2.強気のトナカイ


 あるクリスマスを目前にした冬の日、地元の駅で、散太は時雨と出会った。


 大学に行くために、散太がロータリーのベンチに腰掛けてバスを待っていると、少し離れてポツンと立っている長身の男が居た。艶のあるストレートの黒髪に、紺のチェックのマフラーを巻き、グレーのチェスターコートが良く似合っていた。それが時雨だ。

 彼は駅の歩道の石畳の上にしばらく立ったままで、鋭い視線で散太を見詰めていた。散太がそれに気づいて二人の目が合うと、やがてつかつかと散太の元へやって来た。


「……お前、もしかしてサンタクロースか?」


 息を白く吐いて、突然そう自分に語りかけてきた時雨に、散太は驚いて目を見開いた。何故解ったのだろう。ベンチから見上げた時雨は、普通に立って向かい合うよりも余計に背が高く見えた。

 赤いマフラーをぐるぐる巻きにして、白のダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ散太は、白い息を吐いていた。自分がまるでとても小さい人間のように身を縮こまらせていた散太は、暫く硬直して時雨を見上げていたが、やがてコクンと頷いた。この男は、サンタクロースの事情を知っているのだと直感したのだ。

 素面で『あんた、サンタクロース?』などと聞いてくる男は、サンタクロースの伝説の関係者か、それともよほどの変わり者か。後者であれば、例え他の第三者に真実を漏らしたところで相手にもされないだろう。だから散太は開き直り、目の前を人がちらほらと横切って行く人目のある場所で、時雨に向かって正直に答えたのだった。


「……だったら、何。」

「……やっぱりそうか……」


 散太の返事に時雨は切れ長の目を驚いたように見開きながらも、納得したように頷いて小さく呟いた。

 彼の唇は男のものだから勿論素の色のままだったが、リップクリームを塗ったように綺麗なピンク色は、少しもカサついていないように散太には見えた。そんなことを考えるのも散太には不思議だった。唇は、時雨の端正な顔立ちに釣り合って麗しい形をしていた。

 その後で、時雨は断りもせずに散太の隣に腰掛けてきた。急に話し掛けられて憮然とする散太は、しばらく見詰めるというよりも時雨を睨んでいると、やがて時雨が口を開いた。その顔は至極真剣な表情だった。


「俺は、トナカイだ。だから、お前を助けることが出来ると思う」

「は?」


 それを聞いて、次に驚くのは散太の番だった。まさかそんな返事が返って来るとは思わなかった。

 暫く二人が無言で見詰め合っていると、ブロロロ、と大きなエンジン音を立て、散太が乗るはずだったバスが前を通り過ぎて行った。次のバス停を呼ぶ車内アナウンスを繰り返しながら……。




 これが、散太と時雨の出会いだ。

 どうやら、昔からサンタにはトナカイ役がヘルプに付くものらしい。仕事のやり方が大きく変貌を遂げた今でも、伝統の形式が名残となって残っているようだった。

 トナカイの魂は生まれ変わりを経て、現代のサンタクロースの元へと辿り着く。そうして、コンビ役として現代でも出会うらしかった。


 二人はお互い大学生で、学年は散太の方が一つ上だった。年が近いせいもあり、出会いを経て友人になった。

 初めのうちは散太がサンタクロースの仕事についての説明――というよりは、これまで誰にも話すことが出来ずに胸に溜まっていた愚痴のようなもの――をした。

 どのようにして散太がサンタになり、どのようにこれまでのクリスマスを過ごして来たか。一通りそれらを話すと、時雨は言葉少なに相槌を打った。

 それからは、他の話も……家族や大学のこと、恥ずかしいながらも、散太がこれまで恋愛経験がないことも曖昧に告げた。一方、時雨は今までに女の子と付き合った経験があるようだ。散太は、年下の男に抜かされた気がして癪なので、それ以上根堀り葉堀りは聞かなかった。

 時雨は口数が多い方ではなかったが、時折開く口は饒舌で、遠回りをせずストレートに物を言った。散太は時雨の物言いにムッとする時もあったが、彼の飄々とした様子は悪気が無さそうだった。

 そのうち、一人暮らしの散太の家にも時雨を呼んだ。初めは、サンタの仕事の打ち合わせに呼んだつもりだったが、次第に入り浸る時間が増えた。最早今では、彼は散太の家で単に寛いでいるだけのように見える。


 そうして今年、二人はイブの前日に、雪の降る街に繰り出した。




 冷たい夜に積もり始めた雪は氷に近く、踏むとざくざくと音がした。冬に仕事を迎える二人は、いざという時のために雪国用のブーツも備えている。これも時雨の発案だった。

 靴箱にしまってあったブーツを履き、バスに数十分ほど乗った後、二人は一番近い電車の駅へと辿り着いた。

 駅から続くショッピングセンターのビルがぐるりと周りを囲む中心に、広場のようになったバスのロータリーがある。時計台のある中心には、十一月の終わりから大きなツリーが点灯している。夜になりかけた祝日の今日は、そこそこの人通りがある。

 二人はバスから降りるとぴたりと足を止めた。

「寒……」

 元々、どこへ行くかなど決めていないのだ。雪に濡れるのはさすがに嫌で、ロータリーの屋根沿いに数歩歩いて彷徨っていると、隣にいた時雨が思わぬことを言った。


「……あの白いコート何で着なくなったんだ? まだ持ってるか?」

「は? コート?」


 一瞬、散太は何のことを言われたのか解らなかった。暫くして思い当たり、「ああ」と返事をした。

 白いコートとは、多分散太が時雨と出会った時に着ていた、白いダッフルコートのことだ。あのコートは今、散太の寝室のクローゼットの中で眠っていて、散太は現在紺色のピーコートを愛用している。

 何故時雨がそんなことを言うのか、散太には全く解らなかった。散太はマフラーで口元を隠しながら、答えた。


「……目立つからだよ。今から思えばよくあんな格好してたよな。白いコートなんて女の人しか着ないし、まるでカーネル・サンダースかっつーの……」

「そうか?」

「そうだよ」

 散太が自嘲気味に言うと、時雨は納得いかないように相槌を打った。散太の様子を黙って見詰めている。散太は半笑いで続けた。気恥ずかしいが、当時のことを少しだけ思い出しながら答えた。


「……自分がサンタだって知って、ヤケになってたからそんな格好してたのかもしれないな。赤いマフラーに白いコートだもん……」

「……そうか?」

「まだ逆じゃないだけマシだったかな……赤いコートじゃサンタそのものだもんな」


 そう言いながら、散太は首元のマフラーを摘まんだ。

 この赤いマフラーは、当時と同じ物を使っている。それほど安物でもないし気に入っているのだ。

 そして本当は、あの白い、微かにグレーベージュがかったダッフルコートも、実は結構気に入っていた。それは今でもだ。ただ、少しだけ大人になったせいか、何となく気恥ずかしくて着ていないだけ……。

 散太が照れてどもりながら答えると、隣でぽつりと時雨は言った。


「……あのコート、似合うのに残念だ」

「え?」

 散太は聞き間違いかと思ったが、時雨は真面目な顔で正面を見詰めていた。

「あのコートのおかげで、俺はお前と出会えたのに……」

「はあ?」


 散太は、尚更時雨の言っていることが解らなかった。時雨の見詰める先には、当時出会った場所のロータリーのベンチがある。

 まさか当時に思いを馳せているのだろうか、と散太は思った。

 散太が何と言ったらよいか解らないまま、時間だけは刻々と過ぎていく。


「……時雨?」

「ケーキでも食べるか」


 そう言って、時雨はくるりと長い脚の矛先を変えた。

 散太は少しほっとしながら、その後を、数歩遅れて付いて行った。

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