マイナス思考のままで

楽しい?

常に前向き

時には立ち止まってもいい

けどちゃんと足を前に出す準備はして

いつでも踏み出せるように

勇気を出してみよう?

若輩者のいうことだけど

こんな奴もいんのかって

バカされてもいい叩かれてもいい

いつかわかってくれる

その日を信じて

俺は今日を全力で生きてみせる

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生と死、そして生 @hiyoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ