10.訪問者


「あの」

 突然話しかけられて、二人は驚いた。振り向くと、雪の中にポツンと少年が一人佇んでいた。

 二人から数メートルも離れていない距離だった。散太は返答に困った。なぜなら、本当に先ほどまでそこには誰もいないはずだったのだ。

 おんぶごっこをして門からの十メートルをよちよち歩き、二人の世界に没頭していたとしても、後ろからの気配には気付きそうなものである。それに、肝心な問題がある。この天候も悪くバスも止まりがちな深夜に見ず知らずの人が家を訪問するのは、きっと特別な理由があってのことに違いない。

 例えば、交通手段が無くなってとか。携帯電話も電池切れだとか。すみませんが電話を貸して下さい、とか。それらの状況を思い描いて、散太は少しだけ神妙になった。

 散太の、場所を鑑みない下半身の興奮も収まっていた。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。実は折り入った事情があって訪問させて頂きました」

 そう言って、ぺこりと頭を下げる相手に、散太と時雨が警戒心をほとんど持たなかったのも仕方がない。何故なら、相手は一人で、中学生くらいの年端もいかない少年。

 しかも、また降り出すかという鉛色の空の下で、赤いざっくりとしたニット帽を被った様子は、まるでマッチ売りの少女。その様子が寄る辺も無く儚げに見えたので、散太はあやうく同情心をそそられるところだった。

 丁寧な礼から頭を上げると、ハリー・ポッターのような丸く華奢な眼鏡。その役者よろしく外国人かと思うような、はっきりとした鳶色の二重の目に整った鼻と唇。散太もそうだが、同じく色白の顔は日本人離れしていた。

 玄関先に立っていた散太と時雨は、部屋に入ることも忘れ、少年の様子を見詰めていた。

 すると、思いがけない言葉が少年の口から出た。

「こちら、都築散太さんのお宅で間違いないですね? そして貴方が、都築散太さんご本人のはず」

 そうして、少年の揃えた五本の指が散太を差していた。散太は戸惑った。自分のことを知っているようだが、散太は彼のことは見覚えが全くない。

「ええと……、失礼ですがそちらは……」

「申し遅れましたが、わたくし、トナカイともかいから参りました、新谷しんたにのえると申します」

「は?」

「『新谷のえる』です」

「いえ、そうではなくて……」

 散太が聞き直そうと思ったところに、ちょうどよく少年がオリーブ色のダッフルコートの前を一番上を開け――これもまた示し合わせたようにダッフルコートだ――、喉元からIDケースのような物を引き抜いた。

 その紐は彼の首の後ろにかかっており、まるで鍵っ子が肌身離さず身に付けている自宅の鍵のように見えた。中身は衣服の中に隠していたようだが。

 散太の方に向けられたカードの正面には、運転免許証のようなレイアウトに、確かに『トナカイ友の会』『新谷のえる』という文字が見えた。

「ええと……」

 回らない散太の頭をフォローするかのように、後から少年は話し始めた。


「手際が悪くて申し訳ありません。こちらをご覧になって下さい」

 斜め掛けにした欧米のポストマンのような帆布のバッグから取り出したタブレット端末には、確かに散太の顔写真と登録番号が映し出されていた。

「サンタクロース登録番号5016×○△×、都築散太さんでよろしいですよね。サンタクロースの告知を受けた際に、友の会のことは聞かれているかと思うのですが……」

 その写真と番号は散太も覚えがあった。訳も解らないサンタクロース協会というものに、当時散太が半分狐に摘ままれながら提出した物だ。今よりも少しだけあどけない散太の顔が、訝し気にこちらを見詰めている。

「可愛い」

 差し出されたタブレットを覗き込んで、ボソリと言った時雨の足の甲を、散太が勢いよくねじ踏んだ。

 褒められたと思えば嬉しくないことはないが、この状況で言うことではない。

いてえ……」

「聞いたことはあったかもしれませんが……あまり記憶になくって、スミマセン」

「いえ、こちらこそ連絡も差し上げず、急に訪問してしまったので」

 時雨の反応を無視して、散太と訪問者は話を進めていた。

 どうやら、二人はペースが合うらしかった。

 少年は端末を小脇に抱え、胸でじれるIDカードの位置を指で直す。神妙な面持ちの彼は、年齢にそぐわず、とても知的に見える。それから彼は、申し訳なさそうに続きを言った。


「あのですね……、散太さん、この登録をなさった直後に引っ越しなされましたよね。この新しいおうちを捜し出すのに、大分かかってしまいました。本来なら住所変更があったら直ぐに、協会の方に申し出て頂くはずなのですが」

「あ」

 散太は、思わず時雨と目を合わせた。

 サンタになった後、ヤケになったようにこの郊外に引っ越した時、そう言えば何も考えていなかった。学校や銀行、電話会社のようにサンタ協会にも報告しなければならなかったとは。

「それからですね、携帯電話も変更されましたね。だから連絡が取れないでいました」

「あ……」

「登録下さっていたフリーメールのアドレスにも、何度かメールを送らせて頂いたのですが、返答がなく」

 散太は、また時雨と目を合わせた。

 郊外に越した途端、電話の電波がつながりにくくなったのだ。山に近いせいだろうか。よって、散太は電話会社も変え、当時の都合により番号も変えた。勿論、それもサンタ協会とやらには連絡していない。もらったというパソコンメールの方も、今も見ないまま他のDMメールと一緒に埋もれている。

 散太の様子を見た少年は、慌てて続ける。

「あの、散太さんを責めるつもりは全くありません。こちらこそ、散太さんと連絡を取るのが遅くなってしまって……。中には、サンタであることを知った後に、情緒不安定になられる方も居るのです。失踪してしまう方や、ご自分の命を軽んじてしまう方も」

 そう言って少年は、哀しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに気を取り直して微笑んだ。

「でも、散太さんがそういうわけではなくて、本当に良かったです」

 そう微笑む少年からは包容力さえ感じられ、散太は頭を下げて謝った。

「す、すみません……! 連絡するなんて、全く念頭になくって……!」

「いえ、仕方のないことだと思います。ご自分が特別な存在であると理解した後は、どなたも心が迷われるものですよ」

 そう言って微笑む少年こそ、散太にはサンタどころか、神がかって見えたのだった。


「あの……、とりあえず、中入らねー。寒くて足から凍りそうだし」

 話をずっと聞いていた時雨は、ドアを開け、まるで自分の家のように少年を招き入れようとしていた。

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