4.白い本音


 二人がケーキ屋を出た途端、雪はさらに強くなり始めた。そのタイミングはまるで計ったようで、散太は顔面が蒼白になった。風がごうと吹き、散太の髪は斜めに吹き飛ばされる。

 携帯から見たネットニュースには、十年ぶりの大雪になるかもしれないとテロップが出ていた。

「おいおいおいおい……。これはシャレになんねーぞ……」

 散太はそう呟き、時雨とともにバスのロータリーへと向かう。ブーツの底はざくざくと雪を踏み締め、前を歩く時雨の肩にも雪は積もりつつある。

 路線バスは遅延が激しくなっていた。乗ったところで、家の近くのバス停まで辿り着けるかは解らない。密室のようなバスの中で、長時間閉じ込められるのは嫌だった。

 ここは、タクシーに乗るべきか。しかし、散太の自宅までは一万円は超えてしまうだろう。時雨とワリカンをしても一人五千円。金には困ってないとしても、いち大学生が喜んで払う金額ではない。それは時雨も同じだ。

 それに、このまま帰ってしまっては、明日本当に街まで出られないかもしれない……。


「やっぱり、無茶したかな……」

 どうしようかと思案していると、隣にいた時雨が言った。

「ビジネスホテルにでも泊まるか。それとも、漫画喫茶でもいい」

「漫画喫茶のが安いよな」

 ただし、漫画喫茶の個室は狭くて、身体を伸ばしては寝れない。シャワーが付いているところはあっても、散太たちに着替えもないし、この天候の中で浴びたら逆に身体が冷えそうだ。

「風呂に入らないと思えば、いっか……ただ泊まるだけで」

「よし」

 そう言って二人は近くの漫画喫茶に行ったが、不愛想な店員に「生憎、満室です」と断られた。

「ええー……個室も、空いてないですか?」

「ただいま全て満室です」

 言われて、散太が店内をぐるりと見回すと、若者から中年まで、独りか男同士で来店している客で混んでいた。皆、入口付近までコーヒーやカップ麺のお湯を入れに来ている。巷には、これだけクリスマスに予定も無く寂しい男たちも溢れているということだ。ここぞとばかりに闊歩するカップルたちばかりではない。

「仕方ないな……、どうすっか」

 通りに面するリクライニング式のソファを羨ましそうに眺めながら、散太は次の案を考えた。

「ビジネスホテル……は、ツインでも平日で一人五千円はするよな……。だったらタクシーで家に帰っても良いけど……明日ももしかしたら、タクシーでも呼ばないと、ここまで出てこれないかも」

「だったら、あそこはどうだ」

 そう言って、隣に立っていた時雨は、クイと親指を上げた。

 その親指の先にあるのは、チェーンのカラオケボックスの看板だった。明日はクリスマスイブと言えど、場所によっては平日扱いで、フリータイムは確かフリードリンク込みで二千円くらいだったはずだ。

 カラオケには風呂はないが、明日仕事をするのに、別に風呂に入る必要はない。若者だから、夜遅くまで飲んだ翌日に風呂に入っていない日だってあるし、気になりはするものの、散太は潔癖症でもない。

 体力と生命力のあり余っている男子大学生が、わざわざ明日のためにビジネスホテルに泊まるのはいささか贅沢にも思える。カラオケのソファでも十分寝れるし、食べ物だってある。シャワーとベッドを引き換えに、三千円を浮かせても良いか……。

「空いてたら泊まるか」

「おう」

 心は決まって、二人は頷き合い、カラオケ屋の自動ドアに入って行った。

「いらっしゃいませー」

 店員の応対を受けると、部屋の番号札を渡される。散太たちの後から入店する者たちも、ちらほらとやって来ていた。悪天候で、皆ここで夜を明かそうと決めたのだろう。これから混むことを考えると、早めに入店して正解だった。

 散太たちは身体についた雪を手で払いながら、狭い階段を上がる。目的の部屋に着いて、ほっとしながら雪の付いたコートを脱ぎ、ハンガーに掛けた。明かりの絞られた部屋の電気を、目いっぱいに明るくした。

「飲み物何がいい」

 ソファに先に座った時雨が、メニュー表を開きながら散太に向けて言った。

「フリードリンクだぞ。食べ物は別料金」

「あ……ホットコーヒー」

「何か食べるか」

「うーん、まだいいかな。もう少し後で何か選ぶか……」

「わかった」

 そう言うと時雨は部屋を出て行った。どうやら、ドリンクバーから散太の分の飲み物も持って来てくれるらしい。まるで気の利いた恋人のようだ。

 先ほどのケーキと言い、何だかんだといつになく世話を焼いてくれる時雨に若干首を傾げながらも、散太は素直に甘えさせてもらって、ソファに腰を掛けて待っていた。

 ほどなく帰って来た時雨は、散太の前にホットコーヒーを置いた。

「サンキュ」

 そうして、自分はホットのウーロン茶を持ち、散太の斜め向かいのソファに座る。

 どうやらこの雪に時雨も落ち着かないらしく、いつになく少しだけそわそわとしているように、散太には感じられた。

 コートを脱ぎ、黒い髪と同じく黒のケーブル編みニットを着た彼は、温かいウーロン茶を飲んだ後は、無言でそのカップを手に持っていた。

 散太は、コーヒーを飲んだ後にテーブルに肘を着いた。今この状態は十分考えられる展開ではあったが、それでも明日のことを考えると気を揉む。

「困ったなぁ……。ま、明日、このまま駅前に行けばいいか……。それにしても、こんな風にクリスマスと大雪が重なることも珍しいけど……」

「ま、そうかな……」

 時雨は、相槌を打っただけでまた黙り込んだ。散太はこの沈黙が少しばかり愉快にさえ感じ始め、カラオケ機器を指さして聞いてみた。

「何か歌う?」

「いや」

 時雨が歌を歌うなんてところを、散太は聞いたことがない。もしかしたら今夜拝めるかとも思ったが、まあ、きっと無いだろう。散太だって別に歌いたくはない。

「確か、フロントで借りればDVDも見れたかもよ……。ゲームとかも」

「とりあえずはいい」

 散太は、いつもと様子が違う時雨に会話を振ったつもりもあったのだが、時雨は口元を片手で伏せながら、まただんまりを決め込んでしまった。


 これは、本当に明日の朝まですることがない。元々、互いのことをべらべらと喋り合う二人でもないのだ。

 幸い、ソファの長さにはゆとりがある。部屋も暖かい。食べるだけ食べたら、朝まで寝てしまえばいい――散太はそう考えると、時雨に対して手のひらを出した。

「ごめん、やっぱりメニュー取って。もう、夕飯食っちまおう」

「そうだな」


 散太は、あんかけ五目焼きそばを頼んだ。時雨は、カレーライスを。

 散太はずるずると焼きそばを掻き込みながら、時雨があまり食が進んでいないことを横目で見た。

「そのカレー、まずいか?」

「いや、普通だが……」

「じゃあ、ちょっと食わして」

 そう言って、散太は時雨の皿からカレーを、箸で一口頂戴した。

「まずくないじゃん。俺のと交換する?」

「いやいい。大丈夫だ……」

「そう?」

 散太のあんかけ焼きそばは味が濃かった。出来合いだから仕方がない。

 カラオケのソファで前屈みになり、食事を啜り込んでいると、斜向かいで時雨が虚ろに口を開いた。


「……あの、さ。さっき言ってた、恋の話だけど……」

「ふ?」


 時雨の口から聞き慣れないワードが出て来て、散太は唇に付いたあんを舐めながら、しばし考えた。コイと言われて、漢字変換が急に出来なかったのだ。

 一瞬考えていると、目の前の時雨が付け足した。

「ケーキ屋で言ってた話……恋ってどういうものかって。」

「あ? ああ、『恋』のハナシね」


 何を今更言うのだろう。まさか、ずっとそのことについて考えていたのだろうか。

 やっぱり今日の時雨は何か変だ。まあ、こんな事態になってしまったのだから、時雨の様子がおかしくても仕方がないか。落ち着かないのは散太も一緒ではあるが、とにかく明日のために少しでもリラックスしておこうと努めているのだ。

 散太は皿の餡をかき集めながら、時雨の話に耳を傾けていた。

 その口から、更に意外な話が飛び出してくるとは思わなかったけれど。


「あのさ……恋っていうのは、誰もが思わぬ時に、思わぬ相手に落ちてしまうものだから、皆、来年のことなんて考えられないのは仕方ないと、思う」

「……はあ?」


 散太は、時雨の言った内容が理解出来なかったわけではない。時雨の口から、真剣にそんな『恋』の話が出て来たのが理解出来なかったのだ。

 ところが、そんな散太に構わず時雨は滔々と話を続ける。


「お前はあまりに皆の恋が打算的だと思っているみたいだけど……、そうじゃない恋だって、皆沢山してると思う。あれだ、昔からよく言う、胸がドキドキして時々キュンと切なくなって、どうしようもなくて、やるせなくなる気持ちのものだ」

「……」

「だから、毎年お前が叶えている恋は、次の年に別の相手に向けられていたとしても、それは仕方がないんだ。皆、今のことで一所懸命で、今の恋が叶うかどうか、さらに来年まで続くかどうかなんて、誰にも解らない。逆に、それを眺めているお前や、傍観者の方がよく解るのかもしれないけど……」


 目の前の時雨があまりに真剣にそんな話をしているから、散太はあまりに驚きすぎて固まっていた。しかもその内容と来たら、今時の少女漫画よりも純粋でキラキラした天然記念物、いや絶滅危惧種レヴェルだ。散太は、時雨の綺麗に通った鼻筋を眺めながら、途中から相槌を打つだけで精一杯であった。


「……う、うん。」

「家でも言ったけど、お前のしていることは皆にとって、本当に奇跡のようなことなんだぜ。だからもっと自信を持って、自分の仕事をして良いと思う」

「そぉかなぁ……」

 散太は、自分の真意もちょっとは口を挟もうと、そこでぽりぽりと耳の上を掻いた。

「俺のやってることって、そんなに有難いかなぁ。しなくてもいいことなんじゃないかって、よく思うんだ。さっきも言ったけど、クリスマスなんて毎年あるんだし。たった一回のクリスマスに恋のちょっとした願いが叶ったからって、その人にとって何かが変わるかどうか」

「……今年の、俺が欲しかったクリスマスのプレゼントが何だったか、言ってもいいか」

「え?」


 見れば、時雨はカレーを食べる手をすっかり止めて、自分の膝に肩肘を着き、目線をカレー皿に落としたまま神妙な顔つきをしている。散太は、時雨の欲しい物など、これまでに一度も聞いたことがなかった。

 散太はその台詞にこれまでで一番興味を惹かれ、時雨の心の内を覗く好奇心にニヤけそうな顔を何とか隠し、なるべくさり気ない相槌を打つために細心の注意を払った。


「うん」

「……俺のずっと欲しかったクリスマスプレゼントは……、クリスマスに、好きな奴と一緒にクリスマスケーキを食べることだった」

「うん」

「そいつは、毎年クリスマスに仕事が一番忙しくて、クリスマス当日を迎える頃には、ボロ雑巾みたいになってるんだ」

「うん。……ん?」

「ケーキなんて、到底自分では用意したこともない。だから、俺の願いは一生叶わないかと思ってた」


 散太は、瞬きをするのも忘れて時雨を見詰めた。時雨は一体誰のことを言っているのだろう。……まさか。


「でも今日、俺の願いは一日早く叶ったんだ」


 時雨は静かに、肘を着いたままでその先を続けた。相変わらず、目線はテーブルの皿に落としたまま。


「俺は本当に嬉しかった」


 ……何だこれ。

 時雨からまさかこんな答えが降って来るなんて、夢にも思っていなかった。

 段々と胸が動悸を始め、どっきんどっきんと鳴る胸が、時雨にまで聞こえやしないかと、さっきまで時雨を面白がっていたのとは逆で。

 今度はまるで散太が追い詰められているような気分になっていた。


「……そんな、ちょっとしたことが叶うだけでこんなに嬉しいってことが、お前にも伝われば……いいのに。」


 そう言って散太を見た瞳が、初めて見た潤んだような瞳だったから、散太は今度こそ本当に逃げ場のない場所に追い詰められたことを悟ったのだった。

 時雨は、最後に言った。もう一度目線を逸らして、手のひらで膝に頬杖を突きながら。それが、ほんの少しだけ朱に染まった彼の頬を隠すためなのだと、散太はやっと解ったのだった。




「だから、俺の願いはもういいんだ。もう叶ったから……。

 明日は頑張って、皆の願いを叶えてやれよ。

 俺の願いも叶えられたんだから、他の奴らの願いだって楽勝だろ?」

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