第二章
9.赤煉瓦までの帰路
土は雪の氷と混ざり、山中の林は鬱蒼としていた。
散太の家は、前述したように郊外の片田舎にある。平地ではなく、森の茂るなだらかな山だ。人気のない暗い林中を走るバスは非現実的だった。
散太は、一時間を超えて時雨とバスの中に居た。街中は慣れない雪で混雑し、山道はスリップを怖れてゆっくり走っていた。車内は暖房の熱風に湿気が加わり、空気はこもって窓ガラスは結露で曇っていた。
だが、それは散太にとって不快ではなかった。散太は静かに時雨と会話をして、途切れた折に、ときどき思い出したように窓ガラスを
その空間も、もうすぐ終わる。
バスは定刻より三十分ほど遅れて、散太の家の最寄りのバス停に止まった。
バスがキキ……、と緩いブレーキをかけてその動きを完全に止めると、泥と氷で滑りそうな地面に、散太はゆっくりと足を下ろした。
「あっ、
「大丈夫か?」
途端に散太は小さく悲鳴を上げた。全身が早い筋肉痛に見舞われていたのだ。
こんなに早く筋肉痛が出るのは、若さの証拠である。歩こうとすると、ヒョコヒョコという不自然な動きになってしまって、まるでヒヨコのようだ。
それを見ると、半歩前を歩いていた時雨は、しゃがんで散太に背を向けた。
再び、負ぶされということだ。
「ほら」
「……え~……」
「歩けないんだろ」
それは真実である。このまま歩くと、いつ自宅にたどり着けるか解らない。
散太は渋々と一つ唾を飲み込むと、再び時雨の背中に覆い被さった。
時雨は、雪の道を滑らないように足を踏み締めながらゆっくりと散太の家に向かって歩いて行く。
その揺れる様子を、散太は大人しく受け入れていたが……。
(ぬ……?)
先ほどとは違う点が二つある。まず、飲み終わったコーヒーカップが無いこと。
空になって時雨が重ねたのにフタをして、コーヒー店でもらった再生紙の袋に入れて、散太のリュックに入れてしまった。だから、散太は今度は手ぶらである。時雨の顎の下に伸ばした手は、どこを掴もうかと迷っている。
もう一つは、今度は散太は少し緊張しているということだ。
(……さっきはコーヒーに、少し気を取られていたからな……)
今度は何も散太に武器がない。ただ、ゆらゆらと揺れる時雨の背中に乗っているだけ。周囲の景色でも見て気を逸らそうと思うがそれも成功しない。
「あ……明日、どこまで雪かきしようかな!?」
「別に誰も来ないんだし、いいだろ、しなくて。それよりよそ見すんな、バランスが崩れる」
「う、わ、解った……」
話を逸らそうとしたが、失敗した。不安定になるたびに彼に自分の身体を預けていることを意識してしまう。
その結果、散太の股間は緊張を始めていた。
(う……、俺、変態か)
男で柔軟性もない脚を大きく開いて割り、身体を押し付けている状態に、散太の股間がじりじりと熱くなり始めた。定期的でありながら、完璧な一定でないリズムに、散太は次の刺激がいつかと意識を集中してしまう。
散太は焦って言った。
「――お、降りる!」
「何言ってるんだ、あとちょっとだろ」
門を通って、赤銅色のレンガの家が見えて来たのだから、確かに着くのはもうすぐだ。しかし、そのもうすぐが散太には辛かったのだが……。
門の隣には、必要に駆られて
それから、春に芽が出て花を咲かせる球根が埋まっている、花壇がある。今はそこが、白く染まっている。
庭木も花壇も、ここ数年は時雨にも世話をしてもらっている。
「うあ……」
釈明すると、散太はこれまで男にそんな気になったことはない。ただ、時雨から告白を受けて、相手が自分に気があることを意識したことは確かだ。
加えて、散太は汗を掻き、それは何となく性的なことを連想させる。それから、自分の膝の裏を抱える時雨の手が大きいことを今改めて感じて、妙に男らしさというものを感じている。ガッチリと掴んだ手は離しそうにない。
(う……俺って節操なし!? 大体、時雨のことはそんな風に思ったことなかったじゃん……!)
これはきっとただ疲れているだけである。それからちょっと眠いのである。疲れて眠いと勃つのである。自然の原理である。そう散太は必死で己に言い聞かせていると、やっと時雨は家の玄関前に着いた。
散太はよろけて地面に降りた。
「ん……う……、ふう……」
「ふう、さすがに重かった」
時雨は首をコキコキと鳴らしていた。散太は前がコートで隠れているのをその隙に確認し、慌てて更に隠すように背中のリュックを降ろして前に持って来た。勃っている姿も、悶えている姿も時雨に見られるわけにはいかない。
中から、急いで家の鍵を取り出す。その手元が覚束ないと、時雨は不思議に思って訊ねた。
「? どうした?」
「ど、どうも……しねーよ!」
散太は思いあまって舌打ちをチッとすると、ドアの鍵穴に鍵を勢いよく差し込んだ。
それすらもいやらしさをほんの少し感じてしまったことは、内緒である。
「? 変なやつ……」
それから、背中から降ろされ、時雨に対して少しでも寂しさを感じてしまったことも内緒である。
時雨は、散太の真意には全く気づかないようで、黒い瞳をぱちくりとさせていた。
散太を二回も負ぶったので、さすがに疲れていたのである。
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